2012年9月11日火曜日

「重くなったり,軽くなったりする身体」の経験・奄美自由大学2012.

 そのむかし,そう,いまから50年以上も前のことです。わたしが山登りに熱中していたころのことです。山に行くとからだが軽くなることに気づきました。でも,それはとてつもなく重いザックを担いで頂上をめざし,山小屋に到着してザックをおろしたときの重力からの解放によるものだ,と思っていました。テントを張ったり,飯盒炊飯の準備をしたり,水汲みに行ったりするときのからだの軽さは,街中の日常のからだの感覚とはまったく別の経験でした。

 しかし,それが山だけのことではない,ということにやがて気づきます。街中でも,聖地と呼ばれるような神社や仏閣,あるいは,大きな墓地などに行くと,からだが軽くなるところと重くなるところがあることに気づきました。そんなことに気づいてからは,あちこち旅にでるたびに,その感覚を楽しんでいました。長く勤務していた奈良という「地」には,いろいろのところにそういうスポットがあることに気づきました。いまは,単なる荒れ地であったり,森になっていたり,古い遺跡であったりするようなところに,「おやっ?」と思うところがあちこちにありました。分け入ってもっと奥まで行ってみたくなるところと,すぐに引き返したくなるところとは,はっきりとしていました。とくに,柳生街道をたどって山のなかに入っていくと,あちこちに,そういう「気配」を感ずる場所がありました。

 60歳をすぎてからの経験では,沖縄の本島でのものがあります。とくに,グスクやウガンショに接近すると,からだが軽くなったり重くなったりすることがあります。総じて,沖縄の本島では,からだが重くなるところが多いのは,仕方がないことではありますが・・・・。

 それと同じようなことが,奄美大島でも起こりました。昨年も「おやっ?」と思っていましたが,あまりいい話ではありませんので,できるだけ独りで「気配」を楽しんでいました。

 が,ことしは帰路に,最南端の請島から加計呂麻島を経て奄美大島に上陸したときに,突然,ひとりの女性が大きな声で「これってなにっ?からだが急に軽くなったぁ!」と叫んだのです。それに釣られるようにして,「わたしも」「わたしも」という声があちこちであがりました。なぜか,女性の声がほとんどで,男性は感じても黙っていたのか(「沈黙」を守って),男性の声は聞かれませんでした。

 わたしはできるだけ聞き役に徹して,「えっ?請島から加計呂麻島では感じなかったのですか?」と聞いてみました。すると,なかには「わたしはそのパターンでした」という女性が何人かいました。が,不思議なことに,その逆の人の声は聞かれませんでした。

 たまたま,ここに集まってきた女性たちにそのような感性の鋭い人が多かったということなのかなぁ,と考えていました。そして,女性よりも男性の方が鈍感なのかなぁ,などとも思ったりしていました。が,あとで聞いてみますと,男性にも何人かは,それに類することを感じたという人はいました。

 わたしは,じつは,奄美に到着したときから,からだが軽くなるのを感じていました。それは去年も同じでした。そして,さらに,加計呂麻島に上陸すると,もっと軽くなるのです。そして,請島に上陸してしばらくすると,さらに「ハイ」になっていることに気づきました。

 民宿の部屋でお茶を飲みながら話をしているうちに,これはなんだろう,と感じたので急いで外にでました。すると,民宿の庭の奥にお地蔵さんが立っていました。やや斜めに海の方を向いていました。しかも,新しくて立派なお地蔵さんです。わたしの育った地方(愛知県豊橋市)では,自宅にお地蔵さんを立てるということは聞いたことがありません。ですので,かなりびっくりしました。そのすぐ隣にはあまり大きくはないけれども,少し変わった石片が並べてありました。こちらはどう考えてみても神道系です。まあ,神仏混淆というところでしょうか。

 どうも,このあたりが「ハイ」になったきっかけのような気がしたものですから,そっと口のなかで般若心経を唱え,小さな鐘が置いてありましたので「チン」とひとつ鳴らしてみました。そして,「あっ!」と気づきました。

 そういえば,民宿の玄関には「永平寺」と書かれた下駄が一足,置いてありました。ということは,この民宿のおやじさんは仏教にも信仰をもつ,しかも曹洞宗に信を置いている人なのだろうか,と。そして,そのことと,このお地蔵さんとは無縁ではないな,とひとりで想像していました。こんなところで「永平寺」と大書された下駄に出会うとは想像だにしていませんでしたので,驚きの経験でした。あとで民宿のおじさんに聞いてみようかなとチャンスをうかがっていましたが,大勢のお客さんの到来でとても忙しくしていて,結局,無理でした。

 この日の夜の宴は,やはり請島という「場」のもつ磁力・威力(偉力?意力?)といいましょうか,驚くべき光景を目の当たりにすることになりました。恐ろしく「ハイ」になる人,頭が痛くなって倒れてしまい起き上がれなくなってしまう人,途中で酔いつぶれてしまう人(これはどこにでもある風景),などさまざまでした。わたしは,その前から「ハイ」になっているのを感じていましたので,ちょっと距離をおいたところに陣取り,黒糖焼酎を舐めながら,「ほんわか」とした酔いごこちにまかせて,ぼんやりと全体の情景を眺めていました。最後には,歌と太鼓のリズムに合わせて,みんなが踊りはじめました。しかも,たいへんな盛り上がりでした。

 この輪に入って行ったら,間違いなく熱狂的に踊りはじめるだろう自分の姿がありありとみえていました。こんな経験も珍しいことでした。心地よく酔った自分と醒めた自分が同居していて,そのいずれでもないわたしのからだ。そして,その境界領域をふわふわと漂うわたしのからだを楽しんでいました。ひとり,ぽつん,と。わたしの「沈黙」。

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