2012年12月6日木曜日

IOC,ドーピングの再検査により,2004年のアテネ大会4選手のメダル剥奪を決定。どこか狂っていないか。

 8年前にさかのぼって,オリンピック・アテネ大会のメダリストから採取した検体を,ことしになって最新の技術を用いて再検査し,筋肉増強剤による違反が見つかったので,4人のメダリストのメダルを剥奪する,という。

 数日前からインターネット上を流れていた情報(8年前のドーピング違反によるメダル剥奪)が,いよいよ現実となった,ということだ。そんなバカなことが起こっていいのだろうか,とわたしは密かに危惧していた。

 IOCは5日にスイス・ローザンヌで理事会を開催し,陸上競技のメダリスト4人からドーピング(禁止薬物使用)が判明したので,メダルを剥奪する,と決定。ただちに,メダル剥奪にともなう順位の繰り上げを国際陸上競技連盟に通知する,という。

 メダル剥奪の決まった選手は以下のとおり。
 男子砲丸投げ・金メダル:ユーリー・ビロノク(ウクライナ)
 男子ハンマー投げ・2位:イワン・チホン(ベラルーシ)
 女子砲丸投げ・3位:スベトラーナ・クリベリョワ(ロシア)
 女子円盤投げ・3位:イリーナ・ヤチェンコ(ベラルーシ)

 わたしが危惧する点の主なものだけをここに挙げておこう。
 1.8年前の違反を裁くことの意味・・・競技会直後にメダリストのドーピング・チェックは行われているはず。そのときに「シロ」とされたものが,8年後に「クロ」と断定され,メダリストを「犯罪者扱い」にすることの意味。
 2.競技が行われた時点でのドーピング・チェック技術で完了とすべきではないのか。ドーピング・チェックの技術は日進月歩と聞いている。より厳正を期すること自体に異を唱えるつもりはない。だからといって,8年も前の検体を調べて,判定をくつがえすことの意味はなにか。
 3.今回のドーピング・チェックの再検査は,すべてのメダリストに対して行ったのだろうか。(ソウル・オリンピックで男子100mの金メダルを獲得し,のちにドーピング検査の結果,メダルを剥奪されたベン・ジョンソン選手の主張によれば,100m決勝レースに出場したすべての選手のドーピング・チェックをすべきだ,と。かれは,自分だけが「抜き取り」検査されたことのアン・フェアさを訴えていた。しかし,それは叶わなかった。)
 4.こんど繰り上げられるメダリスト予定者からは検体が採取されているのだろうか。そして,そのチェックはなされているのだろうか。
 5.今回の再検査が「抜き取り」検査だったとしたら,それこそ大問題であろう。わたし自身は一抹の不安をおぼえる。なぜなら,今回,メダル剥奪の対象となっか選手たちの国名が,ウクライナ,ベラルーシ,ロシア,の3国に限定されているからだ。これ以上の憶測は控えておく。
 6.こんごもドーピング・チェックの技術は,ますます精度を高めていくことだろう。だとすれば,これからも続々と「メダル剥奪」などという珍現象が起こる可能性がある。
 7.いったい,アスリートたちから採取した検体は,何年間,保存されることになっているのだろうか。
 8.参加選手全員から検体を採取することは不可能だろうが,はたして,全競技種目の上位者何人まで,検体を採取し,保存しているのだろうか。
 などなど,考えていくとキリがない。

 わたし自身はドーピング・チェックの方法そのものに大いなる疑問をもっている。つまり,この世界での「フェア」は,だれが,どのようにして確認できるようになっているのか,疑いをもっている。たとえば,ドーピング検査の項目ごとに仕事が細分化されていて,検査医自身にすら,全体がどのように動いているのか不明である,と長年,検査医として国際的に活躍された方から直接伺っている。しかも,検査医には「守秘義務」が課されていて,いっさい,口外はまかりならぬということになっている,という。検査医同士の間でも,「守秘」が厳しく守られている,という。

 したがって,最終的に,だれが,どのようにして検査結果のデータを集計して,「クロ」と断定しているのかわからないのだそうである。

 そういう世界で,8年前の検体を再検査することの意味そのものが,わたしにはほとんど理解不能である。一見したところ,最新の最先端の科学的手法を応用して,8年間も判定できなかった検体を再検査して,厳密に判定をくだすことは,まぎれもなく「正しい」ようにみえる。しかし,はたしてそうだろうか。

 このニュースに接して,まっさきに思い浮かべたことは,橋本一径さんが書いた『指紋論』である。加えて,ドーピングをしたのとまったく同じ血液を,遺伝的に,先祖代々継承している選手もいた,という橋本さんの指摘を思い出す。この話も,橋本さんが『ドーピングの哲学』というフランス語で書かれた文献(まだ,翻訳されてはいない)に基づいて,わたしたちの研究会の席で一度,そして,ついこの間のスポーツ史学会のシンポジウム(12月1日)の席で二度目のお話を聞かせていただいた。

 ことほどさように,ドーピング問題には,未解決の疑問点が山積しているのである。それらを承知の上で,すべて無視して,ブルドーザーのように荒れ地を整地し,公平さを装うことによって「正義」の御旗をかかげるやり方は,どこぞの,なにかととてもよく似ている。

 この問題はとても奥が深く,どんどん詰めていくと,最終的には思想・哲学上の議論になっていく。そこまで詰めた議論を,わたしたちはこれからやっていかなくてはならない。わけても,オリンピックを擁護する人たち,つまり,アンチ・ドーピング運動に従事している人たちにとっては喫緊の課題であるはずなのだが・・・・。

とりあえず,今日のところは,ここまで。

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