2012年6月30日土曜日

寒すぎる冷房。電車もデパートもスーパーも大型書店も。どこか狂ってはいませんか。

 ことしの梅雨は蒸し暑い日がほとんどなく,どちらかといえば涼しい。梅雨の谷間の晴れ日には日中の外気の気温は高くなるが,日陰に入れば涼しいくらいだ。なのに,電車やデパートや大型書店などに入ると,冷房が効きすぎていて,ときおりからだの熱をすっかり奪われてしまい,寒くなってしまうことがある。あわてて,デパートを飛びだしたり,電車で途中下車をしたり,書店を移動することになる。

 これほど電気が足りないと言って騒がれているのに,デパートや電車や書店の経営者たちは,いったい,なにを考えているのだろうか。「理性」の狂気化現象の一つか。

 家庭の主婦の多くは,ことしの夏のピーク時の電力をどのようにして節約をし,やり過ごそうかと智慧をしぼっているというのに。そのためには,去年の夏にすでに経験したように,これまで窓を締め切ってエアコンに頼ってきたライフ・スタイルを断ち切り,家の窓を開けて風をとおしたり,濡れタオルを多用したりして,昼のピーク時の2~3時間をやり過ごそうとしている,というのに。

 この夏の節電の第一の難関は,ライフ・スタイルを変える覚悟と工夫ができるかどうかにある,とわたしは考えている。この覚悟と工夫ができれば,15%くらいの節電はなんでもない,と思っている。そのための智慧をみんなで共有することを考えるべきではないのか。しかし,マス・メディアはまことに無関心。だれもそのための音頭をとろうとしない。企業の多くも同じだ。

 しかし,城南信用金庫に行ってみるがいい。室内の明かりも最小に抑え(どことなく薄暗いが,仕事には支障をきたさないように工夫がしてある),エアコンも最小に抑えている。しかし,これも慣れの問題だから,何回も立ち寄ったりしているうちに,それが当たり前になってくる。脱原発宣言をした企業だけに,みずから率先垂範している。

 ところが,デパートやスーパー・マーケットやコンビニや銀行の多くは,もうすでに真夏対応の冷房の効かせ方をしている。明るさも,去年の経験を活かそうとはしていない。「3・11」以前の浪費型のライフ・スタイルにもどっている。これでは電気はいくらあっても足りるわけがない。

 最新型の電車の車両は窓の開閉ができない。いわゆる一枚ガラスで締め切りである。だから,エアコンに頼るしかない。会社のオフィスの窓も,最新のビルは開閉できない。ホテルも同じ。あちこち,電気がなくては成立しないライフ・スタイルが前提となっている。早急に,部分的でいい。小さなものでいい、小さな窓の開閉ができて,風をとおすことができるようにすべきではないのか。大きな企業ほど,そして金持ちほど贅沢なライフ・スタイルに頼りきるしかないようになってしまっている。こういうときにこそ貧乏人はいかようにも対応できるし,覚悟もできる。基準をここにおくべきではないのか。政治は金持ちのためにしか機能していない。原発問題を筆頭に。

 真夏日の12時から3時まで,病院などの施設は別として,健康な人が出入りする店舗や電車はエアコンを最小にして,我慢すること。そのための準備運動をいまからすべきではないのか。こんなことは小学生でもわかる。なのに,立派な「理性」をお持ちのはずの日本の中枢部にいる人たちにはわからない。それほど鈍麻しているということだ。

 人が生きるということの原点は,貧乏人にはよくわかっている。なにが大事で,なにはどうでもいいということが。しかし,金持ちにはそれがわからない。なぜなら,カネを払えばなんでも可能だと信じ切っているからだ。つまり,カネという「神」につかえていれば,なにも不自由はないという信仰を維持している。「カネ神さま」という新興宗教の信者たちが,この国を動かしている。しかも,「盲信」する原理主義者たちだ。そこには,ことばの正しい意味での「理性」のかけらもない。

 昨日(29日)は,神田神保町の大型書店Sに立ち寄ったが,あまりの寒さに15分でふるえ上がり,大急ぎで飛び出した。いつもなら,2時間,3時間を大型書店で楽しむことができるし,本もたくさん買って帰るのに。

 今日(30日)は,午後8時に鷺沼の事務所をでた。外はひんやりとしていて,半袖シャツでは寒いくらい。でも,いつものリュックを背負っているので,なんとかクリア。が,田園都市線に乗ったら,外気よりも低い温度設定の冷房が効いている。なんで? と思わず声に出してしまった。わずか,7分の乗車区間にもかかわらず,寒くなってきて途中で降りようかと思ったほどである。

 節電はこういう無駄なところからはじめるべきではないのか。そうして,からだを馴染ませることが先決ではないのか。公共の施設で,まずは,無駄な電気の節約を率先垂範することによって,各家庭にもその考え方が浸透していくのではないのか。家庭の主婦のアイディアだけに頼るのではなくて,サラリーマン諸氏の職場や通勤の電車の環境をとおして,この夏の通過の仕方の準備にとりかかるべきではないのか。

 それが,15%の節電をクリアするための基本ではないのか。

 しかし,そうはさせないという強い「意思」のようなものが隠然と働いているように思う。つまり,金持ちによる,金持ちのための,金持ちの「原発推進」という隠然たる強い「意思」が。言ってしまえば,原子力ムラの意思が。この意思に,政府はもとより,政界・財界・報道界・学界・官界が「五位一体」となって,「自発的隷従」の姿勢をとっている。「理性」の狂気化の根源はここからはじまる。この人たちが,すでに,「思考停止」してしまっている。

 「テクノサイエンス経済」(ルジャンドル)という新たな「神」(=「ドグマ」)に「自発的隷従」していることに気づいていない。あるいは,気づいていながら,その方が利益が多いという近視眼的な計算・打算にもとづく,ただその一点だけで判断をし,自己保存に専念している。そういう輩にわたしたちは振り回されているという,情けない現実がある。

 毎週金曜日に首相官邸前に集まってくる,自分の頭で考え,自分で行動を決め,自分の眼で確かめるためにその「場」に立つ,この人たちこそ「生きる人間」のほうとうの姿である,とわたしは信じている。だから,わたしはわたしのやり方で,みずからの信ずるところで考え,みずからの行動でその意思を示し,その「現場」に立って,さらに考え,つぎなる行動を起こそうと思っている。また,これまでもそうしてきたつもりである。これからも,そのつもりである。

 あちこち「明るすぎる」,「冷房が強すぎる」。
 無駄な電気を使わないライフ・スタイルを,もっとも身近なところから模索し,実践していくことにしよう。そんなことを,この夏に向けて真剣に考えている。

 みなさんのお考えをお聞かせください。

明月院の紫陽花,東慶寺の西田幾多郎・鈴木大拙のお墓,長寿禅寺の足利尊氏のお墓を巡ってきました。

  北鎌倉に住む友人のOさん(東大名誉教授)の案内で,明月院の紫陽花を堪能してきました。誘ってくれたのは,青山学院大学に勤めているKさん。そして,その友人のお二人も一緒。計5人。

 北鎌倉の駅に午前8時30分に集合。まずは,明月院の紫陽花に向かう。線路沿いの道を折れて,明月川に沿って参道に入ると,そこかしこに紫陽花が咲いている。いまが見ごろなので,色鮮やかに咲き誇っている。このシーズンは土日の多い日になると一日10万人が押しかけるという。なので,早朝に。パラっと雨が降るような天気のせいもあってか,さすがに人影はまばら。

 お蔭で,明月院ブルーと言われる紫陽花をしっかりと楽しむことができました。山門に達するなだらかな坂道では,両側から明月院ブルーが目の前に迫ってくる。みごとなものでした。枯山水や庭の手入れも行き届いていて,静けさに身をゆだねて,いっときを過ごしました。なるほど,10万人が押しかけるのかと納得。方丈という額の入ったお堂の前で,あれこれおしゃべりをしていたら,校外学習の小学生たちが団体でやってくる。一気に,にぎやかになる。開山堂の方に避難しながら,16羅漢が浮き彫りにされている「やぐら」などを見物。その間に,一般客もどんどん増えてくる。この調子だと午後には相当の人数になるなぁ,と思いました。

 案内してくださったOさんのお話では,明月院は紫陽花だけが知られるようになったが,じつは,もみじの紅葉のときもいいし,四季折々に,とても風情があって楽しむことができるとか。しかも,紫陽花のシーズンが終われば,ほとんどだれも訪ねては来ないので,とても静かに落ち着いて鑑賞することができるとのこと。ならば,紅葉のシーズンを待つとしようか,とひとりごと。

 つぎは,この明月院の近くにある駆け込み寺として知られる東慶寺へ。ここは,総門から山門までのメイン・ストリートの両側にさくらの木が植わっていて,春はみごとな桜花を楽しむことができるそうです。そして,その奥に,墓地が山の傾斜地に広がっていました。しかも,著名な人たちのお墓がたくさんあって驚きました。名前を挙げてみますと以下のとおりです。

 西田幾多郎,鈴木大拙,岩波茂雄,和辻哲郎,高見順,安倍能成,小林秀雄,等々。そこに,織田幹雄,大松博文,などの名前が連なります。その他にも,向陵塚(一高記念塚),佐佐木信綱歌碑,前田青邨筆塚,などがあります。地元で生まれ育ったOさんが丁寧に案内してくださる。ありがたいことです。円覚寺や建長寺とは違った雰囲気のある,とても落ち着くことのできる境内がみごとでした。ここはひとりでぶらりときてみたいなぁ,と思ったほどでした。もともと墓が好きなので,そういう気持にさせるのかもしれません。

 ここまでじっくり時間をかけて楽しんだところで,昼食。口悦という懐石料理を食べさせてくれる店を予約しておいたので,その時間に合わせる。全部食べ終わるのに1時間半かかると言われていたので,そのつもりでのんびりと味わいました。文句なしに美味。一品ずつお品書きを読みながら,Oさんが説明をしてくれる。この店も,なかなか予約ができない有名な店だとのこと。店は終始,満席。われわれがのんびりしすぎたのか,つぎの予約のお客さんが入り口で待っている。

 ここをでて,こんどは長寿禅寺へ。閉まっているかも知れないが,とにかく行ってみましょう,ということで鎌倉街道を進む。ここも運良くオープンしていて,中に入ることができました。ここは広い台地のようなところで,たまたま青空が広がっていたこともあって,明るい広々とした雰囲気を楽しむことができました。もともとは足利尊氏の邸宅のあったところだそうで,そのご縁でか,右手奥の岩山をくり抜いたところに質素な尊氏のお墓がありました。

 書院を除く本堂も庫裏も方丈も,みんな新しく檜の香りがしていて,とても居心地のいいお寺でした。禅寺は原則として本堂の北側に庭園が設えてあって,庫裏や方丈から眺めるときれいにみえるように工夫してあります。この長寿禅寺は,本堂の裏側が広々としていて,明るく,ゆったりとしていて,気持がなごみます。なるほど,「長寿」をまっとうする「禅寺」であったか,と気づきます。

 このあと,すぐ近くに住むOさんが家に招いてくださり,ティー・タイム。カフェ・オオ〇〇と名付け(わたしが勝手に),Oさんはマスターに早変わり。急な坂道を上り詰めた,山の中腹にあって,鎌倉街道を見下ろす,すばらしいロケーション。山をわたってくる風が心地よい。とても夏とは思えない。すぐ近くで鶯がひっきりなしに鳴いている。

 この環境の良さもさることながら,マスター夫人が素晴らしい方で(わたしは娘さんが生まれたばかりのころ,つまり,腕に抱かれていたころにお会いしたことがある。それも,テニス・コートで。このときは,Oさんとシングルスで死闘を展開したように記憶する),すっかりくつろがせてくださる。ああ,Oさんのあのこころの温かさは,奥さんとのみごとな連携から生まれてくるものなのか,と納得。羨ましいような御夫婦。

 秋にはバーベキューをやりますので,ぜひ,お越しください,とマスター夫人からお誘いのことば。ええ,ええ,参りますとも,万難を排してでも・・・・と即答。笑いにつつまれる。話題はつきることなく,つぎからつぎへと進展。しかし,わたしとKさんは,このあとに大事な仕事が控えていましたので,後ろ髪を引かれる思いで,カフェ・オオ〇〇をあとにする。

 わたしは,いま進行中の出版企画の細部の詰めの打ち合わせのために神田へ。北鎌倉でいただいたエネルギーがここでもみごとに功を奏し,あらたにもう一つの企画が生まれ,それも引き受けることになりました。なにか,新しい運勢の展開がはじまったのかな,とこころが浮き立ってきました。好事,魔多し,といいます。こころを引き締めてかからねば・・・と自戒も。

 それにしても,楽しい一日でした。誘ってくださったKさん。そして,気持よく仲間に入れてくださったお二人,そして,なによりもOさん,さらにはマスター夫人。ありがとうございました。幾重にもお礼を申し上げたい気持でいっぱいです。

 以上,29日(金)のご報告まで。





2012年6月28日木曜日

世田谷区の生涯大学を訪問してきました。

 田園都市線の三軒茶屋から世田谷線に乗り換えて,若林駅で下車,徒歩6分ほどのところにある世田谷区の生涯大学に行ってきました。世田谷線に乗車するのは,たぶん,1960年代の学生時代以来のことで,感慨深いものがありました。

 そのころは,沿線にある家はまばらで,畑が一面に広がっていたように記憶します。それに比べると,いまは,沿線に家がびっしり建っていてあまりのどかとは言えませんが,それでも,民家の軒先をかすめるようにして走る車窓からの風景は趣きがあって,懐かしさが込み上げてきました。

 なにより,電車の車両が新しくて,むかしとは一変していて驚きました。スピードは相変わらずゆっくりで,早ければいいという時代には希少価値のある電車だと思いました。今回は,わずかに三軒茶屋から若林まで4分ほどの乗車でしたが,次回には,終点まで乗ってみたいと思いました。東京都内をゆっくりと走る電車は,ここくらいしかないのでは・・・と思ったりして・・・・。

 線路には,あちこちに蔓草の雑草が這っていて,枕木を覆い隠しているところもあって,なんだか気持がなごみました。線路わきには,上に伸びる雑草が生えていて,これも楽しい景色でした。まだ,花はつけていませんでしたが,カンナや白粉花やコスモスなども散見され,これからどんな風に景色を彩るのだろうか,などと想像したりして楽しみました。

 なにより驚いたのは,若林駅は無人でした。下車したときに,駅の改札口がありません。このまま出ていってしまっていいのだろうか,と一瞬,躊躇してしまいました。向かい側の下車口を確認してみたら,そちらにもなにもありません。そして,お客さんが自由に出入りしています。それをみて,ようやく安心して,わたしも駅の構内の外にでました。こういう駅が,まだ,東京都内に存在するということに,なんだかまだ新しい可能性があるな,と妙な感動を覚えました。

 若林駅から徒歩6分のところに,世田谷区の老人会館があり,その中に生涯大学がありました。この生涯大学で長い間,講師をしていらっしゃる土井和代さんの紹介で,生涯大学主催の講演(10月)を依頼されていましたので,そのご挨拶を兼ねて,簡単な打ち合わせにでかけたという次第です。館長さんのご説明をお聞きし,なるほどと納得しましたので,講演のテーマもその場で即決。テーマは「オリンピックの未来を考える」。これなら,この夏のオリンピックがどんな展開になろうとも,いかようにも対応できるという次第です。

 これで,すっきりしましたので,ついでに,土井さんの授業を見学させていただきました。ちょうど,芥川龍之介の「地獄変」が取り上げられていて,その読後報告が生徒さん(といっても60歳以上)によってなされていました。たまたま,「地獄」とはどんなところなのだろうかという問題意識で,調べてきたことの報告がなされていました。かなりの高齢者の方もいらっしゃって,この人たちが文学に取り組む姿に妙な感動をしてしまいました。

 昼食は,土井さんのご案内で近くにある国士館大学のスカイラウンジでとることにしました。10階だったでしょうか,とても眺めのいいところで,その景色を堪能しながら同郷の先輩「杉浦民平」さんの話で盛り上がりました。帰路,松陰神社に立ち寄り,松下村塾の復元された建物をみつけました。そのむかし訪ねたことのある萩市の本ものはこんな建物だったのだ,と懐かしく思い出されました。

 午後からは,健康体操という授業に土井さんが参加されるというので,この授業も見学させていただきました。とてもよく工夫されていて,なるほどなぁ,と感動してしまいました。60歳以上のご老人を対象とする健康体操をどんな風に指導されるのだろうか,とじつは楽しみにしていました。やはり,長年の現場の蓄積から生み出されたノウハウは,なかなか味のあるものでした。そうか,こんな風にして授業が展開されているのだ,と納得。

 帰路,三軒茶屋で土井さんとお茶をしながら,ずいぶんといろいろの話に花が咲き,時間を忘れていました。やはり,同郷の人との会話は楽しいし,かなりの部分を省略しても郷里の話は通じてしまうところが,なんともありがたいものだと思いました。

 今日は,久しぶりにふだんとはまったく異質の刺激をたくさんいただき,とてもいい勉強になりました。いつも同じルーティンの繰り返しはよくない,ときには,まったく違う世界と接触することの大事さをひしひしと感じました。これからも果敢にそういう経験を求めていきたいと思いました。

 このあと,渋谷で毎日新聞社の取材を受けました。この話はまたいずれ。
 とりあえず,今日のところはここまで。

2012年6月26日火曜日

カトノリこと加藤範子のダンス公演をみる。新しい境地を開いたか。

 昨夜(25日),カトノリこと加藤範子のダンス公演をみてきました。
カトノリとは,不思議なご縁というか,因縁のようなものがつきまとっていて,いささか説明に困るほどです。簡単にいえば,日体大大学院のときのゼミ生として修士論文を指導した教え子。なかなか一筋縄では納まらない独特の個性の持ち主。言ってしまえば,行動先行型で,イメージがそのあとを追い,そして,その裏付けのために思想・哲学の本に手をのばし,みずからの思考を練り上げてようやくわがものとする,というのが学生時代からカトノリを観察してきたわたしの印象。それはいまも少しも変わってはいない。そこがカトノリの魅力であり,短所でもある。だから,かなりの回り道をしないと,自分で納得できるところには到達しない。理想が高いのである。とにかく時間がかかる。意欲満々なのだが,それらが稔るまでにはたいへんな労力と時間がかかる。したがって,忍耐力と持続力が必要だ。が,そういう能力にはめぐまれている。我慢強く,高い志を大切に,未来を見据えている。いわば,大器晩成型か。

 その大器晩成型が,ようやく,ここにきてなにか化けはじめたように思う。が,カトノリのこころの奥底に秘めた野心からすれば,まだまだ序の口。でも,その序の口がみえてきたのだとしたら,これはこれで大変なことだ。その予感を誘うような要素が,今回のステージにはあちこちに広がっていた。

 その契機のひとつとなったのは,大きなお腹をつきだして(妊婦さん)踊るという,カトノリの直面している避けがたい現実かもしれない。言ってみれば,妊婦ダンス。カトノリにとっても初めての経験。わたしは生まれてはじめて妊婦ダンスなるものを拝見した。女は強し。妊娠したんだという現実にしっかりと向き合い,その事実を包み隠すことなく,いま・ここの思いをそのままステージに曝け出す。男にはどう逆立ちしたところで真似のできない芸当だ。やがては,母親になる。その母親になる過渡期。重大にして,しかも,大きな過渡期。娘のダンスから妊婦のダンスへ,やがて,母親のダンスになる。そして,その母親になったときが,カトノリの大化けのチャンス。その序曲に立ち合ったということのようだ。

場所は「座・高円寺2」。
配布されたリーフレットによれば,詳細は以下のようだ。
◎企画・構成◇加藤範子
◎出演◇クラウディオ・マランゴン,長内真理,木村玲奈,宮原万智,仲間若菜,加藤範子
◎照明◇福田玲子
点在する感触の行方
イタリア・日本共同制作 加藤範子+Dance-tect ダンス公演
the future for concealed sensation
対話Ⅱ
SALERNO-ITALIA,AOMORI-JAPAN

 イタリアからやってきたクラウディオ・マランゴンは〔振付師/ダンサー/ボーダーラインダンス・カンパニー主宰/Ra.I.D芸術監督/精神科医〕という多くの顔をもっている。今回は,ダンサーとして来日。カトノリとマランゴンの出会いは数年前のことで,二人のなにかが「パチン」とはじけるようにして意気投合したらしい。以後,マラゴンが企画するステージに国際的なダンサーのひとりとしてカトノリが加わるようになる。今回の企画も,カトノリがマラゴンにイタリアに招かれたお返しのような企画だ,と会場で耳にした。

