2012年10月6日土曜日

住民の力で電力会社をつくったドイツのドキュメンタリー映画『シェーナウ市民の熱き想い』をみる。圧巻。

 「みんなで決めよう『原発』国民投票 神奈川」が主催するイベントが藤沢で行われるというので,でかけてみました。わたしの主たる目的は,そこで上映されるドキュメンタリー映画『シェーナウ市民の想い』(Das Shoenauer Gefuehl)を観ること。溝の口の駅前コンコースで手渡されたちらしによれば,原発から身を守るために,自分たち市民の手で電力会社をつくっていくプロセスを追ったドキュメンタリーだということです。これは,後学のためにもなにがなんでも観ておかなくてはいけない,と覚悟を決めてでかけることにしました。もちろん,メールで予約を入れておきました。担当者からは,丁寧に,会場でお待ちしています,という返信までいただきました。

 少し早めに到着しましたので,まだ,人もまばら。一番前の席を確保して上映を待ちました。しかし,上映がはじまるころには超満員。立ち見の人もあったほどでした。

 このドキュメンタリー映画の舞台となった「シェーナウ」(Schoenau)市は,映画に映し出された風景からすれば,ドイツの高地地帯(北部山岳地帯)の谷間の,文字どおり美しい谷間に広がる街(村に近い),とお見受けしました(地図で調べればいいのですが,省略)。ヨーロッパの山岳地方の谷間には,どこに行っても美しい集落が点在しています。が,ここ「シェーナウ」は「美しい」=schoenという形容詞に「アウ」=auという語尾(おう!あっ!という強調語)がついた地名です。ですから,意訳すれば「絶景地」となります。映画のタイトルになっている「シェーナウアー」=Schoenauerは,語尾の「er」は人を意味しますので,「絶景地に住む人びと」となります。もっと意訳すれば「素晴らしい人びと」とも訳すことができます。

 ですから,映画のタイトルは,わたし流に訳せば「絶景地に住む人びとの想い」「素晴らしき人びとの想い」となります。ドイツ人はそういう意味をくみ取りながら,このタイトルを受け止めているはずです。が,わかりやすく「シェーナウ市民の熱き想い」と訳すことにしました。いずれにしても,この「シェーナウ市民」は,いわゆる「並みの人びと」ではありません。なにせ,自分たちの命を守るために大手電力会社の原発依存電力に反対して,自分たちでソーラーシステムを中心とした再生可能エネルギーを供給する電力会社をつくってしまった人たちなのですから。しかも,10年にわたる長期間,苦労に苦労を重ねて,その目的を達成したのですから・・・。

 ことの発端はチェルノブイリでした。シェーナウから25キロのところに原発があることは,むかしから承知していました。しかし,チェルノブイリの惨状がリアルにわかってくるにつれ,まずは,チェルノブイリの子どもたちを一時避難させて預かり,支援することから市民の運動がはじまります。そして,すぐ近くにある原発の存在が徐々に脅威となって市民の間に浸透していきます。もし,チェルノブイリのような事故が起きれば,自分たちもまた故郷を捨てて避難しなくてはならないことをはっきりと自覚します。しかも,二度と帰ることもできないことも。やがて,原発を停止させなくてはならない,がシェーナウ市民の合言葉になります。

 そうして,まず第一に取り組んだことが「節電」でした。無駄な電力を使わない,これを徹底させていけば原発に依存する必要はなくなる,と考えました。一年で驚くべき成果をあげました。その成果を踏まえて,シェーナウ市民は,電力使用量の少ない人の電気代を安くして,大量に使用する人から高い料金を徴収したらどうか,と電力会社に迫ります。が,電力会社はまったく相手にもしてくれません。

 ならば,自分たちで電力会社をつくってしまおう,という運動が立ち上がります。ここからが大変でした。自分たちの電力会社をつくるかどうかをめぐって市民の意見は真っ二つに分かれて,大議論になっていきます。そうして,二度にわたる住民投票を経て,僅差で電力会社をつくる案が勝利します。この間の,住民運動の,粘り強い努力が,事細かに,じつに詳しく描かれています。それだけでも感動そのものでした。

