2014年2月14日金曜日

新国立競技場計画についての対談(槙文彦vs平山洋介,『世界』3月号)に注目。

 『世界』3月号がとどきました。特集は「脱成長」への構想,となっていて伊東光晴,西川潤氏など6人の論者が論考を寄せています。この特集と呼応するようなかたちで〔対談〕成熟都市の「骨格」──新国立競技場計画から考える,が掲載されています。なるほど,「脱成長」と「成熟都市」という視点から,新国立競技場計画を考えるとどのようなことがみえてくるのか,と興味をもちました。早速,この対談から読み始めることに。

 新国立競技場計画についてはすでに多くの議論を呼んでいるところですので,この対談では,それを繰り返すような議論はなされてはいません。むしろ,この新国立競技場計画というとてつもない巨大な計画が,これからの東京という都市のめざすべき方向にどのような影響を及ぼすのかという点に比重が置かれています。したがって,対談の後半は,スポーツの問題から離れて,建築が金融化され,商品化され,資本化されていく近年の世界的動向にまで議論が展開していきます。これまたスケールの大きな対談になっています。

 ここでは,スポーツを考えるわたしの観点から興味を引いた内容について,若干のコメントをしてみたいと思います。

 たとえば,建築家の槙文彦さんの発言に次のようなものがあります。
 「明治神宮の外苑および代々木公園一帯は,1926年に日本で最初の風致地区指定を受けており,東京都が長いあいだ神経をつかってきた都市緑地でした。1940年東京五輪の前にも,侃々諤々の議論のすえ,候補地が変更された経緯があります。
 ところが今回,その外苑の聖徳記念絵画館の真横に,規制緩和によって高さ70メートルの施設を建てられるようになった。銀座の中央通りでも,沿道の建築物の高さは56メートルに制限されています。そこから10メートル以上,つまり三階分ぐらい高いものを認めるコンペの募集要項が,有識者会議を経て発表された。会議では,狭い敷地なのだからどのくらいの大きさ,あるいは高さがふさわしいかという議論はまったくなかったようです。」

 この話を聞いてわたしの脳裏をかすめていくものは,やはり,「はじめにオリンピックありき」です。つまり,東京五輪のためにすべてのものごとが推し進められているという東京都の方針です。この高さ制限の緩和も新国立競技場計画のコンペが終わってからなされたといいます。それでは話があべこべです。第一,この有識者会議のメンバーには,建築や都市計画の専門家はほんの少ししか加わってはいなかった,ともいいます。いうなれば,有識者という名の「素人」集団が,東京都の意向を受けてお手打ちをしただけの話です。こんなことがまかり通っているのですから驚きです。つまり,東京オリンピック開催を錦の御旗にかかげて,むりやり,ものごとを強引に推し進めていく,その姿が浮き彫りになってきます。しかも,それが「当たり前」になりつつあります。

 また,この話に応答するかのように都市計画の専門家である平山洋介さんがつぎのように語っています。
 「昨年末には,安倍政権の成長戦略の新たな目玉商品として,国家戦略特区法が成立しました。この特区法では,様ざまな規制緩和に並行して,容積率規制がまたもや緩められます。容積率の引き上げは不動産投資を呼び込むための手っ取り早い手法で,景気悪化のたびに繰り返されてきました。過去30年の都市計画の歴史は,規制緩和の歴史だったといっても過言ではありません。東京五輪も,こうした開発促進の触媒としての役割をもたされています。」

 新国立競技場計画も,開発促進の触媒としての役割を担わされている,しかも,それを国家戦略特区法が支えていく,という図式のなかにみごとに納まっています。もはや,議論の余地なし,というのがわたしの感想です。こうして,東京という都市はますます肥大化していくことになるわけですが,この対談者のお二人の説によれば,東京の人口はこれから徐々に減少していくのだといいます。だからこそ,東京都は「脱成長」への構想を立てて,成熟都市の「骨格」を明確にしていくべきなのだ,というわけです。したがって,新国立競技場計画はそのための試金石でもあるのだ,というのがこのお二人の意見だと読み取りました。

 ここでは対談のほんの一部を覗いてみただけにすぎません。全体はもっともっと迫力のある対談になっていますので,ぜひ,ご一読をお薦めします。オーバーではなく,この対談をとおして「世界」がみえてきます。東京五輪もそのほんのひとつの歯車にすぎない,ということもわかってきます。恐るべきは「経済」の支配力です。もはや,どうにも歯止めがかからない凶器と化しつつあります。この問題はまた,いつか考えてみたいと思っています。

 というところで,今回はここまで。

 

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