2015年12月31日木曜日

仏教は「共生論」に徹する。道元さんのことばに説得力。

 西谷さんの集中講義聴講から帰ってきても,わたしの頭の中は「共生論」でいっぱい。授業中のさまざまなシーンを思い浮かべながら,「共生論」の寄って立つ基盤について考えてばかりいます。そんなときに限って,ふと,わたしの脳裏をよぎるのが仏教の考え方です。

 仏教の考え方は基本的に「共生論」です。門前の小僧であったわたしは,子どものころから,一寸の虫にも五分の魂,と教えられました。生きとし生けるものすべてが平等であり,分け隔てをしてはいけない,と教えられました。ましてや殺生をしてはならない,と。真夏にあっても,蚊を叩いて殺してはいけない,と。

 では,どうするのか。寺の庫裡は,夏も冬も障子だけです。夏は,この障子も開けっ放しです。夜になって電気をつけると,周り中の蚊が集ってきます。このままではかなわないので,夕食前に,七輪に火をおこし,その上に生木の杉の葉を山のように乗せて燻します。すると,杉の葉の強烈な匂いがひろがり,蚊はいっせいに退散してしまいます。こうして,しばらくの間(夕食の間)は蚊に襲われることなく過ごすことができます。

 夜,寝るときは蚊帳を吊って,蚊の襲来から身を守ります。もちろん,蚊帳の中に蚊が入ってしまうことはあります。そういうときには,うちわで扇ぎながら,蚊にとりつかれないようにします。それでも,寝てしまったときには,無意識のうちに,からだを刺した蚊を叩き殺してしまうことはあります。それは許容範囲のうちにありました。

 とにかく,蚊を殺さないで,蚊を追いやる,というのが原則でした。ですから,「蚊とり線香」という言い方は間違いだ,と。正しくは「蚊やり線香」と言うのだ,とも教えられました。本堂は,朝のお勤めから昼の勤行まで含めて,何回も線香が焚かれます。ですから,なんとなく線香の匂いが染み込んでいます。ここには蚊も近寄りません。夏の昼寝は本堂でするのが習慣でした。

 軽いまえおきのつもりが長くなってしまいました。
 さっそくですが,道元さんの説く「共生論」について,考えてみたいとおもいます。もちろん,道元さんが真っ正面から「共生論」という考え方を説いているわけではありません。そうではなくて,仏教とはなにか,仏法とはなにか,を説いているなかに「共生」を前提にしていることが読み取れる,という次第です。たとえば,以下のとおりです。

 仏道をならふといふは,自己をならふ也。
 自己をならふといふは,自己をわするるなり。
 自己をわするるといふは,万法に証せらるるなり。
 万法に証せらるるといふは,自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。

 この一節は,道元さんの主著『正法眼蔵』の劈頭を飾る「現成公案」巻に収められています。そして,道元さんの基本的な立場が,もっともわかりやすく鮮やかに描かれた文章として,広く知られているのがこの一節です。

 不要かとおもいますが,一応,現代語訳(頼住光子著『正法眼蔵入門』より)を付しておきます。

 仏道をならうとは,自己をならう(真の意味での自己がどのようなものであるのかを理解し,それをこの身に現していく)ことである。
 自己をならうというのは,自己を忘れる(個我として固定された自己から脱却する)ことである。
 自己を忘れるというのは,自己があらゆる存在とつながり合いはたらき合っていることを存在の側から自覚させられて悟らせられるということである。
 あらゆる存在によって悟らせられるということは,自己の身心,また自己とつながり合う他者の身心を解脱させるということである。

 ここには補訳もあって,より厳密に理解することができるようになっています。そして,ここに説かれている仏教的世界は,まさに,すべての存在がつながり合っている,ということを悟らせることであり,さらに,お互いにつながり合っているということすら解脱させることなのだ,ということです。ここで言うところの解脱(本文は脱落〔とつらく〕)については,もっともっと深い意味があることを書き添えておきます。詳しくは,各種の解説本を参照してみてください。

 なお,ここで言う「他者の身心」は,単なる他者の身心ではなく,山川草木,森羅万象,宇宙全体も含む,大いなる「他者」全体であることを書き添えておきたいとおもいます。これが,言うところの仏教的コスモロジーといえばいいでしょうか。わたしは,そのように理解し,考えることにしています。

 万法に証せらるるといふは,自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。

 この一文の意味するところの深さ,重さが,ひしひしとわたしの身心(しんじん)に伝わってきます。わたしという存在そのものが,大宇宙のなかに溶融していくような感覚と言えばいいでしょうか。そして,そういう世界のひろがりのなかに身も心も遊ぶ(遊戯三昧・ゆげざんまい),これが解脱(げだつ)であり,脱落(とつらく)の世界である,と。

 とまあ,西谷修さんの集中講義に触発され,その余韻の後産のような感想を書いてみました。ご批評をいただければ幸いです。

2015年12月30日水曜日

騙されてたまるか。「フクシマ」こそが最大の政治課題だ。

 敗戦後70年。この時間はわたしの人生そのものだ。国民学校2年生で玉音放送を聞いた。そのあとの記憶は鮮明だ。国民学校が小学校になった。しかし,教科書もない。ノートもない。釘一本持って学校に通う。算数の計算は運動場の土がノート代わりだった。計算が終わると,足で消して,また,つぎの計算をする。やがて,新聞をもっと小さく折り畳んだ状態の教科書がとどく。それを竹箆で切って,表紙をつけて,ページがめくれるようにする。全部,自分の手仕事だった。出来上がると嬉しかった。そして,むさぼるようにして読んだ。空襲で焼け出され,読む本はなにもなかったから。

 1950年。新制中学1年生のとき,朝鮮戦争がはじまった。恐ろしくて鳥肌が立ったことを覚えている。日本はどうなるのか,と心配で仕方がなかった。しかし,戦争景気とかやらで,物資が少しずつ出回るようになって,食べるものも着るものもなんとか間に合うようになってきた。

 そのあとは,とにかく頑張ればなんとかなるという夢と希望に満ちた時代がつづく。中学,高校を終えて東京へ。1956年。まだ,米の配給時代で,米穀通帳をもって上京。外食券食堂で食費を切り詰めて暮らしていた。大学のキャンパスでは教科書法案の反対闘争が展開されていた。耳を傾けているうちに,気づいたら,日比谷の野外公会堂にも足を運んでいた。