 しかし,それからが大変でした。まだまだ電力会社をわがものとするための高いハードルがありました。それは,電気の送電線を大手電力会社から購入するための資金でした。どこまでも自力で,と考えた市民たちは,その資金を住民の寄付に頼ることにしました。それも驚くべき速さで目標額を達成。いよいよ大手電力会社に購入交渉に入ると,こんどは準備した資金の倍以上の金額を要求されます。困った市民たちは,一方で裁判の準備をしつつ,ドイツ全国にわたって寄付を呼びかけます。そして,その寄付は,裁判で勝ったときには,できるかぎり還付する,という条件つきでした。これが効を奏して,あっという間に目標額を大きく越えてしまいます。すると,大手電力会社の方が,裁判に勝てないと判断して,大幅な減額を申し出て一件落着です。

 それ以後の話は省略します。が,結末(2007年)には,シェーナウ電力会社(市営)は再生可能エネルギーで生産された電力をドイツの各地から買い集め,それを販売する一大事業として成長していきます。まさに,シェーナウはドイツにおける反原発運動の嚆矢として,輝かしい歴史を築いたという次第です。そして,この運動は,ドイツの各地方に広がっていきます。やがて,送電線は無料で解放され,だれでも使えるものになります。

 こういう実績があって初めて,ドイツ政府による原発廃止という一大決定を可能とした,ということをわたしたちは肝に銘ずべきです。情けないことに,わたしたち日本人は,チェルノブイリの事故も,スリーマイルズ島の事故も,まったく他山の火事とばかりに傍観するのみでした。そして,なんの反省もしませんでした。政府も国民も。間抜けでした。そして,突然,「3・11」(2011年)という大災害のもとで,フクシマの事故を経験しました。それでもなお,政府は玉虫色から原発稼働に傾き,自民党は明確に原発維持を打ち出し(総裁選挙の結果),流れはどんどん再稼働に向かっているように思われます。まさに国民不在の政治がまかりとおっています。困ったものです。

 国民の約7割は,反原発,脱原発だと言われているにもかかわらず,そんなことはどこ吹く風とばかりに,政治家の大多数と財界・官僚・学会・メディアが手を組んで,原発推進をめざしています。でも,こんどというこんどは,国民も黙ってはいません。これから,いずれ遠からずやってくる選挙に向けて,はっきりと「NO!」と言える覚悟を決め,その輪を広げていく必要があります。そうしないと,とんでもないことになってしまいます。

 経済のことはとりあえず我慢すればいい。命はなにものにも代えられません。まずは,命です。その上で,経済(それもこれまでとは違う経済)をみんなで智慧を出し合って考えればいい。

 シェーナウの人びとのように,10年かけてでも,反原発運動をつづける覚悟が,いまの日本人にあるだろうか(わたしも含めて)と心もとない想いで,映写会をあとにしました。仕事の関係で,そのあとの懇談会には参加できませんでしたが・・・。

 それでも,「みんなで決めよう『原発』国民投票 神奈川」のような活動が,さまざまなかたちで全国的に展開されていることに,わたしは意を強くしています。そして,なにかが動きはじめている,という実感が日毎に大きくなりつつあります。今日/明日にかけても,そして,これからも,じつに多くの集会があちこちで予定されています。そして,デモも広がっています。しかし,テレビ/新聞のほとんどは,国民のこの小さな(しかし,あなどることはけしてできない)意思表明を無視しつづけています(沖縄のオスプレイ配備に対する反対運動も)。いったい,この国の中枢にいる人びとはなにを考えているのだろうか,と信じられない想いです。

 若者たちは,もはや,テレビにも,新聞にも「見切り」をつけています。そして,インターネットにシフトしています。ここには,直接的な,人びとの生の声が露出しているからです。もはや,権力によるコントロール不能の,自由な世界が広がっているからです。これからの可能性はここにある,と言っても過言ではないでしょう。

 小さな,小さな個別の市民運動が,徐々に徐々に,その輪を広げていき,やがて,大きな輪となって手を結び合うときがかならずくる,と夢見ています。そのために,わたしも折あるごとに,あちこちの集会やデモに顔を出し,微力をつくしたいと思っています。

 今日は「みんなで決めよう『原発』国民投票 神奈川」のみなさん,ありがとうございました
 取り急ぎ,お礼に代えて,このブログをしたためました。これが,映写会に参加させていただいたわたしの感想です。もう一度,ありがとうございました。

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