2013年12月31日火曜日

鎌田東二著『聖地感覚』(角川ソフィア文庫,2013年)を読む。「生態智」を提言。

 小学生から大学生になるまでの間,わたしは田舎の小さな禅寺で育った。だから,寺というものの存在の仕方を内側から肌で感じ取り,無意識のうちに骨肉化していたように思う。それはどういうことかというと,寺の境内にはさまざまなパワー・スポットがあって,そこに近づくことを忌避したり,ときには惹きつけられたりする。そういう感覚が,いわゆるふつうの仕舞屋(しもたや)で育った人たちよりもほんの少しだけ敏感なような気がする。

 わたしくらいの年代の人であれば,子どものころに感じた鎮守の森の神秘感を記憶しているに違いない。かつての神社や寺院は,どこもこんもりとした森につつまれていた。そこには一種異様な空気が流れていた。それをわたしたち子どもは日常的に感じ取っていた。そこは通俗的な世間の空間とは異なる神秘の宿る聖なる空間だった。それを感じ取る感覚,すなわち「聖地感覚」。

 この神秘の源泉であった鎮守の森が伐採され,社殿や寺院が明るくなったことによって,わたしたちの「聖地感覚」が鈍麻されてしまった。その結果,こんにちの子どもたちは,わたしたちとは異なる,まったく別種の,言ってしまえばサイエンティフィックな「聖地感覚」が育っているらしい。その元凶はなにを隠そう,敗戦後のアメリカによる占領政策のもとで展開された生活の合理化運動が,いまとなっては大きな影を落としているように思う。

 それはともかくとして,鎌田東二さんは人間が自然と真っ正面から向き合ったときにおのずから生ずる「聖地感覚」を取り戻すことが,とりわけ,「3・11」以後の日本人にとっては不可欠であり,喫緊の課題である,と熱っぽく説く。そのエッセンスがびっしりと詰め込まれた本,それがこの『聖地感覚』である。

 鎌田さんの主張する「聖地感覚」は,ひとことで言えば「生態智」(エコソフィア)だという。そして,このことばを以下のように定義づけている。

「生態智」とは,「自然に対する深く慎ましい畏怖・畏敬の念に基づく,暮らしの中での鋭敏な観察と経験によって練り上げられた,自然と人工との持続可能な創造的バランス維持システムの技法と知恵」であるとわたしは定義している。

 そして,そのような定義にいたるプロセスを,さまざまなフィールドワークをとおしてからだで感じ取れるようになってきたことを力説している。その一部を紹介しておくと,以下のとおりである。

 理性知よりも,もっと深く大きな身体知というものに目覚めるだろう。ニーチェは『ツァラトゥストラかく語りき』の中で,「身体は大きな理性」だと語ったが,まさに頭脳の中の小さな理性を超え,それを包み込む「大きな理性」としての「身体理性=身体知」に目覚めるだろう。そして,その「身体知」がこの宇宙・世界・自然の中にある脈動・律動・情動をクリアに感じとり,察知し,洞察する中で「生態智」を学び,わがものとしていくのだということがよくわかってきた。

 わたしたちがいま享受てしいる現代文明の対極に位置づくもの,それが「生態智」だ。現代文明が「理性知」を求めつづけた結果が,「3・11」となって現出した。だから,そこから思い切って舵を切り直し,いま一度,見失ってしまった「身体知」をとりもどし,その「身体知」をとおして宇宙・世界・自然と交信・共鳴・共振させることによって「生態智」を学び,わがものとしていこう,と鎌田東二さんは力説する。

 この本を読みながら,もうずいぶん昔のことになるが,スポーツ史学会のシンポジウムにお招きして,お話を伺ったことがある。そのとき,石笛を鳴らして聞かせてくれた。人工的な手がひとつも加えられていない,自然のままの穴の開いた石,その石に人の息を吹き込むことによって自然の石が蘇生する。その音色のなんと神秘的なことであったことか。

 この自分のからだから出る息を吹き込むことによって自然の石が鳴り響く。この音をとおして,わたしのからだと自然とが交信をはじめ,やがて一体化していく。これは単なる自然回帰ではない。それは新たなる自然存在としての人間のあり方への道を拓くものだ。わたしの関心事に引きつけて言わせてもらえば,近代の臨界点をかろうじて通過したのちの,後近代を生きる人間の存在様態を指し示すものだ。鎌田東二さんのまなざしはまぎれもなくそこに向かっている。

 大づかみに言うと,この本はそういう本だ。しかも,奥の深い本だ。したがって,この本の細部については,また,機会を改めて書いてみたいと思っている。とりわけ,第三章 聖なる場所の秘密,一.三輪山──「ミワ」という聖地感覚の秘密,については詳細に分析してみたいと考えている。まったく新たな三輪山論が展開されていて,興味津々である。わたしの追っている野見宿禰論にも大きな影響力を与えずにはすまされない,強烈な仮説の提示である。

 まずは,鎌田東二さんの「生態智」の提案に,じっくりと耳を傾けてほしい。お薦めである。
 

2013年12月30日月曜日

父猿之助との葛藤を乗り越え,中車を襲名した香川昭之に期待大。芸能の底力に触れる。

 29日,遅い朝食をとっていたら,NHKテレビが再放送のいい番組をやっていた。NHKスペシャル・密着300日,歌舞伎に挑む香川昭之,父・猿翁の秘めた思い。

 すでに俳優としての地位を確立していた香川昭之が,あえて歌舞伎俳優となる決意をしてから,中車を襲名するまでの300日を追ったドキュメンタリー。その迫力ある内容に触れ,久しぶりに鳥肌が立った。なにに? 歌舞伎という芸能のすさまじさに。親子の縁も断ち切ってしまうほどの「魔力」が歌舞伎の世界には生きているということに。そのことを充分に承知の上で,あえて挑戦しようという香川昭之に。最初から最後まで,ピーンと張りつめた空気が流れている。

 香川の父・猿翁は先代の猿之助。母は女優の浜木綿子。香川が生まれてまもなく両親は離縁。それも,父の芸能魂に火がついた,というただそれだけの理由。ひとしなみの家庭を営み,家族の愛情にひたることが芸能の道の支障となる,と。そう考えて親子の縁を切る。以後,一度もこの親子は対面していない。香川が成人してから父を尋ねていくと,父は冷たく「あなたとはなんの関わりもありません。父でも子でもありません。もう,二度と尋ねてくるな」と追い返してしまう。

 以後,香川は父の本心がどこにあるのか,と考えつづける。香川は母・浜木綿子に育てられ,東大を卒業した俊才である。父にも人間としてのやさしい心がどこかにあるはずだ。にもかかわらず,その心をあえて押し殺して生きる道を選んだのはなぜか,その理由が知りたい,と。でも,父は会ってはくれない。

 父・猿之助(離縁当時)は,歌舞伎界の常識を破る新たな挑戦をつぎつぎに繰り広げる。世にいう「スーパー歌舞伎」だ。意表をつく「早変わり」「宙づり」,斬新な「隈取り」など,つぎつぎに「新工夫」を繰り出す。当時の歌舞伎界では異端児として扱われ,批難ごうごうだった。それでも猿之助の芝居は面白い。人のこころを虜にしてしまう,そんな魅力があった。ヨーロッパ遠征でも大成功し,ようやく歌舞伎界でもその存在を大きく認めざるをえなくなる。

 40歳を過ぎた香川がふたたび父との接触をはかる。しかし,会ってはもらえない。が,その父が脳梗塞で倒れ,猿之助の芸名が甥の市川亀次郎に引き継がれることになる。そのころから,父の態度に変化が表れる。親子の接触が少しずつ可能となり,ついに,香川は父に歌舞伎の世界への入門を申し出る。そして,弟子入りをはたす。40歳台半ばをすぎてからの歌舞伎界への転身である。異例のできごとである。

 父はリハビリに励む。香川は異例の「中車」襲名のための稽古に入る。からだの自由を奪われ,言語の障害も残る父の前にひれ伏して,渾身の稽古を重ねる。父も香川の一挙手一投足を眼光鋭くみつめながら,ことこまかな注意を与え,何回も何回も繰り返させる。それに応えて,必死の形相で台詞回しの稽古をつづける。汗まみれの顔なのか,涙にくれる顔なのか,その区別さえつかないほどの全身全霊をこめた稽古ぶりに,わたしはいたく感動した。いまどき,どの芸能の世界で,これほどの厳しい稽古が行われているだろうか。一対一の真剣勝負だ。いわゆる「面授」。

 こうして香川の芸能魂に火がつく。なりふり構わず,父の指導に食らいつく。一歩も引かないその姿勢がすばらしい。真っ向勝負にでている。こうして「中車」襲名披露のための,血のにじむような,いや,満身創痍と言ったほうがいい,そういう「行」が積み上げられていく。

 その裏で,父は,あれで舞台が勤まったとしたら,それは奇跡にも等しい,と周囲にもらす。その奇跡を起こすべく香川はまっしぐら。その熱情に周囲も動かされ,みんなが香川を支援する。そうか,歌舞伎の世界は Leidenschaft (気も狂わぬばかりの情熱)が勝負なのだ,と納得。かぶく,とはこういうことなのだ,と。

 おそらくは,香川自身もこの火のでるような稽古をとおして父の真意をつかみとったに違いない。そして,自分の長男の「団子」襲名披露のための稽古にも気配りをする。この団子がまた素晴らしい。まだ,幼子だが,じつに聡明な顔をし,台詞回しもみごと。祖父の猿翁も,孫は別のようで,かわいくて仕方がない。そうして,この子はわたしよりいい歌舞伎俳優になれるよ,とにこにこ顔で太鼓判を押す。それを素直に受け止めている団子の将来もまた楽しみだ。

 祖父・猿翁の身辺で遊び,父が,俳優香川昭之を捨て,歌舞伎俳優の中車となる,その瞬間瞬間を空気のように吸って育つ。これもまたすさまじいと思う。祖父の隠居姿と,父の死と再生。そして,みずからの団子としてのスタート。これらが同時進行しながら,団子の血となり肉となっていく。

 歌舞伎は奥が深い。こんど新歌舞伎座で中車の芝居がかかったら,ぜひ,見にいきたいと思った。そして,芸能の底力をみとどけてみたい。猿翁の遺伝子がみごとに中車のなかに引き継がれ,花開いていく,その姿をこの眼で。

 猿翁は,若くして歌舞伎のなかにある異次元世界の魅力に触れてしまったに違いない。そこに手がかかってしまった以上,もはや後には引けない。歌舞伎界の異端児と中傷されながらも,わきめもふらず,一心不乱に新しい工夫を加え,沈滞気味の歌舞伎界に新風を吹き込んだ。中車も,いまではからだをとおして,猿翁の真意を受け止めていることだろう。

 稽古ですら,あれだけの迫力満点の演技や台詞回しができていて,それをテレビでみているわたしが感動するのだから,やはり,新歌舞伎座で生の公演をみてみたい。間違いなく,歌舞伎界に新しいヒーローの誕生である。これで,猿之助を襲名した市川亀次郎のこころにも火がつき,ますます迫力満点の,そして円熟した舞台をみせてくれることだろう。この相乗効果ははかりしれないものがあろう。そこに団子がからむ。いよいよ楽しみだ。
 

2013年12月29日日曜日

脱原発,特定秘密保護法廃案,などを掲げる宇都宮健児さんを都知事に。

 宇都宮健児さんが,再度,東京都知事選挙に挑戦するという。昨日(28日)の講演会で,その強い意志を表明。講演会要旨を新聞で読んで,深く感動しました。そして,なにより「いいなぁ」と思ったのは,「わたしの主張を支持してくれる政党があれば,それは断らない」という,どこまでも独立独歩「無所属」(市民派)の姿勢を貫いていることだ。こういう人にこそ,東京都の知事になっていただきたい,と。この前の選挙のときも,この人がいいと思っていたが,惜しくも次点。こんどこそ,と祈りたい。

 「脱原発」を旗印に,「安倍政権の暴走を止める」と高らかに宣言し,「東京から国政を変える」とする,いわば国政選挙の姿勢を示した。まことに時宜を得た明察に,こころから賛同の意を表したい。そして,後出しじゃんけんのような選挙を全面的に否定。市民運動はそういう利権がらみの選挙とは無縁である,と。そして,国民の命を犠牲にしてまで経済を優先させる国の政策に歯止めを打つ,と。その第一歩が「脱原発」である,と。

 ここからさきの分析は,それぞれの関心領域によって分かれていくと考えられますので,わたしは2020年の東京オリンピックとの関連で考えてみたいと思います。

 2020年の東京オリンピック開催は,まず,なによりもフクシマの安全を確保することが最優先だ,というのが宇都宮健児さんの主張。まさに,正論。いまも日々,汚染水が海に流れ出ているかぎり,この事実に蓋をするようなオリンピック開催であってはならない,と。そのためにも,脱原発をかかげ,まずは,新潟県柏崎の刈羽原発の廃炉を,東京電力の総会で,大株主である東京都が提案しなければならない,と宣言。

 フクシマが,いま,どのような情況になっているのかは,その重要なポイントについてはすでに「秘密」になったままだ。12月上旬に急遽発行された雑誌『世界』の臨時増刊号は「イチエフ・クライシス」を特集し,各専門家の声を集めている。その特集の柱は4本。Ⅰ.イチエフはいまどうなっているのか,汚染水問題の現状は,Ⅱ.福島の現在──原発事故は何をもたらしたのか,Ⅲ.東電・原子力ムラをどうするか,Ⅳ.たたかいはつづく。東京オリンピックを成功させたいと願う人は,まずは,この本を熟読することからはじめてもらいたい。でなければ,東京オリンピックは原発事故隠しのためのたんなる手段でしかなくなってしまう。

 その意味でも宇都宮健児さんの主張にわたしは大いに賛成。

 つづいて,オリンピック開催会場の建設は,復興を第一優先にして,人手不足,資材不足という深刻な現状を鑑み,可能なかぎり縮小して無駄な経費を削減する,と断言している。人として,当たり前のことを言っているにすぎないのだが,いまの政治家の大多数は「人」ではないので,こんな発言はしない/できない。すでに,悪評の高い「新国立競技場」問題も,この人の手によって一気に解消してもらいたい。

 JRの中央線を跨ぐような,とてつもなく巨大な「新国立競技場」の建設などもってのほかである。そんな競技場を東京のど真ん中の,しかも,風致地区に建造する必要はなにもない。第一,建造後の維持管理費にも,とてつもない費用がかかる,と言われている。すでに,各種競技場を含めると,東京および首都圏には巨大な競技場があちこちに建造されている。まるで,古代ローマの断末魔の風景にも等しい。「パンとサーカス」はもう不要だ。

 最後にもう一点だけ。現在の安倍政権がつづくとオリンピック開催は不可能だ,と主張。アメリカですら反対する靖国参拝を強行するかぎり,中国・韓国との緊張が高まるだけだ。しかも,軍事色をますます鮮明にしつつある現状では,オリンピックという「平和と友好の祭典」を開催する上で大きな支障をきたす,と。

 こうした事態を憂慮しつつ,安倍政権の暴走に歯止めをかけ,無駄な経費を削減して縮小オリンピックを,それも,これまでのオリンピックとは一味違う新機軸を打ち出したい,という。この新機軸を東京発の新しいオリンピック・ムーブメントとして世界に発信する,という。この考え方を,わたしは全面的に支持したい。できることなら,宇都宮健児知事のもとでオリンピックの新しい理念づくりの支援をしたい,とも思うほどだ。

 こういうことを考えはじめるとエンドレスになるので,今日のところはここまで。

 結論:東京都民のみなさん! 脱原発,特定秘密保護法廃案,などを掲げる宇都宮健児さんを都知事に。そのための市民運動に力を,そして,大きなうねりを。

2013年12月28日土曜日

世の中,官公庁は仕事収めとか。わたしも大掃除にとりかかるか,とぼんやりした頭で考える。

 むかしから掃除は苦手。机上の整理も苦手。仕事の裁き方も苦手。最近はとくにはなはだしい。
苦手と言えば聞こえはいいが,なーに,ただ横着なだけ。そして,自分勝手なだけ。もっと言ってしまえばわがままなだけ。そのことは自分が一番よく知っているつもり。知っていることと,できるかできないかは別のこと。

 官公庁の勤め人は昨日(27日)でことしの仕事納めだったらしい。新聞をみて,あっそうか,と思う。フリー・ワーカーにはその感覚はない。わたしの場合は,いつも,書けないままの原稿の締め切り日に怯えながら,暮れも正月もなしに,だらだらと日々を過ごす。急いで書いてしまえばいいものを・・・といつも書き終えたあとには思う。これも生来のわがまま・意志薄弱に起因する,悪しき習性。あとの祭り,後悔あるのみ。ただ,それだけ。わかっちゃいるけどやめられない。好きでやめられない晩酌と同じ。

 いい歳をしてまだこんなことを言っている自分が恥ずかしい。それどころか,加齢とともに子ども返りをしていて,だんだん幼児のようにわがままになってくる。自分でもよくわかっているつもり。なにもかも我慢がきかなくなっている。堪え性が枯渇している。だから,すぐに怒る。ちかごろは怒る相手はもっぱらテレビ。とくに,ニュース番組。辺野古埋め立て容認だとッ! 靖国参拝を強行だとッ! 片っ端から吼えまくる。吼えたことは少し時間を空けて冷まし,できるだけ冷静になってからブログに書く。そうして,ほんの少しだけ昇華させて,バランスをとることにしている。そうしないとやってられない。

 フリー・ワーカーには曜日は関係ない。だから,今日(28日)をことしの仕事収めと自分で勝手に決めて,大掃除にとりかかろう。と,まずは理性がそう指示する。とは言っても力仕事はもうできない。からだが言うことをきかない。だから,自分の身の回りの片づけだけ。それだけでも,じつはたいへんなのだ。ことしは築後30年が経過したマンションの部屋の中の給排水管の取り替え工事が行われたので,そのときに一時的に荷物を段ボール箱に入れて片づけた。応援部隊に手伝ってもらって。が,その段ボール箱がまだそのままになって残っている。だから,まだ,生活のペースがもとどおりにはなっていない。

 冬の衣類もまだどれかの段ボール箱に入ったまま。早くみつけだしておかないと春がきてしまう。と,いくらかは焦りつつ,一向にからだは動かない。理性とこころとからだはますます別物になっていく。身心一元論なんて,最近は信じないことにしている。それどころか,理・心・身が,それぞれに好き勝手なことを要求してくる。その多くはみんな別方向を向いている。だから,いとも簡単に宙づり状態になる。だから,そのままなにもしないで,いや,なにもできないまま,悶々と時間をやりすごすことになる。というか,ぼーっと無為に時間をやりすごす。

 こんなときに,ふと脳裏をよぎるのは「幕引き」。そうか,これからは加齢とともに,ますますこういう時間が増えてくるに違いない。父の晩年を思い出す。好きな散策からもどるとベッドに横になり,中空に向かって指で文字を書いている。どういう文字を書いているのか,と聞いてみる。頭に浮かんだ文字を書いている,という。しかし,よくみるとその指の動きは,何回も何回も同じだ。同じ文字が頭に浮かんでは消え,浮かんでは消え,を繰り返しているらしい。

 ふと,存在と時間の関係はどうなっているのだろうか,と考えたことがある。いまや,そのように考えたわたしが,同じことを何回も何回も繰り返し考えている。考えているつもりでいる。しかし,実際にはなにも考えていないに等しい。なぜなら,いつまで経っても新しい考えは浮かんではこないのだから。同じ考えのままリングヴァンデルング(Ringwanderung )している。

 そこには時間の観念は消えているので,あっという間に時間は過ぎ去っている。こうして,ことしも一年が過ぎ去ろうとしている。毎日,毎日,大掃除をしよう,しなければならない,と理性はいう。しかし,こころは今日はやめにして明日にしようと主張する。からだは完全に拒否反応をしめして,どうすれば楽ができるか,と主張する。

 ああ,こうしてことしも暮れていく。
 そんなことの繰り返し。そのインターバルがどんどん短くなっていく,というのが実感。
 いよいよ幕引きのときが近づいてきたようだ。覚悟のほどはいいか,と自分に聞いてみる。いいんじゃないの,とぼんやりしたままの理性とこころとからだが答える。ここだけは一致する。それもまた不思議。

 加齢とは?
 サクセスフル・エイジングとは?
 と考えてみる。こうしてことしも暮れていく。あと3日。
 

長松禅寺の奇祭「どんき」のつづき。からす天狗と狐の関係について。

 昨日(27日)のブログを読んだ柴田さんから,早速に,新しい情報を提供していただきましたので,追加のブログを書いておきたいと思います。

 それは,からす天狗と狐がこの祭りの主役として登場することの根拠についてです。柴田さんから写真が送られてきたときには,「なんとも不思議な祭りです」とありましたので,わたしもそのまま受け止め,勝手な想像力をふくらませてしまいました。が,この間に柴田さんは,すでにつぎなるアンテナを張っていて,思考が進化(深化)していました。


 柴田さんのメールには以下のように記されていました。
 「添付は可睡齋の「あきやさま」の護符です。
 三尺坊はからす天狗の姿で描かれており,白狐に乗っております。
 どんきの白狐や天狗は,この護符に基づいたものと思われます。」

 なるほど,送信されてきた護符をみますと,白狐の背中の上にからす天狗が立っています。この白狐とからす天狗を主役にした祭りだからこそ「秋葉祭り」であり,それが,いつしか「どんき」と呼ばれるようになったという次第です。

 この護符には「秋葉三尺坊大権現」と書かれており,三尺坊が修験道の行者であったことが明らかです。ついでに,三尺坊のことを調べてみましたら,つぎのようにありました(Wikipedia)。

 由来:秋葉山の山岳信仰に,信州出身の修験者である三尺坊を没後に秋葉三尺坊大権現として御前立ちとして祀ったことが起源である。三尺坊は,越後の長岡蔵王権現の十二坊の第一である三尺坊に篭もって修行したのが,その名の由来であり,観音菩薩の化身とされた。遠州大登山秋葉寺から勧請された秋葉社が全国に広まった。

 可睡齋は,右の護符の下に書いてありますように,秋葉総本殿のことであり,遠州・袋井にあります。ここが禅宗であり,ここの末寺が秋葉寺です。このようにたどってみますと,秋葉祭りが長松禅寺に伝承されていても不思議ではありません。

 もっとも,「あきやさん」「あきやさま」信仰をたどっていきますと,これはこれでまた面白い話がいっぱいあるようです。ただ,遠州と三州にこの秋葉信仰が深く根づいた背景には,どうやら徳川家康が一枚噛んでいたようです。そのことと明治の廃仏毀釈の問題があって,秋葉祭りがさまざまな変遷をとげることになったようです。この問題はまた,別の機会に考えてみたいと思います。

 取り急ぎ,柴田さん提供による新しい情報に基づき,昨日のブログを補正させていただきました。この「どんき」という奇祭に,下佐脇の子どもたちが一喜一憂している映像をみると,やはり「お祭り」はいいなぁと思います。こういう祭りを先祖代々共有することによって,下佐脇の子どもたちは下佐脇の人となっていくのですから。この子どもたちが成人すると,こんどは「白狐」(子どもたちは「ホワイトコンコン」と呼んでいる)やからす天狗となって,紅ガラを塗る役割をにない,つぎの世代の子どもたちを追いかけるようになります。

 シモーヌ・ヴェイユが「根をもつこと」ということの意味の一つはここにもあるのだなぁ,としみじみ思います。

 柴田さん,ありがとう。また,いろいろと教えてください。

気仙沼市のTさんからのメール。仮設住宅でのご苦労の様子や近況など。

 ブログを書くことの功罪はさまざまですが,ときおり,ブログを読んだ人からメールがとどくことがあります。共感しましたというメールはとても嬉しいのですが,ときには毒づかれて傷つくこともあります。そんななかで,東日本大震災で被災された方からいただくメールは,つい緊張してしまいます。そのつど,わたしの日常のゆるさに気づかされ,大いに反省することしきりです。ですので,何回も読み返しては,失礼のないように返信することにしています。

 そんな被災された方のなかのお一人に,気仙沼市のTさんがいらっしゃいます。12月8日のメールに,初めて写真を添付してくださったので,ようやくTさんのお顔を知ることができました。なにかの身分証明書のお写真のようで,「わたしの近影です。若いころの写真は手元に一切ありません」とありました。なるほどと納得しながら,お顔をとくと拝見。わたしより少しお若い方ではないかな,と想像しています。

 何回ものメールのやりとりでわかってきたことは,以下のようなことです。ご本人のことばによれば,もともとは役人でしたが,奥さんの実家の家業を手伝うようになってしばらくして「3・11」の津波に会われたとのこと。その後,仮設住宅での生活を余儀なくされました。けれども,なんとかして家業を再開させたいと希望をいだいて役所との交渉を重ねてこられました。が,こんにちにいたるもなんの展望もえられないまま,辛い日々を送っていらっしゃいます。

 こんどのメールにはたくさんの添付資料がありました。
 たとえば,「平成24年11月28日の市長への要望書とその回答」というものや,「岩手日報」に掲載された記事や,奥さんの独身時代の写真や,論文「いわゆる科学的なるものについての一考察」や,奥さんが雑誌に投稿された「読者の手記」,といったものがありました。

 論文「いわゆる科学的なるものについての一考察」は,物理学に関する高度な内容で,わたしのような理系に弱い人間にはとても歯が立たないレベルのものでした。そこに登場する人物も物理学の重鎮ばかりです。しかも,そこにマルクスの理論が盛り込まれています。手紙の末尾には,「マルクス・コレクション」があれば読みたいとあり,わたしはたじろいでしまいました。

 また,わたしが書いたメールに「金曜日の首相官邸前にはできるだけでかけるようにしていますが,メディアはほとんど無視していて困ったものだ」と記しましたところ,「運動主体の側にも問題があるのではないか,もっとメディアを動かすだけの力をつけるべきだ」とチクリとやられてしまいました。かつては相当の活動家でいらしたな,とこれはわたしの想像。

