2013年9月19日木曜日

オリンピックとマネーゲーム。その5.クーベルタンとサマランチの違い。

 クーベルタンは1896年から1924年までの28年間IOCの会長をつとめた。いっぽう,サマランチは1980年から2001年まで21年間会長をつとめた。この間,100年弱,つまり1世紀ほどのへだたりがある。が,それにしても,この両者の会長としての仕事ぶりはあまりにもかけ離れたものだった。その差を,ひとことで言うとすれば,マネーに関する考え方の,まったく対照的なほどの違いと言ってよいだろう。

 クーベルタンは会長として,オリンピックに関するほとんどすべての経費を,私財で充当していた。選ばれたIOC委員もまた会費を払って,委員としての活動を展開していた。つまり,まったくの私的なクラブとして出発したIOCにとっては,それはごく当たり前のことだった。クーベルタンは,そのために,フランス貴族の一員として継承した莫大な遺産を使いはたし,最後は破産宣告までされてしまったという。それに対して,サマランチは,会長就任から退任するまでの21年間,スイスのIOC本部に近いホテルのスイートルームで過ごしたという。その費用は年間約20万ドル。日本円に換算(当時のレートによる)して,約2300万円。これを日割りにしてみると,約6万3000円。この経費はすべてIOCが負担したという。

 この事実が示すように,クーベルタン時代には各IOC委員もまた委員としての活動費のすべてを自己負担していた。他方,サマランチ時代には,IOC委員の活動費はすべてIOCが支払うようになっていたという。クーベルタン時代にはIOC委員はわずかに15人(1894年,IOC設立当初)だったが,参加国の増加とともにIOC委員も増加し,サマランチが会長に就任した1980年には80人を超えていたという。にもかかわらず,サマランチはすべてのIOC委員の活動費をIOCが負担する方針を打ち出している。

 そのため,サマランチ時代には,IOCという組織を維持していくために莫大な経費を必要とするようになっていた。そのための費用を賄うためという大義名分を背景にして,サマランチはマネーゲームに強い関心を示しはじめた,と言っていいだろう。折も折,1984年のロサンゼルス大会ではP.ユベロスの登場によって,オリンピックの金融化が一気に進展していく。そして,オリンピックは大きな黒字を出す一大スポーツ・イベントへと変身した。オリンピックの金融化の主役を演じたのが,TOP(The Olympic Partner:オリンピック公式スポンサー)とテレビ放映権であった。この金融化にともなって生まれてくる旨味を,サマランチは,つぎつぎにIOCの傘下に収め,莫大な利益を手に入れることに成功する。

 のみならず,サマランチは,スポーツマーケッティング会社「ISL(International Sports Culture & Leisure Marketing AG)」に委託していた各国オリンピック委員会との交渉や企業への権利の販売を,IOCの手で直接行えるようにするための組織改革を行っている。そして,ついに,マーケティングの専門家をIOCの組織に招き入れ,マーケティング局長に任命した。こうして,とうとうIOCは本格的なマネーゲームに参入することになる。

 その結果というべきか,こんにちでは,IOC委員が本部のあるローザンヌに会議のために出席するときには,飛行機はファーストクラス,ホテルの宿泊費,飲食費はもとより,日当(日本円にして一日約1万3500円)までつくという。

 しかも,IOCはもともとクーベルタンを中心とするヨーロッパの貴族たちが集まって結成した特権的な私的クラブであった。だから,外部のいかなる団体や個人からも影響されることなく,自分たちで意思決定をすることができた。そうした私的クラブの特権をどこまでも保持していたので,経理に関する決算報告書を公開する義務もなかった。だから,IOCがどのような財政運営をはかってきたのかは,その大半は闇のなかである。

 IOCが法人格を得たのは2000年になってからのことである。スイスの国会(連邦評議会)から法人格を認められ,一定の法的管理のもとに置かれることになった。それでも税制上の優遇措置を受け,国際的な非政府非営利団体として活動をいまも維持している。だから,いまもなお,IOCの財政に関する実態は,わたしたちの知ることのできない,闇のなかである。こういう組織が世界に君臨しているということ自体が,まことに不可解なことではある。

 それにしても,クーベルタン時代とサマランチ時代との,このあまりに大きな落差はなにを意味しているのか,わたしたちは一度はとくと考えてみる必要があろう。こういうテーマは,じつは,つぎからつぎへと湧いてくる,そういう不思議な団体,それがIOCという組織体なのだ,ということも銘記しておこう。

 ここに引き合いに出したデータの多くは,小川勝著『オリンピックと商業主義』(集英社新書)による。この著者はとても穏健な人らしく,わたしのような過激な批判は回避しつつ,冷静に問題提起をしている。オリンピックとマネーゲームについて考えるには,最近出た関連の本のなかでは抜群である。ここまでのブログを書くにあたって,とても参考になった。記して,感謝の意を表したい。同時に,みなさんにもご一読をお薦めしたい。

 まだまだ,オリンピックとマネーゲームについては書きたいことが山ほどあるが,ひとまず,ここで打ち切りとする。また,これからも折にふれ論じなくてはならない事態が起きてくることだろうと,これはわたしの予感のようなものである。そのときまで,このテーマはしばらくおあづけにしたい。

 とりあえず,今日のところはここまで。

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