2014年12月1日月曜日

「仲井真さん,弾はまだ一発残っとるぜよ」の菅原文太さん逝く。最後の名演説。

 ついこの間のこと。沖縄県知事選での翁長雄志氏の総決起大会の会場。そこにわざわざ個人の立場ででかけて行った菅原文太さん。請われて,ショート・スピーチを一席。1万5000人の翁長応援団を前にして。そのときの名セリフがこれだった。

 「仲井真さん,弾はまだ一発,残っとるぜよ」。

 会場が大きな拍手で湧いた。
 いわゆる能弁家ではない。しゃいで,恥ずかしそうに,朴訥とした語り口で知られた人だった。だから,この会場でのスピーチも,途切れとぎれの,たっぷりと間をとった語りだった。それだけに聴衆はつぎになにを言うのだろうか,と身を乗り出して耳を傾けた。菅原文太さんの沖縄に寄せる思いは十二分に伝わった。みごとなスピーチだった。

 しかし,いま,考えてみると,途切れとぎれのあの名スピーチは,役者としての演出でもなんでもなかったのだ。そのことに気づいたとたんに,わたしの全身にさぶイボが立ち,驚きのあまりわが身が小刻みに震えだす。なんという人なんだ,菅原文太という人は・・・・!

 このとき,すでに,菅原文太さんは重病に犯されていたのだ。その重病のからだを引きずるようにして,沖縄まで足を運び,翁長雄志氏の応援にかけつけたのだった。だから,短いスピーチだったが,しかも,途切れとぎれのスピーチだったが,あれが人間・菅原文太の,素のままの精一杯の語りだったのだ。あの長い「間」は,聴衆を引きつけるためでもなんでもなく,菅原文太の呼吸を整え,つぎの発声をするための不可欠の準備時間だったのだ。

 そして,やや中途半端な終わり方をしたが,そのときの最後のことば「短いけど,これでいいかなぁ」と言って,うしろに立つ翁長さんの方をふり返った。それでも割れんばかりの拍手につつまれ,菅原文太も安堵した表情をして,手を高くさしあげ,笑顔で応えた。

 あれから一カ月足らずで,菅原文太は逝った。

 「仲井真さん,弾はまだ一発,残っとるぜよ」

 この弾は温存されたまま,でも,10万票もの大差をつける勝利を導き出した。その「弾み車」としての大きな役割をはたす「弾」だった。菅原文太も,この選挙結果を知って,大いに満足したことだろうと思う。

 しかし,その残り「弾」が,またまた必要なことになってきた。仲井真知事は,知事任期切れのぎりぎりに,滑り込みでいま検討されている「工事申請書」の審査を終えて,工事許可を出そうとしている,という(琉球新報)。沖縄県民の総意を無視し,それどころか意図的に踏みにじる行為に出ようというのだ。こうなったら,もはや「仁義なき戦い」に入るしかないではないか。

 「仲井真さん,最後の一発の弾で,こんどこそ死んでもらいます」。

 菅原文太の声が聞こえてくる。
 ご冥福をこころから祈ります。

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