2012年7月10日火曜日

両足義足のランナー「ピストリウス選手」考。

 両足義足のランナー「オスカー・レオナルド・カール・ピストリウス(Oscar Leonard Carl Pistorius,1986年11月26日生まれ)」が南アフリカ共和国のオリンピック代表選手となり,いま,なにかと話題になっている。男子400mと1600mリレーに出場の予定。ベスト・コンディションで走れば決勝進出も可能な実力者である。

 問題の核心は,健常者とはなにか,障害者とはなにか,という根源的な問いにある。ピストリウス選手は,両足義足なるがゆえに健常者の大会に出場することはできないという暗黙の了解事項に対して,断固として宣戦布告をし,それを勝ち取ったのだ。

 かれは必死に頑張って練習を重ね,パラリンピックの陸上競技選手としてその名を馳せることになった。しかし,かれの最終の目標は,障害者大会という枠組みの外にでて,健常者と対等の勝負をすることにあった。だから,さらに激しい練習を重ね,ついにオリンピック出場に手がとどく記録を出すにいたった。そして,北京オリンピックに400mで出場することをめざしたが,国際陸上競技連盟(IAAF)はそれを拒否した。理由は,カーボン製の義足による推進力が競技規定に抵触する,というもの。こうして北京オリンピック出場の夢が絶たれてしまった。

 ピストリウス選手は,アイスランドの義肢メーカー・オズールに特注したカーボン製の競技用義肢を使用している。いわゆる「ブレード・ランナー(Blade Runner)」だ。かれは生まれたときから腓骨がない先天性の身体障害者で,生後11カ月で両脚の膝から下を切断。したがって,自分の脚で立つ,歩くという経験がない。幼児から義肢とともに成長した。かれにとっては義肢こそが自分の脚だ。そして,周りの子どもたちと分け隔てなく,自分の脚である義肢を駆使して,あらゆる遊びやスポーツを経験しながら成長した。

 「障害によって不可能なのではなく,持っている能力によって可能なのだ。」(You're not  disabled
by the disabilities you have,  you are able by the abilities you have.)
 これがピストリウス選手のモットーである。

 かれは国際陸上競技連盟(IAAF)の決定を不服とし,スポーツ仲裁裁判所(CAS)に訴えを起こした。CASは,2008年5月16日,IAAFの判定を覆し,ピストリウス選手が健常者のレースに出場することを認める判定を下した。

 かくして,2011年の世界陸上競技選手権大会(韓国)に出場し,400mで準決勝に進出している。かれの自己ベストは,100m:10秒91(2007),200m:21秒41(2010),400m:45秒07(2011)である。

 ピストリウス選手のロンドン・オリンピックでの活躍が期待される。そして,活躍すればするほど,健常者とはなにか,障害者とはなにか,という問題について本格的な議論が生まれてくることになるだろう。そして,かれの存在が,言ってしまえば,近代社会のなかで構築された制度的差別を,すなわち,障害者という一種の囲い込みを,批判し,無化する上で大きな役割をはたすことになるだろう,とわたしは密かに期待している。

 そして,わたしたちは健常者というお城のなかでぬくぬくとして,なんの矛盾も感じないできたことに深く反省しなくてはなるまい。そして,「生きる」という次元から,もう一度,みずからの「理性」を働かせなくてはなるまい。その意味でも,ピストリウス選手の活躍を,大いに期待したい。

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