2013年10月31日木曜日

日展で入選を事前に配分していた,とメディアは一斉に批判。では,その代案はあるのか。

  朝日新聞のスクープ記事が大きな話題になっています。わたしはネット情報をみてから,鷺沼の事務所に行く途中のコンビニで朝日新聞を購入しました。なるほど,証拠の手紙まで抑えて,詳細に日展の舞台裏を劈開してみせています。みごとな記事になっています。ネット情報によれば,茂木健一郎さんが絶賛しているとか。

 しかし,わたしのような日展などにまったく縁のない素人でも,かなり以前から「入選事前配分」の話は知っていました。それも「篆刻」部門だけではない,ということも。ですから,美術界では公然の秘密なのだと思っていました。つまり,日展に入選するには「しかるべきルート」を通過することが必要なのだ,と。もっと言ってしまえば,どの先生のところに入門して弟子となるか,これがきわめて重要である,と。

 しかし,よくよく考えてみますと,美術作品のできばえを比較してその優劣を決めるということはいったいどういうことなのか,という疑問がその背後にはあります。たとえば,近代オリンピック競技でも「芸術部門」を設けて,メダル競争をしたことがあります。1928年のアムステルダム大会(オランダ)です。このときに「文学部門」で金メダルをとった作品が,フランツ・メゾーの『古代オリンピックの歴史』です。日本でも翻訳されていますので,ご存じの方も少なくないとおもいます。わたしは,まだ翻訳がでる前でしたので,ドイツ語版で読み,自家用に翻訳もしてみました。ですから,この著作が「金メダル」を授与された作品だということをよく知っています。

 「芸術部門」は,この作品のような文学(歴史書を文学として扱うことにも違和感がありましたが)もあれば,絵画,彫刻,音楽,など多岐にわたっていたように記憶します。これらがどのようにして審査されたのか,調べてみると面白いと,いまごろになって思っています。

 なぜなら,陸上競技のように,速さは時間で,高さや距離は巻き尺で,という具合に「計測」ができ,客観的に「判定」することができます。が,美術作品を判定する客観的な方法というものはあるのだろうか,とその当時,大いに疑問におもいました。それと近いところで,いまも問題になっているのが,採点競技です。体操競技,フィギュアスケート,シンクロナイズド・スウィミング,など。これらは,いずれも「美」の基準を定めて,それを点数化して,比較しています。しかし,そこには問題が山積です。

 ましてや,美術作品となったら,それは,もはや比較のしようがないのではないか,しかも,優劣を決めるなどということは,とんでもないことと言うしかありません。たとえば,ピカソの絵とゴッホの絵を比較して点数化する,という情景を思い描いてみてください。

 それは,わたしの比較的よく知っている書道の世界でも同じです。流派の違う作品の優劣は決めようがありません。たとえば,同じ流派のなかでの優劣の比較なら,その流派の達人がみれば,たちどころに判定は可能でしょう。しかし,流派を越えたとたんに,それは比較の対象とはなりえない,とわたしはおもいます。

 その結果,編み出された方法が,日展方式なのではないか,とわたしはむかしから思っていました。つまり,流派(あるいは,会派)ごとに入選作品の数を配分して,その中で競い合い,判定をしてもらう,というわけです。これは奇怪しいといって批判することはいとも簡単です。そして,多くの人たちが「そうだ,そうだ」といって声を大にして賛同することでしょう。では,それに代わる「判定」の方法を提案しろ,といわれたらどうするのでしょうか。よくも,悪くも,長年にわたって,苦労に苦労を重ねてゆきついた究極の「判定」方法が,おそらくこれだったのではないか,とわたしなどは,ひとまず弁護しておきたいとおもいます。

 代案なしに批判することは簡単です。しかも,いかにも正義に満ちた,非の打ちどころのない立派な批判に聞こえます。では,それがいけないというのなら,それに代わる代案を提示してもらいたい。いったい,どうすればいいのか,メディアの側からの提案が可能なのか,わたしはしばらくの間,この様子を傍観してみたいと思っています。おそらく,まことに馬鹿げた「批判」「批難」「誹謗」「中傷」,これに類するありとあらゆる言説が飛び交うことだろうと思っています。

 しかし,大山鳴動して鼠一匹・・・・・。

 例題・その1。
 ピカソ,ゴッホ,セザンヌ,モネ,ルソー,岡本太郎,横山大観,梅原龍三郎,以下,だれでもいいのですが,それぞれの代表作を並べて,その中から金メダル,銀メダル,銅メダルに相当する人を選べ,といわれたらあなたならどうしますか。

2013年10月30日水曜日

左右の脚力を補正するための方法について・李自力老師語録・その38。

 今日(30日)は3週間ぶりの稽古でした。一回は台風のため,もう一回は会場の都合で,結局2回つづけてお休みになってしまいました。ですので,久しぶりにみんなで顔を合わせました。そこにひょっこりと,わたしにメールをくださっていたWさんが現れました。お名前は存じあげていましたが,お会いするのは初めて。稽古を見学させてください,と仰る。お話を伺ってみますと,10年ほどの経験があるとのこと。じゃあ,一緒にどうですか,ということになり初参加。

 今日はなんとなく李老師が現れそうな予感がしていました。上手に齢を重ねると,とてもうまい具合に予感が働くようになる,とむかしの人は言ってました。いまのことばで言えば,サクセスフル・エイジングということになりましょうか。わたしもいつのまにかほんの少しだけですが予感が働くようになってきました。まだまだ,確率は低いのですが,おやっ?と思うことが多くなってきました。欲得が徐々に減ってきて,人間的な世俗の欲望からほんのわずかずつとはいえ解放されつつあり,それに比例するようにして自然存在にもどっていくような感じです。自然存在,すなわち動物のような存在。ひょっとしたら,かつての動物性の世界への回帰なのかな,と思ったりしています。ですから,いま感じはじめている予感は,別の言い方をすれば,動物的直観?かな,と思ったりしています。そうか,サクセスフル・エイジングとは動物性の世界に帰っていくということらしい。

 というわけで,わたしの予感は今回に関してはぴたりとあたりました。いつものように,思いおもいに準備運動をし,基本の運動の稽古の途中で,わたしの背後のドアのあたりに尋常ならざる空気が流れました。もう,それだけでわかりました。やっぱり,と。そのとたんに稽古場に緊張が走ります。この感じが,日常の稽古とは違って,またとてもいい具合です。なぜなら,李老師にみられているというだけで,いつもの平常心がくずれて,動作も不思議なほどに狂いはじめます。自分でも信じられないほどのおかしな太極拳をはじめています。そこを見逃すことなくワン・ポイント指摘の李老師の個別指導が入ります。

 基本の動作の稽古が終わったところで,今回は,全体的なワン・ポイントの指導が入りました。今日は,「目線」でした。顔が正面を向いたまま眼線だけ後ろに向けるのではなく,目線の動きに合わせて首・頭も後ろにまわしなさい,と。そうして,悪い見本をもののみごとにみせてくださいます。思わず吹き出してしまうほど上手なので,いつも感心してしまいます。いわゆる「ものまね」です。子ども時代の世阿弥が「ものまね」の名人だったそうですが,その世阿弥の芸を上回るほとのうまさです。李老師の偉さは,その上で,きちんとした動作を垂範してくださるところにあります。すると,もののみごとに,まるで違う世界に誘われるような気持になります。この違いはいったいどういうことなのだろうか,といつも考えてしまいます。たぶん,その格差をとおして,ほんものの姿をしっかりと覚えておきなさい,というメッセージなのだろうとわたしは受け止めています。

 それも,いまの段階では,という断り書きにしておきたいと思います。といいますのは,わたしの眼力がさらに高まってきますと,また違った見方がてきるようになってくるからです。これまでも,そういうことの繰り返しでした。

 さて,今日は,レッスンの途中で,わたしとNさんとの間で,左脚が右脚のようには使えないという話になりました。やはり,右利き,左利きは足にもあって,お互いに右利きの足をしていることがわかりました。だから,左脚を軸にした動作は不得手である,というような二人の会話を聞いていた李老師が,それなら,ということでたとえば,バイフウリャンシーをいつもとは反対のやり方をしてみてはどうですか,ということになりました。

 そして,24式は基本的に右足に体重のかかった動作が多いので,どうしても左脚よりも右脚が強くなっていきます。それはごく当たり前のことです。ですから,それを補正するには,左右反対の動作を基本の運動の稽古のなかに取り入れればいい,と李老師は仰います。

 そうしてこんどは,左右反対の動作を李老師が率先して垂範してくださいます。わたしたちは,そのあとを必死で「ものまね」をするのですが,なかなか思うに任せません。これはひょっとすると,右脚を中心にした太極拳の動作にからだがなじんでしまって,左脚を軸にした動作ができなくなってしまっているということではないか,といささか焦りを感じてしまいます。なぜなら,李老師は左右どちらの動作も自由自在にアレンジしてみせてくれるからです。わたしたちにはそれができません。武術である以上はそれはまずい,と考えてしまいます。

 これはもういっそのこと,24式の動作を左右反対にひっくり返して,最初から逆の動作で始めてみてはどうだろうか,といまになって考えています。左右の脚力のバランスを補正するにはこれが一番ではないか,と。李老師はそこまでは仰いませんでしたが,基本の動作のなかで左右反対の稽古も取り入れるべし,とのことですので,それほど間違ったことではないと思います。

 苦手の左脚を強化するための方法は,もちろん,ほかにもいろいろあるでしょう。それは創意工夫することによって,いくらでもその方法を編み出すことは可能でしょう。そのきっかけを李老師は与えてくださった,という次第です。

 以上,如是我聞。
 

川上未映子の新作に「作品の倫理」を問うコラムニスト「アイスマン」氏にひとこと。

 川上未映子の『愛の夢とか』(講談社刊)が第49回谷崎潤一郎賞を受賞した。贈呈式は10月17日。『週刊読書人』(10月25日号)にその記事が載っていて,受賞者挨拶も掲載されている。なるほど,あの作品が谷崎潤一郎賞を受賞したんだ,と密かな隠れファンのひとりとしては嬉しかった。また,一皮剥けたな,と感じていたから。しかし,それが,こういう賞につながるとは思ってもみなかった。だから,逆に,ワンランク・アップしたことを文学界が認めた,このことが嬉しかった。

 別に賞をもらえば偉いとか,そういうことを言うつもりはない。しかし,なにも賞をもらえないでいるよりは,このような大きな賞に選ばれることは,意味のあることだと思う。やはり作家にとっては大きな励みになるはずだから。そして,作家によっては,それを契機にして,さらに進化を遂げていくことも少なくないからだ。

 わたしの好きな山田詠美という作家は,いまでは受賞していない賞を数えた方が早いほど多くの賞を受けている。ずーっと読み続けているので,その変化もよくわかるのだが,やはり,受賞作は新しい試みにチャレンジしていて,それが成功している。が,その反面では,なんでこんな作品を発表してしまったのだろうか,という作品もないではない。とりまきの編集担当者のなかには業績稼ぎのために,作品のできのよしあしの見境もなく,急いで上梓してしまうこともなくはない。たぶん,そんなタイミングのときには,わたしのようなファンの多くは失望したりしているに違いない。しかし,それもつぎの大作を書くための助走であったり,ステップであったりすることもある。だから,すべての作品が完璧でなければならない,とも思わない。もう,そういう時代は過ぎたのではないか,とわたしは考えている。

 その点では,いま人気の村上春樹だってそうだ。やはり,多少の当たり外れはやむを得ないことなのだろうと思う。しかも,好みの問題も絡むので,作品がいいか,悪いかの判定はむつかしい。しばらく時間が経過しないとほんとうの評価が定まらないことも少なくない。個人的には好みの問題の方が優先する。あえて言っておけば,わたし自身は村上春樹はあまり好きではない。でも,あまりに世間がうるさいので,時折,読むこともある。その程度だ。

 川上未映子は,たぶん,いま,いろいろの思考実験を試みているのだろうなぁ,と受け止めている。わざわざ慶応大学の哲学教授の門を叩き,思想・哲学の勉強に勤しんだこともある。作家としての思想的基盤を固めたかったのだろうなぁ,ということはよくわかる。し,多くの作家はそれなりに思想・哲学的基盤を構築するために,密かに努力を重ねている。むしろ,思想・哲学がまるでない作家などは,この世界では相手にされないだろう。

 だから,川上未映子が思想・哲学を下敷きにして,思考実験をしながら作品に挑むこと自体はなんの問題もない。大いに推奨こそされ,非難されるべき筋合いではないだろう。

 が,10月28日の『東京新聞』夕刊のコラム「大波小波」に「アイスマン」(ペンネームなのだろうと思う)氏が,川上未映子の新作「ミス・アイスサンドイッチ」(『新潮』11月号)をとりあげて,きびしい評論を展開している。題して「作品の倫理性」。

 しかし,残念なことにわずかな字数のなかに,あれもこれも詰めこんでいるので,話がいささか抽象的でわかりにくい。いわゆる「空中戦」を挑んでいるわけだが,その真意がなかなかつたわってこない。短い文章なので,引いておこう。その方が誤解がなくて済む。

 川上未映子「ミス・アイスサントイッチ」(『新潮』11月号)には,以前の「ヘヴン」と同様に,顔にネガティヴなしるしを抱えた人物が登場する。前はそれが少年であり主人公だったが,今回は妙齢の女性であり,少年の主人公が彼女に興味を惹(ひ)かれて観察するという,内側からか外側からかの視点の違いがある。
 少年はまだ美醜の感覚を世間から刷り込まれる前の状態で,彼女の容貌になにか普通と違うものを感じてはいても,それを「醜」とは必ずしも捉えない。ここには,美の相対性の問題,また美と倫理の連続性の問題などが示されているが,しかし,作品の中ではその思想の骨格部分だけが目立ち,小説としての肉付けと乖離(かいり)してしまっている。物語や文体のつくられた幼稚さがそぐわないのだ。
 「ヘヴン」のときもそうだったが,その乖離の原因は,要は人物たちが思想に合わせて作りあげられた人形だからであり,それが特に,迫害の対象となる者である場合には,かえって嗜虐性(しぎゃくせい)さえ喚起してしまう恐ろしさがある。どちらの作品もハッピーエンドを迎えるが,それがこの問題を解消することになりはしないだろう。倫理や美を語るなら,作品としての倫理の問題も突き詰めてほしいものだ。(アイスマン)

 という具合である。どうやら,思想が目立ちすぎて,それを補完するだけの小説としての肉付けが足りないこと,「嗜虐性さえ喚起してしまう恐ろしさがある」こと,「倫理や美を語るなら,作品としての倫理」もきちんとすべきこと,の3点が問題だと主張しているように見受けられる。

 しかし,川上未映子の作品は最初のデビュー当時から「嗜虐性」に満ちたものであったし,それを喚起させることは彼女の狙いでもあったはずだ。わたしはびっくり仰天して,胸が高鳴ったことをいまも忘れない。そんな小説は滅多にお目にかかれないからだ。それほどに文体も物語も奇想天外だった。そのことを考えると,美醜の二項対立的な思考や近代的な倫理そのものの無意味性を,彼女はあの「つくられた幼稚さ」で,あえて描いてみせたのであって,それこそがこの作品に込めた彼女の作戦であり,戦略であったはずだ。それを上から目線で評論する「アイスマン」氏の意図が,わたしには不可解である。

 もし,あえて,言うとすれば,純文学としての体裁を整えろ,と「アイスマン」氏は言いたいのかもしれない。しかし,その純文学そのものをも壊そうとたくらんでいるのが川上未映子という作家だとしたら,「アイスマン」氏もまんまとその術中にはまってしまった,ということになってしまうだろう。どうやら,「アイスマン」氏の思想の問題が,逆に,露呈してしまったというのがわたしの読みであるが,はたして,どんなものなのだろうか。

さらに切り返しておけば・・・・,と考えたことがあるがすでに長くなっているので,今回はここまでとする。
 

2013年10月29日火曜日

講演を終えて一夜明け,反省することばかり。「スポーツは政治・経済・メディアとの複合体である」という結論を提起できず・・・。

 いつものことですが,講演が終わった翌日はなんとも砂を噛む思いでいっぱいです。あそこはこのように話すべきだった,ここの部分はもっとふくらませて話すべきだった,などなど。後悔することばかり。もう二度と講演などは引き受けるものではない,と落ち込んでいます。でも,不思議なことに,しばらくすると忘れてしまいます。そして,また,依頼されるとさんざん迷いながらも,最終的には引き受けてしまいます。自分で自分がよくわかりません。

 「オリンピックとはなにか,スポーツとはなにか」という大きなくくりの講演タイトルでしたので,どんな話をしてもそれなりに体裁は整うはずだと呑気に構えていました。ですから,一応の話の道筋だけメモをして,壇上に立ちました。主催者から4~50人程度と伺っていましたので,ゆっくり考えながらお話をさせてもらえれば・・・と考えていました。

 フタを開けてみたら,なんと200人用の教室がほぼ満員。こんなに大勢の方を前にしての講演は久しぶりだったこともあり,壇上に立っていささかあわてました。よく見回してみますと,立派な業績を残された大先輩から,元同僚だった先生,それぞれの専門の世界で活躍されている顔見知りの人たち,出版社の編集者,とうとうの顔ぶれが眼に飛び込んできます。そのたびに,あれあれと思いながら,なかなか話の本筋に入ることができずに,序盤ですでに乱れはじめました。

 もう,こうなると用意していったメモはほとんどなんの役にも立ちません。メモなど無視して,その場のアドリブで流していくしかありません。途中で何回も頭の中が真っ白になりながら,そのつど体勢を建て直そうと努力し,その瞬間に頭に浮かぶことを頼りに,とにもかくにも前に話を進めることに全力投球です。このあたりから冷えきっていたからだがかっかと熱くなりはじめ,わけのわからないことを必死になってしゃべっている自分の姿がみえてきます。なんともやり切れない思いがわたしの全身を覆います。どこかで壁穴をつくって一刻も早くそこから脱出しなければ・・・・と焦るばかり。

 結局,最後まで中途半端な話ばかりで終わってしまいました。が,最後の質疑のところで,司会者からとてもありがたい質問があり,それへの応答でようやく気持が落ち着いてきて,いくらかまともなお話ができたのではないか,と自己弁護しつつ,みずからを慰めています。

 講演が終わってから,何人かの人が集まってきて,あれこれ意見の交換がありました。ここでの話がとても面白かったのですが・・・・。また,いつか,別の機会に・・・ということで散会。そのあと,何人かの若い友人を誘って「打ち上げ」に。この会のおかげでなんとか荒んでいた気持も少し落ち着きました。が,気がつけば最終電車。

 今朝になって,ああ,結論部分をもっと明確に言い切っておくべきだった,と気づきました。それは,「スポーツは政治・経済・メディアとの複合体である」ということです。わたしも含めてそうなのですが,東京体育学会の会員さんのほとんどは,スポーツの経験者です。そうすると,「スポーツとはなにか」と考えるときには,おのずから自分のスポーツ経験から考えはじめます。そこでの経験知が中心になってしまいます。そこから飛び出して,第三者的な広い視野に立ってスポーツを考えるという訓練が十分ではありません。ですから,スポーツについての思考もきわめて限られた範囲に終わってしまいがちです。しかし,時代はもはや「政治・経済・メディア」の力がきわめて強くなり,スポーツもまたそれらとの「複合体」になってしまった,というげです。

 今回の東京五輪招致運動を考えてみればお分かりのとおり,スポーツは政治と無縁ではありません。それどころか,一国の総理大臣が先頭に立ってIOC総会でプレゼンテーションを行わなければならない,そういう時代に突入している,という事実がなによりもの証左でしょう。国会でもつい最近,オリンピックを成功させるための国会決議の採決がありました。山本太郎議員ただひとり反対で,あとの議員のすべてが賛成でした。これもまた不思議な異常現象だと考えています。

 すでに,スポーツが経済のコントロール下にあるということはもはや説明するまでもないでしょう。その詳細については『世界』11月号に「オリンピックはマネーゲームのアリーナか」と題して書いておきましたので,そちらをご覧ください(これのコピーは当日の会場で配布)。わたし自身こんな時代がやってくるとは夢にも思っていませんでした。

 さらに大きな問題はメディアです。わたしたちのこんにちのスポーツに関するイメージのほとんどはメディアによって構成されています。つまり,直接,スタジアムやグラウンドでみるのではなく,圧倒的多数の国民はテレビの映像をとおして,日常的にスポーツと接しているということです。このことを今福龍太氏は「スポーツ・メディア共同体」と名付けています(『近代スポーツのミッションは終わったか』)。極論してしまいますと,わたしたちはメディアによって自由自在にコントロールされている,と言っても過言ではありません。

 そんな意味で,もはや「スポーツは政治・経済・メディアとの複合体である」と結論づけておこうと考えていたわけです。しかしながら,壇上に立った瞬間から思考は千々に乱れ,あっちへよろよろ,こっちへふらりと,まあ,みっともないこと限りなし,でした。

 そんなこともあろうか予測できていましたので,その穴埋めという意味で,『世界』11月号に投じた論考「オリンピックはマネーゲームのアリーナか」を,あらかじめ配布させていただきました。会場にお出でくださった方々には,それを読んで,講演の至らなかったところを補填しておいていただけると幸いです。

 取り急ぎ,お詫びと懺悔のブログまで。
 

2013年10月27日日曜日

雲一つない快晴の今日(10月27日),川崎市長選挙。長年の高級官僚天下り市長を阻止することができるか。

 朝から真っ青の空が広がり,西側の窓から富士山がみえます。久しぶりの景色です。やはり,富士山がみえるとなぜかほっとした気分になります。東京都内には富士見町とか,富士見坂とか,富士見ヶ丘とか,富士の名のつく地名がたくさんあります。しばらく前までは(わたしの学生時代といえば,もう50年前か),東京のあちこちから富士山がみえました。江戸時代の人たちは朝な夕なに富士山を仰ぎ見て,心なごませていたのだろうなぁ,と想像しています。

 天気はいいのに,選挙にいく人の姿はいつもより少なめ。あまり盛り上がらなかった証拠です。溝ノ口駅前の選挙運動も,どこか拍子抜けしたようなテンションの低さでした。

 候補者は3人。現職市長の後釜に座るべく推された元高級官僚の天下り候補。まだ,44歳という若さです。まったきエリート・コースを歩いた典型的な官僚。選挙広報をみるかぎり,お坊っちゃまだなぁ,という印象が強い。ほかの二人の候補者は,この一週間の間に各3回ほど別々の場所で街頭演説に出くわし,しばらくは耳を傾けてみたことがありました。が,この候補者は一度も演説を聞く機会がありませんでした。偶然にしては少し変だなぁ,と思います。

 昨日(26日)の午後には支援者という人から留守電が入っていて,「安倍政権と手と手をとりあって強い川崎市をつくりあげますので,どうぞよろしく」という趣旨のことばが聞こえてきました。が,あれっ?とわたしは思いました。この陣営の人たちはなにを考えているのだろうか,と。安倍首相の諮問を受けた学識経験者のうち80パーセントが反対を表明した「特定秘密保護法」案を,この人たちの意見・意志をまったく無視して閣議決定をし,国会に提出した,とどの新聞も一面トップで批判している渦中だというのに・・・。少しでもこころある人たちはみんな怒っています。そんなことにも気づかないで安倍首相を担ぎだせばいい,という情況判断の甘さ,そして,それをそのまま留守電に売り込もうという無神経さにはあきれてしまいます。この電話のお蔭で,この候補者は間違いなく一票を失いました。

 もう一人の共産党推薦の候補の支援団体からも留守電が入っていました。こちらの電話は,なにかメモらしきものを読み上げているのですが,あまりに稚拙で,途中で消去しました。選挙広報をみるかぎりでは,なかなか共感できるスローガンをかかげているのですが,この電話であきらめました。あまりに知性を欠いていたからです。選挙運動はやればいいというものではありません。かえって票を減らすことだってあるのですから。そっと黙っていた方がいい場合もあります。

 その点,最後の候補者は41歳。前回の市長選挙でも立候補したのですが(そのときは30歳代),わずか2万票ばかり足りなくて次点だったといいます。この人は,ふだんでも鷺沼駅前に立って演説をしている姿を見かけていました。演説はあまり上手とはいえませんが,川崎市の政治を変えたいという誠意は伝わってきました。この人の主張は,長年つづいている高級官僚天下り市長の時代に終止符を打ちましょう。そして,川崎市で生まれ育った市民を代表として送り出してほしい,つまり市民市長を・・・という単純なものです。もちろん,教育問題などにもかなり踏み込んだ政策を提示しています。

 さて,こんな3人のなかからつぎの市長さんを選ばなくてはなりません。この人こそ・・・と思える人は残念ながら一人もいらっしゃいません。が,この3人のなかからだれか一人を選べということになれば,消去法でおのずから決まってきてしまいます。

 こんどの選挙結果は意外に早く決着がつくのではないか・・・とそんな予感がしています。

 いつものように投票所をでたところで出口調査の人が一人ずつ,少し離れたところでやっていました。が,わたしはどういうわけか,この出口調査の人に声をかけられたことが一度もありません。今日もそうでした。わたしの前後を歩いていた人は声をかけられているのに・・・。これもまた不思議です。そんな出口調査の結果を集計して,予報を流すというメディアのシステムそのものにも疑問をもちます。第一に,メディアが選挙に関与しすぎるというのが,わたしの最大の疑問です。世論調査と称しておこなう選挙前の人気投票の結果を公表するのは,どうみたって「世論操作」でしかありません。統計上の数字は,ある意味では,いかようにも「操作」が可能です。そういういい加減な世論調査結果に有権者の多くは左右されてしまいます。これでは,選挙はやってみなければわからない・・・という期待感が半減してしまいます。

 まあ,いずれにしても,横浜市でできることが川崎市ではできないことが,わたしの知っているだけでもたくさんあります。つぎの市長さんには,そのギャップを埋める市政を真剣に取り組んでもらいたいと思います。

 とまあ,そんなことを思いながら,ぶらぶらと校門の近くにやってきたら,妙なところに碑が草陰にみえました。いつも,何回も,ここは通っているのに気づきませんでした。近づいてよくみると「濱田庄司」とサインがありました。そこに書かれている内容をみると,濱田庄司は高津小学校(選挙会場)の卒業で,長じてから栃木県益子に移住。陶芸家として名をなした,とあります。なるほど,と納得。といいますのは,わたしが時折,散歩にでるときに立ち寄る寺に濱田庄司の墓があるのです。そこには詳しい説明もなく,ただ「濱田庄司の墓がある」とだけ書いてあります。なぜ,かれの墓が溝ノ口にあるのか,わたしには不思議でした。それとともに,この近辺の公共の図書館や役所に濱田庄司の作品が多いなぁ,とも思っていました。これで,ひとつ疑問が解消です。調べればすぐにわかることなのに,横着をかましているからいけないのですが・・・・。

 さてはて,川崎市長選挙の結果やいかに。いまから楽しみ。

〔追記〕(28日)
 自民・公明などの推薦を受けた高級官僚天下り市長候補を破って,完全無所属の福田候補が当選しました。自民サイドはまったくの想定外だったとコメントしているようです。これは明らかに「特定秘密保護法」に対する川崎市民の意志表明のひとつだとわたしは受け止めています。ただし,3000票の僅差。
 なお,神戸市では,この逆で,わずか5000票差で自民・公明などの推薦候補が当選。あと一息だったのに残念。いずれにしても,アベノミクス人気に翳りがみえてきた証拠。日本国民も,少しは賢くなって,選挙ではっきりとした意志表明をしていけるようにならないと・・・・と思います。
 いずれにしても,暴走アメノミクスに歯止めをかける必要があります。これからも手綱をゆるめることなく「監視」していかなくてはなりません。日常的に身近な人たちと,できるだけ話題にしていくこと(嫌われない程度に)が重要なのだと思っています。
 取り急ぎ,追記まで。
 

R.ボーデの「表出体操」(Ausdrucksgymnastik )とL.クラーゲスの「リズムの本質」との関係についての論文を読む。西田幾多郎の「純粋経験」に通底するなにかが?

 ある周期で,学会誌の投稿論文の査読という仕事がまわってくる。できることなら断りたいが,長年,お世話になった学会には恩返しの気持もあってできるだけ引き受けることにしている。しかし,引き受けた論文の大半は,とても「疲れる」。なぜなら,掲載可能な論文に引き上げるための問題の指摘は,とてもつもない労力を必要とするからだ。その代わりにいい論文に出会うと,だれよりも早く読ませていただいたことを感謝して,こちらから謝金を払いたいくらいの気持になる。

 今回は,久しぶりにいい論文に出会った。だから,嬉しくなって急いでブログに書いておこうと思い立つ。論文の内容は,1910年代のドイツで起きた「体操改革運動」(Neue Gymnastikbewegung )に関するもので,これまでほとんど明らかにされてこなかった論考である。専門的な細かなことは省略することにして,問題の核心だけは明らかにしておきたい。

 号令の掛け声のもとで行われる,事物と化してしまった機械的な体操を徹底的に批判し,その体操に魂(命)を吹き込んで,真の人間のための体操を実現すべきだ,と主張したルドルフ・ボーデ(Rudolf Bode,1881-1970)の「表出体操」とはいったいなにであったのか,と問いかけた気合の論文である。その補助線の一つとして,ルードヴィッヒ・クラーゲス(Ludwig Klages 1872-1956)の「リズムの本質」を取り上げ,その関係を明らかにし,ボーデの体操にとって「リズム」とはなにであったのかを,深く掘り下げて考察した秀逸の論文である。

 わたしはこの論文を読みながら,いろいろのことを連想し,体操の世界の奥の深さを思いやりながら,至福のときを過ごさせてもらった。たとえば,こうだ。ボーデは腕の振り(Schwung)の運動にリズムの典型的な表出があると主張し,体操運動のリズムの基本は緊張と弛緩の繰り返しにあると考え,それこそが生命のリズムであると考えた。そして,それを実践するための体操学校をはじめていた。ちょうどそのころに,ボーデはクラーゲスと運命的な出会いをする。クラーゲスの「リズムの本質」についての論考を知り,直接,会って教えを請うことになる。ボーデが求めていた哲学的なバックグラウンドが,クラーゲスの「リズムの本質」という考え方のなかにあることを見届け,以後,迷うことなく「リズム体操」から「表出体操」へとさらにその理論と実践を深めていく。

 クラーゲスは断るまでもなく当時の「生の哲学」(Lebensphylosophie)の流れに乗る論客のひとりであった。生の哲学といえば,ニーチェやベルグソン,ディルタイ,シェーラーらの名前が浮かんでくるように,ヘーゲルを筆頭とする合理主義や主知主義に対抗し,「体験としての生」を重視し,それをトータルにとらえようとする立場をとる。もっと分かりやすくいえば,ヘーゲルの「精神」(Geist , 知的精神,あるいは理性)を軸にして人間をとらえようとする立場に対して,クラーゲスらは「魂」(Seele)に思考の軸を置き,その活性化を重視する。

 ボーデはこうしたクラーゲスの主張にこころから共鳴し,それを体操の世界で実現しようと情熱を傾けた。それがボーデの「表出体操」(Ausdrucksgymnastik)として結実した。それは,かんたんに言ってしまえば,頭で考えて行う体操ではなく,魂や情動のおもむくままにからだに「表出」してくる「体操」を体系化しようというものである。

 このさきの話は長くなるので,圧縮しておくと以下のようになる。
 頭で考える前に動きはじめるからだを重視する,この考え方は「純粋経験」と呼ばれるもので,まさに,ベルグソンやW.ジェームズや西田幾多郎らの哲学の基本概念である。すなわち,主観も客観もない,それ以前の「直接的な経験」である。この考え方は,西田幾多郎によって,さらに深められ「行為的直観」として体系化されていく。気がついたときにはからだが動いている,という次元の話である。

 そこが,じつは,人間が存在する,あるいは,人間が生きることの源泉ではないか,と「生の哲学」者たちは考える。つまり,自他の区別のない状態,自他を超越した存在,あるいは,エクスターズ(ジョルジュ・バタイユ)する存在,あるいはまた,禅仏教のいう悟りの境地,などへとつながっていく。この世界は,トップ・アスリートたちもしばしば経験する,という。ドイツの哲学者ハンス・レンク(オリンピック・ローマ大会の金メダリストでもある)もみずからのフロー体験を語っている。

 ボーデの「表出体操」について,ここまで触手を伸ばした論考を,わたしは管見ながらまだ出会ったことがない。今回,読ませていただいた論文の著者は,クラーゲスとボーデとの関係に着目した以上は,このさきは「生の哲学」(Lebensphylosophie )との関連に踏み込んでいくに違いない。そうしたときに,ボーデの「表出体操」が,単なる「表現体操」ではない(ドイツ語では同じ表記となる)ということの根拠を明確に提示することができるようになるのだろうと思う。

 いい論文を読ませていただいたあとは爽快な気分である。今夜は熟睡できそうだ。論文の著者に感謝である。この論文が学会誌に掲載されることをいまから楽しみにしている。おわり。
 

2013年10月25日金曜日

NHKの番組「子どもたちの心の声が聞こえますか?」の番組制作者に問いたい。「いじめ」ってなんだかわかっていますか。

 今日(25日)の午後7時30分のNHKテレビで「子どもたちの心の声が聞こえますか?」という番組が放映されました。ちょうど,夕食時だったので,ご覧になられた方も少なくないと思います。わたしは,番組の最初から最後まで,テレビ画面に向かって「吼え」つづけていました。

 「違う!」「そういう問題ではない!」「いじめの問題をいい・悪いの二項対立で片づけるな」「いじめは子どもの世界だけの問題ではない」「大人の世界のいじめはもっともっと深刻で悪質なんだ」「いじめる子どももいじめられる子どもも,みんな被害者なのだ」「加害者は大人たち全員なのだ」「教員の責任に矮小化するな」「無責任社会の縮図が子どもたちの世界に反映しているだけの話だ」「NHKの番組制作者たちはなにもわかってはいない」(わかっていないふりをしている?)「尾木ママを筆頭に,だれもいじめの本質がわかってはいない」「わかっている人間を出演させろ」「そういう人間はNHKにとって都合が悪いから,最初から排除しているだけではないか」「もっと本気で取り組め」「ほんとうのことを,きちんと言える人間に語らせろ」「もっと立場の違う人に意見を言わせてみろ」「世の中,みんな無責任」「都合の悪いことには口をつぐむ」「いじめられていても見て見ぬふりをする」「そう,見て見ぬふりをする,これが諸悪の根源だ」「そう,アベ君を筆頭に」

 「学校の先生を悪く言うな」「どれだけ多くの善良な先生たちがからだを張った努力のお蔭で,どれだけ多くの子どもたちが救われていることか」「それがなっかたら,学校現場はとっくのむかしに崩壊している」「それが,かろうじて学校現場が持ちこたえているのは,そういう先生たちの身を削る努力のお蔭なのだ」「こうやって学校を悪者にして,我関せず,という姿勢そのものこそが諸悪の根源だ」「そこに光を当てる番組もつくれ」「悪い担任の例を取り上げて,教育現場はこんなものだ,という印象を与えすぎるな」「アホな親はみんなそう思ってしまう」

 つづけて「親」の問題も書こうと思いましたが,もう,気分が悪くなってきて,これ以上のことを書き続ける自分に耐えられませんので,このあたりでやめておくことにします。もちろん,「親」の問題のつぎには・・・・,と連鎖はつづきます。あとは,ご想像におまかせします。

 結論は,「無責任」のひとこと。
 いみじくも,この番組を牛耳っていた尾木ママが,みずから発したことばにすべてが集約されているように思いましたので,それだけは書いておきましょう。

 「わたしは教育評論家ですから,教育現場にはなんの責任もありませんが,いや,かつては教育現場にいましたが,いまは外から眺めて問題の指摘をするだけなのですが・・・」

 これが世の中の「評論家」という肩書で仕事をしている人たちの実体です。つまり,問題の所在を「もっともらしく」(大勢の人に支持されるようなことがらを)指摘するだけで,自分では責任をとろうとはしません。他人事なのです。だから,評論家の言うことなど,その程度のものだと思って聞く必要があるのです。ですが,NHKの番組制作担当者たちは,そのことがわかっていないので(いやいや,責任逃れのために),「評論家」に語らせることによってこと足れり,としてしまいます。評論家という人たちは,そのほとんどが「無責任」ですから。

 そのほかの出演者もひどいものでした。それが,すべて,それぞれの「専門家」といわれる人びとなのですから・・・。ああ,もっとも,大沢あかねちゃんだけは3歳の子をもつ母親代表ということでしたが・・・・。この人の発言も,聞いていて恥ずかしかった。まあ,平均的母親なのでしょうが。それにしても,その他の「専門家」の発言はお粗末そのもの。それに輪をかけたのが「教育評論家」尾木ママの発言。

 その証拠に,「批評家」を名乗る人は世の中にきわめて少ないということを指摘しておきましょう。とりわけ,「教育批評家」を名乗る人を,管見ながら,わたしは知りません。批評家は,みずから発することばに責任をもちます。つまり,みずから発することばによってみずからをも責めつづけ,なんとかして解決の糸口を見出そうと全身全霊を傾けます。すなわち,みずからの「生き方」そのものを問い返しつつ,みずからの選りすぐりの,究極のことばを発しようと全力を傾けます。それは,単なる知的ゲームではありません。一人の生きる人間としての,丸裸の自分をさらけ出す営みでもあります。こういう「批評家」(もちろん,批評家のなかにもいい加減な人もいます)の声を聞きたい。こういう「教育批評家」の声を聞いてみたい。と,わたしは切望します。

 こういう人たちの声は,NHKにとってはまことに都合の悪い人たちの声なのです。なぜなら,歯に衣を着せずに,ほんとうのことを言いますから。「王様は裸だ」,と。「汚染水はコントロールされていません」,と。「東京五輪招致はお金で買ってきました」,と。

 こんなことを言う人は,いまでは「国賊」です。こころの底から国のためを思ってほんとうのことを言う人,すなわち,「国賊」です。そのうち,「特定秘密保護法」の対象となり,「特定危険人物」として犯罪者扱いの対象になります。国家のためになることを,本気で語り,行動すればするほど,犯罪者にさせられてしまいます。国のためにならないことを国民に内緒で「秘密」でする政治家の身を守るために。こんな悪法がまかりとおろうとしています。

 いささか短絡的に聞こえるかもしれませんが,「いじめの構造」を容認してきたわたしたちと「特定秘密保護法」を黙って「見過ごす」(見て見ぬふりをする)わたしたちとは同根です。

 NHKの今夜の番組も,一生懸命に「いじめ問題」に取り組んでいるふりをして,その実態は,ことの本質をはぐらかすことに大きな貢献をしているのと同じです。

 最後にひとこと。わたしがかかわってきたNHKの番組は,すべて,シナリオが用意されていて,わたしの話す内容まで事細かく決められていました。そして,リハーサルで確認してから本番です。わたしは本番では,ときおり,アドリブでセリフを変えたりしました。すると,その部分はほとんどカットされてしまいました。場合によっては,再度,そのカットだけ後日「撮り直し」をして編集されました。要するに「やらせ」です。

そんな,かつてのわたし自身の犯罪を反省しつつ,今夜の番組も見ていました。それでも,どうにも我慢できなくなって,テレビに向かって「吼え」まくるしかありませんでした。学級のなかで,いじめる子が,どこかに欲求不満を募らせていて,身近にいるおとなしそうな子にちょっかいを出す構造と,そっくりでした。テレビは,わたしがいくら「吼え」ても,黙って見過ごしてくれるから,言いたい放題です。だれも止めに入る人もいません。ですから,どんどんエスカレートしていきます。

 そして,とうとう,このブログをとおして「吼え」ることになってしまいました。そのうち,「特定秘密保護法」の対象となって,このブログが閉鎖されることになるかもしれません。わたしの親しい友人の一人は,まず,間違いなく検察の「要注意者」のリストには載っているでしょうね,と言っています。まさか,こんな腰抜けのブログなんか・・・とわたしは笑っています。が,「特定秘密保護法」が成立するとなると,ことはおだやかではなくなります。

 ほんとうの意味での「批評家」に一歩でも,二歩でも近づきたい,その一心でこのブログを書いているだけだ,というのに・・・・。「ほんとうに思っていることを口に出してはいけない」,それがいま子どもたちの世界を覆っている不文律である,ということをNHKの番組制作担当者たちはご存じのはずなのに・・・・。だって,番組制作担当者のあなたたちもまた「ほんとに思っていることを口に出してはいけない」ということを骨の髄までご存じのはずだし,実際にも,そうやって生き延びているのですから。あなたがたは,二重の意味で,「騙り部」です。

 とてもいい勉強をさせていただきました。ありがとうございました。
 今夜はこれで。
 

『継体天皇と朝鮮半島の謎』(水谷千秋著,文春新書,2013年7月刊)を読む。

 大阪・高槻市の郊外に今城塚(いましろつか)古墳がある。同じ高槻市にある上宮天満宮を二度目の訪問をするついでに,案内をしてくれる人があったので,今城塚古墳に足を伸ばしてみた。それが最初の訪問だった。2011年の秋だったと記憶する(あまり確かではない)。高槻市による大々的な発掘調査が終わって,古墳の周辺も整備され,そのすぐ近くに真新しいできたばかりの高槻市立今城塚古代歴史館がある。なにからなにまで,あまりに立派で,なにも知らないででかけたわたしをたじろがせた。

 予備知識がほとんどなにもないというのは恐ろしいものだ。ただ,とてつもなく大きな前方後円墳を目の前にして,その雄大な光景に圧倒され,しばし呆然と眺めるだけだった。そして,なによりわたしを興奮させたものは,古墳の外堤部に並んでいた大量の埴輪群だった。そこには,力士の埴輪が陳列してあって,なるほど,とわたしの胸の内に納得できるものがあった。

 主たる目的である上宮天満宮は,言うまでもなく菅原道真を祀った神社である。そこは,北野天満宮よりも古い天満宮である。だから,「上宮」というのだそうだ。そこには,古い古墳群の一角に野見宿禰を祀った「野身神社」(野身に注目)がある。その神社の正面左側の碑文に書いてあることを,再確認するのが,そのときの最大の目的だった。

 だから,今城塚古墳に力士の埴輪が埋められていた,という事実がことのほかわたしを喜ばせたのだ。しかも,今城塚古墳の南東の位置には,野見町があり,そこには野見神社がある。この野見神社は,ついこの間まで「牛頭天王社」と呼ばれていた,と神社のパンフレットに書いてある。なぜ,牛頭天王社が野見神社になったのか,社務所で尋ねてみたが「わからない」のひとことで応答を拒否されてしまった。なにかある,とわたしは直観した。

 だから,わたしの頭のなかは,今城塚古墳と野見宿禰とはどこかでつながっているのではないか,という思い入れで一杯になった。そんな頭で,完成したばかりの高槻市立今城塚古代歴史館を見学させてもらった。いま,考えてみると不思議なのだが,ここには継体天皇の墳墓である,という断定的な文言はどこにも見当たらなかった。それどころか,継体天皇という文言すら,ほとんど見当たらない。展示物の一番奥の裏側のショウ・ウィンドウのなかの解説文に,ひっそりと「継体天皇の陵ではないか,という説もある」と書かれてあるだけだった。ああ,そうなんだ,というのがわたしのそこでの認識だった。

 しかし,その後,日本古代に関する興味がますます大きくなってきて,その関連の本を何冊か読むことになった。すると,どういうわけか,継体天皇の存在がまことに異様であることがわかってきた。どうやら,雄略天皇と継体天皇との間には,おおきな断絶があるらしいということがわかってきた。では,継体天皇とはいかなる出自の,いかなる事跡をもった天皇なのか,という興味が一気に高まってきた。第一,天皇などと呼べる存在はまだなくて,せいぜい大王として君臨していただけの話ではないか,などと考えはじめていた。

 そして,ふらりと立ち寄った近くの本屋の新書コーナーで,この『継体天皇と朝鮮半島の謎』に出会った。文字通り「出会った」のである。もっと,正直に書いておけば,多木浩二さんの『天皇の肖像』(岩波新書)を探しにいったときのことだ。もっと言っておけば,すでに読んだことのある本なので家にあるはず,それが見つからずに,いらいらしながら探しに行ったときのことだ。

 このテクストには,なんの迷いもなく,今城塚古墳は継体天皇の御陵であると断定した上で論が展開されている。もっとも,「明治以来,政府によって継体天皇陵とされてきたのは,茨木市にある太田茶臼山古墳であった」と著者も断っているように,宮内庁でもその見解をとっているとしたら,高槻市としては,遠慮がちに「継体天皇陵ともいわれている」と書くのが精一杯だったのかもしれない。しかし,いまではほとんどの考古学者はこの今城塚古墳こそ継体天皇陵である,と考えていると著者の水谷千秋氏はいう。

 さて,前置きが長くなってしまって,本論に入る暇もなくなってしまったので,結論的な,わたしの印象だけを記しておきたいと思う。

 継体天皇の実像はほとんど,いまもって,わからないということだ。記録されているのは,出生にまつわる伝承と,57歳で天皇になってからのことだけで,あとのことはまったくわからない,まことに不思議な天皇である,ということだ。

 もっと言っておけば,生まれたときから渡来系の人たちが多く住む,いわゆる混住が当たり前の地域で育っている,ということだ。ということは,ごく当たり前のように混血しており,バイリンガルだったのではないか,と考えられる。だから,天皇になってからも,朝鮮半島との関係はきわめて深く,とりわけ百済王とは昵懇の仲だったことが,こちらは文献資料からも明らかだという。

 では,57歳で天皇になるまでの間,この人がなにをしていたのか,どのようにして力をつけたのか,つまり,地方の大王になったのか,おおよそのことは想像がつく。しかし,著者の水谷氏は,そこには深入りしないで,考古学上の発見(遺物)と文献資料とを突き合わせながら,慎重に歴史家としての推理を積み上げていく。これはこれでとても面白い。しかし,読めば読むほどに,「日本人とはいったいどういう存在の人のことをいうのか」という疑問がむくむくと頭をもたげてくる。

 そして,先住民が混血していることは棚にあげて(あるいは,記憶から消えていて),あとからやってきた人たちのことを渡来人として区別(差別)する,そういう Geisteshaltung (精神的姿勢)は,日本の古代からこんにちまで変わらずに一貫しているのではないか,というのが読後のもっとも大きな感想である。

 わたしたちの祖先は混血に混血を重ねた結果として,こんにちのわたしたちが存在しているのだ,そして,混血は,いまもつづいているのだ,という厳然たる事実を再認識した次第である。わたしのからだの中にも,朝鮮半島や中国大陸はおろか,ポリネシア系の血も流れているに違いない。椰子の実の流れ着いた愛知県・渥美半島(わたしの両親の出身地)には,朝鮮文化も多く残っているし,徐福がやってきたという伝承もあるほどだ。

 というところで,今日のところはおしまい。
 

2013年10月24日木曜日

 「竹内敏晴さんとわたし」の初校ゲラがでました。まもなくセレクション・第2巻が刊行されます。

 もう,だいぶ前に藤原書店の編集者から「竹内敏晴さんとわたし」という大見出しの原稿を依頼されていました。それに応答して「竹内さんの大音声<にんげんっ!>に震撼」というタイトルで原稿を書きました。その校正ゲラがようやくでてきました。

 もう少し精確に書いておきますと,藤原書店の企画で<セレクション・竹内敏晴の「からだと思想>が刊行されることになり(すでに,第一巻はでている),その「月報」に,竹内さんと接点のあった人たちが短文を寄せるというものでした。竹内さんにはとてもお世話になっていましたので,ここはお礼をかねて,なにか書かなくてはと思い,お引き受けしました。

 とりわけ,『ことばが劈(ひら)かれるとき』を読んだ感動がきっかけで,その他の著作も手に入れて精読させていただきました。そのうちに,どうしても直接,お会いしてお話をうかがうことはできないものか,とチャンスを待っていました。

 念ずれば通ず,ではないですが,わたしたちの研究会の仲間のひとりが「竹内レッスン」を受けていることを知り,ぜひに,とお願いをしました。当時の竹内さんは超多忙で,全国を駆け回って「竹内レッスン」を展開されていました。ときおり,名古屋に戻られるので,その折ならば・・・ということで「竹内敏晴さんを囲む会」を名古屋で何回にもわたって開催させていただきました。謝金もなしで,長時間にわたって,わたしたちの質問に懇切丁寧にお答えいただきました。なんとも至福のときでした。いま,考えると冷や汗がでるような「贅沢な時間」でした。

 なかには涙を流しながら,竹内さんのお話に耳を傾ける仲間もいて,その情景がまだ昨日のことのように浮かんできます。人のこころの奥深くまでとどく「ことば」を紡ぎだすことのできる人,その思考の深さはもとより,情感のこもった声,思いやりのゆきとどいた話の展開・・・・。ああ,こういう風に話のできる人になりたいものだ,と仰ぎ見たことをいまも忘れません。

 そんな「竹内敏晴さんを囲む会」のひとこまを書いた原稿が,こんどの「月報」(<セレクション・竹内敏晴の「からだと思想」>の第二巻用)に掲載されるという次第です。「竹内さんの大音声<にんげんっ!>に震撼」のタイトルからもおわかりのとおり,この「囲む会」でも,ことばで説明のてきないことはからだで知ってもらうしかない,という竹内さんのお考えのままに,何回も,ごくかんたんなアドリブの「レッスン」が展開されました。

