2012年5月8日火曜日

特集・沖縄「復帰」とは何だったのか(『世界』6月号),必読。

こんどの5月15日で,沖縄の本土「復帰」40周年になる。メディアも相当に取り上げるだろうと期待していたのに,またまた原発と消費税とオリンピックなどの情報にすり替えられてしまって,「40周年」の声が聴こえてこない。

と思って地団駄を踏んでいたら,昨日(7日),雑誌『世界』6月号がとどき,その特集が沖縄「復帰」とは何だったのか,とありほっとした。表紙に,新川明,澤地久枝,西山太吉,西谷修,前泊博盛,仲里効といった人びとの名前が並ぶ。

迷わず,特集巻頭を飾る新川明論文から読みはじめる。「みずからつくり出した矛盾に向き合う」─40年目の感慨。まことに大局的な視座に立ち,「復帰」とは何であったのか,という特集の根幹をなす基本認識を明らかにしてくれる。思わず,「赤線」をあちこちに引きながら,読む。雑誌に「赤線」を引くことは滅多にないのだが・・・。

つづいて,澤地久枝さんへのインタビュー。「フロントライン」沖縄が逆照射する日本。インタビューアーは編集部の中本直子,堀由貴子さんのお二人。このお二人とは,以前,大相撲問題をめぐって今福龍太さんとの対談のときにご一緒している。中本さんとはもっと古いお付き合いがあるので,なんとなく親しみを感ずる。相変わらず,鋭い切り込みでインタビューがはじまり,澤地さんも堰を切ったように話はじめる。迫力満点。最後まで一気に読ませる内容に,うまくまとまっている。このお二人のコンビは,これからも楽しみ。

つぎは,お馴染みの西谷修論文。やはり,よく知っている人のところに自然に眼が行ってしまう。「接合と剥離の40年」──困難な「復帰」のなかの「自立」の兆し。もののみごとに目配りのよく効いた論考になっていて,やはり,こういう知性が健在であることに,とても勇気づけられる思いだ。西谷さんは,学生時代にすでに沖縄に足を運びはじめ,以来,せっせと沖縄を訪ね歩き,多くの人たちと「じかに」触れ合いながら沖縄についての思考を深めてきた人だ。かつて,西谷さんはわたしに「沖縄は世界の臍のようなところで,ここに立ってみると,世界がよく見えるし,日本という国家のあり方もよく見えてくる」と語ってくれたことがある。それまでは,わたしも単なるフツウの日本人であったが(つまり,沖縄のことが視野からはずれてしまっていて,ほとんど無知であるということ),それからはかなりまじめに沖縄のことを考えるようになった。

この西谷論文も,あちこちに「赤線」を引きながら,時間をかけて熟読。沖縄の「いま」が鮮明に浮かび上がってきて,また,ひとつ賢くなったとおもう。とりわけ,後半に入って,「主体化」の兆し,「世界ウチナーンチュ大会」が開くもの,という小見出しのもとで展開されている西谷さんの「希求」に,沖縄に秘められた大きな可能性と希望が感じられ,読後の後味がいい。それでいて,重くて,避けてはとおれない大きな課題も提示されている。この稿の最後のところを引いておこう。

「そして年ごとに齢を数えなおさねばならないほど『復帰』の縫合部が軋みを立て剥離することで,その縫合部を抱えた日本は,おのれ自身の見ようとしないあり方を知らされることになる。この軋みに耳を傾け,その剥離に目を向けることで,日本はいま変動しつつある世界のなかでのおのれの課題に向き合うことになるだろう。「沖縄復帰40年」とは,こうして沖縄によって日本そのもののあり方が問われ,炙り出され,試される40年でもあった。」

この西谷論文のにつづいて,仲里効さんの論文がつづく。題して,「交差する姪彩色の10日間と『復帰』40年」──脱植民地の潮流が旋回する沖縄。この論文は,これから,じっくりと時間をかけて読むことにしよう。「赤線」だらけで真っ赤になるだろうが・・・・。

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