 さらに,手紙の中には,うーんと唸らされてしまう文章が織り込まれています。たとえば,つぎのような文章がありました。
 〇復興とは,これまでの,この日本の抱えていた矛盾を拡大再生産することでしかなかったのか,それが現在の結論です。
 〇仮設住宅とは,普通に暮らし,普通に生活を再建しようと決意した住民にとってはその意欲を次第に鈍麻させるシステムではないかと思います。

 被災直後のショックは相当なものであったとご本人が書かれています。そして,そこからの気持の整理はまだつかないまま,いまも役所との交渉を重ねながら,日々格闘していらっしゃるとのことです。でも,最近は小説を書き始めているので,ある程度,書けたら送ります,とありました。この文章に接して,わたしは大いに安心しました。こういう意欲が湧いてきたのであれば,このさきは大丈夫だ,と。

 いつの日か,Tさんは家業再開の夢を,そして,奥さんは編み物をする夢を,実現されるに違いない,と。その道はまだ遠いのかもしれません。が,その日がやってくることを,わたしも陰ながら応援したいと思っています。「いつかお会いしたい」とTさん。わたしも同感。どこかでタイミングを見つけたいと考えています。

 寒いのは苦手ですので,春になって暖かくなったら,と。まだ,一度も訪れたことのない気仙沼市の地に立ってみたいと思います。そこでなにを感じ,なにを考えるか,自分を試してみたいと。

 Tさん,それまでお元気で。若くて美しい奥さんによろしく。
 

2013年12月27日金曜日

長松禅寺の奇祭「どんき」。神仏混淆時代の名残りか。穂国(ほのくに)の匂いも。

 ことしも友人の柴田晴廣(『穂国幻史考』の著者)さんから,たくさんのお祭りの写真を送ってもらいました。「穂国」(ほのくに)は愛知県三河地方の古称。どうやら「瑞穂国」の由来とつながっているらしいのです。つまり,日本の古代史にかかわるきわめて重要な根っこのひとつが,穂国・三河にある,というわけです。そのことは柴田さんの主著である『穂国幻史考』で詳細に論じられています。それを読むと,三河で育ったわたしには,そこはかとなく日本古代のロマンが伝わってきます。柴田さんももちろん穂国に生まれ育った人で,穂国の主のような住人です。

 その柴田さんが,四季折々に催される穂国の各地のお祭りを,毎年,欠かさずフィールドワークされていて,そのときに撮影された写真のおこぼれをわたしが頂戴している,という次第です。

 今回は,その一部を紹介してみたいと思います。
 表題にも書きましたように,長松禅寺(愛知県豊川市御津町の下佐脇)に伝わる奇祭・どんきについてです。残念ながら,わたし自身はまだ見たことのない祭りです。もっぱら,柴田さんの写真から想像力をたくましくして,あれこれ考えていました。が,柴田さんはこの「どんき」という祭りをビデオ映像でみることができる,その方法も教えてくれました。


 それは「こちら三河放送局」(http://allmikawa.tv)でした。早速,開いてみましたら,いくつものヴァージョンの映像(ここ数年の祭りの映像)をみることができ,この祭りの雰囲気もとてもよくわかりました。とても面白い祭りですので,ぜひ,ご覧になってみてください。

 まつりの概要をごくかんたんに紹介しておきますと,以下のとおりです。
 「どんき」とは秋葉祭のことで,火防(ひぶせ)のお祭りです。もともとは「どんき」とは撞木(しゅもく)のことで,この祭りに登場する狐(3),天狗(赤,青)がこの撞木に紅ガラを塗って,それを子どもたちの顔に塗りつけるのです。紅ガラを塗られた子どもは無病息災で,丈夫な子に育つというわけです。それでも,狐や天狗が塗るわけですので,小さな子どもたちは逃げ回ります。その手にもつ撞木(紅ガラ)が主役です。この撞木がいつしか「どんき」と呼ばれるようになったというのです。12月の第三日曜日にこの祭りが行われるようです。



 じつは,この祭りの行われる寺や下佐脇という場所には,わたしのごく個人的なわけありの事情があって,とりわけ興味をもったという次第です。

 わけあり,などと意味深なことを書いてしまいましたが,きわめて個人的なわたしにとってのわけありであって,それ以外には他意はありません。

 一つは,長松禅寺,通称・長松寺という名前です。といいますのは,わたしの育った寺の名前は長松院。場所もそんなに遠くはありません。しかも禅宗ですので,同系です。が,それ以上のなにかがあるということは聞いたことがありません。が,わたしにとっては他人事ではありません。なにかつながりがあるに違いありません。調べれば,なにかわかってくるのではないか,とひそかに期待しています。が,いまは,なにもわかってはいません。

 二つには,この寺のある下佐脇という集落は,わたしの祖母の出たところです。いまも,この集落には親戚の家があります。が,子どものころに母に連れられて一度だけ行った記憶はありますが,いまは親戚づきあいはありません。ですので,尋ねて行って名乗りをあげれば,わかってもらえるとは思いますが・・・・。もう,直接,会った記憶のある人はだれもいません。が,そんなところにこんな珍しいお祭りが伝承されているというのですから,やはり,他人事ではありません。

 三つには,この寺に伝わっている奇祭・どんきは,火防(火伏せ)の祭りで秋葉祭りと呼ばれているということです。ということは,秋葉神社(静岡県周智郡春野町)の祭りということになります。秋葉神社といえば,火難よけ(火伏せ)の信仰と火祭りで有名です。この地方には,むかしから「秋葉さん」と親しまれていて,村の代表者が秋葉神社に代参に行き,御札(火伏せのお守り)をもらってきてくばる,という習俗がありました。そして,どこの家にもかまどがありましたから,その近くの壁や柱に張って,一年間の火伏せを祈っていました。わたしが子どものころには,間違いなく張ってありました。いまは,かまどがなくなってしまったでしょうから,どうなったかは知りません。
 これは,わたしの想像ですが,どんき(撞木)のさきに紅ガラ(赤)を塗ってあるのは,おそらく火祭りの「たいまつ」の代わりではないかと思います。そのどんきを狐や天狗が手に持って,子どもたちを追いかけるのですから,少し考えてみれば奇怪しな話ではあります。とりわけ,狐がたいまつを手に持つわけがありません。が,そこはあまり厳密に考えない方がいいでしょう。秋葉さんと狐や天狗はなんの関係もないと思います。狐は豊川稲荷が近くにありますし,天狗も修験道場がむかしはあったと聞いていますので,そういうものとの習合によるものだと思います。
 寺も神社もお稲荷さんも修験道も,ありがたいものはなんでもござれの神仏混淆時代の残滓が,いまもこの長松寺で伝承されていることに意味があると思います。近代合理主義の世界に生きているわたしたちからすると,まことに矛盾だらけの,奇怪しな話に聞こえるかもしれません。しかし,わたしのような考え方をする人間にとっては,むしろ,この方がいかにも日本人らしい伝統的な生き方ではないか,と嬉しくなってしまいます。

 四つには,この寺のある下佐脇から西に少し歩けば三河湾があり,その海岸は,そのむかし持統天皇が伊勢からわたってきて上陸したところだといわれています(このあたりのことは,柴田さんの『穂国幻史考』に詳しい)。いまはすっかり埋め立てられてしまって様変わりをしてしまいましたが,わたしが子どものころには,御馬(おうま)の海岸と呼ばれ,松林が並び,別荘があって,海水浴場としても知られていました。この御馬という地名のところに引馬神社があります。なぜ,馬なのか,というのがわたしの頭のなかをよぎります。この話は長くなってしまいますので,残念ながらここは割愛。持統天皇つながりで触れておきたいことは,この下佐脇から海岸沿いに西北に行けば,額田郡があります。額田王のゆかりの土地だとも聞いています。持統天皇ときて,額田王と並べると,そこはもはや天武天皇の時代のあの謎に満ちた,怪しげな時代の匂いがぷんぷんとします。おまけに,この地方には小便をすることを「まる」(放る)という雅びなことばが,いまも用いられています。

 というあたりで,このブログは終わりにしておきます。じつは,ここまで書いたらもっと書いておきたいことが山ほどでてきました。いつか,このつづきを書くことにして,今日のところはここまでとします。
 

2013年12月26日木曜日

アーベー首相靖国参拝。なぜ,この最悪のタイミングで。アメリカまで不快感。

 
 ほんとうにあったかどうか,ちょっと信じられないような話からはじめよう。

 アーベー首相が,父シンタローの秘書をつとめていたときの話。父が重篤の病と闘っている病室でひとりで看病していました。このお坊っちゃまは退屈したのか,病室の入口から一番遠い病床の陰に隠れるようにしてゲームに夢中になっていました。そこに自民党の幹部(患部)が入ってきました。にもかかわらず,なにも気づかず,ゲームに熱中していました。たまりかねた自民党の患部(幹部)は大声で怒鳴りつけたといいます。すると,このお坊っちゃまはあわててゲーム機をうしろに隠しました。そして,悪ぶれるふりもなく,なにごともなかったかのように振る舞まいました。あきれはてた自民党の幹部は,そのまま黙ってやりすごしたといいます。

 嘘だか本当だかわからないような,こんな逸話が残っています。

 父親の今際の際の大事な看病中でも,自分のやりたいことはやる,というお坊っちゃまの自己中心主義的な根性はいまも変わらないなぁ,とわたしなどはあきれ果てつつ,感心してしまいます。並の人間にはとてもできることではありません。

 今日(26日)の東京新聞夕刊の一面トップに大きな活字で「安倍首相 靖国参拝」とかき立てられ,「現職7年ぶり」「小泉氏以来 政権発足1年で」「中韓強く反発」「外交孤立化の恐れ」という小見出しが躍っています。

 2面,8面,9面にも関連記事が書き込まれています。2面には,「横暴」「怒り」中韓非難,中国「歴史の正義に挑戦」,韓国「侵略戦争を正当化」,「公明不快感『残念』」,首相一問一答,「政権1年の歩み報告/中韓に説明したい」,とあり,8面には,「独裁ここに至れり」,「同盟国も不愉快」 ,憲法判断は示さず・現職首相の参拝で最高裁,つづいて9面には,「年の瀬参拝 騒然」,「物議醸さないで」,「周辺,物々しい警備」と大きな活字が躍っています。

 ここまで書いてきたら,もう,なにも書きたくなくなってしまいました。あまりの馬鹿馬鹿しさに,それを批判する気力もありません。この暴挙の問題点を大まじめに指摘する気力がなくなった,ということです。あきれてものも言えません。もう,いい加減にしてくれ,という気分です。

 落ちるところまで落ちたものだ,と。この政権のさきゆきにはなんの希望も期待もできません。むしろ,継続することが迷惑ですらあります。できることなら,第一次アーベー内閣のときと同様に,急に「お腹が痛くなって入院」し,政権を投げ出してほしいとすら請い願います。もはや,国際社会に対しても,継続すること自体が恥ずかしい,そんな気分です。

 だれか,猫の首に鈴をつける,勇気ある側近はいないものかと祈るばかりです。

 唐突ですが,このブログはここまで。

〔追記〕
 とうとうアメリカまで不快感を示しています。これでは,敗戦直後から営々と積み上げてきたアメリカに対する「自発的隷従」者としての努力も水の泡です。ますます,政権を投げ出すタイミングが近づいた,と言っていいでしょう。

 あの冷静沈着というか,パッション不足というか,江田五月さんですらみずからのメールマガジン(第1339号・2013年12月26日)で,吼えています。
 

「3000億円」は眼くらまし。沖縄の戦後処理はまだ終わってはいない。

昨日(25日),仲井真知事と首相との対談が行われ,とうとう仲井真知事が辺野古埋め立てを承認するみとおしだという。おやおや,である。3000億円の手土産で,一区切りつけようというのだろうか。これではことの本質を見失ってしまう。

メディアもほとんど報道しないので,わたしたちはつい忘れがちであるが,米軍の普天間基地がどのようにして建造されたのか,この経緯をはっきりと想起しておく必要がある。

そもそも普天間基地は,米軍が沖縄本土に上陸してすぐ,そこに住んでいた住民が避難してだれもいない間に,地ならしをして,勝手にでっちあげた代物である。戦争とはそういうものだ。占領した土地はどのように使おうと勝った者の自由だ。

しかし,戦争が終わり,米国の統治がはじまり,まがりなりにも沖縄の平安は回復し,住民たちがもとの家にもどろうとしたら,そこはすでに飛行場になっていた。帰る家・土地もないまま,放り出されたままの苦労がつづく。やがて,本土復帰をはたし,本土並の平和を享受できるものと信じた人々の夢は破れ,なしくずし的にこんにちに至る。普天間は相変わらずのままだ。気がつけば「日米地位協定」なるものがあって,日本政府は米国になにも異議申し立てをする権利もなく,ただ「隷従」するのみだ。それどころか,敗戦直後から日本はアメリカにたいして「自発的隷従」の姿勢をとった(その経緯は,最近の西谷修さんのブログに詳しい)。しかも,いまではそれが日常化し,日本政府のアメリカに対する「自発的隷従」が当たり前になってしまった。

それに対して,沖縄では絶えることなく普天間の基地移転(県外移設)を求める住民運動が辛抱強く展開されてきた。この運動に対して,さすがのアメリカも良心がとがめたのか,移転を考えざるをえなくなってきた。そうして,こんどは普天間の代替地を要求してきた。しかも,沖縄県内に。そうして日米合意をえた場所が辺野古である。沖縄県民の意志を無視した頭越えの日米交渉の結果である。

これは,一見したところ,もっともな理由のように聞こえる。しかし,よく考えてみると変だ。戦争中とはいえ,どさくさに紛れて飛行場がつくられてしまった。言ってみれば,強盗に家・土地をとられてしまったので,それを返せと言ったら,じゃあ代わりの土地を寄こせ,と強盗に居直られ,凄まれたに等しい。沖縄県民が怒るのは当然のことだ。

しかし,日本政府は,沖縄県民の意志を無視して,アメリカへの忠誠と自発的隷従を貫きとおした。唯一,鳩山由紀夫首相が「国外移設」を主張し,悪くても「県外移設」を,と正論を吐いた。とたんにアメリカからプレッシャーがかかり,あっという間にこの政権は倒れてしまった。

そうして,今回は,仲井真知事が矢面に立たされ,日米両政府から強烈なプレッシャーがかかったと伝え聞く。そうして,3000億円という「手土産」で手を打つという暴挙にでた。言ってみれば,仲井真知事の顔を立てて,辺野古埋め立てへの道を,無理矢理開かせた,ということだ。

復興予算をちらつかせはしたものの,普天間の5年以内の撤去については名言を避けている。オスプレイの飛行計画を半減させるとか,日米地位協定の改定のための協議をはじめることに合意したとか,牧港補給地区の7年以内の全面返還要求にも「返還促進チームを設置」と応答したとか,いずれも「確約」はひとつもないのである。

IOCの総会で,フクシマは「under control 」と平然と言ってのける厚顔無恥の首相の「口約束」は,まったく信用がならない。努力したが,実現できなかった,と言っておしまい,という結末が透けて見えてくる。つまり,「空手形」でしかない,そんな気がしてならない。

沖縄では,昨日も一昨日も,沖縄県庁を取り囲む県民集会が開かれ,1,500人が「鎖」をつくって県庁を封鎖したという。今日(26日)はもっと多くの県民が駆けつけるに違いない。明日(27日)には,仲井真知事が「決断」をくだすという。

ヤマトンチュも手を拱いて,黙っているわけにはいかない。どんなに小さくてもいい。なんらかの行動を起こし,みずからの姿勢を提示し,その意志を鍛え,強化していくことが肝要だ。

いったい,日本列島はどこまで沈没していくのだろうか。
憂国の士よ,いでよ。

2013年12月25日水曜日

大相撲初場所番付発表。稀勢の里,みえてきた「綱」。13勝以上で優勝なら「綱」という。まだ,早い。

 
 年の瀬のあわただしいこの時期に,早くも大相撲初場所の番付が発表された。初場所の最大の話題は,なんといっても稀瀬の里の綱とりだ。横綱審議委員の一部には,13勝以上で優勝なら横綱昇進もある,という声があがっているとか。しかし,それは間違いだ,というのがわたしの意見。全勝優勝でもまだ早い,とわたしは考える。

 日本人横綱の誕生を待ち望む気持はよくわかる。しかし,急いてはことをし損じる。折角の大器である。ここはじっくりと大成するのを待ちたい。精神的なハードルは高いほどいい。そこをクリアしてこその大横綱の誕生である。

 稀勢の里が大関に昇進したとき,まだ速すぎる,とわたしはこのブログに書いた。その当時,すでに間違いなく大器だ,ということはだれの眼にもみえていた。しかし,大関昇進にはそのタイミングというものがある。あわてて昇進させてしまうと,力士に慢心が生まれ,そのあと伸び悩むことがある。わたしはそれを心配して,もう一場所みてからでも遅くはないのではないか,と書いた。

 そこには,貴乃花の横綱昇進のときの記憶がはっきりとわたしの頭にあったからである。貴乃花は,横綱昇進の条件をクリアしたのに,横綱審議委員会は「まだ,速すぎる」として,一場所見送られた。わたしは貴花田の時代からのファンだったので,とても悔しかった。本人の貴乃花はもっと悔しかったに違いない。しかし,逆に,これで貴乃花の闘争心に火がついた。そして,これまで以上に奮起した。なにくそっ!と。そして,ひとまわりもふたまわりも大きくなって,横綱の地位を手に入れた。そして,もののみごとに大横綱の名をほしいままにした。

 あの土俵上での落ち着いた立ち姿。表情ひとつ変えない平常心。双葉山がめざした「木鶏」の姿をそこにみることができた。その点,白鵬はまだまだだ。相手を「睨む」レベルにある。つまり,自分に気合を入れると同時に,相手を睨みすえて萎縮させる魂胆がみえみえである。勝負師としては,まだレベルが低い。日馬富士の方が一枚上手だ,とわたしはみる。

 こんな貴乃花の好例があったので,稀勢の里の大関昇進は,もう一場所見送った方がいい,と考えた。しかも,このとき大関昇進の条件を完全にはクリアできていなかった。にもかかわらず,日本人横綱を早くつくりたいという世論にも押されて,見切り発車的に大関が誕生した。だからというわけでもないのだろうが,結果的には,稀勢の里はあしぶみをしてしまった。

 型にはまったときには滅法強いが,その型をはずされてしまうと意外にもろく,無駄なとりこぼしが多かった。先場所も,出だしでふたつも,とりこぼしをしてしまった。これがなければ,先場所はもっともっと盛り上がったことだろう。しかし,そのショックをはねのけて,全勝街道をまっしぐらの両横綱に土をつけた。それも文句なしの勝ち方で。それはまことに立派。

 その点では,先場所は大きな収穫があった。前半のどたばた相撲と,後半の自分の型に持ち込む相撲。この違いを稀勢の里はからだで知ったことだろう。自分の型に持ち込めば,横綱であろうと気にすることはない,と。しかし,ひとつだけ気がかりなところがある。それは勝ったときの「ドヤ顔」である。おれはこんなに強いんだ,と言わぬばかりの顔をする。これはいけない。まだまだ精神的な修養が足りない。勝っても負けても,淡々とした顔にならないといけない。

 横綱の理想は「木鶏」である。双葉山が「いまだ木鶏たりえず」と名言を吐いたことで知られるように,これは至難の技である。わたしの記憶では,千代の富士と貴乃花の二人が絶好調だったころは,顔色一つ変えることなく淡々と仕切り直しをし,立ち合いと同時に先手をとり,自分の得意の型に持ち込む。そして,勝っても負けても淡々とした顔をしていた。まさに,双葉山が理想とした「木鶏」を,この二人は体得していたと思う。

 さきにも書いたように,この点,白鵬は,まだまだ睨みがきつすぎる。仕切り直しの間,ずっと相手を睨み付けている。こんなに睨まなくてもいいのに,と思うほどだ。メディアは大横綱と高く評価するが,わたしの評価はけして高くはない。いつも書くように,ほかの力士が弱すぎるので,結果的に優勝回数が多くなっているだけのことだ。ここに朝青龍がいたら,こうはならなかっただろう。

 その証拠は日馬富士の存在だ。かれが絶好調のときには白鵬は一度も勝ったことがない。このことをだれよりもよく知っているのは白鵬自身だ。だから,どの力士とも大きな差があるとは思っていない。細心の注意を払い,全力を振り絞る。ここが白鵬のいいところでもある。

 稀瀬の里は,あわてることはない。まずは,何勝でもいいから優勝することだ。そして,二場所連続優勝で「綱」を手に入れればいい。日馬富士は二場所連続で全勝優勝してみせた。それでも足首の具合が悪くて負けがこむと,横綱審議委員から「横綱の資格がない」と批難の声があがった。これは本末転倒だ。自分たちが横綱に推挙しておいて,この批難はあたらない。むしろ,みる眼がなかったことを反省して,横綱審議委員を辞任すべきだろう。

 こんなことも視野に入れると,稀瀬の里は,まずは連続優勝でその壁を突破しよう。それだけの力がついていることは間違いないのだから。あとは,精神的な強さをわがものとすること。そのためにはハードルは高いほどいい。貴乃花の例がいい例だ。そして,「木鶏」を目指そう。

 はてさて,初場所の展開やいかに。白鵬が巻き返すか,体調万全のまま日馬富士が連続優勝をめざすか,それとも先場所同様にこの二人を撃破して,こんどこそ優勝を手にいれるか稀瀬の里。このほかにも注目すべき力士が何人もいる。その人たちを含めて,初場所が大いに盛り上がることを期待したい。 

2013年12月24日火曜日

ヒイラギはクリスマスの木?,それとも節分の木?

 今日(24日)は,多くの日本人がにわかクリスチャンになって,クリスマスを言祝ぐ日。あるいは,ただ,クリスマスケーキを食べる日。もちろん,ホテルが満室になる日でもある。なんともはや,日本人が何人でもない,国籍不明人になる,まことにめでたい日。自己を忘れ,自己ではない他者と一体化する日。

 信仰心の篤い仏教徒はひたすら仏に帰依(きえ)することに専念する。真のクリスチャンもまた神にわが身も心も捧げ,イエス・キリストと一体化するためにひたすら祈る。これすなわち,自己を捨てて,他者と一体化することを是とする宗教の原点の姿。自発的隷従の基。

 この議論はともかくとして,なぜ,クリスマスにはヒイラギが飾られるのか,わたしは長い間,不思議だった。同時に,なぜ,節分の日にヒイラギと鰯の頭を戸口に飾るのか,これも不思議だった。そして,なぜ,洋の東西を問わず,「ヒイラギ」なのか,と考えていた。しかし,この問題,考えてみるとなかなか面白い。

 そこで調べてみたら,意外なことがわかって,驚いた。
 まずは,クリスマスとヒイラギの関係。

 ヒイラギは英語で,holly.  この発音が,聖なる夜の英語 holy night の holy とよく似ているので,クリスマスの夜には,holy とひっかけて, holly を飾ることになった,と辞典に書いてあった。なーんだ,そんなことだったのか,といささかあきれてしまった。意外に根も葉もない話が,宗教の世界では大まじめに受け止められ,大まじめに継承されていることが多い。そして,いつのまにか,もともとはこうだったんだよ,という元の話も忘れられていく。この話もその一例。

 でも,ヒイラギの木の枝が,なんともみごとにクリスマスの飾り物にマッチしているように見えるのも,考えてみれば不思議ではある。人間とは不思議なもので,生まれたときから身のまわりにあるものは,なんの抵抗もなく受け入れ,無意識のうちに骨肉化し,一体化してしまう。だから,クリスマスにはヒイラギの木の枝は必須不可欠のアイテムの一つになっている。これもまた,自発的隷従? いや,こちらは無意識の隷従? しかも,この慣習行動に隷従している方が心地よい。まるでだれに束縛されることもなく「自由」にみずから選択しているかのように。かくして,隷従と自由の境界はどこかに消え去ってしまうことになる。

 おやおや,いつのまにか,エチエンヌ・ド・ラ・ボエシの『自発的隷従論』の話になってしまった。それほどに,いま,わたしの頭のなかは西谷さんが仕掛けたラウンドテーブルの議論でいっぱいになっている。自発的隷従は,わたしたちの生活習慣の細部のなかにもさまざまに組み込まれていて,それがある種の潤滑油として機能していることも多い。問題は,自発的隷従が権力関係となって,わたしたちの生活をがんじがらめにして,身動きがとれなくしてしまう,そういう人為的な構造となるところにある。だから,それとこれとは区別して考えないといけない。

 というわけで,こんどは日本の節分とヒイラギの関係について。
 これも調べてみたら,よく知られるように「イワシの頭も信心から」という類のものでしかないということがわかってきた。つまり,豆まきと同じように鬼を家の中に入れないためのまじないでしかない。さらに,もとをたどっていくと,中国から伝わった追儺(金色の眼を四つもった鬼を追い払う儀礼)にゆきつく。この話は調べればすぐにわかることなので,ここでは割愛。

 で,今日は快晴の青空が広がり,とてもいい天気だったので,いつもの植木屋さんの屋敷にあるヒイラギの写真を撮る。ちょうど,いまにも開花する寸前のとてもいいタイミング。しかも,クリスマス・イブ。そのヒイラギの写真を最後に掲げておく。毎年,この花が咲くのを眺めるのも,わたしの楽しみの一つ。冬はとりわけ花が少ないシーズンなのでなおさら貴重な花。真夏の暑い盛りに花を咲かせるサルスベリと同じように,わたしは尊敬している。

 
 
 