 ふだんは静かに,ことばを厳選して,無駄をいっさいはぶいた,もっとも的確な表現でお話をされる竹内さんのことばにわたしたちは魅了され,身もこころも惹きつけられていたときのことでした。「それでは,みなさん眼をつむって静かに呼吸をしていてください。わたしが,あることばを大きな声で発しますので,その瞬間にどんなイメージが脳裏をよぎったかを,あとで教えてください」と竹内さん。みんな意識を集中して,じっと呼吸をととのえていました。その数秒後,雷が落ちたかと思うほどの大音声で「にんげんっ!」と一声がありました。わたしはその大音声に震撼し,飛び上がるほど驚きました。

 このときのことは,いまも忘れられません。みなさんが,それぞれに脳裏に浮かんだ瞬間のイメージを語るのを,竹内さんはにこにこ笑いながら,これといったコメントをするわけでもなく,じっと耳を傾けていらっしゃいました。みなさんが,それぞれにまったく違うイメージを語られるのを不思議な思いで聞きながら,わたしの順番を待っていました。このときのことをこんどの原稿に書いてみました。その内容は,ここでは伏せておきたいと思います。意外なことを書いていますので,どうぞ,書店で読んでみてください。いえいえ,ぜひにも,第2巻を購入してみてください。

 こんどは,いつか機会をみつけて,「竹内敏晴さんの思い出を語る会」をもってみたいと思っています。担当編集者にも声をかけて・・・・。もちろん,名古屋で。このセレクションの刊行が終わったあたりで・・・。

2013年10月23日水曜日

ヒトラーのナチズムを想起させる斎藤美奈子さんのコラム「精神の総動員」。おみごと。

 いいわけがましいことですが,昨日(22日)書いた2本のブログは,ヒトラーのナチズムと酷似した雰囲気が濃厚になってきた昨今の日本の安倍政権の猪突猛進ぶりを念頭に置いて書いたものでした。ですから,どこかでヒトラーのことに触れようと思ったのですが,その余裕もないまま,終わらせてしまいました。が,いつか,安倍政権の動向とヒトラーのナチズムのあまりの酷似ぶりについては書こうと思っていました。

 そうしたら,さすがに斎藤美奈子さん。今日(23日)のいつもの「本音のコラム」で,みごとにその点を突いていて,我が意を得たりと拍手喝采してしまいました。その出だしだけでも引いておきたいと思います。その切り出し方といい,テンポといい,心地よいことこの上なし,です。

 「15日の臨時国会における所信表明演説で『意志の力』という語を連発した安倍晋三首相。
 『今の日本が直面している数々の課題』『これらも<意志の力>さえあれば,必ず,乗り越えることができる。私はそう確信しています』
 おおっと,そんな単語を使って大丈夫か。『意志の力』はナチスの常套句(じょうとうく)だぞ。1934年のナチ党全国大会の記録映画のタイトルは『意志の勝利』だぞ。と心配したのだが,それを指摘したのは民主党の海江田万里代表だけで,メディアはみんな無視。揚げ足を取る絶好の機会なのに。」

 ──中略。このあとに「国民精神総動員運動」の口火を切った,当時の近衛文麿首相の演説を引いて,最後に,つぎのように落ちをつけています。

 「『意志の力』や『精神の動員』に頼るようになっちゃおしめえよ,と過去の歴史は教えている。まさか首相はご存じなかった? それとも,知ってて先達に学んだだけかしら。」

 斎藤美奈子節が全開。なんとも心地よきことよ。

 ここにでてくる1934年のナチ党全国大会の記録映画『意志の勝利』,これも1936年のベルリン・オリンピックの記録映画『オリンピア』を撮った映画監督レニ・リーフェンシュタールの作品です。この『意志の勝利』がヒトラーに高く評価され,つぎの『オリンピア』も全権委任されたと聞いています。レニ・リーフェンシュタールについては,いろいろ議論はあるようですが,いずれにしても,両作品ともヒトラー・ナチズムのプロパガンダとして大きな役割を果たしたことは間違いありません。「力」としかいいようのないある「なにか」を,レニ・リーフェンシュタールは追いかけていたことは,第二次世界大戦後に出された写真集『ヌバ』(アフリカの裸族の写真集,ここには「すもう」が登場します)をみれば,とてもよくわかります。

 ちなみに,『オリンピア』(Olympia)は通称で,精確には,『民族の祭典』と『美の祭典』の二部作になっています。この二部作の総称として『オリンピア』が使われているという次第です。なお,この記録映画は,現在でも『民族の祭典』というタイトルで市販されていますので,まだ,ご覧になっていない方はぜひどうぞ。いまの日本や世界の情況を生きるわたしたちに,このレニ・リーフェンシュタールの作品がどのように写るか,試してみるといいと思います。ここには「力」こそが「正義」である,という隠されたメッセージがあらゆるカットとなって表現されているように,わたしは思います。

 ナチス・ヒトラーにとっては,この「力」こそが大テーマでした。よく知られた「ヒトラー・ユーゲント」(Hitler Jugend:ナチズムを体現する青少年運動)の中核をなすテーマは「力」(Kraft)でした。そこでの合い言葉は「歓喜力行」(Kraft durch Freude:喜びに満ちた力)でした。この「歓喜力行」というみごとな翻訳語は,第二次世界大戦中の青少年教育の標語としても用いられていました。わたしは国民学校(小学校ではありません)2年生のときに,大きな声で「カンキリッコウ」と,わけもわからないまま言わされたことを記憶しています。

 日独が,あれほどシンクロした時代はなかったと思います。でも,こんにちのドイツは,日本のフクシマの教訓を生かして,いち早く「脱原発」宣言をし,再生可能エネルギーへと舵を切り,まもなく電力を輸出できるところまできているといいます。アベノミクスとは「正反対」のベクトルを選択して,みごとなまでの決断と実行力を発揮しています。日本とは大違いです。残念ながら,日本は,とてもとても危険な「未来」に向かって突き進んでいる,としか言いようがありません。

 ドイツは徹底してナチズムを拒否し,「力」に頼らない社会をめざしているというのに,なにゆえに安倍晋三首相は「意志の力」を旗印に掲げるのでしょうか。すべては,強い国家,強い軍隊をもつためのウォーミング・アップとして,まずは国民の「意志の力」が必要だからでしょう。

 このまま安倍政権の猪突猛進が野放しにされてしまうと(議会運営上は3年間は可能。だから恐ろしい),東京五輪も気がつけば「ベルリン・オリンピック」の再来をみることになりかねません。「歓喜力行」という旗を先頭に,完全に洗脳された青少年たちが隊列を組んで,「ハイル・ヒトラー」(Heil Hitler !),いな「天皇万歳!」と叫びながら,東京都内の目抜き通りを行進しかねません。そんな悪夢だけは見たくありません。

 そのためにも,まずは,「特定秘密保護法」を阻止しなくてはなりません。風雲,急を告げています。今日も明日も,そして,25日まで,首相官邸前の集会が開かれます。なんとか時間をやりくりして出かけようと思っています。

〔追記〕文意が逆転してしまう文章の乱れがありましたので,急いで訂正させていただきました。ご指摘くださった読者の方にこころから感謝です。ありがとうございました。いつも,かなり慌てて書いていますので,こういうことがないよう注意したいと思います。ありがとうございました。重ねてお礼を申しあげます。

2013年10月22日火曜日

「特定秘密保護法」に異議申し立てをする集会に参加できず,残念。

 どうしても読み切っておきたい本があって,必死になって読んで,さきほど(22日午後10時)事務所からもどってメールを開いたら,緊急のメールが入っていました。親しくしている編集者からの緊急のメールでした。そこには,「天ぷらをあげている場合ではない,すぐに出かけます。ぜひ,参加してほしい」という呼びかけのことばが,なぐり書きになっていました。

 そこには,以下のアドレスが書いてありましたので,大急ぎで開いてみました。
 http://www006.upp.so-net.ne.jp/kansi-no/

 日時:10月22日(火)午後6時30分~8時。
 場所:首相官邸前
 内容:リレートーク(一人3分間 アピール)
  ※人数が多ければ1人1~2分になる場合もあります。
 呼掛け人:田島泰彦(上智大学)

 残念。折角のチャンスだったのに,やりすごしてしまいました。
 慌てて,ネット情報を確認してみました。

 公明党が了承した(このことはすでに知っていました)ので,あとは,25日にも閣議決定をし,国 会に提出の運び・・・という。そして,今国会で成立する公算大である・・・とある。この法案は,安倍晋三政権が年内発足を目指している「国家安全保障会議(日本版NSC)」を創設するにあたって不可欠のものと言われています。いよいよナチス・ヒトラーが登場したときとそっくりの情況が,つぎつぎに準備され,着々と進行していきます。

 もはや,「国民の知る権利」も,したがって「取材・報道の自由」もどんどん制限され,ついには,「特定有害活動」(今夜計画されたような,政府にとって都合の悪い抗議集会)も著しく制限される可能性がでてきました。もはや,政府のいいなりになるしかない社会がすぐそこまできています。長い間の自民党政権でも見られなかった,とんでもない暴走をはじめている,という自覚がいまの自民党や安倍政権には欠落しています。戦後,最悪の政治が,わき目もふらず突っ走っています。

 とにもかくにも,経済の復興(震災からの復興ではない),オスプレイ,TPP,沖縄米軍基地移転,東京五輪招致,等々,めまぐるしく国民の目先を変えるカードを切り続け,なにがなんでも福島第一原発のメルト・ダウン(これがもっとも恐ろしい事態であることを国民の多くが忘れつつある)から目先をそらし,使用済み核燃料の最終処理の方法にも蓋をし(もはや絶望的情況にある),汚染水処理の問題に国民の目先をすり替えようと必死です。そして,まんまと多くの国民はだまされつづけています。

 なにせ,「under control 」と国際社会を相手にして,堂々と嘯いてみせた恐るべき首相のやることです。なにが起こるかは,まったく「想定」できません。やることなすこと,すべて「想定外」で処理しようとしているのですから。となると,だれも責任をもつ必要がなくなります。3・11以後,無責任体制のオンパレードです。

 まずは,目の前に迫ってきた「特定秘密保護法」の阻止に向けて,できることをやるしかありません。どんなに小さな声でもいい。ちょっと変だよ,と声をあげ,できれば,行動を起こしましょう。もちろん限界はありますが,黙って見過ごすわけにはいきません。なにもしないで,じっとしていることは,容認・是認・賛成したことと同じになってしまいます。

 今夜は,ほんとうに,残念。
 アンテナを張って・・・・。
 いや,たった一人でもいい,首相官邸前に行って,それなりの姿勢を示すことからはじめよう。
 山本太郎議員は,たった一人で,すべての国会議員に対して,異議申し立てをしました。このことの意味するところを重く受け止めたいと思います。

 取り急ぎ,今日のところはここまで。

〔追記〕(23日)
上記の集会は,25日まで,毎日,開催されることがわかりました。
たった1時間でもいい。そこに立つだけでもいい。ぜひ,ご参加を。
なお,この情報を拡散してくださると助かります。よろしくお願いいたします。


 

レニ・リーフェンシュタールの映画『オリンピア』を批評。 今福龍太編『多木浩二 映像の歴史哲学』(みすず書房,2013年6月刊)を読む。

 オリンピック・ベルリン大会の記録映画『オリンピア』(レニ・リーフェンシュタール監督作品)が,多木さんが初めてみた映画だという話から,このテクストははじまります。まだ,小学生だった,そうです。1938年。この年は,わたしが生まれた年でもあります。このときには,すでに日中戦争がはじまっていて,戦時色に塗り固められていたといいます。そして,1940年に開催が予定されていたオリンピック・東京大会も,返上するというような時代でした。

 多木浩二さんといえば,わたしの頭のなかでは,映像批評の第一人者にして,哲学者という印象がつよくあります。その多木さんがみた最初の映画が『オリンピア』だった,というのはとても不思議なご縁のようなものを感じます。前にも書きましたが,多木さんが『スポーツを考える』(ちくま新書)という著作を残されたのも,こういうご縁があったからだろうと思います。と同時に,多木さんにとってはスポーツの問題は「20世紀」を考える上で不可欠のテーマであったことも見逃すことはできません。

 少しオーバーに言えば,このテクストは『オリンピア』にはじまって『オリンピア』で終わる,多木浩二さんの渾身の著作と言ってもいいほどです。なぜなら,多木さんの持論である歴史についての考え方を,『オリンピア』を題材にして,縦横無尽に展開されているからです。言ってみれば,大文字の歴史にたいして,小文字の歴史の主張です。つまり,アカデミックなオーソライズドされた学問としての歴史ではなく,その隙間からこぼれ落ちてしまった日常生活のなかの歴史をすくい上げようというわけです。もちろん,この姿勢は,ウァルター・ベンヤミンの主張とも共振・共鳴するものです。つまり,多木少年がこの映画とどのように向き合ったのか,というところからはじまります。そして,興味深いのは,多木少年の眼には,どうして裸の人が多く登場するのかが不思議だったといいます。そこから,多木さん独特の「映像の歴史哲学」が展開されていくことになります。

 第一章の「ルプレザンタシオン 世界を探求する」の冒頭から,『オリンピア』の話がはじまり,ここで,すでに相当に詳細にこの映画のもつ特異性について論じられているのですが,第五章の「オリンピア すべてが映像になるために作られた神話」として,さらに徹底した映像論が展開されています。言ってみれば,このテクストの中核をなす部分はここにある,とわたしは受け止めました。その意味で,スポーツ史・スポーツ文化論をやってきた人間としては,衝撃的な章になっています。なぜなら,映像をどのように読み取るのか,そのことと歴史とがどのようにクロスするのか,とりわけ,アカデミックな血も涙もない形式論理的な歴史を根底から突き崩し,血の通った真の人間の歴史をとりもどすための,具体的な事例として『オリンピア』が俎上に乗せられているからです。

 そして,最後の章となる第六章では,「クンスト 日常の技芸を守る」を論じています。「クンスト」,これはカントのいう Kunst で,「芸術」でもあり,「技術」でもあり,「技」でもあります。それらを総称して,「日常の技芸」と言っているところに,わたしは大いに惹きつけられてしまいました。なぜなら,スポーツもまた,オリンピックのような Spitzensport から一般大衆のための Massensport にいたるまで,その守備範囲がきわめて広く,ともすれば,スポーツを語るときには Spitzensport の方に比重が傾いていきます。が,多木さんは,そうではなくて,日常生活のなかでの「技芸」としての Kunst こそが真の歴史を形成しているのだ,と主張します。

 ですから,多木さんは,みずからのスポーツ経験を語るときに,この映画『オリンピア』をみたときの驚きからはじめるわけです。そこからはじめて,20世紀とはいったいどういう世紀だったのか,そして,その20世紀にとってスポーツ映像とはどのような役割を果たしてきたのか,という普遍の問題へと展開していきます。この視座は,わたしにはなかったものでした。ですから,とても新鮮で,ハッと気づかされました。その意味でも,このテクストは,いつか,わたしたちの研究会でも取り上げ,徹底的に議論する必要がある,と覚悟を決めています。

 最後に,このテクストの冒頭に「歴史の天使」という多木さんの詩文が,エピグラフとして飾られています。この文章がとても美しく,しかも,深いところに触手が伸びていて,わたしは何回も何回も熟読玩味しています。できることなら,ここに全文を写しとりたいほどです。でも,そうもいきませんので,その一部だけ引いておきましょう。

フットワーク
「歴史」にも,乱丁,落丁がある。出来損ないの書物のなかの奇妙な迷路。そんな不思議なエアポケットが,写真の場である。歴史学者が見落とした隙間,瞬間をまた細分した瞬間,空虚をまた空っぽにした空虚。それがほんとうには,まだ見ぬ歴史がはじまる場所である。──以下,略。

 この文章を読んで,ハッと気づかれた方もいらっしゃることと思います。そうです。『スポートロジイ』第2号(2013年7月刊)に掲載されている今福龍太さんの特別講演「身体,ある乱丁の歴史」(P.9~27.)です。

 今福さんは,その種明かしをしてくださった上で,このテクストと講演とを重ね合わせて,一度,みんなで議論をしませんか,と誘ってくださっています。もちろん,願ってもないチャンスですので,かならず実現させたいと考えています。

 なお,この『映像の歴史哲学』の刊行を記念して開催された,吉増剛造・今福龍太トークイベント(青山ブックセンター本店)の内容が『週刊読書人』(第3005号,9月6日)に掲載されていますので,そちらもぜひ読んでみてください。ありがたいことに「バタイユの『動物性』」についてもしっかりと論じてくださっています。また,ベンヤミンについても論じてくださっています。

 ここまで読んだときに,ようやく,今福さんが『スポートロジイ』第2号の合評会の第二バージョンをやりましょう,と声をかけてくださったことの意味がこころの底から納得できました。ありがたいことです。大いに準備をして,その機会に臨みたいと考えています。

とりあえず,今日のところはここまで。
 

2013年10月21日月曜日

NHKスペシャル「シリーズ・病の起源 うつ病の秘密に迫る」をみて,考える。

 「戦争に囲まれてしまった現在の私たちは,芸術や映画や写真などを見ながら,言語化し,考えることがなにより大切なのです」と多木浩二さんは語ります(多木浩二『映像の歴史哲学』,今福龍太編,みすず書房,2013年,P.184)。

 ここで多木さんが言っている「戦争」は,「世界の戦争化・戦争の世界化」という多木さん固有の概念であることを念頭においておくことが必要です。それを平たくかみ砕いておけば,日常生活の「戦争」から,世界「戦争」にいたるまでの,人間の生死をめぐるあらゆる「闘い」というように考えてみるとわかりやすいかも知れません。そういう「戦争」に囲まれてしまった時代を生きる私たちは,映像を見ながら,言語化し,考えることが大切だ,と多木さんは力説しています。

 で,早速,日曜日のNHKスペシャル「シリーズ・病の起源 うつ病の秘密に迫る」を,特別の関心をもってじっくりと(ノートをとりながら)見ましたので,こんどは言語化しながら,可能なかぎり思考を深めてみたいと思います。

 NHKのこのシリーズは,教えられることがとても多いのでいつも楽しみにしているのですが,その一方では,映像の構成の仕方といいますか,映像のもつメッセージ性については,どこか不満というか,違和感を禁じえません。もっとはっきり言ってしまえば,番組制作に携わる人たちの思想・哲学があいまいであること,だから,最先端の科学的な研究成果に依存しすぎてしまい,新たな「科学神話」を生みだすことに貢献してしまっているのではないか,という不満です。

 もちろん,ご覧になった方も多いと思いますが,まずは,わたしがこの映像とどのように向き合い,そこから教えられたことの要点を整理しておきましょう。

 現代病とも呼ばれ,近年,激増している「うつ病」のからくり(メカニズム)を,こんなに単純化して,映像にしてしまっていいのだろうか,という根源的な疑問はひとまずおくとして,わたしも負けないくらい単純化して要点をまとめてみたいと思います。

 うつ病を発症するセンターは脳のなかの扁桃体にあり,そこにストレスがかかるとストレスホルモンを大量に生みだし,脳の神経細胞にダメージを与える,これがうつ病の原因だというのです。それを実験で実証してみせてくれます。なるほど,と納得。問題はここからです。

 この扁桃体のはたらきは,もともとは天敵から身を守ることにあるといいます。つまり,生物の生存競争を生き抜くためのもっとも大事な仕組みだというわけです。ですが,天敵につねに脅かされるような環境に身をおくと,恐怖のあまりストレスホルモンが大量に産出され,神経細胞にダメージを与え,うつ病になる,というのです。ですから,そういう「環境」に身をさらすことを回避する智恵が必要になってきます。これが教えられたことの一つ。

 つぎに教えられたことは,チンパンジーの実験です。感染症にかかったチンパンジーを治療するために一年半ほど群れから隔離してしまったために「孤独」に陥ってしまった,それが原因でストレスが溜まり,うつ病を発症した,という事例です。人間もまた「孤独」に陥るとストレスが溜まりうつ病になる確率が高くなるというのです。

 三つ目は,370万年前にアフリカのサバンナで二足歩行による生活をはじめた類人猿は脳を発達させて「記憶」をわがものとした,これがうつ病発症の大きな原因の一つだ,というのです。つまり,身の危険を「記憶」するようになり,その恐怖の「記憶」が大量に蓄積されることによってストレスが溜まり,うつ病が発症する確率が高くなった,というのです。

 四つ目は,190万年前に人類は「言葉」を獲得したと考えられていて,その痕跡が頭蓋骨のブローカ野(や)で確認できる,というのです。言葉を獲得した人類は,恐怖の体験や記憶を言葉によって語り伝えることが可能となります。すると,そのような恐怖体験を聞くことによってストレスが溜まり,うつ病が発症するようになる,というのです。

 ということは,人類は進化とともにストレスを大量にため込むようになり,うつ病の発症率が高まってきた,ということになります。

 その大きな転機となったのはメソポタミア文明であった,といいます。それは,農耕をはじめたことによって,食料の保存が可能となり,貧富の差が生まれ,階級社会が登場したからだ,というわけです。それに引き換え,いまもなお集団で狩猟採集生活をしているアフリカのハッザ族にはうつ病は皆無だといいます。なぜなら,完全なる平等社会がいまも保持されているからだ,と。つまり,みんなで共同で狩りを行い,とれた獲物はみんな平等に分け合い,そこには貧富の差はまったくないからだ,といいます。

 そして,最後に,現代医学は急速に進展していて,うつ病も治すことが可能になってきた,という事例をいくつか紹介しています。つまり,医科学の未来がわれわれ人類を救済してくれる,という次第です。しかし,治療法が確立すればそれでいいのか,というとそれは違うのではないか,というのがわたしの考えです。むしろ,重要なことはストレスを生みだす原因を除去することの方にあるのは,だれの眼にも明らかです。なのに,話をそちらにはもって行こうとはしません。まったく触れようともしませんでした。なぜ,そういうことになるのか,あえてことばにしなくてもすでにお分かりのことと思います。

 うつ病を発症する原因は,人類の進化の順に合わせて,天敵(生存競争),孤独,記憶,言葉,という四つのキー・ワードで整理されていましたが,そこまで言えるのであれば,それらの原因を除去する方法も,いとも簡単にまとめられるのに・・・・というのがわたしの不満です。

 貧富の差を少なくし,可能なかぎり平等な社会を目指すこと,そういうコンセプトを日常生活の隅々にまで行き渡らせること,こんな単純なことを,なぜ,NHKは言えないのか。ちょっと奇怪しい。それを無視して,最後にとってつけたような結論を出していました。これにはいささかあきれ返ってしまいました。

 それは,TLC(生活改善法)を導入すればうつ病を克服することができる,と。つまり,定期的な運動をしなさい,規則正しい生活をしなさい,といった当たり前のことの列挙です。もう,繰り返すまでもありませんが,問題は,そんなところにはありません。そういうTLCが提唱するような健康的な日常生活が送れなくなってしまっているからこそ「うつ病」が激増しているのですから。まともな日常生活をとりもどすこと,それを不可能にしている原因を除去すること。少なくとも,そちらに舵を切ること。

 いろいろと教えてもらうことも多いのに,せっかくの番組の作り方があまりにも杜撰で,雑である,というのが今回の強い印象でした。そこには,確たる思想・哲学がほとんど見られません。多木さんに言わせれば,日常生活を実り豊かなものにする「クンスト」(Kunst カントの言う意味で)が足りない,ということになるでしょうか。
 

2013年10月20日日曜日

山本太郎議員,たった一人,東京五輪国会決議に反対。信念を貫く。立派。

 「お前なんかに原発問題を語る資格はない」と頭ごなしにした著名な評論家にたいして,「一人の国民として語る資格はある」と反論し,ついにその信念を貫いて参議院議員となった山本太郎さん。どんな政治活動を展開するのかと注目している。「今はたったひとりの党」の党首。つぎの選挙で何人に増えるか,いまから楽しみ。

 その山本太郎さん。去る15日に衆参両議院で行われた,東京五輪開催に向けての政府の努力を求める国会決議に,敢然と「反対」の意思表明をした。全国会議員のなかで,たった一人。衆議院では全会一致。山本太郎さんを除くすべての国会議員は東京五輪に万歳なのだ。空恐ろしい「なにか」(「力」としかいいようのない「なにか」)が国会には蠢いているようだ。山本太郎さんの言い分は,「うそで固められた五輪開催には賛成できない」というもの。

 例によって10月18日の『東京新聞』で確認してみると,以下のようである。

 山本氏は,国際オリンピック委員会(IOC)総会で「(東京電力福島第一原発の)汚染水は完全にコントロールされている」と訴えた安倍晋三首相の演説内容が事実と異なると批判。「原発事故は収束していない。汚染水問題など,お金を使うべきところに使わず,はりぼての復興のために五輪をやろうとしている。うそまでついて招致したのは罪だ」と主張した。

 国会決議の内容は,五輪開催がスポーツ振興や国際交流に意義があるとし,競技場などの施設整備や震災復興の推進を求める,というもの。この決議内容については,もう少し詳しくチェックする必要があるが,いずれにしても,東京五輪開催に異議を申し立てる国会議員は山本太郎さんたったひとりだ,という事実に唖然としてしまう。なんだか,アベノミクスの登場以来,1936年のオリンピック・ベルリン大会のころのような「全体主義」化の匂いがしてきて,薄気味わるい。

 山本太郎さんは,こういう「空恐ろしい」感覚に鋭敏な人らしい。

 IWJ(Indipendent Web Journal:岩上安身責任編集)によれば(2013/10/14),山本太郎さんの直近の政治活動は以下のようである。

 9月22日渋谷駅前でスタートした,山本太郎参議院議員による「反秘密保護法 全国街宣キャラバン」。約3週間をかけて全国を回り,臨時国会招集の前日となる10月14日は,東京に戻り,銀座数寄屋橋交差点前で行われた。

 『沖縄タイムス』(2013/10/14)は,山本太郎議員が辺野古視察「新基地は不要」,と報じている。そして,その記事を抜粋してみると以下のとおりである。

 ・秘密保全法の危険性を訴える全国キャラバンを展開している山本太郎議員は12日,日本政府が米軍普天間飛行場の移転先としている名護市を訪れた。
 ・新基地建設に反対し座り込みが続くテント村で,ヘリ基地反対協の安次富浩共同代表から説明を受け,周辺海域を視察した。山本議員は「原発と根底は一緒。新しく基地を造る必要はまったくない」と話した。
 ・名護市役所も訪れ,稲嶺進・名護市長と意見を交換した。

 特定秘密保護法(秘密保全法)に盛り込まれている「特定有害活動」は政府の裁量で指定できてしまう可能性がある,と危惧する山本太郎さん。たとえば,2013/10/13抗議行動が,特定有害活動に指定されてしまう可能性もある,というわけだ。ひょっとすると,原発も「秘密」指定される可能性だって皆無とはいえない。となると,脱原発活動そのものが大きな打撃を受けることになりそうだ,という次第。だから,山本太郎さんは黙ってはいられない。そこで,全国街宣キャラバンを組んで,沖縄にまで足を伸ばしている。

 その上での「東京五輪に関する国会決議」への反対表明である。

 ゲンシリョクムラというファシズム勢力が,真っ暗闇のくらがりのなかで,もぞもぞとうごめきはじめているのだろうかと思うと「空恐ろしい」。まさに「力」としかいいようのない「なにか」が,そこには存在している。しかも,その「なにか」に国会議員の圧倒的多数が怯え,からめ捕られているとしたら,世も末である。

 その意味で,山本太郎さんの「たった一人の反乱」はきわめて重要だ。
 しかし,この勇気ある政治家としての活動を,ほとんどのメディアは「無視」している。ネコの首輪に鈴をつける勇気と決断が,いま,わたしたち国民に問われている。「一人の国民として発言」する権利を行使しなくてはならない。山本太郎さんのように。アホな評論家の言動に惑わされることなく,わが道を進むべし。

 そうしないと「デモ」もできない社会になってしまいそうだ。
 それこそ「空恐ろしい」ことが現実になってしまう。もう,すでに起きているのだが・・・。
 

2013年10月19日土曜日

ロシア・ソチ五輪「聖火リレー なぜ北極点に」(『東京新聞』10月19日・朝刊より)。スポーツ批評・その14.