 政治も不安定で,政党再編が繰り返され,なんとも頼りない時代だった。安保闘争の嵐が激しく吹きまくり,政権の交代も頻繁だった。が,それでも,どの政権も憲法9条だけは死守する姿勢を示してきた。そして,自衛権の行使も容認しない,という姿勢が貫かれた。この軸だけはぶれなかった。歴代自民党政権も,この姿勢にゆるぎはなかった。

 にもかかわらず,70年にわたる日本の「財産」を,たったひとつの気まぐれ政権によって全部失うことになろうとは・・・・?いったい,だれが,想像できただろうか。

 アベ政権は,閣議決定という姑息なやり方で,憲法解釈の変更を打ち出した。憲法の解釈が閣議で決定できるとなれば,もはや,立憲政治は不要だ。なにからなにまで,政府官邸のやりたい放題だ。そうして,とうとう,安保法制まで議会のルールを無視して(議事録も残せないやり方で),暴力的に決定してしまった。なにがなんでも「戦争のできる国」にしたかった,この本音を最後まで隠しとおして(嘘をつきとおして),押し切った。

 蓋を開けてみれば,恐るべき額の防衛費が計上され,辺野古の新基地建設も民意を無視して,これまた暴力的に強引に推し進めている。

 こうした政治の暴走は,じつは,とんでもない「演出」であって,もっとも重要な政治課題を隠蔽・排除するためのもっとも効果的な装置として仕組まれたのではなかったか,とわたしは考えている。

 なにを隠そう,この大騒動の陰に,人類史に残る大問題である「フクシマ」が追いやられ,隠蔽されてしまい,人びとの意識から遠ざかってしまった。しかも,手も足も出せないまま,「フクシマ」の実態はますます悪化の一途をたどっている。にもかかわらず,そこで起きている事実は,その大半が「秘密・保護」されてしまっている。国民がなにも知らない間に,放射能汚染は,日々,拡散していくばかりである。もはや,日本列島の隅々にいたるまで,その程度の差はあれ,放射能に汚染されていないところはないとすら言われはじめている。太平洋に至っては,垂れ流しの最悪の状態が,いまもつづいている。

 いま,わたしたちが直面している最大の政治課題は「フクシマ」だ。これを最優先して取り組まなければならない。なのに,アベ政権は放置したまま,なにもしようとはしない。いわゆる「原子力ムラ」の圧力に屈したまま,いや,それどころか一心同体となって,原発再稼働に走り,原発の輸出に熱をあげている始末だ。

 こんな暴走に歯止めがかからない。司法まで圧力をかけて,完全に支配下に収めてしまっている。政権の都合の悪い判決を出した裁判長および裁判官は,すべて「左遷」。出世の道を塞がれてしまっている。だから,みんな黙って,政権の顔色だけをうかがっている。

 もはや,世も末だ。

 しかし,こんなことは,この政権を倒して,別の理想を掲げる政権を誕生させれば,まだ,なんとかなる。少々,時間がかかるが・・・・。しかし,「フクシマ」は半永久的に手も足も出せないのだ。それでも,いま,できることはある。その,いま「できる」ことに全力投球をするのが政治の仕事ではないのか。それを放置したままである。無責任のお手本を,いまの政権は率先している。

 その結果は,世の中の「乱れ」である。倫理も道徳も規範もどこかにすっ飛んでしまったかのような「事件」が連日ニュースを賑わせている。すべては,政治の「貧困」に起因する。総理大臣が嘘ばっかり言いつづけていても,責任を追及されない。それどころか支持率もさがらないという。

 無意識のうちに,みんな「狂って」しまっていて,そのことに気づいていない。みんな間違っているが,自分だけは確かだと信じて疑わない,それほどに狂ってしまっている。

 騙されてたまるか。「フクシマ」こそが最大の政治課題だ。しかも,喫緊の課題だ。

 ことしも,あと二日で暮れていく。このことを肝に銘じて,新年を迎えたい。

2015年12月29日火曜日

「アメリカ様」からの攻勢。辺野古移設反対運動に追い風。新展開。

 12月28日(月)の東京新聞一面トップに,写真のような記事が掲載されました。辺野古の反対運動に,意外にも「アメリカ様」からも支援の輪が広がりつつある,というのです。これにはいささか驚いています。

 
もっとも,最近の辺野古の反対運動には,アメリカ軍の退役軍人が駆けつけて,ゲート前で気勢を挙げているという情報もあり,少しずつ情況が変わりつつあることは承知していました。しかし,今回のこの情報は,アメリカ本国の地方議会が辺野古移設反対決議をし,その輪が広がる気配だというものです。

 新聞記事によりますと,ことしの9月に,アメリカ・西海岸のサンフランシスコに隣接するバークリー市の議会が反対決議をし,アメリカ政府に対して「環境や人権の面で法律に基づいた措置を取るよう要求し,米政府が移設問題の当事者であり,責任もあることを認めた」とあります。そして,12月21日にはアメリカ東海岸のボストンのすぐ近くのケンブリッジ市議会も反対を決議したとのことです。

 こうした動向は,沖縄とアメリカ・バークリーを結ぶ女性団体の努力が実を結んだものだ,といいます。その団体とは,バークリーやサンフランシスコを拠点とする「真の安全保障のための女性の会」(WGS)で,教師や学生,主婦らで組織されているといいます。この団体がバークリー市議会の諮問機関「平和と正義の委員会」をとおして決議採択を市議会に働きかけた,といいます。

 
それに対して沖縄は,平和団体「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」を1995年に発足させ,翌年の96年には訪米して基地問題を訴え,それ以来,WGSと連携して運動を展開。交流の輪はさらに広がり,このふたつの団体は,韓国,フィリピン,米自治領プエルトリコなど,米軍基地が社会問題化した地域の平和団体とネットワークを形成している,といいます。

 なお,アメリカの女性団体・WGSは,サンフランシスコ市議会にも,同様の決議採決をするよう働きかけている,とのことです。こうした輪が広がりはじめると,最終的には「アメリカの政策決定者を動かすことができる」と,ケンブリッジ市議会で反対決議を提案したナディーム・マゼン市議は語っている,とのことです。

