2013年6月26日水曜日

日本は尖閣諸島を国有化したときから戦時体制に入ったのか。河野洋平親子,鳩山由紀夫,野中広務は国賊?恐るべき言論統制。

  日本はとうとう戦時体制に入ってしまったかのようにみえる。それもひとり芝居の結果として。つまり,尖閣諸島は日本国の固有の領土であると一方的に「国有化」宣言をしたことによって。当然のことながら,中国は黙ってはいない。毎日のように,「領海侵犯」(これもまた日本国の一方的な言い分)をくり返すことによって,中国はわれわれにも領有権を主張する根拠があるとして,みずからの意思を表明する。こうした一触即発の緊張状態を招来したのは,ほかならぬ日本国だ。

 1972年の「日中友好平和条約」締結時のいきさつを想起すべし。ここに書き記すまでもなく,田中角栄とトショウヘイの間で話し合った結果,尖閣諸島の領有権については「棚上げ」,ただし,日本による「実行支配」は認める,というところで妥結した。そして,領有権については,いつか平和的に話し合い,解決できるときがくるだろう。それまで「棚上げ」にしておこう,と。中国側のこの「おとな的」態度表明によって,念願の「日中友好平和条約」を締結するところまでこぎつけることができたのである。

 しかも,40年もの長きにわたって,両国はこの了解事項(「棚上げ論」)のもとで「友好親善」を保ってきた。そして,日中両国による「40周年記念式典」まで準備されていた。その矢先に,突如として豹変したのは日本国である。しかも,なんの「予告」も「話し合い」もなしに,突然だしぬけに,「棚上げ論」を破棄して,一方的に「固有の領土」宣言をしたのだ。これでは中国は黙って見過ごすわけにはいかないだろう。

 このことを鳩山由紀夫は「だまし取ったも同然」と発言したまでのことだ。すると,政府はもとより,メディアもこぞって,もちろんネトウヨも,声を揃えて鳩山由紀夫を「国賊」扱いにする。鳩山由紀夫はまことに素直に,みずから信ずる考えを述べたにすぎない。しかも,この発言は正鵠を射ている。あまりにもほんとうのことを正直に言ってしまうと,とたんに「国賊」扱いにされてしまう。鳩山由紀夫が「国賊」なら,このわたしも「国賊」だ,というブログを以前にも書いている。

 「国賊」扱いには参る。このことに怯えている人はたくさん居るはず。まずは,政治家たちだ。河野洋平・太郎,野中広務のような勇気ある立派な政治家を除けば,あとは,みんな「だんまり」を決め込み,野田,安倍の主張する超党派の「固有の領土」論に追随するのみだ。

 しかし,長老と呼ばれる政治家たちは1972年の条約締結当時のいきさつを,よもや忘れてはいまい。そして,いま,現役の政治家の多くは,その当時,だれかの秘書として政治家を目指していたはずだ。だから,その当時のいきさつを知らないはずはない。なのに,みんな「だんまり」を決め込んでいる。無責任。良心のかけらもない。長いものには巻かれろ族。「国賊」とはこういう人たちのことを指すことばのはず。

 なのに,財界・官僚はいうまでもない。メディアも同じ。頼みの学界もトーン・ダウンして,みんな「右へならえ」だ。こうなると,すべての情報は,政府見解の思いのままとなる。その結果,圧倒的多数の国民は,尖閣諸島は日本固有の領土だと信じて疑わなくなる。ここから大きな悲劇がはじまる。

 「物言えば唇寒し,秋の風」。これでは,まさに,言論統制そのものではないか。

 実行支配を維持していれば,いずれは固有の領土となる。これは国際法のルールでもある。なのに,わざわざ,「日中友好平和条約40周年」(昨年)のこの時期に,「棚上げ論」などはなかった嘯き,固有の領土論をぶち上げなくてはならなかったのか。そのために,どれほどの「国益」を失ったことか。そして,これからも「棚上げ論」に戻らないかぎり,半永久的に尖閣諸島をめぐって日中は「戦時体制」を維持しなければならない。こんな無駄な,国益に反することを,なぜ,いま,しなければならなかったのか,わかりやすく説明してほしい。

 できることなら,『世界』のような雑誌に実名で投稿してほしい。そして,そこを舞台にして,お互いに実名で,みずからの信ずるところを開陳し,大論争を繰り広げてほしい。そういうこともしないで,ただ,メディアを使って「国賊」呼ばわりして,切って捨てるようなやり方は,じつにアンフェアだ。正々堂々と,公明正大に,議論しようではないか。

 少なくとも河野洋平は,いちはやく,『世界』にみずからの信ずるところを,すなわち「棚上げ論」があったことを述べ,ここに立ち戻るべきだ,と主張している。が,これに対して,異を唱える論考を『世界』に投じた政治家は,わたしの知るかぎりひとりもいない。こちらもまた「無視」である。これがアベノミクスのやり口だ。自分の都合の悪いところは高圧的に蓋をして,都合のいいことだけを言挙げする。そして,世論を動かそうと企んでいる。

 しかし,そうは問屋は卸さない,とわたしは信じている。アベノミクスが破綻するのは,もう目の前にきている・・・・これはわたしの直観である。そのあとにくるのは,ふたたびの「腹痛」。政権「投げ出し」。それが非現実的な話ではないところが怖い。自民党のなかでは,すでに,次期首相候補がとりざたされている,という。

 このブログのまとめ。戦時体制からの脱却=言論統制の撤廃,すなわち,「棚上げ論」に立ち返ること。これあるのみ。これなしに日中に友好・平和は訪れない。間違っても,河野洋平・太郎,野中広務,鳩山由紀夫を「国賊」呼ばわりをしてはいけない。「国賊」呼ばわりする人間こそが「国賊」だ,と知るべし。

1 件のコメント:

柴田晴廣 さんのコメント...

 ここのところのニュースを見ていると、寄らば大樹の陰というのでしょうか、長いものには巻かれろというのでしょうか、「政府見解」と異なるものは国益に反するとの論調が多いように思います。
 たとえば、支那竹―メンマという言葉がありますが、下記のページには、「昭和21年6月21日に外務省が、「『支那』は中国の蔑称なので、使用は極力避けるように」という発表」をしたとあります。
 http://zatugakuouji.seesaa.net/article/46646415.html
 その後、この外務省の見解が取り消された等という話は聞きませんから、これはいまでも日本政府の見解ということになります。とすれば「支那」という言葉を好んで使い、そもそも尖閣という寝た子を起こし、貿易等で実際に多大な損害を与えた者こそ、国賊といえるでしょう。
 この御仁、日本の外務省が蔑称だという「支那」を使いながら、漢籍『詩経』「大雅・文王篇」の一節である「周雖旧邦 其命維新(周は旧邦なりといえども、その命これ新たなり)」から採った「維新の会」の共同代表におさまっています。
 尊王などというのも朱子学由来ですが、わが国のethnocentrism的傾向のある者っていうのは、わけがわかりません。
 「戦わずして勝」が兵法の奥義、挑発行為を繰り返し、わざわざ波風を立てる輩に外交など語る資格はないんですがね。
 どうも国益という言葉、主権たる民の利益はどうでもよく、既得団体の利益のことを言っているようですね。