2013年1月8日火曜日

NHK・クローズアップ現代・寺島実郎さん,あなたもですか。原発推進派でもない,反対派でもない。

  たまたま夕食をとりながら見ていたテレビで,寺島実郎さんが出ていた。このところモテモテおじさんで,あちこちのテレビに顔を出している。この人のアンテナの高さ,情報量の豊富さ,そして,判断力の鋭さ,よどみない論理的な物言い,その他もろもろふくめてこれまで大いなる期待と信頼を寄せつつ,尊敬もしていた。しかし,このところちょっと様子がおかしいと思うことが多くなっていた。とくに,3・11以後の寺島さんの発言に,おやっ?と思うことが多くなっていた。この人の軸足はどうなっているのだろうか,と。もっと言ってしまえば,寺島さん自身の思想・哲学はどうなっているのだろうか,と。

 そうしたら,とうとう化けの皮がはがれる発言をみずからしてしまった。「わたしは原発推進派でもない,反対派でもありません」と。それも,NHKのクローズアップ現代という注目番組で。題して「世界エネルギー大変革 どうする?日本の電力」。今日は特番で午後7時30分から8時45分までのロングラン。国谷さんの手際よい司会に,さすがの寺島実郎さんもうっかり乗せられてしまった,とでもいうのだろうか。それにしても,わたしはショックだった。はやり,そうだったのか,と。つまり,わたしは騙されていたのだ,と知ったから。

 これまで,どれだけ多くの知識人と呼ばれる人たちが,「わたしは原発推進派でも,反対派でもない」と,テレビ,新聞,雑誌をとおして発言してきたことか。そのつど,わたしはがっかりし,失望してきた。とんでもないっ!,と。それなら,あなたはこれからの日本の舵取りについて,なにも発言する資格はない,と。原発が推進されようが,廃炉にされようが,どちらでもいいのだから。こんな無責任な知識人を,あなたは信用できますか。

 でも,こういう人たちだけが,テレビ,新聞,雑誌でもてはやされている。推進派とはっきり宣言する人も,反対派と言い切る人も,メディアは嫌う。いかにも冷静で,客観的な立場からものごとを考えているかのような姿勢をとる知識人たちだけが,メディアにもてはやされる。なぜなら。どちらでもない,ということは少なくとも反対ではないということ,ということは推進派であるということになるから。このことを見越した上で,メディアはこういう人を使う。なぜなら,メディアもまた原子力ムラの一員だから。

 そのむかし,安保闘争時代に,「わたしは安保条約に賛成でもない,反対でもない」と言ったとしたら,即座に「日和見主義者」のレッテルを貼られ,相手にもされなくなったものだ。その一方で,賛成なら賛成の根拠を示せと迫る勢力があり,反対なら反対の根拠を示せというグループがあり,お互いに激しく理論闘争をしたものだ。そのいずれにも与することができないまま,悩み苦しむ人間もいた。そして,みんなが熱くなって日本の将来を憂え,議論をし,行動を起こし,毎日を必死で生きようとしたものだ。家庭の中でも,息子が過激派に身を投じたために,親子で激論を交わすことも少なくなかった。みんな真剣だった。

 それを思うと,みんな無責任になったものだ。日常の会話で,原発推進も反対も,ほとんど取り上げられることもない。みんな,どうでもいい話をしてごまかしている。あるいは,触れたくないという姿勢を示す。ひょっとしたら,どうでもいいと思っている人も少なくないらしい。一番,大事なことなのに,みんなダンマリを決め込んでいる。いうなれば,「どちらでもない」という姿勢を貫くことが一番無難だと思っているらしい。そして,それが理性的な人間のとるべき態度だとでもいいたげに。でも,それは違うだろう。

しかしながら,テレビに出演して,原発をどう思うかと問われて「推進派でもない,反対派でもない」と平然と答える知識人とはいったい何者なのか。こんなことを平気で,テレビをとおして言える知識人が信じられない。そういう人を専門バカという(マックス・ウェバー:Fachmensch ohne Geist)。あなたには,思想も哲学もないではないか,と。人が生きるということはどういうことなのか,そのこともわかっていないではないか,と。それでも,専門家として生きていかれる。そういう時代がくるとマックス・ウェーバーは20世紀の初頭に予言していた。

 いまになってみれば,それどころか,立場をあいまいにすることによって,メディアでの発言の場を確保できると考えている「確信犯」もまた圧倒的多数を占める。だから,まともな考え方をする人,まともな生き方を追求している人は,みんなメディアから排除されてしまう。もちろん,大手出版社からも排除されてしまう。そして,あまり知られていないマイナーな,しかし,しっかりとした理念をもった出版社から,みずからの信念に基づく本を出すしか方法がなくなる。目立たなくなるので,あの人はいまどうしてます?などという話になる。

 日本は病んでいる。しかも,重病である。寺島実郎さんともあろう人ですら,NHKテレビをとおして「原発推進派でもなければ,反対派でもありません」と,なんの衒いもなく言えてしまうこの病理現象に多くの人が気づいていない。もはや,手のつけようがないほどに,重症である。

 こんな情況にあっては,もはや,残る手段はただ一つ。原発推進派,原発反対派,どちらでもない派を一堂に集めて,堂々と議論させる番組を,NHKは継続的に組むこと。そうして,国民的議論を盛り上げていくこと。その結果が,選挙に反映されるように仕掛けること。これこそが料金を徴収する国営放送(?)の果たすべき役割ではないか。でなかったら,民放と同じだ。

 勢いあまって,とんでもないところにまで飛び火してしまった。
 話をもどそう。

 「原発推進派でもない,反対派でもない」という無責任な発言をして憚らない知識人の仲間に,今日,はからずも寺島実郎さんが新たに加わってしまった,というお話。そして,それが,メディアを上手に泳ぎわたるための術であること。それを計算と打算の上で,つまりは,自己中心主義(自己保身)のもとに,もっと言ってしまえば,単なる金儲けのために,一番楽なスタンスを,知識人ともあろう人が平然ととってなんら恥じるところがない,この現実。これこそが「経済第一」と吼える政権におもねる生き方そのもの。ここに現代の病理現象の根源の一つをみる。

寺島実郎さん,さようなら。『世界』の連載も,終わりにしましょう。居場所としてふさわしくありません。化けの皮がはがれた以上は。

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