2013年1月1日火曜日

新しい年の始めに。ことしを少しでもよい年にするために。

 12月という月があったのかと思うほどに,早くも記憶から遠ざかっていきます。いやな記憶はどんどん消えていきます。だから人間は生きてゆけるのだと言った人がいます。でも,12月の悪夢は忘れてはいけないとわが身に言い聞かせています。

 日本のこの情況を,辺見庸は「明日なき今日」といい,するどい檄をとばしています。良識ある市民は出口のない隘路に追い込まれてしまい,打つべき手もない逼塞状態のまま困りはてています。しかし,沖縄の人たちはもっともっと苛酷な現実と長年にわたって格闘してきています。なのに,その一方では,自発的隷従を恥ずかしいとも思わない人びとによって,日本はますます右傾化のスピードを高めています。この暴走をどこかで食い止めなくてはなりません。その方法はたったひとつ。こんどの参議院選挙で,しっかりとしたけじめをつけるしかありません。

 しかし,すでに政府もメディアも選挙のための世論操作をはじめています。それに騙されないように,わたしたちは,まずは「生きる」ということにしっかり「根」づいたものの見方・考え方を練り上げていかなくてはなりません。目の前の札びらに躍らされることなく,多少の貧乏は覚悟の上で,未来を生きる子どもたちの「命」を守ること,これはわたしたち大人の「義務」です。このことを肝に銘じておきたいと思います。

 情況はますます悪化の一途をたどることでしょう。しかし,ほんの少しだけですが,この情況に変化がではじめているようにも思います。とりわけ,この情況に疑問をいだく若者たちが出はじめているということが,わたしの密かな期待です。つまり,近代社会がゆきついた数量的効率主義を突き抜けていくためのさまざまな試みです。お金がいくらあっても,ありあまるほどものが豊かになっても,人間は幸せにはならない,ということに気づきはじめている若者たちの出現です。そして,人間が生きる上で大事なのは人と人との温もりのある触れ合いだ,ということを見極めている若者たちの出現です。大量生産・大量消費を基盤とするライフ・スタイルは,ますます人間を駄目にしていく,堕落させるシステムである,と気づいた人たちが少しずつではあるけれども,若者たちのなかからではじめているということです。

 この人たちがすでにいろいろの試みを展開している話が,ちらほらと聞こえてくるようになりました。たとえば,大企業に勤めていた優秀なエンジニアたちが脱サラをして,それぞれのノウハウを持ち寄って,クライアントと直接触れ合いながらものづくりをはじめている人たちがいます。あるいは,農業は自然と向き合いながら,さまざまに折り合いをつけていかなくてはならない厳しい仕事ではあるけれども,それこそが生きがいでもある,ということに気づいて勇んで農村に飛び込んでいく若者たちがいます。三浦しをんの小説ではないですが,林業の面白さに目覚める都会出身の若者たちもいます。あるいは,IT企業をやめて,農家の農作物を直接消費者とつなぐネットワークづくりに励んでいる若者がいます。農協や倉庫屋や巨大流通に独占されて,農家はせっかくつくった農作物を二束三文で買い叩かれる悪循環からの脱出です。あるいは,量販店の向こうを張って,新しいコンセプトを立ち上げ,商店街を復活させようという次世代の若者たちがいます。商店街を歩いていく人たちと商店とがお互いに顔なじみになり,声を掛け合うことによって人と人との温もりのある交流をとりもどそうというわけです。発電やその供給システムを地域で管理していこうという動きも若者たちによって支えられているといいます。

 こういう例を挙げていくと,いくつもあります。最近の雑誌でも,こういう情報が少しずつですが,掲載されるようになってきました。それに触発される若者たちも増えているとも聞きます。

 まだまだ時間はかかるかも知れません。が,ひとつ突破口を見出すと,次第に勢いがでてくるのではないか,とわたしは密かに期待しています。そのコンセプトは「人と人との温もりのある触れ合い」です。そういう社会の実現をめざして,仕事の仕方を変えていくこと,そういうきざしがみえはじめている,そこに期待をしたいと思っています。

 この逼塞情況をなんとか打破していくための方途がどこまで広がり,浸透していくか,そんな夢でもみていないと,これからさきは闇ばかりになってしまいます。

 年の始めですので,少しでも明るい夢をみたい,そんな思いでいっぱいです。
 ほんのささやかでもいい,明るいきざしがみえる方向に向かって,わたしも努力したいと思っています。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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