2014年7月26日土曜日

三四郎池の正式名称は「育徳園心字池」。かつては加賀藩上屋敷の名園としてその名を馳せる。

 何年ぶりだろうか。東大の構内にある三四郎池を尋ねたのは。

 最初に尋ねたのは夏目漱石の小説『三四郎』を読んだときだ。まだ,学部の学生だったころのこと。その当時は,茗荷谷にある学生寮・三河郷友会に住んでいたので,本郷までひとりで歩いて行った。そのときの三四郎池は,周囲の木もそんなに繁茂していることもなく,池を取り巻いている周囲の高台から池全体を一望できたと記憶している。こじんまりとした清楚な感じの池だった。特別に手入れがしてあるというよりは,自然のまま放置されているような状態だった。1960年ころの話である。

 二度目に尋ねたのは,「文学にみるスポーツ」という雑誌連載を必死になって書いていたころのことである。1980年ころと記憶する。わたしが40歳を少しすぎたころだ。いつか『三四郎』を取り上げようと思っていたので,奈良から上京した折に,この池を一周してじっくりと観察した。このときも,まだ周囲の木はそれほど大きくもなく,池の全体がよく見えた。漱石の小説『三四郎』によれば,この池のすぐ近くの広場が運動場になっていて,そこで運動会が開催された,とある。だから,運動場がどこにあったのか必死になって探してみたが,それらしき広場はどこにもなく,すでに大きな建物が立ち並んでいた。

 こんどが三度目である。7月21日(月)に開催された美学会の国際シンポジウムが終わって,まだ日が高かったので,思い立って三四郎池に向かった。が,場所が思い出せない。前回から数えてみたら,もう35年も経過している。安田講堂の近くだったという記憶を頼りに,まずは安田講堂をめざす。意外にも,すっぽりとブルー・シートに覆われていていま修復工事の真っ最中。その前に立って周囲を見渡してみたら,正面右手にこんもりとした森がみえる。あれだな,という直感を信じてそこをめざす。まぎれもなく三四郎池だった。


 正面入口から入ってみて驚いた。周囲の樹木が繁茂していて池に覆い被さっているではないか。池の奥の方は見えない。周回道路を左にとってぐるりと廻ってみる。しかし,途中,池はほとんどみえない。ちょうど正面入口の反対側にきたところに池を鑑賞できるスペースとベンチがあった。そこから眺めてみても,池の一部が見えるだけである。


 この池はほとんどなんの手入れもされないまま放置されていたのか,と見受けられる。でも,ベンチなどは,むかしはなかったので,あとから設置したものらしい。しかし,池の周囲に繁茂する樹木は自然のままにまかせてあったようだ。とにかく,むかしはみえた池の全体像がまったくつかめない。部分を眺めて,これが三四郎池だったのか,とやや不満。

 でもベンチに座ってしばらくぼんやりと池を眺めてみる。そして,漱石の小説『三四郎』のいくつかのシーンを思い浮かべてみる。寺田寅彦をモデルとした物理学者が登場し,10分の1秒を計測することのできる時計を開発して,猛烈なスピードで走る「背の高い男」の記録をとっていたなぁ,その記録はのちに世界新記録であることを認証してもらうために,東大総長のサイン入りで証明書を作成し,アメリカのなんとかというスポーツ団体に送ったよなぁ,この「背の高い男」が日本の最初のオリンピック選手となり,スウェーデンのストックホルム大会に出場したんだよなぁ,その帰路にイギリスに滞在して大活躍をし,一躍有名となり,この男の名前をもらった競馬馬が大活躍したんだよなぁ,さらにこの馬はロシアに売られていって種牡馬として多くの子孫を残したんだよなァ,ところでこの「背の高い男」の本名はなんだったっけなぁ,たしか後に外交官として活躍した人物だったよなぁ,とかそんなことをつぎつぎに思い起こしながら,ひとときの至福の時を過ごした。

 ああ,やはりここにやってきてよかった,としみじみ思う。

 池を一周してもとの正面入口にくる。さきほどは見過ごしてしまったが,そのすぐ脇のところにきれいに磨かれた新しい御影石の碑が立っている。そこには,むかしの加賀藩上屋敷の育徳園という名の心字池であることが彫り込まれている。


 また,この碑の反対側には立て看板があって,この池にまつわる由来が書いてある。なるほど,なるほどと納得。


 たぶん,こんどが三四郎池の見納めだろうなぁ,という思いがちらりと脳裏をかすめていく。つぎにくることがあるとしたら,どういうタイミングの時なのだろうと想像してみても,もはや具体的なイメージは浮かんでこない。こうして,いよいよ「幕引き」の時が近づいてくるのだろうなぁ,と妙に実感をともなってくる。

 そうか,こうなったら「投企の時間」をそれとなく念頭に置いて,少しでも悔いのない濃密な時間をおくるべく,最後の精進をしなくては・・・・とそんなことをしみじみと思う。漱石の三四郎君は,若さゆえの「投企の時間」に思い悩んだ。人間が生きるということは,そういうことなんだ,と自分自身に言い聞かせてみる。少しだけ気持が晴れてきた。

 ひょっとしたら,意外にも,四度目の三四郎池訪問は,ただ,ここにきてベンチに座ることだけを目的にして・・・ということになるのかもしれない。なんとなくそんな予感がする。この鬱蒼と繁った樹木に包まれた三四郎池が,そんな風にわたしを誘惑しているようにも思う。

 さて,このさきどんな人生の展開が待っているのだろうか。漱石のように「則天去私」というわけにはいかないけれど・・・・・。まあ,それに似たような心構えだけはもちたいものである。
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