2012年11月1日木曜日

4冊の本を衝動買い。みんな「買ってくれ」と向こうから声がかかりました。

 ふらりと入った本屋の書棚から,ときおり,「買ってくれ」という声が聴こえてくることがあります。昨日はそういう日でした。ちょっと恥ずかしいですが,聴こえるはずのない声に誘われて,衝動的に買ってしまった本を紹介しておきましょう。

 〇『空(そら)の拳(こぶし)』,角田光代著,日本経済新聞出版,2012。
 〇『重力と恩寵』,シモーヌ・ヴェーユ著,田辺保訳,ちくま学芸文庫,2012年,第13刷。
 〇『母なる海から日本を読み解く』,佐藤優著,新潮文庫,平成12年11月1日刊。
 〇『戦後史の正体 1945-2012』,孫崎 享著,創元社,2012。

 家に帰ってきて書棚をみたら,シモーヌ・ヴェーユの『重力と恩寵』は2冊目でした。こういうこともよくあります(買ったことを忘れている)。ですから,いい本は,ほとんど2冊持っています。場合によっては3冊になることがあり,さすがにこの場合にはだれか喜びそうな人にプレゼントすることにしています。そして,2冊揃った本は,1冊を書くこみ用にし,あとの1冊はなにも書き込まないできれいなままに保存しています。そして,そのときの気分で,書き込み用の本を取り出してきて読んだり,なにも書き込みのしてないきれいな方を読んだりしています。

 もちろん声を聴いただけでは本を買いません。そんなことをしていたら際限がなくなってしまいます。声が聴こえると,つい手が伸びていく。そして,あちこち,ペラペラとめくりながら拾い読みをします。その拾い読みが,なぜか,ピン・ポイントのようにその本のツボに当たることがあります。そうなると,もういけません。歯止めがききません。その瞬間に「買う」という意志が決まります。

 シモーヌ・ヴェーユの『重力と恩寵』を「買う」ことに決めた引き金はいくつもあります。ひとつは,シモーヌ・ヴェーユの本が一種のブームになっていて,あちこちの本屋さんに平積みにしておいてあります。そうか,とうとうシモーヌ・ヴェーユの時代がきたか,と感じとっていました。そこに,その日の太極拳の稽古のあとのランチ・タイムに,Nさんから,たまたまシモーヌ・ヴェーユの「義務」と「糧」の話がでてきて,いくつか質問をすることがありました。そのとき,あっ,そうか,というひらめきがわたしのなかに起きていました。さらには,この本の巻末にあるギュスターヴ・ティボンの「解題」(とても長いもの)が,ぐいぐいとわたしを惹きつけてくれました。

 もうひとつは,以前からシモーヌ・ヴェーユのいう「恩寵」という意味がいまひとつ納得がいかない歯がゆさがのこっていました。それは,今福龍太さんの『ミニマ・グラシア』(岩波書店)のなかで,シモーヌ・ヴェーユを引きながら,ホメーロスの英雄叙事詩『イーリアス』のなかの英雄同士の一騎討ちの場面をとりだし,そこに「恩寵」をみる,という話のところです。もう少し詳しく触れておきますと,イーリアスとリュカオン(トロイア王プリアモスの若い息子)との対決場面の最後の描写です。リュカオンはイーリアスに丸裸にされて,もはや戦うすべもなくなり,両手を広げてイーリアスに(命だけは助けてほしいと)懇願するのですが,それでもなおイーリアスはとどめの刃を突き刺します。このあたりのことを,もっともっと精緻に描きだしながら,ここに「恩寵」をみる,という言い方を今福さんはします(詳しくは,『ミニマ・グラシア』,「戦争とイーリアス」P.155~206.を参照のこと)。しかし,そこのところがいまひとつわたしの腑に落ちないままになっていた,ということです。

 しかし,タイミングといいますか,時期といいますか,レディネスといえばいいでしょうか,そういう出会い(シモーヌ・ヴェーユとの)がいまごろになって訪れた,といえばいいでしょうか。『重力と恩寵』の表紙カバーには,つぎのようなキャッチ・コピーが,わたしの眼にこれみよがしに目立つように書かれていました。

 「重力」に似たものから,どうして免れればよいのか?──ただ「恩寵」によって,である。「恩寵は満たすものである。だが,恩寵をむかえ入れる真空のあるところにしかはいって行けない」「そのまえに,すべてをもぎ取られることが必要である。何かしら絶望的なことが生じなければならない」。真空状態にまで,すべてをはぎ取られて神を待つ。

 このコピーは以前にも読んでいるはずです。が,そのときは,なんのことやらさっぱりわからないまま,わたしの思考は止まっていました。が,いまは,こんなにみごとな「恩寵」に関する言説があるのだろうか,と思うほどに納得できてしまうのです。ですから,そういうことなのか,では,「買わなくては」になってしまうというわけです。これもまたみごとな出会いとしかいいようがありません。もう,これだけで「買う」だけの価値があります。いまのわたしにとっては。

 さて,長くなってしまいましたので,ほかの本のことについては,また,機会を改めたいと思います。とりあえず,今日のところはここまで。

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