どこまで暴走するのか。武器三原則を逸脱して「銃弾1万発」を韓国軍に譲渡するという。

 なにを考えているのやら,あきれ返ってものも言えないとはこのこと。人道上の必要性があるとはいえ,武器三原則を逸脱してまてして,「銃弾1万発」を韓国軍に譲渡することはないだろう。こうしてなし崩し的に軍隊をもつ「強い日本」へとまっしぐら。

 こうなったら,アーベ首相の鼻の下にちょび髭をつけた写真を額に入れて飾ろう。そして,Heil ! Hitler ! と叫ぼう。ただし,額縁の色は「クロ」。できれば額縁の周囲を Hakenkreuz (カギ十字)の模様でにぎにぎしく飾りたてよう。そうして朝晩といわず,暇さえあれば拝もう。拝んで,拝んで,拝み倒そう。「この野郎ッ!」と一声叫んで。

 圧倒的多数を議会で確保すればなにをやってもいい,と小学生のような多数決民主主義をアーベ首相は選択し,実行している。もちろん,政府自民党のこの暴挙を止められないのは野党の非力につきるのだが,そういう選挙をしてしまったわれわれの責任でもある。それにしても,公明党はなにをしているのだろうか。

 もう一度,振り返っておこう。この間の選挙で自民党が圧倒的多数の議席を確保したとはいえ,その内実である得票率はわずか22%にすぎない,ということを。このたった22%の国民の支持を背景に,絶対的な「信」を得たかのようにアーベ首相は振る舞う。この頓珍漢ぶりは断じて許されるものではない。しかも,議会での充分な審議もしない。審議の答弁もでたらめ。提出されている法案が修正中なのでお答えできません,と担当大臣が答える始末。それなら,とりあえず法案を引き下げて,修正後に再提出し,再審議をすればいい。それもしない。議会無視。それは民主主義をも逸脱する暴挙でしかない。しかも,緊急動議による強行採決で押し通す。

 かつて,こんな政権が存在しただろうか。どの政権も,ここだけは「守る」としてきた「武器三原則」を,いともかんたんに「例外措置」として解釈し,それで押し通し,平気なのだ。これが明らかに憲法違反であることは,だれの眼にもわかる。その肝心要の監視役であった法制局長の首もすげ替えたので,もう,なにも恐いものはない,とでもいうかのように。

 こうなったら,法はいかようにも解釈可能となってしまう。もやは,法治国家の名が廃る。法を逸脱してもだれも止められない国家であるなら,いっそのこと「放置」国家と名乗りを変えよう。それが現実の姿なのだから。憲法ですら,解釈によっていかようにも運用ができるとし,そのように運用しようとする,そういう政権なのだから。

 その典型的な例が「一票の格差」だ。最高裁ですら,「違憲状態」ではあるが,選挙は「無効」ではない,という。三権分立ということを,敗戦後間もない中学生のときに教えてもらったはずだが,その精神はどこに消えてしまったのか。毅然とした態度を貫きとおすべき司法までもが,いつのまにやら骨抜きにされてしまっている。つぎの選挙のときには,選挙「無効」を主張した最高裁判事だけを残して,あとは,みんな「×」をつけよう。

 最後の砦となっていたはずの「武器三原則」ももはや意味をなさないとなれば,あとは,軍国主義国家に向かってまっしぐら。アーベ首相の思うつぼ。

 やはり,これは拝み倒すしかなさそうだ。拝むたびに,一声,大きな声で「この野郎ッ!」と叫んで。それは,わたしたち自身がこの政権の暴走とその危険性に馴染んでしまわないための装置として不可欠だ。

 昨日のブログに書いた,川満信一さんの「琉球共和社会憲法」の前文を思い起こそう。そのサワリの部分をいま一度引いておこう。

 「・・・・われわれは非武装の抵抗を続け,そして,ひとしく国民的反省に立って「戦争放棄」「非戦,非軍備」を冒頭に掲げた「日本国憲法」と,それを遵守する国民に連帯を求め,最後の期待をかけた。結果は無残な裏切りとなって返ってきた。日本国民の反省はあまりにも底浅く,淡雪となって消えた。われわれはもうホトホトに愛想がつきた。
 好戦国日本よ,好戦的日本国民者と権力者共よ,好むところの道を行くがよい。もはやわれわれは人類廃滅への無理心中の道行きをこれ以上共にはできない。」

 わたしは,ただ,ただ,恥じ入るばかり。川満さんに対して顔向けもできない。だから,こんどこそは許してはならない,と覚悟を決めるのみ。
 

2013年12月23日月曜日

「琉球共和社会憲法C私(試)案」(川満信一・1981年)を読む。

 12月21日(土)の西谷さんが企画したラウンドテーブル「自発的隷従を撃つ」のフィニッシュで登壇された川満信一さんは,その第一声で「これが隷従の顔です」と言ってみずからの顔を指さし,会場を笑いに誘いました。そして,内容のとても重い詩を朗読され,会場のこころが一つになって,これで終わりというところで,唐突に「もう一時間ください」と言って笑いを誘い,爽やかに降壇されました。このユーモアがまた川満さんの魅力でもあります。

 川満信一さんという詩人の存在については,ときおり,どこかの雑誌に掲載されていた詩をとおして,ずいぶん前から,わたしなりに注目してきました。しかし,本人にお会いし,お話をするという機会はありませんでした。ところが,昨年の夏に開催された「奄美自由大学」(今福龍太主宰)で,初めて川満信一さんにお会いすることができました。それも,沖縄の那覇空港でばったりお会いし,奄美大島までのフライトが一緒でした。そんなこともあって,奄美での2泊3日の「奄美自由大学」の期間中,とても近しくお話をさせていただきました。

 なかでも,二日目の夜,それも深夜,12時をまわってほとんどの人は眠りについたというのに,川満さんを囲んで,作家の姜信子さん,田口ランディさん,その中にわたしも入って,大いに盛り上がっていました。その折に,川満さんは仏教の奥深さについてお話をされました。まさか,沖縄の人が仏教についてお話をされるとは思ってもいませんでしたので,わたしもつい興奮して,川満さんのお話に参加させてもらい,ずいぶん深いところまで話が進展していきました。

 そんなことを川満さんがご記憶であったのかどうかはわかりませんが,ラウンドテーブルが開始する直前の時間をみつけて,ご挨拶に川満さんのところに伺いました。すると,「稲垣さん」と声をかけてくださり,「奄美は楽しかったね」と第一声。わたしは感激して両手で握手。川満さんも両手で握ってくださり,感動の一瞬でした。

 このラウンドテーブルのために用意され,配布された,かなり大部の印刷物のなかに「琉球共和社会憲法C私(試)案」のコピーが入っていました。わたしは,ずいぶん前に読んだことのある懐かしさを思い出しながら,再度,この文章を読んでみました。そうしたら,以前,読んだときとはまったく違う,胸の奥深くにまで突き刺さってくる,強烈な衝撃を受けました。

 ヤマトンチュであるわたしは「甘い」「甘かった」という,それ以上の説明の仕方がわからない,とまどいを感じました。それは,1972年に沖縄が本土復帰をはたしたものの,そのときの期待はまったくの夢のまた夢でしかなかったという,絶望をバネにして,ついに本土に見切りをつける川満さんの決意表明がそこに刻まれているからです。

 それが,川満さんの「琉球共和社会憲法C私(試)案」(『新沖縄文学』81年6号)でした。まさに,身を切る思いで書かれた川満さんの「憲法私案」の前文は,つぎのように書かれています。わたしのからだに電撃が走りました。

琉球共和社会憲法
(前文)
 浦添に驕るものたちは浦添によって滅び,首里に驕るものたちは首里によって滅んだ。ピラミッドに驕るものたちはピラミッドによって滅び,長城に驕るものたちもまた長城によって滅んだ。軍備に驕るものたちは軍備によって滅び,法に驕るものたちもまた法によって滅んだ。神によったものたちは神に滅び,人間によったものたちは人間に滅び,愛によったものたちは愛に滅んだ。
 科学に驕るものたちは科学によって滅び,食に驕るものたちは食によって滅ぶ。国家を求めれば国家の牢に住む。集中し,巨大化した国権のもと,搾取と圧迫と殺りくと不平等と貧困と不安の果てに戦争が求められる。落日に染まる砂塵の古都西域を,あるいは鳥の一瞥に鎮まるインカの都を忘れてはならない。否,われわれの足はいまも焦土のうえにある。
 九死に一生を得て廃墟に立ったとき,われわれは戦争が国内の民を殺りくするからくりであることを知らされた。だが,米軍はその廃墟にまたしても巨大な軍事基地をつくった。われわれは非武装の抵抗を続け,そして,ひとしく国民的反省に立って,「戦争放棄」「非戦,非軍備」を冒頭に掲げた「日本国憲法」と,それを遵守する国民に連帯を求め,最後の期待をかけた。結果は無残な裏切りとなって返ってきた。日本国民の反省はあまりにも底浅く,淡雪となって消えた。われわれはもうホトホトに愛想がつきた。
 好戦国日本よ,好戦的日本国民者と権力者共よ,好むところの道を行くがよい。もはやわれわれは人類廃滅への無理心中の道行きをこれ以上共にはできない。

 以上が(前文)で,このあとに第一章 基本理念,そして,第二章,第三章,第四章,第五章,とつづきます。これらの内容については,いつか,また,機会をみつけて論じてみたいと思います。それは,わたしたちがいま生きている資本主義社会を完全に否定した,川満さんの思い描く理想の「共和社会」が描写されています。

 ここからさきは,相当に思考を練り上げてからでないと書けないほどの,濃密な川満さんの思想が織り込まれています。ので,その問題は,またの機会にしたいと思います。取り急ぎ,今回はここまでとしたいと思います。

 まずは,なにより,川満さんの「琉球共和社会憲法C私(試)案」の前文を存分に堪能してみてください。わけても,「琉球共和国憲法」とはいわず,「琉球共和社会憲法」と名づけたところに注目してみてください。その根拠も,この「前文」のなかにみごとに書き込まれています。たとえば,「国家を求めれば国家の牢に住む」以下の文章に明白です。

 そして,この「前文」の最後のところで引導をわたすようにしてヤマトンチュへの決別の辞を書きつけています。すなわち「好戦国日本よ,好戦的日本国民と権力者よ,好むところの道を行くがよい。もはやわれわれは人類破滅への無理心中の道行きをこれ以上共にはできない」と。

 そこに盛り込まれた川満さんの情念はすさまじいものがあります。それでいて,文章全体は詩文のような美しさに満ちあふれています。川満さんの激情と思考の深さに,わたしは感動あるのみです。

 取り急ぎ,今日のところはここまで。
 

この4日間,密度の濃い時間を過ごしました。まさに,師走。

 師走とはよく言ったもので,あれやこれやと一年分の雑用が吹き溜まり,その後始末に茫然自失,でもなんとかしなくてはと焦っています。その上,突発的なできごとがあると,もう,大変です。この4日間,いつもにもまして多忙にあちこち走り回り,まさに師走を体験していました。そのあらましは以下のとおりです。

 12月19日(木)通夜式(愛知県豊橋市)
 12月20日(金)告別式(同上)+初七日
 12月21日(土)ラウンドテーブル「自発的隷従」を撃つ。東京外国語大学。
 12月22日(日)「ISC・21」12月東京例会+マンション管理組合分科会。

 といった具合でした。一歳しか年齢が違わない義姉を見送るのはなんとも複雑な気持でした。長い闘病生活ののちのことでもあり,義姉の生涯について考えてしまいました。そのせいか,いつもはほとんど聞いてもいないお経の経文がやけに耳に入ってきました。とりわけ,「修証義」は読み下し文になっていますので,そのまま耳に入ってきました。生も死も違いはないのだ,という道元さんの教えをわかりやすく説いた,経文です。この経文は,なんと明治になってから,道元さんが書いた『正法眼蔵』から抜粋して編まれたものです。ですから,とても現代的な色彩の強い内容になっています。そんなこともあって,よりいっそうわたしたちの耳にも馴染みやすいのでしょう。

 また,一方では,「仏縁」といいますように,もう長い間,会ったことのなかったいとこや遠い親戚の人たちとも,近しくことばを交わすことができました。ひとしきり昔話をしたり,その後の空白を埋め合わす話をしたり,みんなわたし同様に高齢化していますので,そこはかとなく人生を振り返ってしまいました。そして,いよいよ順番がくる・・・・と身に染みました。ですから,去年,西谷さんに言われた「幕引き」ということばが重くのしかかってきました。もはや,いつでも来い,という覚悟はできたつもりです。かつて,わたしが尊敬していた大伯父が「お迎えがこにゃあいけんわやい」と言っていたことばが,いまや実感となって,耳に響きます。

 豊橋からもどった翌日は,西谷修さんが企画したラウンドテーブル「自発的隷従を撃つ」を傍聴。真島一郎,土佐弘之,中山智香子,小森陽一,七沢潔,仲里効,川満信一,といった豪華メンバーがそれぞれに珠玉のことばを連ね,密度の濃い時間が流れました。なかでも,主催者の西谷さんのことばが,いつもにもまして切れ味鋭く,圧倒されてしまいました。最後のとりをとった川満信一さんの自作の詩の朗読(「エッジの水底から」)が,このラウンドテーブルでのさまざまな発言をもののみごとに串刺しにする,素晴らしいものでした。かつて,「琉球共和社会憲法C私(試)案」(1981年)を創案して世に放ち,その運動の先頭に立ったことのある人のこころの声を聞かせていただきました。こころから感動しました。

 そのまた翌日には,「ISC・21」12月東京例会をもちました。短い時間でしたが,ここでもまた密度の濃い時間を過ごすことができました。仲間のみなさんも,それぞれにラウンドテーブルに触発され,深い思考を味わったようです。わたしもまた,みなさんの発言に触発されて,ひとりでは思いつかない発想が生まれ,大満足です。

 それを終えて,すぐにマンション管理組合の分科会(ことしの6月から理事)に出席(遅刻)。重要な議題が山積していて,夜7時からふたたび会合。熱の籠もった議論が展開。工事発注にかかわる議論でしたので,わたしの出番はまったくありませんでしたが,でも,その迫力には驚きました。このマンションにはすごい人たちがいるものだと,しみじみ感心し,また安心もしました。これならこのマンションの管理も安泰だ,と。

 今日(23日)は久しぶりに鷺沼の事務所に落ち着いて,いつものペースの仕事にとりかかっています。やはり,いつもどおりの日常をとりもどすとほっとします。が,手つかずのまま放置してある仕事が山ほどあり,さて,どこから手をつけようか,と思案投首です。まあ,あわてず,騒がず,できるところから手をつけて・・・・と居直ることにしました。

というところで,このブログを閉じたいと思います。
まあ,どうでもいい「ひとりごと」だと思って聞き流してください。
 

2013年12月19日木曜日

長篠の合戦・設楽原の戦い。武田軍の騎馬隊を迎え撃つ徳川連合軍の鉄砲隊。

 
鉄砲が日本に伝来して,初めて実戦で用いられた歴史的な戦,それが「長篠の合戦」である,と歴史の時間に習いました。愛知県の三河地方で育ったわたしにとって,長篠はなじみの地名でした。あの長篠城の攻防をめぐる話は,いろいろの伝説的な話があって,子どものころから興味がありました。その長篠の合戦の屏風絵に出会うことができ,びっくり仰天です。その屏風絵が下の図です。


 歴史は語られ,さまざまに伝承され,いつしか神話が誕生したりしてきました。この長篠の合戦もまた同じです。この長篠の合戦が繰り広げられた古戦場はいまも保存されていて,往時をしのぶよすがとなっています。それは「設楽原(したらがはら)」というところです。この近くには資料館もあって,さらにいろいろの情報を手に入れることができます。

 さて,長篠の合戦は鉄砲隊(徳川・織田連合軍)対騎馬隊(武田軍)の熾烈な戦いであったといわれており,わたしもこんにちまでこの話を信じていました。しかし,そうではなかった,というのです。しかも,この屏風絵がその証拠となったというのですから,これまた驚きです。

 この屏風絵は『犬山城主の武と美』(財・犬山城白帝文庫設立五周年記念 白帝文庫所蔵名品選,2008年)のなかに収録されています。偶然,立ち寄った「犬山城白帝文庫歴史文化館」に,この屏風絵が飾ってあり,そこに置いてあった図録をみつけ,読んでみて驚いたという次第です。ほんとうなのだろうか,とこの図録をしげしげと眺めました。

 この図録には,つぎのような記述があります。

 「従来この場面は織田・徳川連合軍が馬防柵を構え,鉄砲隊を配置して,突撃する武田騎馬隊を壊滅させたという表現で語られることが一般的であった。しかし,最近の研究では武田騎馬隊説は否定されている。当時の日本には騎馬隊とか騎兵隊という概念は無く,大将のほか一隊の隊長クラスや使番だけが乗馬するのが普通であった。この屏風においても武田軍と連合軍の馬数に大きな違いは無く,両軍とも大将,隊長クラスが乗馬しているだけであり,上記の説を裏付けている。」

 しばらく前に,古戦場であった設楽原に行ったことがあります。なるほど馬防柵がほんの少しだけですが再現されており,そこにある解説にも,鉄砲隊と騎馬隊の戦いであった,と書いてあります。まことにもっともな話として,わたしもなんの疑問もいだきませんでした。しかし,それがいまでは否定されているというのですから,歴史は「創られる」と,しみじみ考えてしまいました。

 また,だから歴史は面白いということでもあります。

 かつて,Fact と Evidence は明確に区別すべきだ,名言を吐いたどこぞの知事さんが,とうとう辞表を提出しました。しかも,その記者会見で,記者に「あなたの弁明は,Fact であったのか,それとも Evedence であったのか,と突っ込まれています。その応答がまた,勘狂っています。くわしくは,どうぞ,ニュースでご確認のほどを。

 でも,この区分については「他人事」として笑って済ませられる問題ではありません。わたしたちも日常的に,ご都合主義を貫いているはずだからです。

 この武田騎馬隊説も同じ根からでてきたものに違いない,と思います。こちらは,少なくとも悪意はなかった,と。


 

2013年12月17日火曜日

貧困率,全国最悪は沖縄。29パーセント。『琉球新報』(12/15配信)による。

 沖縄本島は,そのど真ん中の一等地を米軍基地に独占され,島の南北が真っ二つに分断されている。しかも,島の南北をつなぐ鉄道も走っていない。そのため,人々の移動はすべて車に頼らなくてはならない。当然のことながら,幹線道路は常時,渋滞がつづく。それが効率的な経済活動に大きな支障をきたしていることは間違いない。

 こんな沖縄を,敗戦(1945年)からこんにち(2013年)まで68年間の長きにわたって日本政府は,根本的な問題解決を忌避したまま,放置してきた。その結果が,貧困率・全国最悪の29%という数字となって表出している。

 ほとんどの夫婦が共働きで,しかも正規採用社員はごくわずか。あとは,派遣社員や契約社員,パートタイマーとして働き,細々と生活を維持している。こんな状態がずっとつづいているということを,日本政府が知らないはずはない。にもかかわらず,米軍基地を押しつけて,ほんのわずかな助成金でごまかし,それでよしとしてきた。こういう悲惨な状態がつづいていることを,本土の大手メディアも,見てみぬふりをしつづけてきた。だから,本土にいるわたしたちは沖縄の実情について,まことに疎い。それはいまも変わらない。

 少なくとも,本土並の復興を夢見て1972年に「本土復帰」をはたしたものの,現状はなにも変わらなかった。それどころか,新たにオスプレイの配備などもあって,ますます事態は悪化の一途をたどっている。最近では,もはや,本土に期待する人も激減し,若い世代を中心に,ヤマトは頼るにたりないから,そこから離脱し,「沖縄独立」の方途が模索されるようになってきたという。

 その間の事情に,わたしはそれほど精通しているわけではないが,ふつうのヤマトンチュよりはいくらか詳しい。ひとつには,娘が結婚して沖縄に住み着いている,という個人的な事情もある。それよりなにより,西谷修さんが折に触れ開催される「沖縄」関連のシンポジウムには欠かさず参加し,その議論を拝聴したり,その報告書を読んだりしてきたことが大きいと思う。のみならず,日常的にも直接,沖縄のいろいろの問題についてお話を伺ったりもしている。その程度には,沖縄に関する情報はふつうの人より多いといえるかもしれない。

 だから,ネット上を流れた『琉球新報』(12/15日配信)の表記の問題が眼にとまり,ぐいっと引き込まれるようにその内容を読むことになった。それによると,以下のようである。

 山形大学人文学部の戸室健作准教授による都道府県別貧困率調査の結果によれば,沖縄の貧困率は29.3%で,全国のワースト・ナンバー・ワンだという。全国平均は14.4%で,その倍以上の貧困率である。

 さらに,働く貧困層「ワーキングプア」の割合も,全国平均の6.7%に対して,その3倍を超える20.5%という。沖縄では,まず,ほとんどの人が働いていて,なにもしないで遊んでいる人はごくわずかだと聞いている。みんな必死で働いているのである。しかし,その雇用条件がきわめて悪いために,働いていても稼ぎは少なく,その結果の貧困なのである。

 そして,生活保護基準以下の世帯のうち,保護受給世帯数の割合を示す捕捉率は9.8%で,全国平均の14.3%を4.5ポイントも下回っている。なぜ,このような情況が野放しにされているのか,日本政府はなぜもっと手当てをしないのか,理解に苦しむ。まさに,沖縄の貧困率は眼を覆うばかりである。

 しかし,少し考えれば明らかなように,沖縄に米軍の基地を押しつけ,その結果の沖縄の貧困を下敷きにして,本土のヤマトンチュの経済的繁栄がある,ということだ。このことについての認識がわたしたちには決定的に不足している。

 こうした「知らない」ということがどれほどの暴力であるかは,かつての部落解放運動によって痛いほどわたしたちは学んだはずである。それとまったく同じことが,いま,沖縄で起きている。にもかかわらず,日本政府は,米軍基地をこれからも沖縄に押しつけようとしている。この沖縄の負担を肩代わりしようという都道府県は現れない。みんな拒否して,そのままである。ということは,全国の都道府県知事もまた,沖縄の現状維持を容認している,ということになる。その根っこには,自分さえよければ他人のことは知らない,という自己中心主義がある。しかし,それは違うだろう。

 沖縄に押しつけたままの米軍基地をどうするのか,もっと全国的な議論に持ち上げ,わたしたち一人ひとりの問題であることを自覚させないかぎり,いつまで経っても沖縄は泣き寝入りを強いられるだけだ。こんなとてつもなく大きな暴力を,わたしたちが日常的にふるっているのだ,という認識をしっかりと持つべきだ。すべては,そこからはじまる。それがない限り,事態はなにも変わらない。

 これはヤマトンチュ,一人ひとりの人間としての問題である。

 ここにいたって,シモーヌ・ヴェイユが『根をもつこと』の冒頭で言っていることが想起される。空腹にあえいでいる人が目の前にいたら,なにをさしおいても,まずは「食べ物」を差し出すこと,これが人としての最低限の義務である,と。「根こぎ」にされてしまったままのヤマトンチュであるわが身を恥じるばかりである。
 

2013年12月16日月曜日

東京五輪を喰いものにする各省庁の事業計画(案)。あきれはててものも言えぬ,とはこのこと。

 今日(16日)の『東京新聞』の一面トップに「五輪でも省庁便乗事業」という大きな文字が躍っている。そして,「おもてなし企業表彰」(経産),「ロケット打ち上げ」(文科),とつづき,さらに「復興予算の二の舞も」,ととどめを指す。

 そして,「五輪関連」として各省庁が検討する事業,の一覧が掲げてある。ほかの新聞はどのように扱っているかは知らないが,その内容のあまりのばかばかしさを確認する意味で,ここにも再度,書き写しておこう。ちまたに飛び交うギャグ「内容がないよう」がそのまま当てはまってしまうところが,笑うに笑えない。まさに,どさくさ紛れの予算分捕り合戦の恐ろしさがある。

 と同時に,恐怖をとおりすぎて,最後には「哄笑」するしかないが,その笑いをこらえて,最後まで我慢して読んでほしい。

 文部科学省:学校体育施設の整備/グローバル人材の育成/社会人の学び直しの推進/文化芸術立国の実現/新型基幹ロケット初号機打ち上げ
 農林水産省:都市農業を活用した農村体験/美しい森林とみどりによるおもてなし/花をめでる日本文化の定着/世界的な食品ロス削減の取り組み推進/山の幸によるおもてなし
 経済産業省:次世代ロボットの普及促進/世界の企業を呼び込む環境整備/次世代自動車の普及促進/おもてなし経営企業の促進/競輪事業の振興
 国土交通省:運転支援システムの高度化
消費者庁:食品ロス削減に向けた国民運動
 環境省:低炭素社会の構築に向けた国民運動

 以上。

 各省庁ごとにコメントをつけようと思ったら,みんな同じコメントになってしまうことに気づき,やめにした。「五輪とはなんの関係もない」の羅列である。よくもまあ,こんな案を「五輪関連事業」として提示できたものだと,その頭の構造の方を疑いたくなる。

 この記事を担当した記者の桐山純平さんは,遠慮がちにつぎのように書いている。
 ・・・・各省庁が実行を検討する五輪関連事業に「おもてなし企業の表彰」や新型ロケット打ち上げなど,五輪と無関係な事業が多く含まれていることが分かった。
 ・・・・各省庁は被災地復興と関係ない事業を復興名目で予算化し批判を浴びたが,「五輪でも便乗」をもくろむ構え。
 ・・・・消費税増税などで国民の負担が見込まれる中でも,予算の無駄遣いが続く恐れがある。

 という具合に,とてもやんわりと批判するにとどめていらっしゃる。しかし,わたしがこの一覧をみるかぎりでは,ひとつとして五輪と関連する事業はない。五輪がなくたって,やらなければならない,緊急を要する事業であればやらなくてはならないだろう。そのために税金を使うのは仕方がない。しかし,やってもやらなくてもどちらでもいいような事業を五輪に便乗して事業化しようというのは,とんでもない。どう考えたって税金の無駄遣いだ。

