2013年9月4日水曜日

五輪招致レースの怪。いったいなにを考えているのか。

 五輪招致レース,だって?五輪を招致するための「競争」が行われている。まるで,スポーツであるかのように。いったい,なにを考えているのだろうか。IOCも,そしてメディアも。さらには,それらの情報を手にして一喜一憂するわれわれ読者も。みんな狂ってしまうと,だれも狂っているとは思わなくなってしまう,そんな恐ろしい軛のなかに世界中がはまり込んでしまっている。

 2020年五輪開催都市の決定が間近になって,メディアが騒がしくなってきた。それも,どうでもいい情報ばかりがまことしやかに流れてくる。どこそこの都市はこういう長所と短所があるとか,こちらの都市はこうだ,とか。そして,その優劣を比較して,どこが優勢だの,横一線だのと,まるで競馬の予想のようなことをして騒いでいる。

 いったい,五輪招致レースなどという言い方をだれがはじめたのか。五輪招致運動を点数化して競争させるなどという馬鹿げたことをだれがはじめたのか。いかにも公明正大であるかに見せかけて,じつはまことに胡散臭い。身も蓋もない話だが,この背景にはだれかが得をする仕組みが隠されているに違いない。激しい「招致レース」を展開させて,美味しい汁を吸う人たちがいる。でなかったら,これほどまでにヒートアップしないはずだ。

 いよいよ大詰めを迎えて,五輪招致のための表舞台でのプレゼンテーションと裏舞台での裏取引とが,なりふりかまわず加熱している。日本はとうとう皇室まで担ぎだす始末。まあ,みっともないことこの上なしだ。五輪招致に日本の皇室はなんの関係もない。なのに,猪瀬知事は「これでいいお膳立てができた」と喜んでいる。アホか。

 こんなことは,五輪憲章をよく読めば明白なことだ。第一,五輪開催都市としての優劣を,数量化して客観的に判定する基準などというものはどこにもない。それをまるであるかのようにして,どこの都市の評価点が高いとか,低いとか騒ぎ立てること自体がナンセンスだ。

 五輪招致のための条件はいくつもあるだろう。既存の施設が多いとか,安全・安心とか,いい出したら発展途上国は永遠に開催都市として立候補することすらできなくなってしまう。その結果は,すでにそうなっているが,文明先進国の間でのたらい回しに終る。それでは五輪憲章の精神に反することになる。

 そうではなくて,できるだけ多くの都市を巡回していくことが理想なのだ。だとしたら,最低限,五輪を開催できる条件をクリアしていれば,どこの都市も名乗りを挙げることができるようにすべきではないか。今回の場合は,6月に公表したIOCの評価報告書によれば,いずれの都市も「質が高い」となっている。そして,招致レースはいまのところ「横一線」だとロイター通信は伝えている。ということは,すでに,どこの都市も五輪を開催する能力を持ち合わせていると判定されている,ということだ。だとしたら,どこの都市に決まっても文句はなかろう。すなわち,三都市ともに「合格」とし,あとは抽選で決めてもいいではないか。もし,どうしてもオリンピック・ムーブメントの精神にのっとって評価をくだしたいというのであれば,五輪を開催するための大義名分についてのみ議論すればいい。

 となれば,欧州とアジアの架け橋,イスラム圏初の五輪開催,の二つのスローガンをかかげるイスタンプールが断トツであることは,だれの眼にも明らかである。

 にもかかわらず,約100名といわれるIOCメンバーを,あの手この手で絡め捕った都市が招致レースに勝つことになる。こんな馬鹿げたことがずーっとつづいているのだ。そして,その愚についてだれも多くを語ろうとはしない。なぜなら,五輪仲良しクラブ(わたしが勝手につけた名前)に属していないと,カネになる情報が得られなくなるからだ。だから,その愚についてはだれもが承知していながら,黙視する。批評精神の欠落。この体質がIOCという組織を腐らせていく。

 だから,今回の投票で,イスタンブールに決定しないとしたら,もはや,オリンピック・ムーブメントに明日はない,とわたしは主張したい。大義名分を重んずるか,それとも私腹を肥やすことを重視するか,まことに泥臭い「五輪招致レース」がいま終盤を迎えている。

 東京都知事も,総理大臣も,五輪憲章の精神などはなんのその,東京に五輪を招致すればそれですべてめでたしめでたし,という能天気ぶりだ。そして,そのことの度はずれた狂いぶりについて,メディアもだんまりを決め込んでいる。愚の再生産。愚の連鎖。こんなことが大手を振って表通りをのし歩いている。もはや,救いようがない。

 断っておくが,このようなまともなことを考えている人はわたしの周囲にも少なくない。しかし,このような意見を取り上げようとするメディアが皆無だということだ。ここが断末魔を迎えつつある日本国の最大の恥部なのだ。なぜ,是々非々の議論をメディアをとおして展開しようとしないのか,ジャーナリズムの批判精神が死んでしまったのだ。情けないことに。

 9月7日(日本時間では8日早朝)まで,五輪招致をめぐる情報が乱れ飛ぶことだろう。それも,本質的な議論ではなく,表層を流れるどうでもいい情報だけが一人歩きをして。その動向をじっと見極めてみたい。愚のゆくすえを。


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