 日本の国内でも,地方議会が辺野古移設に反対する決議を採択した,という情報が聞かれるようになってきています。

 こうした動向は,日米両政府が強気で推し進めている辺野古新基地建造計画に,なみなみならぬ影響力をもつと考えられます。少なくとも,沖縄県民だけにもたれかかった反対運動を勇気づけ,さらに新しい展開をもたらすことになるという点で,大いに注目したいとおもいます。

 民主主義とはなにか,が真剣に問い直される時代にあって,日米両政府は厳しい立場に追い込まれていると言っていいでしょう。わたしたちもまた,ひとりの国民として,しかるべき行動をとり,意思表明をしていくことが不可欠となってきました。真の民主主義を確保するためにも,これからが正念場となってきました。

 一人ひとりの小さな力が集って,初めて大きな力となる,この自明のことを地道に展開する以外にはありません。できるところで,できる範囲の努力をつづけたいとおもいます。

2015年12月28日月曜日

「共生論」の理論的根拠満載の集中講義(西谷修),終了。

 12月21日(月)から25日(金)まで,5日間(23日は休日につきお休み)にわたる西谷修さんの集中講義(全15コマ)が無事に終了しました。テーマは「共生論」。

 思い返せば,なんと濃密な時間の連続であったことだろう,としみじみおもいます。「共生論」を展開するにあたって,これほどの広がりと深さがあるとは,じつは予想していませんでした。といいますのは,わたしも早くからイヴァン・イリッチの「コンビビアリティ」の考え方に共感し,これこそが近代スポーツ競技の論理を超克するためのキー概念になりうると確信し,折にふれ,さまざまな形で提案をしてきたからです。

 ただし,わたしの場合には,きわめて単純に,近代スポーツ競技の「競争原理」はすでに限界に達している,それに代わる原理は「共生」(コンビビアリティ)しかないだろう,したがって,これから目指すべきスポーツは「共生スポーツ」(コンビビアル・スポーツ)であるべきだ,という程度のものでした。そのことに気づくターニング・ポイントとなったのは,核エネルギーの開発でした。これを「自由競争」の原理にゆだねておくことは,もはや不可能となった,と考えたからです。

 そのとき,近代スポーツ競技を支えてきた「競争原理」も,すでに限界に達している,と強く意識しました。そのときから,「スポーツ史」のテクストを書くときには,「前近代-近代-後近代」という時代区分を設定することにしました。すなわち,近代と後近代を分かつメルクマールとして核を設定し,そこからスポーツの歴史を見直す必要があると考えた,というわけです。ヒロシマ・ナガサキに原爆が投下されたときから,時代はすでに近代の終焉を迎え,それに代わるべき時代,すなわち,後近代への移行がはじまった,と考えたわけです。

 しかし,西谷さんの「共生論」は,そんな単純なものではありませんでした。その思考の及ぶ範囲も深さも,そして,強度も,とてつもないものであることを知る,得がたい集中講義でした。それでもなお,今回の集中講義はそのさわりの,ほんの一部にすぎません,というところで終わりました。いずれ,西谷さんの徹底した近代批判と,その応答としての「共生論」は,一冊の単行本になるに違いないとおもいます。そのとき,西谷さんの「共生論」の全体像がみえてくるものと期待することにしましょう。

 ここでは,西谷さんの「共生論」を支える理論的根拠と思しきキー・コンセプトのうち,鮮烈な記憶に残ったものだけを,箇条書きにして紹介しておきたいとおもいます。

 1.メタ・フィジック(形而上学)という哲学のスタイルのもつ限界。
  考えないでいることの困難─メタ・レベルでの思考(自分の世界の外にでて考える)
  ことば,文字の役割
  魂,霊,などの世界の欠落
 2.古代ギリシアのポリス国家の成立
  ポリティックスのはじまり
 3.ヨーロッパ・キリスト教世界
  すべては神の創造物であるという考え方の限界
 4.生きもの─生物とはなにか,ということの再考
  生物と放射線は相反する存在─自然という枠組みの崩壊
  遺伝子操作,IT技術,など
 5.経済学とはなにか
  コストの価値付け,ユーティリティ,産業社会,市場原理
  値段のつけられないものがある・・・・人間の尊厳,魂,霊魂,など
  マルセル・モースの「贈与論」と自由経済(近代経済学)
 6.グローバリゼーションの内実
 7.東海村の事故から見えてくること
 8.コンビビアリティ
 9.成長の限界(ローマ報告・1972年)
10.宇沢弘文著『社会的共通資本』
11.水俣病公害を考える
12.近代(性)という構え(考え方,価値,社会編成の原理,など)
  agriculture とindustry
 「自由」というものの見方の出現の根拠,その勘違い
13.リベラリズム(自由主義)
 新自由主義(ネオ・リベラリズム)
14.Da-sein と Mit-sein (ハイデガー)
15.avec etre (ジャン=リュック・ナンシー)

 以上です。これらの各論については,これから少しずつこのブログでも取り上げて考えてみることにしたいとおもいます。ということで,今日のところはここまで。

2015年12月27日日曜日

ついに,「坊さん」まで商品化して売りに出す(Amazon)。

 どこか狂ってはいませんか。世の中全体が・・・・。その狂っていることすら気づいていない人が圧倒的多数を占める・・・・。その事実すら,もちろん,気づいてはいない,そういう人びとがほとんど。こうして世の中全体が,だれにも気づかれないまま,「闇」の螺旋階段を一歩一歩降っていく。世にも恐ろしい時代へと向かって。

 とうとう「坊さん」まで商品化して売りに出す,という。いや,すでに売りに出ている,という。しかも,とても便利でいい,と喜ぶ市民は少なくない,という。しかし,仏教界は反発している,という。もちろん,ネット上で大活躍している仲介屋さんは強気で押し切ろうとしている。それを支えているのは,新自由主義経済システム。すなわち,規制緩和。なにからなにまで商品化して売りに出すことを「是」としている。つまりは,市場原理にすべてを委ねる,と。そのことの,どこが悪いのか,と居直る。

