2013年4月23日火曜日

桜井市・出雲・「ダンノダイラ」・覚書・その1.三輪山は明治初期までお寺だった?

 4月21日(日)の午後,「ダンノダイラ」を目指す。案内人は地元の竹村さん(河童研究者)。すでに,一度,「ダンノダイラ」の入り口ちかくまで行ったことがあるという。「ダンノダイラ」は巻向山の頂上付近にある。ここは,桜井市・出雲の人びとにとっては,むかしからの聖地。その東端には巨岩が剥き出しになっていて,ここがむかしからの磐座信仰のシンボル。このことについては,また,のちほど詳しく述べることにして,今回は,その前段についてのメモを紹介しておこう。



  相撲神社や兵主神社を表敬訪問したあと(奈良に住んでいたころ,何回もきたことがある),三輪山の裏側に当たる位置の奥不動寺に向かう。「ダンノダイラ」に行くには,桜井市出雲,あるいは,白河の集落から北上するルートと,この奥不動寺から南下するルートの二つがある。

 奥不動寺は,こんな山深いところに(一本道の突き当たり),こんな立派な寺があるとは信じられないほどの構えと雰囲気をもっている。「南無不動明王」と書かれた赤い幟旗が両側に並ぶ石段を登っていくと,右手奥に本堂,左手に庫裏,右手手前に修行僧のための道場がある。真ん中の参道をとおって本堂の前に立つ。これから「ダンノダイラ」に参りますので,よろしく,というご挨拶のつもりでお賽銭を投げ,祈りを捧げる。と,突然,正面の引き戸が開いて,老僧がにっこりと微笑んで,こちらをみている。



  「ようこそお参りくださいました。どうぞお上がりください」という。「いやいや,わたしたちはこれからダンノダイラに参りますので,ここで・・・・」と断ったのだが,「わたしは耳が遠くてよく聞こえません」という。そこで,老僧は本堂の階段を降りてきますので,わたしたちも近づいて立ち話をすることになる。そうしたら,不動さんを祀る寺としては日本最古の寺だ,という。だから,お堂のなかも見ていきなさい,という。

 「えっ,そうなんですか?」ということになり,いつのまにか堂のなかに。老僧は黙って御本尊さまをはじめ,脇仏さんの前に立つろうそくに一つひとつ灯を点けてまわっている。あれあれ,えらいことになってきたと思いながら,引くに引けず,お堂のなかをあちこちきょろきょろ。祭壇の手前は一段低くなっていて,木魚がたくさん横一列に並んでいる。その手前にざぶとんが布いてある。老僧がろうそくの灯をつけ終るのを待つ。

 そこから老僧のお話がはじまり,ついでに方丈まで案内される。その間に,わたしの知識からは信じられないような,びっくりする話をいくつかなさる。そのうちのいくつかを「聞き書き」として紹介しておこうと思う。

 老僧は92歳だという。とても,そんな年齢にはみえない若々しい顔で,なによりまなざしが優しい。ついつい,話に引き込まれていく。そのびっくり仰天の話をひとつ。

 三輪山(老僧は「みわさん」と呼ぶ)は,明治の初期まで,全部寺でした。明治の廃仏毀釈のあと,寺はことごとく取り壊され,その代わりにいまの大神神社(おおみわじんじゃ・大神とは大三輪の含意か)が建てられました。もともと古くからの磐座信仰があり(三輪山の頂上に磐座があることはよく知られているとおり),このあたり一帯は聖域でした。もともとが,素朴な磐座信仰ですから,社殿はなにもなかったはずです。そこに仏教が伝来して,この聖域に寺がたくさん建てられました。そして,たちまちにして,全国から多くの修行僧が集まってきて修行をするようになりました。この奥不動寺もその一部でした。

 ですが,江戸末期になると,仏教が頽廃し,寺も荒れ放題で,ほとんどの寺が無住の状態で放置されていました。この奥不動寺も無住の寺でした。そこに,わたしの祖母に当たる人が法華寺から派遣されて,20歳の若さで,たったひとりでこの寺を守ることになりました。つまり,庵主(あんじゅ)さんとして住みつきました。が,若い女ひとりでは・・・・というので,のちに結婚をして,わたしが居るというわけです。(僧侶の結婚が認められるのは明治のはじめの話。わたしの母方の祖母も庵主さんでしたが,その解禁のお蔭で,わたしが存在します)。

 奈良の法華寺といえば,皇室直属の寺で,いわゆるふつうの寺とは別格です。しかも,尼僧さんが住職をつとめることになっていますので,代々,庵主さんが住職をつとめています。そこから,この奥不動寺に派遣されてきた20歳の尼僧さんとは,いったい,どういう人だったのか,といまになってあれこれ想像しています。あの老僧のにこやかな笑顔は,やはり,ふつうではありませんでした。どこか,飄々とした風が吹いていました。

 もし,この92歳の老僧の語ることがほんとうだとしたら,20歳の庵主さんが,ここに住みついたのは廃仏毀釈の前ではないか,とこれはわたしの推測です。わたしの父が生まれたのが明治37年。わたしの父の父,すなわち,祖父は無住の空き寺に住みついて,住職となり,結婚します。相当の晩婚だったと聴いていますので,明治以前の生まれだと思います。その孫であるわたしが75歳。この老僧は92歳。だとすれば,老僧の祖母は,間違いなく明治以前に生まれているはずです。その祖母の記憶にもとづく伝承が,この老僧の口から語られているとしたら,大神神社とはいったい,だれが,いかなる目的で,いかなる使命を帯びて建造することになったのか,という大きな謎がそこに生まれてきます。

 わたしの記憶違いでなければ,三輪山をご神体とする磐座信仰にはむかしから社殿はなかったはずで,大神神社の社殿ができたのは比較的新しい,ということになります。しかし,それが明治の廃仏毀釈のあとのことだとは,考えてもいませんでした。ここのところは,いま,このブログを書きながら思い至る不思議ですので,これからたしかなところを調べてみたいと思います。

 となりますと,三輪山をご神体とする大神神社の祭神がオオクニヌシである,という事実に新たな疑問が生まれ,どこか謎めいてきます。これまで,国譲りをして,出雲に封じ籠められているはずのオオクニヌシが,なぜ,この三輪山の大神神社の祭神として祀られているのか,考えつづけてきました。その謎を解いてくれる著書も,管見ながら,わたしは知りません。が,こんどはまた新たに,とんでもなく大きな課題を与えられたように思います。つまり,オオクニヌシの復活です。

 このこと(大神神社のオオクニヌシ)と,「ダンノダイラ」と,ここを聖地としていまも守りつづけている桜井市出雲の人びととの関係は,いったい,どうなっているのか,知りたいことが芋ずる式にふくらんでいきます。これから忙しくなりそうです。


  というわけで,桜井市・出雲・「ダンノダイラ」・覚書・その1.を終わりにします。

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