2013年8月11日日曜日

大和一宮・大神神社のご神体・三輪山に登る。全国各地で40℃を超える猛暑日の10日。(出雲幻視考・その7.)

 前回のブログに書きましたように,8月8日から10日までの三日間,鳥見長髄彦の事跡をたどるフィールド・ワークに行ってきました。その最後のプログラムであった三輪山山頂の磐座を確認する登山の報告から,このブログを再開したいとおもいます。

 大和平野の東南端に位置する三輪山はむかしの修行僧が被った編笠を伏せた形の,どっしりとした落ち着いた山です。この三輪山をご神体とする大神(おおみわ)神社には,立派な拝殿がありますので,ここが祭神(オオモノヌシ)を祀る社殿だと勘違いする人が多いのですが,じつはそうではありません。いわゆる社殿を建ててご神体を祀る,わたしたちになじみの神社信仰が成立する以前の,自然存在である磐座そのものに神を感じ取り,磐座そのものに祈りをささげる,古い信仰形態が大神神社のはじまりですので,ご神体は三輪山の頂上にある磐座です。

 言ってしまえば,大和朝廷が成立するはるか以前から,この土地に住む人びとの信仰のシンボルが三輪山であり,その遥拝所が大神神社だった,という次第です。もっと厳密に言ってしまえば,大神神社も,祭神をオオモノヌシ(大物主)と定めて,拝殿を建てたときから,はじまります。それ以前は,三輪山そのものに向かって祈りをささげていたはずです。それは,どこからでも,三輪山の方向に向かって祈りをささげればそれでよかったはずです。その信仰形態のもっとも原初のものは,おそらくは三輪山の山頂にあるひとかたまりの磐座の前にぬかづき,祈りをささげたものだ,とわたしは考えています。

 ですから,今回の三輪山登山は,磐座信仰の原初の形態を,現代に生きるわたしのからだをとおして体験してみようというこころみでした。

 8月10日(土)午前11時,登山開始。登山口からつづら折れになった急坂がつづきます。三輪山は遠くから眺めると滑らかな曲線を描く,やさしい雰囲気の山ですが,山に入って歩きはじめてみますと急坂つづきの,なかなか厳しい山道ばかりです。いわゆる尾根筋をたどるようにして登山道はつけられていますが,その尾根がいくつもの尾根にこまかく枝分かれしていて,それぞれの沢は足元から一気に谷底に崩れ落ちていくような,きわめて急峻そのものの沢筋です。おそらく,この沢に登山道をつけることはほとんど不可能と思われるほどの急峻さです。

 ですから,尾根筋の登山道も,杭と丸太を多用して,一歩ずつ階段を登るようにステップが規制されています。そこから数歩横に入れば,そこはもう急峻な沢筋で谷底に一直線です。ですから,わたしたちはいやでも指定された登山道とそのステップを刻むしかありません。逆に言えば,この階段を登るからこそ,いわゆる素人の人(いわゆる一般の観光客)でも三輪山登山は可能となります。もし,この参道が整備されていなかったら,相当の登山の経験のある,つまり,登山技術をもった人でなければ登れない,そういう険しい山だということです。

 ですから,むかしの信仰登山の時代には,参道がこんなに丁寧に整備されてはいなかったはずですので,そうとうに修練をつんだ行者か,あるいは,ベテランの先達に導かれる信仰集団でなければ,この三輪山の山頂の磐座を眼前にして祈ることはできなかっただろうとおもいます。その点,いまの参道はみごとな整備のされ方をしていて,感動すら覚えました。が,多少とも登山に通暁している者からすれば,これほどまでに人工の手を加えないで,できるだけ自然の地形を残しておいて,一人ひとりが歩を運ぶ道筋を選びながら山を登る楽しみをのこしておいてほしい,とこれはないものねだりです。ごくごく歩行が難しくなるところだけに,救いの手をさしのべる,その程度でもいいのではないか,と考えたりしました。

 しかし,いまでは,500円の入山料をとって,営業しているわけですので,だれでも容易に,安全に登下山できるようにする必要があるのでしょう。(富士山の入山料のことが,ちらりと脳裏をかすめていきました)。

 磐座については,写真撮影禁止になっていますので,残念ながらその姿はわたしの脳裏に残っているだけです。登山の途中でいろいろ気づいたことですが,磐座には辺津磐座,中津磐座,奥津磐座というように三種類の磐座があるということです。大神神社から登山口のある狭井(さい)神社の参道あたりにある磐座は辺津(へっつ)磐座と呼ばれているようです。そして,三輪山の中腹あたりにかたまってみえている磐座を中津磐座と呼び,山頂の磐座を奥津磐座と,それぞれの案内板をみると書いてありました。

 これらの磐座をみるかぎりでは,この三輪山につづく尾根のさきにある巻向山の周辺にみられる磐座の方がはるかに迫力があって,仰ぎみる人を圧倒する力をもっています。三輪山山頂から健脚なら30分も歩けば,その地に立つことができます。しかし,三輪山の奥津磐座の,その奥へ進む山道には縄が掛けてあって侵入禁止となっていました。

 これは,まったくのわたしの推測にすぎませんが,古代の磐座信仰の古い形態は,三輪山から入山して,辺津,中津,奥津の磐座を拝み,そして,さらにダンノダイラ周辺にある巨大な磐座を順番に拝し,最後に驚くべき迫力をもった超巨大な磐座を仰ぎみながら,特別の祭祀を行っていたのではないか,それも何泊も野宿をしながら謳い・踊りをささげていたのではなかったか,と。しかも,そこから最短距離のふもとの集落が「出雲」です。ここに住む人たちにとってはダンノダイラは特別の聖地だと聞いています。そして,いまでも特別の祭祀を行っているとも聞いています。ちなみに,この集落には「十二柱神社」が祀られています。

 三輪山の磐座信仰は,どうやら,とてつもなく奥の深いものだったのでは・・・・とわたしは「幻視」しています。この仮説は,蛇,竜神,水の信仰とも深く結びついていて,わたしの「幻視」はますます楽しさがいや増すばかり,という次第です。

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