 「海底資源狙い 露骨な回り道」,対外アピール「政治利用が五輪汚す」という見出しの躍る今朝の『東京新聞』,「こちら特報部」。「ニュースの追跡」を旗印に,さらにニュースの真相・深層に迫ろうとする,いま人気の紙面。

 見開き2ページにわたって,いま,話題のニュースを追跡。日常的なニュースでは伝えきれない,ニュースの核心部分に触手を伸ばしていく。いずれも記名記事なので,記者の力量が問われる,待ったなしの記者魂が伝わってくる。言ってみれば,開かれた議論の場である。

 この「ソチ五輪聖火リレー」の記事と連動するかのように,その左側には,安倍首相が「積極的平和主義」をアメリカの保守系シンクタンク・ハドソン研究所でのスピーチで掲げたことをとりあげて,その真意を問いただしている。しかも,この発言は,アメリカでは「集団的自衛権行使」と解釈される可能性もある(英語表現のアヤ)という。

 〔積極的平和〕とは「戦争だけでなく,貧困や搾取,差別など暴力がない状態」という定義を確認した上で,その実現に向けての「日本の貢献は?」と,問いかけている。そうして,「核なき世界」を示せ,紛争の仲介役期待,という大きな見出しを掲げ,開発や医療・・・支援,多方面に,と主張している。

 要するに,オリンピックは「国際平和運動」を標榜していながら,その内実は「政治利用」の都合のいいツールとして弄ばれている,これでいいのか,ことばの「正しい」意味での「積極的平和」に向けて,東京五輪の基本コンセプトを構築すべきではないのか,と主張しているようにわたしは受け止めた。

 ブログの表題の話にもどそう。
 聖火リレーで,なぜ,北極点にまで行かなければならないのか,というのがこの特報記事の眼目だ。記事によると以下のような解説があり,眼を引く。

 「北極には陸地がなく,氷が解ければ海だ。他の海と同じように国連海洋法条約が適用される。北極点は,どの国の領海でも排他的経済水域でもないが,海底から陸地に続く大陸棚の延長であれば,一定範囲内で資源の開発権は認められる。ロシアは近年,北極点周辺の海底は自国の大陸棚であると主張している。日本国際問題研究所の小谷哲男研究員(海洋安全保障)は「ロシアの深海潜水艦が六年前,北極点の海底に国旗を打ち付け,周辺の海底資源の独占的な開発権があると訴えた。リレーにも同様の意図がある」とみる。──以下,省略。

 そして,記事の最後に,真田久・筑波大教授(スポーツ人類学)の談話が紹介されている。それによると「聖火リレーは清らかな火を素早く神殿に持って行く古代ギリシアの風習に由来する。政治利用される聖火は,聖火台にともされる前に汚れてしまっているのと同じだ」と嘆いた。

 たぶん,真田教授はもっと多くのことを語ったと思われるが,最終的には記者の都合のいい「落ち」の部分だけに利用されてしまったようだ。それは,わたしの経験からもよくわかる。取材にきた記者は自分の論理展開につごうのいい部分しか使わない。あとは,カットされてしまう。

 おそらくは,真田教授はつきのようにも語っていたはずだ。
 聖火リレーは,ナチスのオリンピックと言われた1936年のベルリン大会にはじまった。当時の組織委員会事務局長を務めていたカール・ディーム(のちに,ドイツ・スポーツ大学ケルンの学長になる)の発案になるものだ。ディームは,プラトンの『国家』の冒頭に描かれたアテネの「聖火競走」をヒントにして,近代オリンピックに応用したのだ。それは,古代オリンピックの聖地「オリンピア」で採火した「聖火」を,近代オリンピックの開催地「ベルリン」まで,リレーして運ぶというアイディアであった。このアイディアはヒトラーにも歓迎され,早速,採用されることになった。しかし,ヒトラーはこのアイディアを「政治利用」することを思いつき,ギリシアのオリンピアからベルリンまでの主要幹線道路をくまなく調べ上げ,どのコースを走るかも綿密に練り上げた。そのコースは,第二次世界大戦がはじまったときに,ドイツ軍が侵入していく上で大いに役立った。つまり,聖火リレーはその当初から「政治利用」される「汚れたイベント」だったのだ。プーチンは目ざとくそれを見習っただけのことだ,と。

 この話はとても有名な話なので,かなりの人たちには常識である。
 たとえば,多木浩二さんは,リーフェンシュタールの撮った映画『オリンピア』をみたときの記憶を頼りに,つぎのように語っている。(ちなみに,多木さんが映画を初めてみたのが,小学生のときで,それがこの映画だったという。)

 「そのときに自分のなかに残っていたイメージというのは,神話的な部分です。それは,いまは聖火リレーと言われている部分です。聖火リレーなるものは,じつはこのベルリン・オリンピックではじまったのでした。そこにはナチの戦略的で地政学的な問題が絡んでいます。だからこそバルカン半島からベルリンまですべての地域をランナーが踏破できるわけです。そういった地政学的条件が聖火リレーという儀式と重なっていました。この映画は,強烈な神話的世界を映しだしたものなのです。そうした側面は子供ながらに,鮮明に頭のなかに残っています。」(多木浩二『映像の歴史哲学』,今福龍太編,みすず書房,2013年6月刊,P.143.)

 結論:聖火リレーは「神話」を生みだすための絶好の文化装置である。したがって,よくも悪くも,いかようにも利用可能なまことに便利なツールなのだ。つまり,「神話的暴力」(ベンヤミン)をめぐるきわめて重要なテーマなのである。このことについては,いつか,もっと深く思考の根を下ろしてみたい。オリンピックとはなにか,を考えるための手がかりのひとつとして。
 

2013年10月18日金曜日

五輪のシンボル・マークはクーベルタンの創案ではなかった。スポーツ批評・その13.

 青・黄・黒・緑・赤の五輪のシンボル・マークは,それぞれ順にオセアニア,アジア,アフリカ,ヨーロッパ,アメリカの五大陸を表し,世界がお互いに手を結んで平和になることを願って,クーベルタンが創案したものだ,とわたしはこんにちまで信じて疑わなかった。が,そうではない,と多木浩二さんは仰る(『スポーツを考える』,ちくま新書,P.59.)。

 その根拠として,「古代オリンピックの聖所に彫られていた五輪の象徴」というキャプションを付して,写真まで提示している。これも,わたしの不勉強で,「えっ?!」と驚いて,わが眼を疑う。断っておくが,わたしの卒業論文は「古代オリンピック競技の起源について」(Urlich Popplov, Die Ursprung der Olympischen Spiele,という当時の最先端の論文〔雑誌:Olympisches Feuer に連載されていた〕を翻訳して,それに若干の考察を加えたもの)である。一応の基礎知識は,その後も追い続けていたので,持ち合わせているつもりである。もっと言っておけば,その研究につづけて,Franz Mezoe,Die Geschichte der Olympischen Spiele を翻訳して(のちに,大島鎌吉さんの翻訳で出版されている),指導教官に提出している。だから,多木さんのアンテナはどこまで伸びているのだろうか,と感心してしまった。

 で,あわてて,あちこち調べてみたら,以下のようなことがわかってきた。しかも,さすがの多木さんも記憶違いをしていたことも明らかになった。

 それは,多木さんの付したキャプション「古代オリンピックの聖所に彫られていた五輪の象徴」にある。古代オリンピックの聖所といえば,一般的にはゼウスを祭神とする「オリンピア」のことを指す。しかし,この「五輪」のマークが彫られていたのは,オリンピアの聖所ではなくてデルフォイのアポロン神殿の祭壇の壁であることがわかった。デルフォイといえば,古代ギリシアにあっては「世界のへそ(中心)」と信じられていた聖地である。古代史に大きな痕跡を残した「神託」の多くはここで出されたものであった。それほどに大きな力をもっていた聖地である。

 しかも,ここでは「ビュティア」という祭典競技が行われていた。古代ギリシアでは「四大祭典競技」と呼ばれるものが行われていて,ビュティアもそのなかの一つ(あとの三つの祭典競技は,オリンピア,ネメア,イストミア)であった。だから,多木さんのキャプションは広義に解釈すれば間違いではないのだが,厳密には,ビュティアである。ちなみに,「古代オリンピックの聖所」といえば「オリンピア」でなくてはならない。

 クーベルタンは,このデルフォイのアポロン神殿の祭壇に彫られていた五輪の紋章に着想を得て,こんにちの「五輪」を制作したというわけである。厳密に言えば,「青・黄・黒・緑・赤」の色分けをして,それを五大陸に当てはめたところが,クーベルタンのアイディアであった。この「五輪」のシンボル・マークを,クーベルタンは1914年のIOC設立20周年記念式典で発表した。

 付け加えておけば,デルフォイのアポロン神殿祭壇に彫られていたこの五輪のマークは,祭典競技を開催するための「休戦協定」について刻まれていた文言のなかにあるものだ,という。そこには,1,000以上ものメッセージが刻まれていて,そのほとんどは「奴隷解放」がその主な内容である,という。

 五輪のシンボル・マークをクーベルタンが創案したとされる背景にはこんな事実が隠されていた,という次第である。いつのまにか,この事実はどこかに消え去ってしまって,新たに「クーベルタン神話」が生まれ,それが事実として巷に広まっていく。おそらく,神話とはこんな風にして誕生するものなのであろう。その是非論については,また,いつか,論じてみたいと思う。

 いずれにしても,五輪のシンボル・マークはクーベルタンの創案になるものではなく,遠く古代ギリシアの世界にまでさかのぼる由来があることが明らかになった。そろそろ,「クーベルタン神話」を脱構築するときを迎えているように思う。少なくとも,2020年の東京五輪招致を機会に,オリンピックにまつわる数々の「神話」を訂正していく努力をしていく必要があるだろう。その主役は,スポーツ史学会が担うことべきではないか,と密かに考えている。

 この問題については,また,いつか問題提起をしてみたいと思う。
 今日のところは,ここまで。
 

2013年10月17日木曜日

クーベルタンとヒトラーの接点を考える。スポーツ批評・その12.

 一度読んだ本はもういいとする悪い習慣がわたしにはある。夏目漱石の『我輩は猫である』は10年に一度は読め,そのつど新しい発見がある,と書いたのは江藤淳だっただろうか。記憶があまり定かではないが,10年生きているとそれなりに成長する,その成長に応じて本の読み方もおのずから変わる,というのだ。なるほど,とおもったものの実行はほとんどしていない。

 多木浩二さんの『スポーツを考える』(ちくま新書)もそういう本だ,ということを今回,久しぶりに再読してみてつくづくそうおもう。こんなに面白い発想の仕方があるのか,という方法はもとより,内容という点でも,驚くべき発見がある。一度,読んだら忘れるはずのない内容なのに,なぜか,すっかり忘れているのだから不思議だ。

 そのひとつが「クーベルタンとヒトラーの接点」である。まさか,近代オリンピックの祖・クーベルタンとあの悪名高きナチズムのヒトラーと「接点」があったとは,だれも思うまい。だから,もし,あったということを知ったら,こんな特ダネを忘れるはずはないだろうに・・・。なのに,すっかり忘れているのだから,不思議だ。人間の記憶などというものはいい加減なものだ。

 多木さんによると,クーベルタンは晩年を,ヒトラーの提供した多額の年金で暮しをたてていたというのである。なぜなら,クーベルタンはヒトラーのプロパガンダとして利用されていたからだ,という。もっとも,多木さんによれば,クーベルタンとヒトラーとの間にはお互いに響きあうものがあったように思うから,別に不思議ではない,という。

 そのひとつの例として,1935年8月4日にベルリンのラジオ放送でクーベルタンが話した内容(タイトルは「近代オリンピックの哲学的基礎」)が取り上げられている。たとえば,つぎのような具合である。

 古代オリンピックの根本的な特徴は,近代オリンピックもまったく同様だが,ひとつの宗教だということである。・・・・オリンピックの第二の性格は,貴族主義であり,エリート主義であるということである。もちろん,この貴族主義とは,もともとは平等であり,個人の身体的な優越性と,訓練の意志によってある程度まで増強できる筋肉的な可能性によってのみ決定されるものである。

 このクーベルタンの発言に対して,いまさらコメントする必要はなにもないだろう。このまま,素直に読み取ればそれでこと足りる。つづけて,もう一点,多木さんが引用しているので,それも紹介しておこう。

 真のオリンピックの英雄とは,私の眼には,成年男子の個人である。私は,個人的には,女性の公的競技への参加は認められない。これは女性が多くのスポーツの実践を控えねばならないという意味ではない。スペクタクルに身をさらすべきでないという意味である。オリンピック競技においての彼女たちの役割は,かつてのトーナメントの場合同様に,勝利者に冠を授けることであるべきだ。

 この二つの引用文を読めば,クーベルタンとヒトラーがお互いに響きあう心性をもっていたであろうことは疑う余地はない。それどころか,クーベルタンにはヒトラーを賛美する傾向があった,とさえいわれていると多木さんは指摘している。そして,「クーベルタンは,実際にはきわめて保守的で,人種と性を差別する白人男性の思想から免れていなかった。しばしば称賛されてきたように人類愛に燃え,同時代の人間の健康に留意している人物ではなかった」とも書いている。

 クーベルタンは私財を投げうって,オリンピック・ムーブメントのために全力をそそいだといわれていて,先祖伝来のフランス貴族の遺産も使い果たし,最後には「破産宣告」まで受けて,落魄のうちに生涯を閉じた,というところまではわたしの記憶にもある。しかし,晩年には,ヒトラーからの高額な年金を頼りに,スイスでひっそりと暮らしていた,という事実は多木さんのこの本ではじめて知ったことである。

 もっとも,これはわたしの不勉強がなせるわざであって,少しく,クーベルタンの事跡を追ったことのある人にとっては,おそらく常識なのだろうとおもう。ただ,そういう人が日本には少ないということなのだろう。と思って,多木さんが用いている出典を確かめてみたら,フランス語で書かれた原典からのものだった。わたしの手のとどかないところに,その情報源があった。多木さんのアンテナの高さに脱帽するのみである。

 クーベルタンについては,そのむかし読んだことのある『オリンピックと近代──評伝クーベルタン』(ジョン・J.マカルーン著,柴田元幸/菅原克也訳,平凡社,1988.)のなかで,相当に詳しく論じられているので,こちらもおさらいをしておかなくてはいけない,と反省。 

 ということで,今日はここまで。

「社会とスポーツの関係は逆転しているが,逆転していないふりをしてスポーツは実践されている」(多木浩二『スポーツを考える』より)。スポーツ批評ノート・その11.

 多木浩二さんが,なぜ,『スポーツを考える』などという本を書いたのか,この本が出た当時(1995年)はなっとくがいかなかった。しかし,つい最近,今福龍太さんから送っていただいた本を読んで,その謎が解けた。

 その本は多木浩二さんの講義録をまとめた『映像の歴史哲学』(今福龍太編,みすず書房,2013年6月刊)である。この本の冒頭に,生まれて初めて見た映画が,小学生のときに見た,レニ・リーフェンシュタールが撮った『オリンピア』(1938年,ベルリン・オリンピックの記録映画)で,強烈なショックを受けた,とある。そして,第5章では,オリンピア──すべてが映像になるために作られた神話,が収められている。しかも,この本のなかの中核的な位置をしめている力作である。言ってみれば,多木さんのその後の人生を決したといっても過言ではない。この本のことについては,いずれ,このブログでもとりあげて論じてみたいと思っている。

 だということがわかると,『スポーツを考える』という本を多木さんが書くことになったとしても,なんの不思議もない。律儀な多木さんのことだから,おそらく,小学生のときに抱いたスポーツの衝撃とその不思議なイメージに対して,みずからその謎解きをした,というのが正直なところかもしれない。いやいや,もっと単純に考えてみても,多木さんが,のちに「映像文化論」に分け入っていく原点がここにあった,というべきだろう。

 いずれにしても,このテクストは多木さんが,かなりの思い入れをこめて書いていることが,全編をとおしてひしひしと伝わってくる。だから,いま,読んでみてもまったく古くなっていないどころか,いまも新鮮で,強烈なメッセージを送り続けている傑作である。

 そんななかから,一つ,これから掘り下げて考えてみたいと思う話題をとりあげてみたい。
 第五章 過剰な身体,のところで(P.131,以下),ミシェル・フーコーのいう「規律・訓練される身体」をとりあげ,ひととおり論評を加えたあとで,現代社会のスポーツの身体は「規律・訓練を離脱する身体」ではないか,と論じている。とても,魅力的な論を展開しているので,多木さんの文章を引用しながら考えてみたい。まず,多木さんは,つぎのように切り出している。

 厳密な言い方ではないが,現在のスポーツのゲームに現れている身体は,すでに,テクノロジーを組み込んだ一種の幻覚の領域に入り込んでいるのではないのか。どんなに筋肉美を誇ろうと,それはかえって幻覚的になり,すでに身体は明瞭な輪郭を失っているのである。身体のこのような状態は,フーコー流の従順な規律・訓練の身体を少なくともイデオロギー的にはもっとも人間的であると見做してきた近代スポーツが,巨大な力に押されて超近代スポーツに発展することのなかで生じてきた。もちろん個々の競技者がそんな身体の変容を促す力を意識しているわけではない。個々の競技者を超えたスポーツという領域が辿る運命であり,それが個々の身体の上に現れているのである。

 かつて,今福龍太さんが「透明な身体」「透けてみえる身体」と表現したことと同じ視線がここに読み取ることができる(『近代スポーツのミッションは終わったか』,平凡社)。それは,近代スポーツから超近代スポーツへと逸脱していくスポーツの運命であり,必然である,というわけだ。この前置きをした上で,多木さんはつぎのように書く。

 それにもかかわらず,スポーツはスポーツとして存在するためには,人間性というすでに不確かになってしまった神話を,自らの核心におかざるをえない。スポーツなるゲームを無償の身体の活動に基礎づける人間学的な思考そのものが,完全な危機的状態において維持されているのである。すでに述べたように,今日のスポーツのさまざまな様相を社会が生みだしたものとして,その原因を社会的要因に求めるのが普通であるが,ほんとうは反対に社会の方がスポーツに可視化され,人間性を顕在化せしめる形式のひとつになっているのである。われわれは社会を実体として,あるいは全体性として捉えうるものとして想定するのではなく,こうしたさまざまな形式によってそのつど経験しているのである。すでに社会とスポーツの関係は逆転しているが,同時に逆転していないふりをしてスポーツは実践されているのである。

 社会とスポーツの関係は,逆転している,と多木さんは断言する。つまり,近代スポーツは近代社会の反映としてとらえることができるけれども,超近代スポーツ(わたしのことばでいえば「後近代スポーツ」)にあっては,もはや社会の方がスポーツによって可視化され,人間性を顕在化せしめる形式のひとつになってしまった,と。にもかかわらず,この逆転が起きていないふりをして,人間性を核心に据えたスポーツが実践されている,という。そこから,さらに多木さんはもう一歩踏み込んで,つぎのように考える。

 こうした根本的な矛盾は,スポーツが暴力を制御してきたゲーム性を解体しないだろうか。暴力がスポーツの領域のどこかから噴出しても不思議でない状態が生じていないだろうか。近年とみに問題になるのは,サッカーのサポーター(フーリガン)の暴力沙汰である。

 というようにして,ノルベルト・エリアスが『文明化の過程』のなかで述べていることに根源的な問いを発している。つまり,前近代まで存在していた暴力を制御することによって近代スポーツというゲームを成立せしめた近代の「文明」が,超近代へと移行するにつれて暴力の制御装置(=近代社会)に破綻をきたしているのではないか,と。しかも,それが人間性という不確かなものを核心に据えなければならない,というスポーツそのものの根本的な矛盾に発しているとしたら・・・,と多木さんは指摘する。

 さて,ここからがわたしの出番である。わたしは,人間性そのものが,動物性から<横滑り>をし,その動物性を否定するところから人間性が立ち上がってきたとするバタイユの理論仮設に依拠すれば,ルールによって制御された暴力(=動物性)は行き場所をうしない,かならずどこかから噴出する,と考える。この仮設は,ジャック・デリダの「脱構築」の理論からも説明が可能である。すなわち,時代が超近代に移行し,まったく新たな超近代スポーツが出現しているにもかかわらず,いまも近代スポーツのルールを護持しようとしている時代錯誤(あるいは,逆転していないふり)を,いかにして超克していくか,がいま問われている喫緊の課題である,と。抑圧・隠蔽された暴力は,いつか,かならず亡霊のように突然,噴出する。

 エリアスから多木さんを通過して,いま,わたしたちはこの地点に立たされている,というのがわたしの認識である。

 とりあえず,ここまでとする。

2013年10月15日火曜日

多木浩二著『スポーツを考える──身体・資本・ナショナリズム』(ちくま新書)を再読。スポーツ批評ノート・その10.

 スポーツを「批評」するということはどういうことなのか,とこのところ考えつづけている。考えつつ原稿を書いている。たとえば,「太極拳」を批評する,とはどういうことなのか,と。実際にその「批評」を書いてみる。いま,イメージしている程度には,なんとか書けていると思う。しかし,書いた自分がいまひとつ納得がいかない。なぜだろう?と考える。

 いま,わたしたちが日常的に目にしているスポーツとは,いったいなんなのか,と。わたしたちが,いま,「日常的に目にしているスポーツ」のほとんどは,テレビの映像をとおしてのものであり,じかにスタジアムで,自分の目でみることの方が圧倒的に少ない。しかも,自分が得ているスポーツ情報も,自分で現場にでかけて行って,自分の目や耳や肌で感じ取っているものではない。そのほとんどは,テレビの映像をとおしてであり,新聞,雑誌などの記事であり,写真である。あるいは,友人がスポーツ観戦してきたときのみやげ話である。

 つまり,受け身でしかない。実際にランナーとして大会に出場したり,定期的に野球なり,サッカーなりをチームをつくってプレイしている人たちは,現代日本の社会にあっては,ごく少数派であることは確かだ。この人たちの感じ取っている「スポーツ」のイメージは,おそらく直接的な体験をとおして形成されているだろう。しかし,それ以外の人びとのイメージする「スポーツ」は,そのほとんどは間接的なものであり,受け身の情報にすぎない。言ってみれば,メディアをとおして得たものばかりである。

 だとすれば,現代(いま)を生きているわたしたちにとって,スポーツとはなにか。スポーツはどこからやってきて,これから,どこに向かって進もうとしているのか。あるいは,スポーツがたどらざるをえない「必然」とはなにか。生身の生きる人間にとってスポーツとはなにか。そこのところの認識が,いま,問われているに違いない。スポーツを「批評」するという営みの一つの拠点はそこにあるのだろう。

 このことにうまく応答できないために,スポーツを批評する原稿が,いまひとつ満足できないでいる。早急になんとかしなくてはならないのだが・・・・。

 そんなことを考えていたら,もう,ずいぶん前に読んだことのある多木浩二さんの『スポーツを考える──身体・資本・ナショナリズム』(ちくま新書,初版は1995年)が脳裏に浮かんできた。あわてて,書庫のなかを探しまわる。

 多木さんは,この本のなかで,ノルベルト・エリアスの『文明化の過程』のはたした功績と限界を論ずるところから始めている。たとえば,「スポーツがイギリスで発生する過程とイギリスの議会制度の発生とが同時代的かつ同質的な関係にあることを指摘しているのは卓見と言うべきであろう」と称賛した上で,以下のように,その限界を指摘している。

 ・・・・スポーツは今では,エリアスが考えてきた近代スポーツの枠組みをはるかにはみだしてしまった。スポーツは一方では近代固有のナショナリズムを乗り越えているが,他方ではあらたなナショナリズムを生みだしてもいる。スポーツは世界的に異常に肥大化した人間活動のタイプになった。ほとんど毎日なんらかのスポーツが行われ,とくにテニスやゴルフの選手たちは一年中,世界を駆け回っていると言ってもいい。

 と前置きした上で,新たに現象しつつある問題点について,つぎのように切り込んでいく。

 スポーツ大会やスポーツ選手の養成に注ぎこまれる資金は巨大化し,テクノロジーとともに用具は変わり,また計時法の精密化のために,ほとんど意味のない百分の一秒の差異を争う結果を生んだ。当然,異常な身体の発達をまつことになり,トレーニング法が開発されるとともに,ドーピング(薬物による身体の増強)が広範に使用される。──中略──。かつて性差が強調されてきたスポーツの世界にも変化が起こった。今では女性が行わない競技はほとんどなくなった。われわれはいかに差別が行われているかを論じる以上に,女性のスポーツを男性スポーツ同様に扱い,その可能性と問題点を指摘すべき時代に入っている。

 と,まずは,スポーツの現場に起きているエリアス以後(1930年代以後)の問題を指摘し,さらに,この現場に「さまざまな言説」(メディア)が群がることの問題をとりあげ,それらが「資本制のシステム」と分かちがたく結びついていることを多木さんは強調する。そして,「スポーツを問うことは社会を問うことなのである」,とずばりと断言する。

 そして,最後につきのように締めくくっている。

 かりにスポーツを社会の表象と見なすなら,こうした表象の変容はもはやこれまでの身体や文化についての社会的な表象の垣根を超えている。これは資本制のシステムと分かちがたい。あるいは虚構のゲームとしてのスポーツの方が,世界化した資本主義のモデルになっていったのではなかろうか。

 こうした多木さんのご指摘を,もうかれこれ20年も前に読んでいたのに,ほとんど忘れてしまっている。にもかかわらず,わたしはいま,多木さんご指摘の問題系の延長戦上に立ち,必死で,つぎなる「批評」のステージを模索している。たぶん,わたしの無意識のなかで,多木さんの蒔かれた種が芽ぶき,枝葉を繁らせ,それがあたかもわたしのオリジナルな発想であるかのごとき錯覚を起こしているにすぎないのだろう。

 つい最近,雑誌『世界』に書いた拙稿「オリンピックはマネー・ゲームのアリーナか」(「魂ふり」から「商品」に変転するスポーツ)も,いま読み返してみると,まさに,この多木さんのご指摘の延長線上にあることがはっきりしてくる。われながら驚きである。そして,いまや,スポーツは世界を考える上では絶好の素材である,と主張するまでにいたっている。

 問題は,多木さんのご指摘からもう20年が経過しようとしているいま,つぎなる「スポーツ批評」のステージをどのようにして切り開いていくのか,それがわたしたちに課された喫緊の課題である。
しかも,「3・11」を通過したいま,フクシマ原発の放射能は飛び放題,汚染水も垂れ流しのまま,そのさきの展望も得られない前代未聞のきびしい現実を目の当たりにしながら,いまを生きるわたしたちにとって「スポーツとはなにか」と問うことの困難が待ち受けている。しかも,ここを避けてとおることはできないのである。

 だから,太極拳を「批評」することの困難もここにある。この問題に曲がりなりにも自分の答えを用意しないことには,すっきりした原稿は書けないのだ。

 多木さんは,ノルベルト・エリアスの論考を手がかりにしながら,その功績を讃えつつ限界を指摘し,「スポーツとはなにか」と考える。それから20年後のわたしは,多木さんの功績を讃えつつその限界を指摘した上で,みずからの思考を展開しなくてはならない。その意味で,この多木さんのテクストは,まことに得難い手引き書でもある。しばらくは,このテクストを熟読玩味しながら,わたしなりの「批評」の方途を見いだしてみたいと思う。

 ちなみに,多木さんのこのテクストは2012年に第6版を重ねている。いまも,多くの人に読み継がれている証拠である。もう一度,わたしたちの研究者仲間で,このテクストについて徹底的に議論をしなくては・・・・と考えている。

 

2013年10月14日月曜日

「(新技・シライの)あの空中感覚は自由に遊ばせてもらったお蔭です」・白井健三選手談。

 天才だ,いや,英才教育の成果だ,といま話題の人,体操の白井健三選手が今朝(14日)のテレビで生出演していたので,じっくりと耳を傾けていました。ちょうど,わたしの朝食どきだったのでラッキーでした。

 そのなかで白井選手が,わたしにとってはとても興味深いことをいくつも言っていたので,そのなかのもっとも興味を引いたことを書いておきたいとおもいます。結論から言うと,以下のとおり。

 気がついたらトランポリンで遊んでいました。コーチは基本だけ教えてくれて,それ以上のことはやってはいけない,と言われていました。だから,コーチがいないときに,自分で勝手にやってみたい跳び方をして遊んでいました。これがとてもよかったといまは思います。自由に,自分で考え,手さぐりで,ドキドキしながら,いろいろのことを試して遊んでいるうちに,自分なりの空中感覚が育ってきたとおもいます。いまでも,コーチのことばに耳を傾けるけれども,最終的に信じているのは自分の感覚です。少なくとも,中学生になるまでは,競技選手になるための特別の指導を受けたことはありません。両親もきびしく縛るというよりは自由放任主義で,自由に遊ばせてくれました。教えてもらったのは,基本だけです。

 4回半までひねることはできるますが,試合には使いません。着地が安定しないからです。4回半のひねりの練習をしておけば,4回ひねりに余裕が生まれます。そうすれば着地に余裕が生まれます。だから,それで充分です。

 自分の感覚で納得できないことはやりません。あっ,とひらめいたときにはやってみます。これまでもずっとそうしてきました。

 というような具合に,白井選手はなんの衒いもなく,じつに素直にインタヴューに応じていました。高校2年生,まだ,どこかあどけなさを残す童顔で,声変わりもまだかな,とおもわせるような高いトーンの声で,すらすらと答える白井選手の姿はとても好感のもてるものでした。

 なかでも,もっとも印象に残ったのは,「ずっと自由に遊ばせてくれていた」ということばでした。これと同じようなニュアンスのことばを何回も発言していたように思います。わたしがこれまでに白井選手について描いていたイメージは,ずっと,いい環境のもとで,いい指導者に恵まれて,子どものときから英才教育を受けてきたものとばかり思っていましたら,そうではありませんでした。教えてもらったのは基本だけで,あとは,遊びのなかでの好き勝手な創意工夫だった,ということを知って驚きました。

 やはり,もっている子はもっている。もっていない子はもっていない。もっている子は放っておいても自分でその才能を遊びのなかで伸ばしていく。もっていない子はいくらコーチが教えても限界がある。

 世の中では,教育が大事だ,こどものときから計画的な教育が大事だ,といって幼児の段階から習い事に行かせる親が多い。そして,東大に入れるためにはどこの塾がいいとか,どこの予備校がいいとか,と必死になる。その成果はたしかにあって,かなりの確率で東大に合格するらしい。でも,よくよく聞いてみると,そういうコースを歩んできた学生の多くは,合格したところで目的が達成され,バーン・アウトしてしまうといいます。そして,そのあとの伸びがない,と。

 1年くらい浪人したっていい。高校卒業するまでは,のびのびと自分の好きなことに熱中する,そういう経験を通過して,最終的に自分のやりたいことをしっかり見極めた学生の方が,そのあとの伸びがいい,と聞いています。わたしの出会った学生さんたちをみていても,そう思います。

 体操教室も同じで,子どものときから英才教育を受ければ,ある程度までは間違いなく伸びます。しかし,よくても全日本止まり。世界に通用する選手にはなれません。むしろ,だれにも拘束されない遊びの世界で,必死になって創意工夫する能力こそが,自律・自立への道を切り開くのではないか,とわたしは考えています。

 内村選手も,加藤選手も,よく似た環境のなかで育ってきている,と聞き知っています。そして,共通していることは,二人ともかなり自由に遊ばせてもらっていた経緯があるという点です。もっている子は間違いなくそれを伸ばしてきます。もっている子に,つぎはこれ,そのつぎはこれ,といってすべての練習メニューを小出しにしてコーチが与えると,受身のままの優等生らしい,こじんまりとした選手になってしまうだろう,と思います。

 子どもをほんとうにのびのびとその才能を伸ばしてやろうと思ったら,できるだけ手をかけないで,自由に遊ばせることです。子どもは,その遊びのなかで夢中になって創造力を全開させます。この経験が大事なのだと思います。大人が勝手に,さきまわりをして余分な干渉をするのは,かえってその子のもっているものを壊してしまうことになりかねません。

 子どもの成長をじっと見守りながら待つ。この姿勢が大事なのだ,ということを白井選手の話を聞いていて強く思いました。じっと耳を傾けて「聞くことの力」(鷲田清一)の重要性とか,子どもの成長をじっと「待つ」ことのできる「力」が親には大事なのだ,としみじみ思いました。

 目先の結果ではなく,遠い将来を見据え,その子の能力が開花するのをじっと「待つ」,その力こそが親には必要なのだろと,白井選手の話を聞きながら思いました。

 試合で失敗したらどうしようとか思いませんかと聞かれた白井選手は,「思いっきりやって失敗したのならそれでいい。つぎに成功させればいい,といつも自分に言い聞かせています」と応答しています。みごととしかいいようがありません。

 今朝はとてもいいテレビを見たなぁ,と大満足。テレビは基本的に大嫌いですが,ときおり,とてもいいカットに出会うことがあり,やはり,テレビは捨てがたいと思うこともあります。そんなことより,なにより,白井選手がこれからも,いまと同じような素直さで,のびのびと体操競技の才能を伸ばしていってほしいと思います。コーチは,余分なことを言わないように。すでに,白井選手は異次元の世界に生きているのですから。もっとはっきり言っておけば,コーチも知らない世界に白井選手は足を踏み入れているのですから。未知の世界で,白井選手はみずからの感覚を頼りに,さらなる可能性を追求しているのですから。

 天才は孤独です。白井選手のこんごは,その孤独との闘いだろうなぁ,と思います。周囲は,そっと,温かく見守るしかないのでしょう。そして,白井選手のよき相談相手になることでしょう。そのときに,どのようなことばを発することができるか,ピンポイントでそれに応答できる人がコーチだといいなぁ,と陰ながら応援しています。

 とまあ,そんなことを朝から考えていました。いい一日でした。大満足です。
 

ニギハヤヒを祀る磐船神社の岩窟くぐり。進退極まり,神に触れる。(出雲幻視考・その9.)

 大阪の交野市の私市(きさいち)まで,阪急の交野線が走っています。つまり,私市はその終点ということです。どうして,こんなところを終点とする交野線が引かれたのか,この地方になじみのないわたしには,ちょっと理解しがたいものがあります。

 しかし,いささか強引なこじつけをすれば,私市は磐船神社への参拝客の入り口だったのではないか,と思われます。私市からなだらかな傾斜地を登りつめ,急坂を分け入ると,そこに磐船神社が鎮座ましましています。しかも,水量はそんなに多くはありませんが川を挟んだ渓谷に,巨岩が折り重なって崩れ落ちていて,思わず息を飲むほどです。その巨岩が並の巨岩ではありません。学校の教室くらいの大きさの岩がいくつも,複雑に折り重なっています。なにも知らずにここを通りがかったとしても,思わず足を止めてしまうでしょう。この世にあらざるものを見てしまった,そんな驚きを伴って。

 わたしたちは奈良から車を駆って磐船街道を北上したのですが,途中で道に迷い,私市に降りてきてしまいました。第一,「私市」を「きさいち」と読むことを知って(道路表示で),びっくりしたほどでした。しかし,あとで大阪の人間に聞いてみたら,みんな知っていました。それなのに,磐船神社のことは,ほとんどの人が知りませんでした。が,そんな遠回りをして,やっと捜し当ててたどりついたにもかかわらず,山道のカーブを曲がって,この巨岩の積み重なり具合を目にした瞬間に,神社もなにもみえない段階で「ここだっ!」と思わず叫んでいました。

 この巨岩の陰に,ちいさな祠と社務所がありました。駐車場に車を止めて,しばらくは呆然としながら,この巨岩群を眺め,その下を流れる川を覗き込んだりして時間を過ごしました。それから,気を取り直して,社務所の窓口をたたき,巨岩群の中に分け入る「岩窟くぐり」の入場券を求めました。入り口からずっと赤い矢印があるので,それに沿って進むように,と注意をされ,途中でものを落とすと拾えないので,ポケットのものも全部預かると言われました。

 が,財布とデジカメくらいは大丈夫だろうと考え,あとのものは車に残して,勇んで岩窟くぐりの巨岩群のなかに入場しました。少し進んだところで,しまった,甘く考えすぎていた,とすぐに気づきました。最初のうちこそ,岩に衣服をこすらないようにと注意しながら,慎重に進んで行ったのですが,とんでもない,ということが途中からわかりました。巨岩と巨岩の間を斜め下に降りていくときには,からだをまっすぐに伸ばして,ずるずると滑るようにして降りていくしか方法がありません。しかも,そのあたりの岩は上から落ちてくる水の滴で濡れています。ですから,あっという間に,衣服は濡れて,泥だらけです。

 もう,こうなったら意を決してなりふり構わず前進あるのみです。しかし,考えてみたら,後戻りはできない構造になっていることに気づき,度肝を抜かれてしまいました。このさきがどうなっているのかも,まったく予測がつきません。岩と岩の間が離れているところには,間伐材を2本並べただけの狭い丸太橋が架けてあります。これも濡れていて,まことに滑りやすいのです。わたしは,ビブラム底の登山靴でしたので,なおのこと滑りやすいので,往生しました。一緒に行ったT君は,スポンジのサンダルだったので,じつに安定していて,すいすいとさきを進んでいき,わたしを待っていてくれます。

 それで焦ったわけではないのですが,岩の頭の上で右足の靴を滑らせてしまい,完全にバランスを崩し,ぐらりと左にからだが傾いてしまいました。ちょうど,左手を伸ばしたさきに巨岩があったので,それを支えにして,かろうじて静止することができました。が,そのまま体勢をもとにもどすことができません。斜めに両手を伸ばしてもたれかかったままの姿勢で止まっています。下を見ると,川が流れています。ああ,このまま,あの川に飛び込むしかないなぁ,とそんなことが脳裏をよぎりました。

 しばらくして,T君が気づき,にやにや笑っています。が,わたしの顔が必死であることに気づき,あわてて救いの手をさしのべてくれました。そして,なんとか窮地から脱出することができました。それにしても,なんという岩窟くぐりなのか,と考えてしまいました。まずいところに入り込んでしまったものだ,と。途中から靴を脱いで裸足で歩こうかと考えましたが,脱いだ靴をどうするか,その方法がみつかりません。ですから,仕方がないので,そのまま履いて歩くことにしました。急に怖じ気づいてしまったのか,ますます,靴がよく滑るのです。進退極まれり,とはこのことだとしみじみ思いました。でも,とにかく前に進むしかありません。まるで,神様の試練にさらされているような気分でした。

 もともと,神様はいるかいないか,と聞かれれば「いる」という方に賭ける(パスカルの『パンセ』)方なので,このときは,出口にたどり着くまで,まさに「神に触れ」ているような感覚でした。やはり,神様はいるよなぁ,と。そして,とんでもない試練を与えるものだなぁ,と。齢75歳にして,初めて真剣に神と向き合った気分でした。

 明るい出口にでてきたときには,T君には内緒でしたが,足がわなわなと震えていました。社務所に,無事帰還を報告して,車に戻ろうとしたら「注意書き」が目に入りました。そこには,なんと「小学生,および70歳以上の人は入場お断り」とありました。それをみて,再度,冷や汗が背中を流れました。

 ここが,ニギハヤヒが天磐船(あまのいわふね)に乗って天から降ってきたという伝承のある聖地です。天孫族の一人とされていますが,登美長髄彦(とみのながすねひこ)とともに神武軍と死闘を展開しているところをみると,どうやら,あとからこじつけた神話のようです。このニギハヤヒが,さらに空を飛んで,大和国の鳥見(とみ)の白庭山に降り立ったといわれています。その地もまた富雄川(とみおがわ)に沿ったところです。いずれも,登美,鳥見,富,の一族の拠点です。すなわち,出雲族ではないか,という次第です。

 だとすれば,野見宿禰から菅原道真までは一直線でつながっていくことになります。その意味で,ニギハヤヒの存在は重要だと考えています。このニギハヤヒについては,いずれ,もう少し深く考えてみたいと思います。

 以上,この夏の忘れられない記憶をたどってみました。取り急ぎ,今回は磐船神社の岩窟くぐりのお話まで。

2013年10月13日日曜日

防災訓練で「震度7」の揺れを体験。本番だったら死を覚悟するか,哄笑してしまうかも。

10月13日(日),まる一日,快晴の秋日和。
パークシティ溝ノ口 第14回 総合防災訓練が行われる。
朝8時30分から11時30分まで。
実際の訓練は午前9時30分から。

パークシティ溝ノ口は,わたしが住んでいるマンションの名前。全部で1104戸もある大型マンション。わたしは,この4月からこのマンションの管理組合の役員さん。抽選であたってしまった。ことしは抽選の当たり年で,引くたびにあたってしまう。今回は,避難誘導係なる腕章をつけるくじ引きにあたってしまった。ついでに宝くじでも買ってみようかと思うほどだ。

というようなわけで,今朝は8時30分に集合して,テントを張ったり,防災備品を運び出したり,とお手伝い。ただ,うろうろするだけでなんの役にも立たないのに。さも,なにかをしているようなふりをするのも楽ではない。

まあ,そんなことはどうでもいい。このマンションに移住して初めて「防災訓練」なるものに参加。とてもいい経験ができたので,そのことの報告。

その1.「震度7」の揺れを体験。起震車なる特種な自動車が川崎市からやってきて,4人一組ずつで「震度5」から徐々に揺れを強くしていって,最後は「震度7」まで揺すってくれる。時間にして2分弱。でも,想像以上に強烈な体験だった。自動車に仕組まれた「起震」装置なので,いつもの地震とはいささか感じが違う。ガタガタ揺れる音がすさまじい。しかも,いきなり「震度5」からはじまるので,覚悟をしていても意表をつかれる。なぜなら,「震度5」という地震の揺れを予想できないからだ。つまり,経験したことがないから。

第二次大戦の末期のころに,三河大地震が起きた。戦時中のことだったので,極秘にされたらしい,とのちに聞いたことがある。このとき,わたしは小学校1年生。忘れもしない12月8日。開戦記念日で,アメリカの大空襲がある,というので学校はお休みになっていた。だから,近所の友達たちと道路で遊んでいた。そこに大地震が襲ってきた。わたしは,なにが起きたのか,なにがどうなっているのか,なにもわからないうちに,地面をころがっていた。周りをみまわしたら,みんな道路の上をころがっている。まだ,なにが起きたのかわからない。

そのうちに遠くの方から大人の人が「地震だっ!」と怒鳴っている声が聞こえた。横に揺れる地震は知ってはいたが,地面を転がりつづける地震は初めてだ。長い間,転がりつづけていたように記憶している。

「震度5」で,まずは立ってはいられない,ということを知った。最初の揺れくらいは立っていられるだろうと予測して,どこにもつかまらないでいたら,いきなり,どーんと下から突き上げられ,あっという間に重心を失った。だから,すぐに備えつけの手すりつかまった。それでも片手で大丈夫だった。それが次第に揺れが強くなる。テレビのモニターを見ながら立っていると,「震度5強」となったところで両手で手すりにつかまらないとバランスがとれない。さらに「震度6」「震度6強」と強度を挙げていく。もう,両手でしがみついているのが精一杯。そのあとにきた「震度7」は,もはやこの世の揺れだとは信じられないものだった。右に左に,そして,下からと,もののみごとに翻弄されてしまい,生きた心地もしないほどの揺れである。

もし,こんな揺れにほんとうに遭遇したら,おそらく生きた心地はしないだろう。きっと,死を覚悟するだろうなぁ,と想像していたら,こんどは,無性に可笑しくなってしまって哄笑したくなってしまった。だれも見ていなかったら(順番待ちの人が長蛇の列をなして,この揺れを見守っている),たぶん,大声を出して笑ってしまっただろうと思う。つまり,わたしがわたしではなくなってしまっているのだ。身体的自由が完全に奪われたまま,主体を喪失した状態で激震で揺すられると,そんな気分になってしまうのだろうなぁ,とあとで思った。

その2.初期消火訓練。用いるのは水消火器。ヘッドについている栓を抜いて,ホースをはずして放水方向を定めたら,グリップを強く握る。これだけで水が勢いよく出てくる。原理はどの消火器も同じなので,これですべて応用ができるとのこと。いままで触ったことがなかったので,これでもう,いつでも消化活動はできる,と安心。見て知っているよりも,やはり,実際にやってみて,からだで記憶させることが大事。もう,自信満々である。もっとも,消火器などを使わない生活の方が優先ではあるが・・・・。

その3.AED(ハートスタートHS1)を使用した心肺蘇生法。この機器の存在は聞いてはいたが,どんなものか見たこともないし,もちろん,触ってみたこともない。だから,いかなるものなのか,知っておこうと興味津々。そういえば,松村某という物真似芸人がマラソンの途中で倒れ,AEDのお蔭で命拾いをしたという話が記憶に新しい。だから,なおのこと,どんな装置なのか知りたかった。が,意外に簡単で,これならだれにもすぐに利用できると知った。

理由は簡単。ケースの蓋を開けると,自動的に電源がONになり,音声ガイダンスがスタートする。その音声にしたがって,言われるとおりの手順を踏んでいけばいい。でも,一度はじっさいに人形さんを使ったリハーサルが必要。電極パッドを貼る位置が,人形さんには印がついているが,実際の人体にはそれがない。だから,その位置をしっかり記憶にとどめておくことが重要。それさえ間違わなければ,あとはとくに問題はない。すべて,音声ガイダンスが教えてくれる。人工呼吸の方法はいくらか練習しておいた方がいいと思った。わたしは,むかし,人工呼吸の実習を受けたことがあったので,すぐに,思い出してできたが,初めての人は相当に手こずっていた。

が,いずれにしても,AEDがこんなに便利で,取り扱いが簡単だとは知らなかった。だから,これはとても大きな収穫だったと思う。少なくとも,使い方がわからなくて困ることからは解放されたと思う。ひとつ財産が増えた感じ。

さて,そのほかにも「煙体験訓練」「仮設トイレほか展示・デモ」「日赤による救急訓練」「消火栓による初期消火訓練」「マンション内防災備品倉庫検分」など,カリキュラムはまことに豊富。こちらについては省略。

このマンションに住んで15年。毎年,この訓練が行われていることは知っていたが,一度も参加したことはなかった。「備えあれば憂いなし」のことわざのとおり,最小必要限の予備知識は得ておくべきだ,と反省。そして,年に一度くらい,AEDなどの使用訓練をして,記憶をリニュウアルしておくことも重要。二年目からは,要領よく回れば,1時間くらいですべて終わる。もう,役員として駆り出されることもないので,来年からは楽しみながら,復習をしておこうと思う。