 バッカジャナイノ,とわたし。

 あきれ果ててものも言えません。もはや,世も末だ,と。

 お金のためならなんでもします,という拝金主義の坊さんも坊さん。要するに,法事の「出前」を引き受ける,というのだ。どこの,だれかも知らない人の法事を案件によって値段をつけ,引き受ける坊さん。地獄の沙汰も金次第の現代版。これを現代の「自由」と勘違いしていることに気づいていない。

 それを便利でいいと喜ぶ市民も市民。どこの,どんな人かもわからない坊さんに,お経を挙げてもらって,それで「よし」とする市民。簡単,便利。コンビニエンス文化。どんな形式であれ,法事を営んだ,という事実を残せばそれで気が済むらしい。ならば,いっそのこと有名な坊さんの読経のCDを再生して,ありがたく拝聴する方がまだましではないのか。いずれにしても,これまでの寺と檀家の関係を無視した,その場かぎりの法事。これが「自由」だと勘違いしていることに気づいていない。

 仏教界は反発している,という。がしかし,仏教界もまたほんとうの意味での「布教」活動にどれだけまじめに取り組んできたのか,という点では疑問だらけだ。目先の金になることには熱心でも,仏教の本来の使命である人びとのこころの救済には,あまり熱心とは言い難い。ただ,成り行きにまかせたまま・・・・。すなわち,放置。これを「自由」と勘違いしているらしい。

 仲介サービス業者は,売れそうなものはなんでも商品化して売り(市場)に出す。その走りは冠婚葬祭屋さんの出現だった。いまでは,葬式も法事も,商品化されて,なんとか会館で執り行われるのが当たり前となっている。それをさらに踏み込んで,坊さんを「派遣」するという。すべては金次第ということ。それでもなお,社会のニーズに応えるサービス業のどこが悪いというのか,と居直る。市場の論理はどこまでも「自由」だと勘違いしている。

 これが新自由主義経済の実態のひとつだ。フリードマンが言った「新自由主義」(ネオ・リベラリズム)の「自由」がこれだ。すべてを「商品化」して市場の原理=自由競争に委ねる。剥き出しの「弱肉強食」の世界が露呈していく。つまり,弱者切り捨ての思想。それがことばの正しい意味での「自由」だと勘違いしている。

 この勘違いに,多くの人びとは気づいていない。だから,盲目的に,猪突猛進。もはや,とどめようもない。そういう情況をさらに推し進めるべく,アベ政権が率先垂範している。いまや,ジャーナリズムのみならず,司法にまで,その触手が伸びようとしている。

 だから,世も末だ,というしかない。

 そこで置き忘れられているのは,「人が生きる」とはどういうことなのか,というきわめて初歩的な「問い」であり,それに対する応答である。

 こうした情況を見据えた上で,西谷修さんは「共生論」を展開している。血の通った生身の人間が「生きる」とはどういうことなのか,という根源的な「問い」からはじめ,それへの応答として「共生論」を準備する。

 「自由」には限界がある,と。その限界を見極めること。そうしないと,「自由」の意味が転倒し,倒錯した情況にも気づかないまま盲進することになる,と。現代はまさにそういう時代なのだ,と。

 この問題については,おいおい,このブログでも書いていこうとおもっています。
 今回は,その頭出しのつもり。

2015年12月25日金曜日

「共に生きる」(共生論)の根拠を産業公害から考える(西谷修),を聞いて。

 産業(industry )とはなにか。「人が生きる」こととこんにちの産業(industry )はどのようにリンクしているのか。ここに,現代社会を生きるわたしたちが考えなくてはならない根源的なテーマがすべて隠されている,と西谷さんは語りはじめました。

 集中講義第3日目(12月24日)の講義の主要なテーマは,現代産業公害論と共生論,でした。そして,産業公害を考える嚆矢となった水俣病公害とはなにであったのか,を真っ正面から捉え直し,そこに隠されていた公害問題の本質はなにであったのか,を諄々と説いていく,じつに熱の籠もった講義でした。

 まずは,NHKアーカイブからの,当時の映像をたっぷりと鑑賞した上で,西谷さんの講義がはじまりました。水俣病問題は,当初,なにが原因であるかもわからない奇病として放置されたままでした。しかし,やがて熊本大学医学部の先生たちが,その原因は企業(新日本窒素)が海に垂れ流していた有機水銀にあることを確認し実証して,その事実が明らかになります。つまり,垂れ流しにされた有機水銀が魚に蓄積され,それを食べた人が発症する病気である,と。

 こうして,被害保障をめぐる長い長い裁判闘争がはじまります。その経緯を,映像によってたどりながら,問題の本質を明らかにしていきます。そして,最後に,西谷さんはつぎのように締めくくり,産業公害をとおしてみえてくる「共生論」についての問題提起をされました。そのわたしなりの理解を要約しておきますと,以下のとおりです。

産業(industry)
自然(資源)⇨工場(製造)⇨製品・商品(消費)
         ⇩                ⇩
         廃棄物            ゴミ(廃棄物)
         ⇩
         環境汚染
         ⇩
         被害⇨弱者集中

水俣病・・・・・・個人/会社(企業,法人)
         ⇩             ⇩
         犠牲⇨責任追及   国が公益を重視・保護
         ⇩             ⇩
         漁民(少数)      水俣市・市民=公共性を重視    
         ⇩             ⇩
         企業利益のコスト   一般市民の多くは無関心

 以上は,板書されたことがらの概要です。これらについては,詳細な説明が必要なところですが,ここでは割愛させていただきます。そして,こうした公害問題の構造は,水俣病(’60年~),薬害エイズ(’90年代),フクシマ(2011年~)にも共通していて,いまも,少しも変わってはいません。とりわけ,フクシマの放射能汚染は半永久的に解決不能の最大の公害であることに注目すべきである,と。これらのことがらについても,残念ながら割愛。

 そして,一足飛びにまとめ(結論)に入りたいとおもいます。

 〔共に生きる〕=共生(conviviality)の三つの局面
 1.人はひとりでは生きられない。人は社会を構成して生きている。すなわち,人間と社会の共生。
 2.人間は自然と共にある。人間は自然の恵みをいただいて生きている。すなわち,人間と自然との共生。
 3.次世代(胎児性)と共に生きている。すなわち,人間と未来の共生。

