2012年6月7日木曜日

ジョルジュ・バタイユとピエール・ルジャンドルの関係について。

 ジョルジュ・バタイユもピエール・ルジャンドルも,よく知られるようにいわゆる異端の思想家であり,哲学者です。ですから,これまで,アカデミズムの世界ではあまり触れたくない人物,いわゆる忌避される人物のなかに入れられてきたように思います。

 しかし,何年か前,ジョルジュ・バタイユに注目が集まるようになったころ,西谷修さんが「やっと時代がバタイユに追いついてきた」という表現をされたことがあります。そして,また,ことしのフランス文学会ではジョルジュ・バタイユをとりあげてシンポジウムを開催しています(西谷さんのブログによると若い研究者たちが中心になって企画したようです)。えっ,と驚くような豪華なシンポジストをならべて議論がなされたようです。もちろん,その中のひとりに西谷さんが加わっています。

 わたしは,かなり前から,西谷さんをとおしてジョルジュ・バタイユに関心をもちつづけてきました。そして,最近では『宗教の理論』で語っているバタイユの言説に注目して,これをスポーツ史・スポーツ文化論という立場から読み解くとどういうことになるのだろうかと考えてみました。その一端は,このブログにも書きつらねてきましたし,神戸市外国語大学の学生さんたちを相手に集中講義でもその読解を試みたこともありました。

 それらの論考のいくつかをピック・アップして,こんど創刊した『スポートロジイ』に「研究ノート」として収載させていただきました。題して,「スポーツ学」(Sportology)構築のための思想・哲学的アプローチ──ジョルジュ・バタイユ著『宗教の理論』読解・私論。120ページを超える長いものになってしまいました。が,バタイユのテクストの細部にまで,かなり詳細に分け入って論考を展開してみました。まだ,刊行されたばかりですので,これからどのような反響がかえってくるのか,胸をときめかしながら待っているところです。

 そういうこともあったものですから,フランス文学会でのシンポジウムのことを知り,わたしの期待どおりに,ふたたびジョルジュ・バタイユの時代がやってきたのではないか,と楽しみにしているところです。しかも,わたしはジョルジュ・バタイユの理論仮説をもとにして,新しい学(Wissenschaft)としての「スポートロジイ」(=「スポーツ学」)を立ち上げよう,という大胆な提言をおこなっています。しかも,「3・11」以後を「後近代」と位置づけ,それ以前までの「近代」の時代精神や理性のあり方を超えでるための理論仮説としてジョルジュ・バタイユの思想を位置づけようと考えています。

 つまり,わたしの考える「後近代」を切り開いていくための理論仮説を,まずは,ジョルジュ・バタイユからはじめようと考えた次第です。

 そして,このつぎはピエール・ルジャンドルに挑戦だ,と考えています。まだ,読み込みが十分にはできていませんので,あまり,偉そうなことは言えませんが,最近,もしかしたら・・・・というような,まったく新しい「知」の地平がみえかくれするようになりました。そして,気づいてみれば,ルジャンドルの著作もすでに大量に翻訳・紹介されています。こんどの16日(土)には,わたしの主催する研究会に,ルジャンドル紹介者のひとりである橋本一径さんにお出でいただき,お話をうかがうことになっています(詳しくは,このブログでも書きましたので,その項を参照ください)。

 「ドグマ人類学」などという,一瞬,わが眼をうたがうような新しい「学」を標榜しているピエール・ルジャンドルに,いちはやく着目し,交流を深めながら日本に紹介したのも西谷修さんでした。いまでは,この西谷さんを囲む若い学徒を中心にして「日本ドグマ人類学協会」を構成し,活動をつづけています。このピエール・ルジャンドルのことを,最初にわたしに教えてくださったのも,もちろん,西谷さんです。

 以後,ジョルジュ・バタイユの読解を試みながら,その一方で,ピエール・ルジャンドルの読解(こちらの方が難解)をつづける日々を送っています。

 この両者の接点について,西谷修さんは,こんどの『スポートロジイ』に収録させてたいだいた合評会(『理性の探求』)のなかで,とてもわかりやすく2点について触れています。でも,そこに至りつく前段があって,それを除いても全部で10ページほどにわたり熱弁をふるっています。わたしが,物知り顔にまとめてしまいますと,たぶん,曲解の誹りを免れませんので,ここでは,ここまでとさせていただきます。詳細な内容については,ぜひ,『スポートロジイ』を繙いてみてください。

冒頭の7~25ページのところがそれに相当します。
タイトルは,以下のとおりです。

スポーツにとって「理性」とは何か
合評会:テクスト:西谷修著『理性の探求』(岩波書店)

この合評会のなかで,ジョルジュ・バタイユとピエール・ルジャンドルの接点についてのお話を「今日のところはここまでにします」と西谷さんは打ち切りにしています。わたしとしては,どうしてもそのつづきをお聞きしたいので,いつか,その機会を設けたいと考えています。

というところで,今日はここまで。

0 件のコメント: