2013年10月25日金曜日

NHKの番組「子どもたちの心の声が聞こえますか?」の番組制作者に問いたい。「いじめ」ってなんだかわかっていますか。

 今日(25日)の午後7時30分のNHKテレビで「子どもたちの心の声が聞こえますか?」という番組が放映されました。ちょうど,夕食時だったので,ご覧になられた方も少なくないと思います。わたしは,番組の最初から最後まで,テレビ画面に向かって「吼え」つづけていました。

 「違う!」「そういう問題ではない!」「いじめの問題をいい・悪いの二項対立で片づけるな」「いじめは子どもの世界だけの問題ではない」「大人の世界のいじめはもっともっと深刻で悪質なんだ」「いじめる子どももいじめられる子どもも,みんな被害者なのだ」「加害者は大人たち全員なのだ」「教員の責任に矮小化するな」「無責任社会の縮図が子どもたちの世界に反映しているだけの話だ」「NHKの番組制作者たちはなにもわかってはいない」(わかっていないふりをしている?)「尾木ママを筆頭に,だれもいじめの本質がわかってはいない」「わかっている人間を出演させろ」「そういう人間はNHKにとって都合が悪いから,最初から排除しているだけではないか」「もっと本気で取り組め」「ほんとうのことを,きちんと言える人間に語らせろ」「もっと立場の違う人に意見を言わせてみろ」「世の中,みんな無責任」「都合の悪いことには口をつぐむ」「いじめられていても見て見ぬふりをする」「そう,見て見ぬふりをする,これが諸悪の根源だ」「そう,アベ君を筆頭に」

 「学校の先生を悪く言うな」「どれだけ多くの善良な先生たちがからだを張った努力のお蔭で,どれだけ多くの子どもたちが救われていることか」「それがなっかたら,学校現場はとっくのむかしに崩壊している」「それが,かろうじて学校現場が持ちこたえているのは,そういう先生たちの身を削る努力のお蔭なのだ」「こうやって学校を悪者にして,我関せず,という姿勢そのものこそが諸悪の根源だ」「そこに光を当てる番組もつくれ」「悪い担任の例を取り上げて,教育現場はこんなものだ,という印象を与えすぎるな」「アホな親はみんなそう思ってしまう」

 つづけて「親」の問題も書こうと思いましたが,もう,気分が悪くなってきて,これ以上のことを書き続ける自分に耐えられませんので,このあたりでやめておくことにします。もちろん,「親」の問題のつぎには・・・・,と連鎖はつづきます。あとは,ご想像におまかせします。

 結論は,「無責任」のひとこと。
 いみじくも,この番組を牛耳っていた尾木ママが,みずから発したことばにすべてが集約されているように思いましたので,それだけは書いておきましょう。

 「わたしは教育評論家ですから,教育現場にはなんの責任もありませんが,いや,かつては教育現場にいましたが,いまは外から眺めて問題の指摘をするだけなのですが・・・」

 これが世の中の「評論家」という肩書で仕事をしている人たちの実体です。つまり,問題の所在を「もっともらしく」(大勢の人に支持されるようなことがらを)指摘するだけで,自分では責任をとろうとはしません。他人事なのです。だから,評論家の言うことなど,その程度のものだと思って聞く必要があるのです。ですが,NHKの番組制作担当者たちは,そのことがわかっていないので(いやいや,責任逃れのために),「評論家」に語らせることによってこと足れり,としてしまいます。評論家という人たちは,そのほとんどが「無責任」ですから。

 そのほかの出演者もひどいものでした。それが,すべて,それぞれの「専門家」といわれる人びとなのですから・・・。ああ,もっとも,大沢あかねちゃんだけは3歳の子をもつ母親代表ということでしたが・・・・。この人の発言も,聞いていて恥ずかしかった。まあ,平均的母親なのでしょうが。それにしても,その他の「専門家」の発言はお粗末そのもの。それに輪をかけたのが「教育評論家」尾木ママの発言。

 その証拠に,「批評家」を名乗る人は世の中にきわめて少ないということを指摘しておきましょう。とりわけ,「教育批評家」を名乗る人を,管見ながら,わたしは知りません。批評家は,みずから発することばに責任をもちます。つまり,みずから発することばによってみずからをも責めつづけ,なんとかして解決の糸口を見出そうと全身全霊を傾けます。すなわち,みずからの「生き方」そのものを問い返しつつ,みずからの選りすぐりの,究極のことばを発しようと全力を傾けます。それは,単なる知的ゲームではありません。一人の生きる人間としての,丸裸の自分をさらけ出す営みでもあります。こういう「批評家」(もちろん,批評家のなかにもいい加減な人もいます)の声を聞きたい。こういう「教育批評家」の声を聞いてみたい。と,わたしは切望します。

 こういう人たちの声は,NHKにとってはまことに都合の悪い人たちの声なのです。なぜなら,歯に衣を着せずに,ほんとうのことを言いますから。「王様は裸だ」,と。「汚染水はコントロールされていません」,と。「東京五輪招致はお金で買ってきました」,と。

 こんなことを言う人は,いまでは「国賊」です。こころの底から国のためを思ってほんとうのことを言う人,すなわち,「国賊」です。そのうち,「特定秘密保護法」の対象となり,「特定危険人物」として犯罪者扱いの対象になります。国家のためになることを,本気で語り,行動すればするほど,犯罪者にさせられてしまいます。国のためにならないことを国民に内緒で「秘密」でする政治家の身を守るために。こんな悪法がまかりとおろうとしています。

 いささか短絡的に聞こえるかもしれませんが,「いじめの構造」を容認してきたわたしたちと「特定秘密保護法」を黙って「見過ごす」(見て見ぬふりをする)わたしたちとは同根です。

 NHKの今夜の番組も,一生懸命に「いじめ問題」に取り組んでいるふりをして,その実態は,ことの本質をはぐらかすことに大きな貢献をしているのと同じです。

 最後にひとこと。わたしがかかわってきたNHKの番組は,すべて,シナリオが用意されていて,わたしの話す内容まで事細かく決められていました。そして,リハーサルで確認してから本番です。わたしは本番では,ときおり,アドリブでセリフを変えたりしました。すると,その部分はほとんどカットされてしまいました。場合によっては,再度,そのカットだけ後日「撮り直し」をして編集されました。要するに「やらせ」です。

そんな,かつてのわたし自身の犯罪を反省しつつ,今夜の番組も見ていました。それでも,どうにも我慢できなくなって,テレビに向かって「吼え」まくるしかありませんでした。学級のなかで,いじめる子が,どこかに欲求不満を募らせていて,身近にいるおとなしそうな子にちょっかいを出す構造と,そっくりでした。テレビは,わたしがいくら「吼え」ても,黙って見過ごしてくれるから,言いたい放題です。だれも止めに入る人もいません。ですから,どんどんエスカレートしていきます。

 そして,とうとう,このブログをとおして「吼え」ることになってしまいました。そのうち,「特定秘密保護法」の対象となって,このブログが閉鎖されることになるかもしれません。わたしの親しい友人の一人は,まず,間違いなく検察の「要注意者」のリストには載っているでしょうね,と言っています。まさか,こんな腰抜けのブログなんか・・・とわたしは笑っています。が,「特定秘密保護法」が成立するとなると,ことはおだやかではなくなります。

 ほんとうの意味での「批評家」に一歩でも,二歩でも近づきたい,その一心でこのブログを書いているだけだ,というのに・・・・。「ほんとうに思っていることを口に出してはいけない」,それがいま子どもたちの世界を覆っている不文律である,ということをNHKの番組制作担当者たちはご存じのはずなのに・・・・。だって,番組制作担当者のあなたたちもまた「ほんとに思っていることを口に出してはいけない」ということを骨の髄までご存じのはずだし,実際にも,そうやって生き延びているのですから。あなたがたは,二重の意味で,「騙り部」です。

 とてもいい勉強をさせていただきました。ありがとうございました。
 今夜はこれで。
 

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