2013年3月13日水曜日

春の嵐が吹きまくる。ニッポン国の未来への警告か。

 3月10日(日)の煙霧にはじまり,東京はこのところ春の嵐が吹きまくっている。今日(13日)もまた,朝から猛烈な突風が吹いている。風に向って歩くと押し戻されてしまう。後ろから吹かれると走らされてしまう。春に嵐はつきものとはいえ,いささか異常な吹き方ではある。

 こころなしか,15日にはTPPへの参加表明をする予定の安倍君への「はなむけ」の煙霧ではないか,と勘繰ってしまう。それだけではない。尖閣問題から竹島問題もふくめて,もっとも仲良くしなくてはならない燐国を敵にまわすような政策に猛進するニッポン国の,未来への警告ではないか,とすら思えてくる。

 いよいよもって救いようのない方向にひた走るニッポン国。この危機的な情況に,「思考停止」し,「自発的隷従」に慣れっこになってしまったニッポン国民は,なんの危機意識もないらしい。だから,現政権に70%もの支持率を与えてしまう。この体たらく。安倍君はますますその気になってしまう。戦争に行けと言われれば行きますよ,という若者も少なくないと聞く。幼少期に恐ろしい戦争を経験した者としては理解不能である。

 政権にべったりのメディアも,このところ連日のように「復興情報」を取り上げている。まるで,もののけに取りつかれたかのように。しかし,よくよく観察してみると,「復興」という問題の本質的な部分はうまく忌避しながら,みんな元気に頑張っている人びとの生活ぶりを追うものが多い。つまり,「情報」として取り扱いやすいものばかりが浮き彫りになっている。しかし,大事なのは,「情報」にもなりえないような,闇から闇へと葬り去られてしまうような,「復興」の陰の部分に,いかにして救いの手を差し伸べていけばいいのか,ということをみんなで共有することではないか。

 この数日間の,突然に襲ってきた「復興」情報の乱舞もまた,わたしには「春の嵐」にみえてくる。ふだんは,ほとんど「復興」情報など扱わないのに,新聞もテレビも「復興」情報で満載である。こうして,ニッポン国の国民の意識が「復興」情報に取り込まれている間隙を縫うかのようにして,「TPP」参加表明ときた。まるで絵に描いたような戦略ではないか。しかも,安倍君は「時間がない」という。なんのための?

 いま参加表明したとしても,3年前から参加した国々によってすでに決まっている取り決め内容については,3カ月後でないと開示されないという。新聞によれば「7月」にならないと,その内容を知ることはなきないという。しかも,すでに決まってしまっている内容については,一切の変更は認められない,という。つまり,なにが決まっているかもわからない条約に,眼を瞑って,参加表明をし,さらに3カ月,じっと待つのだという。

 これでは,条約の内容をなにも知らないまま「めくら判」を押すのと同じではないか。身もこころも丸投げにして,みなさんの取り決められたことに同意します,とまあこんなことをニッポン国はいまやろうとしているのだ。からだは売ってもこころは売らない,最低限の「みさお」さえ放棄して。それはないだろう,と春の嵐が吹きまくる。わたしには,そんな天の声に聞こえる。

 ニッポン国の未来によくない予兆としての春の嵐。煙霧。

 不意に,ちあきなおみの名曲「喝采」という歌が聞こえてくる。「あれは3年前,止めるあなた駅に残し,動きはじめた汽車にひとり飛び乗った・・・・」。その3年後に「あなた」からとどいた手紙は「黒い縁取りがありました・・・・」。

 こんな嵐にも負けずに自然界はいつものように粛々とことを運んでいく。鷺沼駅前のロータリーのなかに立つ白いモクレンが満開である。カメラをとり出して構えていたら,通行人の見知らぬ人が近寄ってきて携帯で撮影をはじめた。一声,二声,ことばを交わした。なぜか,その人は「ありがとうございます」と言って去って行った。一瞬,さわやかな春風が吹いたように思った。


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