プログラムは
第一部:ワタシとアナタをつなぎとめるもの
振付:加藤範子
音楽:片山泰輝
第二部:ブレインストーミング:身体と都市
振付:クラウディオ・マランゴン
映像:ウーゴ
第三部:
 1.紅の幻影(創作琉球舞踊:仲間若菜)
 2.存在の感触
   ダンス:クラウディオ・マランゴン,加藤範子
   三線:仲間若菜

 これらのダンスの細部について,わたしは語る資格はない。
 したがって,大づかみな印象だけを記しておこう。

 第一部の「ワタシとアナタをつなぎとめるもの」のソロ・バージョンをわたしは弘前のステージで拝見している。そのときには音楽の片山泰輝君とも一緒だった。ダンサー・カトノリは客席から現れ,例によってカードに単語(日本語)を書き込んだもの(手書き)を,前列に坐っているお客さんに一枚ずつ,ゆっくりとくばりはじめる。くばり終わると黙ってステージに上り,ゆるゆると踊りはじめる。いくつかのモチーフがあって,それらが順に踊られていく。

 今回は,最初にカトノリが,原発作業員が身につける真っ白い防護服を着て,大きなゴーグルをかけ,大きな画用紙をもって舞台に現れる。客席から二人の女性が,やはり,カードをくばりはじめる。わたしのところには「血?」と書かれたカードが最初にとどけられ,しばらくして,別の女性からは「沖縄?」と書かれたカードがとどく。これで,まずは,分節化された原発事故に関するイメージや沖縄を忘れてはいないよ,というメッセージがとどく。しかし,そのメッセージがとどいたのは,前の方の座席にいた人たちだけだ。そのカードを配った女性二人が,ステージに上り踊りはじめる。カトノリは突っ立ったまま,画用紙をめくる。そこには,二項対立的なキー・ワードが大きく書かれている。カトノリは画用紙をめくる。二人の女性がそのキー・ワードに合わせて踊る。ひととおり,二人の女性のダンスが終わり,画用紙をめくる作業も終わると,やおら,カトノリが防護服を脱ぎはじめ,大きなお腹を丸出しにしたまま,普段着の妊婦さんが踊りはじめる。やがて,3人の踊りになる。ここからは,どうやらコンタクト・インプロヴィゼーション。うまく成功しているところと,ときどきとまどいを見せる若い二人の女性たち。カトノリはお構いなしにわが道を行くとでもいうような風で踊りつづける。それでいて,相手のいかなる踊りにも即座に対応しているようにもみえる。カトノリの新しい境地のようなものが透けて見えてくる。

 第二部の「ブレイストーミング:身体と都市」はクラウディオ・マランゴンを中心にして,4人の女性が踊る。よくみると,一人ずつ,まったく質の違うダンスを繰り広げている。これがとても面白かった。都市を行き交う人びとの風景がとてもよく現れていたから。この群舞も基本はインプロヴィゼーション。はっきりコンタクトする場面もあったし,コンタクトなしで反応する場面もあって,ときおり起こる思い違いがまるで演出されたもののように見えてきて,これも面白かった。プログラムには「ダンス,空間と主観性」とあるが,わたしの眼には「主体性」が現れては消えていく,あるいは,消されていく,都市で生きるための「主体性」が,あわぶくのように現れては消えていく,まことにはかないものでしかない,そんな都市という「空間」のなかで「生」を営むことのあやうさが,とても印象的に映った。

 第三部,1.紅の幻影(創作琉球舞踊・仲間若菜)が,わたしにはとても新鮮だった。琉球舞踊はいくらか眼に親しんでいるが,創作琉球舞踊をみるのは初めてだったからだろう。しかし,動きの少ない,静かな所作のなかに,まるで,地唄舞のような激しい情念のようなものが感じられ,この人の踊りの確かさが伝わってきた。もっともっと創作琉球舞踊を披露してほしいと思う。
 2.存在の感触は,これまたとても面白い企画だった。クラウディオ・マランゴンとカトノリがコンタクト・インプロヴィゼーションをふんだんに用いて自由自在に踊りまわる。その踊りに,これまた即興で,仲間若菜さんが三線を合わせるもの。仲間さんの緊張感がもろに伝わってきて,効果抜群。ダンサーふたりは手慣れたもので,相手の動きに合わせていかようにも動きつつ,変幻自在に動きを変化させていく。まさに,「存在の感触」。触れることによってはじまる「分割/分有」(ジャン=リュック・ナンシー)。存在のはじまり。仲間さんの三線も,なにかに「触れた」瞬間に「ペン」と鳴る。そうでないときには「沈黙」である。三線が鳴るときと鳴らないときの,この「間」が緊張感を生み出していた。三線が「不在」になったり,突如として「存在」を主張したり,仲間さん自身の存在までもが,みごとにコラボレーションしていて,楽しかった。

 全体の印象としては,カトノリがマランゴンという希有なるダンサーと出会ったことによって開かれつつある世界が,懐妊を契機にして,さらに大きく開かれていく,そんな予感がいっぱいだった。最後に,もうひとりの主役=母親のお腹のなかでステージ・デビューを経験した胎児(君/さん)に大きな拍手を送りたい。どんな子どもが生まれてくるのだろうか。いまから楽しみである。

 以上がカトノリへのレポートです。
 そして,公演の成功,おめでとう!

 会場が満席になっていたのが嬉しかった。

2012年6月25日月曜日

カラオケ・マシーンは「神」か? マシーンに隷従する現代人の姿。

 昨夜,たまたま,テレビで不思議な番組をみてしまった。
 最初のうちは無邪気に面白くみていたのだが,そのうちにまことに不快というか,なにかとんでもない勘違いを世間に普及させているのではないか,とだんだん腹立たしくなってきた。こんな風にして,一種の「テクノロジー神話」や「科学神話」が人びとの無意識のなかに侵入していくのか,と気づいて「ゾッ」としたのである。ピエール・ルジャンドルのことばを借りれば「テクノサイエンス経済」という恐るべき魔物がテレビの歌番組にまでもぐりこんで,人々のこころを籠絡しようとしている,ということになる。しかも,面白・可笑しく,無意識のうちに。

 番組の名前は「ご本家VS歌うま芸能人"カラオケバトル9"大物歌手まさかの敗北?オールスターズ全26組」と新聞にある。これをみればおわかりのとおり,カラオケ・マシーンを使って,歌唱力の優劣を点数化して判定をする,お馴染みの番組である。

 歌唱力の優劣などは,なにもカラオケ・マシーンに判定してもらわなくても,プロの歌手の持ち歌に「歌うま芸能人」が挑戦しても勝負にならないことは自明のことである。しかし,カラオケ・マシーンを用いると,そうではない。プロの歌手が負けてしまうのである。そのどんでん返しを増幅させて笑いに誘い込むというのがこの番組の狙いである。堺正章が絶妙の司会で笑いをとりながら,この番組を盛り上げている。

 それがどうした? 単なる娯楽番組なんだから,それでいいではないか,とお叱りを受けそうだ。でも,ちょっと待ってほしい。考えなくてはならない問題はいくつもある。
 思いつくままに書いてみよう。

 まずは,カラオケ・マシーンの判定を絶対化して,有無をいわさず,その決定に従わせるという発想そのものに問題がある。つまり,人間の判定よりもマシーンの判定の方が「公平」で「客観的」だと思い込ませる,みごとなトリックがそこに秘められている。

 たしかに,一定の条件のもとではマシーンは人間よりも「公平」で「客観的」な判定をする。問題はその「条件」である。たとえば,みかんの「糖度」。これなどは間違いなく人間の味覚よりもマシーンの方が精確に測定するだろう。しかし,そのみかんの「美味さ」の判定はまた別ものである。「味わい」や「美味さ」はもっとトータルに判定されるべきものだ。では,みかんの「美味さ」を判定する条件を気のすむまで増やして,それをマシーンに記憶させて判定させればいいではないか,という意見もあろう。しかし,みかんの「美味さ」はそんな単純に数量化できる問題ではない。それらをも超えたところで成立している。つまり,個々の人間の経験や好みによって蓄積され,磨きあげられた「味覚」が決めることだ。言ってしまえば,主観が決めるものだ。主観が決めるとは「うーん,これは美味い」と感ずる感動の強度の問題だ。

 つまり,人を感動させる要素は数え上げることは可能であっても,それを数量化することは不可能だ。歌唱力などはその典型だろう。一流のプロの歌手は,だれひとりとして楽譜どおりには歌ってはいない。音符と歌詞を深く読み込み,解釈して,その意味を自分の情緒にのせて全身全霊を籠めて表現する。その身振り,表情も一緒になって,歌謡曲は短いドラマとなる。そのトータルが歌唱力であり,感動の源泉である。

 だから,この世界は,マシーンがいくら頑張っても達成できない世界なのではないのか。いま,人間ロボットの開発が進んでいて,そのうち恋をするロボットが登場すると言われている。しかし,その恋こそ「機械的にする」ものであって,生身の人間が運命的な出会いによって「恋に落ちる」のとは,まったく次元の違う話である。

 だから,わたしは早稲田大学で人気の講座「恋愛学」なるものに大いなる疑念をいだく,というよりは恐ろしいとさえ思うのだ。つまり,人間の方がどんどんロボットになりつつある,と思うからだ。この現象は枚挙にいとまがないほどだ。

 この伝でいけば,カラオケ・マシーンで高得点を出すための歌唱力が優先されて,プロの,どこか微妙に音程がはずれているような,はずれていないような,それでいて人を感動の渦に巻き込んでいくような,味のある歌唱力は駄目だ,ということになりかねない。点数がすべて,と。もちろん,そういうことにはなりえない,とわたしは確信しているが・・・。

 原理的に言ってしまえば,カラオケ・マシーンは,作曲家の書いた楽譜の指定条件を記憶して,そのとおりに歌われているかどうかを判定する機械である。人を感動させるような条件は,マシーンの判定条件のなかに組み込むことは不可能なのだ。かから,歌謡曲の核心となる「感動」の要素は除外されてしまう。ここが問題なのだ。

 気がつけばカラオケ・マシーンを「神」と崇め,いかにして高い点数をいただくか,という新しい信仰が誕生しつつある。こんな風にして,わたしたちは無意識のうちに,マシーンに対して「自発的隷従」,「思考停止」の状態に入っていき,それが当たり前になってしまう。そして,限りなく無責任になってしまう。いまでは,日常化している「パソコンの変換ミスです」という言い逃れ。これをだれも咎めようとはしない。パソコンは変換ミスはしない。操作している人間が変換ミスを犯しているのだ。そのことにも気づかない人間が増えてきている(「パソコン信仰」)。

 すでに,深く,そういう状態になってしまっている。そのことが問題なのだ。

 原発安全神話もこのようにして形成されたのだ。わたしたちは,いま,そういう状態(「思考停止」「自発的隷従」「情動の欠落」「無責任体質」,などなど)からいかにして脱出するか,という大きな課題に直面している。

 テレビのゴールデン・タイムを独占している「バカ番組」は,まず,間違いなく「カラオケ・マシーン信仰」と同じような構造をもっている。しかも,それが無意識の世界を支配しはじめている。ここが怖いところだ。

 ジョルジュ・バタイユは,原初の人間は「動物性」の世界から離脱して「人間性」の世界へと舵を切ったが,そして,驚くべき文化や文明を生み出したが,その行き着く先は人間の「事物化」だと予言している。いまや,わたしたちはみんな「事物化」への道をひた走っている。だから,原発なしには生活できない,と信じて疑わない人,すなわち,思考停止,自発的隷従,情動の欠落・・・・=「モノと化した人間」=「事物化」した人間が,わたしたちの周囲にはいっぱい存在している。

 この状態からいかにして脱出するか。
 ここをうまく通過しないことには,人間に未来はない。

 わたしの不快感や腹立たしさの根っこは,ここにある。


2012年6月24日日曜日

檄!民主党に所属するすべての議員に告ぐ。詐欺師の汚名を返上し,初心に帰れ。

民主党に所属するすべての議員に告ぐ。

「国民の生活が第一」というスローガンのもとに選挙を闘い,みごとに政権交代を果たしたときの,あの初心に帰れ。

選挙で約束した公約を忘れたのか。
あなた方のいまやっていることは,あなた方を信じて一票を投じた国民に対する詐欺行為だ。恐るべき騙し討ちだ。
恥を知るべし。

良識ある民主党議員のなんにんかは,国民に嘘をつくことはできないと宣言して,早々に離党していったではないか。これぞ議員の鏡だ。選挙で約束したことは守るべし。その約束を破る方針を打ち出した執行部に対して,きちんとしたけじめをつけること,それが議員としての基本ではないか。

民主党議員のなかには良識も「理性」もある有能な議員がなんにんもいるではないか。
原発再稼働は見送るべしとして120人もの議員が首相に意見書を提出しているではないか。なのに,それを無視した首相および執行部に対して,なぜもっと強烈な異議申し立てをしないのか。

のみならず,こんどは増税法案にまっしぐらである。しかも,民主党の原案は影も形もないほどに骨抜きにされ,自民・公明の思いのまま。ただ「増税ありき」の政権になり下がってしまっている。情けない。みっともない。民主党はどこに行ってしまったのか。

原発再稼働も増税も,各種のアンケート調査をみれば明らかなように,国民の圧倒的多数が反対の意思を表明している。にもかかわらず,民主党政権はそれを無視して,やみくもに突っ走る。いったい,だれのために。「国民の生活が第一」ではなかったのか。

民主党に所属するすべての議員に告ぐ。
いまこそ決断のときだ。離党覚悟で,みずから,政治家として襟を正し,国民のために身を処すべし。いま,多くの国民が息をひそめて,あなた方の行動を見守っている。
党利党略にしばられることなく,ひとりの人間として,初心に立ち返れ。

そして,堂々たる政治家としての「信」を示せ。
この「信」を示せない政治家は,つぎの選挙では,もはや無用である。
いまこそ,その「信」を示すべし。

街頭に立つなり,雑誌に論文を投ずるなり,デモの先頭に立つなり,方法はいくらでもある。
いまからでもいい。立ち上がり,行動せよ。
遅くとも,26日の採決までに,きちんと覚悟を決めておくべし。

詐欺師の汚名を生涯背負うか,国民のための政治家として目覚めるか,ピンチこそチャンス。
追い込まれたときにこそ,その人間の「信」がいやおうなく露呈される。

わたしたちは,いま,息をひそめてあなた方の行動を見つめている。
そして,その結果によっては,わたしたちもまた重大な決断をしなくてはならないと覚悟を決めている。

民主党に所属するすべての議員よ,眼を覚ませ! 
そして,敢然と立ち上がり,みずからの「信」を示せ。
いまこそ闘うべきときだ!


2012年6月23日土曜日

『ルジャンドルとの対話』(森元庸介訳,みすず書房)を読む。

 6月16日(土)の橋本一径さんの訳本『同一性の謎 知ることと主体の闇』(ルジャンドル著,以文社)をてがかりに,ルジャンドルの世界を考える会(第62回「ISC・21」6月東京例会)に向けて集中的にルジャンドルの本を読んでいたのだが,最後の一冊『ルジャンドルとの対話』(森元庸介訳,みすず書房)だけが残ってしまっていた。そのご,いろいろの雑用が入ってきて,ルジャンドルから遠ざかっていた。が,ようやく時間がとれたので一気にこの本を読んだ。

 もちろん,購入したときに,すでに,あちこち拾い読みはしていた。が,通読したのはこんどが初めて。あの難解なルジャンドルの本と格闘してきた経験がようやく報われたのか,この本はじつによく頭に入ってきた。ルジャンドルのテクストにもよるのだろうが,森元さんの翻訳がじつによくこなれていて読みやすい。翻訳を読んでいるという意識がなくなるときがある。おみごと。

 このテクストは,ルジャンドルがフィリップ・プティというジャーナリストの問いに応えるラジオ番組をもとにして構成されている(放送は2007年10月,2009年1月の2回にわたって行われた)。だから,ルジャンドル自身も一般の聴衆にむけて,かなりわかりやすく,噛んでふくめるようにして,語りかけている。もちろん,随所に難解な部分は登場するのだが,全般的にはとてもわかりやすい。し,それよりもなによりも,ピエール・ルジャンドルという人の体温のようなものが伝わってきて,親しみを感ずる。

 語りの内容も,ノルマンディの生まれ育ったのどかな少年時代の思い出からはじまり,大学時代のこと,博士論文を書いたころのこと,そして,民間企業で働いたり,国連の派遣職員としてアフリカ各地で活動し,やがて大学に戻ってくるまでの話があったり,精神分析家になるまでの経緯を語ったり・・・ととても親しみやすいものになっている。そうして,こうしたライフ・ヒストリーの蓄積が,すべてかれの学問研究の肥やしとなっていることを諄々と説いていく。ルジャンドルがダンスの論文を書いていることを知っていたが,なぜ,ルジャンドルがダンスに造詣が深いのかという謎が,この対話を読んで瓦解した。アフリカのダンスとの出会いがそのきっかけだったのだ。

 以前,ジョルジュ・バタイユと格闘していたころに,『バタイユ伝』(西谷修・中沢信一訳,河出書房新社)という上下2巻の本を読んで,はじめてバタイユの人間の姿がみえてきたときのことを思い出す。やはり,深い思想・哲学の本は,その人の人となりがみえてくると,とたんに親しみやすくなってくる。わからなくてもわかったような気分にしてくれる。だから,どんどんさきへ読み進むことができる。それだけで嬉しくなってくるものだ。

 今回のこのテクストも同じだ。こちらは,ルジャンドルがみずから語っている。だから,伝記作家が書いた人物像とはひとあじ違って,直に,その人の体温が伝わってくる。しかも,ルジャンドルという人には直接会ってもいる。握手もしてもらった。だから,なおのことだ。声まで聴こえてくるような錯覚に陥る。少し大事な話に入って調子が上がってくるときには,たぶん,顔を真っ赤にして,全身で自説を説いているのだろうなぁ,とその姿も脳裏に浮かぶ。

 たとえば,以下のようなくだり。
 「国家貴族」に対してデマゴギーに満ちた告発をおこなう大学人祭司たちがいますが,わたしはそうした群れには属していません。かれらの告発は安直なもの,そして強調しておきますが,デマゴギーに満ちたものです。それもまたフランス旧来の封建主義の名残ではありまけれども(P.10)。

こんなときには,ルジャンドルの顔が真っ赤になっているだろうなぁ,と想像してしまう。しかも,この「国家貴族」には訳者の注が付してある。それによると「とくにピエール・ブルデューの著作『国家貴族』が念頭に置かれている」とある。しかも,ブルデューとその一派には,相当に嫌悪をいだいているようで,P.142.で再度,取り上げ批判をくり返している。

 日本でもよく知られ,多くの社会学者が絶賛し,多くの翻訳書も出ているピエール・ブルデューが,ルジャンドルの手にかかると「デマゴギーに満ちた告発をおこなう大学人祭司たち」のひとり,ということになってしまう。わたしも,なにを隠そう,ブルデューの本は何冊かもっていて,かなりの影響をうけている。しかも,ブルデューはスポーツに関してもかなりの分量の言説を残している。そして,いわゆるスポーツ社会学者の多くが,プルでューを援用して論を展開していることも承知している。しかし,なぜか,虫の知らせなのか,波長の違いなのか,わたしはブルデューを援用する気にはならなかった。肌触りがどこか違うのである。

 そんなことも,このテクストを読んでいて,ストンと腑に落ちるものがあった。
 その他にも,日本で一世を風靡した「社会史研究」のアナール学派もまた,ルジャンドルの手にかかると一刀両断である。これには,少なからず衝撃を受けた。そうか,ルジャンドルの研究というのは,もっともっと根源的な問いに応答するためのものなのだ,と再認識させられた。となれば,ルジャンドルの主張をもっとしっかりと受け止めなくてはならない。ちょっと面白くなりそうだ。こんな出会いは滅多にあるものではない。

 このテクストの最後のところで,ルジャンドルは,みずからのリクエストとしてギィ・ベアールの「真実」という歌を聴かせている。その理由について,つぎのように述べている。

 とても鮮烈な一節があるからです。「詩人が真実を言った。かれは処刑されねばならない」と。歴史,そして政治に鑑みるなら的確な言葉です。それはまた,死の教えを己の身に引き受けるよう促す言葉でもある。わたしたちのあらゆる仕事は,いつか飲み込まれてゆく運命にあるのですから。
 わたしがしていること,わたしが書いていること。それについて自分で要約してみることがあります。わたしはただ,人類がいつだって知っていたことを新しいやりかたで書いているだけだ,と。わたしは単に,これからやって来る世界の劇的な争点に見合うよう,学者めいた口ぶりでそれを語っているだけなのです(P.176~177.)。

