2013年2月4日月曜日

スポーツ界を挙げて「スポーツ的自立人間」の育成をめざそう。

 連日のように,スポーツ界の醜聞がつぎからつぎへと報道されて,すっかり気が滅入ってしまいます。暴力的な体罰とはまったく無縁のところで,クラブ活動や体育の授業に情熱をそそぎ,多くの生徒たちを喜ばせ,感動させ,圧倒的な人気をえている先生たちのことを考えると,残念でなりません。現実には,こういうまじめで,生徒たちをこよない愛し,気配りのできる先生たちが圧倒的多数であって,暴力をふるわなければ気がすまないという指導者はほんの一握りの人たちだということです。ですが,毎日の新聞やテレビで報道されるニュースを聞いていると,雨後の筍のように,いたるところで暴力が蔓延しているのではないかという錯覚を起こしてしまいます。

 わたしもかつては現場に立って指導に当たっていた人間のひとりですので,残念でなりません。

 それでもなお,体育・スポーツ界がある隘路にはまり込んでいるのではないか,という危惧は若いときからいだいていました。その危惧がますます増幅してきているように,いまは考えています。それは,「より速く,より高く,より強く」というオリンピックのモットーを旗印に指導が展開され,それが,いつのまにか,あらゆることがらが勝利至上主義に収斂してしまっている傾向のことを意味します。最近では「勝たなければなんの意味もない」と考える指導者も少なくないように思います。

 しかし,こうした傾向に対して日本体育学会でも,早くから危機感をいだき,そのための対策を講ずるべきではないかという動きがありました。たとえば,1976年の「体育学研究の成果をふまえた体育指導者養成のあり方について」(科学研究費・総合研究A・研究代表者前川峯雄)があります。2年間の継続研究で,事前に共同研究者の公募がありましたので,わたしも応募して仲間に入れていただきました。わたしがまだ38歳のときのことです。

 この課題研究はいくつかのワーキング・グループに分かれて,さらにテーマを絞り込んで研究に取組みました。わたしは第一課題「わが国における体育・スポーツの将来構想を描くための基礎的研究」に所属し,さらに,そのなかの第二ワーキング・グループのリーダーを委託されました。そこでの課題は,体育・スポーツをとおしていかなる人間を育成するのか,その理想像を模索せよ,というものでした。

 若さというものはすごいエネルギーを発揮するものです。このときも,たまたま,いいメンバーに恵まれて何回も合宿して議論を積み上げました。そのときに到達した結論のひとつが「スポーツ的自立人間」という考え方でした。つまり,「スポーツ的に自立した人間」を育成すること,これが当時の日本社会にあっては喫緊の課題である,と。

 当時はまだ,柔道や剣道の道場があちこちに残っていて,すぐれた指導者のもとで礼儀作法からはじまり,なにからなにまで「教えてもらう」ということが多くの日本人の伝統的な考え方になっていました。このパターンが戦後の学校体育やクラブ活動にも継承されていました。ですから,体育やスポーツは指導者がいないとできないもの,という固定観念が広がっていました。ここでは,指導者は絶対的な権力者でした。ですから,一方的に指導者が課題を提示し,それに従うというのが常識でした。つまり,「絶対命令」「絶対服従」という構造が当たり前となっていました。もちろん,その背景には,戦時中の軍隊の軍事訓練という名のもとでの厳しい規律訓練の悪しき慣習が大きな影を落としていました。

 ですから,この悪しき構造から抜け出すことが「わが国における体育・スポーツの将来構想を描くための基礎的研究」の最大のテーマである,とわたしは考えました。そうして,幾晩もの合宿研究会を重ねて,激論の末に到達した概念のひとつが「スポーツ的自立人間」というものでした。この考え方については,1977年4月23・24日の課題研究代表者会議(銀杏荘・渋谷)で発表したのが最初でした。つづけて,その年の日本体育学会の学会大会でも発表させていただきました。

 このときの反響は意外に強く,「スポーツ教育と指導法」──”スポーツ的自立人間”にむけて(『体育科教育』12月号/1977,大修館書店),「体育学研究と体育指導者養成」(『体育科教育』2月号/1978,大修館書店)など(あとは割愛)の多くの原稿を書かせていただきました。新聞社も注目してくれました。たとえば,「『スポーツ的自立人間』のすすめ」(共同通信社・文化欄,10月/1978年)の原稿が日本の多くの地方紙に掲載されました。

 そんなわけで,一時の話題にはなりましたが,残念なことに,いつのまにか消え去ってしまいました。いま,思えば,このときにもっと大きな運動に展開しておくべきだった,と悔やまれてなりません。それは,きちんとした報告書にまとめて世に訴えるということをしなかった日本体育学会の責任でもあります。

 そんな悔しさとともに,いまごろになって,わたしの記憶が蘇ってきたという次第です。

 ものごとに速い・遅いはありません。気づいたときが吉日。

 いまこそ,スポーツ界を挙げて「スポーツ的自立人間」の育成をめざすべきではないでしょうか。

 体罰批判も大事ですが,それに代わるべき新しい指導理念をもたないことには,現場は混乱するばかりです。上手にすること,強い選手を育成することも大事ですが,それ以前に,まずはひとりの人間として「自立」することが不可欠です。それでないと,遠い将来を見据えた立派なアスリートは育ちません。「スポーツ的に自立すること」,そのことのために指導者たちは創意工夫を重ね(マニュアル的なワンパターンではないということ),その実績を積み上げていくこと。これしか体罰地獄から脱出する手だてはない,とわたしは考えています。そして,スポーツの未来もない,と考えています。一人ひとりが自立して,それぞれのスポーツ・ライフをエンジョイできるようになること,これがわたしの考える「スポーツ的自立人間」の,ひとつのモデルです。

 長くなっていますので,この稿はひとまずここまで。いずれ,このつづきを書いてみたいと思っています。

1 件のコメント:

竹村匡弥 さんのコメント...

やらされる体育、やらされる部活。。。
ついでに、やらされる勉強。。。
やらされる「あるべき自分」。。。

だいぶ後になって、「気づき」始めたんだに。。。
そんときは、もう、手遅れだっただによぉ。。。

いや、思いたったが、吉日なんだにね。。。