 ことしの流行語大賞にもなった「おもてなし」が濫用されていて,このことばを加えれば五輪関連事業になる,と思っているらしい。各省庁でいま国民にとって必要な新しい事業を考える人たちが,もし,このレベルだとしたら,空恐ろしい。そうではないだろう。このどさくさにまぎれて,普段では要求のできない予算をちゃっかり確保しようという魂胆なのだろう。こんな,みえみえの田舎芝居を見せつけられる国民はたまったものではない。

 国民を嘗めるのもいい加減にしてほしい。
 こんな五輪関連事業は全部,やめにしてほしい。
 これらに代わるいい案があるだろうに。この代案については,また,稿を改めることとする。

 結論。要するに,各省庁は五輪関連事業をやる気はさらさらない,ということ。あるのは,五輪名目で予算を確保し,甘い蜜を吸いたいだけ。その蜜も夜の蝶に与えるための餌・・・・か。

 脚注:わたしの友人・柴田晴廣さんが,メールで「お・も・て・な・し」は「表なし」のことですよね,と書いてきた。そのこころは? あるのは「裏」ばかり。なーるほど,と痛く納得。東京五輪招致運動の「おもてなし」は,安倍首相の「under control」に象徴されるように,内実はなにもなく(嘘ばかり),あったのは「裏」ばかり(「表」には出せない裏〇ばかり)。笑うに笑えない現実。
 

2013年12月15日日曜日

西谷修さんのブログを読んで衝撃。日米同盟は過去の神話。米中関係の強さに勝てない!必読。

 いま,西谷修さんのブログを読んだばかり。興奮している。これまでのモヤモヤがはっきりしたと同時に,やはりそうだったのか,と戦慄している。これまでにも,何回も,すでに直接伺っている。そして,しっかりわかったつもりでいた。すなわち,日米同盟よりも米中関係の方が,アメリカにとってははるかに重要である,ということを。

 しかし,その認識はあまりに甘かった,と反省している。違うのだ。もっともっと奥が深く,同時に,日米同盟関係を超えた,動かしがたい米中関係が存在しているということを。しかも,この事実をわたしたちは素直に認めなくてはならない。この重大な事実を,なにゆえに,識者たちはありのままに語らないのか。利害・打算。生き延びるための計算。識者の堕落。

 西谷修さんは,そうした利害・打算を超えて,いま,直面している真実をそのまま語る。「理に厳しく,義に篤い」と言わぬばかりに。今日(15日)の西谷さんのブログは,プリント・アウトして,額に入れて飾っておきたいくらいだ。それほどに,いまのわたしにとっては衝撃的だった。詳しくは,西谷さんのブログを読んで欲しい。

 日米同盟は,いまや,神話でしかない,という西谷さんの指摘を受けて,わたしのからだに電撃が走ったことの意味についてここでは書いておきたいと思う。

 日米同盟以前に,アメリカと中国は同盟国だった,と西谷さんが指摘されたことに震撼した。なぜなら,わたしを含めて多くの日本人は,アメリカと中国は対立している,長い間,対立してきた,だから,いまも敵対している,と信じて疑わない。それに比べれば,日本とアメリカは,第二次世界大戦後はずっと友好国として,あるいは日本はアメリカの優等生として振る舞ってきた。だから,米中関係よりも日米関係の方が圧倒的に強い絆で結ばれている,と信じて疑わない。しかし,そんなものは単なる虚構であって,実際には,まったく新たな局面を迎えているのだ,と西谷さんは理路整然と主張する。

 その根拠として,中国の米国債保有高はとうの昔に日本を凌駕している,という。しかも,その保有高も並外れている。中国が米国債を売りに出せばアメリカは破綻する,という。だから,アメリカは中国の「防空識別圏」指定について一定の抗議はしたものの,自国の民間航空機の飛行計画を中国に提出している。それになにより,広大な中国市場にアメリカは大きな関心を示し,すでに巨大な資本が進出している。

 こうした事実関係を確認した上で,西谷さんは,もともとアメリカと中国は友好国だったのだ,とさらりと流す。ことここにいたって,あっ,そうか,とわたしは気づく。「ポツダム宣言」の戦勝国のなかに中国はその名を連ねている。アメリカ,ソ連,イギリス,フランス,中国。この五カ国が連盟で,日本に対して「ポツダム宣言」を布告したのだ。

 このときに,日本はアメリカに対して「無条件降伏」をしたと思っている人がほとんどだ。かく申すわたしもそう思い込んでいた。しかし,あるとき,いや待て,と考えたことがある。日本は中国に対しても「無条件降伏」しているのだ,と。この事実のもつ意味をもっと重く受け止めるべきではないか,と。中国は,当然のことながら,戦勝国であると自覚している。それは,いまも,変わらない。しかし,肝心要の日本が,中国に対して「敗戦国」であるという認識を欠いている。しかも,「無条件降伏」をしているという事実を忘れている。

 この認識の落差が,「尖閣問題」となって噴出してくる。アメリカと中国の戦勝国同士の了解事項として,尖閣諸島は領土問題は「棚上げ」にして,日本の「実効支配」を認めるというところで決着をみていた。そうして,その状態が長くつづいていた。しかも,大きなトラブルもなしに。にもかかわらず,日本が一方的に日本固有の「領土」である,と宣言してしまった。ここから,すべてが狂いはじめた。日本固有の領土だと日本国政府が宣言してしまった以上は,それを衛らなくてはならない。そのつけが,いま,現出している。つまり,尖閣をわが国固有の領土として衛るために,あやしげな法案をつぎつぎに提出し,ほとんど議論されることもなく議会を通過させていかなければならない。言ってしまえば,絶体絶命の大ピンチなのだ。

 だから,議会の圧倒的多数を振りかざして,なにがなんでも「通す」という姿勢を貫く。その圧倒的多数は,得票率はわずかに22パーセントにすぎない。たった,これだけの支持率で,300近い議席を確保したのだ。しかし,300という数字だけが意味を持ち,22パーセントの支持率は忘れられている。

 そして,とうとう「特定秘密保護法」を無理矢理とおしてしまった。しかし,この法律が適用されることになると,最初から裁判になる,と西谷さんは指摘される。なぜなら,憲法に抵触しているから,と。こうした日本の情況を世界はどのようにみているのだろうか,とつい最近の講演でお話されたという。

 12月14日(土),調布市西部公民館のコミュニティ・カレッジで。題して「内向き日本の閉塞──世界からはどう見えるか」。ここで話されたことの概要が,ブログにアップされている。必読である。このブログはそのまま『世界』のような雑誌にに掲載されてもいいほどの精度をもった力作である。

 なお,西谷さんのブログは,「西谷修」で検索すれば,すぐにそこに入っていくことができる。なお,最近は,Facebookでも,刺激的な発言を展開されているので,ぜひ,そちらもご覧のほどを。

 取り急ぎ,今日のところはここまで。

2013年12月14日土曜日

「保健衛生」という考え方と全体主義国家の関係について。医療思想史・その5.

 「保健衛生」。このことば自体はなにも目新しいものではありません。ごくふつうに「保健衛生」,となにも考えないで,ごく当たり前のように使っています。しかし,N教授は,このことば,漢字をよくみてみなさい,とおっしゃる。わたしも言われるままにじっと見入ってみました。が,それがどうしたというのでしょうか,と訝しく思っていました。

 が,N教授は,このことばを分解して,つぎのように説明してくれました。
 「保健」とは,健を保つ。「健」とは健康のこと。つまり,健康を保つ。
 「衛生」とは,生を衛る。「生」とは生活でもあり,生命でもある。つまり,命を衛る。
 すなわち,健康を保ち,命を衛る。
 これが「保健衛生」ということばの成り立ちであり,その意味です,と。

 それだけなら,なるほど,で終わります。しかし,ここからがN教授の「医療思想史」のすごいところです。この「保健衛生」は,だれのためのものか,と問います。だれが,だれのために,そして,なんのために,このことばを編み出し,用いるようになったのか,と問います。わたしはスキを突かれたと気づき,あっ,と声を発していました。思い当たる節があったからです。

 それは明治政府の文部大臣森有礼が打ち出した「富国強兵」策でした。教科書にも書かれていますように,かれの打ち出した「富国強兵策」はみんな知っていることです。国を富ますためには優れた労働者が,そして軍隊を強くするためには強い兵士が必要だ,とこれを日本近代の国民国家のスローガンにかかげたわけです。いかなる重労働にも耐えうる身体と意志をもった,よく働く労働者と,強い軍隊を支える身心ともに頑健な兵士を養成すること,これが日本近代の国民国家を支える国民を育成するための喫緊の課題でした。そのために,まずは日本国民の間に「保健衛生」という考え方を浸透させる必要がありました。

 そこで,まずは,体操伝習所にアメリカのアモースト大学医学部を卒業したリーランド博士を招き,アモースト大学で行われていた身体測定や体力測定を取り入れ,一年間の発育・発達の実態を把握することになりました。やがて,この体操伝習所の卒業生たちが全国に散っていき,同じことを学校現場で児童・生徒たちを対象にして行うようになります。かくして,丈夫で健康なからだをもつことが日本国民としての美徳として高く評価されるようになります。

 病気をしない丈夫なからだの持ち主,すなわち,健康であることが国民の理想として掲げられました。そうして,病気をしないための予防医学としての「衛生学」が,まずは広く知られるようになりました。手を洗いましょう。うがいをしましょう。歯を磨きましょう・・・・という具合にして衛生の考え方が国民の間に浸透していくことになります。こんにちのわたしたちもまた,外出から帰ると手を洗います。うがいをします。この慣習行動は明治以後にできたものです。それ以前の日本人はそんなことはしていませんでした。

 かくして,「保健」(健康を保つ)と「衛生」(生活/生命を衛る)という概念がセットになって,ごく当たり前のように,なんの疑念もなく国民の間に理解されることになります。こんにちの学校の「保健体育」という教科の淵源はここにあります。健康を保ち,からだを育てるための知識と方法を教える教科の根拠はこの「保健衛生」という考え方からでてきます。

 問題は,さきにも書きましたように,「保健衛生」も「保健体育」も,いったい,だれが,だれのために,そして,なんのために,ということを問う必要がある,とN教授は仰います。そして,この関係を丁寧に説明しながら,この考え方がじつは全体主義国家の根幹をなすものであることを,じゅんじゅんにに説いてくれます。その説得力のある論理に唖然としながら,ノートをとることさえ忘れてしまうほどでした。

 それは,国民の身体が国家に絡め捕られていくプロセスであり,健康という美名のもとに国民の健康もまた国家の資産として確保されていく,そのプロセスのお話でした。

 ここからはわたしの感想ですが,こんにちでは「健康管理学」という学問があり,体育学部の学生であれば必須科目になっているはずです。この「健康管理学」という表記もよくよく考えてみるとおかしなものにみえてきます。その点,「保健衛生学」はまだましな方です。健康を管理する学問とはいったいどういう学問なのか,と考えてしまいます。健康ということばの概念がまずは曖昧です。どこまでが健康であって,どこからは健康ではないのか,その境界線を引くことはほとんど不可能です。その健康を「管理」するというのです。だれが,なんのために?

 この学問は,わたしの記憶に間違いがなければ,アメリカから日本に移入された学問です。つまり,キリスト教文化圏で生まれた学問です。それは「健康」という物品を「管理」するという,工場の製品管理と同じ発想です。つまり,健康を「モノ化」した発想です。国民の健康を「モノ」としてとらえる発想です。そこには,もはや,人間は存在しません。必要なのは,「健康な身体」だけです。それを,だれが,どのように利用しようというのか。母子手帳にはじまる国家による健康の「管理」に疑問をいだく人は,いまや,ほとんどいないことでしょう。

 しかし,よくよく考えてみれば,なにゆえに国家によってわたしたち国民の健康が管理されなければならないのか,とても不思議です。ここには,だれかが国民の健康を必要としており,なにかの役に立てようとしている,という明確な意図が働いています。そこのところをN教授は,もっともっと注意深く考える必要がある,と説きます。その謎が解けてくれば,いま,わたしたちがどのような国家に生まれ,生きているのか,ということがはっきりしてくるという次第です。

 N教授が「医療思想史」にこだわる理由が,わたしにも少しずつわかってきました。このあとの講義がいまから楽しみです。とりあえず,今日のところはここまで。
 

「医療」を成り立たせている条件をチェックしていくと,社会の成り立ちがみえてくる。医療思想史・その4.

 N教授の「医療思想史」の講義が佳境に入ってきました。とりわけ,12月13日(金)に行われた講義は,これまでにも増して,いまのわたしにとってはありがたく,きわめて有益なお話でした。

 にもかかわらず,もう長い間,医療思想史のレポートを,このブログに書くチャンスを見失っていました。お断りするまでもなく,「特定秘密保護法」なる,とんでもない悪法を,ほとんど審議することもなく強引に議会を通過させ,成立させてしまった政府与党のやり方に抗議していたからです。なんとも許しがたい暴挙としかいいようがありません。が,闘いはこれからです。まずは,注意深く政府与党の言動をチェックしながら,再来年春(2015年)に予定されている国政選挙で決着をつけるべく,息の長い運動を展開していかなくてはなりません。

 というような具合に書き始めますと止まりませんが,ここは禁欲につとめることにしましょう。

 さて,昨日の医療思想史。もう,何回もお断りしていますが,ここで書かれる内容は,N教授のお話のほんの一部であり,あくまでも,わたしが聞き取れた範囲のものでしかありません。そのむかし,お釈迦さんのお話を聞いた弟子たちが集まって,わたしはこのように聞いた(「如是我聞」)という話を集めて「経典」を編纂しました。この伝でいえば,このブログはわたしの個人的な,まったく恣意的な「如是我聞」であって,N教授には一切の責任はありません。そのことを再度,お断りしておきたいと思います。

 なかなか本題に入っていくことができません。前置きばかりが長くなってしまいます。これはわたしの悪いクセ。お許しください。

 N教授は,授業の冒頭で,「医療を成り立たせている条件をチェックしていくと,社会の成り立ちがみえてくる」と述べた上で,「ひとくちに医療といっても,さまざまな側面をもっているので,いささかやっかいではありますが・・・」と断わりながら,大筋,つぎのようなお話をされました(と,わたしは聞きました)。

 古代ギリシアの医聖ヒポクラテスの時代には,医療の対象は,まずは「人」を診ることに主眼がありました。つまり,病んでいる人を癒すことに力点がおかれました。まずなによりも,癒す力が医者に求められものでした。ですから,ヒポクラテスはアスクレピオス神殿の聖域の中で医療に従事していました。つまり,ここでの医療は聖なるものと俗なるものの境界領域で成立していたことがわかります。

 が,やがて医療の対象は,病んでいる人の病気の原因を追求し,その原因を取り除く方向に向かいました。つまり,病気を因果関係でとらえ,その原因を取り除くことが医療の目的となります。ここで起きたことは,人を診ることから病気を診ることへ,という大きな転換です。もっと言ってしまえば,人間不在の医療がここからはじまるというわけです。その根っこにある考え方は「合理的思考」「科学的思考」です。人間の頭で合理的に説明ができる領域に医療が取り込まれていった,と言ってもいいでしょう。

 こうして科学的合理主義が医療の中心に位置づけられるようになります。すると,病気の原因もさらに細分化されていきます。腹が痛い原因は,内臓器官のどこにあるのか,が追求されていきます。すると,病気全体から,胃なら胃,腸なら腸(大腸か,それとも小腸か)という具合に,臓器に医療の対象が移っていきます。こうして,じつに明快に原因が説明され,治療が施されるようになりますと,いわゆる「科学万能神話」が誕生することになります。ここでは,人間も病気も不在となり,医療の対象は臓器に集中していきます。

つぎの段階は,臓器のなかの「細胞」の異変に科学的関心が移っていきます。臓器から細胞へと関心が移り,さらには,細胞のなかの遺伝子へと医療の関心は移っていきます。その結果,ゆきついたのが,いま話題の「iPS細胞」というわけです。この「iPS細胞」のもつ問題性についても詳しい説明がありましたが,わたしの手には負えませんので割愛。(ただ一点だけ。自然界には存在しない細胞を人工的に造りだして,それを生身の人間のからだに取り込もうということの意味,つまり,人間の存在論にかかわる重大な問題を内包しているということ。しかも,その問題についてはなんの議論もなされないまま実用化に向けてまっしぐら。国家も産業資本も国民の多くも後押ししています。さて,この問題をどうするのか。)

 臓器がどうしても治らないなら,臓器ごと取っ替えてしまえばいい,という恐るべき発想から「臓器移植」が登場します。こういう発想を支えている背景にはキリスト教的人間観があるというお話もされ,その根拠も懇切丁寧に説明がなされました。その発想が,自動車の部品交換と直結していることも,詳しい説明がありました。つまり,人間機械論の問題です。

 臓器移植は,それだけではなく,免疫抑制という医療にとっては,根源的な矛盾を抱え込むことになりました。つまり,病気を治す原動力は免疫力ですが,その免疫力を抑制しないことには,他者の臓器を自己の体内にとりこむことはできません。つまり,抗原抗体反応を起こして,他者の臓器を排除しようと免疫力がはたらくからです。つまり,ここでの医療は,移植した臓器を優先させるのか,もともとのからだを重視するのか,その微妙なバランスのもとに「生命」を維持しなければならない,というまったく新たな事態に遭遇することになりました。(この背景には,ジャン=リュック・ナンシーの『侵入者』による問題提起があります。)

 さらには,免疫抑制剤という新薬の開発が活発になります。新薬開発とともに特許競争もはじまります。こうして,臓器の売買もふくめて,医療は産業化されていきます。かくして,医療産業に大きな資本が投入されることになり,医療は気づけば,完全に「経済」原則のもとに管理されることになってしまいました。かくして,こんにちの医療は完全に経済に絡め捕られて,だれのための医療かという新たな問題が登場しています。

 もはや,そこには「人間」は,ひとかけらも存在しません。経済活動の一環としての,つまり,金儲けとてしの医療しか存在しません。医療が,あっという間に「商品化」され,「金融化」され,立派な経済活動の対象となってしまった,という次第です。

 とまあ,わたしは至らぬ説明しかできませんが,それでもなお,N教授がわざわざ「医療思想史」という講義題目を立てて,まったく新しい研究分野を開拓していこうとしていることの意味が,そこはかとなく伝わってくるのではないでしょうか。このあとの展開が楽しみです。

 というところで,今日のところはひとまず,おしまい。
 

2013年12月12日木曜日

都知事居座りで,2020年東京五輪は大ピンチ。この際,思い切って五輪開催を返上したら?

 猪瀬知事がずっこけて,さっさと辞任するかと思いきや,全身全霊をこめて頑張るという。そして,その汚名返上のために,一年間の給料を返上するなどという「禊ぎ論」を持ち出して逃げきりを図ろうとしている。そんなことは5000万円問題とはなんの関係もない。東京都の職員であれば即刻罷免されるほどの大罪を,その長たる知事が犯したということの認識が欠落している。ただ,それだけの話だ。ただちに辞表を提出して,それからのんびりと「禊ぎ」をすればいい。どこぞの元首相のように,お遍路さんにでもでかければいい。そのためには,まずは,みずから身を引くことだ。こんなことすら判断できない体たらくだ。情けない。

 こんな人物に東京都民は,史上最高の得票を与えてしまった。たぶん,その瞬間に,この男は狂ってしまったのではないか。あのイシハラを超えた,と。一夜にして大金持ちになった人間は,ある日,突然,一夜にして金を失うという。どうやら,その教訓どおりになってしまったようだ。が,そのことにすら気付いていない。裸の王様を,お付きの者たちはなにを傍観しているのか。都知事のブレーンには,それを言える知恵者も勇気ある者もいないらしい。最悪の首長としかいいようがない。

 猪瀬知事が居すわれば居すわるほど,東京都の傷は,あらゆるところでますます深くなっていく。なによりも,新年度の予算が決まらない。新事業の執行もストップしたまま。なにもかも機能停止状態のままだ。こんな状態がつづくと国際社会にも顔向けできなくなってしまう。第一に,2020年の東京五輪開催の準備が進まず,顰蹙を買うことになる。こんな知事に五輪開催を任すわけにはいかない・・・・と。ただでさえ,五輪開催のための競技場建設工事が間に合わないのではないか,と大まじめに危惧されているというのに・・・・。

 たとえば,最大の難関と取り沙汰されている新国立競技場の建設がある。景観を壊すとか,規模が大きすぎるとか,設計に無理があって技術的に建設不可能だとか,維持管理費がかかりすぎるとか,いろいろ取り沙汰されているが,最大の難関はなんと「人手不足」だという。ゼネコンはこぞって一儲けしようと虎視眈々と狙っていたものの,いざ請け負いの準備にとりかかってみたら「人手」が圧倒的に足りないことが判明し,どこも請け負う業者はいないのではないか,とさえささやかれている。

 ただでさえ,東日本大震災からの復興のための労働力すら足りないといわれている上に,今夏の集中豪雨による土砂崩れが全国各地で起きて,そちらにも人手が奪われている。フクイチの原発作業員も底をついてきて,困り果てているという。放射能による汚染管理も杜撰であることが知られるようになり,フクイチを忌避する人が増えてきている,とも聞く。しかも,フクイチは決して「コントロール」されてはいない。きわめて危険な状態がいまもつづいている。いま,ふたたび大きく揺れたり,大きな津波が襲来したら,完全に「アウト」だという。

 そこにきて,東京五輪のための首都高速道路の新規計画の実現と,すでに50年が経過して老朽化した首都高速道路の大規模な改修工事が必要だという。不要だと地元からも評判の悪い「スーパー堤防」の建造はあきらめないと政府方針。なにを考えているのだろうか,と首を傾げたくなる。

 こんなに難題が連なっているというこの時期に,都知事のこの失態である。肝心要の五輪開催のための組織委員会の長でさえ,権力闘争の道具と化していて,にっちもさっちもいかない状態にある(都と政府の綱引き)。東京五輪招致が決定したら,ただちにその長を決めて迅速にその準備のために動きはじめなくてはならないのに,あの決定の瞬間の歓喜のシーンばかりがテレビで繰り返し流され,そのままなにもなされないまま放置されている(水面下では相当に激しい駆け引きが行われているとも聞く)。こちらも情けない話である。

 この八方塞がりの現状を打破する展望は,いまのところなにもない。わたしの個人的な見解では,当分の間,建設現場の「人手」不足を解消することは不可能だということだ。どう考えても不可能だ。残る手当ては,大量の外国人労働者の動員しかない。そこまでして,はたして,計画どおりの工事ができるとは思えない。いろいろのトラブルが発生して,ますます問題が複雑になるばかりではないか,と危惧する。

 ならば,この際,国内多事多難につき(フクイチの収束,災害復興,集中豪雨,など),2020年の東京五輪開催を返上したらどうか。第二次世界対戦勃発を理由に,東京五輪を返上した過去の実績もある。こんなピンチの時代に,外国に対して円借款などをしている場合ではないだろうに。もっと,国内の「非常事態」に眼を向け,真っ正面から取り組み,そこからの脱出のために全力を投ずるべきではないのか。それこそが最優先課題ではないのか。

 臭いものには蓋をして(特定秘密に指定),国民の眼をたぶらかし,弱い立場の人間に全部しわ寄せをして,金持ちばかりが得をし,権力の安泰を図ろうとする政権与党の,まだまだつづく企み(悪法)をしっかり監視しなくてはならない。とりわけ,2020年の東京五輪開催が,そのための絶好の「眼くらまし」に用いられようとしていることに,もっともっと注意を喚起しておきたい。

 これから「この一年」を振り返るテレビ番組や新聞報道が企画されることだろう。すでに,そのきざしは始まっていて,今日もまたニュース番組のなかで,万歳を叫び,躍り上がって喜ぶ「五輪招致決定の瞬間」が流されていた。「イチエフ・クライシス」がまだまだ非常事態にあるというのに。スポーツはそのための絶好の小道具として,これまでも何回も利用されてきた。そのことを強く意識していく必要がある。

 もう一度,言っておこう。この際,思い切って2020年東京五輪開催を返上してはどうか。のちに,後悔しないためにも。蛮勇を奮って決断すべきときではないだろうか。

2013年12月11日水曜日

「斜飛」ということについて。李自力老師語録・その40.

