2013年3月23日土曜日

ウチナンチュがヤマトンチュを見限る日も遠くない。辺野古埋め立て申請。

 沖縄のすべての県・市・町・村長が辺野古埋め立てに反対を表明していて,沖縄県民もこれを支持し,これまでに例をみないほどの結束を固め,島民の圧倒的多数が完全な「一枚岩」になっていることを,ヤマトを代表する安倍政権はなんと心得ているのだろうか。安倍政権は,そのウチナンチュの強い意思を,まったく無視するような暴挙にでた。それが「辺野古埋め立て申請」だ。ウチナンチュを説得する努力もせずに・・・。まさに,民主主義を踏みにじる暴挙としかいいようがない。

 この暴挙は,自民党憲法改正(<改悪>)草案を前倒しにして,強行突破をはかろうという典型的な事例,とわたしにはみえる。その草案によれば,主権は国民にはなく,国家にある,と声高らかに謳っている。つまり,国民の意志を問う必要などはなく,政権与党の思いのままになる,と書いてある。その悪夢のような憲法改正(<改悪>草案が前倒しになって,いま,目の前に繰り広げられている。なんと破廉恥なことか。

 圧倒的な不平等条約にも等しい「日米地位協定」なるものに,ウチナンチュはこれまでどれほど泣かされてきたことか。ウチナンチュにとっての「戦後」処理はまだ終わってはいないのである。にもかかわらず,ウチナンチュが「屈辱の日」と受け止めている「主権回復の日」を政府式典として4月に開催することを,安倍政権は決めている。ウチナンチュの神経を逆撫でするようなことを平気で決定しておいて,それに追い打ちをかけるかのように「辺野古埋め立て申請」である。安倍政権には人間の「血」が流れているとは思えない。独裁者ヒトラーの再来である。

 安倍政権による「辺野古埋め立て申請」をアメリカは大歓迎だという。そして,米軍普天間飛行場を辺野古に移し,嘉手納基地以南の米軍施設・区域の返還・統合という安倍首相の要望に応えるべく努力するという。

 ウチナンチュの希望は,あくまでも,米軍基地の県外移設だ。もう,これ以上の基地負担はごめんだ,と。72年に「本土並み」を条件に本土復帰をはたしたが,長年の夢であった「本土並み」もみごとに裏切られてしまった。米軍基地はそのまま据え置かれ,なんの進展もみなかった。それから40年。その前の27年間も含めれば,敗戦後の67年間にわたって米軍基地の負担を背負わされてきたのだ。その基地を県外に移転することは,ウチナンチュの67年もの長きにわたって夢見てきた,本土復帰の最終ゴールだ。

 もはや,ヤマトは頼りにならない。それどころか,ヤマトはアメリカの肩代わりをして,アメリカの喜ぶことを先取りして,強行突破をはかろうというのである。いまや,ヤマトはアメリカ以上に恐ろしい存在になりつつある。ヤマトとはそういうところであったか,と。

 こちらのメディアはほとんど取り上げないが,すでに,相当数のウチナンチュがヤマトンチュを見限る行動にでている,という。『琉球新報』や『沖縄タイムス』では,しばしば,この問題が大きく取り上げられ,多くの若者たちの関心を引いている。もはや,ヤマトには頼らない。自分たち独自の生き残りの道を模索していこう,という主張をかかげる若者たちが急増していると聞く。

 辺野古埋め立て申請にたいして「諾・否」の結論を出すのは仲井真知事の権限だ。結論を出すまでに,8~10カ月かかると言われいる。仲井真県知事の「諾」が得られないかぎり,辺野古を埋め立てることはできない。政府は年内妥結を目指す。しかし,そうは問屋が卸さない。

 これから年末に向けて沖縄は正念場を迎える。島民にとっては,避けてとおることのできない熱い夏の闘いがはじまる。

 わたしたちも,もはや,傍観しているときではない。反原発があり,大震災からの復興があり,それ以上に良心の呵責なしには済まされない沖縄の米軍基地「県外移設」の悲願がある。こんな大事なときに,わざわざ尖閣諸島に火を点けた大馬鹿者がいる(実効支配をつづけているだけでよかったのに)。そこに便乗して,一気にナショナリズムを煽り,憲法を改悪して軍隊までもとうと,まっしぐらに走る安倍政権がある。

 わたしたちは,いま,ほんとうに重大な危機に直面しているのだ。これは笑い事ではない。みんな顔色を変えて,真剣に,考えなくてはならない一大事なのだ。しかし,その自覚に欠ける人が多すぎる。

 トップ・アスリートたちも,そのなかに入って唯々諾々としている。まさに,「思考停止」状態だ。一刻も早く,そこから脱出して,まずは,ひとりの人間として自立し,いま,なにをなすべきかを考え,判断し,行動を起こしてほしい。スポーツマンらしく,スポーツマンシップに則り,正々堂々と発言し,行動してほしい。そういうトップ・アスリートが続々と誕生するとき,日本のスポーツ文化も,ようやく一人立ちし,国際社会に認められるようになるだろう。

 道は遠く険しい。しかし,最初の第一歩を踏みだすのは,「いま」しかないだろう。
 ウチナンチュに基地負担をさせておいて,スポーツで<気晴らし>をしているとしたら,それこそパスカルのいう「不幸」のはじまりである。

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