2012年7月31日火曜日

「動作に合わせて目線をゆっくりまわす」・李自力老師語録・その16.

 目線は大事です。目線が安定していないと動作もばらばらになってしまいます。目線は周囲に注意を払いながら,動作に合わせてゆっくりとまわします。点から点へと目線を飛ばしてはいけません。腰の回転に合わせて頭もまわし,その動きに合わせて目線もゆっくりと移動していきます。そして,そのとき周囲のあらゆる情況に対応できる目線のまわし方が求められます。ですから,目線が安定すると動作もどっしりし,大きなひろがりをもつようになります。

 と,李自力老師はおっしゃる。このことばは,ジュニアのトップ・レベルの選手の個人練習を見学させてもらったときに聞いたものです。ここでは,ひとまとめにして書きましたが,実際には何回にもわけて李老師が語ったものです。この動作のときにはこのように,つぎの動作のときにはこのように,という具合にです。すると,みるみる選手の動作が変化してきます。まるでマジックにかかったかのように動作がしっかりとしてきます。それはみていても感動的でした。

 もちろん,選手の素質もあるのでしょうが,みごとに美しく,大きくて,どっしりとした動作に変化していくのです。もちろん,わたしたちの稽古のときにもいつも「目線!」という鋭い声の檄がとびます。そのつど,わたしなどは慌ててしまっておろおろするばかりですが,それでもときおりは「そうです!」と褒めてくださる。これが嬉しい。

 ところが,李老師のほめ言葉は,じつは「ようやくその意味がわかりはじめましたね」というものであって,「それで完璧です」という意味ではありません。目線はしっかりと自分で意識して稽古しないと安定してこないことは,わたしにもわかります。が,つい,うっかりして忘れてしまいます。そして,点から点へと一直線に動かしてしまいます。そのたびに,「目線!」という鋭い声がとんできます。そして,何回も何回も同じことを繰り返し指摘されてしまいます。

 目線のポイントは,太極拳は武術である,ということを強く意識することにあるようです。つねに,あらゆる方向から敵に囲まれているという情況を意識的に設定すること,そして,どこから敵が襲ってきてもそれに対応できる姿勢を作り上げること,それがしっかりとした目線を作り上げていくのでしょう。敵の存在,技の意味,それらを深く理解していれば,目線は自然に安定してくるはずです。

 頭のなかではわかったつもりなのですが,それをからだに染み込ませるのは大変です。目線を「自動化」するところまで精度を高めるには身の入った,気持の入った稽古を積み重ねるしかありません。そこがむつかしいところです。わかっているけれどもできない,それがふつうの人間です。そこを克服すること,そこに武術である太極拳を稽古することの意味があるのでしょう。

 目線は大事です。李老師がおっしゃるのとは別の意味でも,目線は大事です。街中を歩いていても,目線は大事です。しかし,近頃は自分の周囲に注意を払う人がどんどん減ってきています。いわゆる「ながら歩き」をしている若い人が激増しているからです。ぶつかりそうになるのを避けて歩いているのは高齢者の方です。これを「世の中が平和になった証拠だ」とみるか,それとも「人間が自分の身を守るという本能を失った結果だ」「だから,退化だ」とみるかは意見の分かれるところでしょう。

 わたしは個人的には「退化だ」と考えています。やはり,人間として生まれたからには,そのもてる能力を十全に活用して生きていく,これが基本だと思います。使わない器官は退化します。その退化を防止する意味でも,太極拳の稽古は大事だと思っています。ですから,目線の稽古は,ある意味では生きることの基本になっているのではないか,と考えています。

 一度,李老師に確認してみる必要がありそうです。でも,稽古になると,質問することを忘れてしまいます。なんとも情けないことですが・・・・。

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