 忙しい時間を割いて,李老師が稽古の終わりころに顔を出してくださいました。ありがたいことです。
 すぐに床に開脚姿勢で座り,柔軟運動をしながら,わたしたちの稽古をじっと見つめていらっしゃいます。しかも,いつもの柔和な顔とはちょいと違います。一瞬,おやっ?と思いながら,わたしのこころとからだに緊張が走ります。なにか間違った稽古でもしているのだろうか,と。

 しかし,それはわたしの杞憂でした。これまでとは違う,少しばかりレベルの高いご指導をしてくださったのです。これまでは,悪いクセのようなところ,あるいは,不十分・不適切な動作(たとえば,腰の回転不足,など)を丁寧に修正することがほとんどでした。しかし,今日は,これまでとは違う,まったく新しいご指導がありました。

 それは「斜飛」(中国語の発音を忘れてしまいました)ということばでした。それもそんなにむつかしいことではありません。それは「24式」の第二式として習う「イエマーフェンゾン」の後半の部分の動作でした。こまかく説明するまでもない,初歩の初歩の動作です。右足で立ち,からだの正面にボールをつくり,左足を斜め前に送り出し,右手を右斜め下に抑えるようにしながら,同時に左手を下から左斜め上に送り出しながら,腰を回転させ,ゴンブの姿勢になる,この一連の動作を同時進行で,どこも停止することなく流れるように行う「わざ」です。この「わざ」を行うときの,左足を斜め前に送り出してかかとが床に着いてから,体重を右足から左足に移動させながら腰を回転させ,左手を斜め上に,右手を斜め下に,というこの部分です。

 この後半部分を「斜飛」と言います,と李老師。ここがイエマーフェンゾンという「わざ」のポイントになります,と。つまり,相手が右拳で顔を突いてきたと想定し,その相手の右拳の手首を,自分の右手で捉え右下に抑え込みながら,左足で相手の右足をブロックしながら,左手を相手の右脇の下に差し込み,下から斜め上に「斜飛」して相手を倒す,というわけです。この「斜飛」をしっかりイメージして,イエマーフェンゾンの後半部分の動作を「流れる」ように行いなさい,と李老師はおっしゃいます。つまり,単なる動作ではなく,はっきりと「わざ」を意識して,左手首を反して,相手の左脇の下に「力」を伝える,というイメージで行いなさい,と。

 その上で,李老師はお手本をやってみせてくださいます。なるほど,「斜飛」しているのがよくわかります。この「斜飛」がきちんとできていないかぎりイエマーフェンゾンの「わざ」は生きているとは言えません,と。それは単なる「ものまね」にすぎません,と。

 さあ,困ってしまいました。つまり,わたしたちがこれまで一生懸命に稽古してきて,いくらかさまになってきたつもりでいたら,それは「ものまね」にすぎないと言われたに等しいのですから。早速,Nさんが必死に食らいつきます。何回も繰り返しているうちに「そう!それですっ!」と李老師の嬉しそうな声。でも,それをみているわたしには,以前といまとではどこがどのように違うのか,いまひとつ納得がいきません。「それですっ!」と李老師に言われているのですから,それで間違いないのでしょうが・・・・。困ってしまいました。

 大きな宿題ができてしまいました。納得できていれば,なんとか努力目標がみえてきますが,「なんとなく」わかる程度では,暗中模索も同然です。しかし,この一週間の間に,なんとかそれらしくなるように努力する以外にありません。こういう新しい課題を出されたときに限って,次週も,終わりころにひょっこりと顔を出されることが,これまでには多かったように思います。これはもう,「わざ」というイメージを頼りに,頑張るしかありません。でも,考えようによっては,ようやくこのような課題を提示されるようになってきたのだ,と喜ぶべきかな,と思ったりしています。

 これから一週間は「斜飛!」「斜飛!」と声に出しながら,今日の李老師のお手本を頭のなかでイメージしながら,稽古するしかないと覚悟を決めました。でも,嬉しいかぎりです。
 

小津安二郎監督映画『秋日和』(1960年)を見る。「モスグリーン」の時代。この懐かしさはなんだろう?

 近頃はパソコンで映画が鑑賞できる。便利になったものである。しかし,この便利さに溺れてしまうととんでもないことにる,と自戒もしつつ・・・・。でも,その便利さにはつい甘えてしまう。それが人間の弱みだ。

 今日(10日)の午後,まるでエアポケットのように,なにもする気がなくなり突然の虚脱状態になってしまった。こういうときは受け身のことしかできない。そこで思いついたのが映画鑑賞。これなら,この気抜け状態でも大丈夫だ。

 選んだ映画は,小津安二郎監督作品『秋日和』(1960年)。最近,なにかと小津安二郎作品が話題になっていることを思い出したのが動機。それと,わたしが22歳のときに見た記憶がよみがえってきたことも大きな動機のひとつ。ストーリーは単純明快。年頃の娘の結婚をめぐって起こる親と娘の,いわゆる世代間の考え方の違いを浮き彫りにするもの。親の理想とする結婚観と,戦後民主主義の洗礼を受けた若い娘の考える結婚観との軋轢。

 ここでは,映画の評論はしない。その資格もない。
 ただ,この映画を半世紀(53年)ぶりにみた,その不思議な感覚・感動について書いてみたい。

 まず第一に,「モスグリーン」の色が印象に残った。映画全体が「モスグリーン」で彩られている。会社のドアも,当時の流行の先端を切っていた公団住宅のドアも,そして,銀座のバーのソファーも,さらには若い女性の服装も,いたるところに「モスグリーン」が多用されていたこと。そういえば,あの時代のカラーは「モスグリーン」だったと思い出す。わたしが好んで履いていたズボンの色も「モスグリーン」だった。そのせいか,なんとも懐かしい。なぜか,ほっとする。この気分は久しぶりのことだ。

 つぎに印象に残ったのは,動作がゆったりしていること。別の言い方をすれば,のろくて,遅いのだ。登場人物がみんなワンテンポ,いまの人たちよりも動作がのろい。街行く人たちも,みんなゆったりと歩いている。そして,会話のテンポも遅い。たっぷりと間をとって会話をしている。家族の会話も,昔ながらの友人との会話も,せっかちではない。しかも,あまり多くを語らない。にもかかわらず,きちんと気持が通い合い,対話が成立している。どっしりとした,落ち着いた,人と人との信頼関係がここかしこから伝わってくる。これも「懐かしさ」の大きな要因のようだ。

 もうひとつは,俳優たちの体型が,いまの人たちとはいささか違うようだ。そのもっとも大きな特徴は,男女を問わず,お尻が大きめだ。骨盤の幅といい,お尻まわりの筋肉の量といい,あのあたりの大きさがいまの人たちとはひとまわり違う。これは生活習慣からくる違いというべきか。

 ひとつは,家のなかでの立ち居振る舞いからくるものなのだろうか。いわゆる椅子の生活ではない。だから,立ったり,座ったりを一日のうちに何回繰り返すことだろうか。これは相当に足腰を鍛える結果になっていたはず。だから,腰回り・お尻回りが頼もしい。

 もうひとつの理由は,たぶん,歩く距離。つまり,歩行運動が多かったということ。いまのわたしたちに比べたら相当に長い距離を歩いていたはずだ。電車の路線もバス路線も,いまよりははるかに少なかった。その分,みんな,せっせと歩いていた。そういう記憶がわたしのからだにもしっかりと刻み込まれている。たとえば,靴がすぐに駄目になってしまって,あまり間をおくことなく何足も買わねばならなかった。いまでは,一足の靴が何年ももつ。

 これは,ちょっと意外に思ったことだが,女性のおっぱいが外側を向いていることだ。当時はまったく気付かなかったが,この映画の途中から気になり,しっかりと確認してみたら,ほとんどの女性のおっぱいが,つまり,乳頭が外を向いている。おそらく,こんにちのようなブラジャーはしていなかったのだろう。それと女性の多くは和服を着ているのも面白いと思った。この和服を着ている女性は,明らかにブラジャーはしていないので,まぎれもなく乳頭は外を向いている。

 いまでは,そんな女性をみることはまず少ない。みんなブラジャーできちんと整えられた美しい胸が演出されている。断然,こんにちの女性の方が美しいし,かっこいい。しかし,どこか人工的な,事物的で,自然な造作とは異なる「モノ」的なものを感じてしまうのは,わたしだけだろうか。こんなことも,わたしのなかに「懐かしさ」が沸き起こる一因になっているのがもしれない。もっと言ってしまえば,天下の女優さんとはいえ,わたしの母親のようなノー・ブラのままの体型に近い人たちが,まだまだ,この時代には主流をなしていたということだ。だから,なおいっそ懐かしい。

 半世紀も前の映画は,発見することが多い。服装や町並みの景色や,電車や自動車も,いまとはまるで違う。まるでタイムスリップして,大昔にもどったような錯覚を起こす。この,たった50年という時間でしかないのに,大きく日本全体が変わってしまったことが,痛いほど伝わってくる。

 考えてみれば,この映画が上映された4年後,つまり,1964年には,あの東京オリンピックが開催されたのだ。この4年間だけでも,新幹線が走り,首都高速道路ができ・・・という具合に東京そのものも大きく様変わりをしたのだ。だから,人間も大きく変化してしまった。でも,からだに刻み込まれた記憶はまだまだしっかりと残っている。だから,そこを刺激されると,古い記憶の層か活性化し,「懐かしさ」が呼び覚まされる。

 こんな映画の鑑賞の仕方があった,とわれながら大きな驚きでもあった。
 また,時間があったら,小津安二郎監督作品を,こんな眼で鑑賞してみたいと思う。もちろん,その他の作品でも,また,違った発見があるかもしれない。古い映画が,意外に面白い。

2013年12月10日火曜日

雑誌『世界』の臨時増刊号『イチエフ・クライシス』を読もう。原発事故は収束していない。

 雑誌『世界』1月号と同時発行で,臨時増刊号『イチエフ・クライシス』が刊行されました。

 1月号は,特集「情報は誰のものか」を組み,まさにタイムリーに「特定秘密保護法」の諸矛盾を徹底的に検証しています。アベ君は,今日も,国会閉会記者会見で,いけしゃあしゃあと「もっと丁寧に説明すべきであった」(秘密保護法について)と,またまた堂々たる嘘をついていました。説明すればするほどボロがでてきて,国民の反対運動がますます大きくなってくるので,審議もそこそこに形式だけで打ち切り,タイムリミットすれすれに「滑り込んで」,無理やり通過させておいての,厚顔無恥丸出しの記者会見でした。それにしても,よくもまあ,あんな嘘っぱちが自信満々に言えるものだと,あきれ果ててしまいました。

 一方,臨時増刊号では,表表紙の裏側に,いきなり,つぎのような文章を載せて,迫力満点の気魄が伝わってきます。

「状況は,コントロールされている」
2013年9月7日,安倍晋三首相はブェノスアイレスにおけるオリンピック招致最終プレゼンテーションで,世界中に向けて公言した。
しかし,にわかに浮上した汚染水問題は,現時点が,イチエフの「廃炉に向けての第一歩」などではなく,原発事故と必死で闘っている状況であることをあらわにした。原発事故は収束していない。高線量の現場では,作業員の方々が懸命の収束作業を続けている。4号機からの燃料棒取り出し作業が始まったが,安全に遂行できるのか,世界中が一挙手一投足をかたずを呑んで見守っている。──中略。

いまこそ,真の事故収束と人々の復興,原子力政策の転換に向け,知恵を集めるべき時だ。

 このように宣言した上で,以下の4本の柱を立て,政府与党が必死になって隠し通そうとしている「イチエフ・クライシス」に切り込んでいます。

 Ⅰ───イチエフはいまどうなっているのか,汚染水問題の現状は
 Ⅱ───福島の現在──原発事故は何をもたらしたか
 Ⅲ───東電・原子力ムラをどうするか
 Ⅳ───たたかいはつづく

 わたしが,まず,最初に読み始めたのは「Ⅲ」のところからでした。なぜなら,つぎのような筆者とタイトルに惹かれたからです。
 古賀茂明(元国家公務員):東電は破綻処理をしなければならない──守るべき「国民負担の最小化」と「責任と負担の原則」
 泉田裕彦(新潟県知事):ご都合主義の規制基準では原発立地住民の信頼は得られません
 若杉れつ(にすいに列)(国家公務員):利権のモンスター・システムが日本を蝕む──『原発ホワイトアウト』著者に聞く

 といった,必見・必読の論考がつづいています。
 「モンスター・システム」とは「電気料金という無限に生み出されるカネを基にした集金・集票・メディア操作システム」のことで,その実態は『原発ホワイトアウト』のなかで,これでもか,これでもか,というほど詳細に論じられています。「原発はまた,必ず爆発する!」と「ホワイトアウト」を予告しています。日本の国に未来はない,その絶望の淵に追いやられてしまう力作の「リアル告発ノベル」です。まだ,未読のかたは合わせて読まれることをお薦めします。

 「特定秘密保護法」との闘いは,これからが本番となります。どれだけ辛抱強く,息ながく闘えるか,スタミナ勝負になります。そのスタミナを補強するためにも,この臨時増刊号は必見・必読です。ぜひ,読まれることをお薦めします。

 以上,今夜はここまで。

 

2013年12月9日月曜日

「原発ゼロ」を撤回だどっ?どさくさまぎれの泥棒根性。許しがたい。

 とうとう「12・6」というおぞましい記念日が誕生した。民意を無視して,ついに「特定秘密保護法」を成立させてしまった政権与党。1941年12月8日午前3時(日本時間)にパールハーバーに奇襲攻撃を加えた「12・8」という恐るべき記念日を知る人が年々少なくなっていくなか,それに代わるかのように「12・6」が牙を剥いて立ち上がった。冬の時代のはじまりである。

 困ったことになったと頭を抱え込んでいたら,なんと,そのどさくさまぎれに「原発ゼロ」を撤回するという暴挙にでた。「12・6」を隠れ蓑にしたかのように,経済通産省はこっそりとエネルギー基本計画の素案を提示した。みごとなタイミングというほかはない。それによると,民主党政権が打ち出した「2030年代原発ゼロ」の目標をあっさりと撤回し,原発を「重要なベース電源」と位置づけ,原発を積極的に活用していく方針を打ち出した,という。びっくり仰天である。

 このシナリオは,満を持してそのチャンスを狙っていた原子力ムラの計算どおりである。それも,小説『原発ホワイトアウト』(講談社,2013年9月刊)が予想したとおりのシナリオを踏襲しているから,なおさら恐ろしい。「原発を重要なベース電源」にするという基本方針は,原発マネーで甘い汁を吸いつくしてきた政治家,経済通産省の役人,東京電力,地方自治体の長,その他の利権団体がタッグを組んだ,最強のチームワークのもとで密かに維持されてきた。その実態がフィクションの形式を借りて,赤裸々に『原発ホワイトアウト』のなかで描写されている。

 小説はあくまでもフィクションであるが,それを実証するかのようなエネルギー基本計画の素案をみると,背筋が寒くなる。やっぱりそうだったのか,と。

 日本という国家の屋台骨をゆるがすような,きわめて危険な法案が,まるで東日本大震災の折のような「大津波」となって,つぎからつぎへと押し寄せてくる。なにがなんだかわけもわからないうちに,恐るべき法案があれよあれよという間に通過していく。ほとんど,それらしき審議(国会)・議論(国民)もなされないままに。この政府自民党の暴挙を,わたしたちはなすすべもなく見過ごすしかない。情けないがそれが実情だ。

 反対の意志表明をすると,場合によっては「テロ」と見なされる。それもなんの基準もなく,ただ,権力の恣意的な判断に委ねられている。国会での森担当相の,ぶれまくる答弁がそれを如実に物語っている。イシバちゃんにいたっては,まことに正直に「デモ」は「テロ」だとまで言った。これが政府自民党の執行部の考えなのである。となると,権力の思うがまま,なんでもあり,の時代がもうそこまできている。

 暮れ正月は忙しくなる。金曜日の「脱原発」を筆頭に,「特定秘密保護法」の撤廃運動があり,土壇場を迎えつつある「TPP」交渉がある。からだがいくつあっても足りない。でも,こんな馬鹿げた政権に「多数」を与えてしまった以上は,なにがなんでも抵抗の姿勢を示しつづけるしかないのだ。そして,民主主義のなんたるかを,からだを張って主張するしかないのだ。

 いま,わたしたちは「歴史」に直面している。むきだしの「歴史」に向き合い,その主体としてのわたしたち一人ひとりのあり方が問われている。つまり,生き方の基本が問われている。ひとりの人間としての,素の生き方が問われている。そして,この生き方が個々のからだに刻み込まれ,その記憶が,つぎの選挙のときに表出することになる。いまを,いい加減に過ごすと,またまた,安倍ヒトラーが勢いを増すことになる。それだけは絶対に回避しなくてはならない。

 今夜も眠れそうにない。でも,そういう体験が,いまは重要なのだろう,と自分自身に言い聞かせる。いま,やすらかに眠れる人がいるとしたら,それは国際社会に向けて平気で嘘のつけるアベ君くらいのものではないのか。あのイシバちゃんですら,民意に怯えて「テロ」と言って牽制しているくらいだもの。あのイシバちゃんの顔からは想像もできないが・・・・。

 今夜も悶々としながら夜を過ごそう。それが,いま,時代と向き合うということなのだから。
 

2013年12月8日日曜日

「主権を売り渡すTPPから脱退せよ」,明日(8日)の集会(日比谷野外音楽堂)とデモに行こう。

 「特定秘密保護法」が民意を無視して強引に参議院を通過させて,こんどは「TPP」を年内に手を打ってしまおうと,暴走内閣はひた走る。安倍ヒトラーは,もはやわき目もふらず,アメリカのいいなりに猪突猛進していく。おじいちゃんの岸信介ですら躊躇したであろうことに,平然と突進していく。これを勇気ある政治決断というべきか,それとも,無知なるがゆえに可能な暴挙というべきか。少なくとも,一国の総理大臣を,頭の悪いたわけ者とは言いたくない。しかし,このところの言動をみていると,この人はもっとも肝腎なところで「賢くない」のではないか,と思えて仕方がない。

 「TPP」が,日本という国家のあり方の骨格を根底からひっくり返す,とんでもない約束ごとであるということを,安倍ヒトラーは知ってか,知らずか,なにがなんでも妥結させようと必死になっている。 「TPP」はどう考えてみても,日本の伝統的なシステムをすべて捨ててアメリカン・スタンダードに合わせましょう,というとんでもない約束事なのだ。つまり,日本のよさも悪さもすべて捨てて,アメリカの価値観に同調することが前提となっている。もっと言ってしまえば,日本がアメリカの属州のひとつになるということだ。

つまり,安倍ヒトラーは,日本をアメリカに売り渡して,日本人をアメリカ人にしようという魂胆なのだ,としか考えられない。しかし,どう考えてみても,こんなことが,できるわけがない。にもかかわらず,それを強引にしようとしている。しかし,それは不可能だ。第一,多神教の仏教・神道イストを,一神教のキリスト教に改宗する,なんてことはどう考えてみても不可能である,と歴史が教えている。しかし,安倍ヒトラーはそんなことに頓着してはいない。

 わたしはひとりの日本人として,日本人の「ハート」や「根」を放棄してまでしてアメリカ人になりたいとは思わない。だから,「TPP」には反対である。

 明日(12月8日),「これでいいのか?TPP 12・8大行動」という集会が日比谷野外音楽堂で開催される。主催者は「TPP参加交渉からの即時脱退を求める大学教員の会」である。もう,ずいぶん前から醍醐さん(東京大学名誉教授)を中心に活動していることに,わたしも賛成し,可能なかぎり行動をともにしてきている。

 明日(8日),午後1時,日比谷野外音楽堂に集合。各種団体(協賛団体,約138)をはじめ,政治家も登壇してスピーチ。TPP交渉の現状は,秘密のまま,なにも明らかにされないまま,そして国会決議も自民党の決議も守られないまま,年内合意・妥結をめざす安倍ヒトラーに対して,それを糾弾する姿勢がどのように展開されるのか,わたしは大きな関心をもっている。各スピーカーが,なにを,どのように強調するのか,耳を傾けてみたいと思う。

 午後2時30分,デモ出発。

 詳しくは,下記を確認のこと。
 http://atpp.cocolog-nifty.com
 なお,問い合わせは
 tpp2013@mbc.nifty.com(事務局・醍醐)
 090-40218316(醍醐)

 

2013年12月7日土曜日

国会議事堂前で「廃案」を叫んできました。でも,その声はとどくことなく,法案成立。

 毎週金曜日は可能なかぎり首相官邸前や国会議事堂前に行って,一声張り上げてくることにしていました。今日(6日)も,そのならいどおりに夕刻,国会議事堂前に行ってきました。少し早く到着したので,まだ,それほどの人数ではありませんでしたが,みなさん真剣な顔をして国会議事堂をにらみながら,声をあげていました。

 今日は金曜日なので,まずは,N教授の授業に。その前に,N教授のブログを読んで,そうか,昨夜は遅くまで国会議事堂前にでかけていたのだと知り,昨日一日,じっと部屋に籠もったままでいたみずからの姿勢を反省。よし,今日こそ授業が終わったら,国会議事堂前に行こうと決めていました。

 首相官邸前や国会議事堂前には,いつも,ひとりででかけています。だれか誘ってもいいのですが,あの場に立つと,いろいろの思いが交錯します。その思いに深く浸るにはひとりが一番。なにも気にしないで,自分の思いのままに行動することができます。あっちにふらふら,こっちにふらふら,自分の思いのままに行動することができます。そして,未知の人とこころゆくまでことばを交わすのも楽しみのひとつです。そのためには,ひとりが一番。

 国会議事堂前でしばらく声を張り上げて時間を過ごしてから,日比谷公園に向かいました。こちらには,すでにかなりの人が集まっていて,わたしのようなひとりでやってきた人も少なくありませんでした。日が落ちてしまうと,昼の温かさが嘘のように,急に冷え込んできましたので,これ以上は無理と判断し,引き上げてきました。

 参議院での強行採決は7日未明になるだろうというネット上の情報も,朝,家をでるときに確認していましたので,時間切れ廃案というほのかな期待もいだきながらでかけたわけですが,それでも,数の暴力の前になすすべもなく通過していくのだろう,という絶望も覚悟しながら,複雑な気分であの場に立って声を張り上げていました。まだ,通過してはいないという情報も,あの場に流れていましたので,みなさん気合が入っていました。

 家に帰って,ネットで確認してみましたら,まだ,これから長期戦になるようで,野党議員などは「二泊三日」の闘いがこれからはじまる,と意気込んでいました。そうか,まだ,予断を許さないのだと知り,テレビのチャンネルを探しました。「報道ステーション」が中継をやっていましたので,それを見ながら,ひょっとしてという期待を抱きました。

 が,この番組が終わってほかのチャンネルにまわして,あちこちニュースを追っていたら,さきほど採決が行われ「可決」したという情報を見つけ,もう,ここまでと観念しました。いよいよ「冬の時代」のはじまりです。

 歴史はこんな風にして決まっていく,という寂寥感に襲われながら・・・。そういえば,かつての安保闘争もそうだったなぁ,と思い出しながら・・・・。それでも,あの当時のことは,「特定秘密」などは保護されていませんでしたので,「30年」が経過すれば公開されていました。メディアもまだかなり元気でしたので,政府批判の報道も堂々と展開されていました。

 しかし,これからは「特定秘密」といえば「60年」もの長きにわたって事実は秘匿されてしまいます。しかも,その期間をさらに延長することもできるというのですから,恐るべし,です。権力にとって都合の悪い情報はすべて「特定秘密」として秘匿されてしまいます。となると,歴史的な検証すら不可能になってしまいます。権力の思いのまま,そういう時代のはじまりです。

 そういう歴史的な日が,あっけなく過ぎ去っていきました。なんともはや情けないかぎりです。

 かつて,「民主主義の熱的死」というN教授がかいた論考を思い浮かべています。もう一度,読み直して,深く考えてみたいと思います。

2013年12月5日木曜日

「特定秘密保護法」廃案の声を無視して強行突破をはかる政府与党。そのさきに待っているものは・・・・?

