2013年8月24日土曜日

太極拳の稽古のときの音楽はゆっくりめのものがいい(李自力老師語録・その34.)

 太極拳の表演のときの音楽は,24式の場合には5分30秒前後のものを使います。速からず,遅からず,音楽に気持ちをのせて心地よく表演するにはちょうどいい長さです。つまり,24式を表演するには最適の長さだということです。

 しかし,稽古のときにはもう少しだけゆっくりとした音楽がいいのです。なぜなら,動きの溜めを身につける上で役立つからです。この「溜め」を説明するのはとてもむつかしいことなのですが,簡単に言ってしまえば,もう一つ間をとるということです。この「間」が武術にとってはとても大事なことなのです。武術ですから,必ず相手がいます。その相手との呼吸をいかにはぐらかしつつ,みずからの呼吸で相手と対峙するかが要となります。そのときには「溜め」のある方が有利です。つまり,「後の先」をとることができるからです。

 別の言い方をすれば,いつでも,いかようにも動くことができるけれども,さらに,もう一呼吸遅く動くことができるようになると,わざがさらに冴えてきます。これは相手を想定した実戦のための理屈です。もっと言ってしまえば,ゆっくり動くには,からだもさることながらこころの余裕がなくてはなりません。ここが最大のポイントとなります。

 ところで,ゆっくり動くとはどういうことなのでしょうか。ひとことで言ってしまえば,ひとつの動作をどこまで分節化してからだを動かすことができるか,ということになります。つまり,ひとつの動作をまねごとのように動くのと,それをきちんと分節化して,自分のからだに叩き込んでいるか,という違いの問題になります。

 たとえば,24式の最初の動作。右足に体重を乗せて,ゆっくりと左足を浮かせ,ゆっくりと肩幅分だけ一歩左側に踏みだします。そして,ゆっくりと左足に加重していきます。そして,左右両足に均等に体重が乗ったときにゆっくりと両腕を挙げていきます。

 こんな動作は,一目みれば,だれでも真似ごとの動きはできます。しかし,右足に加重しながら大地から気を吸い上げ,股関節をとおして左足にその気を伝えながら,左足に加重し,その左足をとおして大地に気を送り込むとなると,そんなに簡単なことではありません。そのためには,この簡単な動作をどこまでこまかく分節化できているかどうかが問われます。その分節化が細分化されればされるほど,相手に対してスキをみせることがなくなります。そこに気の流れが生まれ,どっしりとした迫力のある動きが生まれます。

 動作を安定させるということはこういうことです。どっしりとした力強い動作は,どこまでも分節化された研ぎ澄まされた動きから生まれます。

 この分節化した動きを身につけるには,ゆっくりとした音楽の助けが必要になります。つまり,分節化がうまくできていない場合には,音楽よりも動作がさきに進んでしまって,間がもてなくなってしまいます。この間を分節化した動作で楽しむこと。これが太極拳の極意のひとつでもあります。それが意のままにできるようになってきますと,そのうちに自分でもわからない「オヤッ?」という動作が生まれ出てきます。つまり,自分の意志を超えた,もっとも自然で,無駄のない動きが立ち現れます。そのとき,ことばでは表現のしようもない快感がからだ全身を走ります。

 音楽をゆっくりめのものにして,動作もゆっくりとさせ,そこに身心をゆだねていくこと,そうするともう一つ別の次元の太極拳の地平がみえてきます。でも,そんなことをあまり意識すると,こんどは逆効果になってしまいます。ですから,なにもかも忘れて自然に動きはじめる自分のからだと向き合うことが重要です。ゆったりとした音楽にからだを合わせて稽古をしているうちに,自然に,その地平に飛び出すことができるものです。

 ですから,あまり考えないで,むしろ,なにも考えないで,からだにまかせて「快」の方向に身をまかせる,そんな感じでゆっくりとした動作の地平を楽しんでみてください。

 如是我聞。

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