2012年5月5日土曜日

送電線は国道と同じ。東電だけが独占するのではなく,すべての国民に解放せよ。

いま,遅い昼食をとりながら,いつものように「J-wave」(81.3)のジョッキーの話を聞いていた。そこで,とても面白い提案をしていたので,賛同しながら,ご紹介しよう。

毎週,この時間のテーマは「エネルギーを考えよう」。
そして,今日の話題で印象に残ったのが,「発送電を分離して,送電線を解放せよ」という話だった。

発送電を分離せよ,という議論はすでに前から行われているが,東電は頑として受け付けようとしない。なぜなら,電気を独占して売る,現体制がくずれてしまうからだ。

いま,聞いていたラジオは面白いことを言っていた。これはいただきだ。
つまり,送電線というものは,どこの国もみんな国がつくった,というのだ。そして,日本も国がつくったのだ,という。だから,送電線というものは「国道」と同じだ。道路には,国道や県道のような大きな道路を筆頭に,田んぼや畑をとおる村道や,山の中を通り抜ける林道や登山道まで,各種のものがある。しかし,もちろん,その管理体制はそれぞれに分割されているが,国民がその道路をとおるのはだれもが自由だ。つまり,無料だ。だから,送電線も道路と同じなのだから,国民全員に解放すべきだ,というのである。

この発想は,わたしの頭の中から欠落していた。なるほど,そうか。送電線というものはもともと道路と同じようにしてつくられてきたのか。だとしたら,一民間企業に独占させておく必要など,どこにもない。さっさと,国有化するなり,県有化するなり,村有化するなりすればいい。そして,だれでも自分で発電した電気を送ることができるようにすればいい。道を歩くのと同じように。

ラジオでは,もう一点,興味をひく話をしていた。
送電線を電力会社が独占しているのは,世界中で日本とフランスだけだ,という。そこで,はっとさせられたのは,どちらの国も「原発」をたくさん保有しているということだ。国家と電力会社と原発は三位一体となって推進されてきた,ということがよくわかる。ドイツなどは,送電線は道路と同じように解放されているので,小さな集落ごとに発電装置をもっていて,自給自足ができるようになっているという。これは,同じドイツ語圏であるオーストリアで,わたしの眼で確かめ,現地の人に直接話を聞いて確認した話でもある。だから,オーストリアは原発をつくったけれども,稼働させるかどうかという時点で国民投票をして否決され,そのまま原発は眠ったままになっている。ドイツもほぼ同じシステムだと聞いているので,ドイツもまた原発に頼らなくても,少しやりくりすればなんとかなる,という背景がある。だから,いち早く「脱原発依存」を国家として宣言し,その方針で動きはじめていることはよく知られているとおり。

さて,ここで結論。
日本も,すぐにでも送電線を国有化し,国道なみにだれでも使えるようにすべきだ。そうすれば,村単位,町単位で発電をして,地域住民の電力を確保することができる。山の中の沢沿いの集落なら,小さな水車小屋で発電するだけで,最低限の電力は確保できる。つまり,発電装置を細分化していけばいくらでも電力は確保できる。そのためにこそ,送電線を道路なみに解放すべし。

今日は,日本の原発がすべて停止した記念すべき日。さあ,これからが本番の闘いのはじまりだ。絶対に再稼働させないために。そのためにも,送電線を早く解放すべし。それが,脱原発依存に向けての第一歩かもしれない。


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