 弁護士が立ち上がり,学者・研究者が立ち上がり,労働組合はもちろん,各種の市民団体が立ち上がり,ここにきてアーティストが立ち上がり,映画人が立ち上がり・・・・・「特定秘密保護法」の廃案を宣言し,デモを繰り広げています。しかし,スポーツ界はだんまりを決め込んでいます。どうしてなのでしょう,と某大手新聞社の記者からメールがとどきました。

 今日(4日)の太極拳の稽古のときに,これで吉本の芸人さんたちが立ち上がると面白いのだがなぁ,とわたし。すると,Nさんが「芸人は太鼓持ちだから,つねに権力に身を寄せて生きているんだから,それはありえないでしょ」と仰る。なるほど,太鼓持ちは,つねに,旦那衆のご機嫌をとり,必死になって取り入って飯を食っているわけですから,それはそうですよね,とわたし。

 太極拳の稽古のあと,Nさんは首相官邸前へ,わたしは鷺沼の事務所へ。その電車のなかで,ふと,この話を思い出しました。そして,そうか,スポーツ界の住人もみんな太鼓持ちなんだ,とひとりで納得してしまいました。トップアスリートたちが自律/自立できないのも,性根が太鼓持ちだから,と。

 でも待てよ,と考えました。芸人が太鼓持ちで,トップアスリートも太鼓持ちなら,太鼓持ちはあちこちにいるぞ,と。その筆頭にいるのは官僚ではないか,と。サラリーマンも上司の前では太鼓持ち,わたしが生きてきた大学というところにも太鼓持ちがいっぱい,学会にも太鼓持ちがぞろぞろ,とまあ,あちこち,どこもかしこもみんな太鼓持ちだらけ。なにもスポーツ界だけに限られた話ではありません。

 なぜ?と考えたときに,またまた思い浮かんだのは「自発的隷従」ということば。寄らば大樹の陰。太鼓持ちとは自発的隷従者と同義ではないか,と。この方がずっと暮らしやすい,楽でいい,ということなのでしょう。なにも考えないで,力のある人に凭れかかり,ぶら下がっている方が楽でいい。そのためには,自発的隷従も辞さず,ということなのでしょう。あるいは,そんな意識すらないのかもしれません。

 エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ著『自発的隷従論』によれば,圧政者の圧力が強くなればなるほど自発的隷従は浸透していく,ということです。アベ君が,国民の意志などどこ吹く風とばかりに強硬姿勢に徹すれば徹するほど,国民のなかに「自発的隷従」が浸透していく,という理屈です。しかも,アベ君は,すでに,その味をしめて,熟知しています。ですから,6日の会期切れに向けて強行突破をめざす,とその決意表明までしています。

 しかし,自発的隷従にも限度があります。人間は忍耐の限界までは自発的隷従に徹するでしょう。が,その限界を超えたとき,なにが起こるでしょうか。それは歴史が教えてくれています。そうです。「革命」が起きます。しかし,「革命」にいたるまでにはまだまだ遠い道のりがあります。

 そこまでいく前に,野党が育って,もう一度,政権交代が起こることを期待したいところです。しかし,その可能性も当分の間,ありえない,というところにこんにちのわたしたちの悲劇があります。こうなったら,トランプの「総入れ換え」の手が使えたらいいのに・・・と夢想したりしてしまいます。でも,そうは問屋が卸しません。

 となると,もはや「冬の時代」の幕開けを待つしかありません。
 「一寸先は真っ暗闇でござんす」という菅原文太兄いの声が聞こえてきそうです。
 国民全員が酷い眼に会って,とことん痛い眼に会って,もうこれ以上我慢できないほどの悲しい眼に会って・・・・,完膚なきまでに耐えられない体験をしないことには,「太鼓持ち」体質,すなわち「自発的隷従」の軛から抜け出すことはできないのでしょう。

 そうして,覚醒した国民が多数を占めたときに,新しい時代の夜明けがやってくるのでしょうが,またぞろ,太鼓持ちが現れて,やがて太鼓持ちが多数を占めるようになり・・・・,という具合に同じことを繰り返すのかもしれません。人間とはかくも悲しい存在なのでしょうか。

 「自発的隷従」の,その根の深さに,絶望的になってしまいます。
 同時に,「スポーツする人間」とはなにか,という根源的な問いにも通底する,恐るべきテーマとしての「自発的隷従論」がわたしの脳裏をよぎります。あなおそろしや,あなおそろしや。
 

2013年12月4日水曜日

コメントが書き込めるようになりましたのでよろしく。設定を修復。

パソコンのことがよくわかっていないのに,あちこち触っているうちにこのブログの設定が奇怪しくなっていました。そのため,コメントを書こうとしても拒否されてしまう,という苦情が寄せられていました。なんとか直そうと必死になってやってみましたが,どうにもならないので半分あきらめていました。

が,チャンスの神様は偶然やってきて,やはり,わけもわからないまま「エイッ!ヤッ!」と気合でキーを叩いていたら,もとどおりになっていたようです。どうして,そのようになったのかわたしにはわかりません。しかし,ちゃんともどったようです。

その証拠に,今日,コメントが入っていました。そのコメントをみて,あっ,直っている,とはじめてわかりました。早速,アップしておきました。なんだか夢見心地のままで,寝起きの悪い,ぼんやりした頭のままです。でも,やはり,コメントが入ると嬉しいものです。

よほど意地悪なコメントでないかぎり,できるだけそのままアップしようと思っていますので,どうぞよろしくお願いいたします。そして,くださったコメントには,これは必要だろうと感じたときには,できるだけ応答するよう努力したいと思います。できるだけ,活発な意見の交換ができれば・・・・といまのところ考えています。

ということで,こんごともよろしくお願いいたします。
取り急ぎ,今日のところはここまで。
 

2013年12月3日火曜日

西谷修さん企画イベント「自発的隷従」を撃つ(12月21日)が楽しみ。川満信一,中里 効,小森陽一,真島一郎さんらが集う。


 このブログでも紹介しましたエティエンヌ・ド・ラ・ボエシ著『自発的隷従』(西谷修監修・山上浩嗣訳,ちくま学芸文庫,2013年11月刊)が提起する問題の深層に迫ろうというラウンドテーブルが開催されることになりました。この本の監修者である西谷修さんの企画によるものです。この企画の内容は上のポスターにあるとおりです。

 豪華なゲスト・スピーカーをお迎えしてのラウンドテーブルですので,いまからとても楽しみです。わたしたちとも懇意にさせていただいているアフリカニストの真島一郎さんがどんな読み方をされているのか,「9条の会」の主宰者である小森陽一さんが,この「自発的隷従」にどのようなコメントをされるのか,NHKのドキュメンタリーで数々の名作を制作してこられた七沢潔さん,もと『エッジ』の編集長で沖縄問題とからだをとおして深くかかわってこられた映像批評家仲里効さん,このお二人がどのような切り込み方をされるのか,興味津々です。

 そして,最後に,特別企画「エッジの水底から」が用意され,詩人の川満信一さんが自作詩の朗読をされることになっています。かつては,琉球社会独立憲法を起草し,琉球独立運動の先頭に立って闘った熱血漢でもある川満さんが,いまや枯淡の境地に立たれ,仏教思想に深く踏み込んだ思索を楽しんでおられるとも伺っています(昨年の「奄美自由大学」での深夜のわたしとの会話)。その川満さんがこの「自発的隷従」に触発されて,どのような詩を創作されたのか,そして,その詩をどのように朗読されるのか,わたしの胸は高鳴ります。

 これから,再度,『自発的隷従』を精読して,21日のラウンドテーブルに備えたいと思います。このテクストの最後のところに監修者である西谷さんの解説・不易の書『自発的隷従論』について,が掲載されています。その中の最後のところに「人間の生存条件」という小見出しを付した論考があります。わたしにとっては,この部分がとりわけ印象深く,あれこれ考えさせられました。その部分を以下に引いておきましょう。

 では,「自発的隷従」の構造は人間の存在の重なる層をどこまで遡るのか。ひょっとしたらそれは,人間が言葉によって生存を組織する存在であるというところに根差しているのかもしれない。言葉は規範的性格をもつ。つまりわれわれは言葉を操るようになる前に,うむを言わせぬ言葉の約束事に従わなければならない。日本語では犬は「イヌ」と発語しなければ,誰にも何のことか通じないのだ。誰が決めたのでもないこの決まりをまず呑み込んでそれに身丈を合わせなければ,人は言語的コミュニケーションの圏域に入ることができない。それによって人は,言語的共同性に参入して話す主体になる。つまり,まず共通の規範を受け入れる。するとその規範の作り出す枠組みに則って,人は自由にものを言い,それを通して自由を現実化することができるようになる。ただし言葉は,誰かの作ったものではない。あるいは,人間が作ったというより,言語の生成が人間を可能にしたのだと言うほかていものだ。それがおそらく人間という共同存在の条件なのである。だからそこには「自発的隷従」という表現はそぐわないが(誰もその時点で「自発的」ではない),言語の規範性に従うことで主体となるというこの人間の成り立ちのうちに,規範的な力と主体の自由との入り組んだ関係の発端をみることはできるだろう。このことは掘り下げて考えるに値する。

 この西谷さんの指摘に遭遇し,わたしは思わず立ち止まってしまいました。わたしの思考領域であるスポーツは,まずは「ルール」ありき,の世界です。ルールに従うことなしには成立しません。しかし,ルールは「言葉」と違って,人間が作るものです。人間が作るものであるだけに,スポーツの世界で生まれる「自発的隷従」は,意図的・計画的な要素がふんだんに盛り込まれることになります。とりわけ,近代スポーツはその典型的な事例と言っていいでしょう。

 しかし,その近代スポーツのルーツをたどって古代オリンピアの祭典競技のような世界に分け入ったり,古代アステカのボールゲームにまで遡ってみますと,そこは神の世界と人間の世界の境界領域となっていて,そこでのルールはきわめて「神話的」です。そして,ときには「神的」でもあります。つまり,「贈与と享受」の世界に限りなく接近していくことになります。言ってしまえば,近代スポーツの世界に繰り広げられる「自発的隷従」と,古代スポーツの世界での「自発的隷従」とは本質的に異質のものである,ということがわかってきます。しかし,それでもなお,そこに現出し,繰り広げられる「自由」はまったく異質であるにもかかわらず,その基となっている「自発的隷従」そのものは同じ範疇でくくられてしまっても不思議ではありません。

 まあ,そんなことを考えながら,再度,このテクストを精読して,このラウンドテーブルを拝聴してみたいといまから楽しみにしています。そして,その上で,スポーツ史・スポーツ文化論の領域での「自発的隷従」と「自由」の問題について考えてみたいと思います。

 なお,このラウンドテーブルの趣旨などについては,西谷修さんのブログやフェースブックにも紹介されていますので,そちらをご参照ください。
 

2013年12月2日月曜日

いまこそ,国会前デモに行って,テロリストになろう。大きな声で「嘘つきっ!」と言うだけでいいのです。

 いよいよ馬脚を現しましたねぇ。イシバちゃん。あなたは正直でよろしい。その意味でとても尊敬します。アベ君のように嘘をつく人は嫌いです。丸見えの嘘をついても平然として,それをゴリ押しする人は嫌いです。迷惑です。信用できません。ましてや,国家の長としては失格です。

 でも,イシバちゃん,あなたも基本的には嘘つきの名人ですから。その嘘に,ほとんどの政治ヤさんたちが迎合しているのが,いまの日本の「民主主義」なんですから。国民不在の「民主主義」。これがイシバちゃんのいいたかった本音でしょ?

 国会前で大きな声でシュプレヒ・コールをされると恐怖を感じる,だから,そういうことをする人たちはみんなテロリストにみえてくる,そんな繊細な神経の持ち主だったんですね。そうですか,国会前でのシュプレヒ・コールを聞いて「恐怖」をおぼえるんですね,イシバちゃん。「ボクちゃん,恐い・・・」と。でも,そんな人は,ボクちゃんの回りにもほんのわずかしかいませんよ。第一,圧倒的多数の国民はなんの「恐怖」も感じてはいません。むしろ,すっきりして,いい気分です。

 それとも真逆に,「特定秘密保護法」(イシバちゃんは「特定機密保護法」とブログで書いていますが,なぜ?まだ,別の法案が隠されているの?)が成立することにこそ,多くの国民は「恐怖」を感じ取っているんですよ。ですから,これまでデモなどしたこともない人たちまで立ち上がって,国会前に集まっているんですよ。どれほど多くの国民が怒っているか,その理由はご存じですよね。この間の選挙で自民党に票を投じた人の多くも,心底,怒っていることもご存じですよね。

 自民党は嘘をついたから。
 「特定秘密保護法」を国会に諮って成立させる,という選挙公約は「特定秘密・機密?」だったんですよね。それを,いきなり,選挙後に公表し,議論もほとんどしないまま(少なくとも熟することなく),国会を多数の暴力で押し切ろう,という暴挙にでたのですから。アベ君は,ひょっとしたら,自分が嘘つきであるとは自覚していないかもしれません。その程度のノーテンキぶりですから。しかし,その女房役(幹事長)のイシバさんは,とても賢いし,深慮遠謀に長けた人ですから,ご自分が嘘つきであることは充分にご承知のこと(計算済み)と存じます。

 だから,その嘘をつつかれると「恐怖」に怯えるのですよね。イシバちゃん。そうですよ。それがまともな神経をもった人間のあり方というものです。でも,アナタの「恐怖」もまた計算済みですよね。あの顔,斜に構えたあの恐ろしい目つきの人が「恐怖」をおぼえるなんて・・・・?日本国民の何人の人が信用すると思っていらっしゃるでしょうか。ここは,いささか「計算」が狂ってしまいましたね。

 いやいや,ひょっとしたら「テロリズム」ということばのほんとうの意味を,じつはご存じなのかもしれませんね。そうです。「テロリズム」の定義はできないのです。ですから,アナタが「テロ」といえば,それが定義ですよね。それで正しいのです。つまり,一刻も早く,都合の悪い相手を「テロ」と名づけたものが勝ちですよね。そう名づけられてしまった相手は,どんなに言い訳をしても,いったん「名づけ」られてしまった以上はもうそこから抜け出すことはできませんよね。

 あなたの尊敬するアメリカさんがそのお手本を示してくれましたから,そのお手本どおりにやればよろしい。

 嘘つきを嘘つきと「大きな声」で言うと,それだけで「テロリスト」になれるそうですので,ぜひ,国会前にでかけましょう。土曜・日曜には子どもを連れていきましょう。沖縄では,政治集会には子どもも参加し,壇上で声明文まで読み上げます。ヤマトンチュは駄目たよねぇ。嘘つきを嘘つきと「大きな声」で言えるこどもを育てましょう。

 いまや「嘘つき」ということばそのものが「特定秘密」(イシバちゃんは特定機密)に指定されたも同然ですから。いまのうちに,大きな声で「嘘つき」と国会前で言いましょう。まだ,法律になる前に。いや,法律にさせないために。そうです。廃案にするために。イシバちゃんのいう「民主主義」を否定するためにも。
 

第27回スポーツ史学会大会(東洋大学),盛況のうちに終わる。

 第27回スポーツ史学会大会が,11月30日(土)・12月1日(日)の二日間にわたり,東洋大学(朝霞キャンパス)で開催されました。参加者も例年よりも多く,若い研究者の質疑が盛んに展開され,これからが楽しみな会になってきたと思いました。言ってみれば,世代交代がはじまった,という印象でした。これはとてもいい傾向だと思いました。

 考えてみれば,スポーツ史学会を立ち上げるために研究者仲間の同志と情熱を傾けたのが,わたしが40歳代の終わりころのことでした。そのころのわたしはまだ若造の部類で,生意気盛りでした。ですから,大先輩たちを差し置いて,スポーツ史学会を立ち上げるなどということは暴挙にも等しい行為でした。しかし,恩師の岸野雄三先生のご尽力をいただき,なんとか軌道に乗せることができました。

 あれから,もうまもなく30年が経過しようとしています。大先輩たちの参加も年々減少し,ついにことしは,わたしより先輩の先生はたった一人になってしまいました。この先輩は80歳のはず。かく申すわたしも75歳をすぎました。しかも,わたしより若い人も激減していて,10歳ほど離れた人たちが,もはや長老クラスです。この人たちも定年退職とともに研究から離脱する人が多い前例からみると,あっという間に,もっと若返っていくことになりそうです。

 これは,ある意味では世代交代ですから,自然のなりゆきです。しかし,わたしより上の人たちに元気な人が多く,学会での質疑はこの人たちが牛耳っていました。その元気な人たちが,あっという間に激減してしまい,気がついたら,もはや65歳以下の人たちの会になっていたという次第です。その結果として,中堅どころの40歳代の人たちが元気に発言するようになりました。しかも,この人たちに触発されるようにして30歳代の人たちも立ち上がるようになりました。とてもいいことだと喜んでいるところです。

 しかし,世代交代だといって喜んでばかりはいられない側面も表れてきたように思います。それは,スポーツ史研究に取り組む姿勢にも,微妙な変化が表れてきている,と感じるからです。たとえば,研究内容の希薄化。問題意識の薄さ。先行研究批判の欠落。近代歴史学の手法への懐疑の欠落。もっと言ってしまえば,これまでのスポーツ史研究を超克しようという意欲の希薄化。つまり,これまでのスポーツ史研究を批判的に乗り越えていく,という自覚の欠落です。

 スポーツ史学会を立ち上げたときの,わたしたちを支えたパッションは,形骸化した体育史研究を批判し,それとは一線を画する新たな研究領域・方法・対象を切り開いていく,というものでした。ですから,熱く燃えていました。そして,そのつもりで意欲的に研究に踏み出しました。ですから,当初の,少なくともわたしのスポーツ史研究の主眼は,「いま,なぜ,スポーツ史研究なのか」を問い続け,その答えを導き出すことにありました。しかし,残念ながら,最近のスポーツ史研究は当初の問題意識が消滅しつつあるように思います。

 その根源にあるものはなにか。それは思想・哲学の不勉強につきる,とわたしは考えています。まずは,なによりも,「いま」を生きる人間としての危機意識が不足している,と。だから,研究テーマも内容も,薄っぺらなものになっていく傾向にある,と。

 たとえば,「特定秘密保護法」の案文の全文を読んだことがあるか,と会場でわたしに語りかけてきた会員の多くに問うてみました。残念ながら,読んだ,という人はほんの数人しかいませんでした。それも,必死になって考え,考えしながら,ノートをとりながら読んだという人は,たった一人でした。あとの人は,メディアの報道をとおして,なんとなく不安です,と答える程度でした。

 なかには,スポーツ史研究と「特定秘密保護法」案を熟読することとどのような関係があるのか,とまじめに聞いてきた会員もいました。その瞬間に唖然としてしまいました。が,まじめそうな会員には,できるだけ丁寧に説明をするよう努力しました。すると,何人かの若者は素直に理解してくれたように思いました。

 たとえば,「特定秘密保護法」が成立すると,権力にとって都合の悪い情報はすべて「特定秘密」に指定されてしまい秘匿されてしまうから,歴史は権力に都合のいいように,自由自在に改竄されてしまうことになる,という説明はすんなりとわかってくれました。そして,こんな法律がなくたって,これまでも,権力にとって都合のわるい情報はすべて秘匿されてきたのだ,そして,公開され・保存されてきた資料だけが資料実証主義歴史学(近代歴史学)を支えてきたのだ,だから,これまでの歴史の中核部分は改竄されたものでしかない,このことを忘れてはならない,と。これもわかってくれたように思いました。

 そして,もっと言ってしまえば・・・・,と言って日本の古代を語るときの基本となる「記紀」こそ,大和朝廷を正統化するための,改竄の歴史なのだという話をしました。その典型的な例は,聖徳太子の存在ですら,すでに,いまの教科書から消えている,と。この聖徳太子は存在しなかった,というような研究こそが,歴史研究の醍醐味なのだ,と。そういうスポーツ史研究のあり方を模索していくことが,これからの喫緊の課題なのだ,とも。

 まあ,最終的にどのように理解してくれたかどうかは心もとないかぎりではありますが,少しは「気付いて」くれたかなぁ,と期待しているところです。

 来年は,富山大学が当番大学として,第28回スポーツ史学会大会を準備・開催してくれることになりました。来年の日本がどんなことになっているのか,いまから不安だらけですが,また,若い研究者たちと歓談できることを楽しみにしたいと思っています。

 取り急ぎ,学会雑感まで。
 

2013年11月29日金曜日

日展・書道の部をみてきました。奮い立つような「書」なし。楷書作品がひとつもないのはどうして?

 書道は好きではないのですが,「書」は好きです。たとえば,良寛さんの書などはたまりません。その筆頭は「天上大風」。なにも書いてない白紙のままの凧をあげていた子どもがいじめられていたので,良寛さんがその凧に書いた文字。童心そのままの天衣無縫の文字が躍っています。ついで,良寛さんの写経「般若心経」。こちらは般若心経の経文をそのまま2回,つづけて書いてあります。しかも,一回目の写経と2回目の写経とは,まるで,コピーしたかと思われるほど,そっくりそのまま同じです。最初の書き出しのときの精神状態と,2回目の写経を終える最後の1文字まで,まったく変わってはいない,ということをストレートに伝えてきます。良寛さんのこころの奥の深さをかいま見る思いです。これなども,何回,繰り返し眺めていても飽きるところがありません。それどころか,ますます,その味のよさがつたわってきます。そして,ときには,「えっ!」と驚くような発見があったりして,奮い立つことすらあります。

 焼酎「いいちこ」のコマーシャルでよく知られるようになった榊莫山さんの書も心地よい。まるで酔っぱらった老人のイメージのまま筆を動かしたのではないか,と思わせるほどに無駄な力みのない,さらりとした書風はよく知られているとおりです。しかし,この榊さんが日展に初入選した作品は「楷書」でした。しかも,小学校6年生。それも,いきなり文部大臣賞でした。この書などは,一目みただけで奮い立ちます。凛とした端正な文字は,身のひきしまる思いがします。そんな文字を小学校6年生のときに,すでに書いていたという事実が,なにものにも勝る重要なことだとわたしは考えています。

 その榊莫山さんは,戦後まもなく,若くして日展から身を引いてしまいます。そして,いっさいの展覧会への応募をやめてしまいます。それからあとは,みずからの道を暗中模索しながら歩みます。審査を受けて権威づけられるシステムを,自分の方から拒否したという次第です。以後,榊莫山さん独自の世界である自由奔放な書法を編み出します。そして,いかなる流派にも身を寄せることなく,みずからの道を歩みます。それこそが書芸の本道ではないか,とわたしは本気で考えています。楷書の榊莫山でなくては果たせない芸だと思います。

 もう一人,紹介しておきましょう。東大寺の管長さんとして親しまれた清水公照さんの書。いまも,奈良の商店街を歩いていると,この人の手になる看板をあちこちに見つけることができます。観光気分でぶらぶら歩いていても,この人の手になる看板が眼に入った瞬間に,わたしの足が止まります。ピタッと止まってしまいます。そして,眼が点になっています。その数秒後には,全身が奮い立ってきます。そして,なんともいえない至福の時が流れます。

 ですから,わたしは奈良に住んでいたころ,街中をぶらぶらと歩くのが好きでした。そして,いたるところに清水公照さんの文字を見出すたびに,なにか大きな得をしたように思ったものです。それはなんでもない板ッペらに書かれていたり,手拭いであったり,ごくふつうの家の表札だったり,観光案内所のちらしだったり,選ぶところがありません。清水公照さんは,頼まれればどこにでも書いたようです。まるで,良寛さんのようです。

 まだまだわたしの好きな書,つまり,奮い立たせてくれるような文字を書くひとはたくさんいらっしゃいますが,ここらあたりで止めにしておきましょう。

 そこで,今日(29日)の日展・書道の部。みなさん,おしなべて上手。間違いなく上手。とりわけ,万葉仮名で書かれた和歌の類が,ひときわ上手だなぁ,と感心しました。それでも,奮い立つものが伝わってきません。ガクンッとスウィッチが入る,そういうものがありません。たぶん,お師匠さんについて長年にわたって指導を受け,上手な文字を書くことがてきるようになった人たちなのだろう,と想像しながら鑑賞させていただきました。しかし,それ以上のものがわたしには伝わってはこないのです。

 これはどういうことなのだろうなぁ,と考えながら眺めて歩きました。そこで,はたと気付いたことがありました。それは,気迫の籠もった「楷書」の作品が一つもない,という事実でした。じつは,わたしは「楷書」が大好きなのです。楷書が,それもみる人を圧倒するような楷書が書けない人は,草書も行書も隷書も書けるはずもない,ましてや創作の書などはありえない,と考えています。榊莫山さんの例をみれば歴然としています。

 にもかかわらず,不思議な創作が紛れ込んでいます。とてもみるに耐えないような作品もちらほら,いや,かなり多くちらほらです。わたしのような素人に見破られてしまうような作品が,なぜ,日展入選になるのか,故無しとはしないのもよくわかります。そして,この人たちの楷書がどのような書になるのか,みなくてもわかってしまいます。それは,たぶん,見るに耐えないと思います。そんな作品も眺めながら,あれこれ考えてしまいました。

 やはり,書は,みる人のこころを打ち,奮い立たせる「力」がなくてはならない,とわたしは勝手に考えています。どんなに上手であっても,こころを打たない書というものはざらにあります。上手の上に,「力」と「美」を感じさせる書,そういう書に出会いたくて日展に通っているのですが,そういう作品は年々少なくなってしまって,とうとうことしはひとつもありませんでした。残念。

 こうなったら,やはり,自分で筆をもつしかないか,と少しずつ思いはじめています。でも,筆をもつということは,平常心とはまったく別次元の,想定外のエネルギーを必要とするものです。そのことがわかるだけに,いまも,躊躇しているという次第です。でも,そろそろ取りかかっておかないと永遠に筆はもてなくなるのでは,と案じてもいます。

 でも,今日の日展見学はとてもいいきっかけになったと思います。まずは迷わず筆をとること。かまわほず書いてみること。そして,まずは,楷書から。カミソリのような切れ味鋭い楷書から。それができれば,あとは風の吹くまま,気の向くまま。自由自在の世界が待っているはず。そう,榊莫山さんのように。

 新年の書き初めから始めるとするか。鷺沼の事務所をアトリエに変えて・・・・。

 今日の日展見学はとてもいい勉強になりました。

〔追記〕じつは,今日は知人の知人の油絵作品を見せていただくことが第一の目的でした。そして,期待どおり,この作品からいろいろと考えることが多くありました。このことについては,いずれ機会をあらためてわたしなりの感想を述べてみたいと思います。とてもいい作品でしたので。

セレクション・竹内敏晴の「からだと思想」全4巻(藤原書店)の刊行がはじまる。「月報」2,にエッセイを書く。

 竹内敏晴さんが亡くなられて,もう4年が経過している。竹内さんの年譜によれば,2009年8月29日に東京・武蔵野芸術劇場で生涯最後の構成・演出作品「からだ2009 オープンレッスン八月の祝祭」を上演。9月7日,膀胱癌のため名古屋の病院で死去する,とある。ああ,もう,あれから4年も経過しているとはとても思えない。いまでも,にこやかな笑顔で「稲垣さん」と言って声をかけていただけそうな錯覚に陥る。

 わたしは,8月29日の生涯最後の上演に誘ってくれる人がいて,一緒にでかけている。そして,幕開けの,車椅子に座ったままの竹内さんのご挨拶を,なんとも悔しい思いで聞いている。なぜなら,声に張りがなかったからだ。竹内さんの声は「生きて」いた。感情豊かに,おのずから声に強弱が表出し,心地よい間の取り方が,わたしたちのこころをとらえて,ぐいぐいとひきつけていく。しかし,残念ながら,その声ではなかった。すでに,違う声になっていた。ああ,これはいけない・・・・と直感した。

 上演が終わったあと,ロビーで車椅子に座って竹内さんが,一人ひとり握手しながらことばを交わしていらっしゃる。いつか,長い列ができている。わたしたちもその列のうしろに並んで順番を待った。ずいぶん時間がかかったが,わたしも手を握りながら,例の「竹内さんを囲む会」をこれからもつづけたいので,お元気になられるのを待っています」と声をかけた。竹内さんは,にっこり笑って,「ぼくも楽しみにしているよ」と仰った。ああ,まだまだ大丈夫だ,とそのときは思った。

 が,しかし,事態は急転直下。この上演から一週間後には他界されてしまった。あっけないお別れだった。お話をうかがいたいことは山ほどあった。竹内さんが見据えておられた「からだ」は,わたしが必死になって追っていた「からだ」とは,まったく次元の違うところにあった。だから,なぜ,そうなるのか,深いところのお話を伺いたかった。マルチン・ブーバー,メルロ・ポンティ,ジョルジュ・バタイユ,道元,禅,道教,などなど。話がかみ合いそうでいて,じつは,かみ合ってはいない,そのズレがもどかしかった。なぜ,そういうことになってしまうのか。もちろん,その原因はわたしの勉強不足と経験不足にある。

 竹内さんは,つねに,現場を重視された。実践をとおしてみずからの思考を掘り下げ,その上でその思想・哲学的根拠を模索されていた。だから,いかなる思想・哲学であろうとも,みずからの「からだ」と共振・共鳴するところを,徹底してみずからのものとして咀嚼し,血肉化できたもののみを信じておられた。竹内さんにとって,他人の評価などはどうでもよかった。みずからの「からだ」をとおして,わがものとしたものに絶対的な「信」を置いていた。その意味で,不動の境地を切り開いておられた。だからこそ,その世界にもっともっと接近してみたかった。

 が,それも叶わぬままのお別れだった。残念の極みである。

 ことしの夏だったろうか,藤原書店から原稿の依頼が入った。全4巻のセレクション・竹内敏晴の「からだと思想」を刊行することになったので,それにともなって「月報」を発行したい。そこに短いエッセイを寄せてほしい,と。

 竹内さんにはずいぶんお世話になっている(その詳細ははぶくが)。その上,セレクションの「月報」に原稿を書かせていただけるなんて,まことに光栄なこと。喜んで書かせていただいた。いま,書店に行けば並んでいるので,手にとっていただければと思う。セレクションの第2巻「したくない」という自由,にわたしの書いたエッセイが掲載された「月報2」が挟まっているはず。

 エッセイのタイトルは,竹内さんの大音声「にんげんっ!」に震撼。

 竹内さんが全体重をかけて追求された「からだ」論が,ひろく巷間に理解されるようになるには,まだ,しばらくの時間が必要だろうと思う。しかし,間違いなく,時代が追いつくときがくる,とわたしは確信している。そういうお仕事をなさった方だと,その程度にはわたしにも理解できる。

 セレクション・竹内敏晴の「からだと思想」全4巻が刊行された暁には,わたしたちの研究会でも「竹内敏晴さんをしのぶ会」をもちたいと思う。そのときにはちょっとした趣向をこらしてみたいと思う。
 

2013年11月28日木曜日

『原発ホワイトアウト』(講談社刊)の著者(現役キャリア官僚)のこんごの行方は?