ということで,防災訓練はとても役に立つというお話。
とりわけ,大きな地震に襲われたら,なにもできないということ。運を天にまかせて哄笑するのみ,と覚えたり。地震に襲われたら急いで火を消して避難しましょう,なんて言える程度の地震なら大したことはない。大きな地震に襲われたら「転がるのみ」。転がりながら哄笑するのみ。と覚悟を決めることにした。

2013年10月12日土曜日

「桜宮高体罰・元顧問有罪確定,懲役1年執行猶予3年」。なんともやりきれない複雑な心境。

 控訴期限の10日までに控訴せず,確定,とネット上に大きなトピックスの一つとして流れている。なんともやりきれない気持でいっぱいである。いま,わたしのこころの内にざわめいている気持をことばにすることはほとんど不可能に近い。しかし,そのうちの比較的ことばにしやすいことがらを抜き出してみると以下のようになろうか。

 一つは,「有罪確定」という表現。元同僚の教員,元校長・副校長,教育委員会,そして,直接指導を受けたOB,その保護者,その他関係者たちは,この「有罪確定」ということばをどのように受け止めているのだろうか。わたしのところに届いている情報は,質・量ともにとぼしいものにすぎないが,それでもこの「有罪確定」ということばから響いてくる思いは複雑である。元顧問がたった一人,すべての責任を背負って,それでおしまい。だとしたら,学校という組織,たとえば教員会議はなんのために存在するのか,そして,教育委員会はなんのために存在するのか。これらは存在するだけで,はたして組織・制度として「機能」していたのだろうか。OB会も保護者会も同じなのか。現行制度や組織が機能しなくなっている,いわゆる機能マヒは,いまこの国のいたるところにはびこっている重大事ではないのか。そこに蓋をしたまま,特定個人だけがやり玉に挙げられて,あとは知らぬ勘兵衛。ここにメスを入れてほしかった。

 もう一つは,「懲役1年執行猶予3年」という表現。罪の数量化。わたしには理解できないが,おそらくは,これまでの判例に照らし合わせて,その罪の軽重がはじき出されてくるのだろう。しかし,罪を時間で量ることなど,いったい,どういう意味をもっているのだろうか。それで,はたして,尊い命は浮かばれるのであろうか。もっと重要で,必要なことは,罪の時間化ではなくて,もっと別のところにあるのではないのか。被告の家族は関西から関東に引っ越しをしたと聞く。しかも,被告と遺族は一度も接点がなかった,つまり,直接的な謝罪は一度もなかった,と聞く。あとに残ったものは,「懲役1年執行猶予3年」,ただ,これだけ。なんとむなしいことか。こんなことが人の世に行われていていいのだろうか。

 三つ目は,「桜宮高体罰」という表現。つまり,「体罰」という表現。今回の問題は,わたしの考える体罰の範疇をはるかに超え出てしまった「暴力」そのものであった。しかし,世間ではいつのまにか「体罰」=「暴力」と同義語になってしまった。そして,それが定着してしまった。それが「桜宮高体罰」という表現。メディアも無反省にこのことばを多用・乱用している。こうして,いつしか人びとの共通認識となって,巷に広まっていく。もはや,体罰と暴力は違うのだ,と力説してもだれも見向きもしなくなってしまった。それで,問題が解決したのかといえば,そうではない。むしろ,その傷口はさらに大きくなって,こののち,とりわけ,広義の指導現場が砂漠化していくことは火をみるより明らかだ。

 ひとつだけ例を挙げておく。
 ごく最近,ある競技種目のナショナルチームのコーチから直接,聞いた話である。
 もう,しばらく前から,選手のからだには一切手で触れることはしない,とのこと。競技種目の特性から,コーチが直接,選手たちのからだに触れてフォームを直すことが指導の中核をなしていたが,もう,いまでは一切しない,という。ことば遣いも,選手たちを「叱る」ことばは一切用いない,と。そして,いいところだけを褒めて,悪いところはできるだけ回避している,と。

 それで指導は成立するのですか,選手たちは上達するのですか,とわたし。いいえ,まったく駄目です,とコーチ。では,意味ないではないですか,とわたし。そのとおりです,とコーチ。では,なぜコーチをつづけているのですか,とわたし。そうしたら,意外なことばが返ってきました。

 選手たちの中には,自分から名乗り出て,以前のように厳しく指導してほしい,わたしは「セクハラ」とか「いじめ」とかと言って訴えたりはしません,その前に,限界を感じたときには自分で言いますので,そのときは勘弁してください,という選手がいる。だから,こういう選手にだけは,わかった,限界を感じたときは言ってくれ,と約束を交わしていままでどおりに指導をしています。もちろん,体罰も加えます。しかし,暴力は絶対に振るいません。これをやってしまったら,コーチとしての資格はありません。目一杯情熱をこめて指導するけれども,最後の一線は超えない冷静さは守りとおします。そうすることによって,選手とコーチの絶対的な信頼関係が築かれていきます。こういう選手はどんどん上達していきます。教えてもらうという心構えが違います。こちらも,それに応えられるように,必死で考え,工夫をします。

 わたしは,思わず「立派!」と声を発していました。それにしても,やりにくくなったですね,とわたし。いやいや,以前よりもやりやすくなりました,とコーチ。なぜなら,やる気のない選手は別にどうでもいいのですから,と。ひたすら,褒めておけばいいのです,と。

 ナショナル・チームに選抜されてくるような選手なら,これでいいのだろう,とわたしも同意する。しかし,もっと一般的な教育現場では,どうなるのか。もう,しばらく前から,子どもは「褒めて」伸ばすということが,まことしやかに語られ,それがあたかも正論であるかのように蔓延している。その教育の成果が,こんにちの若者たちの姿となって如実に表れている。つまり,叱られることを徹底的に忌避する若者たち。大人を大人とも思わない若者たち。その存在すら無視して平気な若者たち。自分のことしか考えない若者たち。そういう若者たちが年々,増え続けているのではないのか。もちろん,この体罰問題を回避するための放任主義だけが理由ではないだろう。しかし,少なくとも,誘因にはなっている,とわたしは考える。

 「体罰」=「暴力」が蔓延していくと,もはや,先生たちは子どもたちがどんなに悪ふざけをしても,見て見ぬふりをする。その結果は,子どもたちの世界に悪質な「いじめ」が蔓延していく。すでに,そのような事例(事件にまでなっている)は枚挙にいとまがない。

 つまり,広義の「教育」の根幹にかかわる問題が,ここには潜んでいる。この事実に,わたしは憂慮せずにはいられない。

 腕白小僧で,学校の中でも外でも暴れ回っていたわたしは,そのつど,先生や周囲の大人たちから,こっぴどく「叱られた」。納得のいくみごとな「叱られ方」もあったし,不条理でどうしても納得のいかない「叱られ方」もあった。しかし,その両方を経験することによって,自分なりの「生き方」の指針をみつけることができた,といまにして思う。

 「体罰」と「暴力」の線引きは,きわめてむつかしい。つまり,そのどちらとも言えない「グレーゾーン」の領域はあまりにも微妙であり,個人差があるからだ。しかし,それでもあえて言っておこう。この微妙な「グレーゾーン」こそ,教育のなんたるかを考える宝庫なのだ,と。そこを切り捨ててしまったら,もはや,教育は形骸化の一途をたどるのみである,と。いや,すでに,その陥穽に落ち込んでしまっている,というべきかもしれない。だとすれば,「体罰」を忌避するこの風潮はますます,教育を形骸化することに拍車をかけることになろう。

 教師と子どもが,真剣勝負で向き合う場,これをどのようにして擁護していくか,それこそが,わたしたちに課せられた喫緊の課題であろう。

治癒神としてのイエスの話(医療思想史・その2.)。

 快晴の秋晴れ。風やや強し。10月11日午後0時10分。是政橋を歩いている。是政駅20分発の電車に乗らないと,先週につづけて今日も遅刻になってしまう。必死になって早足であるく。なんとか間に合って,授業(12時40分始まり)に滑り込む。

 教室に入ってみると,ほとんどまだだれもきていない。入り口近くのソファーにKさんがぽつねんと座っていて,ご挨拶。そのうちにどどっと院生さんたちが入ってくる。先週とは少し顔ぶれが違うような気がする。が,そんなことはいっさいお構いなくN教授は授業を開始。

 今日もノートに書き切れないほどの刺激的(わたしにとって)な話がてんこ盛り。どの話題もみんな刺激的。嬉しくてたまりません。そんな話のなかから,なにか一つ取り出すとすれば,「治癒神としてのイエス」の話でしょうか。

 先週の授業のときに配布してくださった〔MIMA医療思想史 参考文献〕についてのプリントの解説からお話がはじまりました。全部で33冊の文献に,さらに追加として4冊,それにN教授の書かれた関連文献が5冊。こちらの文献一覧もまたてんこ盛りです。そのトップに挙げてある文献は,1.ヒポクラテス『古い医術について』,岩波文庫,1962年,です。この本の解説が,まずは,たっぷりと丁寧に展開され,そのあと何冊かの解説をされたあとに,7.山形孝夫『聖書の起源』講談社現代新書,1976年のお話がありました。

 まずは,なぜ,医療思想史の授業に『聖書の起源』なのか,とN教授は院生さんに問いかけます。みんなきょとんとしています。それもそのはず,聖書と医療とはなんの関係もない,と一般的には考えられていますから。でも,一冊でも聖書を読んだことのある人であれば,イエスがいろいろの病いにたいして奇跡を起こしたり,たくさんの「癒し」を行っていたことを思い出すでしょう。

 このテクストについては,つぎのようなコメントが書かれています。
 ※治癒神としてのイエスを明確に描き出し,人間にとっての信仰と医術との根源的な関係を示唆する本。

 まずは,山形孝夫さんはイエスを「治癒神」と位置づけた上で,キリスト教信仰と医術との根源的な関係について多くの示唆を与えてくれる,とN教授は語ります。たとえば,五大福音書を一つひとつ読み解いていくと,イエスは困っている人,苦しんでいる人,悩んでいる人,などを癒すことに専念していることがわかってきます,と。癒すことが苦しみからの「救い」となり,そこが信仰の入り口になる,というわけです。言ってみれば,イエスは身体の医者ではなかったけれども,間違いなく魂の医者ではあった,と。

 と同時に,そこから類推できることは,古代・中世のキリスト教文化圏における医術は,生きる者の救済に重点が置かれていて,死にゆく者には医術を施してはいない,ということです。なぜなら,死にゆく者とは,神のいる国,すなわち,天国に昇っていく者のことであり,それは苦しみでもなんでもありません。むしろ,幸せなことです。つまり,キリスト教を信仰する者は,死ぬこと自体を恐れたり,苦に病んだりはしません。天国に昇天できる素晴らしいできごととして,むしろ,歓迎されたのではないか,と。場合によっては,恍惚として死んでいった,と。

 だから,生きる者(生きる可能性をもった者)の医術は施したけれども,もはや,生きる可能性をなくした者にはなにも手を出しません。天国への旅立ちの邪魔をしてはいけないからです。ですから,生きる者は生きる,死ぬ者は死ぬ,とはっきり割り切っていたというわけです。

 このことがなにを含意しているかは,すでに,おわかりのことと思います。現代の医療の考え方や姿勢,そして制度としての医療体制とのあまりの差異に,驚くほかはありません。つまり,なにがなんでも「生かす」ことを最優先する考え方との差異です。もっと言ってしまえば,植物人間になってもまだ「生かす」という発想との,あまりの開きにわたしたちはだじろいでしまいます。

 こういう現実がどのような経緯によって生まれてきたのか,この医療思想史の授業をとおして考えていきたい,とN教授。そして,そういうことを考える絶好の素材を『聖書の誕生』(山形孝夫著)は提供してくれる貴重な文献である,という次第です。

 というところで,今日のところはおしまい。



 

2013年10月11日金曜日

葛西臨海公園にカヌー競技のスラローム・コース建設予定とか(東京五輪考・その1.)。

 人と待ち合わせるときは本屋さんを利用することが多い。こちらが遅刻しても,逆に相手が遅れてきても,そんなに気にする必要がないからだ。本屋での時間はいくらあってもいい。つぎからつぎへと新しい本がでてくるので,それらをめくっているだけで退屈はしない。

 そんな折には,滅多に手を伸ばすことのない週刊誌もめくってみる。これが意外に面白い。もちろん,例によって記事の見出しと内容には大いなる落差があるのを承知の上でのことである。そんな中に東京五輪がらみの記事がちらほら散見される。大手新聞はもっぱら「経済効果」の話題ばかりだが,週刊誌はそれとは別の裏事情をすっぱ抜く路線をいこうとしているようだ。

 「東京五輪の陰で進む8つの”浄化作戦”」という表紙の見出しにつられて,『SPA!』をめくってみた。「8つ」も浄化作戦があるのか,と不審に思い確認してみた。見出しを箇条書きにしてみると以下のようである。
 1.ゲイの”ハッテン場”がオリンピックで潰されてしまう!?
 2.都内の貴重な干潟が数日のカヌー競技のために破壊される!
 3.IOC委員が難色!? 五輪を口実にエロ本が消える
 4.東京都の”浄化作戦”で,風俗店や不法滞在者の大規模摘発が行われる?
 5.視察ルートからも排除。すでに薦められているホームレス一掃作戦
 6.高齢者が長年住んでいる都営住宅の立ち退き
 7.マンガやエロゲームも規制される!?
 8.新宿コールデン街が再開発でなくなる?

 相変わらずの週刊誌らしい見出しばかりが目につく。しかし,2.都内の貴重な干潟が数日のカヌー競技のために破壊される!は,五輪の施設がらみの問題として看過できない問題を含んでいるので,少し踏み込んでおきたい。まずは,記事の要点を引用しておこう。

 東京都江戸川区の葛西臨海公演。この公演の西側の約半分に,東京オリンピックカヌー競技のスラロームコースが建設される予定だという。オリンピック終了後も,カヌーやラフティングの施設として残すという。この公園は,都内でも貴重な干潟で,25年をかけて整備してきたもの。オオタカ,ウグイス,ヤツガシラなどの野鳥226種,昆虫140種,クモ80種,樹木91種,野草132種が観察され,貴重な環境を保持。絶滅危惧種のクロツラヘラサギも確認されている。この干潟が,人工的な激流を造ることで潰されるという。

 カヌー競技を軽んずるつもりはまったくないが,なにゆえに葛西臨海公園を半分潰してまでして,スラロームコースをここに設けなくてはならないのか,しかも,ここに恒久施設として保存される理由はなにか,二つの点で疑問が残る。

 前者の問題は,競技施設を至近距離に整えるという五輪招致のセールス・ポイントの約束ごとであるので,やるしかないという考え方もできよう。しかし,それにしても25年もかけて整備してきた野性味たっぷりの臨海公園を半分潰してしまわなければならない理由はないだろう。ほかの代替地がないわけではない。ただ,利便性という意味では最良の場所だ。もう,すでに,いろいろの反対運動(地域住民を中心としたもの)も展開していると聞いているので,これから大きな問題となってくるだろう。

 後者の恒久施設化は,大いに問題あり。カヌー競技の普及という点では大いに役立つだろうけれども,その維持・管理という点では巨額の金を必要とする。その金をどこから捻出するのか。競技団体が負担するにしろ,東京都が負担するにしろ,いずれにしても「税金」に跳ね返ってくる。それだけの利用価値があるのだろうか。それなら,東京都の郊外に(奥多摩か,あるいは多摩川のどこかに)オリンピック記念施設として設置し,そこをカヌー競技普及センターのようにして,のちのちまで多くの人びとにカヌー競技を楽しんでもらう方法だってあろう。

 いずれにしても,このカヌー競技場建設計画には,いろいろと難題が重なっているように思われる。このほかにも,いろいろと問題点があって,専門家の建築家集団も立ち上がり,シンポジウムを開催したりして,こんごの対応策を練っているという話もある。これらもふくめて,これから少しずつ,問題点をとりあげ,考えてみたいと思う。

 今日のところは,とりあえず,ここまでとする。
 

2013年10月10日木曜日

講演「オリンピックとはなにか,スポーツとはなにか」(東京体育学会主催)が決まる。これから7年間の闘いの始まり。



 しばらく前に,かつての同僚であった船渡和男さんからメールがあり,講演をしてほしい,とのこと。テーマはなんでもいい,ということでしたので,お引き受けしました。ちょうど,『世界』の原稿を書き上げたばかりのころでしたので,わたしの頭のなかは「オリンピックとはなにか。スポーツとはなにか。」この二つが渦巻いていました。ですから,迷うことなく,即座にテーマはこれでいこう,と決断。すぐに,船渡さんに返信メールを送りました。

 そうしたら,こんなに立派なポスターをつくってくださいました。このポスターが東京体育学会の会員のみなさんに,情報として流されるはずです。わたしもかつては会員でしたので,この学会がどんな活動をしてきたかというおおよそのところは承知しています。ただし,あまり熱心な会員ではありませんでしたが・・・・。ですから,何人の方が聞きにきてくださるかはまったくわかりませんが,まずは,それなりの準備をして・・・と考えています。

 お世話をしてくださった船渡さんには,『世界』11月号(10月8日発売)に寄せた拙稿「オリンピックはマネーゲームのアリーナか──「魂ふり」から「商品」へ 変転するスポーツ」のコピーを,当日の参加者に配布してくださるよう,お願いをしておきました。わたしの記憶では,実験系の会員の方たちが熱心に活動されていたように思いますので,この方たちが,こういう話をどのように聞いてくださるのか,いまから楽しみではあります。

 じつは,10月28日は,わたしにとっては特別の日でもあります。それは,研究者としての道を歩むことになったきっかけを与えてくれたKarl Gaulhofer の命日であるからです。第一次世界大戦後のオーストリアの体育改革を推進し,そのコンセプトとなった Natuerliches Turnen (自然体育)を提唱した中心人物がカール・ガウルホーファーでした。

 この人との出会いは,学部3年生だった年の秋に早稲田大学で日本体育学会が開催され,そこに設営されていた書籍販売会場の洋書コーナーでした。会員でもないのに物珍しさからふらりと初めて日本体育学会という場に足を踏み入れました。黒の学生服を着て角帽を被り(当時は当たり前の格好でした),いろいろの会場を覗かせてもらいました。会費も払わずにもぐり込みました。ですから,名札をつけていません。が,だれもとがめる人もいませんでした。おおらかな時代だったと思います。

 その洋書コーナーに,Karl Gaulhofer, Margaret Streicher の Natuerliches Turnen, 全5巻が並んでいました。まだ,ドイツ語もたいして読めないのに,あちこち拾い読みをしながら,当てずっぽうにあれこれ内容を想像していました。そのうちに,この本はひょっとしたら,それまでの体育の考え方を根底からくつがえす画期的な本なのではないか,と思いはじめ,ついには,確信に変わっていました。そして,そのとき持っていた金を全部はたいて購入しました。とても勇気を必要とする決断でした。

 こうした出会いがあったお蔭で,大学院の修士論文は「Natuerliches Turnen (自然体育)の研究」でまとめることができました。この論文で,はっきりと研究者を目指そうと決心しました。以後,大学に勤務するようになり,在外研究員として向かったのもかつてKarl Gaulhofer  が勤務していたウィーン大学でした。わたしの在外研究を引き受けてくれた Dr.Hannes Strohmeyer さんに挨拶に行く前にウィーン大学のスポーツ科学研究所を下見してみました。そうしたら,その一角に,Karl Gaulhofer の記念碑を見つけました。

 ちょうど,ウィーンに向かったのが10月の中旬でしたので,生活の基盤をととのえて,そろそろご挨拶にと思ったときが,10月28日の数日前のことでした。ですから,ご挨拶には,この10月28日に,と決めました。地下鉄の駅で花束を買って,でかけました。そして,初めて会うDr.Strohmeyerさんに,開口一番,「今日はどういう日かご存じですか」と質問。かれは首をひねって「わからない」と。そこで,わたしは「この花束をKarl Gaulhofer  に捧げたい」と言った瞬間に,Dr.Strohmeyerさんは顔を真っ赤にして,「Denkmal(記念碑)の場所は知っているか」と聞きますので,「わたしが案内します」と自信満々のわたし。

 これがDr.Strohmeyer さんとの最初の出会いでした。お蔭で,すっかり意気投合して,仲良しになることができました。あとは,家族ぐるみのお付き合いをさせていただき,今日にいたっています。

 そんな記念すべき日に,東京体育学会で講演をさせていただけるのは,わたしにとってはなにものにも代えがたい光栄です。ですから,なにがなんでも気合を入れて,悔いの残らない講演にしたいと,いまから楽しみにしているところです。多少,話が脱線したとしても,『世界』の掲載論文が配布されていると思えば,安心です。できるだけ,会員のみなさんの印象に残る話題に絞り込んでお話をしてみたいと考えています。

 どなたでも参加できるようですので(会費も申し込みも不要),時間と興味のある方はどうぞ,お出かけください。楽しみにお待ちしています。では,会場で。

2013年10月9日水曜日

膝の周囲の筋肉を強化するか,あるいは,膝の負荷を軽くして稽古しなさい・李自力老師語録・その37。

 最近,稽古が終わったとき,ひざのお皿(膝蓋骨)を覆っている皮膚が冷たくなっていて,なんとなく違和感が残ります。場合によっては,稽古の途中で,そんな感じになり,大丈夫かなぁと不安になったりします。ひどい場合には多少の痛みを伴います。もちろん,我慢できないほどの痛みではありません。以前から足の指先が冷たくなり(夏・冬に関係なく),つることがあります。そのことと関係しているのかな,と思って李自力老師に尋ねてみました。

 李老師は,しばらくの間,じっとわたしの顔をみつめ,おもむろにつぎのようなお話をしてくださいました。

 ひとことでいえば,準備運動不足です,と。
 そういわれてみれば,太極拳の稽古をはじめたころには,準備運動だけで40分から50分ほど,しっかりと李老師が指導してくださいました。その上で,基本の運動をやり(これもまた部分的に繰り返し反復練習)ました。正直にいえば,これだけでヘロヘロになっていました。そのあと,やおら24式の稽古に入りました。すると,もう脚の筋力がくたばってしまっていて,フラフラでした。しかし,李老師は知らぬ顔で,きっちり2時間,丁寧に指導をしてくださいました。終わったときには,ほっとしたことを覚えています。

 そのころのことを考えると,間違いなく準備運動不足です。いわゆる自主稽古をやるようになってからは,準備運動は,いつの間にか,早く到着した人から各自のペースでやることになっています。わたしは会場の鍵の係をやっていますので,午前10時には到着して,まずはひとりで準備運動をはじめます。ですから,他のだれよりも長い時間,準備運動をやっているはずです。それでも,足りない,ということです。

 つまり,年齢に応じた準備運動が必要だということです。李老師がじっとわたしの顔をみつめたのは,口では仰らなかったですが,裏にはそういう含意があったということでしょう。

 そのあとで,李老師は,わたしの膝に手を当てて,お皿を軽く撫ぜたあと,お皿の下側に向けて指を突き立てました。わたしはその予期せざる痛さに驚いて大声を発してしまいました。李老師はにっこり笑って,この程度で痛いとしたら,お皿への刺激が,ふだんから足りないということです,と。さらに,膝関節全体につながる筋肉や腱を,これまでよりも強く刺激しなさい,と。そうした上で,脚筋力を強化するための準備運動を少し多めにやりなさい,と。

 そうして,まずは,膝まわりの筋力を強化することが先決です。もし,それでも,その効果があまり期待できないようであれば,膝に負担がかからないように,姿勢を少し高くして稽古をしなさい,と。

 なるほど,李老師は,わたしの「75歳」という年齢を念頭において話をしてくださっているんだな,ということが,このブログを書きながら,しみじみとわかってきました。

 もう,いまから,あまりむきになって稽古をしてはいけません,と。年齢相応に,ほどほどに,楽しみながらやりなさい,と。そして,若い人たちのめざす太極拳から,高齢者でなければできない老境の境地で太極拳の世界を開きなさい,そこを楽しみなさい,と(これらは,わたしの解釈です)。

 つまり,ゆったりとした,高い姿勢でも安定した,味のある太極拳をめざせ,と仰っているのだ,と。でも,そのむかし体操競技をやっていたわたしの身体は,少しでも上手になろうとする西洋的な上昇志向が抜けきってはいません。しかし,そろそろ,東洋的な下降志向の身体に切り換えて(生理学的にはもうとっくのむかしにそういう身体になっている),むしろ,その境地を楽しむべし,ということなのでしょう。

 頭のなかでは理解できても,からだは,意外にしつこく若さを求めます。まあ,こんな葛藤を繰り返しながらの太極拳の稽古もあっていいのかな,と自分に言い聞かせている今日この頃です。

 こころとからだのバランスの問題は,言うは易し,行うは難し,としみじみ思います。これからはますます上手に身心のバランスがとれるよう,工夫しながら稽古に励みたいと思います。以上。

