2012年9月17日月曜日

「かかとからつま先へ」,足の運び方は歩くときと同じです。(李自力老師語録・その18.)

 李自力老師の足の運び方は,じつに神経がゆきとどいていて,しかも滑らかで美しい。その美しさはまぎれもなくアートの世界に通じるものだと思います。そのアーティスティックな足の運び方を見習うべく,一生懸命に努力するのですが,なかなかその域に近づけません。

 そこで,これまでにも何回も,足の運び方についてお尋ねしてみました。が,そのつど答えは微妙に違います。それは,たぶん,そのときどきのわたしの上達度に合わせてお話をしてくださるからだと思います。そこで,これまでに伺った李老師の説明をわたしなりに整理してみますと,以下のようになろうかと思います。

 「足の運び方は歩くときと同じです」。つまり,「かかとからつま先へと体重を移動させる,ということです」。これが一番最初に受けた説明でした。そして,人が歩くときにどのように足を運んでいるか,実演してみせてくださいました。そうでない,悪い見本もみせてくださいました。こちらは大笑いしてしまいました。

 それですっかり分ったつもりになって,稽古をしていたのですが,なかなか「歩くときと同じ」ように足が前にでてきません。で,そのつぎに李老師がしてくださった説明は「お尻を巻き込むように」,あるいは「尾てい骨を巻き込むように」すると足は自然に前に送り出されてきます,というものでした。さあたいへんです。この「巻き込む」という身体感覚がピンときません。ふだんはほとんど意識したことのない身体感覚です。

 こちらも意識的に「巻き込む」稽古を積み重ねていくうちに,なんとなくわかってきました。つまり,ときおり絵に描いたようにうまくいくことがあります。しかし,確実に,いつでもできる,というところに達しません。つまり,安定しないのです。

 そこで李老師にお尋ねしてみますと,こんどはつぎのような説明がありました。「軸足にしっかりと体重を乗せて,ふらつかないようにすること」。つまり,どんなことがあっても「軸足がゆるがない」ところまで鍛えなさい,と。また「軸足がふらつくから,足をスムーズに前に送り出すことができないのです」とも。そして,よい見本と,わるい見本とを実演してみせてくださいます。大爆笑しながら,なるほどと納得です。

さあ,こんどは「ふらつかない軸足」「磐石の軸足」をわがものとすべく稽古に専念。しかし,この課題は一朝一夕では達成できません。いまも,まだ,ときどき「ふらついて」しまいます。が,少しずつその回数は減ってきたように思います。が,それでも李老師のようにはなりません。そこで,つぎなる質問を繰り出します。すると,こんどはつぎのような説明がありました。

 「軸足の股関節をゆるめなさい」と。それができれば,「腰がスムーズに回転するようになります」と。つまり,軸足を安定させ,軸足の股関節をゆるめて,尾てい骨を巻き込むようにして足を前に送り出すと,腰は自然に回転する,というわけです。そうして,李老師は,少しオーバーにやってみせてくださいます。またまた「なるほど」と納得。

 しかし,「納得する」ことと,「できる」こととは別問題です。納得した上で稽古をする,ここが大事なところではないかと思います。いまのわたしの段階で李老師が説明してくださったのは,ここまでです。たぶん,もっともっと奥は深いのだろうと想像しています。なぜなら,李老師のアーティスティックな足の運びは,そんなレベルではないからです。

 なぜなら,李老師のからだそのものが「快感」につつまれているように,わたしにはみえるからです。たぶん,全身が「快感」に浸りながら,その「快感」から押し出されるようにして,足が前に運ばれているのではないか。そんな風にみえるからです。だとすると,その域に達するには,まだまだ道は遠く険しい,ということでしょう。

つぎなる課題は,こころの問題になりそうです。
心地よさそうに歩いている人の姿は美しい。
しかし,その前に克服しなければならない課題はいくつもあります。
ただひたすら,納得して稽古する。これあるのみ。

0 件のコメント: