2013年1月16日水曜日

『古事記の禁忌(タブー) 天皇の正体』(関裕二著,新潮文庫)を読む。

 旅の道連れに好きな文庫本を数冊もって歩くのは,もう,長い間のわたしの習慣です。そして,その日,その時の気分で,一番フィーリングが合いそうな本を手にとることにしています。今回は,『古事記の禁忌(タブー) 天皇の正体』(関裕二著,新潮文庫,平成25年1月刊)。

 理由は簡単です。このところ野見宿禰のことが気がかりになっていたからです。このブログにも書きましたように,高槻市の上宮天満宮の境内の一角にある野見宿禰の墓といわれる墳墓の碑文には,東大寺の奴婢であったことが記されています。垂仁天皇によって見出された初代野見宿禰(代々,同じ名前を名乗った)は天皇に仕える身分になったにもかかわらず,その一族郎党は東大寺の奴婢であったという,この関係がわたしには理解できません。東大寺を建造したのは,聖武天皇ですから,垂仁天皇からはかなりの時間が経過していることになります。片や天皇に仕える身分でありながら,一族郎党は奴婢。この関係はいったいどういうことを意味しているのでしょうか。

 しかも,調べていきますと,野見一族はかなり広い地域に散在していて,しかも,相当の力をもっていたのではないか,ということがわかってきます。となりますと,天皇とそれを陰で支える勢力との間にはなにか特別の関係があったのではないか,と妙に気になってきます。どうも,古代の天皇というものの存在の仕方が,わたしのようなものの理解をはるかに超えた,得体のしれない,不思議な存在だったようです。そんなことはまともな日本史の本にはどこにも書いてありません。ということはまともな歴史学者は書くはずもない,というわけです。いつの時代も御用学者というものは存在していて,時の権力にすり寄っていたことも浮かび上がってきます。こんなことを考えていましたので『古事記の禁忌(タブー) 天皇の正体』というタイトルを本屋さんで見たときにはびっくりしてしまいました。とうとう,こういう本がでるようになったではないか,と。しかも,ことしの1月に本屋さんに並んだばかりの,ほやほやの本です。

 もっとも,著者の関裕二さんの作品には,新潮文庫だけでも『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』『呪う天皇の暗号』などという怪しげな本があります。ですから,このテクストのタイトルをみた瞬間に,これは面白い本に違いない,とねらいを定めました。この予想はみごとに当たりました。途中からシャーペンをとりだして,あちこち線を引きながら,ときには,書き込みまでしながら読むことになりました。

 さて,この本をどのように読んだのか,率直な感想だけを,思い出すままに羅列して書いておくことにします。

 古代天皇という存在はきわめて脆弱なものでしかなかったということ。そして,血で血を洗うようなクーデターが続発していたということ。その背景には,百済系と新羅系のふたつの大きな勢力のせめぎ合いがあったということ。クーデターで破れた天皇の系譜はみんな追い落とされて,どこかに消えていく運命にあったこと。そして,ふたたび天皇として復活することはほとんどありえなかったこと。ということは,敗れた天皇一族はつぎつぎに被差別民として,どこかに隠れ潜んで暮らしていたということ。つまりは,中上健次が描いた「路地」があちこちに誕生したということ。天皇の柩をかつぐ人たちがいまも存在するように,天皇と被差別民とはきわめて近しい関係にあった(ある)ということ。その一方で,天皇との関係が血縁的に証明される者だけが「貴族」として権力をほしいままにしていたということ。その典型的な例が藤原氏一族。だから,一度でも権力闘争から脱落した者の系譜は徹底して差別されてしまうということ。野見宿禰の出自はこのことと深く関係していたのではないか。たまたま相撲という特技を生かして垂仁天皇にとっては邪魔な存在であった豪族当麻蹴速を蹴り殺した功績によって,野見宿禰の直系だけは天皇に仕える身分を確保できたのではないか,ということ。そして,代々,賢い人物が輩出して歴史にその名を残したこと,そのクライマックスのひとりが菅原道真であったこと。だとすれば,野見宿禰一族の郎党たちは,たとえ奴婢であろうと天皇および野見宿禰を支える陰の勢力として大きな役割をはたしたのではなかろうか。とりわけ,継体天皇以後に,野見宿禰一族とその郎党たちは急速にその勢力をのばし,古墳時代には大活躍したのではないか,と推測できること。ここまで想像力をたくましくしたときに,はじめて,高槻にある継体天皇の墳墓と考えられている巨大な前方後円墳の存在と,野見宿禰の墳墓との関係が,わたしなりに納得のいくかたちでイメージできることになること。

 などなど・・・・・というようなことを,際限もなく連想し,古代史の謎のロマンを追い求めることになりました。どうやら古代天皇はたんなる「呪術」の使い手に過ぎなかったのではないか,と不敬罪に問われそうな連想までしてしまいます。ですから,つぎに読むべき本は,同じ関裕二さんの『呪う天皇の暗号』(新潮文庫),ということに決定です。でも,この本に手が伸びるのはいつのことになるのか・・・・その保証はありません。こんど旅にでるのは・・・と楽しみにしているところです。




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