 以上。いまは時間がありませんので,メモ風のものだけを書き残しておくにとどめたいとおもいます。また,いずれ機会をみて詳細・細部について考えてみたいとおもいます。とりあえず,今日のところはここまで。

2015年12月23日水曜日

「いのち」とはなにか。そして,医療とはなにか。西谷修さんの問いかけ。

 西谷修さんの集中講義「共生論」の第二日目の冒頭で,ドキュメンタリー映像が流され,この映像が意味することがらについての問題提起がいくつかなされました。映像の内容は,1999年9月30日に,東海村JCOの核燃料加工施設内で核燃料を加工中に作業ミスがあり,ウラン溶液が臨界状態に達し,核分裂連鎖反応が起き,そのため至近距離で中性子線を浴びた作業員3名のうちの一人の治療経過を追ったものでした。

 この事故は,国際原子力事象評価尺度(INES)のレベル4(事業所外への大きなリスクを伴わない)の事故。日本で起きた最初の原発事故。

 作業員3名はヘリコプターで放射線医学総合研究所に搬送され,うち2名は造血細胞の移植の関係から東京大学医学部付属病院に転院し,そこで集中治療が行われました。そのうちの一人であるOさん(当時35歳)の治療を追ったドキュメンタリー。

 途中で何回も目を背けたくなるような映像もあって,わたしにはあまりに衝撃的でした。とりわけ,集中治療室の場面は,みずからの経験も想起され,なんとも言えない気持ちに襲われました。実際に,目を瞑ってしまった場面もありました。まさに,極限状態の綱渡り的な治療が行われているわけです。担当の医師も看護師も,それこそ全力でOさんの治療に当たります。その献身的な努力もまた痛ましいほどです。

 Oさんの病状は,染色体破壊による新しい細胞の生成不能,白血球生成不能,というようにして悪化の一途をたどります。そして,実妹からの造血幹細胞の移植を受けて,一時的に白血球が増加しますが,すぐに低下。59日後には心停止。急遽,救命処置により蘇生。しかし,ダメージ大。各臓器の機能低下。最終的には治療手段なしとなり,83日目に他臓器不全により死亡。

 原子力発電による死者は出してはならない,とする国家的なプロジェクトのもとで,ありとあらゆる医療が展開されます。そして,とにかく一日でも長く延命措置をとることのために医療のすべてが総動員されます。しかし,心停止にいたるまでに,できる手段はすべて執り行われます。が,それでも心停止になってしまいます。にもかかわらず,さらに,心停止後の救命処置が行われ,一時的に蘇生します。それでも最後は,他臓器不全で力尽きてしまいます。

 この映像をみたわたしの心境は複雑です。まずは,集中治療室なるものの存在そのものが,わたしの二度にわたる体験とも重なっていて,とりわけ,複雑です。一回目は24時間,二回目は48時間,集中治療室に閉じ込められていました。言ってみれば,死線をさまよいながらの時間の経過もわからないまま,時折,目覚めるだけで,あとはひたすら眠っています。全身は重い鉛のような感覚のまま,ただ横たわっているだけです。自分でからだを動かすこともできません。意識も時折,はっきりするものの,あとはぼんやりしています。

 文字どおり,仮死状態です。部屋の中は暗く,長い長い「夜」を経験しました。

 Oさんは,おそらく最初から,この仮死状態がつづいていたようです。時折,意識はもどるものの,ほとんどは寝たきり状態。しかも,生還できる可能性はほとんどない状態での集中治療室です。重苦しい空気が流れる中での闘病生活はたいへんだったろうなぁ,と想像してしまいます。

 この映像をみながら,ずっと考えていたことは,「いのち」とはなにか,そして,「医療」とはなにか,という問題でした。

 西谷さんも,この問題に触れつつ,さまざまな医療現場の問題点を指摘した上で,最後に,ヒポクラテスの考え方を紹介されました。詳しいことは省略しますが,ヒポクラテスは,「生の領域は医師の仕事,死の領域は聖職者の仕事」とはっきり一線を画して考えていた,とのことです。ところが,現代の医療はその一線がなくなってしまった,と。このことの意味がなにであるかを考える必要がある,と。

 そして,「核融合」という宇宙の原理を人間の手で破壊するような行為と,生還が不可能とおもわれる重篤の病人(たとえば,末期の癌患者)を最後の最後まで医療の現場にとどめる現代の医療行為は,ほとんどパラレルではないか,と西谷さんはお話を聞きながら考えてしまいました。つまり,「生きる」という生物としての基本的な営みに,人間が医療という名のもとに過剰なまでに介入することの是非がいま問われている,というわけです。もっと言ってしまえば,ものごとの秩序の基準が崩壊しつつあるこんにちの日常をどのように考えるか,という問題でもあります。

 とてつもなく重い,しかし,きわめて重要な「問い」を西谷さんからいただいた,そんな授業でした。このテーマは,たとえば,スポーツ文化論のレベルでもみごとに当てはまるものですので,これから慎重に考えてみたいとおもいます。

2015年12月22日火曜日

集中講義「共生論」(西谷修)を傍聴。二日目が終わりました。

 神戸市外国語大学で行われています西谷修さんの集中講義を傍聴させてもらうために,12月20日(日)から神戸市の学園都市にきています。期間は,12月21日(月)午前8時50分から,25日(金)午後6時30分まで。テーマは「共生論」。

 西谷さんの「共生論」は,なにもいまにはじまったことではなく,かなり前からいろいろの書き物の中に登場してきているきわめて重要なテーマです。直近では,『世界』1月号の特集・終わりなき「対テロ戦争」の冒頭に寄せられた論文「テロとの戦争」という文明的倒錯,の最後の結論部分に,以下のように述べられています。

 では,「テロリズム」に対してはどうするのか? それが起こらないようにするにはどうすればよいのか? 単純なことだ。絶望や残忍さやそれによる憎悪,あるいは癒しがたい不正が世界に蔓延しないようにする。たとえば今現在パレスチナ人が置かれているような状況を国際社会が座視しないことだ。そうすれば,イスラーム国のようなものに同調して,無関係な人びとを巻き添えに自爆するような若者はいなくなるだろう。もっと一般的に言えば,それぞれの国が「生きうる社会」を作るべく努力すること。そうすれば誰もが生きることを望み,他者と共に生きる豊かさを知るようになるだろう。