 機密を漏らした公務員らへの罰則強化を盛り込んだ特定秘密保護法案が衆議院を通過して,参議院にそのステージが移った。政府自民党はなにがなんでも,この法案を今会期中に成立させるべく全力を挙げている。こんな情況のなかで,さまざまな団体が,この法案の「廃案」を求めて,必死の運動を展開している。

 というのに,この特定秘密保護法と一体とみなされているNSC(日本版「国家安全保障会議」創設関連法が,参議院本会議で可決・成立した。どこが賛成したのか。与党はともかくとして,民主党,みんなの党,日本維新の会,新党改革の4党が賛成。おやおやである。またぞろ,「右へならへ」である。政治家としての見識はどこにいってしまったのか。民主党はいったいなにを考えているのか。これではますます与党のいいなりだ。

 国会の外では,大反対が起きているというのに,政治家はこぞって「自発的隷従」の道をすすむ。寄らば大樹の陰だ。国民をあなどってはいけない。「いつまでもあると思うな,支持と権力」(斎藤美奈子)。

 NSCが成立したので,こんごは「4者会合」で国家の安全保障にかかわる「特定秘密」も指定することができるという。4者会合とは,首相・外相・防衛相・官房長官の4者である。ここで重要な決定をすることができるようになる。しかも,ここでの議事録は残す必要がない,という。おやおや,である。こうなると闇から闇へと,なんでもできることになる。

 そこで,前から気がかりになっていたのは,友人からまわってきた『原発ホワイトアウト』(講談社刊)の著者のことである。著者略歴によれば,東京大学法学部卒業。国家公務員Ⅰ種試験合格。現在,霞が関の省庁に勤務。とある。

 もう,すでに大きな話題となっているので,内容については割愛するが,いずれにしても高級官僚でなければ知り得ない政・財・官の癒着の構造をみごとに暴きだした小説となっている。そこに登場する人物もすべて架空の名前になっているが,よくよくみれば本名がなにで,だれのことを表象しているかはまぎれもなくわかる仕掛けになっている。だから,最初から小説ではなくて,ノン・フィクションを読んでいるような錯覚に陥る。

 たとえば,こうだ。関東電力(わたしには,東京電力と読める)の発注する事業は,相場の二割増になっていて,その二割のうち一割五分は業者の取り分とし,のこりの五分を法人登録のない関東電力のなかの「東栄会」という組織にキックバックする。年間の発注が約4兆円なので,この五分は800億になる。これだけの額が東栄会に入り,この金が政治家・官僚を動かすための資金になっている。この小説を読むかぎりでは,関東電力の思うままに政治家も官僚も操れるようになっている。みんな「金」と「女」には弱い。

 もちろん,これらの話は小説上のフィクションではあるのだが,それでもなお,これぞ現実と思わせるほどの説得力をもっている。このあと,つぎからつぎへと,わたしたち国民の知らない,遠く及ばない世界を暴き出してくれる。

 この本の帯には,つぎのようなコピーが躍っている。
 現役キャリア官僚のリアル告発ノベル!!
 「原発はまた,必ず爆発する!」
 日本を貪り食らうモンスター・システム!!

 そうして,田中森一(元大阪地検特捜部検事)の推薦文が載っている。
 「私は『闇社会の守護神』などと呼ばれたが,本書が明かす日本の裏支配者の正体は,全く知らなかった・・・・。著者の勇気を讃えたい」

 このコピーはとてもわかりやすいので,紹介したが,内容はもっともっとリアルで,空恐ろしい秘密が暴露されている。読んだわたしですら唖然としてしまったほどだ。そんなこんな,いろいろ総合的に判断して,この本の著者のこんごの行方はどうなるのだろうか,と心配になってくる。もちろん,ペンネームで書いているので,だれであるかはわからない。しかし,講談社は知っているはず。印税が発生するので,税務署でもわかるはず。だとすれば,権力から圧力がかかったときに,この著者を守りきることができるのだろうか。まことに不安である。

 特定秘密保護法が,実際にどのように適用されるのかは,まだ未知数だが,すでに明らかにされている範囲でも「特定秘密」は40万項目にのぼるといわれている。

 ほんとうのことを言うと罰せられてしまう国になるのである。この姿勢はお上から下々まで,あっと言う間に浸透していくことになるのであろう。とくに,日本という国はそういう歴史をもっている。お上の言うとおり,と。

 知っていても「知らない」というんだよ,親も教師も,子どもたちにそう教えなくてはならなくなる。見ても見ぬふりをするんだよ,と。余分な口出しはしてはいけません,と。もう,すでに,そういう社会になっているが,もっともっと徹底されることになる。

 当然のことながら,小説もまた,まともな社会問題などをテーマにしては書けなくなる。したがって,どうでもいい馬鹿げた小説ばかりが氾濫することになる。文化の堕落である。

 わたしが,これから展開しようと思っている「オリンピック批判」もまた,ほんとうのことを書くと危ない,という事態もおきかねない。ほどほどに手加減しなければならないことになる。もちろん,そんなことはしない覚悟はできているが・・・・。

 それにしても,あなおそろしや,である。
 

2013年11月26日火曜日

特定秘密保護法案,今日(26日)午前に強行採決,午後の本会議へ。福島の公聴会で全員が反対の意見表明だったのに。

 今朝の『東京新聞』一面に大きく報じられたのは,特定秘密保護法案に関する福島での公聴会だった。そこでは,自民党が推薦した委員もふくめて全員が慎重審議を求め,そのうちの多くの委員は反対の意志を表明した,という。これが国民の意志だと受け止めたい。

 にもかかわらず(あるいは,これに危機感をつのらせたのか),政府自民党は今日の午前の衆院国家安全保障特別委員会でこの法案の強行採決を実施,午後の衆院本会議に持ち込んだという報道がネットで飛び交っている。

 強行採決の現場にいたジャーナリスト・玉木雄一郎氏はつぎのように書いている(11月26日13時57分配信)。
 「あまりにひどい対応に唖然とした。安倍総理の退席に合わせてNHKのTV中継も終わって強行採決のシーンは放映されませんでした。こうした対応もふくめ,こんご,国民の知る権利や我が国の民主主義にとって大きな禍根を残す法案になることを強く懸念します。」

 かくして,強行突破のシーンは国民の眼にふれることもなく,質疑だけが垂れ流されることになる。そして,さも,充分に質疑がなされたかのように演出をして。そこに,NHKが加担する。この法案が通過してしまえば,NHKは間違いなく政府御用達の「特定放送局」となる。いや,その前からリハーサルまでやっている。やはり,受信料は拒否しよう。

 このままいけば,衆院本会議でも強行採決が行われ,参議院へとまわされることになる。絶対多数を確保してしまった政府自民党のやりたい放題である。しかも,そのやりたい放題の自民党に公明党,維新の会,みんなの党が追随していく,この姿が情けない。

 こんな重要な法案をたった一回の公聴会にかけただけで,しかも,その翌日には強行採決に突入するという,責任ある政治家とはとても考えられない行動を平気でとる。すでに,特定秘密保護法案を「廃案」にすべきだとする署名運動が広く展開されており,各種の団体がとりまとめて衆院議長宛てに提出されているのに,一顧だにしようともしない,この横暴ぶり。新聞各社も,こんどばかりは,圧倒的多数の国民がこの法案に不安を示し,そのうちの多くが,はっきりと反対の意志を表明している,と報じているというのに。

 こういう国民の意志を無視して,政党の党利党略に邁進する野党の情けなさ。いまこそ国民の声に耳を傾けて,その意志を代弁する政党が現れるべきなのに・・・・。そういう政党が存在しないということが,いまの日本の悲劇だ。

 このさきのことは,また,機会をあらためて書いてみたいと思う。重要な問題なので。

 とにかく,もっとも危惧していたことが,それも予想どおりに「強行突破」という数の暴力のもとで,繰り広げられた。これからさきも,超重要法案が目白押しであるが,つぎからつぎへと「強行突破」してゆくのだろう。「強い日本を取り戻す」どころか,日本を「地獄の底」に叩きつけるような法案ばかりではないか。安倍総理のいう「強い日本」とは「強い国家」,すなわち,「独裁国家」のことらしい。

 だから,まずは,戦前の「治安維持法」にも匹敵する「特定秘密保護法」をとおしておいて,それからあとはやりたい放題へ。しばらくの間,強行突破で頑張れば,それが日常化して,多くの国民は,それが当たり前と思うようになる。そうすれば,いつしか,おとなしく「隷従」するようになる。そのうちに,黙っていても,いや,圧政をつづければつづけるほど,権力にすり寄ってくる輩が増えてくる。「自発的隷従」(エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ)の実現である。

 もう,すでに,公明党も維新の会もみんなの党も,みごとなまでの「自発的隷従」になりさがってしまっているではないか。いちはやく「思考停止」してしまった政治家集団から,「自発的隷従」がはじまる。しかも,本人たちはなにも気づかずに・・・。

 こうして,ますます安倍・ヒトラーの実現が現実味を帯びてくる。あなおそろしや,アナオソロシヤ,anaosorosiya.

〔追記〕
 強行採決の様子は,インターネット上で流れています。
 その陳腐な光景をしかとご確認ください。
 わたしたちは,こんな人たちを選んでしまったのです。
 あなおそろしや。



2013年11月25日月曜日

猪瀬東京都知事に市民団体が告発状。いよいよ本格的な検証がはじまる。東京五輪に暗雲。

 共同通信が配信した情報によれば(11月25日13時22分),東京都知事(67)が徳州会グループから五千万円を受けとっていた問題に対し,市民団体「市民連帯の会」(代表・三井環元大阪高検公安部長)が猪瀬知事と徳田虎雄・前徳州会理事長(76),徳田毅衆院議員(42)に対する告発状を東京地検特捜部に送付したことが,25日,分かったという。告発状の容疑は,公職選挙法違反(虚偽記載など)。

 告発状によると,虎雄氏と毅氏は共謀し,昨年11月19日ごろ,議員会館で都知事選に立候補予定の猪瀬氏に五千万円を渡し,猪瀬氏は選挙運動費用収支報告書に記載しなかったとしている。

 さて,この告発状を受けた東京地検特捜部がどのように判断し,動き始めるのか,いよいよ本格的な検証がはじまる。

 他方,時事通信の配信した情報によれば(11月24日22時16分),猪瀬知事と徳田虎雄前理事長(76)の面会を仲介したのは政治団体「一水会」の木村三浩代表(57)だという。木村氏は,24日(日),取材に応じてつぎのように語った。

 猪瀬直樹氏と徳田虎雄氏の両者を引き合わせたのは「一水会」代表の木村氏だった。木村氏はこの両者と顔見知りだったので,猪瀬氏に徳田氏に会って挨拶したらと持ちかけた。そこで,入院している鎌倉の病院へ2人で行き,「選挙に出馬するのでよろしく」と猪瀬氏は挨拶をした。そこには徳田氏の妻も同席したという。金額のことについては,あとで木村氏が電話で徳田毅氏に「一億円くらい」という金額を提示したかもしれない。それを受けて毅氏と虎雄氏が相談して,ひとまず「五千万円」を渡すことになったらしい。猪瀬氏が一億円を要求したとする報道については「ありえない」と木村氏は語った,と。

 まあ,いずれにしても「一水会」代表の木村氏が金銭の授受の仲介役をつとめたことが明らかになった。問題は,この金が猪瀬氏の単なる個人的な「借り入れ」ではないことは明らかであること,そして,なによりも選挙運動費用収支報告書に記載されていなかったということ,この2点が明らかになったことだ。この2点がこれからの大きな争点となってくることは間違いない。

 いずれにしても,マフィアにも等しい驚くべきことが選挙の裏側では展開していたのだ,ということが表出してしまった以上,その結末を一刻も早くはっきりさせるべきだ。一番早いのは,猪瀬氏が辞任することである。白黒を争うのはそれからでもいい。

 そうしないと東京五輪が危なくなってくる。なにより,国際社会に対する信用問題がある。加えて,新国立競技場をめぐる諸問題のリーダーシップもとれなくなる。ただでさえ,都庁内での職員の都知事に対する評判はすこぶる悪い,と聞いている。あからさまに五輪を拒否する都庁幹部も少なくないとも聞く。そこにもってきて,この不祥事の発覚である。もはや,なにをかいわんや,である。

 まずは,これからの推移を注意深く追っていくことにしたい。とりあえず,都知事に対する告発状の提出と「一水会」代表の仲介という大きなトピックスが浮かび上がってきたことを,わたしたちは銘記しておこう。

 とりあえず,情報の提供まで。
 

おめでとう!日馬富士!怪我が癒えて,ようやく本来の姿に。

 日馬富士が絶好調のときには白鵬に負けたことがない。立ち合いで跳ね返されても,一瞬のスキをついて勝機をつかむ。その反応のすばやさは天才の領域にある。いや,アートというべきか。これが日馬富士の相撲である。

 今日のこの大事な相撲に,かれのもっとも得意とする一瞬の勝負技を繰り出した。わかっていても食ってしまう,あの忍者技である。真っ正面から当たるとみせておいて,頭と頭が当たるその瞬間に,からだを右に開いて,そのまま左上手をとって,即座に出し投げを打つ。

 今日の相撲は,わたしにとっては,とびきりに美しかった。わたしはその美しさに酔いしれた。

 日馬富士が花道の奥に陣取ったときから,すでに一幅の絵をみるようだった。半眼を閉じて,静かに出を待つ日馬富士の顔がアップで映し出される。まるで仏像の顔だ。これから世紀の大勝負に向かう人の顔ではない。もう,すでに次元の違う世界に自在に遊んでいるような,それでいてものすごい緊張感が周囲を圧倒しているような,しかも,自信に満ちあふれた顔にみえる。

 ときおり細く開く眼は,モンゴルの青き狼の眼。その眼が怪しく蒼い色を発しているようにみえる。人間であるというよりは,限りなく「動物」の次元に踏み込んでいるようにみえる。それは狂気の世界と呼んでもいい。すでに,この世の人ではない。

 これぞ,異界の人,ちから人,異形の人,力士の顔。この世とあの世の架け橋に立つ力士の顔。こういう顔になれる力士は,これまでにもそんなに多くはなかった。白鵬の「にらみ顔」とはまったく次元が違う。

 他方,白鵬はまったく対称的だった。テレビに映った最初の顔は,なんと鳩の眼をしている。おやっ?と思う。花道の奥で出を待つときから,その鳩の目線が,いつもと違って,あちこちにせわしなく動く。これまでにみたことのない白鵬の眼の動きが,どこか落ち着かない。まるで別人をそこにみる。昨日の取り組み(稀勢の里に上手投げで裏返しにされてしまった)のショックの大きさが,まだ尾を引いているな,とわたしはみた。その瞬間,あーっ,勝負あった,と。

 控えに入ってからも,白鵬の眼は「鳩の眼」のまま。いつもなら,ここから眼を閉じて,瞑想に入る。そして,ときおり半眼に開く眼は細く,鋭い。相手を威圧するような,激しい闘志をむき出しにする。なのに,今日はそれが感じられない。瞑想もしない。鳩の眼のまま土俵上を見上げ,対戦相手を見,観客席に眼をやる。どこか,目の置き所を忘れている。昨日の取り組み前までの,あの鋭い鷹の眼はどこかに消えてしまっている。

 最後の仕切り直しを終えて,塩に戻ってきて,いつもの所定の所作を終えて「ハッ!」と声を発して気合を入れた瞬間の眼も,いつもよりも優しい眼だ。どうしたことかと,わたしは息を飲む。

 日馬富士は,いつもとまったく同じだった。控えに入ってからも半眼に眼をつむり,瞑想をし,気持を集中させている。時折,細く開く眼は蒼く光り,遠く深いところに向かっている。土俵に上がって,仕切りに入っても,いつもと同じ。むしろ,なにか大きなものを超えた,達観した人の眼にみえる。これはいける,とわたしは確信する。

 わたしの予想はつぎのようなものだった。日馬富士はいつものように低い姿勢から突き上げるように相手をはね上げておいて,すぐに右のど輪,相手をのけぞらせておいて,それを外した瞬間に左にまわって上手をつかみ,そのまま出し投げ。相手の体がくずれたところを横から攻めて,寄り切り。

 しかし,実際は違った。最初の手順をすべてはぶいて,いきなり左上手をとりにいった。それでも,右手は相手の胸のあたりを突いている。その瞬間に,日馬富士は相手の正面から姿をくらませてしまう。この手があることを白鵬は百も承知である。それでも食ってしまう。この瞬間芸。これが名人技であり,アートとわたしが呼びたい日馬富士の「芸」なのだ。

 この「芸」を見せるために,14日間の相撲があったと言っても過言ではない。この14日間の日馬富士の相撲を白鵬はすべて目の前でみてきている。だから,この「芸」が生きてくるのだ。わかっていても食う,というのはそういうことだ。

 優勝インタヴューでは,一転して,赤い眼だった。赤く充血した涙目だった。でも,必死で涙をこらえ,「ファンのみなさんのお蔭です」「これからも頑張ります」と大きな声を張り上げた。笑顔一つみせない,全身全霊のインタヴューだった。どこかで,朝青龍のハートにつながっているような,そんな錯覚を覚えたほどだ。立派なインタヴューだった。

 苦しんだ4場所を通過して,日馬富士はまたひとまわり人間として大きくなった。強さも,以前の絶好調のときとは違う,味がでてきた。立ち合いで相手をはね飛ばすあの瞬発力はこれまでになかったものだ。この立ち合いは,これからの大きな武器となる。大横綱となるためのもっとも大事な武器となる。これがあるかぎり,変幻自在の立ち合いが,さらに有効になってくる。

 なにはともあれ,日馬富士,おめでとう。この一年間,初場所で優勝してから,四場所つづけて足首の怪我に泣いた。超スランプで,メディアにも叩かれ,相撲解説者からも叩かれ,ファンからも叩かれた。それでもじっと我慢して,ことし最後の締めくくりの場所で優勝した。これで,安心して正月を迎えることができるだろう。

 時限爆弾の足首の怪我を,じっくりと時間をかけて,さらに回復させ,初場所に臨んでほしい。つぎなる標的は,稀勢の里だ。苦手意識を払拭できるだけの実のある稽古を積むこと。そうすれば,日馬富士の黄金時代がやってくる。来年はそういう年になると信じている。

 取り急ぎ,今日のところはここまで。
 

2013年11月24日日曜日

仏教伝来は天地がひっくり返るほどの大事件だった?どうも,そんな気がしてならないのだが・・・・。出雲幻視考・その14。

 だれもが知っている仏教伝来(公伝)の話。538年(元興寺縁起)とも,552年(日本書紀)とも言われている。が,年号のことは多少,どちらでもいい。百済の聖明王が使者を立てて大集団を,すでに同盟関係にあったヤマトに派遣してきた,という。このときの主役は仏教を伝えるための金銅の釈迦如来像と経典とその教えを説く僧侶の集団だった。のみならず,死者を弔う葬式の方法や,それを支える職能集団も一緒だった。この他にも鉄を製造・加工する技術者や利水を得意とする土木の専門家や,その他もろもろの技術者集団を引き連れて,百済から大挙してヤマトにやってきた,という。

 こんな仏教伝来の話をまとめた番組がNHK・BSプレミアムで放映されていた(11月21日,午後8時~9時,「歴史館 仏教伝来!異国の神がやってきた 古代日本の文明開化!?」)。わたしは,いつものように,この番組に向かって大きな声で「吼えて」いた。「嘘をつくな!」「なにを根拠にそんなことを言うのか!」「ディレクターのめん玉はどこについてるんだ!」という具合に。そのうち,解説者が3人,順番にあれこれ解説をはじめた。これがまた,もっとひどかった。もう,チャンネルを切り換えて,別の番組でもみようかと番組表に手をのばしかけたとき,アナウンサーが妙なことを言った。

 「仏教伝来は古代日本の文明開化ととらえることはできませんか」と問いかけたのである。ここから,急転直下,話はじつに面白くなった。でも,具体的な事例を取り上げて,得意気に解説する先生方の話は,つまらなかった。もう聞き飽きたアカデミズムが「でっちあげた」話ばかりだったから。ただ,録画で登場した古代史の専門家のなかに,「ああ,この人の説は面白い」と思う発言がいくつかあった。この話はわたしを興奮させた。

 いつもなら,ノートをとるのだが,最初から腹が立っていたので,ただ,吼えることに専念していたために,なにも記録がない。だから,これから書くこと(上にすでに書いたことも含めて)は,そのときに耳にした記憶を頼りにしたものなので,記憶違いも多々あることをお断りしておく。それよりも,そのときに,わたしのからだの中を「電撃」が走った。そして,そのときにわたしの頭のなかに妙な発想が浮かび上がり,これはこれは・・・・いかなることか・・・,と自分で興奮してしまった。そのときに思い浮かんだことのうち記憶に残っているものをいくつか書きとめておきたいと思う。

 仏教伝来・・・?これは百済によるヤマト支配のはじまりだったのではないか?