2013年10月8日火曜日

『世界』11月号が出ました。拙稿「オリンピックはマネーゲームのアリーナか」が掲載されています。




  待望の拙稿掲載誌『世界』11月号が書店に並びました。今月の『世界』の特集は「市場化される日本社会」です。こちらは「TPP」問題に焦点を当てたものですが,わたしの論考ともどこかでシンクロしていて面白いなぁ,と思いました。

 TPPは,いま,まさに正念場を迎えています。政府は国民との「公約」を無視してまでも,TPPに譲歩して,加盟の目処をさぐろうとしています。こちらはまさにアメリカン・スタンダードによる暴力的な「地ならし」です。巨大なブルドーザーを駆使して,荒れ地も肥沃な田んぼも山林も,みそくそ一緒くたにして「地ならし」をし,まったく次元の異なる「さら地」=「新たな市場」を生み出そうというわけです。このブログでも注目しているPARC事務局長の内田聖子さんの「市場化パッケージとしてのTPP──利潤か人間か」という論考も掲載されています。

 日本の棚田のような農業はもはや成り立たなくなってしまいます。そうなりますと,地下水の流れ方にも大きな異変が生じてきます。その他,専門家が,あれも,これもという具合にして,日本の伝統的な文化の土台が,根源から突き崩されていく事例をあげて警告を発しています。市場化するということは「根無し草」になるということです。シモーヌ・ヴェイユのいう「根こぎ」そのものでもあります。にもかかわらず,政府は一気呵成に暴走し,押し切ろうという姿勢をみせはじめました。いったい,安倍政権はなにを考えているのでしょうか。このままいくと自民党が内部分裂・崩壊する可能性もあるといいます。まさに,正気の沙汰とも思えません。

 しかし,よくよく考えてみますと,スポーツの世界ではそれが当たり前のようにして大通りを歩いてきました。むしろ,それが「正義」であるとすら考えられてきました。そして,そのことに疑念を差し挟む,異議を申し立てる人は圧倒的少数派にすぎません。スポーツによる規範の統一(ルールの統一)の,どこが悪いのか,というわけです。こういう人たちに,ベンヤミンの『暴力批判論』は通用しません。たとえば,法措定的暴力(スポーツでいえば,ルールを決めることの暴力性)や,法維持的暴力(一度,決めたルールを維持しつづけることの暴力性)の問題性を提起しても,見向きもしてくれません。困ったものです。が,それが現実です。

 その典型的な事例がオリンピックです。
 オリンピック・ムーブメントは国際平和運動の仮面をかぶった恐るべき文化装置(=怪物)です。つまり,オリンピック・ムーブメントは,近代スポーツによる世界制覇という野望を実現させる文化装置以外のなにものでもありません。すなわち,ヨーロッパ的近代合理主義による世界支配の先兵です。その根源にあるものは,思い切って断言しておけば,キリスト教です。キリスト教精神に支えられたヨーロッパ産スポーツ文化による世界制覇です。

 ですから,日本の柔道も,もののみごとに「これは柔道じゃあない」と言わざるをえないほどの変貌をとげ,日本を除く国際社会が容認する立派な「JUDO」に生まれ変わりました。JUDOはわたしたちの知っている柔道ではありません。似て非なるものです。これが,スポーツによる世界制覇のひとつのサンプルであり,そのからくりです。柔道を国際化するということは,こういうことであり,これがありのままの実態です。

 こうなってきますと,では,いったい「オリンピックとはなにか」,そして「スポーツとはなにか」という問いがどうしても持ちあがってきます。

 東京五輪招致が決まったということは,同時に,オリンピックとはなにか,そして,スポーツとはなにか,という根源的な問いがわたしたちの眼前に立ち現れた,ということでもあります。わたしたちはこの問題を避けてとおるわけにはいきません。しかし,政府も,NOCも,組織委員会も,こんなややこしい議論をするつもりはなさそうです。そして,見て見ぬふりをして(得意の”under control”と嘯いて),もっぱらそろばん勘定に走ることでしょう。

 オリンピックは,サマランチ会長以後,加速度的に「経済」に傾斜していきました。別の言い方をすれば,オリンピックの「金融化」です。すなわち,スポーツの金融化です。豊穣なスポーツ文化が経済によって切り刻まれ,商品価値のあるものから順に金融化され,市場に吐き出されていくという次第です。その結果,いま,わたしたちはどういうところに立たされているのか,どういうオリンピックと向き合っているのか,これからどうしていけばいいのか,といういくつもの難題にいやでも取り組まなくてはならなくなっています。しかし,そんなことには蓋をして,美しい世迷い言の「神話」ばかりが大量生産されることになるのでしょう。そのために大いに力を発揮し,権力の片棒をかつぎたがっている「スポーツ評論家」は掃いて捨てるほどいるわけですから。

 スポーツを真に愛する人びとの,辛口の「スポーツ批評」の声が,現場ではまったく無視されてしまいます。ここにじつは大きな問題がある,と今福龍太さんも仰っています(『スポートロジイ』第2号,みやび出版,2013年,P.11.)。この難題にどうやって分け入っていくのか,それが,これから7年間にわたる,わたしたちの大きな課題であろうと覚悟を決めています。

 東京五輪招致をとおして,そんなことを考えるための一つの手がかりとして,わたしなりの論考を『世界』に寄せてみました。どうぞ,忌憚なきご意見をお聞かせいただければ幸いです。
 

「野見宿禰は河童である」と言えたら面白い。合評会報告・その2.

 今回の合評会には,できるだけ多くの編集者に集まってもらって,いろいろ論評してもらおうと考えていました。しかし,わたしの親しくしている編集者はみんな忙しい人ばかりで,なんとか都合をつけて参加します,と言ってくださっていた人たちも直近になって,急用ができて・・・とキャンセル。あわてて,いつものメンバーにコメンテーターを依頼するということがありました。

 そんな忙しい編集者のうち,伊藤雅昭さん(みやび出版)と関口秀紀さん(平凡社)のお二人が参加してくださいました。ありがたいことでした。

 まず,伊藤雅昭さんからは,『スポートロジイ』を編集・刊行した担当者という立場からご意見をいただきました。この仕事を依頼されたとき,いささか躊躇するものがあったけれども,年に一冊だというので引き受けた。ところが,予想以上にレベルが高いこと,内容が面白いことに驚きました,とおほめのことば。

 もう一人の編集者である関口秀紀さん(平凡社)には,少し踏み込んでコメントをしていただきたいとお願いをしておきました。そうしましたら,第2号のできが素晴らしいとほめてくださった上で,ご自分の興味・関心から,竹村匡弥さんの「野見宿禰と河童伝承に潜む修祓(しゅばつ)の思想」をとりあげ,いろいろと面白いコメントをしてくださいました。まずは,平凡社の百科事典に書かれている小松和彦さんの「河童」の項目を引き合いに出して,ここには書かれていない,もっと奥の深い河童研究の世界が広がっていて,とても興味深く読んだ,とのこと。その上で,河童をどのように定義するかによって,研究のスタンスも大きく変化するのではないか,という基本的なコメントがありました。さらに踏み込んで,やはり藤原不比等と橘三千代の関係をどのように解釈するかによって,それ以後に登場する河童のイメージがかなり鮮明になってくるのではないか,というご指摘がありました。

 こうした関口さんのご指摘に,竹村さんは一つずつ丁寧に受け答えをしながら,関口さんと竹村さんの間で,とても面白い意見のやりとりがありました。それらを全部,手際よく紹介できるといいのですが,ちょっとばかり自信がありません。そこで,このやりとりを聞きながら,わたしの脳裏を駆けめぐったことを書いてみたいと思います。

 それは,以下のとおりです。
 河童というものを,大和朝廷の天皇制にもとづく権力に対して,まつろわぬ者のうちでも,とくにその存在そのものを抹消しなければならないと考えられた人びとの総称というように考えてみると面白いのではないか,と。そして,その発端にある存在が,野見宿禰ではないか,と。

 なぜなら,野見宿禰の出自が「出雲の人」と書かれているだけで,それ以上の記述がないことにわたしは注目しています。垂仁朝の時代に突然その名が浮上し,いきなり,当麻蹴速との対決で名をなし,そのまま天皇に仕えることになります。しかし,埴輪の提唱で知られるように,そして,土師氏の身分を与えられるように,葬送儀礼と焼き物の特殊技能をもった職能集団のトップに立つ人として,代々,天皇に仕えます。がしかし,この話にも,どうやら裏があるようです。つまり,出雲の勢力を徹底的に排除しつつ,かつ,その一部を服属させておく。つまり,表向きは厚遇しているかのように見せかけておいて,その背後では徹底的に毛嫌いしている痕跡がみられるからです。

 その一例を挙げれば,東大寺の記録のなかに,野見氏,能美氏,能見氏,野身氏は「卑民」とあり,徹底した差別がなされていたことが類推できます。この人たちはすべて「出雲」出身者である野見宿禰の子孫と考えていいでしょう。なのに,野見から菅原に名乗りを変えた直系の一門だけが天皇家に取り立てられ,仕えることになります。その中興の祖が菅原道真だというわけです。しかし,その頼みの菅原道真ですら,冤罪を負って,太宰府に流されてしまいます。にもかかわらず,その祟りを恐れた天皇家は北野天満宮を建造し,その霊を鎮めようとしなければなりませんでした。それほどに,菅原一族を恐れたというよりも,菅原一族のバックにいる出雲族の反乱を恐れたのだとわたしは推理しています。国譲りによって,中央から(大和から)追い落とされた出雲族は全国に散らばって,隠然たる勢力を誇っていました。その残像は,いまでも,全国にあるオオクニヌシを祭神とする神社(そのほとんどは「一宮」としてその名をとどめています)の影響力や,スサノウを祭神とする神社や野見宿禰を祀る神社の数の多さをみれば,よくわかります。諏訪大社などの存在も忘れることはできません。

 おまけに,河童伝承のなかには,「もとはスガワラ」という差別的な表現が残っていることも無視できません。スガワラ一族が立身出世していくら偉くなったとしても,もとはスガワラ,すなわち,河童出身ではないか,というわけです。この伝承を,じつは,わたしはとても注目していて,もっと詳しく検証していく必要があります。が,スガワラが河童の出であるということは,野見宿禰は河童の出身,すなわち,天皇制から追い落とされた出雲族は河童だ,というアナロジーが成立します。

 この河童を差別するための根拠を,より明確にする方法(罠,仕掛け)が「ケガレ」という発想ではないか,と考えています。つまり,ケガレているから世の中から排除されるのは当然だ,と。ということは,天皇にまつろわぬ人間は,すべてケガレた人間である,と断定すればそれでいいわけです。あとはケガレた人間を,とことん抑圧・排除・隠蔽していけばいいことになります。ですから,天皇の子孫であっても,権力闘争に負けて,野に下ったあとも天皇に逆らった人間はすべて河童にされてしまいます。そういう人も歴史上少なくありません。もちろん,河童になった,とはどこにも書いてはありませんが,その子孫は闇のなかに消えていきます。

 山奥の,僻地に隠れ住むようにしている一族の多くは,そういう天皇家にまつろわぬ過去をもっていることが多いということもよく知られているとおりです。そういう世界を,中上健次は小説にして,もののみごとに描きだしてみせています。「オリュウノオバ」は,中上作品にはしばしば登場する「路地」の中心人物です。「世が世ならば天皇家ともあろう者が・・・・」といって「路地」の若者たちを叱りつけるシーンが鮮烈に脳裏に焼きついています。この人たちもまた,河童です。ケガレた人びと(天皇制の側からみたら)である,というわけです。

 竹村さんが注目する「修祓」の思想は,そうした背景から生まれてきたのは間違いない,とわたしは考えています。あとは,その傍証をどこまで固めるか,その根拠の整合性をどこまで立証することができるか,そこが鍵だと思います。

 これからさきの竹村さんの研究がとても楽しみになってきました。わたしもこころから応援したいと思っています。
 

2013年10月7日月曜日

白井健三選手(17歳)の床運動「伸身後方宙返り4回ひねり」(シライ)は異次元の世界。感動。

 このところ忙しくしていて,新聞もテレビもほとんどみないで過ごしていたら,世の中,すごいことが起きていました。今日はほっと一息入れています。たまっていた新聞をまずは読みとばしています。テレビのニュースでは,白井健三選手(17歳)の快挙が大きくとりあげられていて,すごい選手がでてきたものだ,と感心していました。

 が,昨夜,ある番組で白井健三選手と内村航平選手の床運動を,繰り返し,映像で確認することができました。これをみて,びっくり仰天してしまいました。これは,もはや,人間業(技)ではない,と。まさに異次元世界のできごとだ,と。神業にも等しい,と。

 かつて,ツカハラと命名された「月面宙返り」が登場したときにも,同じような驚きがありましたが,それとはまた異質のなにかを感じます。体操競技が技の正確さや美しさや力強さを磨き上げて,その完成度を競う競技から,ひたすら「驚異性」を追求する競技へと偏向していくにしたがって,体操競技そのもののあり方が大きく変化することになりました。いわゆる「サーカス芸」がもてはやされるようになった,ということです。

 月面宙返りなどはその先駆けだったと言っていいでしょう。素人の目には,なにをやっているのか,わけのわからない技です。それもそのはずで,逆手車輪を回っていて,手が滑って落ちていく途中で,からだをひねって身の安全を確保しようとしたら,偶然にも足で立っていた,という車輪の失敗から生まれた技でした。その車輪の失敗を逆手にとって,新しい技に仕立て上げただけの話です。つまり,偶然から生まれたものであって,これまでの技の可能性をさらにレベル・アップするという積極的な発想はそこには認められません。

 その点,シライ(伸身後方宙返り4回ひねり)という新技は,すでに完成されていた「3回ひねり」を「4回ひねり」へと「1回」多くひねるという,だれにもわかりやすい技の可能性を追求するものでした。ですから,初めてみる人にとっても,3回が4回になった,ということは一目瞭然でした。ですから,大観衆がまったく新しい技をみた瞬間に大感動したわけです。そして,シライという新技が一気に注目の的となってしまいました。

 しかし,このシライという新技を,なんの予備知識もなしに,単独で目の前で見せられたとしたら,たぶん,ほとんどの人がなにが起きたのか見届けることはできないでしょう。4回ひねっている,その「4回」は,とても数えられないでしょう。しかし,競技会で,「3回ひねり」をみたあとなら,だれの目にすぐにわかります。多くの選手が「3回ひねり」を演技に取り入れていますので,それを見慣れた観衆の目は,「4回ひねり」の違いは一目瞭然であったはずです。

 それを,わたしはテレビで見せつけられました。
 床運動で銅メダルをとった内村選手は,「3回転」「2回転」と連続して,この「ひねり技」を演技構成に取り入れています。この技が,これまでの床運動の「ひねり技」の最高難度でした。そして,内村選手のこのフィニッシュ技がテレビで流れました。ほぼ,完璧というできばえでした。連続して3回,2回とひねるには,最初の「3回転」が完璧にまわり,しかも,ゆとりをもって着地に入り,その着地の反動を利用してつぎの2回転へとつなげていきます。ですから,「3回転ひねり」の完成度の高い選手でないと演技構成に組み込むことは不可能です。しかも,フィニッシュの,疲労困憊した身体でそれを実施するには,相当のブラッシュ・アップをしておかないとできません。その点,内村選手はみごとにそれを制御し,最後の着地もピタリと止めました。観客はもちろん大歓声です。

 しかし,決勝では最後の演技順であった白井選手が「4回ひねり」を「ゆとり」すら感じさせるみごとな演技で成功させました。このとき,みていた人たちはことばには表現のしようのない感動を味わったことと思います。わたしは,テレビをとおして見ただけで,唖然としてしまいました。なぜなら,予選のときの「4回ひねり」は着地がいっぱいいっぱいでした。片足が半歩,前に残っていました。しかし,決勝では,さらにシライの演技が大きくなり,着地は「ゆとり」さえ感じられました。ほとんど「伸身」のままのみごとなまでの着地でした。

 この演技をみてしまいますと,それまでの最高レベルであった「3回・2回」連続ひねりが,色あせてみえてきます。テレビはご丁寧にも,何回も何回も,内村選手の連続ひねりと白井選手の「4回ひねり」をリピートして見せてくれます。ますます,白井選手の決勝でみせた新技「シライ」が光り輝いてみえてきました。その滞空時間の長さといい,4回転の切れ味といい,やはり,わたしは異次元の演技だと思いました。そして,あれは,まぎれもなく「神業」に違いない,と。

 人間の世界の壁を突き破っていく選手は,まぎれもなく「神の子」そのものです。この天才少年を育て,指導した父親ですら,「あの子は大きな大会になればなるほど力を発揮する」といい「神の子としかいいようがありません」とまで言わしめているのですから。

 わたしたちは,いま,「神の子」と出会ってしまったのです。もちろん,個人総合優勝を果たし,平行棒でも金メダルを獲得した内村航平選手も異次元世界を生きる「神の子」です。それにつづく若手の選手たちが陸続と育っています。その意味では,かつての体操日本の再来を大いに期待したいと思っています。

 しかし,体操競技が,ますます「サーカス芸」に走っていくことには一定の歯止めが必要だとわたしは考えています。少なくとも,みている人になにをやっているのかわからないような驚異性の探求は,わたしには邪道にみえます。むしろ,単純明快で,わかりやすい驚異性の探求に励んでもらいたいものだと思います。その典型が「シライ」という新技です。その意味で,白井選手のはたした功績は歴史的な偉業だとわたしは評価し,絶賛したいと思います。

 できることなら,体操競技のこれまでの流れを変える根源的な偉業である,というような評価を,とりわけメディアにお願いしたいところです。このことは,スポーツの本質にかかわる,きわめて重要なことなのですから。

2013年10月6日日曜日

『スポートロジイ』第2号の合評会が無事に終わりました。報告・その1.

青山学院大学の河本洋子先生のお世話で,第76回「ISC・21」10月東京例会が開催され,無事に終わることができました。午後1時から午後6時まで,あっという間に時間が過ぎていました。それほどに熱中できる密度の濃い時間でした。

第一部の情報交換から,すでに,話題が満載。こちらは,全員,ひとことずつお話をしてもらう時間なのですが,みんな聞いてほしい話がいっぱいで,なかなか順番がまわりません。全体の半分あたりのところで,時間切れ。あとは,ごめんとばかりに打ち切り。

ここで話題になったことは,以下のとおり。
竹内敏晴さんの話(出版記念会,藤原書店,唯さんのこと,名古屋での研究会のこと,など),テニスの日本語表記をめぐる諸問題をとおしてみえてくる歴史が面白い,ボーデ(Rhythmische Gymnastik)とクラーゲス(『リズムの本質』)と西谷修(一つひとつの命)のEigenwesen をめぐる思考仮説,『近代日本の身体表象』(瀬戸邦弘,杉山千鶴編,森話社),オリンピック教育,ボディ・ビル,モンゴルの土地所有の進展と身体の変容,イデオロギー論争からはじまった東西ドイツのスポーツ論争,以下,割愛・・・・・・という具合です。

どの話題一つとってみても,みんな一時間,二時間を要する話題ばかりです。最近のこの例会では,第一部の情報交換の時間がとても充実してきて,参加する人たちの目の輝きが変わってきました。やはり,短い時間でもいい,どんな話題でもいい,プレゼンテーションをするということは,人間の姿勢を変えてくれます。そして,新たな自己をそこに見いだすことができます。新しい自己の表出は,そこに参加している人にも不思議な力を与えます。こんなところに,集まってきて,わいわい,がやがやと議論することの意味があるのだ,としみじみ思います。

結局,第一部が終わったのは午後3時。少しだけ休憩を入れて,すぐに第二部の合評会『スポートロジイ』第2号に入りました。
こちらも話題は満載です。
まずは,今福龍太「身体──ある乱丁の歴史」と西谷修「グローバル化と身体の行方」の二つの論文をとりあげ,松本芳明さんにコメントをしてもらう。ここから一気にテンションが上がり,議論が白熱化してきます。スポーツする身体を,今福さんは,おそらく「身体の乱丁」というイメージで表現することによって,これまでステージの裏側に隠されていた身体の表象を取り出そうとしているのではないか。トレーニングやボディ・ビルによる身体もまた,乱丁の身体。どーピンクする身体などはまさに乱丁の身体。しかも,イーロ・マンチランタの事例(橋本一径訳)のように,遺伝子的にある「小さな変異」をもって生まれてくる身体などは,まさに,身体の乱丁ではないか。それが,もっと大がかりになってくると,スポーツ・メディア共同体(スポーツ・メディア・産業の三位一体)によって形成される身体ということになろうか。ということは,わたしたちの身体そのものが,歴史的産物であるという点で,まさに「乱丁の身体」ではないか。というように議論がエンドレスにつづきます。ここに書き出したのは,ほんの一例です。話題は,さらに,スポーツの「判定」をめぐる議論へと転じて,柔道,体操競技,太極拳,を数量的合理主義にからめとることによるスポーツの頽廃への道が,さまざまに語られました。

なにより問題なのは,柔道や太極拳のような武術が,点数化されてしまうことによる自己矛盾でしょう。武術にポイント制や採点制は似合いません。それどころか,武術の生命を絶ち,武術にあらざる「武術もどき」に変容し,太極拳にいたっては「舞踊化」現象する表れるという次第です。

ここまで書いたところで,時間切れ。これからつぎのプログラムに移動です。ひとまず,ここまでにして,このつづきをのちほど書いてみたいと思います。ではまた。
 

2013年10月5日土曜日

N教授の後期の授業がはじまる。題して「医療思想史」。サルの毛繕いの話,など。

 初日だけはどんなことがあっても遅れてはいけない,と心して出かけたにもかかわらず,到着したら授業はすでにはじまっていました。午後からの授業と聞いていましたので,てっきり午後1時からと思い込んでいました。ですから,少し余裕をもってと考え,12時50分に教室に入りました。ところが,もう,授業ははじまっていました。わたしの頭のなかは,???,なぜ?

 身を縮めるようにして,入り口のすぐ近くの椅子にすごすごと座りました。まるで,学生時代に遅刻したときの気分です。すでに,授業はいいペースで進んでいます。N教授には申し訳ないことをしてしまった,と反省しながら急いでノートを取り出して・・・。N教授はちらりと視線を向けただけで,無視して話をつづけてくださり,安心しました。

 前期の授業は学部学生さん用の火曜日の授業でしたが,後期はN教授のお薦めで金曜日の大学院生用の授業に変更です。テーマは「医療思想史」。以前から,断片的なお話は伺ったことがあり,どくべつに興味をもっていました。医療の対象となる身体と,スポーツする身体とは,なんとなく近い関係にあるのではないか,と思い描いていたからです。その予感は,はずれてはいませんでした。この二つの身体は,深い深い思考の末の根っこのところでは一つになる,ということが初日の導入のお話でピンときました。これは面白くなるぞ・・・・,と遅刻したことも忘れて夢中で耳を傾けていました。あっという間に授業は終了。密度の濃い時間は短い,と痛感しました。幸せです。

 さて,今日のお話のとっておきのお話を少しだけ書いてみたいと思います。
 その一つめは,医療の「医」ということばへのN教授のこだわりの話,二つ目は,人間が生きているかぎり「医」はどの時代にもどの地域にも存在したという話,そして三つ目は,「サルの毛繕い」の話,です。

 まず,医療の「医」について。この文字の旧漢字は,医とルマタ(漢字のつくり)とその下に酉を加えた三つが一つになったものと,もう一つは酉の代わりに巫を加えたもの(旧漢字でここに表記できないのが残念,近々,漢字ソフトを追加します)。この漢字の成り立ちの説明が,わたしにはことのほか面白くて印象に残りました。医は矢を入れた箱,ルマタは矢を射る人,酉は酒。この読解は,毒を塗った矢を放ち,その毒のついた矢で傷ついた人を酒で洗い流す・・・・これが「医」のもともとの意味だというお話。そして,もう一つの酉の代わりに巫のつく文字は,巫女が祈り(呪術)をささげることによって傷を癒す,というお話。しかも,この旧漢字の二つの医は,癒と同義であったのだ,といいます。ですから,医とは,傷ついたからだ,疲労困憊したからだ,病変の起きたからだ,などに「手当て」をして,からだを癒し,もとのからだにもどすことだ,というお話に痛く感動してしまいました。なるほど,「手当て」して「癒す」ということが「医」の原点であるというわけです。ここから,医療,医学,医師,医術,医業,医薬,などということばが生まれてくるのですが,英語でいえば medicine の一語で終わり。このことが,なにを意味しているのかについては,これからの授業のなかでお話します,とのこと。ウーン,いきなり奥の深いお話です。

 二つ目は,人間が生きているかぎり,かならずなんらかのからだの異変は起こるので,それにどのように対応するか(手当てするか)という智恵や経験である「医」は,どの時代にも,どの地域にも存在していた,というご指摘。これは,言われてみればそのとおりですが,「医」は人類の歩みとともに,それぞれ地域や時代の特色を持ちながら蓄積されてきた智恵であり,経験である,とあらためて言われてハッと気づくものがありました。それは,日常の気づきとはまったく別の気づきでした。そうか,「手当て」とはそういうことだったのか,と。「触れる」ことによってはじまる分割/分有。したがって,このことと宗教的なるものの出現とも同根ではないか,と。だとすれば,スポーツ的なるものの始原とも同根ではないか,と。

 そして,最後は「サルの毛繕い」のお話。おサルさんがお互いに毛繕いをし合う姿は,わたしたちにもお馴染みの光景です。お互いに,身も心もゆだねて,交代しながら,心地よさそうに毛繕いをしてもらっているときのおサルさんの姿は,それを眺めているわたしたちまで,なんとなく癒される思いがします。そして,このおサルさんの毛繕いのことを考えてみれば,癒しである「医」の原点もみえてくる,というお話でした。そして,おサルさんは温泉にも浸かります。このときの温泉の中に身を沈めて目を細めている姿もまた,癒しそのものであり,「医」の原初の姿が浮かんでくる,という次第です。そうか,「医」の始原は,言ってみれば動物性の世界にまでその根が伸びている,ということがわかってきます。

 もちろん,これ以外にも聞かせてもらってよかったなぁ,というお話はてんこもりでした。が,それらは大事に胸のうちに秘めておいて,いずれ,スポーツの始原の問題を考えるところで復元してみたいと思います。

 で,授業の最後のところで,ひとこと,ポツリとN教授が仰ったことばがぐさりとわたしのこころに突き刺さりました。それは,この「医」の始原の次元と,こんにちの生命科学が対象とする「医」の次元との,あまりに大きな隔たりがどこからくるのか,この授業をとおして考えてみたいと思います,というN教授のことばでした。そうか,いまや,「手当て」などという発想はこんにちの医療現場からはほど遠いものになってしまっている,この現実がなにを意味しているのか,しっかりと目を向けていこう,とN教授は仰っている,と納得でした。

 さて,これからの半年間,至福のときが待っている,と思うと楽しくてこころが浮き立ったきます。もう,8年間もの間,東京医科歯科大学の大学院で講義をしてこられた「医療思想史」のエキスを,わたしは聞かせてもらえるのですから・・・・。
 

2013年10月4日金曜日

「イーロ・マンチランタ」(橋本一径訳)をめぐるドーピング問題を考える。

 『スポートロジイ』第2号に,<翻訳寄稿>イーロ・マンチランタ (自然によって)遺伝子的に組み替えられたチャンピオン(バスカル・ヌーヴェル著,橋本一径訳)が掲載されている。ドーピングの問題系を考える上で,これまで前例をみない驚くべき内容を含んでおり,こんごのドーピング問題を議論していく上で不可欠の論考である。その概要について紹介しておこう。

 まず,冒頭にこの論文の〔要旨〕が手際よく紹介されているので,それを借用しよう。その内容は以下のとおりである。

 この論文は,ノルディックスキーのチャンピオン,イーロ・マンチランタのケースを紹介し,分析するものである。この選手は遺伝的な変異の持ち主であり,そのおかげで手に入った並外れた呼吸能力が,彼の偉業にも大きく貢献したのは確実である。遺伝的な変異の特徴は明らかになっている。それはただ一つのヌクレオチドの変質に起因していたのである。系譜学的な研究によって,イーロ・マンチランタの祖先にいつこの変異が発生したのかを,正確に特定することができた。スポーツにおける大きなアドバンテージの出現についての,ほぼ完全な自然史が入手できたのである。さまざまなドーピング技術によって,このアドバンテージを模倣することが試みられている。ドーピングの性質に関して,このケースはいくつかの倫理的な問いを投げかけている。

 以上である。これを読めば,この論考がいかなる内容のものであるかは,ある程度は想定できるだろう。これを下敷きにして,わたしのことばに置き換えてみると,以下のようになる。

 何回ものオリンピック冬季大会で,数多くのメダルをほしいままにした希代の名選手イーロ・マンチランタが,ドーピング疑惑に問われ,血液ドーピング違反としてその偉業が取り消されてしまった。しかし,イーロ・マンチランタには,血液ドーピングをした覚えはまったくなかったので,その厳密な調査を訴えた。その結果,曾祖父の代にさかのぼって,赤血球を増加させる遺伝子の変異が明らかになった。イーロ・マンチランタ選手の無実が晴れたのである。そして,いまでは,フィンランド北部にあるラップランドのペロという町に,彼を讃えるブロンズ像が建てられている。しかし,このブロンズ像のもつ意味は複雑である。これらの事実を確認した上で,著者のパスカル・ヌーヴェルは,ドーピングが避けてはとおることのできない問題系を整理しながら,細部にわたって腑分けしつつ,問題の所在を浮き彫りにしていく。その行き着く結論は,これまでのドーピング論議とはまるで次元の異なる地平へと伸びていく。

 もう少しだけ補足しておきたいことがある。それは,イーロ・マンチランタ選手の遺伝子の変異の内容についてである。細かいことははぶいて,結論だけを取り出してみると,エリスロポイエチン受容体遺伝子は6545のヌクレオチドを持っているのだが,イーロ・マンチランタ選手に生じた変異は,この遺伝子の第6002番目だけに関係していた,というのである。このたった一つの遺伝子の変異が,イーロ・マンチランタ選手の赤血球を増量することに貢献し,競技成績を大きく左右したというのである。この点をまずは銘記しておこう。

 このほんのわずかな,小さな差異が,競技成績の明暗を分けていたとすると,ことはそれだけの問題では済まされなくなってくる。この小さな差異は,なにも遺伝子だけに限定されない。古典的には,筋肉の量や質に,他の選手たちとはことなる小さな差異を獲得するために,選手たちは日夜,トレーニングを積んできた。しかし,こうした差異が明確な科学的根拠とともに,あらかじめ明らかにされてしまうと(公けにされてしまうと),もはや,競技は成立しなくなってしまう。競馬の競走馬にハンディキャップを乗せて走らせるのも,勝負の結果を混沌状態にさせることによって,競技を成立させるためだ。

 ここでのドーピングに関する問題は,赤血球量の増加につながる技術にある。その技術は四つある,という。
 第一の技術は,よく知られているとおり,高地滞在である。
 第二の技術は,低酸素テントの使用である。
 第三の技術は,合成エリスロポイエチンを摂取することである。
 第四の技術は,受容体をコードする遺伝子の一つの変異である。

 イーロ・マンチランタ選手は,生まれながらにして遺伝子コードの変異を継承したのだが,それを人為的に行おうとするものが,第四の技術である。もし,この技術が可能だとすれば,「遺伝学的ドーピング」と呼ばれることになるだろう。しかも,技術的には可能である,という。そのため,WADAは,この遺伝学的ドーピング問題についての調査班を,すでにいくつも設置して,その対策に乗り出しているという。

 問題は,これだけに止まらない。ここからさきに,この論文の著者パスカル・ヌーヴェルは,予期せざる哲学的な思考の地平を切り開いてみせる。それは,スポーツ競技の本質にかかわる大問題に踏み込んでいく。このさきの展開については,もうすでに,相当に長くなっているので割愛させていただく。あとは,テクストで確認していただければ幸いである。

2013年10月3日木曜日

ドキュメンタリー映画『標的の村』に焦点を当てた西谷修さんのブログに注目。必読。

 9月23日の西谷修さんのブログ(西谷修──Global Studies Labolatory)「必見『標的の村』──「オモテナシ」のウラには何が?」を読んで,深く胸が痛んだ。高江のことを,「それとなく」気にかけていた,という程度の認識の甘さを恥じたからだ。やはり,このわたしも沖縄のことは他人事でしか考えてこなかったではないか,と。やはり,その場に立って,自分のからだをとおして感じ取ること,そこから思考を立ち上げること・・・・わかっていたつもりなのに,なにもわかってはいなかったではないか,と。

 西谷さんのブログの書き出しは以下のようである。
 いま東中野ポレポレで『標的の村』というドキュメンタリー映画がかかっている。沖縄でオスプレイ訓練のためのヘリパッド建設が強引に推し進められている,北部ヤンバルの高江に住む家族の5年にわたる日々の闘いを撮った映画だ(公式サイト)。

 ここからはじまって,沖縄の基地問題の根源にある「もの」「ことがら」を明らかにしつつ,「オモテナシのウラには何が?」を説き明かす,必読のブログだ。またまた,多くのことを教えていただいた。いつものことながら,ありがたいことである。

 そして,早速,公式サイトからネット・サーフしながらドキュメンタリー映画『標的の村』の情報を集めてみた。三上智恵監督,琉球朝日放送制作,91分。”報道されない事実”と”報道された嘘”(仲村颯悟),全国ニュースから黙殺されたドキュメント・・・・,以下,省略。

 そんな情報のなかに,森達也(作家,映画監督)のコメントをみつけ,これまた痛くわたしの胸に突き刺さったので,書き留めておく。

 公正中立などありえない。なぜなら情報は視点なのだから。主観的で当たり前。ところが現在のマスメディアは,ありえない公正中立を偽装している。特に大メディアになればなるほど,この建て前を崩せないのだろうか。・・・・・僕のその思いを,この作品はあっさりと覆した。全編にみなぎる人々の怒りと悲しみは,撮影クルーや取材する記者たちの怒りと悲しみの声でもある。すがすがしいほどに主観全開。それでいい。だってそれが本来のメディアなのだから。

 こういうみごとなまでに鮮明な文章を書いてみたい。また,ここまで「見切る」だけの力量をわがものとしたい。さすがに森達也だ。「全編にみなぎる人々の怒りと悲しみ」がもろに伝わってくるし,「すがすがしいほどに主観全開」というメディアの本質を言い当て,それを擁護する表現に圧倒されてしまう。

 いま,なにかと動けない事情があるので,一区切りついたところで,このドキュメンタリー映画を見に行こうと思う。そうして,なにを感じ,なにを考えるか,みずからを試してみたい。

 とりあえず,今日のところはここまで。

2013年10月2日水曜日

『スポートロジイ』第2号の合評会(10月5日)に向けて。

 昨日(1日)のブログで書きましたように,第76回「ISC・21」10月東京例会の第二部は,21世紀スポーツ文化研究所の紀要として刊行されています『スポートロジイ』第2号の合評会です。しかし,この本を手にしていない方にとっては「なんのこっちゃ」という話だと思いますので,その内容についてかんたんに紹介しておきたいと思います。なお,大きな書店には置いてありますので,どこかでご覧いただけると幸いです。

 『スポートロジイ』第2号は,特集が二本立てになっています。
 特集・I は,グローバリゼーションと伝統スポーツ,
 特集・II は,ドーピング問題を考える,です。

 特集・I の内容は,2012年8月に開催されました第2回日本・バスク国際セミナーから,特別講演2本と原著論文3本を,掲載させていただきました。特別講演 I は,「身体──ある乱丁の歴史」(今福龍太),特別講演 II は,「グローバル化と身体の行方」(西谷修)です。この二つの特別講演は,わたしたち「ISC・21」の研究員にとってはまことに刺激的で,こんごのわたしたちの研究活動の大きな指針になる,記念すべきものでした。ここでお二人の先生方が提示してくださった大きな問題提起をわたしたちがどのように受け取ったのか,ということについてみんなでディスカッションしたいと思っています。

 原著論文の内容は以下のとおりです。
 竹村匡弥:野見宿禰と河童伝承に潜む修祓の思想。
 松浪 稔:日本における近代的身体観の形成──軍・教育・メディア──
 井上邦子:身体に向かうグローバリゼーション──モンゴル国伝統スポーツの事例より──
 一つひとつの論文の概要の紹介は割愛させていただきます。いずれも,魅力的な内容になっていますので,大いに議論が盛り上がるに違いありません。

 特集・II の内容は以下のとおりです。
 伊藤偵之:ドーピングの現在を考える(研究報告)
 橋本一径:イーロ・マンチランタ ──(自然によって)遺伝子的に組み替えられたチャンピオン,パスカル・ヌーヴェル著/橋本一径訳(翻訳寄稿)

 
 世間では,アンチ・ドーピング運動が大まじめに展開され,まるで正義の味方であるかのように支持されていますが,はたしてそうでしょうか。ここに大きな疑問符をつきつける,恐るべき研究報告と翻訳寄稿です。長年にわたってドーピング・ドクターとして世界を股にかけて活躍されてきた伊藤ドクターの,ある意味では強烈な内部告発となっています。この研究報告を読んで,びっくり仰天してしまいます。そこに,橋本さんの翻訳寄稿が追い打ちをかけるようにして,ドーピング・チェックの気の遠くなるような困難と,その正当性の危うさを,みごとに描き出してくれています。

 ドーピングの問題系を,もっともっと深く考えていかないと,ひとりの人間の存在そのものが脅かされているという恐るべき事態が,スポーツ界のあちこちで起きているという事実に注意をそそぐべきでしょう。ドーピングの奥は深い,そんな思いにさせられる,重い論考です。さて,このような問題をどう受け止めていけばいいのか,深い哲学的なテーマでもあります。

 もう一本は,西谷修さんの特別寄稿,「<自由主義>の文明史的由来──ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』から──」です。じつは,この研究会でナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』を数回にわたって議論してきました。それは,特集・I との関連で,グローバリゼーションを考えるためのテクストとして,適切なものだと考えたからです。そうして,そのまとめの意味で,西谷さんに,このテクストをどう読むかというお話を,この研究会で行いました。そのときのテープ起こしに手を入れてくださいとお願いをしましたところ,このような書き下ろしの原稿を送ってくださった,という経緯があります。ですから,わたしたちにとっては,二度にわたって美味しい経験をさせていただくことになりました。しかも,<自由主義>についての根源的な問題を提起してくださいました。

 この問題は,スポーツ界における<自由競争>について,根源的な問いを突きつけている,とわたしは受け止めまています。スポーツ界にあっては,みんな,平等に,自由に,競争することが美化され,アプリオリに容認されてきた経緯が,こんにちの矛盾だらけのスポーツ界の諸問題を生み出しているのではないか,という考えです。こうした問題を考えるための,きわめて重要な論文になっています。おそらく,西谷さんも,わたしたちの問題関心のありどころを承知した上で,問題の所在を明らかにしてくださったのだと思います。
 
 

 さて,わたしたちは,この論文をとのように受け止め,議論することになるのでしょうか。興味はつきません。

 最後は,わたしの研究ノートです。題して,「スポーツの<始原>について考える──ジョルジュ・バタイユの思想を手がかりにして」です。これは,創刊号に掲載できなくて,オーバーフローしてしまったものを,再度,まとめて掲載したというものです。狙いは,「スポートロジイ」なる新たな学の,理論武装をすることにあります。どこまで,それが成功しているのか,みなさんのご意見を伺ってみたいと思っています。

 以上が,テクストの概略です。
 興味のある方は,できればテクストを熟読した上で,この会に参加していただけると幸いです。熱烈歓迎いたします。どうぞ,お出かけください。

 取り急ぎ,今日のところはここまで。

2013年10月1日火曜日

カール・ルイスが10秒を切ったとき,ぼくに衝撃が走った。為末大,談。

 鷺沼の事務所で原稿を書いていたら,途中で集中力が途切れてしまい,いつものようにコーヒーを淹れながらラジオを聞いていました。もちろん,81.3(エイトワン・ポイント・スリーのテーマ・ソングがさまざまなヴァリエーションで流れてきて,わたしは大好きだ)のJウェーブ。今日(10月1日)の午後3時30分ころに,突然,まったく突然に,為末大さんの談話(録音)が流れてきました。

 そういえば,このところ為末大さんの露出度が目立つなぁ,と思っていたところでしたので,それとなく耳を傾けていました。元400mハードルの銅メダリストとして一躍有名になったかつての名選手,経済に詳しい(株が趣味とか),本も書く,ITに詳しい,まんが・アニメ大好き,テクノ・サイエンスに詳しい,という程度にはわたしも知っていました。これまでにない少し変わった元陸上競技の選手,そして,タレント性もあり,意外に知性が高い人というのも,なんとなく承知していました。

 が,今日の談話を聞いて,アッと驚きました。もちろん,編集がしてあって,一番いいところだけを抜き出して流したようです。が,それにしても,ムッ,この人は?と考え込んでしまいました。やはり,トップ・アスリートと呼ばれる人たちの何人かはわれわれ凡人とはまったく違う別世界を生きているんだ,ということを再確認させられました。

 今日の談話のポイントをわたしなりに,記憶を頼りに,書き出してみますと以下のとおり。 

 銅メダルをとったときのレースは,いまでも忘れることができません。いつもの自分とはまったく違う別人の自分が立ち現れて,まるで弾けるようにしてレースがはじまりました。自分でもびっくりするような走りが,いつまでもつづくのです。いったい,自分は,いま,なにをしているのだろうか,と思うほどに驚きました。そうしたら,やはり,驚くべき記録がでていたのです。その結果が銅メダルでした。

 レース後に一番驚いたのは自分です。感動に打ち震えていました。いったい,なにが起きたのだろうか,と。そのうちに,観衆にも,わたしの感動が伝わっていくのがわかりました。多くの人が感動して声援を送ってくれるのもわかりました。やはり,選手が感動するような走りをすれば,それはおのずから見ている人には伝わるものなんだ,と理解しました。

 このときの感動とともに,わたしの過去の記憶がよみがえってきました。それは,カール・ルイスが100mで初めて10秒の壁を破ったときの走りです。ぼくは,その走りをみていて,記録以上の衝撃を受けました。その走りは,もはや,人間のそれではありませんでした。まったくの別世界の走りでした。こういう走りがしてみたい,そのときのぼくは感動に打ち震えながら,強く熱望しました。それからのわたしの陸上競技生活の質ががらりと変わりました。無我夢中で練習に励みました。もちろん,いろいろに創意工夫をしながら・・・。

 人間は自分を超え出るときがあります。このときの感動は口では言い表せません。それほどの感動です。だから,その感動は見ている人にも伝わるのだと思います。スポーツの素晴らしさはここにある,と考えています。

 こんな為末大さんの談話を聞きながら,そういえば,大相撲の力士・遠藤も似たようなことを言っていたなぁ,と思い出していました。

 遠藤は9勝を挙げながら,左足首の捻挫で惜しくも休場してしまいましたが,かれも面白いことを語っていたのを記憶しています。それは,父親に薦められて,小さいときから相撲をやっていましたが,それほど好きにはなれず,途中で何回も相撲は止めたいと思っていました。ですから,途中で,パスケットボール部に入ったりしていました。が,あるとき,朝青龍の相撲をみて,こんなに面白い相撲があると知り,以後は,迷うことなく相撲の道をまっしぐらでした。もし,朝青龍というような名力士がいなかったら,いまのわたしはいなかったと思います。

 つまり,為末大さんはカール・ルイスの走りをみて,そして,力士・遠藤は朝青龍の相撲をみて,本気でその道に入った,と言っています。この人間業とは思えないような,まるで神の降臨に出会うような,潜在的なるものが顕在化するその瞬間(蓮實重彦)に立ち会うと,人間はまるでなにかに触れたように奮い立ちます。そうして,普通ではない,ある種の狂気の世界に入っていきます。この狂気が,じつは,偉大なる仕事をなしとげるには必要不可欠なことなのです。

 もちろん,ここでいう狂気には,大きなものから小さなものまで千差万別,さまざまなものがあります。だから,人は,それぞれのレベルに合った狂気に反応し,それを受け止め,それなりに人生を切り開いていくことになります。その世界は,いいとか,悪いとかの世界とは無縁です。もはや,だれも止めようのない,純粋無垢の世界です。

 為末大さんの,ラジオの談話を聞いて,わたしもまた新しいなにかに触れたように思います。あるいは,これまで考えつづけてきたことが,一気に弾けたということかも知れません。もっともっと,みずからの感性を信じるべきではないか,と。そういう生き方こそが,真に生きるということの内実ではないか,と。スポーツを考えるということは,生きることの意味を考えることだ,と。

 ああ,なんとも,久しぶりの至福のときでした。
 

第76回「IOC・21」10月東京例会を開催します。

標記の例会を下記の要領で開催しますので,興味・関心をお持ちの方はぜひご参加ください。傍聴するたけの方も,一応,わたし宛にメールでご連絡ください。
           記
1.日時:2013年10月5日(土)13:00より18:00まで。
1.場所:青山学院大学・総研ビル8階・第11会議室。
      (総研ビルは,正門を入ってすぐ右手にある建物です)
1.プログラム:
 第一部:情報交換(13:00より14:30まで)
      ブックレヴュー,論文紹介,フィールドワーク,近況報告,など。
 第二部:『スポートロジイ』第2号の合評会(14:45より18:00まで)
      基調報告:稲垣正浩(21世紀スポーツ文化研究所主幹研究員)
      コメンテーター:交渉中
      全員でディスカッション
      途中で一回,休憩をとります。
 以上。

※第一部は,主としてレギュラーの会員による情報交換が行われます。
※例会のメインは第二部です。意外な顔ぶれがそろう予定ですので,ご期待ください。
※第二部に参加される方は,原則として『スポートロジイ』第2号を熟読の上,ご持参ください。
※当日,数冊は会場に用意しておく予定です。実費販売の予定。
※なお,例会終了後,約2時間ほどの懇親会をもちます。会費:3500円。参加希望者は,10月3日までに稲垣までご連絡ください。メール・アドレス:inagaki@isc21.jp
※問い合わせも,上記メール・アドレスに。
※それでは,当日お会いできますことを楽しみにしています。



 

千秋楽,鶴竜と稀勢の里の一戦に,ひとこともの申したい。勝負の「判定」とはなにか。

 大相撲秋場所が終わって一日が過ぎた。今場所は,いろいろと事情があって,大好きな大相撲をみる時間が少なかった。だから,なにも言わないでおこうと決めていたが,やはり,どうしてもこの一番だけはひとこともの申しておきたい。

 大相撲の勝負の判定はきわめてむつかしいということは百も承知している。しかし,千秋楽の鶴竜と稀勢の里との一戦については,わたしとしては,黙って見過ごすことはできない。テレビの解説者も問題にしなかったし,翌日の新聞(東京新聞)もひとことも触れてはいないので,世間的には大相撲の判定とはそういうものなのだ,と認知されているらしい。

 しかし,ほんとうに,それでいいのだろうか。このまま放置しておいていいのだろうか。だれも異議申し立てをする人間がいなければ,それでよしとして,それでいいのだろうか。大相撲を真に愛するひとりのファンとしては,いかがなものかと思う。だから,ひとこともの申しておきたい。

 一応,物言いがついて,土俵上で確認の話し合いがなされたが,鶴竜の左足の方が稀勢の里の右肘が土俵の外につくよりも早かった,だから,行司軍配どおり,となった。もちろん,ビデオによる確認もなされている。そして,たしかに,その判定に間違いはなかったことも,スローの映像を流してくれたので,わたしたちも理解している。

しかし,である。それで納得できたか,とみずからに問えば,ノーである。手続きとしては理解できたとしても,その判定に納得することができるかどうかは別問題である。相撲には「かばい手」という判定がある。わたしの目には,鶴竜の左足は「かばい足」にみえた。なぜなら,鶴竜は,稀勢の里が落ちていくのを上から見届けて,すでに勝負あったと判断して左足をついた,とわたしはみる。もし,そうでなかったら,あの左足は浮かせたまま土俵下まで落ちていくことになったはず。あるいは,稀勢の里のからだの上に倒れ込んでしまうことになったはず。しかし,そうなると稀勢の里に怪我をさせてしまう恐れがある。鶴竜の目には完全におれの勝ちと写ったはずである。だから,意識としては,稀勢の里が落ちたと思ったので,左足をついて土俵下まで落ちていくのを防いだ,ということなのだろう。

しかし,行司はその一瞬の差を見届けていた。これはたいしたものである。しかし,勝負審判の親方たちには座っている場所によって,みえた人とみえなかった人との差がでてくる。座席でみているファンにはその差はほとんどみえない。ましてや,テレビ観戦では,よほどカメラアングルがよくないかぎりは,まずは,みえない。そのみえないところをビデオによって正当化する,この判定の仕方はこれでいいのか,というのがわたしの疑問である。

 「相撲に勝って,勝負に負けた」という言い方が相撲界にはある。むかしから,この判定の矛盾は広く知られている。鶴竜は相撲に勝って,勝負に負けた,ということなのである。しかし,それは,だれの目にも明らかに見届けることのできる場合にかぎるべきではないのか。相撲の流れからして,鶴竜はきれいに稀勢の里を突き落として,しかも断然,有利な体勢のままで土俵の上に立っている。だから,わたしの目には「かばい足」と写る。

 テレビ判定を優先させるのであれば,もはや,勝負審判員は不要である。すべて,機械に任せればいい。スピード・スケートの1000分の1秒差まで計測して,判定を下すのと同じになってしまう。ここからさきの議論は,じつは,もっともっとややこしい問題がいっぱいある。したがって,今日のところはここまでとしておく。いずれまたの機会に。