 以上のように,ここではテロリズムを無くすにはどうすればいいのか,という問いに対して「共生論」で応答しています。すなわち,「共に生きうる社会」を作るべく努力すること,と端的に指摘した上で,そうすれば「他者と共に生きる豊かさを知るようになるだろう」と結んでいます。

 しかし,西谷さんの「共生論」はそれだけにはとどまりません。今回の集中講義の冒頭でも話されましたが,若いころから「戦争論」に取組み,多くの論考を世に問うてきました。同時に,思想・哲学の分野でも「存在論」や「共同体論」に深く分け入り,人間が「生きる」ということはどういうことなのかを考えてきました。当然のことながら,その思考は「死」や「宗教」の問題に伸びてゆき,やがては「ドグマ人類学」(ルジャンドル)や「経済」(宇沢弘文,デュピュイ,など)に行き着きます。そして,いつしか,みずからの寄って立つ思考の基盤を「チョー哲学」と名づけるしかないような,前人未到の世界に分け入っています。

 そうした思考作業を経て,とりわけ,「3・11」を経験し,デュピュイの「破局論」を経て,くっきりとその姿を現してきたのが「共生論」(イヴァン・イリッチにはじまるコンビビアリティの思想)だったのではなかったか,とこれはわたしの推測です。つまり,西谷さんの思想遍歴の最新の結論と言ってもいい「共生論」が,今回の集中講義のテーマである,という次第です。

 となれば,どんなことがあっても,この集中講義を聴講しない手はない,と即断しました。そして,あっという間の二日間が終わりました。全日程の半分が終わったというわけです。もう,予想をはるかに超える濃密な内容の話を,じつにわかりやすく説いて聞かせる,それはそれはみごとな講義の連続です。まもなく78歳になんなんとする老人が,若い学生さんたちの中に混じって,ちょこなんと座している姿をご想像ください。そして,かつて学生時代には経験したこともない,ワクワク感で満たされた,至福のときを過ごしている老人の姿を・・・。

 明日(23日)は休日のためにお休み。その代わりに,出石神社まで足を伸ばし,フィールド・ワークにでかける予定です。こちらは,河童研究者のTさんが案内役をつとめてくれます。ありがたいことです。もちろん,西谷さんもご一緒です。お互いに,出石神社を歩きながら,なにを感じ,なにを考えるか,いまから楽しみです。

 一息入れて,後半の集中講義に入る,という次第です。
 この一連の講義の具体的な内容についても,できれば,このブログで取り上げ考えてみたいとおもいます。
 が,とりあえずは,前半の集中講義が終わったことのご報告まで。

2015年12月21日月曜日

元・武雄山には古代の英雄・トミノナガスネヒコの遺伝子が?

 伝説や伝承は,よほどの傍証でもないかぎり,いまの歴史学は認めようとはしない。しかし,だからと言って完全に否定できる根拠もない。だから,伝説や伝承は,いわゆるグレイ・ゾーンに位置づくものだ。つまり,正しいとも,間違っているとも断定できない「境界領域」にある。

 ということは,信ずる人には「正しい」とおもわれ,信じない人には「間違い」だ,という話になる。しかし,真実は「虚実皮膜の間(あわい)に存在する」とも言う。ここらあたりに,古代史謎解きの妙味がある,とわたしは考えている。

 たとえば,中臣鎌足の出自はよくわかっていない,という。しかし,茨城県の香取神社のすぐ近くに「鎌足神社」があって,この神社の氏子さんたちは,鎌足の出身地はここだ,と信じて疑わない。そのように,代々にわたって語り継がれてきているからだ。要するに「伝承」を「信ずる」立場をとっている。「信ずる」人にとっては伝承が真実なのだ。

 それと同じように,家伝として,我が家の祖先はトミノナガスネヒコである,と伝承されている家系が存在する。その本家の祖父から直々に,その話を聞いた,という人(わたしの若い友人)からの情報である。プライバシーにかかわることなので,実名は控えるが,信頼できる確かな人物である。しかも,古代史研究者として,大部の著作もものしている。しかも,きわめて特異な視点から,日本の歴史を根底から読み直そうという志をもった,素晴らしい人物である。このブログの読者であれば,実名を想定することもむつかしくはないだろう。

 そのトミノナガスネヒコの子孫であるという本家筋からすると,新家の新家筋から力士として活躍した元・武雄山が誕生している。いまは,引退して親方・山分を名乗って,後進の指導に当たっている。本名は冨永丈喜。突き押し一本の,まっすぐな相撲で人気があった。小細工などいっさいしない。勝っても負けても,つねに同じ相撲をとりきることに徹していた。相撲通にはたまらない力士だった。

 その遠い祖先に,トミノナガスネヒコがいる。
 トミノナガスネヒコと言えば,知る人ぞ知る,古代の英雄である。神武天皇が大和に攻め込んできたときに,真っ正面から立ちはだかり,二度も撃退した,という有名な英雄である。しかし,あえなく暗殺され,ついに大和の地を神武天皇に明け渡すことになった。言ってみれば,神武天皇以前の大和を支配していた大王である。その遺跡は大和の各地にいまも残っている。わたしも何回もフィールド・ワークをして尋ね歩いている。

 トミノナガスネヒコとは,文字どおり,「ナガスネヒコ」というとおり,「脛の長い大男」であったことを暗示している。いかにも英雄にふさわしい名前である。その戦いの実績からして,一騎当千の大男で,向かうところ敵なしの武勇を誇っていたに違いない。その遺伝子が,脈々と受け継がれ,こんにちに至り,武雄山を誕生させた,というのである。醜名の「武雄山」には「武勇」の意味も籠められているように,わたしには見える。

 武雄山の出身地は,現役時代には,土俵に上がるたびに場内アナウンスが告げていたように,愛知県豊橋市長瀬町である。長瀬町は,わたしの育った大村町の隣の町で,小学校はこの二つの町が一緒だった。だから,わたしにも長瀬町の友人が何人もいる。長瀬町といえば,冨永と平尾の二つの家系がほとんどで,同級生にも冨永姓が二人,平尾姓が三人もいた。みんな仲良しで,羨ましいほどだった。