 こう語ったあとに,この歌の歌詞(1番と4番)が12行にわたって引用されている。
 とても感動的ないい詩で,何回,読み返してみても,鳥肌が立つ。
 ルジャンドルが見据えている世界の,とてつもない奥深さに,ただ,たじろぐのみである。
 こうなったら,もう,ルジャンドルを手離すことはできない。わがものとして語れるようになるまでは。

2012年6月22日金曜日

いったいこの国はどうなってしまったのだろうか。「理性」のかけらもない。

 「3・11」後のわたしの「習慣病」になってしまったのが「ウツ」。毎日,毎日,憂鬱で仕方がない。このさきの展望がみえてこないからだ。そして,その反動として表出するのが「怒鳴り声」。琴線のある一点に触れると「吼える」。抑えようもなく大声で「吼える」。「バカヤロー!」「ふざけんな!」「なに考えてんだっ!」。

 しかし,「吼える」ことによって「ウツ」とのバランスをかろうじて取り戻しているようだ。「殺す相手はだれでもよかった」という無差別殺人を犯す人間とわたしとの距離は,残念ながら,そんなに遠くはない。わたしの「怒鳴り声」を禁止されたら,どこにとばっちりがいくかはまったく予断を許さないからだ。

 「怒鳴り声」の理由については,説明するまでもないだろう。まずは,朝起きて「新聞」を読みながら。そして,朝食時の「テレビ」に向かって。もっばら,この二つに限定される。もちろん,家の中だけ。窓が開いているときは,仕方なく声のトーンをぐっと抑え込む。まるで,負け犬が吼えることもできないで「ウーッ,ウーッ」と唸っているみたいだ。

 吼える対象となる内容についても多言を要すまい。
 「3・11」後に繰り出される「後出し情報」(長い間,隠しつづけてきたが,とうとう隠しきれずに仕方なしに公表するという種類の情報)や,嘘丸出しの言い逃れ(国家の中枢にいる人たちはみんなやっている),政治家の無能ぶり,原子力ムラの住民の「理性」の欠落(いや,「恥」の欠落も),など枚挙にいとまがない。

 しかも,ここにきて「消費税増税」に国民の関心を引きつけておいて,そのドサクサまぎれにやりたい放題の政府民主党と自民・公明党の,原則なき悪あがき。それいけ,とばかりに死んだふりをしていた原子力ムラが厚顔にも反撃態勢に転じ,やりたい放題。そのコンダクターが「ノンダ・ドジョウ」君。

 もう,これ以上,放ってはおけない。国民の怒りもついに心頭に発す。この思いのやり場のないわたしは,とりあえずは,「吼える」。昨日・今日のこの二日間だけでも,どれほど「吼えた」ことか。『東京新聞』も本腰を入れて「吼える」ための情報を提供している。

 「原子力の憲法」こっそり変更。規制委設置法・付則で「安全保障」目的追加,軍事利用への懸念も,手続きやり直しを。
 改正宇宙機構法が成立,平和目的限定を削除。
 国会会期・9月8日まで延長へ(※オリンピックのドサクサ狙い)
 東電・責任逃れ記述多く,社内事故調が最終報告,自己弁護はみっちり,国に皮肉たっぷり。

 以上が昨日(21日)の朝刊一面の見出し。これだけ書き出しただけで,もう嫌気がさしてきた。
 あとは,省略。(でも,他紙を読んでいる人たちは知らないでいるのかも知れない。NHKのテレビはひとことも報道していないし・・・。ここも大きなネックに。)

 でも,ここで書いておかなくてはならないのは,いよいよ原子力ムラの住民たちの本音がちらりと顔を見せはじめたということだ。つまり,これまで原子力は「平和利用」に限定してきたが,ついに,その枠組みを取り払おうとしているということだ。これは大問題だ。増税どころの話ではない。こうなれば,あとは,原爆もミサイルも覆面のまま自由に準備することができるようになる。こんなとてつもなく重要なことを「消費税増税」を隠れ蓑にして,完全なる「騙し討ち」のようにして法改正を行ってしまう,政府民主党と自由・公明党との大連合とは,いったい,なんなんだ。まさに,なりふり構わずのやりたい放題。

 とうとう原発を再稼働させめるための本音が,堂々と表通りに躍り出てきた,というところ。増税も「核武装」のためのお膳立てとして不可欠,というところ。

 民主党は,政権交代劇を演じた選挙のときに,なにを公約として掲げたのか。マニフェストで,なんと謳ったのか。街頭演説で,各候補はなにを訴えたのか。その選挙を仕切ったコザワ君はなんと言ったのか。「国民の生活が第一」。みんな「嘘」をついたということか。政権さえとってしまえば,なにをしてもいいというのか。

 良識のある民主党議員のなんにんかは,国民に「嘘」をつくことはできないと言って「離党」して行った。立派な人たちだ。あとの圧倒的大多数は「嘘」に頬被りをして,「増税」を押し切ろうとしている。26日までに,何人の良識ある民主党議員が「離党」の名乗りを挙げるか。

 コザワ君が離党届けを出すのは,このタイミングしかない。
 限りなくクロに近いハイイロと言われようが,フクシマが怖くて逃げ出したと言われようが,ここは一番,きちんとした「理性」ある行動をとってほしい。それが国民との約束を果たすことだ。そして,それだけが,つぎの選挙を闘うための「原資」になるのだから。

 いま,国民は怒り心頭に発している。
 このことをしっかりと肝に銘ずべし。

 ここしばらくは時事ネタのブログは書くまい,とこころに決めていたが,もうこれ以上は我慢がならない。とうとう家の中で「吼える」だけでは限界に達してしまった。こうしてブログで書いて溜飲を下げるだけではなく,つぎなる行動に打ってでることも考えなくては・・・・。

 ほんとうにこの国はいったいどうなってしまったというのだろうか。
 ことばの正しい意味での「理性」を,われわれも取り戻さなくてはならない。

NHKテレビの特集番組にVTR出演を頼まれ,その収録を終える。

 番組の正式名はまだ決まっていないようですが,オリンピック特集のための特番だそうで,そこにワンカット出演をすることになり,その収録が昨日,鷺沼の事務所で行われました。以前,韓国のテレビ・クルーがやってきて以来,久しぶりのことでした。

 どうせ,ワンカットなんだから,2,3の質問に答えて,その中から使えるところだけを編集するのだろうと,軽く考えていたのが間違いのもとでした。以前,NHKの「クイズ・日本人の質問」という番組の正解説明者として,VTR収録に応じたことがありましたので(2回ほど),そのときの記憶が鮮明にありました。こちらは,正解を指定された時間内(1~2分)で説明するだけのことでしたので,一回でOKがでれば,それで終わり。もし,NGがでても,もう一回,同じことをやり直せばいい,というものでした。ですから,いとも簡単なことでした。

 今回も,どうせそんなものだろう。それよりはいくらか長い話になる程度で,大したことはないだろう,とタカをくくっていました。が,どっこい。つぎからつぎへと,いくつもの質問が飛び出し,それに対して必死になって応答しなくてはなりません。それも,簡単な質問ではありません。

 日本人選手が外国人選手よりも優れていると考えられる点はなにですか。
 「柔よく剛を制す」とは,どういうことですか。
 むかしの選手といまの選手の大きな違いはどこにありますか。
 トレーニング方法はどんな風に変化してきましたか。
 用具や施設はどのように変化してきたのでしょうか。

 というような質問からはじまって,八田一郎さんという人はどういう人だったのですか,とか「負けた選手は下の毛を剃れ」という名言を残した背景・真意はなんだったのですか,といったような質問まで種々雑多。

 とうとう,いつのまにか,スポーツとはなにか,スポーツを見て感動するのはなぜか,現代社会を生きる人間にとってスポーツとはなにか,日本のスポーツ史やスポーツ文化論まで,夢中になって語っている自分がいて,こんどは自分でびっくり。

 気がついたら,3時間半をすぎていました。途中で,テープを入れ換えます,と言われたときに「もう,いいでしょう」と言おうと思いましたが,担当者がなかなかの好青年でしたので,まあ,言われるままに応答していました。

 終わったときには,担当者が「こんなに深いお話が聞けるとは思ってもいませんでした」というので,こっちも「こんなに深い話をするつもりはなかった」と応答。大笑いになりました。

 最終的にどんなカットが使われるのか,まったく予想もつきませんが,楽しみにしたいと思っています。予定では,7月13日(金)のBS1で放映されるとのこと。また,詳しい情報がわかりましたら,わたしの研究所(「21世紀スポーツ文化研究所」)のHPの「掲示板」には書き込んでおきますので,そちらをご覧ください。

 取り急ぎ,近況のご報告まで。

2012年6月20日水曜日

暑いときは汗をかけ,からだを冷やすな,寒いときは寒さに耐えろ。むかしの人の生活の智慧。

台風一過とはよくいったもので,今朝,目を覚ましたときは一瞬,騙されたかと思いました。青空がのぞいているではありませんか。昨夜の0時前後のニュース(ネット)をみているかぎりでは,東北新幹線も東海道新幹線も一部運転見合せ,東京都内の各線も一部見合せというニュースでいっぱいでした。もちろん,避難勧告や命令まで各地で出されていて,これはえらいこっちゃと覚悟をしていました。それが,一夜明けたら青空でした。

でも,お蔭さまで今日の午前中に予定されていた太極拳の稽古はいつものとおりに実施することができました。西谷さんはいそいそと愛車のオートバイで現れ,ときおり突風が吹いていて怖かったよ,と言っていました。帰りも同じような風が吹いていましたので,気をつけて,と声をかけました。

そんな稽古のあとの昼食会で,いろいろの話で盛り上がりました。16日(土)の橋本さんのお話(ドーピングと「生まれながらの身体」の虚構)をはじめ(この話については,西谷さんの鋭い指摘があって,これからも議論を積み重ねる必要がある,と思いました),8月のバスク・日本国際セミナーでの講演の話,新たに8月に割り込んできた上海大学からの招聘(講演会)の話,NHKからの取材の話,右膝の怪我でお休みしているKさんのお話,この夏にフランスに留学する予定のS君が入籍しましたという報告,などなど。

そんな話の中で,西谷さんが右手を出して,「この匂い,なんの匂いかわかりますか」という。ちょっと不思議な匂いでした。どこかで嗅いだことのある懐かしい匂いではあるのですが,少し違うような気がする。考えていると「ぬか漬けの匂いです」と仰る。「えっ?ぬか漬けですか?ちょっと違うように思いますが」とわたし。「そうかぁ,ぬか漬けの匂いとは違うんだぁ。この間から,どうも糠床がうまくつくれなくて変だなぁ,と思っていたんですよ」と西谷さん。「長くぬか漬けをやっている名人からほんの少しだけ糠床を分けてもらって,それを増やしていったら・・・」とわたし。そして「体調の悪いときに糠床をつくると,いい糠床にならない,とわたしの祖母は言ってましたよ」とわたし。「いやぁ,体調はいつも悪いから,だから駄目なんだ」と西谷さん。なんと今日は朝起きて,キュウリのぬか漬けを1本食べて稽古に駆けつけたと仰る。それにしても,ぬか漬けまで自分でつくって食べていらっしゃる。そういう労を少しも厭わない,まめな人だなぁ,と思いました。

その話の延長線で,むかしの人の智慧の話がひとしきり。
そのひとつが,「梅干しは体調のいいときに漬けろ」(体調の悪い人が漬けると,まともな梅干しにはならない)でした。やはり,漬け物(たくあん漬けも)は漬ける人の体調がそのまま乗り移るらしい。むかしの人たちは生活の智慧として,それを知っていました。いまのわたしたちはすっかり忘れてしまっているだけの話。

もうひとつ。「暑いときは汗をかけ,からだを冷やすな,寒いときは寒さに耐えろ」。
わたしのこども時代は,いまの時代とはまるで違っていて(敗戦直後のなにもない時代だから当然なのですが),どこの家にもエアコンなどはないし,扇風機もない。みんな団扇で自分で扇ぐ。汗びっしょりになっても,首に手拭いをかけて顔の汗を拭きながらひたすら団扇で扇ぐしか方法がない。大人もこどもも,みんな上半身ははだかでした(わたしの育った愛知県の農村では)。ふんどしひとつで鍬を担いで畑に行く男の人も珍しくはありません。女の人も腰巻き一枚で歩いていました。夕方になると,農家の庭先にたらいを出して,みんなで交代で行水をしていました。若いお姉さんもはだかになって行水をしていました。こどものわたしたちも入れてもらったりしました。それが当たり前の光景でした。

夜寝るときには,どんなに暑くても,こどもたちは「金太郎」さんの腹かけをしていました。これをしないと酷く叱られました。腹だけはどんなことがあっても冷やしてはいけない,と。夏の夕立がきて,雷が鳴ると,急いで「金太郎」の腹かけをして「臍を隠す」のに必死でした。雷さんはこどもの臍が大好物なのだ,とこれも祖母から教えられました。急いで蚊帳を吊って,「クワバラ,クワバラ」とお祈りをしていました。かなり大きくなるまで信じていました。この「クワバラ」が河童伝承とノミノスクネと菅原道真につながる話である,というのはスポーツ史を研究するようになってから知りました。単なる呪文だと思っていましたが,そうではなく,きちんとした来歴があることに感動もしました。長く伝承される文化にはそれなりの意味がある,ということも知りました。

これが,ついこの間まで,みんなが行なっていた日本人の「自然」との折り合いのつけ方でした。ここでは省略しますが,こんな風にして,冬には冬のしのぎ方の方法がありました。なんと豊かな文化なのだろうか,といまごろになってしみじみ思い出し,考えてしまいます。日本人が日本人になるための,じつにみごとな文化装置だったではないか,と。

いまは,あまりに単純すぎます。暑ければエアコン,寒ければエアコン。それで終わり。暑さに耐える,寒さに耐える,ということをしません。人間のからだは,どこかで負荷をかけてやらないと,免疫力が衰えてしまいます。つまり,「生まれながらのからだ」に埋め込まれている免疫力を伸ばすチャンスを奪い取り,エアコンに身を委ね,守られるからだのまま,大きくなってしまいます。それが,こんにちのわたしたちの「ありのまま」の身体の現状です。ひ弱なものです。日本人としても「立つ」ことができません。ですから,電気が足りない,と言われるとその理由や根拠を考えることもしないで,素直に怯えてしまいます。まことにやわな人間(国籍不明の)の姿がそこに浮かび上がってきます。なんと情けないことか,と。

電気が足りなければ足りないように暮らせばいい。わたしたちの世代はなにも驚きません。ほんとうに暑くてどうにもならないのは,一夏のうちほんの数日のことです。そのときはそのときで,それなりの祖母の智慧がありました。庭のいたるところに水を打ったり,井戸水(夏でも10℃前後)で顔を洗ったり,濡れ手ぬぐいでからだを拭いたり・・・・と方法はさまざまでした。それでも,こどもたちの「金太郎」さんの腹かけははずすことは許されませんでした。飢えや暑さもときには必要なものです。

お蔭さまで,わたしはこどものころから,こんにちまで(いまも,ほとんどエアコンはつけません),いわゆる風邪を引いたことは,ほんの数えるほどしかありません。丈夫に育ててくれたのは,祖母の智慧であり,それを継承した母の智慧だったように思います。老人の智慧を見倣うべし。

いま,考えてみれば,迷信のような,お呪(まじな)いのようなものもたくさんありました。が,よくよく考えてみると,なるほどと思うこともたくさんありました。人間の生活の智慧は,現代の科学をもってしても説明のできないことがたくさんあります。だからといって,切り捨ててしまっていいということにはなりません。近代合理主義はそこのところを間違ってしまったのだ,といまごろになって気づきます。気づいたら「隗より始めよ」ではないですが,まずは実行あるのみ。

みなさん,ことしの夏は思いっきり暑さと戯れてみようではありませんか。
汗を流す快感を,じっくりと味わってみましょう。
これもまた,原発にさよならするための,ひとつの方法。
風邪引き体質からさよならするためにも,お薦めです。

2012年6月19日火曜日

橋本一径さんを囲む会に,西谷修さんが乱入して,大いに盛り上がる(第62回「ISC・21」6月東京例会)。

 6月16日(土)の午後に,「ISC・21」6月東京例会に橋本一径さんをお迎えしてお話を伺うことにしていましたところ,突如,西谷修さんが参加してくださり,みんなびっくり。でも,橋本さんのプレゼンテーションの途中から,西谷さんが積極的に会を盛り上げてくださり,みなさん大喜び。

 で,わたしも予定を変更して,参加してくださった人たちに積極的に発言してもらうことに。ほんとうのところは,わたしの関心事に引きつけて,橋本さんへの質問はいくつか準備してありました。が,これを投げるよりは,参加者の問題関心(研究テーマ)に即して,ルジャンドルに関する橋本さんのお話をどのように受け止めたのか,話してもらう方が面白いと判断しました。案の定,みなさんがとても面白い反応をしてくださったので,それに触発されたようにして,西谷さんが話を展開してくださり,ルジャンドル理解を助けてくれることになりました。

 橋本さんのプレゼンテーションのタイトルは「ピエール・ルジャンドルの身体論とその地平」というものでした。わたしたちの研究会に合わせて,内容も工夫してくださり,ありがたいことでした。その冒頭で,「ドーピングの哲学」とでもいうべき最新の論文の紹介からはじまりました。出典はフランス語ですので,ここでは割愛しますが,2011年に出た本のP.19~34.に収められている論文です。話の骨子は,「イーロ・マンチランタ(1930~)」というフィンランドのノルディック・スキーヤーの「ドーピング疑惑」を追跡したところ,意外な事実が明らかになった,というお話です。

 かれは,インスブルック五輪で金メダリスト(15km,30km)。グルノーブル五輪で銀・洞メダリスト(同)。しかし,その後にドーピング疑惑が持ち上がり,その謎を解いていくうちに,父祖伝来の特異体質であることがわかって,一件落着。しかし,この特異体質がドーピング疑惑の原因であることが実証されたからよかったものの,もし,そうでなかったとしたらドーピング疑惑は晴れることなく,生涯その濡れ衣を着せられたままになります。一種の冤罪です。

 そこで問題になるのが,「生まれながらの身体」の虚構性。
 わたしたちは「生まれながらの身体」こそは自然のままの身体であり,「所与」のものとして,つまり,身体の「原型」(Urformen)として,なんの疑いも抱きません。しかし,よくよく考えてみますと,この「生まれながらの身体」もまた,ひとつの虚構でしかない,ということがわかってきます。その典型的な例のひとつがこのイーロ・マンチランタ選手の場合に当てはまるというわけです。

 かれは,父祖伝来の特異体質(血中ヘモグロビンの酸素運搬機能がふつうの人よりも突出して優れている)を「生まれながらの身体」として,所与されました。だから,かれ自身もまた,自分が特異体質の人間であるという自覚はなかったと思います。しかし,子どものころからスキーのディスタンスをやってみたら,ふつうの子どもたちよりも頑張れることに気づいたに違いありません。その体験の積み重ねがかれをノルディック競技の道へと誘ったのだろうと思います。

 考えてみれば,人がなにかのスポーツにのめり込んでいくきっかけは,みんな同じような体験にあるように思います。なにかの拍子に,周囲の子どもたちよりも「適性」があるなと気づきます。それは,スポーツにかぎらず,音楽や絵画にしてもそうです。また,数学や文学についても同じです。しかし,天才的な音楽家や数学者を「特異体質」とは言いません。やはり,スポーツのように「からだ」全体を駆使して優劣を競う領域だからこそ,「生まれながらの身体」の特異体質が問題になります。背が高い,体重が重い,などは眼にみえる差異ですが,血中ヘモグロビンの機能となると眼で確認することはできません。自分でもわかりません。自他ともにわかりません。

 こうして,「生まれながらの身体」もまた虚構でしかない,という事実が浮かび上がってきます。つまり,性の同一性の問題と同じことが,ここでも起こっているということです。

 この話を手がかりにして『同一性の謎 知ることと主体の闇』(ピエール・ルジャンドル著,橋本一径訳,以文社,2012年)の「訳者あとがき」を軸にした橋本さんのお話が佳境に入っていきました。お話の最後にピエール・ルジャンドルのテクストを映像化したDVDの上映がありました。

 この映像をみながら,西谷修さんが解説を兼ねて,さらに話題をふくらませ,ルジャンドル理解の道案内をしてくださいました。橋本さんのお話に華を添えるといいますか,応援団長の役割をはたしてくださり,そのあとの議論も盛り上げてくださいました。ありがたいことです。

 このあと話題になったことの一部を紹介しておきますと以下のとおりです。
 スポーツのマネージメントの話,モンゴル人の身体の「所有」と「処分」の問題,「現代スポーツの苦悩を探る」(ことしのスポーツ史学会のシンポジウム・テーマ)からの問題提起,1920年代のドイツの体操改革運動がめざした「身体の解放」の問題,現代の学生の身体意識をめぐる問題,などじつに盛り沢山な議論が展開しました。

 この研究会の内容については,できれば,『スポートロジイ』第2号に掲載できるよう準備を進めたいと思っています。そこから,また,新たな議論が展開すること期待しながら・・・。

 会が終わると,すぐに西谷さんは急いで帰路につかれました。わたしが知るかぎりでも超多忙のなか,時間を割いて参加してくださったことに深く感謝します。ありがとうございました。

 このあとは,いつものように懇親会があり,その流れは二次会までつづきました。橋本さんには最後までお付き合いくださり,とても有意義な時間を過ごすことができました。これもまた感謝。

 次回は,7月7日(土),第63回「ISC・21」7月神戸例会となります。詳細については,近々,HPの掲示板に公表される予定です。お見逃しなく。

 以上,第62回「ISC・21」6月東京例会のご報告まで。

2012年6月18日月曜日

レベルが高くなった「自選難度競技」(第29回全日本武術太極拳選手権大会)。

 6月17日(日)の午後は第1コートの自選難度競技部門を堪能させていただいた。熱のこもった迫力満点の演技がつづいた。選手のみなさんに感謝である。もちろん,失敗して涙を飲んだ選手もいれば,予想以上の高得点を獲得して喜びを隠さなかった選手もいた。しかし,優勝候補の選手たちは,演技の結果はともかくとして,じつに冷静に自分の演技に向き合っていたように思う。どこか風格のようなものを感じた。素晴らしいと思う。

 感動したのは,選手の層が厚くなったというか,ボトムアップしたというか,レベルの高い選手が多くなったことだ。この点は,去年とは格段の差がある,という印象を受けた。2005年に施行された「新国際競技ルール」に慣れてきたというべきか,あるいは,ルールに対応する演技構成の研究が進んだというべきか,あるいはまた,選手たち同士の切磋琢磨の結果というべきか。もっとも,トップ下に連なる選手たちは,何回も強化合宿をくり返しているので,おのずから気合が入ってくるのは当然というべきだろうが・・・・。

 それにしても,上手になっている。着実に腕を上げている。そういう印象が強く残った。それをもっとも強く感じたのは,選手たちの演技に余裕が感じられるようになってきたということだ。見ている者に安心感を与えるような,動きに溜めがある。選手自身も明らかに演技を意識しているようで,いかにも心地よさそうに見せてくれる。そういう選手が増えてきている。これが,第8回アジア武術選手権大会(ベトナム・ホーチミン市)にむけての日本代表選手選考会かと思わせるほどの,心地よい緊張感と余裕が伝わってくる。選手たちが育っている証拠だ。

 わたしが全日本武術太極拳選手権大会を初めてみたのは,2003年と記憶している。そのころの自選難度競技部門(当時は,こんな名称ではなかったように思うが,確かではない)は,いま思い浮かべてみれば,じつにのどかな競技会だったように思う。なぜなら,10点満点で採点した結果を一人ずつの審判が表示して,それを集計した平均点が選手の得点となっていた。

 わたしは若いころは体操競技の選手だったので,この採点方法には馴染んでいる。初めて見せていただいたのに,しばらく眺めていたらなんとなく採点ができるようになった。自分の予想した得点と最終的な得点との間に,そんなに大きな差がないのである。だから,すぐに面白くなって夢中になって採点しながら,集計された得点との差を縮めることに熱中していた。素人でも,すぐに,楽しめたのである。

 しかし,2005年以後の新ルールによる採点方法がとられるようになってからは,点数の予測がつかなくなってしまった。これは,いまの体操競技と同じである。むかしは,スタンドで眺めながら,自分で採点して,ほとんど間違いなく点数をはじきだすことができた。しかし,いまのルールは理解不能である。自分で採点できないのである。これは上手だとむかしの採点方法でやってみても,まったく予想外の得点がでてくる。わけがわからない。だから,試合会場にも行かなくなってしまった。時折,テレビでみても,点数はまったくわからない。表示された点数をみて「ヘェーッ」と思うだけである。前の選手との演技の「差」を自分の目で確認することはできないのである。すべて,結果待ちなのだ。

 自選難度競技部門の採点方法も,体操競技やフィキュア・スケートの採点方法をヒントにして編み出されたものだと聞いている。だから,フィギュア・スケートなどと同じで,回転ワザなどの着地の角度は,スタンドからはわからない。結果待ち。体操競技にいたっては,もっともっと複雑な採点方法をとっているので,ますますわからない。得点が発表されるのをじっと待つのみである。

 自選難度競技部門の演技も,得点が発表されるまでは,さっぱりわからない。スタンドからみていて,この選手はいい点がでるぞと期待しても,まったくそうではないことが多々あった。それは,A組審判の点数はほぼ予測がつくのだが,B組審判とC組審判の点数は,まったく予測がつかない。会場で手に入れたプログラムに「解説:新国際競技ルールによる〔自選難度競技〕とは」という詳しい説明があるので,そこを何回もくり返し確認するのだが,とても複雑で読んだだけでは理解不能である。

 わたしがみていて不思議だったのは,この選手はじつにいい演技をした(魅せる演技までできている)と思って結果を待っていると,A組審判が満点の5点を出しているのに,B組・C組の点数がまったく伸びない。そのために,総計ではとても低い得点になってしまうことだ。ジャンプの高さも滞空時間も長い。余裕たっぷりの演技なのに,残念ながら,B組・C組のルールの減点で,大きく順位を落とす。選手は,それほど悔しそうにもしていないところをみると,選手自身はどこで減点されたかを自覚しているらしい。

 李自力老師とは,以前から(たぶん,新国際ルールが制定されるころに),武術太極拳がスポーツ競技の方向に舵を切ることに対する危惧について,ずいぶん話し合ったことがある。その大きなポイントは,空中で宙返りをすることが武術の本質に照らし合わせてみて,いかなる意味があるのか,同じように,ジャンプして回転すること,そして着地するときの足の角度が,武術となんの関係があるのか,とわたしは強く主張したことがある。李老師も同じ意見だった。しかし,武術太極拳が国際化し,世界に普及していくためには,ヨーロッパ的な合理主義の考え方に立ち,客観化・数量化の道を選ぶしかないんだよね,と話し合ったことを思い出す。しかし,その道は間違いなく「武術」の世界からは遠のいていく道でしかない。そのことは間違いない。そして,武術太極拳は近代スポーツ競技の仲間入りを果たすことになるだろう(その最終ゴールはオリンピック競技の正式種目として公認されることだ)。では,本来の「武術」としての太極拳はどうなるのか。

 このあたりのことについては,李自力老師の博士論文『日中太極拳交流史』(叢文社)に詳しく論じられているので,参照していただきたい。この当時に二人で議論をし,予測されたことが現実となって,いまわたしたちの眼前に展開している。そのことの良否はともかくとして,いま,とても大事な分岐点にわたしたちは立っているのだ,と思う。そして,この道は,日本の柔道が通った道でもある。そして,こんにちでは,柔道とJUDOとは別物になってしまった,というのがわたしの考えである。

さて,太極拳が,こんごどのような経緯をたどることになるのか,わたしはしっかりと見極めていきたいと考えている。その意味でも「自選難度競技」は目が離せない。

2012年6月17日日曜日

第29回全日本武術太極拳選手権大会・2012に行ってきました。

第29回全日本武術太極拳選手権大会・2012が3日間,いつもの年より少し前倒しになって開催された。今日(17日)がその最終日だった。李自力老師から「行きませんか」と声をかけられたときには,すでに,15日(金)も16日(土)も予定が入っていた。で,ようやく最終日の今日,友人のTさん,Hさん,Sさんを誘って,見てきました。

お目当ては,〔自選競技部門〕の女子・陳式太極拳。陸さんと八木原さんのデッド・ヒート。ここ数年にわたって,僅差で陸さんがトップをゆずらない。この二人の熾烈な闘いは2009年にはじまる。この年,陸さんは9.16,八木原さんは9.15。2010年は陸さん9.15,八木原さん9.13。2011年は陸さん9.20,八木原さん9.13。この3年間,紙一重の接戦がつづいている。

さて,ことしは,どうか。息を潜めながら,この二人の演技を見守る。さきに登場した陸さんが9.20をマーク。昨年と同じだ。それからしばらくあとに八木原さん登場。得点は,こちらも昨年と同じ9.13。またまた同じ結果となる。さて,この二人のデッド・ヒートはいつまでつづくのだろうか。楽しみではある。しかし,この二人にとっては,来年に向けて気合の入った稽古をつづけることになるのだろう。切磋琢磨して,また,来年も素晴らしい演技を見せてほしい。

自分の演技が終わったあとも,八木原さんはあとの選手たちの演技をじっと見つめている。降りて行って声をかけようかと思ったが,なんだか邪魔になるような気がしたので,全員の演技が終わってからにしようと思っていた。ちょうどそこに,李自力老師から電話は入る。「いま,どこ?」「第4コートの上のスタンド」「いまから行きます」

というわけで,久しぶりに李老師とお会いしたので,よもやま話に花が咲いてしまった。気がつけば,いつの間にやら,女子・陳式太極拳の演技は終わっていた。あわてて,二人で下に降りていって,探してみる。すでに,どこにも見当たらない。そこに,ひょっこり現れたのが陸さん。李老師に紹介してもらって,ご挨拶と握手。で,じつは,わたしの娘と八木原さんは大学時代の同級生で大の仲良しです,と話をする。陸さん,びっくりして,「ああ,そうなんですか」と。

そこで,李老師を交えて,陳式太極拳の話になる。
陸さんの演技と八木原さんの演技は,まったく質が違うという印象なのですが,とわたし。
陸さんの答えは,中国人と日本人の「精神」「性格」の違いではないかと思います。
李老師の答えは,陳式は激しさが求められます。陸さんは,それをそのまま表現しているということです。八木原さんはやさしい性格がそのまま演技になっているように思います。

そうか,陳式は激しい動きというか,攻撃的な演技が必要なのだ,と納得。そういえば,陸さんの演技は静かにはじまって,後半に入るとにわかに動きが激しくなる。そして,最後にまた静かに終わる。それに引き換え,八木原さんの演技は,全体的におとなしい。もちろん,途中に力強さを表現する動きはあるのだが,やや少ない。でも,八木原さんの動きの美しさは天下一品。見る者をしてうっとりさせるものがある。この味も捨てがたい。これに「激しさ」を,もう少しだけ加味すれば,素晴らしい陳式になるということらしい。

そのあと,ずいぶん,あちこち八木原さんを探してみたが,会場が大きいので見つからない。こうなったら,表彰式のときに・・・と李老師。そうしましょう,とわたし。

で,一旦,外にでて昼食に。一緒にきていた友人のTさん,Hさん,Sさんも誘って。5人で近くのレストランへ。ちょうど,ガーデン・テラスのテーブルが空いていたので,そこに座り,話がはずむ。わたしの友人3人は,みんな李老師とは顔見知りなので,すぐに打ち解けた話になる。そして,李老師が熱心に太極拳の採点法について説明をしてくれる。午後からはじまる〔自選難度競技部門〕をみるポイントがはっきりしたので,友人たちは喜ぶ。

早速,会場にもどって,「自選難度競技部門〕のはじまりを待つ。
が,気づくと,もうすでに,女子・陳式太極拳の表彰式は終わっている。残念。このときに下に降りていけば,陸さんと八木原さんと李老師とわたしと4人で話ができたのに・・・・。できれば,記念撮影もできたのに・・・・。まことに残念。

来年を期することにしよう。

このあとの〔自選難度競技部門〕はとても感動した。毎年,すごい勢いでレベルが高くなっている。しかも,世代交代もかなり激しく起こっているようだ。このことについては,また,機会を改めて考えてみたいと思う。

取り急ぎ,今日の太極拳のうち,「陸さんと八木原さんのデッドヒート」のご報告まで。

2012年6月15日金曜日

ピエール・ルジャンドルの「ドグマ的なもの」について・その7.スポーツとは宗教的・訴訟的な意味でのドグマの発露の一様態である(ルジャンドル)。

 『真理の帝国 産業的ドグマ空間入門』のP.272.で,ルジャンドルは「スポーツとは宗教的・訴訟的な意味でのドグマの発露の一様態である」と高らかに宣言し,「これは確かなことなのだ」と断言している。

 その上で,ルジャンドルはつぎのように指摘している。
 そのことが事実であるということは,スポーツ関連の書籍や雑誌を見れば,一目瞭然である,という。そこには,「体を鍛えましょう,精神状態にも有益で,人格形成にも役立ちます」という言説が満載である,と。その背景にあるものは「心-身主義」(=産業的合理主義の典型的表象)であり,これが「スポーツ理論の後ろ盾や補強になっている」と,ルジャンドルは指摘している。

 ここまで言われてしまうと,もはや反論のしようがない。
 たしかに,これまでのスポーツ関連の書籍や雑誌は,まぎれもなく,からだを鍛えれば「精神状態にも有益で,人格形成にも役立つ」と主張してきた。そして,それがごく当たり前のように受け入れられてきた。その合意の上に「スポーツ」は成立していた。これが,まさしくルジャンドルのいう「ドグマ」なのだ。

 しかし,からだを鍛えれば「精神状態にも有益で,人格形成にも役立つ」という保証はどこにもない。同時に,それを否定する根拠もどこにもない。そうでもあるし,そうでもない。しかし,どうせなら「そうである」方に希望を賭けたい。ここに「心-身主義」が分け入ってきて,その理論的バックボーンとなっているために,からだを鍛えることの「有益性」を否定することはできなくなる。その結果として,「有益性」を全面に押し出し,それを肯定する以外にはなくなってしまう。

 意のままに動かない身体を意のままに動かすことができるようになること,これがヨーロッパ近代の新たな規範として意味をもちはじめる(この背景には,近代国民国家の考え方がある)。言ってしまえば,意のままにならない身体(=自然=野性=動物性)を,意(心=精神=理性=人間性)のままにすることが,近代人として生きるための,すなわち近代国民国家を支える「国民」として生きるための,ひとつの規範として意味をもちはじめたのだ。(※この考え方がどこからきたのか,ということを明らかにすることがルジャンドルの「ドグマ人類学」の原点にある。この点については,また,別のところで述べてみたい。)これが,ルジャンドルのいう「心-身主義」のひとつの根拠である。

 しかも,この「心-身主義」こそ「産業的合理主義の典型的表象」だとルジャンドルはいうのである。いささか短絡的に聞こえるかも知れないが,鍛えられたスポーツマンの身体は,そのまま優れた労働する身体として「有益」である,と考えられている。つまり,意のままにからだを動かすことのできる「心」をわがものとした人間は,そのまま「産業的合理主義」のもとでの「労働」にきわめて「有益」な存在である,ということだ。

 日本近代が求めた「富国強兵」策のように,まさに「よく働く労働者」と「国を守る強い兵士」の身体の育成をめざしたのは,言ってしまえばルジャンドルのいう「西洋」の「心-身主義」の考え方に基づくものだった。もう一歩踏み込んでおけば,日本へはH.スペンサーの『教育論』とともに「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という誤った俚諺とともに移入され,広く流布することとなった。そして,これが近代人の理想的人間像として明治時代の教育のスローガンにもなった。いまでも,この考え方を信奉している人は少なくない。これが,まさに「ドグマ」そのものなのだ。真理と虚偽とが渾然一体となって,人びとの「信」を獲得した結果として。

 この考え方が,じつは,「産業的合理主義」を支え,現代の経済最優先社会を構築することになったことを,わたしたちは見過ごしてはならない。あえて指摘するまでもなく,「安全神話」をかかげ原発を推進し,それに便乗してきたわたしたちのこんにちの姿は,この「心-身主義」=「産業的合理主義」の成れの果てなのだ。

 わたしが以前から主張している「オリンピック・ムーブメント」と「原発推進運動」とは,その論理はまったく同根である,という根拠のひとつはここにある。世界平和を標榜するオリンピック・ムーブメントは,まさにルジャンドルが主張するように「宗教的・訴訟的な意味でのドグマの発露の一様態」そのものなのである。

うまく落ちがついたところで,今日のところはここまで。
明日は,橋本一径さんを囲んで,どんな話になるのだろうか。いまから,楽しみである。

ピエール・ルジャンドルの「ドグマ的なもの」について・その6.わたしのルジャンドル遍歴。

ピエール・ルジャンドルは2003年10月から11月にかけて日本に滞在している。その間に,講演を2回,ワークショップを3回,行っている。わたしは西谷修さんのお誘いもあって,そのうちの4回まで参加させていただいた。4回目のときには,ルジャンドルもわたしの顔を覚えていてくれて,お前はまた来たんだね,と声をかけてくれた。嬉しかった。

当時は,なんのことやらあまりよくわからないまま,じっと耳を傾けていた。そして,なにやら,わたしたちがそれまで考えてきたこととはまったく次元の違う,とてつもない構想のもとでの話らしいということだけは感じとることができた。しかし,その内実となると,なかなか踏み込めないでいた。

その大きな壁となっていたのは,西谷さんからプレゼントされた最初のルジャンドルの訳書『第Ⅷ講・ロルティ伍長の犯罪──父を論じる』(人文書院,1998年)だった。何回,チャレンジしても最後まで読めないのである。途中でわけがわからなくなってしまって,投げ出してしまう。それでも,せっかくいただいた本なのでなんとか読み切って,ほんの少しでもいい,自分のことばで感想を述べてみたかった。それもままならないまま,時間だけが過ぎていった。

そのつぎは,2003年のルジャンドルの来日に合わせて翻訳がなされた『ドグマ人類学総説 西洋のドグマ的諸問題』(平凡社,2003年)だった。この分厚い本に圧倒されたこともあるが,なにしろルジャンドルの仕掛けている言説についていかれないのである。これも何回もチャレンジするのだが,挫折してしまう。仕方がないので,西谷さんの解説をくり返し読む。すると,なんとなくわかったような気になってくる。そこで,また再挑戦をする。そのくり返しだった。

が,ありがたいことに,翌年の2004年には,ルジャンドルが日本滞在中におこなったシンポジウムとワークショップをまとめた『<世界化>を再考する P.ルジャンドルを迎えて』(西谷修編,せりか書院,2004年)が刊行された。これをくり返し読むことになった。とりわけ,この本の巻末に掲載された西谷修さんの「解説」ピエール・ルジャンドルとドグマ人類学,がとても助かった。この解説を手がかりにして,シンポジウムやワークショップのところを何回も読んだ。こうして,いくらかドグマ人類学のめざしているベクトルがこの方向なのだ,ということがみえてきた。

それからほどなく,『西洋が西洋について見ないでいること 法・言語・イメージ〔日本講演集〕』(森元庸介訳,以文社,2004年)が刊行された。この本は,初めてわたしを興奮させた。なぜなら,これまで携わってきたスポーツ史研究(とりわけ,ヨーロッパの)を根源から問い直さなくてはいけない,と切実に感じたからである。これまで長い間,思い描いてきたヨーロッパのスポーツ史はいったいなんだったのか,と。こうして,ようやくルジャンドルのいうドグマ人類学とスポーツ史がクロスするようになってきた。興奮しないではいられなかった。

そうしているうちに,つぎの訳書『第Ⅱ講・真理の帝国 産業的ドグマ空間入門』(西谷修/橋本一径訳,人文書院,2006年)がでた。こちらはわたしの準備運動ができていたせいなのか,以前とは違って,少し頑張ればかなりのところまで読める。嬉しかった。もちろん,随所に理解不能(わたしの責任なのだが)のところがあったが,でも,わかるところをつないでいくと,そこになにがしかの「流れ」のようなものがみえてきた。しかも,昨日のブログでも書いたように,ルジャンドルがみずから「スポーツ」の「ドグマ的なもの」に触れている。これはありがたかった。そうか,そういうことだったのか,と納得。

つぎのルジャンドルとの出会いは,インタヴュー集『ルジャンドルとの対話』(森元庸介訳,みすず書房,2010年)であった。こちらは,ラジオの番組としてインタヴューアーの質問に応答したものだったので,とても読みやすかった。ルジャンドルという人の人となりのようなものも伝わってきて,ルジャンドル理解にはとても役に立った。ありがたい本である。

つづいて,こんどは講演集『西洋をエンジン・テストする』(森元庸介訳,以文社,2012年)とやはり講演集『同一性の謎 知ることと主体の闇』(橋本一径訳,以文社,2012年)が立て続けに刊行された。ようやく,ピエール・ルジャンドルの時代がやってきた,としみじみ思う。西谷さんが『ロルティ伍長の犯罪,父を論じる』(1998年)を世に送り出してから15年。ようやく報われる時代がきた,とわたしはこころから思う。とりわけ,「3・11」はその幕開けになったのではないか,と。

時代は大きく変わろうとしている。しかし,その時代を先導する「導きの糸」となる思想・哲学が,いまひとつ釈然としない。わたしのささやかな理解にしかすぎないけれども,少なくとも,スポーツ史研究のレベルで考えると,ピエール・ルジャンドルの「ドグマ人類学」はそれに応える思想・哲学たりうる内容をもっている,と信じたい。だから,ルジャンドルがこの「学」に仕掛けた恐るべき罠を,わたしはスポーツ史研究の場で展開してみたいと思っている。それが「21世紀のスポーツ文化」の可能性を開いていくひとつの鍵となるのではないか,と思うから。

以上が,わたしのささやかなピエール・ルジャンドル遍歴の一端である。
明日(16日)は,橋本一径さんにお出でいただいて,最新の訳書である『同一性の謎 知ることと主体の闇』を手がかりに,ルジャンドルの可能性についてお話していただくことになっている。できれば,スポーツとの関連にまで踏み込んでお話いただけると幸いである。

そこまで踏み込んでいただけるかどうかは,お話を聞くわたしたちの方の問いかけ方にかかっている,と覚悟を決めている。明日が楽しみである。

2012年6月14日木曜日

ピエール・ルジャンドルの「ドグマ的なもの」について・その5.スポーツと神判の関係について。

いつのまにか『真理の帝国 産業的ドグマ空間入門』の方に比重が移ってしまったので,ついでにもう一点だけ触れておきたいとおもう。

『真理の帝国 産業的ドグマ空間入門』の第二部 歴史から論理へ──ローマ法の帝国,第二章 真理の証拠を生み出す,2.証拠のなかの証拠,人体。近代的な心-身主義の法的基礎に関する注記,の最後のところでルジャンドルは,なんと「スポーツ」の問題を取り上げている。初めてこの言説に触れたとき(もう,ずいぶん前のことになるが),わたしはわが眼を疑った。

当然のことながら,これまでわたしたちが馴染んできたスポーツ史やスポーツ文化論の視点とはまったく異なる,意表をつく,驚くべきまなざしをそこに見届けることができたからだ。「ドグマ的なもの」が,スポーツのなかにこんな形で紛れ込んでいるのだ,ということを知る最初のきっかけであった。と同時に,これからのわたし自身の研究課題が,ここからいくつも導き出せるという点で,欣喜雀躍したものである。よし,これで近代スポーツを脱構築するための力強い根拠をここにも見出すことができる,と。あとは,そのための理論仮説をいくつか立てては崩しの繰り返し。でも,それはこれまでに経験したことのない快感でもあった。そのことに関しては,また,いつか別の項目を立てて,このブログで論じてみたいとおもう。

ここでは,まずは,ルジャンドルの言説を引きながら,その重要なポイントについて考えることから始めよう。

──スポーツと神判の関係。仕上げにこの点を付け加えることで,西洋的理性が最終的に抑圧してしまった,人体を争点とする諸要素の複雑さに気づいてもらおう。ローマ法が復活すると同時に追放された「神の裁き=神判」は,きわめて多彩な試練を用意しており,他人の身体を代理にする可能性も時には残されていた。他人の身体が当人に代わって真理のために苦難を受けたり決闘したりしてくれるのである。誰かの名において苦難に耐えるというこの注目すべき事態は,法制史の文献中にも確かめることができる。だがわたしは決闘裁判のほうに注目したい。チャンピオン〔決闘代理人〕(これはテクニカルな表現で,時にラテン語の弁護士〔advocatus〕と同義だった)たちが,決着を待ちわびる人びとの面前で対決するのである。(P.71~72.)

長い間,スポーツ史研究にたずさわってきた人間としては恥ずかしながら,このような視座に立つ論考に接したことがない。眼から鱗である。ローマ法が復活するまでは,神判が生きていて,「他人の身体を代理にする可能性」も残されていたという。考えてみれば,「神の裁き」だからこそ「他人の身体」で代理することも可能なのだし,そこに「真理」を見極めることも可能だったのだ。こんにちのわたしたちからは考えも及ばないような話であるが・・・・。しかし,そこに「真」を認めて生きていた人たちがいたという事実。それどころか「見えるもの」として公衆の面前でそれが現前するという「ドグマ」こそが「真」である,と信じた人たちを,わたしたちは笑うことができるだろうか。わたしたちもまた,いまも,その「ドグマ」を信じて生きているのだから。つまり,自分の眼で確認できたものに「真」をおく。それに依拠しながら「生」を模索しているのが,まぎれもなくいまも変わらないわたしたちの姿なのだから。

もう一点,チャンピオン=決闘代理人=弁護士,というルジャンドルの指摘にわたしは戦慄を覚える。ウーン,そういうことであったのか,と。そして,この「弁護士」(=チャンピオン)が大観衆の面前で決着をつけるべく対決するのだ,と。まさに,これは「裁判」以外のなにものでもない。このあとでルジャンドルが触れる「訴訟学」の現実は,こういうことなのだ,と理解することができる。わたしのからだは「空中分解」しそうなほどに打ち震えている。

このようして,この「ドグマ的なもの」が,こんにちの産業的ドグマ空間のなかにも厳然と生き長らえている,とルジャンドルはその根拠を示しつつ,力説するのである。

しかし,ここでは,ルジャンドルは「決闘裁判」の方に注目したい,としてつぎのような論を展開している。以下はその引用文である。

スポーツの試合でも訴訟学が機能しているのは確かである。この問題はA.シュッツによってサッカーとテニスについての実りある議論のなかで提起された。ワールドカップやウインブルドンの決勝は,テレビを見るあらゆる文化の何万という人々のために,絶対的<他者>への準拠のもとで行われる対決への人間的な期待を演出しているのであり,同時に現代のチャンピオンたちはその一挙一動を訴訟に委ねているのである。この訴訟の規則は,たとえばイギリス法(ローマ法の法的精神にもっとも近い)の裁判をモデルに組織されたテニスの場合のように,ローマ法の「告訴(action civile)」と紛れもなく等しい。こうした指摘によって浮び上がるのは,証拠と訴訟の領域において科学的発想(われわれのもの)と野蛮な発想(神判)とを対比させる歴史学の作為的な性質である。客観性の文明は無意識の野蛮さと完全に両立しているのだ。

こういうルジャンドルの言説に接して,ふたたび,わたしのからだは全身で反応する。震えが止まらない。かつて,このような言説に触れたことがあるだろうか。ここまで,言い切られてしまうと,わたしにはもはや受けて立つ根拠はなにもない。しかも,ルジャンドルの指摘にはそのまま,なぜか首肯してしまうわたしがいる。ならば,その眼で,もう一度,わたしが長年取り組んできてスポーツ史研究のあり方を問い直すしかない。

残念ながら,わたしはA.シュッツの議論を知らない。これから,どのような議論であるのか確認する必要があるのだが,それを省略してもなお納得してしまうわたしがいる。こんにち世界に流布しているサッカーやテニスの「ルール」はすべて19世紀後半のイギリスにおいて「考案」されたものである。しかも,その「ルール」が「ローマ法の法的精神にもっとも近い」「イギリス法」にならって制定されたのだ,というルジャンドルの指摘には,そのまま「そうですか」と言うしかない。このあたりのことは,これからもう少し,自分なりに納得のいくように詰めをしておく必要があるだろう。

その上で,なおかつ,つぎのようなルジャンドルの指摘は,わたしをして茫然自失させる。「こうした指摘によって浮び上がるのは,証拠と訴訟の領域において科学的発想(われわれのもの)と野蛮な発想(神判)とを対比させる歴史学の作為的な性質である」という言説である。しかも,「客観性の文明は無意識の野蛮さと完全に両立しているのだ」と断言されてしまうと,もはや,逃げる場所がなくなってしまう。しかも,これはわたしの読解にすぎないが,これこそが<真理>なのであり,<ドグマ>なのだ,とルジャンドルが叫んでいるように聞こえる。

ことここに至って,はじめて『真理の帝国 産業的ドグマ空間入門』という書名の意味が,わたしなりに納得である。が,そう断定してしまうのはいましばらく担保しておくことにしよう。もう少しだけ詰めをしてからでも遅くはない。

ここでは,スポーツこそ「ドグマ的なもの」の宝庫ではないか,というわたしなりの結論を公表しておくに止めておきたい。それほどに,スポーツを考えることは,これからますます重要な課題になる,という確信をルジャンドルはわたしに提示してくれているように思う。

というところで,今回のところはひとまず終わり。

2012年6月13日水曜日

ピエール・ルジャンドルの「ドグマ的なもの」について・その4.ドグマの語源とエンブレム。

前回の引用文につづいて,ルジャンドルは「ドグマ」の語源をめぐってつぎのように述べている。まずは,そこから入っていくことにしよう。

  「ドグマ」というギリシア語は,見えるもの,現れる,そう見えるもの,そう見させるもの,ひいては見せかけを意味する。ついでこの語は,語義のもつふたつの側面にわれわれを引きこむが,言説を社会的に組織化する諸々のシステムはその両面を同時に動員する。ひとつは定礎的な公理であり,原理ないしは決定であり,もうひとつは名誉,美化,装飾である。このことから,「ドグマ」という表現によって表明され告知されるのは,合法的な真理として言祝がれた真理の言説,言われるべきだからして言われることの言説だと考えられる。したがって「ドグマ学」が対象とするのは,メッセージの起源に固有な空間,受信者がそこに準拠する空間,合法的真理の場として要請され,そのようなものとして社会的に演出される場に関わる,ある特殊な言説のメカニズムだということになる。ドグマ的命題の典型は紋章(エンブレム)であり,その傑出した例が古典的ともいえるボルニティウス(1664年)の装飾表現に見られる。

「見えるもの,現れる,そう見えるもの,そう見させるもの,見せかけ」が,ギリシア語の「ドグマ」の意味だという。そして,これらの語義はふたつの側面をもつ,という。ひとつは「公理,原理,決定」であり,もうひとつは「名誉,美化,装飾」だという。このふたつが,さまざまなシステムのなかで同時にはたらいているという。だから,「ドグマ」は「真理の言説」だと考えられるという。そして,ドグマ的命題の典型は「紋章(エンブレム)」だという。その優れたサンプルをボルニティウスの装飾表現にみることができるという。

ここでのルジャンドルの言説を強引にまとめてしまうと,「ドグマ」は,「公理,原理,決定」と「名誉,美化,装飾」のふたつが同時に機能する「真理の言説」として「現れる」(「そう見える」)ものの謂である,ということになる。そして,その典型は「紋章(エンブレム)」だ,と。

ここまで暴力的に剪定をしてしまうと,ようやく,わたしの頭の中に明かりが灯る。少しだけ安心して,そのボルニティウスの装飾表現(紋章学)を探してみる。P.61.の図版2がそれだ。この図版についてルジャンドルはP.59.で解説を加えている。しかし,この解説を理解するには,まだ,わたしにはハードルが高すぎるようだ。そこで,ボルニティウスに付された注をたどっていくと『真理の帝国 産業的ドグマ空間入門』(ピエール・ルジャンドル著,西谷修/橋本一径訳,人文書院)を参照せよ,とある。

急いで探してみると,このテクストのP.59.に以下のような言説がでてくる。少し長いが,とても重要なヒントを与えてくれると思われるので,引いておこう。

──あらゆるドグマ的なものは,人間と絶対的な知との関係を表明し,ことば(パロール)の社会的な由来となる審級──それを大文字の<他者>と呼ぼう──に,神話的な確かさを与える。社会システムはどれもこの問題に苦心している。手短に言えば,知っている「それ」のいる空間──そこでなら「それ」が絶対に知っている空間──の制定なしには,人間というものは組織されえない(わたしはたとえばナショナリズムによって統率されるような大規模な装置のことを言っている)。ボルニティウス(17世紀)の挿絵について考えてみよう(図版1)。神の糸が君主の心をつなぎ,翼(おそらくそれは自ずから蘇生する神話上の鳥フェニックスの翼である)をもったその心は,無限に再生する権力の心である。それはエンブレム的かつ叙情的に表現された,政治的位相学のみごとな実例であり,大文字の<他者>の審級への人間的準拠の傑作をそこに見て取れるだろう。人体を詩的に参照することでこの審級に人間的な確かさを与えているドグマ的な作用にも,同様に注目しておこう。(※図版1とあるのは図版3の間違いか?)

この図版の下の部分には,Der Menschen hertz in Gottes handt, Wo Er hin wil, dahin ers wandt. という中世ドイツ語を読み取ることができる。意訳しておくと「人間のこころは神の手中にある。だから神は,それを意のままに操る」となる。

ルジャンドルのいう「ドグマ的なもの」の説明に圧倒されつつも,その言説とエンブレムの解説とが共振・共鳴していて,わたしにはストンと腑に落ちるものがあった。なるほど,エンブレムが「ドグマ的なもの」の典型的なサンプルである,と。

最後にもうひとつ,ルジャンドルの文章を引用してこの稿を終わることにしよう。さきの引用の流れの末尾(P.63.)のパラグラフである。

──ドグマ的なものを位置づけ,無意識の繊細な論理(大げさな精神分析理論家により時々表明され,そのときには言説の外に放り出される論理)に立ち向かう困難を和らげるために,ボルニティウスが音楽を定義して述べたエンブレム的形式〔無限から作られた有限〕や,近いところではJ.アルバースの以下の言葉を紹介しておこう。「科学では一足す一はいつも二だが,芸術では三にもそれ以上にもなる」。ドグマという問題設定に向いているのはこの芸術の数学のほうである。

※図版についてはのちほど転載の予定。とりあえず,文章のみをさきに。




ピエール・ルジャンドルの「ドグマ的なもの」について・その3.「法」と「ドグマ性」とスポーツの「ルール」について。

ここまで外堀を埋める作業をしたからには,つぎは本丸攻めにとりかかるべきだろう。
そこで,まずは,ルジャンドル自身が「ドグマ性」(=「ドグマ的なもの」)について,どのように述べているのか,確認しておこう。

なにはともあれ,ルジャンドル自身の言説を引用しておこう。典拠は,『ドグマ人類学総説 西洋のドグマ的諸問題』(ピエール・ルジャンドル著,西谷修監訳,嘉戸一将/佐々木中/橋本一径/森元庸介訳,平凡社,2003年)である。その冒頭部分のP.30.に「1.用語解説(ドグマ性,コミュニケーション/現代のヘルメス)」という章があり,ルジャンドルはこの三つの用語について丁寧に解説を試みている。それによれば,

「ドグマ性」という用語は近代性と両立しないとみなされて追放され,ときどきヨーロッパのテクスト群の宗教的遺稿や,言説の全体主義的構築物の特徴を示すのに用いられるだけである。長いあいだ互いに入り組み合ってきた多様な諸学(自然科学,医学,法学,神学)にまたがって「法(loi)」の概念が出現したことに関して,この「ドグマ性」という用語のもっていた豊かさは,20世紀にいたるまで無視されてきた。それでも現代の傾向は,ドグマ学がある不分明で稠密な現象を包含するものだということ,つまりは人間的コミュニケーションにおいて,ことばの機能に関わり,また<理性>と<非-理性>の分かれ目に関わる現象を包含するものだということを,暗黙のうちに認めている。(P.30.)

とある。これによれば,「法(loi)」の概念が出現したあと,「ドグマ性」という用語がもつ豊かさは長い間,無視されてきたという。しかし,それでもなお,ドグマ学が「不分明で稠密な現象を包含するもの」であるということ,そして,とりわけ,「<理性>と<非-理性>の分かれ目に関わる現象を包含するものである」ということは,暗黙のうちに認められている,とルジャンドルはいう。つまり,現代にあっても「ドグマ学」を全否定することはできないのだ,と。

この指摘は,これからわたしたちが「ドグマ的なもの」を考えていく上で,きわめて重要な意味をもつ,とわたしは受け止めている。なぜなら,「法(loi)」の概念が出現することの必然性を,いつ,だれが,どのようにして要請したのか,ということと深く関わっていると考えるからだ。つまり,「法(loi)」の概念が出現するまでは,「ドグマ的なもの」が一定の意味をもって機能していたのに,それが抑圧・排除・隠蔽されていくことになる。では,その「理由」「原因」「根拠」(reason)はいったいなんだったのか,という問いが「ドグマ人類学」の出発点となっている。だから,このみずからの問いに応答していくことがルジャンドルの最大のテーマであり,「ドグマ人類学」を定礎する上での前提条件でもあった。この点については,追って,明らかにしていくことにしよう。

「ドグマ的なるもの」が,「<理性>と<非-理性>の分かれ目に関わる現象を包含するものである」という指摘は,じつは,わたしの考えている「スポーツ」および「スポーツ的なるもの」を考えていく上での要となる部分とぴったりと重なっている。もっと言ってしまえば,人間が生きる営みそのものが,「<理性>と<非-理性>の分かれ目に関わる現象」そのものではないか,とわたしは考えているからだ。そして,「スポーツ」や「スポーツ的なるもの」もまた,人間の営みであるかぎり,「<理性>と<非-理性>の分かれ目に関わる現象」以外のなにものでもない。

さらにもうひとこと。ルジャンドルのいう「法(loi)」は,スポーツでいえば「ルール」に相当する。バナキュラーなスポーツ(あるいは,スポーツ的なるもの)には,ルールは不要であった。しかし,都市が形成され,出自のことなる人びとが集まる「場」にあっては,ルールなしにはスポーツ(あるいは,スポーツ的なるもの)は成立しなくなる。そのとき,スポーツはどのような変容を余儀なくされることになったのか,また,人びとの生き方や考え方にいかなる影響を及ぼすことになったのか,という新たな問いが生まれてくる。

あえて指摘しておけば,わたしの構想する「スポートロジイ」(Sportology=「スポーツ学」)を成立させる根拠のひとつもまた,ここにあると考えている。つまり,「スポーツ科学」を超克するための最大の根拠が,「ドグマ的なもの」をどのように定置するか,ということにかかっていると考えるからである。わたしは,いま,「スポートロジイ」をはじめるにあたって,喜びに震えている。

今回はここまで。次回は「ドグマ」の語源をルジャンドルがどのように説明しているか,そのあたりのことをさぐることにしよう。

2012年6月12日火曜日

ピエール・ルジャンドルの「ドグマ的なもの」について。その2.「身体」と「ことば」の結節点となる「ドグマ」。

前回のブログのつづき。

そこで引用した西谷修の文章の前段には,つぎのような重要な指摘がなされている。まずは,それを引いて,そこからはじめよう。

・・・・「ドグマ人類学」とは,一言で言えば,人間を「話す種」として捉え,その「種」の再生産を「ドグマ的なもの」を軸に研究する学問だということになろうか。「人類学」と言うからには,「人間」のさまざまなヴァリエーションが考えられているわけだが,その差異をこの学問は「ドグマ的」構成によるものと考える。また,「話す種の再生産」という問題設定には,人間が生物学的次元(身体)と言語的ないしは象徴的次元(ことばとイメージ)に相渉るものであることが想定されており,同時に個々の人間の主体化と社会性とが世代的に引き継がれてゆくということが想定されている。そして,その双方の結節を支えているのが,さまざまなレベルでの制度性であり規範システムなのだが,その中核を支えているのが「ドグマ的なもの」だということである。

この文章にじっと眼をこらしてみる。
すると,キーとなるフレーズがいくつか浮かび上がってくる。それらを列挙してみると,
1.人間を「話す種」として捉える
2.生物学的次元(身体)
3.言語的ないしは象徴的次元(ことばとイメージ)
4.人間の主体化と社会性とが世代的に引き継がれてゆく
5.その双方の結節を支えているのが制度性であり規範システム
6.その中核を支えているのが「ドグマ的なもの」

まず,1.人間を「話す種」として捉える,とはどういうことか。人間を自然界に生きている生物のうちの特別な存在として考えるのではなくて,人間を,たまたま「ことば」という能力を獲得した生物のなかのひとつの「種」だと捉える,というのである。ここから人間についての思考を出発させるということだ。「ことばを話す種」,これがルジャンドルによる人間の定義だ。

