2012年4月27日金曜日

食文化に異変が起きている?なんだか変だ。

テレビ番組に食べ物・料理に関するものが,ここにきて激増しているように思いますが,どんなものでしょうか。たまたまなのかも知れませんが,テレビのスイッチを入れると,料理番組か,各地の名物料理の食べ歩きがでてくる。そんなことが,最近,とても多くなったように思いますが,みなさんはどんな風に感じていますか。

こんな番組ばかり見せられていると,大震災も原発も,すっかり忘れさせるためにこんな番組を増やしているのではないか,と勘繰りたくなってきます。3月は,さすがに大震災・原発の番組が特集で流されていましたが,4月に入って,パタッと流れなくなってしまいました。そして,いつものバカ番組にもどったとおもったら,食べ物系の番組が多くなっていることに気づき,アレレッと思っています。

前にも少しだけ書きましたが,わたしの通勤コースにフード・コートがあります。行きも帰りも,いつもそこを通り抜けながら,意図的に様子を観察しています。いつもがら空きだったところなのですが,いつのころからか人が多くなってきています。最近では,ほとんど満席です。時間に関係なく,満席に近い状態です。

しばらく前までは,午前中はお年寄りが多い。昼どきは,いろんな人がやってきてごった返しています。午後は,子ずれの若い母親が友人たちとおしゃべりしている光景が多くなります。夕刻は,学校帰りの高校生,中学生がどっと多くなります。夕食どきは,これまた超満員。年齢もさまざま。

その一方で,スーパー・マーケットにコンビニ商品が進出しはじめて,景色が変わってきています。わたしの住んでいるマンションのすぐ下にあるヨーカドーがセブンに買収され,最近になって,みるみるうちにセブンの商品で埋めつくされつつあります。それもほとんど出来合いで,家に持ち帰って「チン」すればすぐに食べられるものが多い。しかも,単品が多い。一人暮らし,あるいは,二人暮らしの人たちを対象にしているのか,それとも多人数でも,それらを買い集めていけば,すぐに食事の準備ができてしまうようなものが激増。しかも,安くて,美味い。まことに便利。まさに,コンビニエンス。だから,お客さんも増えている。なぜなら,レジに並んで待つ時間が多くなってきているので,それがわかる。その列にサラリーマン風の男性も,夕刻になると増える。

本屋さんにいくと,これまた料理本の棚がどんどん拡大している。わたしは料理することは嫌いではないので,ときおり,それらの本もめくって眺めたりしている。しかし,それらのほとんどは有名な料理人を前面に押し出した,美味しい料理のレシピだ。かんたんなものから手の込んだものまて,いたれりつくせりである。こんな本が売れているところをみると,若いお母さんたちが一生懸命に料理に取り組んでいる姿が眼に浮ぶ。

その一方では,ファースト・フッドの店も大盛況。フード・コートにあるそれらの店には行列ができている。よくみると,お持ち帰りの人が多い。買って帰って家で食べるらしい。ドーナッツ屋さんにも行列ができている。

家族全員が揃って,みんなで食事をするという家父長制時代の食事の光景も激減しているらしい。それぞれの人の時間の都合に合わせて,ばらばらに食事をするのは当たり前。だから,自分の好きなものを買ってきて,家で食べる。あるいは,フード・コートのようなところで済ませる。もちろん,金持ちはレストランで。

食文化というか,食習慣というか,食べるということの慣習行動のどこかが大きく変化しはじめているようにおもうのだが,どうなのだろう。食べるということは生活の基本だ。その生活の根幹に相当する「食べる」文化が変化するということは,なにを意味しているのだろうか,とわたしは考える。なにかが,大きく変化している。その一端が,食べることに現れている,と思われて仕方がないのはわたしの考えすぎなのだろうか。

人と人との関係性が希薄になりつつあることと,どこかで繋がっているのではないか,とそんなことも考えたりしている。時代が大きく変化しつつある。地殻変動だけではなさそうだ。人間のこころも大きく変化しはじめている。そんなことが気がかりになる今日このごろである。新しい文化が生まれる予兆なのだろうか。だとしたら,とてもいいことだとは思うのですが・・・・。

これからも,しばらくは観察をつづけてみたいと思います。
わたしの考現学。

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