 だから,この話は,わたしにとっても他人事ではない。

 隣の町に住む人たちが,そのような伝承を引き継いでいるという「事実」はあだやおろそかにしてはならない,と考えるからです。その長瀬町よりは立地的にはるかに劣悪な大村町(わたしが育った町)に住みついた人たちというのは,いったい,どういう人たちだったのだろうか,と考えてしまうからです。しかも,この町から,ときおり,間違えたかのように立派な人物が誕生しています。大雨が降れば豊川の水が氾濫し,集落が寸断され,学校はお休みになる,というのがわたしの子ども時代の話です。いまは,豊川放水路ができあがり,この問題は解消したようですが・・・・。

 ひょっとしたら,流れ,流れた「河童族」の末裔ではないか,と。しかも,この「河童族」のなかから,驚くほどの人物が登場するというのも,歴史の醍醐味ではないか,とおもったりしています。

 トミノナガスネヒコの末裔も,たぶん,さまざまな名を名乗りながら,生き延びてきているはずです。その直系が,いまも「冨永」姓を名乗って,実在している・・・・,ロマンがあっていいなぁ,とわたしは夢見ています。 

2015年12月20日日曜日

羽生結弦選手とクマのプーさん。老子の「無為自然」につうじるこころ。

 羽生選手が帰国した直後のテレ朝の報道ステーションが,羽生選手を招いて生出演させた番組をたまたまみていたら,おやおや?とおもうシーンが少なからずありました。

 ひとつは,スタジオに大がかりな森のセットをしつらえて,冒頭から,いったいなにごとかと視聴者のわたしにおもわせたこと。
 ふたつには,そこに羽生選手が大好きだというクマのプーさんを隠すようにして置いたのに,入場と同時にすぐに羽生選手にみつけられてしまったこと。
 みっつには,古舘キャスターの羽生選手へのインタヴューが,ほとんど空回りをしてしまったこと。つまり,いろいろと企みすぎたインタヴューが,ことごとく滑ってしまったこと。
 よっつには,その企みを羽生選手に見破られ,みごとにはぐらかされてしまったこと。
 いつつには,その結果,ほとんど視聴するに値しない内容に終わってしまったこと。
 むっつには,セットといい,仕掛けといい,すべてがやり過ぎで,不快だったこと。

 とまあ,挙げていけばきりがないほどでした。それに引き換え,羽生選手は一枚も二枚も上手だったということです。つまり,羽生選手を21歳の若い青二才と甘くみていた節がみえみえでした。これは大いなる勘違いであり,勉強不足というほかありません。羽生選手は並の若者ではありません。間違いなく類稀なる天才です。その鋭い感性がわかっていなかった,テレ朝がアホだった,ということでしょう。

 なかでも,面白かったのは,クマのプーさんをめぐる古舘キャスターと羽生選手のやりとりでした。
 古舘「見えないところに隠して置いたつもりのクマのプーさんの人形を,スタジオに入ってきて,すぐにみつけましたね」
 羽生「だって,アッ,森のセットだ,とおもって全体を見渡してみたら,すぐにクマのプーさんは目に入りました。」
 古舘「さすがですねぇ。羽生選手がクマのプーさんが好きなのは,いわゆる自然体ということを意識してのことですか」
 羽生「本来の意味はそういうことのようですが,ぼくが好きなのは癒されるからです。」

 古舘キャスターは,羽生選手にクマのプーさんの哲学を語らせようと仕掛けたのですが,すぐに気づいた羽生選手は,一瞬,ことばを飲んで,さらりとかわしてしまいました。つまり,クマのプーさんの哲学を語るにはふさわしくない場である,と羽生選手はとっさに判断した結果です。キラリと光った目がそれを物語っていました。もし,語るのであれば,こういう番組ではなくて,たっぷり時間をくださいといわぬばかりの表情でした。

 つまり,羽生選手はクマのプーさんの哲学をかなり詳細に理解しているがゆえに,世間一般に言われている程度の解釈などしたくなかったということです。その点,おそらくは,古舘キャスターの方がほとんどなにもわかっていなくて,「自然体」だけにわか勉強で得た知識をもとに,話を向けてみたにすぎない,というのがわたしの見立てです。

 あらためて断るまでもなく,クマのプーさんの出典は,道家思想の原典である『老子道徳経』にあります。「プー」は中国語の「〇」(僕という漢字の人偏の代わりに木偏を入れた文字)です。この中国語の発音が「プー」です。日本語では「アラキ」と読ませています。あるいは,「はく」とも読ませています。アラキとは,森から伐りだしたばかりの,なんの加工もされていない自然のままの木のことを意味します。クマのプーさんは,人間と違って,動物界での自然のままの生き方しかできません。つまり,アラキと同じだというわけです。というより,動物そのものだ,ということです。これは,世間一般に流布されている「自然体」とは,厳密にいえば違います。

 このことを知っている羽生選手は,厳密にいうとそれは違うんです,と応答しなくてはなりません。が,それでは古舘キャスターの顔に泥を塗ることになりかねないし,その違いをここで説明するには相手が悪すぎる,と即座に判断したようです。それが,一瞬の間となって表出していました。古舘キャスターのにわか勉強は,そこで頓挫してしまいました。しかし,ほんとうの深い意味を知っていたら,羽生選手の「癒されますから」ということばを受けて,さらに話をふくらませていくことは十分にできたはずです。

 クマのプーさんが「癒し」の力をもっているのは,クマのプーさんは自他の区別をしないで,自他が溶融して一体化している動物性の世界に生きているからです。ですから,すべての他者を全面的に受け入れる力をもっているのです。動物好きの人間が,こよなく動物に惹かれていくのは,このことをからだで感じているからでしょう。人間もまた動物と溶融し,一体化していく快感を享受している,ということでしょう。

 もっと言ってしまえば,人間が潜在的に持っている動物性への回帰願望が,クマのプーさんによってその一部が満たされる,ということです。ここまで古舘キャスターが理解していたら,「癒されますから」という羽生選手の発言を受けて,さらなる問いかけができたはずです。そうすれば,かなりレベルの高い話が展開し,羽生選手のフィギュア・スケートの選手としての凄さ(思想・哲学的根拠)を引き出すことができたであろうに・・・・と残念でなりません。

