2012年7月29日日曜日

「蛇の生殺しのような世界を生きています」と東北のK市で被災し,仮説住宅で暮らす友人からのメールに接し,絶句。

 朝食時のテレビでニュースをみようと思ったら,いきなり,ロンドン・オリンピックの開会式の映像が流れ,それが延々とつづく。職業柄,一応は見ておかなくてはと思いながら,あれこれメモをとりはじめる。いつからオリンピックの開会式のアトラクションが,こんなに演劇的になったのかなぁ,と考えたり,いったい,なんのために,だれのために,このアトラクションが演出されているのだろうか,と考えたり・・・・。やがて,選手団入場。ただ,漠然と入場行進を眺めているだけ。テレビのナレーションも気が抜けている。退屈してくると,いつしか,このオリンピックの安全を確保するために3万人に及ぶ軍隊,警察,その他の関係者が動員されているんだったなぁ,おまけに地対空ミサイルまで設置されているんだよなァ,と考えたりしている。そして,オリンピックはいまや戦争と同じになってしまったなぁ,などと考えはじめてますます興ざめとなる。なのに,とうとう,3時間もこの映像をみるはめになってしまった。

 これからオリンピックが終わるまで,もっと重要なニュースがあっても,みんなカットされてしまう。あるいは,軽くあしらわれてしまうことになる。そうして,脱原発デモも,国会審議の重要案件も,国際社会の動向も,どこか遠いところに霞んでしまい,人びとの意識から消えてしまう。オリンピックが終わったころには,もう,かつての「茹でガエル」になりはてているだろう。こうして,オリンピックは多くの人の「思考停止」のために大きな貢献をすることになる。つまり,オリンピックはアホの大量生産装置。

 そんなことを考えている折も折,東北のK市で被災し,仮説住宅暮らしを強いられている友人から表記のようなメールがとどく。「蛇の生殺しのような世界を生きています」と。

 いま友人と書いたが,じつは面識はない。わたしの書いたブログにコメントを入れてくれた人で,仮にTさんと呼ぶことにしよう。K市もTさんも,みんな実名で書いた方がいいかなとも考えたが,いつ,どんな形でK市にも,Tさんにもご迷惑をおかけすることになるかわからないと考え,イニシャルにした。じつは,Tさんからはこんどのメールが2回目である。しかも,1回目のメールからはずいぶん間が空いている。

 Tさんも,長い間,迷っていたが思いきってこのメールを送信することにした,と書いていらっしゃる。添付ファイルが膨大なので,3分割して,つまり,3回に分けてメールが送信されてきている。あちこちファイルを開いて,ちょいと覗いてみたら,これはおいそれと簡単に読めるメールではないし,ましてや簡単に返信を書けるメールではない,と気づく。そこで,正直に「いま締め切りのきている原稿と格闘中なので,しばらく時間をください」と応答。

 そのまま,原稿にとりかかる。しかし,Tさんのメールが気になって仕方がない。こんな気持では原稿どころではないと考え,原稿を中断してTさんからの長い手紙を開いて読みはじめる。Tさんの,胸のうちに湧き起こってくる感情を極力コントロールした,落ち着きのある重い文章がつづく。Tさんの個人情報はほとんどなにもわからない。ただ,65歳であるということだけで,どういう経歴の方かもわからない。しかし,文中に用いられていることばづかいからして,かなりの読書家であり,インテリであることだけは確かだ。

 Tさんのおっしゃる趣旨はおおよそ以下のとおり。
 こんどの大震災で家を流され,実母と義父の命を奪われてしまい,いまは,仮説住宅に住んでいる。しかし,仕事はない。K市の復興は遅々として進まない。政府による被災住宅再建のための500万円の資金援助の話もどこかに立ち消え。K市の人口はどんどん流出し,商店も閉じたまま。土地はあるがそこに家を建てることは許されず,それ以外の土地に家を建てるだけの資金がない。おまけに,仮説住宅を追い出されたら,家賃を払うお金がない。まったく身動きできないまま,このさきの展望も得られず,無為の日々を送っている。絶望のどん底から這い上がる目処も立たない。まるで,「蛇の生殺しのような世界を生きている」とTさんはおっしゃる。

 この他にも,Tさんは日本の社会の歪みの分析,たとえば,政府や地方自治体や企業などの「無責任体質」がどこから生じてきたかといった問題について,じつに適切な分析をなさっている。その道の専門家ではないか,とすら感じられる思考の深さが伝わってくる。

 このTさんに,どのような応答をすればいいのか,わたしはしばし考えてしまう。復興のための軍資金が宙に浮いてしまって,被災者の手元にとどかないまま,どこかに消えてしまっている。この複雑なからくりについて,Tさんは考え,苛立ちを禁じえない,とおっしゃる。

 こうなったら,まだ,開いていないファイルの資料や手記などを丹念に読んで勉強してから,わたしなりのスタンスを構築する以外にはない。重い宿題をいただいた。しかし,Tさんのお蔭で,被災者の生の声を聞かせていただくことができる。その上で考えることができる。新聞や本を読んで考えるのとはまったく違ったリアルがそこにはある。わたしにとっては,しっかりと勉強することのできる,ありがたいチャンスである。

 ロンドンでオリンピックが開催されようが,脱原発のデモが盛り上がろうが,Tさんのような被災者の生活は宙に浮いたままなのだ。それどころか,「蛇の生殺しのような世界を生きている」人たちの存在すら,多くの人びとの記憶から消えていく一方なのだ。

 東日本大震災からの「復興」は,これからが正念場だ。これから,どのような忍耐と努力を積み上げていくことができるか,その一点にかかっている。そして,遠く離れて暮らしているわたしたちが,これからどのような支援をしていくことができるのか,本気で考えなくてはならないだろう。

 ピンチはチャンスでもある。「復興」とはどういうことなのか。こんなことすら考えることができない,狂気と化してしまった「理性」を,もう一度,振り出しにもどすこと。そして,人が生きるための「理性」をわがものとすること。そこからの「復興」こそが待ち望まれるところだ。そのために,いま,わたしたちはなにをなすべきか。

ロンドン・オリンピックで浮かれている場合ではないのだ。



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