そして,しかも,その人間は2.と3.とを同時に抱え込んだ存在である,とルジャンドルは捉える。すなわち,人間は,「身体」と「ことば/イメージ」のふたつを同時に生きる存在なのだ,という。別のいい方をすれば「生物的次元」と「言語的/象徴的次元」のふたつの次元を同時に生きる存在だということになる。

ここで,バタイユの表現を借りれば,「動物性」と「人間性」のふたつを同時に生きる存在,それが人間だということになる。そして,「動物性」から「人間性」へと<横滑り>しながら,「ことば」を獲得し,「道具」をわがものとする。そして,そのときの原動力となったのは「有用性」だと考えられている。このようにして,人間はどれほど進化したにしても,内に抱え込んだ「動物性」を抜きにして生きることはできない。だから,人間は,いつも「動物性」(本能)と「人間性」(理性)との葛藤のうちに生きるしかない。その折り合いをどこにみつけるか,ということが大きなテーマとなる。宗教の問題はそことの折り合いのつけ方のひとつだ,と考えられる。

この点は,こんごルジャンドルの「ドグマ的なもの」を議論していく上で重要になってくるので,とりあえずここで指摘しておきたい。

さて,4.の「主体化」と「社会性」という,人間の「生」を考える上でお互いに相矛盾するまことにやっかいな問題と人間は直に対面しなければならない。その双方を結びつけ,ある折り合いをつけるために「制度性」と「規範システム」が重要になってくるというわけである。しかし,これらを成立させるための確たる根拠はどこにもない。けれども,なんらかの方法でそれらの折り合いをつけないことには,人間は生きてはいけない。

その「折り合い」の中核を支えているのが「ドグマ的なもの」なのだ,ということになる。

以上は,あくまでも,わたしの読解にすぎない。もっと別の読み取り方をすることも可能なはずである。それもまた「ドグマ的なもの」ということができようか。だからこそ,「ドグマ的なもの」は重要なのだ。この「ドグマ的なもの」を排除しようとする「力」が,あるときから働きはじめる。この「力」が,いつ,どこで,だれによって構築されるようになるのか,ルジャンドルはそこから説きはじめる。「ドグマ人類学」の誕生である。

とりあえず,今日のところはここまで。

ピエール・ルジャンドルの「ドグマ的なもの」について・その1.「ドグマ」なしには人間は生きてはいけない。。

「ドグマ」という日本語の語釈が「独断」とか「独断的な説・意見」として,あまりに広くゆきわたってしまったがために,本来の意味である宗教的な「教義」「教条」がないがしろにされてしまっている。そのため,「ドグマ人類学」などと聞くと,少なくともアカデミックな学問領域としてはなじまないし,拒絶反応さえ起こしてしまいかねない。

しかし,英和辞典で,dogma を引いてみると,まず最初に,〔教会が下す〕教義,教理,とでてくる。つづいて〔集合的に〕教条,信条,定説,定則,とある。そして,二番目に,独断(的な意見・主張・信念),とある。

ここで気づくことは,前近代までは,dogma といえば間違いなく教会が下す「教義」「教理」であったはずである。しかし,近代に入って科学的合理主義,あるいは,科学的実証主義が台頭するにしたがって,科学的に証明のできないものとして宗教的な「教義」「教理」が軽視されるようになり,やがてはつぎつぎに抑圧・排除されていくことになる。そして,ついにはニーチェをして「神は死んだ」と言わしめることになる。

わたしたちは「神は死んだ」あとの時代を生きている。つまり,dogma とは科学的に実証できない「迷信」「呪術」「おまじない」の類として片づけられてしまったあとの時代を,わたしたちは生きているということだ。だから,気づいたときには  dogma は「独断」とか「偏見」の意味しか持ち合わせてはいなかった。

その  dogma を冠にした「ドグマ人類学」という名称を聞いて,最初から拒否反応を示すのも,不思議ではない。しかし,この拒否反応もまた,立派な  dogma なのだ。思い込み,偏った知識による拒否反応。あるいは,科学主義や経済的合理主義による拒否反応。もう一度,ことばの原義に立ち返って考えてみれば, dogma とは,それぞれの時代の醸しだす歴史的根拠の上に立つしっかりとした意味をもっていることに気づく。しかも,それは時代や社会とともに,つねに揺れ動いている。

このことをまずは確認しておこう。
そうすれば,あとは,かなり自由に議論を展開しても大丈夫だろう。

ところで,わたしたちは,なんとドグマティックに生きていることだろう。いや,それどころか,ドグマティックでなくては生きてはいけない,そういう「生きもの」なのだ,ということを知るべきであろう。わたしには以前からそんな感覚がずっとあった。重大な決心ほど「エイヤッ!」という,根拠のないところで行うことが多かった。ようするに,ドグマ的に。

こういう「ドグマ的なもの」の出現の根拠はどこにあるのだろうか。どうして,「ドグマ」に依拠しなくてはならないのだろうか。このあたりのことを少し考えてみよう。

たとえば,こうだ。
立っている木をみて,木と呼ぶのは日本語で暮らしている人たちだけだ。英語圏で暮らしている人たちは,tree(ツリー)と呼ぶ。ドイツ語圏では,Baum(バウム)という。つまり,言語によって,木の名称はみんな違う。日本語で木を木と呼ぶ根拠はどこにもない,ということだ。同じように,tree や Baumでなくてはいけない根拠もどこにもない。それらは単なる名付け(一方的な「暴力」,「エイヤッ!」の世界)の約束ごとであり,その約束ごとを共有する人びとが存在するかぎりにおいて成立しているにすぎない。すなわち,dogma=ドグマ。

ここからはじまって,わたしたち人間は生きていくための約束ごととして,たくさんのドグマを生み出してきた。そして,そのドグマに支えられるようにして人間の「生」は成立している。宗教もまた,その必要に応じて,それぞれの土地に固有のドグマを生み出し,それを信ずる人の「生」を支えてきた。仏教もイスラム教もユダヤ教もキリスト教も,みんなその根は同じだ。

しかし,キリスト教だけは,これらの宗教とはいささか異なる道を歩むことになった,とルジャンドルは主張する。この議論はルジャンドルの提唱する「ドグマ人類学」の根幹をなす,きわめて重要な議論なので,ここでは割愛する。とても,一筋縄では済まされない,きわめて重要な議論なので,また,いつか別のかたちで取り上げることにしたい。

ここでは,「ドグマ的なるもの」の核心に触れる西谷修の言説を紹介しておくことにする。

・・・・ここで言う「ドグマ的なもの」とは,ことばで生存を組織する人間という「種」が,言語やイメージを通して自己と世界との関係を組織する際,規範的に働くそのような象徴的システムに個々の主体を定位する仕組みのことである。端的に言えばそれは,言語とそれによるコミュニケーションを可能にする機制であり,この生き物の社会化を可能にする規範システムを支えるメカニズムに関わるものである。さらに言うなら,言語なき世界に言語を重ね,そのスクリーンを通して生きる「人間」なるものを可能にするからくり,生存の無根拠性を人間的な根拠へと転じ,人間を依拠すべき「理性」へと導く(「狂気」から救い出す)力業を演じるものの謂である。(『真理の帝国 産業的ドグマ空間入門』ピエール・ルジャンドル,西谷修/橋本一径訳,人文書院,2006年,P.3.)

この手の文章に慣れていない人たちにとってはいささか難解であるかも知れないが,熟読玩味していただければ幸いである。深い内容が凝縮されているので,何回も読み返すうちに,おのずから意とするところが伝わってくる。

この引用の前段に,きわめて重要な指摘を西谷修さんがしているので,次回はここを取り上げて考えてみたい。

とりあえず,今日のところはここまで。

2012年6月11日月曜日

いま,なぜ,「ドグマ人類学」(ピエール・ルジャンドル)なのか。

「ドグマ人類学」なるものを標榜し,西洋的「知」の「ドグマ性」を暴きだして見せ,西洋的規範システムの特性とその限界を問いつづけている異色の思想家・哲学者ピエール・ルジャンドルの思考が,このところにわかに,わたしのこころを打ちはじめている。

その手の内を,最初に明かしておけば,以下のとおりである。
西洋的規範システム,産業的ドグマ空間,西洋的制度,産業システム,テクノサイエンス経済,などといったピエール・ルジャンドルが駆使する独特のタームに眼を奪われてしまって,なかなか「ドグマ人類学」の本質に接近できないでいる人は少なくないだろう。かく申すわたしもそのうちのひとりである。が,あるとき,ここに「近代スポーツ競技」という補助線を引いてみた。曖昧模糊としていたこれらのタームが,一瞬にして,全部「近代スポーツ競技」という写し鏡に照らしだされ,「なるほど」とわたしの中でストンと落ちるものがあった。そうか,近代スポーツ競技という,わたしにとってはもっとも身近な,そして,長い間,その歴史について考えてきた研究対象を,そのまま,「ドグマ人類学」の土俵におろしてみればいい,と。

そして,スポーツ文化こそ,「ドグマ的なるもの」を考える絶好の素材ではないか,と。

たとえば,パナキュラーなスポーツからインダストリアルなスポーツへとみごとに変身してみせたものだけが(つまり,「ルール」(=「法」)によって規範化されることによって近代化を果たしたものだけが)近代スポーツとして,国際社会に進展していくことになった。すなわち,西洋産の近代スポーツ競技である。そして,この近代スポーツ競技は,みごとに西洋的規範システムを体現するものとして威力を発揮し,やがて世界制覇をめざしていくことになる。気がついてみれば,オリンピック・ムーブメントや世界選手権は,いまや西洋的規範システムとして不動の地位を獲得している。すなわち,スポーツによる「普遍」の実現である。

しかしながら,スポーツにとっての「ルール」とはなにか。「ルール」がどのようにして成立してきたか。「ルール」はアスリートにとってなにを意味しているのか。ルジャンドルのような視点と方法を駆使して細部にまで分け入っていったとき,そこになにが現れるのであろうか。おそらく,間違いなく,ルジャンドルのいう「ドグマ的なるもの」に突き当たるはずである。

1000分の1秒まで計測して,勝敗を決するとはどういうことを意味しているのか。ハイ・テクノロジーを駆使した体操競技の行く末は?などなど。

まだ,ラフスケッチの段階ではあるが,その細部についてさまざまに思いを巡らすとき,ルジャンドルの「ドグマ人類学」の手法を用いることによって,ようやく,「3・11」後の,すなわち,後近代のスポーツ文化の展望がえられるようになるのではないか,とわたしは考えている。

そのためには,まずは,ルジャンドルのテクストをしっかりと読み解くことが先決である。
今週の土曜日(6月16日)に開催される第62回「ISC・21」6月東京例会(青山学院大学)での,橋本一径さんのお話が楽しみである。(開催要領など詳細については,6月2日のブログを参照のこと)

イタリア・ボローニャの友人から地震情報。歴史的建造物の被害が大きいと。

 5月下旬に大きな地震に見舞われたイタリアでどうしているかなぁ,と心配していたイタリア・ボローニャの友人から手紙がとどく。日本の地震を気遣いながら,イタリアもあちこちで大きな被害がでていることをつづった手紙だ。とても忙しくしているので,と断りながらも簡潔に情報を伝えてくれた。

 みんな元気にしているし,住んでいる家は大丈夫だったので,ご安心を,とある。そして,7月末には,ポーイフレンドと一緒に日本に行く,とも書いてある。この友人は,じつは,わたしの娘の友だち。何回も日本にやってきて,沖縄にいる娘とは別個に会っているうちに,わたしたちとも友人となった。2003年には,イタリアの彼女の家を起点にして,別荘や親戚の家を尋ねながら,われわれ家族と一緒に,一週間の旅の計画を立て,案内をしてくれた。だから,もう,すっかりみんな家族ぐるみの友だちのつもり。

 この彼女は,ベネツィア大学の日本語学科の卒業なので,日本語はなんの不自由もない。卒論で,日本の戦争文学について書くことになり,その資料集めに少しだけ協力してあげたことがある。とても賢い理性的な女性なので,つい夢中になって日本人でもあまり通用しない話をしてしまうことがある。だから,彼女は,ときどき難しい日本語につまると,英語とドイツ語を交えた会話になる。お互いに外国語になるので,この方が盛り上がることもある。娘と同じ歳なので,彼女たちはもっと仲良くしている。

 さて,その彼女(ミケーラ)が,彼女の職場のあるボローニャと,実家のあるモデナ(ボローニャの北,列車で20分ほど,ここも古い都市で,歴史的建造物が多い)の地震被害の様子を伝えてくれた。日本のメディアも大きく報道していたので記憶している人も多いと思う。5月20日と29日に,大きな揺れがあったのだが,その前後にも小さな地震は頻発していたという。

 イタリアといえば,ピサの斜塔が有名だが,それと同じような傾いた塔はどこにでも見られる。地盤の柔らかいヴェネツィアには,傾いた教会の塔がここかしこに見られる。一度,数えてみたことがあるが,途中でやめてしまった。それほど沢山ある。

 ボローニャもまた古い大学都市として有名だが,町の中心部(古都)は,これで大丈夫かと不安になるような傾いた歴史的建造物がたくさんある。旧市街のど真ん中には,傾いた塔があり,しかも有料で登らせてくれる。傾いた螺旋階段を登っていく。なんだか,荒川修作の「太陽の塔」で経験したような身体感覚になる。しかし,この塔の上からの見晴らしは抜群にいい。なるほど,これがボローニャの旧市街かと,一望のもとにある。

 ミケーラの実家のあるモデナも,旧市街はボローニャほど大きくはないが,古い町並みがそのまま温存され,使われている。一種独特の雰囲気があって,わたしの気持としては,モデナの旧市街の方が落ち着けた。時の流れが違う。そう,タイムスリップして,イタリアの中世の世界に飛び込んだように気分がする。ここで,のんびりと過ごしたときのことを思い出している。

 しかし,これらの歴史的建造物の多くが,相当にひどい被害にあったようだ。石を積み上げただけの建物で,しかも,古いから傾いている。それを地震で揺すられたのだから,たまったものではない。その石がボロボロと崩れ落ちてしまったらしい。修復には相当の時間がかかるだろう,と書かれている。

 ウィーンでもそうだったが,教会を中心とした旧市街をとても大事にしていて,第二次世界大戦の爆撃で相当にダメージを受けたにもかかわらず,市民が立ち上がって修復している。つまり,新しい都市に作り替えるようなことはしないで,もとのままの状態に修復するのである。石造建築物だからこそ可能だともいえるのだが,それにしても歴史的建造物に対するつよい思い入れのようなものが伝わってくる。

 7月末には,ボーイフレンドとふたりでミケーラは日本にやってくる。そして,ボーイフレンドに日本の美しい景色をみせてやりたいのだ,とミケーラはいう。彼女の好きな町は京都と奈良。こんどは,わたしたちが道案内をしなくては・・・・と思っている。できることなら,観光案内書(外国語版)には載っていないような,日本のよさを教えてあげたいと思う。沖縄にも行くのだろうなぁ。これから詰めをしなくては・・・・。

2012年6月10日日曜日

運勢の不思議な波が押し寄せてきて・・・・・今回はいいことばかり。

 わたしの友人に,おみくじを引くのが大好きという人がいて,そのかれは神社にいくことがあると必ずおみくじを引く。そして,不思議なことに,みごとに「大吉」ばかり引くという。はずれることは滅多にない,と。その友人は,人の運勢にも関心があるらしく,わたしのことしの運勢を占ってくれた。

 それによると,前半は大した変化はないけれども,後半に入るとしだいによくなり,とてもいい波が押し寄せてくるそうな。わたし自身はそんなに占いにこだわる性格ではないが,でも,いい運勢だといわれれば嬉しいし,悪い運勢だといわれれば気をつけるようにしている。だから,半信半疑ながら,へぇー,徐々によくなるかぁ,それはいいことだと楽しみにしていた。

 このこととは別に,わたしには変な気の流れのようなものがある,というぼんやりとした自覚がむかしからある。たとえば,最近では,滅多に電話がかかってくることはなくなったのに,一度,かかってくると立て続けにあちこちから電話がかかってくる。だから,夕刻に電話が入ってくると,あっ,今日は電話の特異日だ,と覚悟する。すると,面白いほどに電話がかかってくる。滅多に電話などくれたこともない人からもかかってくる。場合によっては国際電話まで入ってくることがある。こうなると,ちょっと緊張してしまう。なにか悪いことが起きなければいいが・・・・と。

 このところ,わたし個人としては昨年の後半くらいから,あまりよくないことがつづいていた。そういうときは,じっと耐えるのみ。耐えることは意外に得意でもある。じっとおとなしくして,海路の日和を待つ。こちらからはなにも仕掛けることはしないで,ただひたすら待つ。これを,わたしは「三男坊的性格」と名付けている。子どものころは上のふたりの兄たちからいじめられても,なんの抵抗もできない。たとえ反抗して,逆らってみたところでなにもいいことはない。だから,どんなにいじめられてもじっと我慢の子であった。それがいつのまにかわたしの体質となり,性格となって身についてしまった。だから,これが自然なのである。

 そのあまりよくない流れが,ことしの前半もつづいていた。
 そこからなんとかして抜け出そうとあの手この手でいろいろ努力もしてきた。が,なかなかその突破口がみつからない。どうにもならない我慢の日が長くつづいていた。が,ようやくその夜の闇に明かりがさしてきた。

 そのひとつが,6月1日にようやく刊行となった『スポートロジイ』である。みやび出版の伊藤さんに応援してもらって,ようやく長いトンネルから抜け出すことができた。しかも,それから一週間の間に,驚くべき幸運がつぎつぎにやってきた。ひとつひとつ書きつらねるのもなんとなく照れくさいのでやめておくが,ここ数年,まったくオファーがなかったところからつぎつぎにやってきた。単行本企画,テレビ出演,新聞社の取材,外国でのシンポジウム,めずらしいところでの講演依頼,学会企画のシンポジウム,などなど。これらが一週間の間にやってきた。こんなことはありえない,なんとも不思議な気分である。

 そのあと,それらのオファーをしてくれた担当者と,連日のように打ち合わせの日がつづいている。いまも,そのつづきで日々,出歩いている。それぞれまったく世界の違う人たちなので,わたしには刺激が多く,とてもいい勉強になった。そして,みんないい人たちばかりだったので,友だちにもなってもらった。その結果がどのようになっていくかは,まだ,未知数の部分も多い。しかし,夢と希望が湧き,一気に元気がでてきた。

 さあ,これからことしの後半に向けて,どういう展開が待っているのだろうか。楽しみだ。
 でも,好事,魔多し。これまで以上に慎重に取り組まなくては・・・と自戒しつつ。

 チャンスの神様は,頭の前に毛が3本しか生えていなくて,頭の後ろの方は禿げてツルツルになっているという。だから,チャンスの神様がやってきたら,素早く頭の前の毛をつかまなくてはいけない。スレ違ってしまってから気づいて,後ろから追いかけても,つかむ毛がないので,滑ってしまって,チャンスの神様をつかむことはできない。と,子どものころに教えられたことがある。

 だから,向こうからふらりとやってくる新しい仕事は断ってはいけない,とも教えられた。それは偶然ではないのだ,とも。

 今回はこの教訓どおりにわが身をまかせ,動いている。そして,この不思議な波に逆らうことなく,そのまま身をまかせようとも思っている。しかも,その開運のきっかけをつくったのは,どうやら『スポートロジイ』の刊行らしい。この神様が,これからどんなはたらきをしてくれるのか,それもまた楽しみのひとつ。

 自己が自己を超えでて,自己ではなくなる経験を積み重ねること。これが生きるということの内実ではないか,とわたしは考えている。

2012年6月9日土曜日

「大飯原発再稼働」。ノンダ君,いや,ドジョウ君! 君の「理性」は狂っている。

日々のストレスのために酒を呑みすぎたのか,それとも永田町界隈の原子力ムラの田んぼの泥沼にもぐりすぎたのか,ノンダ君,いや,ドジョウ君! 君の「理性」は狂っている。

たった15%の節電がなぜできぬ。しかも,夏場のピーク時だけの話だ。ほんのいっとき,気持を引き締めて,我慢すればいいだけのことだ。その気になれば,すぐにできることではないか。原発の危険性を犯すリスクを避けるためならば,15%の節電なんてなんでもない。

「計画停電」などという脅し文句に怯えた振りをして,ひたすら「原発再稼働ありき」でことを進めようとしているだけの話ではないか。ノンダ君,いや,ドジョウ君! 演技が下手すぎる。もう少し上手に芝居ができると思っていたのに・・・・。

