2012年8月20日月曜日

「如是我聞」(にょぜがもん)ということについて。仏教の世界の不思議だけではない。みんなそうやって生きている。

  仏教の経典のなかには,しばしば「如是我聞」ということばが登場します。

 一般的には,「お釈迦様の話をわたしはこのように聞きました」と解釈されています。そして,そのこと自体はなにも不思議はありません。なにせ,お釈迦様は人びとの前でお話をしただけで,文書として書き残すということはしなかった人でしたから(ここにじつは大きな意味が隠されているのですが)。ですから,お釈迦様の死後,お弟子さんたちが集まって,お互いにその記憶を確かめ合いながら,お釈迦様の教えをまとめて仏教の経典をつくりました。ですから,お経のなかにはしばしば「如是我聞」ということばを登場させて,お釈迦様の教えを伝えようとしたわけです。言ってしまえば,仏教の経典は「聞き書き」にすぎないというわけです。

 では,その「聞き書き」とはどういうことなのでしょうか。お釈迦様はこう仰いました,と言ったとたんにそのことばは一気に権威づけられます。そこが,じつは,大きな問題です。なぜなら,お釈迦様の話を聞いた人(聞き手・弟子たち)によって,その受け止め方はみんな違うからです。おそらく,10人の人が一緒に,同じお釈迦様の説法を聞いたとしても,そから受ける印象や記憶はみんな違うでしょう。つまり,「聞き書き」は受け手の関心や感度によって,微妙にズレが生ずるということです。もっと言ってしまえば,必ず受け手の脚色が入る,ということです。

 ですから,仏教の経典が,かくもいろいろの種類となって書き残されることになります。しかも伝承の途中で加筆・訂正(解釈のし直し)がほどこされます。その結果,まったく意味が対立してしまうような経典ができあがってしまいます。そうして,仏教のなかにいろいろの宗派が生まれ,ついにはお釈迦様の教えとはまったくなんの関係もない宗派までがつぎつぎに生まれてこんにちに至ります。ですから,こんにち伝承されている仏教の経典のほとんどはお釈迦様の教えとはずいぶんとかけ離れたところに到達してしまっています。言ってしまえば,お釈迦様はそんなことは言ってません,というわけです。

 わたしたちがどこかで経験したことのある「伝言ゲーム」と同じです。ひどいときには,4,5人の人の間を伝言していくうちに,まったく意味の違うものになっています。そこが面白くて,このゲームが成立しているわけです。仏教の経典もまた同じだという次第です。

 しかし,このことを笑っている場合ではありません。そんな資格はわたしたちにはありません。なぜなら,人が生きていくという実態は,「如是我聞」で成立しているのですから。

 その最たるものはメディアです。情報を情報として受け止め,整理し,伝えるということの根源にあるものは「如是我聞」です。わたしたちの身辺にもよくあるように、だれだれさんがこう言ってましたよ,というのも同じです。もっともひどい話はアカデミックな論文です。文系の論文には,まず,間違いなく先行研究批判があり,その批判の正当性を根拠づけるための典拠が示されます。たとえば,バタイユはこう言っている,といって注を付し,典拠が示されます。これもまた立派な「如是我聞」です。

 人間が生きているかぎりこの「如是我聞」から解放されることはありません。なぜなら,人間はことばを操る動物であり,ことばによってコミュニケーションを構築している生きものですから。問題は,そのズレを最小に食い止めること,つまり,レシーバーの感度をよくすること,その精度を高めることにあります。それでも,その人の思想・哲学のよって立つ立場によって,ひとつのことばの受け止め方は違います。

 なぜ,こんなことを書いているのかといいますと,このところ第2回日本・バスク国際セミナーの話を連続して書いています。が,それらはすべてわたしの個人的な「如是我聞」である,ということをお断りしておきたかったからです。だからといっていい加減な「聞き書き」なのかというと,そうではありません。わたしにとっては,まぎれもない真実です。全体重をかけた「如是我聞」です。

 人間はそこに依拠しながら生きていくしか方法はないのです。お釈迦様もそれでいいのだ,と考えていたようです。有名な『般若心経』というお経も,お釈迦様が没後500年も経ってから龍樹(「空」の思想家)が書いたのではないか,と言われています。この話のつづきは,いずれまた。

とりあえずは,「如是我聞」についてのコメントまで。今日のところは,ここまで。

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