 こんなことが突然,わたしの脳裏に浮かんだ。
 いうならば,百済がヤマトを植民地化する,そのはじまりだったのではないか。仏教は,百済とヤマトの文化水準の圧倒的な差をみせつけるための最高の武器ではなかったか,と。

 その当時のヤマトの人びとの信仰の中心にあったものは,磐座信仰であった。つまり,山の頂上に鎮座する大きな石や,あちこちに点在する巨岩や奇岩に神の宿りを感じとり,なにかのおりには祈りを捧げ,安心立命することを習わしとしていた。その典型的な例が奈良・三輪山の磐座であり,三輪山の奥にひろがる「ダンノダイラ」の磐座である。ついでに言っておけば,ここは出雲族の拠点でもあった。

 そういう自然崇拝ともいうべき磐座信仰の世界であったヤマトに,仏教が伝えられたのである。しかも,金ぴかの仏像とともに。その仏像はお釈迦さまの如来像だから人間の姿をしている。つまり,神が人間の姿として目の前に出現したのである。その上に,人間・仏陀(お釈迦さま)が教え説いた思想,つまり経典が目の前に置かれ,これを熟読玩味し,それを日夜唱えると,仏教の教えが自然につたわってくる,というのである。さらに,その経典の読解の仕方,その意味・思想を説いて教える僧侶も目の前にいる。

 自然崇拝という眼にみえない神さまの代わりに,目の前に,仏像として眼にみえる神さまが出現したのである。これは,当時の人びとにとっては天地がひっくり返るほどの大事件だったのではないか,とわたしは直感した。それも単なる大事件ではない。

 ヤマトの素朴な磐座信仰に比べれば,仏教は立派な思想・哲学をもった体系的な,立派な世界宗教である。僧侶集団も,その修行や解脱(さとり)や学識に応じてきちんと組織されている。そして,仏教の説く教えのもとに,さまざまな儀礼もきちんと整備されている。とりわけ,多くの人びととのこころを捉え,惹きつけたであろう葬儀の方法は,だれの眼にも納得できる説得力をもった儀礼であったに違いない。

 この文字を読み,その教えを説く僧侶たちの存在は,もはや不動の地位を築いたに違いない。ヤマトのリーダーたちは,百済王の差し遣わした使者や僧侶,そして,さまざまな技術者集団(職能集団)に驚異の眼を向けて,羨望のまなざしを向けたに違いない。そして,これらの高文化をもたらした人びとに恐るおそる接近し,その教えを乞うたに違いない。こうしてヤマトの豪族たちは,ことごとく百済の使者たちに敬意を表し,帰依し,弟子入りすることになったのではなかったか。

 そして,そのことにだれよりも早く対応し,百済文化をわがものとした豪族が,のちに名を残す有力豪族になっていったのではなかったか。このように考えてくると,聖徳太子という偶像を立ち上げて(実在しなかったという説をわたしは支持している),仏教をめぐる諸矛盾をマニピュレートし,まったく事実に反する物語(記紀)をでっち上げることに成功した,権力側のその間の事情もなんとなくわかってくる。大和朝廷は,いかにして,この仏教伝来を「きれいごと」のうちに収め,合理化するか,ということに相当に腐心してきたのではなかったか。つまり,百済とヤマトとの関係を,それぞれ別個のものとして切り離しておくこと,もっと言ってしまえば,いっとき,ヤマトは百済の植民地であった,という事実隠しのために「記紀」の作文が必要であった,と。

 いま,わたしの頭のなかは,ニギハヤヒとジンムの関係(国譲り)の話にまで飛躍していて,ジンムとスジンは同一人物説をとるとすると,そのつぎのスイニンとノミノスクネの関係も,おやおや?と思うある閃きがわいてくる。そして,一気にトミノナガスネヒコの存在がクローズアップされることになる。そして,全部「トミ」つながりになっている奈良県の登美が丘,富雄川,鳥見山,外山,等彌神社,の事跡をさらに追求する必要があるのでは・・・・?とわたしの想像力は飛翔する。

 最後に,ノミノスクネが葬送儀礼にたずさわる職能集団の出身(しかも,出雲の人)であったということが事実だったとすれば,この人の存在をどのように考えるか。そして,その子孫である菅原道真と藤原一族との対立抗争も,まったく新たな地平からの,つまり,教科書的記述とはまったく異なる,意外な日本古代史の裏面が浮かび上がってくるのだが・・・。

 いよいよ,わたしの妄想はエンドレスにつづく。そして,この妄想のなかに,なんだか真実のかけらが潜んでいるのではないか,とも期待しているのだが・・・・。
 

2013年11月23日土曜日

東京五輪(2020年)は大丈夫か。はやくも軋みはじめた舞台裏も舞台表も。

 猪瀬東京都知事の不祥事(かぎりなく黒に近いグレイ)が突然,表出し,あっと驚いています。テレビの会見をみるかぎりでは,すでに,眼はうつろ,鬼の泣き顔,涙目,声は小さい,など明らかに犯罪者の顔でした。その意味では,この人は正直な人だなぁ,と思いました。全部,顔に表れる,わかりやすい人だと。

 しかし,こんな情けない顔になってしまった都知事のもとでの五輪開催は,なんともはやおぼつかない,というのがわたしの第一印象。こんなうしろめたさを背負って,平然とリーダーシップを発揮することはまず不可能ではないかと思います。せめて,安倍首相のように,さも当然という顔をして,堂々と「 under control」と嘯くくらいの心臓(晋三)の強さと無知蒙昧さを持ち合わせないと,政治家はつとまらないようです。

 まあ,冗談はともかくとして,当然のことながら,都知事の進退問題がこれからしばらくはつづくことになるのでしょう。猪瀬知事が,いさぎよく,さっと身を引けば立派。そうなれば,クリーンな知事を押し立てて,すっきりとした五輪の理想を実現すべく,ほんのわずかでもいい軌道を修正し(巨大化ではなくこころの籠もったおもてなし),その方針を明確にして・・・・という希望的観測も可能となるでしょう。しかし,一度,味をしめてしまった権力という美酒・美食を,そうそう簡単にあきらめることはできないでしょう。あの権力大好き人間にみえる猪瀬知事のことを考えると・・・・。となると,東京五輪は泥沼化してしまうことになりかねません。

 第一に,五輪施設の工事を請け負いたくてうずうずしているゼネコンが待ち受けています。しかし,こんな問題が浮上してくると,手慣れたはずのゼネコン各社も,いささか躊躇してしまうのではないか,と思われます。落札につきものの,妙術が,いつものようには使えないというジレンマが後追いしてくるはずだから,です。

 加えて,新国立競技場デザイン審査会をめぐる,信じられないスキャンダルが報じられています(22日)。新国立競技場のデザインがコンペ方式で選定されたことは,よく知られているとおりです。その審査委員会は安藤忠雄氏を委員長に日本人委員が8人,そこにイギリスの委員が2人,計10名で構成されたということです。なのに,イギリスの委員2人は一次審査のときには来日することもなく欠席。二次審査は「必要な情報を提供して審査してもらった」とJSC新国立競技場設置本部の高崎義孝運営調整課長が説明。しかし,情報提供の仕方などの詳細は明らかにしなかった,ということです。

 このイギリスの委員2人は,明治神宮外苑の景観など,現地を見ることもなく二次審査を「与えられた情報」だけで判断した,というのです。さらにはイギリスの2人の委員以外に欠席者がいたかどうかも回答しなかった,と新聞は報じています(『東京新聞』11月22日朝刊)。ということは,欠席者があった,ということの証左。

 この記事がでるしばらく前の新聞記事によれば,安藤忠雄委員長は一切の取材を拒否している,ということです。これが事実だとしたら,もはや,疑う余地はありません。取材を拒否しなければならない,なんらかの「うしろめたさ」を感じている,なによりの証拠です。

 どうやら審査委員会は,審査員同士の十分なディスカッションも行われないまま,なあなあか,あるいは鶴の一声で,新デザインを選定してしまったようです。これは「コンペではない」と,応募した建築家が批判しています。つまり,審査員全員が出席してディスカッションをした上で決するのがコンペであって,そうでないものはコンペとはいえない,というのです。ごもっとも,としか言いようがありません。

 ただでさえ,あまりに巨大すぎる,景観を損ねる,維持管理(メンテナンス)が大変である,建築の構造上の問題がある,建築技術が追いつかない,などなど問題点が続出しています。これらの問題を解決するだけでも大変なのに,選定のプロセスまで疑念が生まれてしまい,その問いに対して「ノー・コメント」,あるいは,取材拒否では,この船は前に進めません。

 そこに,猪瀬知事のスキャンダルです。船頭さんがふらつきはじめ,JSC(日本スポーツ振興センター)の不透明な応答がつづくかぎり,これはしばらくの間,相当に揺れ動きそうです。つつけばつつくほどボロがでてきそうです。まるで,崩壊寸前の日本丸の現状の典型的な縮図をそこにみる思いがします。

 すでに,建築家の槙文彦さんら100人の識者が修正を求める要望書を文部科学省やJSCなどに提出していることは,よく知られているとおりです。加えて,作家の森まゆみさんらも神宮外苑の景観などの保存を求める活動を始めています。この輪は静かに都民の間にも広がりつつあります。

 そこに猪瀬知事の不祥事です。火に油を注ぐようなことになってきました。総事業費1800億円という巨額な資金をどこから捻出するのか,結局は,国民の税金にふりかかってくるのは明々白々です。ただでさえ,フクシマをかかえ,除染問題をかかえ,避難住民の救済問題をかかえ,いくら金があっても足りない現実を無視して,なにゆえに「<超>巨大な新国立競技場」を建造しなくてはならないのか,わたしには理解不能です。

 みなさんは,どのようにお考えでしょうか。ご意見をお聞かせください。

2013年11月22日金曜日

『般若心経は英語で読むとよくわかる』(竹村日出夫著,みやび出版,2013年11月27日第一刷発行)がとどく。お薦め。

 この本を諸手を挙げてお薦めします。こんなに単純明快に『般若心経』を読み解いた本はこれまでみたことがありません。わたしは自信をもって,そう断言します。嘘だと思って,読んでみてください。かならず納得していただける,とわたしは信じて疑いません。それほどに,みごとに,『般若心経』の真髄を読み解いてくれるからです。

 なにより意表をつかれるのは,「英語で読むとよくわかる」という,この仕掛けです。実際に,この経文の英文を読むと,なるほど,そういうことだったのかと納得してしまいます。つまり,英訳するという工程が一つ加わることによって,経文のややこしさが一気に捨象されて,むき出しの本質が立ち現れるからです。翻訳とは言語の壁をジャンプすることでもあります。ジャンプすることによって,不要なしがらみから抜け出して,透明な世界に飛び出すことが可能となります。そうして,子どもにもわかる,むき出しの『般若心経』が立ち現れることになるのでしょう。

 もう少し,きちんと説明しておく必要があります。著者の竹田日出夫さんは,原典のサンスクリット語から掘り起こし,玄奘三蔵法師の漢訳と対比しながら,独自の日本語訳を導き出し,それをさらに英語に翻訳するという作業をとおして,これまでだれも経験したことのない『般若心経』の「こころ」に接近しようと試みているのです。そういう意味で,類書は存在しない,とわたしは断言します。言ってみれば,竹田さんの長年にわたる研鑽の結果が,ここに凝縮しているといっても過言ではありません。ですから,この本に書かれている文章そのものも,余分なことばはひとつもなく,ここがぎりぎりの簡潔文である,というようにわたしには読み取れます。

 さらりとした,それでいて含蓄のある名文がつづきます。一気に最後まで読むことができるでしょう。とにかく,『般若心経』の「こころ」とはこういうことであったか,といとも簡単にわからせてくれる,まことにありがたい本です。

 とまあ,こんな風にわたしが断言口調で書けるのには理由があります。この本のもとの原稿は,みやび出版が季刊で出している「みやびブックレット」『myb』に連載されていて,それを毎号,わたしは真っ先に読むことにしていたからです。それほどに惹きつけられるにも理由があります。わたしは,じつは,禅寺に育ちました。ですから,『般若心経』は毎朝の父の読経を,夢現の状態で聞いていました。そして,あるきっかけがあって,わたしは『般若心経』のマニアックなファンになりました。以後,『般若心経』読解本をみつけるとすぐに購入して,読みふけりました。ですから,わたしの書棚にはこの手の本がずらりと並んでいます。

 これらの本を読むたびに,『般若心経』は,いかようにも解釈可能な経典なのだと思いながら,さまざまなことを考えてきました。ですから,いつか,かならず『般若心経』読解・私家版を書こうと密かに考えていました。そこに,この竹田日出夫さんの「英語で読むと」が登場しました。わたしは,最初のうちは,なんという冒涜的な試みを,と半分は反感をいだいていました。が,何回か,回を重ねていくうちに,「うぬっ?この明快さはいったいどこからくるのだろうか」,と考えるようになりました。そのうちに,気がつけば,すっかりとりこになっていました。

 意表をつく本ではありますが,英訳することによって初めてみえてくる『般若心経』の世界があるのだ,ということを知りました。これは,とてもいい勉強になりました。

 ちなみに,『myb』2013 Autumn No.45 秋号の特集は「般若心経を繙こう」というものです。三田誠広/芹沢俊介/竹村日出夫,という錚々たるメンバーにわたしも加えていただいて,拙稿を寄せています。そして,この号が,竹村さんの連載の最終回にもなっています。興味をお持ちの方はぜひ手にとってみてください。(有)みやび出版のメール・アドレスは「books.miyabi@abelia.ocn.ne.jp」です。たぶん,まだ,在庫があると思います。定価は本体320円+税。とても瀟洒な,それでいて内容は文句なしのレベルの高さと豊かさ,おしゃれなブックレットです。

 なお,単行本となったこのテクスト(定価1,600円・税別,発売・星雲社)には,補講「般若心経」のことば,が加えられていて,キーワードとなっている重要なことばを抽出して,英語と日本語で解説がしてあります。ここも,まことに面白く,「空」や「苦」というようなことばを英語と日本語で説明してくれています。そして,最後に「般若心経の全文とその英訳」が掲載されています。

 とにかく,文句なしの絶品ですので,ぜひ,手にとってご覧になってみてください。

 というところで,今日はここまで。
 

一票の不平等。最高裁「大法廷14裁判官の判断」の一覧表を切り抜いて保存しておこう。来る選挙に備えて。

 最高裁の存在がぐらついているのでは?・・・,と今日(21日)の新聞をみて心配になってきた。「三権分立」ということの重要性とその意味について,戦後民主主義教育のはじまったばかりの中学生のとき(1950年~52年)に教えられた。そして,司法の独立ということがいかに重要であるかということを,そのときの社会科の先生は情熱をこめて語ってくれた。鈴木栄二先生。その姿がいまも彷彿とする。

 一票の不平等について,高裁判決では「違憲」「選挙無効」の判断が続出して,いよいよわたしたちの望む「一票の不平等」が解消される方向に進むのだと確信していたのに,最高裁では一転して「違憲状態」に後退してしまった。昨年の衆院選の「一票の不平等」をこのまま持続させてはならない,と「選挙無効」を訴えた二つの弁護士グループの最高裁での判断の結果に,わたしは愕然としてしまった。まさか,の後退である。これでは,またまた「一票の不平等」の解消が遠のいてしまったと,わたしだけではなく多くの国民が失望したに違いない。とうとう,最後の砦として期待していた司法まで・・・・,地に堕ちたものだ・・・・と。

 ショックである。昨年の衆院選が,これで正当化されてしまった。そうなると,ずるずるとこのままの状態がつづくことになってしまうのか,と思うと気が遠くなってしまう。一票の不平等は,もう,ずいぶん前から指摘され,議論され,裁判でも,何回も奇怪しいのではないかと訴えられ,その判断が求められてきた。しかし,「違憲状態」という判断が長くつづき,ようやく昨年になって,国会の無責任を業を煮やした高裁が「違憲」「無効」という判断をくだすようになってきた。それだけに,今回の最高裁の判断ですべての決着がつく,とわたしは楽しみにしてきた。しかし,そうはならなかった。残念。というより,情けない。最高裁の良識というのは,この程度のものでしかなっかたのか,と知って。

 もとをたどれば,国会の怠慢,以外のなにものでもない。国会議員の利害だけが最優先されて,国民の意志は無視されてきた。つまり,国会議員によって国民の基本的人権が無視されてきたのである。もっと言ってしまえば,わたしたち国民は一人の人間とは認められない,と国会議員に宣告されてきたのだ。こんな馬鹿げたことが,もう,何年もつづいているのである。都会に住むわたしたちは,一人前の人間として扱われてはいないのである。

 今日の新聞によれば,つぎのようである。
 「昨年衆院選の一票の最大格差は,千葉4区と高知3区の2.43倍で,09年選挙の2.30倍から拡大。今年3月の高裁判決は,違憲・無効2件,違憲12件,違憲状態2件と判断が分かれた。」

 わたしの1票が,千葉4区と高知3区では「2.43票」になる,という。そんなバカな話があってたまるか,とふつうの神経の持ち主なら必ずそう思うに違いない。しかし,これが現実に昨年の衆院選では行われたのである。にもかかわらず,最高裁は,これを「違憲」とは判断せず,「違憲状態」としてはぐらかした。

 小学生でもわかるのに・・・・。なぜ? 最高裁の「14裁判官」は小学生以下の判断しかできなかった,というこの事実をわたしたちは重く受け止めなくてはならない。それでも救いがまったくないわけではない。14裁判官のうち,3人の裁判官は「違憲」であると判断している。わかる人にはわかるのだ。にもかかわらず,わからない人にはわからないのだ。あるいは,わからないふりをしているだけかも。こんな単純な理屈がわからないはずはない。どこかで裁判官としての判断がゆがめられる力学がはたらいているに違いない。そして,そういう「力学」(「圧力」ともいう)に屈してしまう裁判官が最高裁に存在しているということは,われわれ国民にとっては不幸である。ならば,われわれの手で糺さなくてはならない。

 したがって,次回の選挙では,最高裁裁判官の信任投票で,わたしたちの意志をしっかりと表明することだ。適当な,無責任な妥協をしたと思われる裁判官には「×」をつけるべく,今日の新聞に載っている「大法廷14裁判官の判断」という一覧表を切り抜いて保存しておこう。そして,つぎの選挙のときには,きちんとわたしたちの意志を表明することにしよう。

 このことをわたしたちはあまりにないがしろにしてきたのではなかったか。

 最後のよりどころである最高裁裁判官の良識がぐらついてしまっては困る。われわれ国民がその姿勢を糾すべく,きびしく投票行動で示す以外にはない。わたしたちは「主権在民」という憲法のもとに生きているという自覚をもっともっと強くもつべきであるし,その責任をまっとうすべきではないか,と自省を兼ねて表明しておきたい。

 やはり,最後はわたしたち自身の問題なのだ。

 こういう,わたしたちの意に反する最高裁判決を導き出したのも,国会議員がてきとうに問題を「先送り」して平気でいるのも,すべてはわたしたちの責任なのだ。その責任をまっとうできる唯一のチャンスが選挙なのだ。選挙をとおしてわたしたちの意志表明をする以外には方法はないのである。そのことを肝に銘ずべし。

 ということで,今日はここまで。
 

2013年11月21日木曜日

特定秘密保全法案,修正協議中も国会審議。担当相は「ノー・コメント」連発。なのに,週末には採決?

 さみだれ式に野党が修正協議に加わり,その協議中も国会で審議が行われている。だから,森担当相は「協議中のことですので,コメントは差し控えたい」を連発(21日の「東京新聞」朝刊)。これは審議ではない。なのに,そこにのこのこと出かけていって質疑に加わる野党議員がいる。与党の時間稼ぎ以外のなにものでもない,ということを承知の上で政府与党に積極的に加担しているというこの醜悪さ。もう黙ってはいられない。

 ここは審議を一旦中止して,修正案がまとまるまで待って,その上で審議をゼロからやり直すのが筋ではないのか。しかも,その修正案がどのように合意されたのか,全文を国民に提示することが先決である。それもしないで,宙づりのまま,なにを,なんのために議論しているというのか。こんなことが国会でまかり通っている。

 しかも,今週末には採決されるらしい。となると,実質的な審議はほとんどなされないまま,強行突破をめざすことになる。これは政府自民党としては折り込み済みで,修正協議に応じつつ審議をつづけるという,とんでもない演出まで用意して・・・。

 いま,国会の外では,法律の専門家をはじめ,ジャーナリストや学者・研究者たちはもとより,多くの市民団体も声をあげて「反対」を叫んでいる。わたしもそのひとりだ。現に署名活動にも参加している。そして,なによりも,なんでもありの,どのようにも解釈可能な,法案としての整合性を著しく欠いているこの「特定秘密保全法」を成立させてはならない。

 わたしは再度,新聞に掲載されたこの法案の全文を熟読玩味してみた。読めば読むほどに腹が立つ。条文の末尾のいたるところに,「その他」とある。ということは,条文に明記されていないことも,権力の解釈によっていかようにも運用が可能であることを意味している。つまり,国家の側のやりたい放題になっていて,国民の側にはなんの保障もない。「主権在民」という憲法の精神もどこかに消し飛んでしまっている。これは,どうみても戦時中の「治安維持法」そのものである。

 疑わしきは闇から闇へと消されていった,あの暗い過去の記憶がよみがえってくる。憲兵隊がやってきて,有無を言わさず拉致していく・・・・そして,二度と帰らぬ人に・・・・。あの光景がふたたび現代によみがえるのかと思うと,ぞっとする。これは明らかに歴史の逆行である。

 敗戦後,ひたすら再軍備に反対し,平和を希求してきた日本人の努力は,いまやはかなくも費え去ろうとしている。このままいけば,数の暴力による採決がなされ,この「でたらめな」法案が成立することになるのだろう。そう思うと夜もおちおち眠れない。これはどうあっても「廃案」に持ち込まなくてはならない。あらゆる手段を駆使して・・・・。

 それでも駄目だった場合には,この悪法成立のために,どの政党が主導し,どの政党がそれに加担したのかを銘記しておこう。そして,少なくとも,自分の選挙区のどの議員が,どのように動いたかを監視しておこう。そして,最後の手段は,選挙だ。そのときに,迷わず選挙ができるよう,いまから覚悟を決めておこう。これだけが国民に付与された最後の切り札なのだから・・・・・。斎藤美奈子さん流にいえば(20日の「東京新聞」の「本音のコラム」),「生殺与奪」の権利はわれらにあるのだから・・・・。

 いま,このように書いている,たった一人による「呼掛け」のブログにすぎないものも,解釈によっては「煽動」となり,そのように「判定」されれば有無を言わさず闇から闇へ消されないとも限らない・・・・それが,いま国会で「空回り」の審議をしている「特定秘密保全法」である,ということもここで釘を差しておきたい。

 この悪法を支持する国会議員は,たった一度でもいい,この法案の全文を,自分の眼で通読し,自分の頭で考えたことがあるのだろうか,とわたしには不思議である。少しでも「自律」して考えることのできる議員であれば,みずからの意見を堂々と提示できるはずだ。それもしない/できない多くの議員は,ただ,政局に身を委ねているだけの存在,すなわち,単なる政治ロボットにみえて仕方がないのだが・・・・。

 だからこそ,われわれ国民が目覚めていなくてはならない・・・・と強く思う。世の中にはどうでもいいこともある。しかし,この悪法は,われわれ国民の生活の基本をひっくり返すほどの,大きな影響力をもつものだ。だから,黙っていてはいけない・・・・と。

 いま,スポーツ界に起きている不祥事も,そのステージが違うだけで,その本質は同根であると考えるからこそ,わたしは黙ってはいられない。そういう悪の連鎖を断ち切るのは,われわれ国民の責任でもあるから・・・・。

 

野見宿禰と当麻蹴速の相撲は死者の鎮魂儀礼だった?(森浩一説)。出雲幻視考・その13.

 考古学者の森浩一さんが,近著『敗者の古代史』(中経出版,2013年刊)のなかで,わたしにとっては考えてもみなかった仮設を提示していて,びっくりしました。森さんの説によれば,野見宿禰と当麻蹴速の相撲は,垂仁天皇の妃(サホヒメ)の死を悼む鎮魂儀礼であった,というのです。しかも,奈良・若草山の山頂にある鶯塚は,このサホヒメを埋葬した古墳ではないか,と推定しているのです(P.52~65.)。これには驚きましたが,考古学のオーソリティが言うのですから,これからはこの説も視野に入れて考えないといけないのかな・・・・と考えています。

 森さんの仮設は,『古事記』(『日本書紀』よりも,こちらの話の方が面白いという理由で)の記述をよりどころにして,そこに最新の考古学研究の成果を重ね合わせながら,独自の推理を展開したものです。専門的なことはわたしにはわかりませんが,なるほど,そういう推理も可能なのかとなんとなくわかったような気にさせられてしまいます。

 まあ,古代のことは,少なくとも文書資料に関しては,ときの権力の都合のいいように改竄されていることは間違いないわけですので,そこに考古学という補助線を引いて,検証するという方法はとても魅力的です。そこに,最近では,その地域に古くから伝承されてきた祭祀儀礼や民話・伝説なども重ねていき,多面的に謎だらけの古代の秘密に迫ろうということが盛んに行われるようになり,古代史はいままた新たなブームを呼んでいるようです。

 いささか脱線してしまいましたが,話をもとにもどしましょう。
 サホヒメといえば,天皇である夫を捨て,兄・サホヒコとともに戦って命を落とした悲劇の主人公としてもよく知られているとおりです。このサホヒメを夫である垂仁天皇はこよなく愛していたと言われています。にもかかわらず,兄・サホヒコが天皇に謀叛を起こすことを知り,しかも,その兄から「兄と夫といずれが愛しき」と問われ「兄ぞ愛しき」と答えて,天皇の子を身ごもった身でありながら,兄のもとに馳せ参じて籠城してしまいます。そして,籠城中に男の子を出産,その子がホムチワケで,成人しても口が聞けなかったというあの王子です。ところが,出雲のオオクニヌシを祀る神社を天皇にも等しい立派なものに修復すれば,口が聞けるようになる,という夢見があって,そのとおりにしたら口を聞くようになった,という次第です。

 とまあ,この話をしはじめますと長くなりますので,あとはテクストで確認してみてください。いま,流行りの『古事記・現代語訳』(何種類も本屋さんに置いてあります)にも当たってみると,もっと面白いと思います。が,いずれにしても,天皇は悩み苦しんだのち,サホヒコ・サホヒメの兄妹を殺すことによって決着をつけます。そして,皇后であったサホヒメの葬儀の折の鎮魂儀礼として,垂仁天皇は野見宿禰と当麻蹴速を呼び出して相撲をとらせたのだ,というのが森浩一さんの仮設です。それの補説として,つぎのような有名な話を引いています。

 皇極元年(642年)に,百済(くだら)の大使〇〇(ぎょうき)の前で健児(ちからびと)に命じて相撲をとらせた(『記』)。この相撲は,大使の児と従者が死に,児を河内の石川に葬ったとする記事に続いている。葬儀にさいしての鎮魂のためとみてよかろう(P.61.)。

 さらに,森さんはつぎのような話も紹介しています。
 昭和六〇年(一九八五)八月,日航機が群馬県上野村の山中に墜落して大勢の人が亡くなり,犠牲者のなかに大相撲の伊勢ヶ浜親方の家族も含まれていた。数日後に部屋の力士が土少々を背負って山に登り,墜落現場にミニ土俵をこしらえ,四股(しこ)を踏んだ。鎮魂のためにおこなったのである(P.61.)。

 死者の鎮魂のために相撲をとるという古くからの慣習は,中国,朝鮮半島を通過して日本にも伝わっていた,ということもよく知られているとおりです。ですから,百済からの大使の子どもや従者の葬儀に相撲をとったとしてもなんの不思議もありません。

 しかし,森浩一さんの仮設とはいえ,若干の疑問が残ることも事実です。一つは,よく知られるように野見宿禰は当麻蹴速を「蹴り殺して」います。いうなれば,決闘のようなものです。というより,決闘そのものと言ったほうがいいでしょう。もう一点は,勝った野見宿禰は当麻蹴速が支配していた土地をそっくり頂戴しているということです。純粋な鎮魂儀礼であったとすれば,なにも「蹴り殺す」必要はないはずですし,まして,報償として土地を譲り受けるというのも妙な話です。さらには,サホヒメのための鎮魂儀礼だったとしたら,なぜ,『古事記』にそのように記述しなかったのか,そして,鶯塚のことも,なぜ,記述しなかったのか,という疑問が残ります。もっとも,森さんの推理が事実だったとしたら,それをそのまま記述して後世に残すことにはなにか禁忌に触れることでもあったのかもしれません。

 が,それでもなお,このあまりに有名な両者の相撲が「鎮魂」のための儀礼であったとする森さんの推理は捨てがたいものがあります。もう少し考えてみたいと思います。

 取り急ぎ,今日のところはここまで。