昨夜のテレビに映し出された君のアップの顔は,大きさだけはどの役者にも負けないが,肝心要の眼が泳いでしまっている。役者の命は「眼」だ。眼力だ。その眼がおどおどしていては演説になんの迫力もない。もちろん,説得力もない。ただ,棒読みのような言説を連ねるだけだ。演説の名手が泣いている。内容になんの論理性もない「ひとりごと」は,たんなる儀式でしかない。「おれは意思表示をした」という・・・・。

それは,だれのための「意思表示」だったのか。それはひたすら原子力ムラの住人たちのご機嫌をうかがうためのものでしかなかった。国民の存在は虫(無視に)されたのだ。政権維持のためには,原子力ムラの住人の顔色の方が大事なのだ。国民などは,なんとでも誤魔化すことができる,と確信しているようだ。要するに,わたしたち国民は舐められているのだ。

しかし,そうは問屋が卸さない。「3・11」後の国民の意識がどれほどおおきく変化しつつあるか,政治家はもっと敏感になるべし。この1年3カ月,日本の国家の屋台骨がいかに脆弱なものでしかなかったのか,ということに国民の多くが唖然とさせられたのだ。連日,くる日もくる日も,驚くべき情報がつぎつぎに明るみに出されつづけた。その状態は,いまもつづいている。その最たるものが,昨日のノンダ君,いや,ドジョウ君! 君の記者会見だ。

わたしはテレビに向かって吼えつづけていた。腹の底から怒りを露わにして。大声で。バカかお前は! 許しがたい暴挙だ! いったいなにを考えてんだっ! と。

残ったのはむなしさだけ。なんとはかないことか。
でも,このまま黙っているわけにはいかない。
いよいよ,これからだ。
もう,これ以上,ノンダ君,いや,ドジョウ君! この国を君に任せておくわけにはいかない。
やること,なすこと,デタラメではないか。

いま,わたしたちの「理性」は狂っている。そのことに気づいていないのだ。ノンダ君,いや,ドジョウ君! 君の「理性」だけが狂っているのではない。原子力ムラの住人を筆頭に,大なり小なり,みんな「理性」が狂いはじめているのだ。だから,原子力ムラの住人が安穏としてこれまで権力を欲しいままにすることができたのであり,国民もまたそれを許してしまったのだ。

原発はその最たる象徴だ。サイエンスのための「理性」の素晴らしさを証明し,世界の最先端のテクノロジーを見せつけ,その恩恵を受けて経済発展をめざす,これが人びとに幸せをもたらすのだ,と。人びとはこの,みごとなまでの「神話」に騙されつづけてきた。すべてが「理性」的に語られてきたからだ。

しかし,その「理性」には,人の命というもっとも大事なものを考える視野を欠いていた。命のことをそっちのけにしたまま,サイエンスやテクノロジーや経済のための「理性」だけが,最大限に発揮された。その結果が,こんにちのわたしたちの姿だ。

もう一度,命を視野に入れた,「生きもの」としての人間のための「理性」を取り戻さなくてはならない。そこから仕切り直しをするしか,方法はない。

一旦,狂ってしまった「理性」を立ち直らせる方法は,それしかない。
原発を再稼働させるかどうかは,この一点が問われているのだ。

狂ったままの「理性」でいいのなら,原発を再稼働させればいい。しかし,そこは,もはや,「生きもの」としての人間の生きる世界ではない。人間のかたちをした「理性」的ロボットが棲息する世界なのだ。

「生きもの」としての人間の世界を確保したいのであれば,まずは,15%の節電からはじめるしかないのだ。

わたしは,さきほどから「です・ます」調でもない,「である」調でもない,徹底した「のだ」調のセンテンスを連発している。

ノンダ君,いや,ドジョウ君,そこのところをわかって欲しい「のだ」。

2012年6月8日金曜日

友あり,遠方より来たりぬ。上海大学教授陸小聰さん。

 陸小聰(ロ・シャオソン)さんのこと。

 三日前,わたしの携帯に電話が入った。携帯の表示は「公衆電話」。原則として,携帯に登録されていない人の電話にはでないことにしている。どうしても必要があれば,留守電に記録が残されるはず。それを確認してから,こちらから電話を入れる。ところが,ほとんどの場合は留守電も入ってはいない。

 「公衆電話」。この文字を睨みながら,どうしたものか,と瞬時,考える。が,なにか虫の知らせのようなものがあった。電話にでてみる。「先生,お久しぶりです」と言って,しばらく間がある。「あれっ?」どこかで聞いた声ではある。しかし,思い出せない。しかも,「公衆電話」から携帯への電話である。なにか急用のようにも思える。なにか助けを求めているのかな?と考える。しかし,そのあとのことばは「わたしはだれでしょう?」そういって笑っている。

 こういう方法は茶目っ気のある韓国からの留学生がよくやる手である。しかし,韓国なまりの日本語ではない。しかも,韓国の人は,みんな携帯をもっていて,そこから電話をしてくる。「公衆電話」だ。またまた,考える。「申し訳ない。声にはなじみがあるが,思い出せない」とわたし。「そのむかし,先生の教え子にロ・シャオソンという人がいませんでしたか」「アーッ」と大声のわたし。

 日本での生活が長かった陸(ロ)さんだから,日本語が上手なのはよくわかるが,それにしても日本を離れてから長い時間が経過している。にもかかわらず,かれの日本語は衰えていない。多くの中国の留学生は,みごとな日本語をマスターするのだが,中国に帰るとこれまた不思議なくらいに中国なまりの日本語になってしまう。が,陸さんの日本語はたしかなままだ。だから,まんまとかれの術中にはまってしまった。電話をとおして,二人で大笑い。

 中国に帰ってからも苦労の多かったかれだが,数年前から上海大学社会学部の教授のボストを得て,いまでは生涯スポーツに関する全国組織の中枢部での仕事もこなしている。いまや,中国にあっては必要不可欠の人材である。

 その陸さんと,昨夜(7日),渋谷で会って旧交を温めた。話す声が大きくなっている。自信の表れだ。仕事が充実している証拠だ。上海大学教授になったばかりのころに逢ったときには,声が小さかった。どうしたの?と聞いてみると,まだなんとなく中国の生活になじめない,という。いわゆる,逆カルチャー・ショックというやつだ。日本の生活があまりに長くなると,すっかり日本人になってしまっている。だから,こんどは中国人にもどるのに時間がかかる。なにかがぎくしゃくしていて,落ち着かないという。

 おまけに,同僚の社会学者たちとの議論にも負けてしまう,という。わたしは,中国の社会学者はジョルジュ・バタイユのことはあまり知らないはずだから,そこを起点にして論陣を張ればいい,と助言。かれが院生だったころには,すでに,ジョルジュ・バタイユをテクストにしてゼミをやっていたはず。もし,そうでなくても,研究会ではバタイユの話をわたしは繰り返ししていたはず。そして,アカデミズムの王道とはやや異なる視点を導入することが,新しい研究を切り開いていく上で大事なのだ,とかれに言った覚えがある。そのときの印象では「ああ,そうか」という納得の仕方をしてくれたように思う。

 いずれにしても,頭のいい男である。納得すれば,あとは早い。どんどん,自分の道を突き進んだはずである。その結果が,大きな声と大きな身振りの話の仕方となって,いま目の前で表出している。わたしが話に割って入るのがたいへんなほどである。「完璧なる中国人になったね」とわたし。「これでないと中国ではやってはいかれないので」と言ったあとすぐに,「済みません,ここは日本でした」と笑う。

 それからあとは,中国社会の不思議な成り立ち(バランス感覚)について,かなり立ち入った話をしてくれた。中国についての情報が少ないわたしにはとても勉強になった。あれこれ質問をし,その応答を聞いているうちに,日本だって東京電力がこれほどまでに政界を牛耳り,財界はもとより,官僚や学界までも支配し,しかも,マスメディアとも癒着していたという事実が明るみにでてきて,びっくり仰天している,とわたし。アメリカなどは,財界と政界は一心同体だから,人材だって,その間を行ったり来たりしている。でも,こういう時代もそろそろ終わりだね,そして,どこに,どのように突破口を見出していくか,これがこんごの大きな課題だね,というところで二人の意見は一致。

 あまりお酒の強くない陸さんではあるが,話に熱が入るとお酒の量もけっこう進む。その勢いに乗じて(お互いに),ことしの8月末に上海大学でシンポジウムをやりましょう,という話になった。「よし,やろう」とわたし。

 一夜明けたいまごろになって,あんな約束をしてしまったが,大丈夫だろうかと不安になる。まあ,その場の勢いというものは大事だ。やれるところまでやるしかない,といまは覚悟を決める。ひたすら前に進むのみ,と。これから,二人の交流がもっともっと深まればいいなぁ,と楽しみではある。

 帰り際に『スボートロジイ』を渡す。すると,ただちに,第2号には原稿を書きたい,という。では,ことしの12月末までに原稿を書いて送ってください,と依頼。即答でOK。できる話というものはこんなものだ。できない話はいくら努力しても不成立。

 友あり,遠方より来たりぬ。また,愉しからずや。
 こういう人生を大事にしたい。一期一会。

2012年6月7日木曜日

ジョルジュ・バタイユとピエール・ルジャンドルの関係について。

 ジョルジュ・バタイユもピエール・ルジャンドルも,よく知られるようにいわゆる異端の思想家であり,哲学者です。ですから,これまで,アカデミズムの世界ではあまり触れたくない人物,いわゆる忌避される人物のなかに入れられてきたように思います。

 しかし,何年か前,ジョルジュ・バタイユに注目が集まるようになったころ,西谷修さんが「やっと時代がバタイユに追いついてきた」という表現をされたことがあります。そして,また,ことしのフランス文学会ではジョルジュ・バタイユをとりあげてシンポジウムを開催しています(西谷さんのブログによると若い研究者たちが中心になって企画したようです)。えっ,と驚くような豪華なシンポジストをならべて議論がなされたようです。もちろん,その中のひとりに西谷さんが加わっています。

 わたしは,かなり前から,西谷さんをとおしてジョルジュ・バタイユに関心をもちつづけてきました。そして,最近では『宗教の理論』で語っているバタイユの言説に注目して,これをスポーツ史・スポーツ文化論という立場から読み解くとどういうことになるのだろうかと考えてみました。その一端は,このブログにも書きつらねてきましたし,神戸市外国語大学の学生さんたちを相手に集中講義でもその読解を試みたこともありました。

 それらの論考のいくつかをピック・アップして,こんど創刊した『スポートロジイ』に「研究ノート」として収載させていただきました。題して,「スポーツ学」(Sportology)構築のための思想・哲学的アプローチ──ジョルジュ・バタイユ著『宗教の理論』読解・私論。120ページを超える長いものになってしまいました。が,バタイユのテクストの細部にまで,かなり詳細に分け入って論考を展開してみました。まだ,刊行されたばかりですので,これからどのような反響がかえってくるのか,胸をときめかしながら待っているところです。

 そういうこともあったものですから,フランス文学会でのシンポジウムのことを知り,わたしの期待どおりに,ふたたびジョルジュ・バタイユの時代がやってきたのではないか,と楽しみにしているところです。しかも,わたしはジョルジュ・バタイユの理論仮説をもとにして,新しい学(Wissenschaft)としての「スポートロジイ」(=「スポーツ学」)を立ち上げよう,という大胆な提言をおこなっています。しかも,「3・11」以後を「後近代」と位置づけ,それ以前までの「近代」の時代精神や理性のあり方を超えでるための理論仮説としてジョルジュ・バタイユの思想を位置づけようと考えています。

 つまり,わたしの考える「後近代」を切り開いていくための理論仮説を,まずは,ジョルジュ・バタイユからはじめようと考えた次第です。

 そして,このつぎはピエール・ルジャンドルに挑戦だ,と考えています。まだ,読み込みが十分にはできていませんので,あまり,偉そうなことは言えませんが,最近,もしかしたら・・・・というような,まったく新しい「知」の地平がみえかくれするようになりました。そして,気づいてみれば,ルジャンドルの著作もすでに大量に翻訳・紹介されています。こんどの16日(土)には,わたしの主催する研究会に,ルジャンドル紹介者のひとりである橋本一径さんにお出でいただき,お話をうかがうことになっています(詳しくは,このブログでも書きましたので,その項を参照ください)。

 「ドグマ人類学」などという,一瞬,わが眼をうたがうような新しい「学」を標榜しているピエール・ルジャンドルに,いちはやく着目し,交流を深めながら日本に紹介したのも西谷修さんでした。いまでは,この西谷さんを囲む若い学徒を中心にして「日本ドグマ人類学協会」を構成し,活動をつづけています。このピエール・ルジャンドルのことを,最初にわたしに教えてくださったのも,もちろん,西谷さんです。

 以後,ジョルジュ・バタイユの読解を試みながら,その一方で,ピエール・ルジャンドルの読解(こちらの方が難解)をつづける日々を送っています。

 この両者の接点について,西谷修さんは,こんどの『スポートロジイ』に収録させてたいだいた合評会(『理性の探求』)のなかで,とてもわかりやすく2点について触れています。でも,そこに至りつく前段があって,それを除いても全部で10ページほどにわたり熱弁をふるっています。わたしが,物知り顔にまとめてしまいますと,たぶん,曲解の誹りを免れませんので,ここでは,ここまでとさせていただきます。詳細な内容については,ぜひ,『スポートロジイ』を繙いてみてください。

冒頭の7~25ページのところがそれに相当します。
タイトルは,以下のとおりです。

スポーツにとって「理性」とは何か
合評会:テクスト:西谷修著『理性の探求』(岩波書店)

この合評会のなかで,ジョルジュ・バタイユとピエール・ルジャンドルの接点についてのお話を「今日のところはここまでにします」と西谷さんは打ち切りにしています。わたしとしては,どうしてもそのつづきをお聞きしたいので,いつか,その機会を設けたいと考えています。

というところで,今日はここまで。

2012年6月5日火曜日

「21世紀スポーツ文化研究所」のHPの掲示板を復活させます。ご利用くださるようお願いします。

 だれでも書き込みができる「掲示板」を,21世紀スポーツ文化研究所(「ISC・21」)のHPの中に設定して,みなさんに親しんでいただいていましたが,あまりにも悪質な書き込みが多くなり,中断していました。その間,管理人の伸ちゃんこと寺島伸一さんに,いろいろ検討してもらっていましたが,いわゆる防止のための決め手がみつからず,苦慮していました。が,こうなったら,こちらも人海戦術で対応することにしようということになりました。

 つまり,大容量の悪質な書き込みがあった場合には,そのつど掲示板のアドレスを変えて,応戦していくという戦略です。とりあえず,もっとも素朴な方法で対応しよう,という次第です。いささか手間のかかることですが,しばらくはこれでやってみようという次第です。

 なによりも,まずは,みなさんに,さまざまな意見や情報を書き込んでもらって,お互いに啓発し合える「場」にしていきたいと考えています。ですので,どうぞ,面白い話題をどんどん書き込んでください。悪意の含まれたもの,意味不明なもの,論旨に著しい乱れがあるもの,などについては,管理人の権限で削除することにしまいす。その点はご理解いただけるものと信じています。

 掲示板の書き込みは,ハンドル・ネームで構いません。が,できれば,管理人にだけは本名がわかるようにメールでも入れておいていただけると助かります。そうすれば,多少,ジョークが常軌を逸していても,削除しないで済むと思います。つまり,管理人の方に書き込んだ人の顔がわかっていれば,それなりに安心ですし,それなりに対応ができる,ということです。

 内容もとくに限定はしません。が,なんらかのメッセージ性のあるものを歓迎します。長くても,短くても,一向に構いません。好きなスタイルで書いてください。ただし,単なる冗長なものは,管理人の判断で対応させていただきます。

 掲示板の復活と同時に,HPのその他のところも手直しをしていきたいと思います。最初に立ち上げたときのまま,ほとんどなにもしてない状態がつづいていますので,もう少し,活性化させてみたい,と。とくに,最新の仕事で,活字になったものは,こちらでもご覧いただけるようにしてみたいと考えています。もっとも,それだけの時間的な余裕が保てるかどうかによりますが・・・・・。とりあえずの努力目標として・・・・。

 最後にひとつ,お願いがあります。
復活させる掲示板は,お気に入り(ブックマーク)に登録していて開けなくなったときは,もう一度,21世紀スポーツ文化研究所のHPから入ってください。悪質な書き込みが入ったときにはアドレスを変更するという作戦ですので,よろしくお願いします。

 それでは,掲示板の件,よろしくお願いいたします。
 取り急ぎ,お知らせまで。

2012年6月4日月曜日

『スポートロジイ』が書店に並びます。そこで「創刊のことば」を紹介。

 昨夜,みやび出版の伊藤さんと『スポートロジイ』創刊の「打ち上げ会」をもちました。そのときのお話では,そろそろ大書店に並びます,とのこと。刷った部数が少ないので,大きな書店に配本するのが精一杯とのこと。どこか,大きな書店を通りかかった折には,ちょっと覗いて手にとってみてください。意外にいい仕上がりになっています。

 と,まずは,宣伝を。
 この本を特別ルートで購入したい方は,わたしにご連絡ください。わたしの手持ちの本をお分けします。方法などについてはご相談。ちょっと,ここに書いてしまうわけにもいきませんので。

 そこで,まずは,この『スポートロジイ』を創刊した意図はなにであったのか。この本の巻頭に掲げました「創刊のことば」をご紹介しておきたいと思います。
以下は,転載です。

創刊のことば

「スポートロジイ」(Sportology=「スポーツ学」)事始め

           「動物は世界の内に水の中に水があるように存在している」(ジョルジュ・バタイユ)

 幼い子どもが遊びに熱中したり,大人でも遊びに忘我没入したりするとき,自他の区別がなくなっている。スポーツもまた,面白くなってくるとわれを忘れて夢中になっている。つまり,自他の垣根が取り払われて,他者と渾然一体となって溶け合ってしまう。これらは,自己を超えでていく経験であり,「生」の全開状態,すなわちエクスターズ(恍惚)そのものである。その経験は,ひたすら「消尽」であり,「贈与」である。
 スポーツ,あるいは,スポーツ的なるものが立ち現れる源泉はここにある,とわれわれは考える。スポーツの中核には,このようなエクスターズ(恍惚)への強い欲望がまずあって,その周縁にさまざまな文化要素が付随して,地域や時代に固有のスポーツ文化を形成してきた,と思われる。だとすれば,スポーツとは「動物性への回帰願望の表出」そのものではないか,ということになる。
 そこで問題になるのは,スポーツを成立させることと理性のはたらきとの関係性であろう。このときの理性とは,人間が動物の世界から<横滑り>して,ヒトから人間になるときに新たに獲得した能力のことである。したがって,理性を人間性と置き換えてもいいだろう。いうなれば,理性(すなわち,人間性)は最初から,動物性を抑圧し,排除・隠蔽する力として働いてきた。しかし,理性がどこまで頑張っても人間の内なる動物性を消し去ることはできない。したがって,「生きもの」としての人間にアプリオリに備わる動物性と人間性とを,どのように折り合いをつけて,その「生」を最大限に発露させるか,という大きなテーマがそこに立ち現れる。
 スポーツは,いうなれば,その両者のはざまで揺れ動く,微妙な文化装置として登場したとも考えられる。だとしたら,「生きもの」としての人間にとってスポーツとはなにか,という根源的な問いがそこから立ち上がることになる。
 しかしながら,現代社会に君臨している「理性」は,いつのまにやら「テクノサイエンス経済」(ピエール・ルジャンドル)なる狂気と化して,「生きもの」としての人間の存在を脅かしはじめている。「3・11」後の原発事故による脅威は,その典型例といってよいだろう。いまこそ「生きもの」としての人間にとっての<理性>をとりもどし(西谷修),人間が生きるとはどういうことなのか,ということに思いを致すべきだろう。
 「21世紀スポーツ文化研究所」もまた,同じ立場に立ち返り,スポーツの側からこの根源的な問題に取り組むことが不可欠であると考えた。そのためには,これまでの体育学やスポーツ科学のパラダイム・シフトが喫緊の課題であると考えた。その結果,スポーツにかかわるあらゆる題材を研究対象とする新たな「学」(Wissenschaft)として,「スポートロジイ」(Sportology=「スポーツ学」)を提唱することにした。
 「生きもの」としての人間にとって「スポーツ」とはなにか。
 すなわち,「3・11」後を生きるわれわれが,スポーツとはなにかを問うことは,まさに「生きもの」としての人間とはなにかを問うことだ。そのための最優先課題は,スポーツにかかわる思想・哲学的なバック・グラウンドを固めることにある。

 われわれの試みはまだその緒についたばかりである。つねに「スポートロジイ」がなにを課題としているかを忘れることなく,一歩ずつその地歩を固めていきたいと考えている。大方の忌憚のないご批判をいただければ幸いである。

 2012年4月30日   ことのほか美しい新緑に眼を細めながら
               21世紀スポーツ文化研究所主幹研究員  稲垣正浩

 以上です。
 いま,読み返してみますと,これまた相当に気合が入っているなぁ,とわれながら感心してしまいます。でも,こういう熱い血が流れないことには,新しいことは始まりません。これから,さまざまな障害が立ち現れることと思いますが,なにがなんでも前進これあるのみと覚悟を決めて進みます。どうか,みなさんのご支援,ご鞭撻をいただけますよう,伏してお願い申しあげます。

 その本が,ひとつの時代の幕開けとしての役割を果たすことができますように,祈りつつ。
 よろしくお願いいたします。

2012年6月3日日曜日

「健全な身体に健全な精神を与え給えと祈るがいい」(ユウェナーリス)・考。

 待望の『ローマ諷刺詩集』(ペルシウス/ユウェナーリス作,国原吉之助訳,岩波文庫)が刊行された。書店で,まずは,問題の箇所を確認してから購入。

 これほど多くの人に膾炙され,まるで俚諺のように馴染んだことばもあるまい。
 しかし,原典ではどのような文脈のなかでこのことばが語られているのか,長い間,アンテナを張っていたがわからなかった。だれもそこまで踏み込む人もいなかったということか。もちろん,ラテン語の読める専門家はとうにご承知だったはず。でも,とりたてて議論されることもなく,こんにちに至っているのだろう。だから,最初の誤訳が質されないまま,孫引きの連鎖がつづき,間違った解釈がこんにちもなお生きている。

 そして,多くの誤解のなかで,あるいは,誤解のままで人びとの記憶にとどまっている。
 かく申すわたしもそのひとりだ。

 「健全なる身体に健全なる精神が宿る」と,まずは教えられた。わたしの学生時代のテクストにはこのように書いてあった。この間違いは,どうやらH.スペンサーの『教育論』の扉に「健全なる身体に健全なる精神が宿る」と書いたことに発端があるらしい(少なくとも,日本では)。やがて,体育やスポーツの歴史を専門に勉強するようになって,もうひとつの解釈をドイツ語文献のなかでみつけた。

 それによると,「健全なる身体に健全なる精神が宿ることが望ましい」とユヴェナリウス(ドイツ語読み)は言った,とある。なるほど,「望ましい」という理想を述べたものだったのか,とそれなりに感動し,納得した。そして,以後,わたしは自分が書く文章には,かならず「宿る」と断定したのではなくて,「望ましい」とユヴェナリウスは言っているのだ,と注釈をつけることにした。しかし,これもまた間違いだった。

 今回,ラテン語の原典からの翻訳が国原吉之助によって実現した。お蔭で,わたしのようなものでも国原訳の「ユウェナーリス」の諷刺詩を読むことができるようになった。喜び勇んで,すぐに書店に走った。しかし,溝の口の書店にくるまでにはいささか時間がかかった。それがようやく手に入った。

 その国原訳の258ページに表題に書いたように「健全な身体に健全な精神を与え給えと祈るがいい」という一文が登場する。わたしはこれを読んで,じつは,ギョッとした。健全なる精神が「宿る」などという文意はどこにも見当たらないではないか。「宿ることが望ましい」とも書いてない。「与え給えと祈るがいい」とある。

 いったい,だれが,だれに,なんのために「与え給えと祈る」必要があるのか。

 詳しく書くと長くなるので,ごく簡単に要点だけを書いておこう。
 ユウェナーリスの諷刺詩は第一歌から第十六歌まである。その中の第十歌の最後のところにこの文言が登場する。第十歌の見出しは「人間の願望の空しさ」とある。人間は,みんなさまざまな願望をいだき,それを追い求める。しかし,その願望が満たされはじめると,とたんに慢心を起こし,その慢心によって身をくずしていく。願望をいだかなくても,生まれたときから与えられている美徳は,もっと危険だ。美人はその美しさのゆえに身を崩し,美形で身体頑健な男性は,それだけの理由で身をくずしてしまう。

 いつの世も,いつまでも若くて健康で美しいことは理想である。それは,女性だけではなく男性も同じである。だから,どのようにして「若さ」を保つかといろいろに工夫をする。しかし,いくら頑張ったところで,人間はやがて死んでしまうのだ。だから,そんなことは無駄だ。つまり,みんな神様の意のままになるしかないのだから。だから,人間にできることは,神様に向って,わたしにもっとも必要なものを「与えて」くださいと祈るしかないのだ。

 と,おおよそ,このようなことをいくつもの諷刺をまじえて,ユウェナーリスは説いている。そして,最後に,この決まり文句に到達する。どのような文脈でそこに到達するのか,その前段もふくめて引用しておこう。

 「我々は精神の盲目的な衝動に駆られて,そして空(むな)しい欲望に誘われて,結婚の相手を求め,妻の産む子を願う。しかし神々は,生まれた子がどんな少年になるか,妻がどんな女になるかは,お見通しなのだ。それでもあなたが,神々に何かをお願いしたいのならば,そして小さなお社に,純白に輝く豚(ぶた)の内臓と小さな腸詰をお供えしたいのなら,どうか,健全なる身体に健全な精神を与え給えと祈るがいい。」

 こういうコンテクストのなかで登場するのだ。わたしは驚いて眼をみはった。なんということだ,と。驚くではないか。結婚願望の男が,神様に向って,生まれてくる子どもをどんな子どもにしてほしいか,結婚相手の女性をどんな女にしてほしいかを祈る内容なのだ。つまり,「健全なる身体に健全なる精神を与え給え」と。

 これだけではない。ここで求められている「精神」とはどのようなものかを,ユウェナーリスはつぎのように書いている。

 「いかなる苦しみにも耐えられる精神を。怒りを知らぬ,無欲恬淡な精神を。サルダナバーロス王の情痴淫蕩,酒池肉林,奢侈栄華よりも,ヘーラクレースの艱難辛苦や奮励努力こそ,いっそう望ましいものと信じるような精神を祈願し給え。」

 この事実を知って,わたしは唖然としてしまった。
 これまで物知り顔に,さもわかったようなふりをして,何回,「健全なる身体に健全なる精神が宿る」ことが望ましい,と書いてきたことか。そして,それが,さも,スポーツマンたるものの理想であるかのように。わたしは恥ずかしい。

 ここからさきの論考は,いつか,きちんとした形で,お詫びを兼ねて,展開してみたいとおもう。大いなる修正を加えて。これは大論文になりそうだ。

 やはり,原典をきちんと確認しないといけない,といまごろになって骨の髄まで染み込んでくる。国原吉之助さんにこころからの謝辞を捧げます。ありがとうございました。

2012年6月2日土曜日

第62回「ISC・21」6月東京例会を開催します。

 少し遅くなってしまいましたが,標記の研究会を下記の要領で開催します。ご都合のつく方はぜひお出かけください。

日時:2012年6月16日(土)13:00~18:00
場所:青山学院大学17号館17304教室(正門を入って中程の左側の新館)
プログラム:
 第一部:情報交換,近況報告,など。
 第二部:研究発表
  橋本一径(早稲田大学):「ピエール・ルジャンドル著『同一性の謎 知ることと主体の闇』(以文社,2012年刊)をどのように読み解くか。
 第三部:こんごの研究活動(バスク国際セミナー,日本体育学会,スポーツ史学会,など)について(お知らせとご相談)
以上。

※担当世話人は河本洋子と稲垣正浩です。お問い合わせは,どちらかにご連絡ください。
※研究会終了後,いつものような懇親会を計画しています。予約の都合上,懇親会に参加される方は,6月12日(火)までに世話人(inagaki@isc21.jp)にお知らせください。

橋本さんの主なお仕事は以下のとおりです。
 1.『指紋論 心霊主義から生体認証まで』(青土社,2010年),第2回表象文化論学会賞奨励賞を受賞。
 2.『真理の帝国 産業的ドグマ空間入門』(ピエール・ルジャンドル著,西谷修と共訳,人文書院,2006年)
 3.『ドグマ人類学総説──西洋のドグマ的諸問題』(ピエール・ルジャンドル著,西谷修監訳,嘉戸一将,佐々木中,森本庸介,らと共訳,平凡社,2003年)
 4.photographers' gallery press, no.10.  ジョルジュ・ディディ=ユベルマン,橋本一径,豊島重久,倉石信乃,前川修,ほか,2011年。
 5.『身体の歴史』1.〔16-18世紀ルネサンスから啓蒙時代まで〕,ジャック・ジェリス,ニコル・ベルグラン,サラ・F・マシューズ=グリーコ,ラファエル・マンドレン共著,橋本一径ほか共訳,藤原書店,2010年)
 6.以下,割愛。

※読んできていただきたいルジャンドル関連の本は以下の2冊です。
 1.『西洋が西洋について見ないでいること 法・言語・イメージ』(日本講演集),森本庸介訳,西谷修・解説,以文社,2004年。
 2.『<世界化>を再考する P.ルジャンドルを迎えて』(西谷修編,東京外国語大学大学院21世紀COEプログラム研究叢書,2004年。

※なお,最近になって,ルジャンドルの訳書がたくさん出はじめています。こちらも参照ください。

※参加は自由です。ただし,このブログを読んで,初めて参加を希望される方は,上記のメール・アドレスで稲垣までご連絡ください。とても,アットホームな会ですので,事前にコンタクトをとっておきたいと思います。

 以上,お知らせまで。

2012年6月1日金曜日

バスク民族のアイデンティティの象徴としてのアートに感動。

 わたしの研究者仲間のMさんが,いま,スペイン・バスクのLazkaoというところでフィールド・ワークを重ねながら研修に勤しんでいる。そのMさんから,謎かけの写真が送られてきた。わたしを含めて5人の仲間に送られてきた。そして,この下にある写真の正面奥にある「白い線」はなにを意味しているか当てなさい,というのである。

 スペイン・パスクの田舎の町であることを想定すれば,この写真は町の中心部に相当することまでは,わたしの少ないバスク滞在経験からもわかる。町の中心部にこのような位置関係で,浮かび上がっている「白い線」がなにであるのか,じっくりと考えてみた。しかし,古びた脳細胞ではどうしてもわからない。悔しいから,稲妻だ,花火だ,心霊写真だ,と言いたい放題。

 しかし,同じ研究者仲間のFさんが,「自由の魂の軌跡」ではないか,それも「Mさんの自由の」と応答したのが,正解にもっとも近くて,出題者のMさんを感動させた。おまけに,「わたしって,こういうものに反応する自分があるのだ,とFさんの回答をとおして,気づかされました」とある。

 Mさんを,これほどまでに喜ばせたFさんにジェラシー。あっ,Mさんのことが好きだということがバレてしまった。まあ,いいか。Mさんの学生時代から,この子の将来は楽しみだなぁ,と思いつづけた教師としては・・・・。そして,その期待どおりに成長している。わたしとしては誇りに思っているのだから。

 さて,本題にもどって,この写真の正面奥の「白い線」はいったいなにを表しているのか。みなさんも,とくとご覧ください。わたしは,この「白い線」の下の方になにか白い明かりのようなものが点々としているように見え,遠くのビルの窓の明かりにみえてしまったために,この巨大なる「白い線」は高い天空から降りてくる「なにものか」にみえてしまい,苦しむことになる。

Mさんのお気に入りの夜景
その回答が,この下の写真である。この茶色の板のボードをよくご覧ください。モダンな建築のなかに,ひときわ存在感を漂わせた「茶色の板」である。よく見ると,ペレー帽をかぶった典型的なバスクの男性が立っている。そして,右下の方になにか文字が書かれている。この「線」の部分が,夜になると,忽然と光のシンメトリーとなって,みごとな映像となり,立ち現れる。

種明かしの「昼の写真」
なぁーんだ,そういうことだったのか,と最初は思った。しかし,何回も,前の写真と後の写真とを見比べているうちに,これはいったいどういうことなのか,とびっくり仰天。わたしは深く考え込んでしまった。

 なんと,これは恐るべき現代アートではないか。それも,素晴らしい「傑作」ではないか,と。バスク,恐るべし,と。過去の歴史も含めて,この人たちの潜在能力の高さは,並大抵の話ではない,と理解してはいたが,それを目の当たりにして,わたしは茫然自失である。わたしは深い感涙に身をまかせながら,さらに深い思考へと落ちこんで行った。そして,これまで経験したことのない,まったく異質な至福のときを過ごした。

 ここには重いテーマが隠されている。
 昼の太陽の明かりのもとでみると,板の上に彫り込まれた単なる「線」でしかない。それでも,ベレー帽をかぶったバスクの典型的な男性の姿であるということは,わかる。それも単なる板の上に彫り込まれた「線」として。つまり,昼の明かりでみると,かろうじてバスクの男性であるということが認識できるだけの,これがアートであるとはだれも気づかない代物である。

 しかし,夜になると,まわりのすべての存在が消え去って,バスクの男性の姿だけが忽然と立ち現れる。この対比の素晴らしさ。一度,この両者をみてしまったら,もう,生涯忘れることなくこのイメージは,バスクのすべての人びとの脳裏から消えることはないだろう。それほどにインパクトは強い。単純にして強烈。

 しかも,この像は「半身」である。昼見ても,夜見ても,この男性像は「半分」である。残りの半分はどこに行ってしまったのか。ここにもっとも重要な,大きな隠喩が秘められている。

 バスクは,長い間のフランコ政権の弾圧から,ようやく解放された。しかし,その解放は「半分」でしかない。つまり,特別自治区としての承認は得たものの,スペインの支配下にあることに違いはないのである。バスクの最終目標は「独立」である。そのとき,はじめて「自由」をわがものとすることができる。その熱烈な思いが,このアートには籠められている,とわたしは気づいてしまった。

 Mさんから送られてきたこの二葉の写真を,これからは,涙なしには見ることはかなわない。深い,深い,バスクの人びとの魂の叫びが,わたしには聞こえてきてしまうからだ。聞こえてくる以上,それは止めようがない。そして,その魂の叫び声に,わたしの魂もまた共鳴してしまう。

 この叫び声は,なにもバスクの人びとのものだけではない。さまざまな歴史の中で,抑圧され,排除され,隠蔽されつづけてきた人びとが,普遍的に共有する「叫び声」である。アウシュヴィッツ,沖縄,フクシマ,という具合に,わたしの頭のなかでは一直線に連鎖していく。

 Mさんは,いま,一番のお気に入りの夜景がこれです,と言ってこの写真を送ってくれた。彼女のことだから,たぶん,直観だけが鋭く反応して,この夜景と共振・共鳴しているのだと想像している。その「直観」こそがもっとも大事なものなのだ。文明化した社会に生きている人間の多くが,この「直観」をどこかに置き忘れてきてしまっている。それを,いまも,きちんと保持しているMさんは素晴らしい。

 そのお蔭で,この写真を撮り,それをわたしたちのところに送りつけてくれる。お蔭で,わたしのような鈍い男も,その深い意味に気づかせてもらった。ありがたいことである。

 Mさんに,こころから感謝。ありがとうございました。
 これからしばらくは,このイメージを大事にしていきたいと思います。

 Mさん。お土産話を楽しみにしています。
 思いっきり羽を伸ばして,その冴え渡る「直観」を頼りに,フィールド・ワークを楽しんできてください。今晩は,これで。もっとも,バスクは,まだ午後の真っ盛りですね。お元気で。

日本はいま非常時なのだという認識が欠けている。15%の節電がなんだ。

 「3・11」以後,日本は非常事態に陥っている。それはいまもつづいている。その事実をひた隠しにする人びとがいる。原子力ムラの住民たちだ。15%の節電が必要だと主張したのは関西電力だが,その背中を押していたのは原子力ムラの人びとだ。この人たちの意のままに日本政府までも動かされている。そして,決断力のない政府は,なにもできないまま無為の時間に流されていく。そのつけは全部,国民がかぶっている。

 なんという情けない図式なのだろう。

 15%の節電がなんだ。日本は「非常時」なんだという認識があれば,こんなことは簡単だ。そうではなく,「3・11」以前の,欲望のかぎりをつくす消費生活を維持しようとするから怯えるのだ。それこそ,この夏だけは不便を覚悟で乗り切ろうと決断すればそれでいいのだ。たった,それだけのことだ。経済が少々,傾こうが,人間の命を守ることの方が先決だ。人間の命を守ってから,つぎのステップを踏み出せばいい。

 わたしは,「3・11」以後,日本は「非常事態宣言」をすべきだ,と主張してきた。フクシマがあれほど危機的な状況になっていたにもかかわらず,ひたすら,その事実を隠し,当面の間は大丈夫だ,と嘯いた。そして,年末には,早々にフクシマの「収束宣言」まで出して,なにもなかったような顔をすることにした。ひどい奴らだ。

 にもかかわらず,いまだに,フクシマの原発が,なぜ,あの状態のままでありつづけるのか,専門家にもわからないという。だから,これから,どのような手順でフクシマの後片付けをするか,という方法すらわかっていないのだ。たまたま,偶然に,これ以上に悪化しない状態にたどりついただけのことだ。それも,いつまでこの状態が維持できるかはだれも保証できないという。ちょっとした異変が起きたら,なにをすればいいのか,だれもわからない状態なのだ。そのとき,そのときで試行錯誤をくり返すしか方法はないという。つまり,未知の世界なのだ。

 つまり,人類が誇るサイエンスもテクノロジーも,手も足も出せない世界なのだ。いつ,異変が起きて,大爆発がはじまっても少しも奇怪しくない,というのだ。だから,週刊誌は,フクシマの第4号機が危ないらしいとか,あるいは,どこどこの原発は老朽化していて,いつ,異変が起きても奇怪しくない,と書き立てる。しかし,これを否定することはだれもできないのだ。いつ,なにが起きても不思議ではない,そういう「未来」をわたしたちはいま生きているのだ。

 だから,さしあたりは,つぎつぎに老朽化していく原発をいかにして廃棄し,処分するか,そのサイエンスとテクノロジーを早急に開発しなければならない。そのサイエンスとテクノロジーが確立しないかぎり,日本は永久に「非常時」から抜け出せないのだ。そういう,きわめて危険な「綱渡り」をしながら,わたしたちのいまの生活が成り立っているのだ,ということをはっきり認識すべきだ。

 この点をひた隠しにしつづける原子力ムラの人びとの「狂った」理性にわたしたちは振り回されている。もう一度,言おう。15%の節電がなんだ。そのために経済が落ちこんだとしても命に別状はない。その間に,原発以外の再生可能なエネルギーを確保すればいい。こちらは民間まかせで,国は後押ししようともしない。

 しかし,そんなことも大したことではない,とわたしは考えている。「3・11」によって,わたしたちが改めなくてはならないことは,ライフ・スタイルの基本だ。テレビは点けっぱなし,掃除,洗濯,食器洗い・・・,なにからなにまで「電力」に頼りっぱなし。そして,会社のオフィスも,デパートも,スーパーもコンビニも,明るすぎる。駅の構内も真昼のように明るい。こんなに電気を浪費している国は日本以外には存在しない(と,わたしが見てきたかぎりでは言える)。わたしたちは,いつのまにか,電気はいくらでも使えるものだ,と刷り込まれてしまったのだ。その仕掛け人が原子力ムラの住民なのだ。わたしたちは,その隘路から抜け出さなくてはならない。そのためには,わたしたち一人ひとりが,電力に頼らなくてもいいライフ・スタイルを確立することだ。

 それはちょっとした工夫で可能だ。みんなで,できるところから始めればいい。

 暑いときは暑い,寒いときは寒い。つい,この間まで,わたしたち日本人はみんなそういう生活をしてきたのだ。そのことを考えれば,15%の節電なんて,どうということもない。それも次世代の電気が確保されるまでの間だ。

 その15%に怯えたと,嘉田由紀子滋賀県知事が白状している。そんなヤワな人だったのだ。その他の人びとも同じように右へならえをしてしまったのだ。ハシシタ君だけはしたたかに,その前に政府と取引をしている。加えて,脱原発依存の問題を,つぎの選挙まで積み残しにしておき,話題を盛り上げて人気を持続させるための道具として温存した。したたか者だ。

 みんな振り回されてしまったのだ。大山鳴動してねずみ一匹。

 わたしたち国民は,騙されないように,要注意。ご用心あれ!

 電力の過不足に関係なく,どんどん節電してやろうではないか。電気なんかなくなっても「死ぬ」ことはない。

 15%がどうした。

 それより,フクシマのこれからが怖い。使用済み核燃料棒が怖い。