2013年1月7日月曜日

真島一郎編『二〇世紀<アフリカ>の固体形成』(平凡社,2011年)を読みはじめる。眼からウロコの本。

 「ヤマトのアフリカニストとしての自己否定が懸かっていた」とふり返る真島一郎さんのことば(西谷修編『<復帰>40年 沖縄と日本』,せりか書房,2012年,P.92.)がこのところ気になっていた。真島さんがふり返るのは,2007年11月に二日間にわたって開催されたシンポジウムのうちの第二日めの「暴力とその表出」にシンポジストとして参加されたときのことである(西谷修・仲里効編『沖縄/暴力論』,未來社,2008年)。このときの真島さんの発言は「暴力を読み解く/神話・耳・場所」という見出しでまとめられている(前掲書,P.98~108)。

 ここには,たとえば,つぎのような真島さんの発言が記録されている。
 「『暴力』と『神話』の取りあわせに何かしっくりくるところがあるとすれば,それは本来そのいずれもが,他者の思想や行為を主知主義的なシステムの物差しで否認するさいにひとが用いる言葉だったからです。」(P.100.)
 「たとえばかつてのアフリカ解放闘争が,『そう,私はニグロだ』とあえて名乗ることから始まったように,あるいは『本土復帰』前後の時点で,新川明があえて沖縄の反国家の『凶区』と形容したように,反復帰の精神譜にもとづく仲里さんの歴史認識の方法をを暴力論にふさわしいしかたでややバイオレントに言いかえると,すなわち「神話」のそれになるのではないか。ある出来事のなかに別の出来事の姿を不可視のまま目撃したり,もはや幻聴とはいいがたい声や音を聴きとどける身がまえは,まさに神話の強度そのものに支えられた批評の特質であると私には感じられた,それが第一の論点です。」

 こういうわたしにとってはきわめて刺激的な発言がこのあとにもつづく。

 がしかし,ここで引用した二つの文章のなかには,「暴力」と「神話」のとりあわせ・・・と「そう,私はニグロだ」とあえて名乗る・・・・というきわめつけの文言が用いられている。そして,これらの文言が意味するところの,もっと深い意味が知りたいと思いながら,上記の二著のなかに織り込まれた真島さんの発言を繰り返し読み込む努力をしてみた。そうして,この二著をとおして「ヤマトのアフリカニストとしての自己否定が懸かっていた」という真島さんの発言の理由/根拠がおぼろげながら理解できたと思っていた。

 しかし,それは大きな間違いだった。というよりは,真島一郎さんにとっては,そんな生易しいものではなかったということがわかったのだ。そのほんとうの答えは今回とりあげたこのテクスト『二〇世紀<アフリカ>の固体形成』(真島一郎編,平凡社,2011年)のなかにあった。それは真島さんの手になる冒頭論文「序 固体形成論」のなかに,濃密に展開されている。寄せては返す荒波のはじける海岸のように,<アフリカ>の「固体形成」の困難について,多面的に,重層的に,ねばり強く,しかも情熱的に論じられている。何回も,何回も後戻りしながら読み返す。そんな読書のしかたを繰り返しながら途中まで読んだところで,わたしは完全に圧倒されてしまった。

 そして,真島さんが沖縄を論ずるということは,アフリカ研究者であること,それも「ヤマト」のアフリカニストであること,それ自体を根底から問い直すことなしには不可能なのだ,ということが痛いほど伝わってきた。つまり,単なる評論ではなくて,ほんとうの意味での批評をするということは,こういうことなのだ,と。今福さんがかつて語ったように,単に表面的にディスクライブ(describe)することではなくて,みずからの身体に痛みをともないながらインスクライブ(inscribe)することなのだ,と。

 それこそヨーロッパ近代が,これぞ研究であり,学問である,と言ってきたいわゆる「主知主義」的なアカデミズムの土俵の上に安住しながら,アフリカを研究し,分析することの,あまりの一方的な<暴力性>が,この「序 固体形成論」によって,徹底的に暴き出されていく。。そして,たとえば,「暴力」的なアカデミズムによって潤色されたアフリカではなく,それを根底から解体し,まったく新たな<アフリカ>として問題を再提示していかなければならないその根拠を,詳細に,克明に論じていく。そうした真島さんの真摯な主張に耳を傾けていくとき,ようやく「ヤマトのアフリカニストとしての自己否定が懸かっていた」という発言の深い意味が,つぎつぎに露わになってくる。

 言ってみれば,最初に研究対象に接近するとき,すでに既成の概念に,あるいは,既成の定説なる権威に,つまりは逆の「神話」に包囲されてしまってはいないか。そういう根源的な問いに気づかされる。それはアフリカに限らず,沖縄にあっても,まったく同じ問いがわたしたちの前に突きつけられているということだ。ひるがえって,長年にわたってスポーツに向き合ってきたわたし自身にも同じことがいえる。

 こうなってくると,これまで考えたこともない根源的な問い,すなわちスポーツではなくて<スポーツ>に,そして,スポーツ史ではなく<スポーツ>史に脱構築しなくてはならない,という問いが,まったく新たな問いとして立ち現れることになる。このことの意味するところはどういうことなのか。

 もう少しわかりやすくしてみよう。スポーツといえばだれでも自明のことのように受け止める。なんの疑問もなしに。同じように,アフリカといえばだれにも自明であるかのように流通していく。沖縄といえば,それはそれで自明のことだということになっている。つまり,わかったようなつもりになっている。がしかし,ほんとうのところはなにもわかってはいないのである。わかっているつもりになっていることは,じつは,ヨーロッパ近代の生み出したアカデミズムが<暴力>的に地ならしをした主知主義的な概念としてのスポーツであり,アフリカであり,沖縄でしかない。すれらは,すべてだれかによって都合のいいようにつくられた「神話」でしかない。そこには,たとえば,スポーツということばの中に内包されている諸矛盾などはすべてどこかに忘れ去られたままになっている。同じように,アフリカも沖縄も換骨奪胎されてしまった抜け殻だけが流通することにななり,それらのことばからイメージされる内実はきわめて薄っぺらであるし,一方的なものでしかない。

 別の言い方をすれば,だれのための「スポーツ」を,だれのために研究しようとしてきたのか。あるいは,「伝統スポーツとグローバリゼーション」というテーマを立てて,スポーツとはなにかを問い直そうとした意図はどこにあるのか。わたしたちはようやくこういう地平に立つことができたのだが,真島さんの<アフリカ>固体形成論は,人間であること,主体以前の「固体」をいかに形成するのか,つまり,存在の「根」をどこに,どのようにして降ろしていくのか,という気の遠くなるような根源的な問いを,わたしたちの前に突きつけているように思う。

 まだ,その序を読みはじめたばかりだが,じっくりと真島さんの意とするところ,真意を読み取っていく努力をしてみたいと思う。

 その上で,ダン族(コートジボワール)のすもう「ゴン」のお話を伺ってみたい(3月9日に予定)。

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