2012年10月11日木曜日

コメント「ついに人間が死ねない時代がきちゃった」(中3)について。iPS細胞のもつもうひとつの大問題。

 西谷修さんの著書に『不死のワンダーランド』という不思議な書名の本があります。いわゆるフランスの現代思想を取り扱った思想・哲学の本です。もうずいぶんむかしの本ですが,すでに,この時代に,文明先進国(ワンダーランド)では「死」に蓋をして,「死」の不在を装うことに専念している愚挙に警鐘を鳴らす異色の本でした。言ってしまえば,「死」についての深い洞察がそこでは展開されています。しかも,その議論はいまも古びるどころか,ますます,新鮮な輝きを増しているようにさえ思います。

 iPS細胞を開発した山中教授がノーベル賞を受賞することになり,これまで縁遠い存在だった「iPS細胞」に関するかなり詳しい情報が一気に流れるようになり,その実態が身近に感じられるようになってきました。そして,とてつもない可能性を秘めている文明の利器や産物には,かならず両義性があるという事実もまた,わたしたちの眼前に曝け出されたように思います。

 時折,このブログにコメントを入れてくださる「大仏さん」から,10月9日のブログにどきりとさせられるコメントが寄せられました(すでに,公開してありますのでご覧ください)。中3になる次男さんが「ついに人間が死ねない時代が来ちゃった」とつぶやいた,というのです。世の中が「めでたい,めでたい」で浮かれているさなかに,「死ねない時代」を直感した大仏さんの次男さんは素晴らしい感性の持ち主だと思います。

 いまの医療はすでに,最善の治療を施し患者が意識不明のままになっていても,あるいは,完全に植物人間になってしまっていても,あらゆる手段を弄して患者の寿命を引き延ばすことに全力を傾けます。つまり,本人の意志に関係なく,すでに「死ねない」情況が生まれています。場合によっては,こういう人ですら,iPS細胞を応用すれば,意識がもどってくるかもしれない,というこれまでは考えられなかったような期待をいだかせもします。ということは,もはや「死ねない」という情況が不動の事実となって現前する方向に,やみくもに進んでいるように思います。

 こうした情況を見据えた上で,「ついに人間が死ねない時代が来ちゃった」ということを中3の少年に直感させたとしたら,iPS細胞のもつ影響力は測り知れないものがあります。iPS細胞の「初期化」機能を応用して,古くなった細胞をつぎつぎに新しくしていけば,たしかに,人間は「死ねなく」なってしまうのでしょう(あまり詳しいことはわかりません)。

 だとしたら,ここで大問題が立ち現れることになります。人間が死ねなくなってしまったとしたら,あちこちに「300歳」「500歳」,いやいや「1000歳」などという老人(いな,若者?)がごろごろしていることになります。「死」の不安から解放された人間は,さぞかし幸せなことだろうと,「死」に閉じ込められた側の多くの人は想像することでしょう。しかし,人間から「死」を奪い取る,あるいは,「死」に蓋をしてしまうと,人間はどうなるのでしょうか。「死」とは無縁の,永遠に生きつづける人間を想像してみてください。少し考えてみれば明らかになるように,死ぬという現実がなくなってしまえば,もはや,生きる意味もなくなってしまいます。「死」のない世界を「生きる」ことは「死んでいる」ことと同じになってしまいます。つまり,「生」と「死」の違いがなくなってしまいます。

 人間は「死に向かって生きている」といわれます。「死」があるから,生命が有限であるからこそ,「生」を大事にし,その「生」を輝きあるものにしようという意欲が湧いてきます。これが,人間が「生きる」ということの実態ではないでしょうか。

 繰り返しますと,「死」と「生」の境界がなくなってしまうということは,人間が生きる意味を失ってしまうということになります。となると,人間が「存在」する意味もなくなってしまいます。それは「死の世界」となんら変わらないことになってしまいます。あの世もこの世も同じになってしまいます。

 こうなると,もはや「倫理」などという低俗な問題ではなくなってしまいます。人間が存在する根拠も理由もなにもかもなくなってしまうのですから,「倫理」もへったくれもありません。もはや,「死」の世界を生きているのと同じになるのですから。

 この大問題に,わたしたちは,人類史上はじめて直面することになってしまいました。もう,あともどりはできません。開けてはいけない「パンドラの箱」の蓋を,開けてしまったのですから・・・。いったい,だれが,どのようにしてこの蓋を締めるのでしょうか。

 と,ここまで考えてくると,山中教授のやったことはいったいなんだったのだろうか,というとんでもないところに帰着することになります。そして,そのあとを追って,iPS細胞の実用化に向けて凌ぎを削っている世界中の研究者・学者の行為とはいったいなんなのか,という大きな,大きな,根源的な疑問も同時に湧いてきます。そのさきには,ますます恐ろしい世界が待ち受けているように,わたしには思えて仕方がありません。

 すでに,「パンドラの箱」の蓋は開けられてしまいました。しかも,その蓋の締め方を,だれも知りません。これは「核」とまったく同じ構造ではありませんか。

 ここからさきのことは,少し,わたし自身の頭を冷やしてから考えてみたいと思います。
 「死ねない時代」・・・「不死のワンダーランド」が,ついに現実のものとなりつつある,その進みゆきにわたしたちはいま立ち会わされているのです。ひょっとしたら,核とiPS細胞という二つの,「神の領域」からひっぱり出してきた「人工物」を前にして,「死」と「生」のワンマンショウを見せられているのかもしれません。

そして,人類とはなんと愚かな生きものであることか,と。

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