2012年6月4日月曜日

『スポートロジイ』が書店に並びます。そこで「創刊のことば」を紹介。

 昨夜,みやび出版の伊藤さんと『スポートロジイ』創刊の「打ち上げ会」をもちました。そのときのお話では,そろそろ大書店に並びます,とのこと。刷った部数が少ないので,大きな書店に配本するのが精一杯とのこと。どこか,大きな書店を通りかかった折には,ちょっと覗いて手にとってみてください。意外にいい仕上がりになっています。

 と,まずは,宣伝を。
 この本を特別ルートで購入したい方は,わたしにご連絡ください。わたしの手持ちの本をお分けします。方法などについてはご相談。ちょっと,ここに書いてしまうわけにもいきませんので。

 そこで,まずは,この『スポートロジイ』を創刊した意図はなにであったのか。この本の巻頭に掲げました「創刊のことば」をご紹介しておきたいと思います。
以下は,転載です。

創刊のことば

「スポートロジイ」(Sportology=「スポーツ学」)事始め

           「動物は世界の内に水の中に水があるように存在している」(ジョルジュ・バタイユ)

 幼い子どもが遊びに熱中したり,大人でも遊びに忘我没入したりするとき,自他の区別がなくなっている。スポーツもまた,面白くなってくるとわれを忘れて夢中になっている。つまり,自他の垣根が取り払われて,他者と渾然一体となって溶け合ってしまう。これらは,自己を超えでていく経験であり,「生」の全開状態,すなわちエクスターズ(恍惚)そのものである。その経験は,ひたすら「消尽」であり,「贈与」である。
 スポーツ,あるいは,スポーツ的なるものが立ち現れる源泉はここにある,とわれわれは考える。スポーツの中核には,このようなエクスターズ(恍惚)への強い欲望がまずあって,その周縁にさまざまな文化要素が付随して,地域や時代に固有のスポーツ文化を形成してきた,と思われる。だとすれば,スポーツとは「動物性への回帰願望の表出」そのものではないか,ということになる。
 そこで問題になるのは,スポーツを成立させることと理性のはたらきとの関係性であろう。このときの理性とは,人間が動物の世界から<横滑り>して,ヒトから人間になるときに新たに獲得した能力のことである。したがって,理性を人間性と置き換えてもいいだろう。いうなれば,理性(すなわち,人間性)は最初から,動物性を抑圧し,排除・隠蔽する力として働いてきた。しかし,理性がどこまで頑張っても人間の内なる動物性を消し去ることはできない。したがって,「生きもの」としての人間にアプリオリに備わる動物性と人間性とを,どのように折り合いをつけて,その「生」を最大限に発露させるか,という大きなテーマがそこに立ち現れる。
 スポーツは,いうなれば,その両者のはざまで揺れ動く,微妙な文化装置として登場したとも考えられる。だとしたら,「生きもの」としての人間にとってスポーツとはなにか,という根源的な問いがそこから立ち上がることになる。
 しかしながら,現代社会に君臨している「理性」は,いつのまにやら「テクノサイエンス経済」(ピエール・ルジャンドル)なる狂気と化して,「生きもの」としての人間の存在を脅かしはじめている。「3・11」後の原発事故による脅威は,その典型例といってよいだろう。いまこそ「生きもの」としての人間にとっての<理性>をとりもどし(西谷修),人間が生きるとはどういうことなのか,ということに思いを致すべきだろう。
 「21世紀スポーツ文化研究所」もまた,同じ立場に立ち返り,スポーツの側からこの根源的な問題に取り組むことが不可欠であると考えた。そのためには,これまでの体育学やスポーツ科学のパラダイム・シフトが喫緊の課題であると考えた。その結果,スポーツにかかわるあらゆる題材を研究対象とする新たな「学」(Wissenschaft)として,「スポートロジイ」(Sportology=「スポーツ学」)を提唱することにした。
 「生きもの」としての人間にとって「スポーツ」とはなにか。
 すなわち,「3・11」後を生きるわれわれが,スポーツとはなにかを問うことは,まさに「生きもの」としての人間とはなにかを問うことだ。そのための最優先課題は,スポーツにかかわる思想・哲学的なバック・グラウンドを固めることにある。

 われわれの試みはまだその緒についたばかりである。つねに「スポートロジイ」がなにを課題としているかを忘れることなく,一歩ずつその地歩を固めていきたいと考えている。大方の忌憚のないご批判をいただければ幸いである。

 2012年4月30日   ことのほか美しい新緑に眼を細めながら
               21世紀スポーツ文化研究所主幹研究員  稲垣正浩

 以上です。
 いま,読み返してみますと,これまた相当に気合が入っているなぁ,とわれながら感心してしまいます。でも,こういう熱い血が流れないことには,新しいことは始まりません。これから,さまざまな障害が立ち現れることと思いますが,なにがなんでも前進これあるのみと覚悟を決めて進みます。どうか,みなさんのご支援,ご鞭撻をいただけますよう,伏してお願い申しあげます。

 その本が,ひとつの時代の幕開けとしての役割を果たすことができますように,祈りつつ。
 よろしくお願いいたします。

0 件のコメント: