2013年11月8日金曜日

元大関・琴風(尾車親方)の「いま」に衝撃。変わり果て,まるで別人。

 元大関・琴風。と言ってもいまの若い人たちにはなじみがないかもしれない。あの「がぶり寄り」を懐かしく思い出せる人は,すでに,みんな中高年になっていることだろう。56歳。まだまだ働き盛り。だが,巡業の土俵づくりの作業中につまづいて土俵下に頭から転落。頸椎捻挫。全身マヒで手術・闘病生活。そして,復帰。

 昨日(7日)の昼食が,いつもよりも遅くなって午後4時。そうめんを茹でて,すすりながらテレビを点けたら,「突撃!アッとホーム」の再放送で,「名大関琴風,奇跡の復活劇に密着」をやっていた。現役時代の大関琴風も,引退後の尾車親方になって登場する解説者としても,わたしは熱烈なファンであった。だから,琴風・尾車親方が頸椎捻挫をしたあとのことを,まったく知らなかったので,この番組をみて涙した。

 なぜ,涙したか。テレビ画面に顔がアップで写っている人が,あの琴風であることに気がつかなかったからである。いったい,いつまで,この見知らぬ人がアップになっているのだろうといぶかりながら耳を傾けていたら,どっこい,この人が元大関の琴風その人だったのである。まるで,別人。どこにも,その面影がない。ただ,痩せただけではない。表情がまるで別人。たぶん,身もこころも大きく変わったのだろう,と推測。それほどの大怪我であり,大手術であり,きびしい闘病生活であり,奇跡の復活だったのだろう。

 尾車親方は三重県出身。中学生のときに相撲部屋に入門。そこから墨田中学に通いながら相撲の稽古にはげんだ。成績優秀で,墨田中学を一番で卒業。そのとき二番だった親友は,その後,東大に進学している。四つ相撲で,寄り身を得意とする型を身につけるのだが,両膝に弱点があり,怪我に苦しんだ。エレベーター力士の異名をもらうほどに,幕内と十両を上下した。膝を痛めるたびに大きく負け越し,治しては這い上がってきた。その間,何回も相撲をあきらめかけた。が,やれるところまで頑張ろうとみずからを励まして,ついに,名大関として讃えられる出世をした。この経験が,今回の闘病生活でも役に立った,と本人は語る。あきらめない気持が大事だ,と。

 ちょっとマンガちっくな顔をした,愛嬌のある顔が,一生懸命に土俵をつとめる,その姿が多くのファンを惹きつけた。まじめな,ひたむきさが土俵にみなぎっていた。得意の型に組止めるやいなや,即座にがぶり寄る。みていてもわかりやすい。その自分得意の型にもちこむために,相手得意の差し手をおっつけてしのぎ,一瞬のすきをついて自分十分の組み手になる。あとは,一気のがぶり寄り。見ていても爽快だった。

 引退後は尾車親方として,しばしばテレビの解説者としても登場した。舌がもつれるようなしゃべり方と愛嬌のある顔にごまかされることなく,話している内容に耳を傾けていると,じつに理路整然としたみごとな解説を展開していることがわかる。勝った力士を褒めるだけではなく,負けた力士へのこころのこもった思いやりのある激励を尾車親方は忘れなかった。ああ,この人は心根のやさしい,人情の厚い人だと,いつも感心しながら耳を傾けていた。そして,相撲の奥深さを教えられた。相撲の攻防の技の展開に興味のある相撲ファンにはたまらない解説だった。頭の回転の速さと人情の機微の両方を兼ね備えた人だ。なんとかリハビリに成功して,ふたたび,解説者として復活することをいまから楽しみにしている。

 NHKのこの番組は,ご存じのように「サプライズ企画」だ。尾車親方には極秘のまま,娘さんが一生懸命にあちこちお願いして回り,多くの協力者を確保していく。部屋の力士は,嘉風が中心になってまとめ,本番に備えて準備を進めていく。最後には,現役時代のライバルだった元大関・若島津(現・松ケ根親方)とその夫人(元歌手の高田みづえ)も参加して,大同団結。尾車親方をびっくりさせる,という番組。

 いまは,別人になってしまった尾車親方が感動のあまり,大きな眼(病気の前までは細い眼)からポロリと涙が流れる。わたしも思わずもらい泣きし,ティッシュに手が伸びる。尾車親方は,ままならぬからだにもかかわらず,付き人の助けを断り,ひとりでよろよろと立ち上がり,しっかりとみんなを見据え,感謝のことばを述べる。このシーンが一番印象的だった。

 もちろん,まだまだ歯切れが悪く,舌ももつれ気味ではあったが,しっかりとした口調で「これからも一生懸命に生きていく。今日はほんとうにありがとう」と言い切った。余分なことは言わない,しかしツボは外さない,印象に残る挨拶だった。完全復帰の日も遠くない,とわたしはこころのなかでエールを送りながら拍手していた。

 そして,インタビューでは,「稽古場では口をきかないことにしている。黙ってみているだけだ。なぜなら,口を開くと,注意をするよりさきに『ありがとう』と言ってしまいそうだから」と笑わせるユーモアもみせていた。この調子なら,きっと復活する。そして,あの名調子の解説を聞かせてほしい。相撲の面白さをこの人ほどわかりやすいことばで,理路整然と話してくれる人は,少なくともわたしが聞いてきたかぎりではいない。

 頭で考える前に「からだが勝手に動く」,そういうからだをわがものとするために稽古がある。しかも,いい加減な稽古をしていては,そういうからだは得られない。稽古の一瞬一瞬も気持を引き締め,全力を傾けることによって「からだが覚える」のだ。こんな趣旨のことを言っていたことを,いまも鮮明に思い出す。とにかく,力士はひたすら稽古を積むことだ,と。それも質のいい稽古を,と。

 あの別人になった顔で,相撲の奥義を語ってほしい,といまから切望している。もし,その夢が実現したら,わたしはノートを片手にテレビにかじりつくことだろう。

 頑張れ,尾車親方!
 
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