2014年3月21日金曜日

『本能寺の変 431年目の真実』(明智憲三郎著,文芸社文庫)を読む。歴史は創られる,の見本。

 でっちあげられた情報であれ,単なる根も葉もない噂であれ,ある情報が流されつづけると,それはいつのまにか真実となって大通りを歩きはじめます。このことはむかしもいまも変わりがないようです。


 たとえば,NHKのニュースが安倍首相の答弁ばかりを流しつづける(質問者の顔も質問内容も伏せたまま)のも,そこにははっきりとした意図・戦略があることがわかります。一般国民は,繰り返し,くりかえし安倍首相の答弁を見聞きしているうちに(一日に何回も同じ映像が流される),その上っ面を糊塗するだけの美辞麗句にだまされ,それを信じ,それがいつしか真実となって一人歩きをはじめてしまいます。


 フクシマは「under control 」だと大見得を切った大嘘も,ものごとを深く考えようとはしない日本国民の多くはそれを信じています。「世界一厳しい安全基準」をクリアした原発は再稼働させる,そのことのどこが悪いのか,と言わぬばかりの安倍首相の記者会見も同じです。思考停止してしまった多くの国民はそれを鵜呑みにしてしまいます。そして,それが高い「支持率」となって反映されています。


 歴史はこうして「創られて」いきます。


 日本人であればだれでも知っている「本能寺の変」も,じつは秀吉が自分の都合のいいように演出をし,原作を書かせた物語がひとり歩きをして,いつしかそれが歴史的事実として定着してしまった,というのがほんとうの話のようです。時の権力者の創作に異議をとなえる人は,その当時もだれもいませんでした。本能寺の変の「真実」を知っていたはずの朝廷ですら,口を閉ざしてなにも言わなかったといいます。ですから,「本能寺の変」の「真実」を知っていて,しかもその「謀叛」に加わった当事者でもあった人が書き残した「日記」なども,秀吉の威光の前にひれ伏すようにして,のちに改竄され,差し替えられたといいます。


 専門の歴史研究者ですら,秀吉の戦略を見破ることができず(一部の記述は批判の対称になってはいても,全体としては肯定されている),それが歴史的事実としてアカデミズムをも支配している,とこのテクストの著者は力説しています。しかも,そうした歴史研究の誤り(無根拠性)を,関連するあらゆる資料を駆使して,著者は丹念に一つひとつ解きほぐしていきます。その手法を著者は「歴史捜査」と名づけ,裁判所の審議にも耐えうるだけの「証拠」を導き出し,「さあ,どうだ」と問題の所在を読者に投げかけています。


 著者の名前は「明智憲三郎」。この名前をみればだれもがお分かりのように,明智光秀の末裔。祖先の名誉をかけて,全力で,「本能寺の変」の「真実」解明に取り組んだ力作です。その結果,みえてくるのは,戦国動乱の時代を生き抜く武将たちの,底無しの「苦悩」です。お互いに同盟を結びつつ,お互いにつねに疑念をいだき,要心に要心を重ねながらの「綱渡り」的な生き方です。


 信長,秀吉,家康といった,こんにちのわたしたちからみれば歴史の中核を生きた人たちですら,つねに怯えていたのは「謀叛」でした。ですから,つねに先手,先手で手を打って,「謀叛」の目をつぶしていかないかぎり,自分の生命すら危うい状態でした。そんな最中に「本能寺の変」は起きた,ごく自然な成り行き(あるいは,偶然起きた「隙間」に吸いよせられるようにして起きた「変」)であった,と著者は結論づけます。つまり,光秀ひとりを悪者に仕立て上げた秀吉こそ,天下人になるために先手を打った,とんでもない悪者である,ということになります。しかし,だれよりも早く,わが身の保全のために「光秀悪者」説をでっちあげ,それを正当化するための「創作」を演出したところに,当時の戦国武将にはなかった異色の才覚を認めざるをえません。


 かくして,秀吉が,一旦,権力の頂点に立ってしまうと,もはや,だれも秀吉の「創作」に異を唱える人間はでてきません。それはそれはみごとなまでの力を発揮しました。他の戦国武将たちはみごとなまでの「自発的隷従」を発揮して,秀吉の傘下に組み込まれるべく全力を挙げて「奉仕」します。それが,この時代の戦国武将たちの生き延びる術(すべ)であった,という次第です。さもなければ,反旗を翻して起こす「謀叛」(クーデター)だけです。それはまさに命懸けの決起です。ですから,余程のことがないかぎり,「謀叛」は起きません。


 かくして,歴史は「創られる」という次第です。


 しかも,こうした流れはいまも少しも変わってはいない,という「事実」です。「自由」や「民主主義」が理想的な理念としてはかかげられても,現実はまことに「みじめ」な情況にあることは,日々の国際情勢や国内政治を直視すれば,だれの目にも明らかなとおりです。


 この本は「歴史捜査」という手法に名を借りた,「歴史とはなにか」という根源的な問い直しにチャレンジした力作であり,名著だと思います。


 ぜひ,ご一読を。

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