 クマのプーさんの本は,大学の哲学の授業のテキストとして,イギリスでも日本でも用いられています。このことはよく知られた事実です。ここでは,その一端を例として引きだしたにすぎませんが,『老子道徳経』の中で論じられている「プー」(アラキ)の話は,多岐にわたっていますが,たとえば,天下を統治するための理論としても,きわめて重要な役割をはたしています。その根はタオイズムの根幹に達しています。

 詳しくは,『老子道徳経』を繙いてみてください。多くの解説書が,いまも刊行されていますので,どれでも読みやすそうなものを選んでみてください。面白い発見がたくさんあるとおもいます。

 というところで,今日のブログは終わりです。

2015年12月19日土曜日

オイコノミア研究会「デュピュイについて,もういちど」(森元庸介主催)を傍聴してきました。

 「デュピュイについて,もういちど──『カタストロフからの哲学』をめぐって」というワークショップを開催するのでご参加を,という案内を主催者の森元庸介(東大准教授)さんからいただいていましたので,傍聴させていただきました。さぞかし大勢の人が集まるものとおもっていましたら,意外に質素で,しかし,緊張感の高い集りでした。なるほど,こういう質の高い研究会は,このくらいの規模がいいのだなぁ,とおもいました。

 日時:2015年12月18日(金)午後6時~8時45分。
 場所:東京大学(駒場),18号館4階コラボレーション・ルーム1。
 ワークショップ・テーマ:「デュピュイについて,もういちど──『カタストロフからの哲学』をめぐって。
 プログラム:
  ゲスト・スピーカー:三浦〇〇さん,桑田学さん。
  レギュラー:中村大介,渡名喜庸哲,森元庸介,西谷修。

 司会進行は主催者の森元庸介さん。

 冒頭に,森元さんからゲスト・スピーカーの紹介があり,つづいてテクストの執筆者の紹介に入って,「ただひとり異色の論考を寄せられた西谷修さん・・・」と紹介されたところで,西谷さんが挙手をされ,「なぜ,このような内容のものを書いたのか」という理由について,いきなり気合の入った話になりました。しかも,その内容が,また,このワークショップにいたる導入としては抜群でした。その要旨は以下のとおりです。

 デュピュイという人の仕事は,きわめて多岐にわたっています。しかも,これまでのアカデミックな研究の枠組みを度外視して,重要だとおもわれる領域に勇んで飛び込み,問題の所在を的確に押さえるという仕事をしてきました。ひとことで言ってしまえば,きわめて多面的で,かつ重層的な内容の本をたくさん書いてきました。ですから,場合によってはデュピュイのよって立つ基盤というか,思想の核心部分を見失ってしまう可能性が高い。たとえば,デュピュイの思想の中核をなす<破局>ということばの概念ひとつとってみても,場合によっては,その受け止め方の力点はバラバラになってしまう恐れがあります。そこで,デュピュイの言いたかったことの「肝」にあたる部分を,ざっくりと取り出し,ごくふつうのことばで語るとどうなるのか,ということを意識して書いたものです。

 という具合にして,最初に書いた文章は,『スポートロジイ』(21世紀スポーツ文化研究所紀要)第3号に寄せたもので,そのもとになっているのは,この研究所が主催する研究会で,デュピュイの『聖なるものの刻印』をどう読むか,という講演であります,といったわたしへのサービスまでしてくださいました。ありがたいことです。

 こうして,冒頭から高いテンションの話に入りましたので,ゲスト・スピーカーのお二人もかなり緊張されたようです。しかし,西谷さんのお話が,おそらくゲスト・スピーカーの魂の奥底をかきたてたかのようにして,三浦さん(映像文化論?),桑田さん(気象工学)のお話が展開しました。わたしにとっては,日ごろ,あまり触れることのない分野での最先端のお話が聞けて,とても刺激的でした。とりわけ,デュピュイのいう<カタストロフ>の射程はどこまでも広がっていて,現代の文明病の態をなしている,ということを強烈に刻印してくれたことが印象に残りました。

 このお二人の原稿が,おそらく間違いなく出版されるであろう『カタストロフからの哲学』の続編に,どのようにまとめられて提出されることになるのか,いまから楽しみです。わたし自身は,お二人のお話をうかがいながら,1月に予定されているわたしたちの研究会に思いを馳せていました。そこでのテーマは「<破局>に向き合う「いま」,スポーツ文化の限界と可能性を考える」です。ですから,ここでの議論をそのまま引き受けて,わたしたちの土俵に持ち込むと,どういうことになるのか,とあれこれ考えることになりました。

 その意味で,重要なヒントもいくつかいただきました。とりわけ,桑田さんの「気候工学とカタストロフ」は「研究」というものの,もはや切り離しがたい政治とのかかわりの深さを思い知らされるものでした。つまり,研究者自身は純粋に研究者としての良識の上に立ち,「気候工学」そのものの研究を深めていこうと純粋に努力を重ねていますが,その研究プロジェクトには巨額な研究費が科学研究費の名目で付いてきます。すると,その研究成果がどのように活用されることになるのか,そこのところの境目は曖昧なまま,実験,開発,実施へと,おそらく一直線で進むことになるのでは・・・と桑田さんは危惧されていました。

 このことの示唆しているところは,スポーツ科学の研究現場も同じです。むしろ,スポーツ科学の場合には,わたしの知るかぎりでは,もっと積極的に「現場」と密着して,研究が進められているようにおもいます。つまり,勝つためにスポーツ科学の研究者たちは,そのすべてを提供しようと必死です。当然のことながら,そこには経済原則がつよく働くことになります。

 わたしの目からすれば,スポーツ科学の研究者たちは,まことに無邪気に「現場」と癒着したまま,というより一心同体となって,研究に邁進しています。自分の立ち位置など,ほとんどなにも考えないまま・・・・。このことは,人文・社会系の研究者たちにも,そのまま当てはまります。つまり,自分の携わっている研究が,どういうことを意味しているのかという思想・哲学的な確たる思考を経ていない,ということです。

 すなわち,思想・哲学の欠落した研究は,いまや,無意味であるどころか,きわめて危険ですらある,ということです。

 長くなってしまいましたので,このブログはひとまずここまでとします。
 何カ月かののちに,続編が世に問われることを,いまから楽しみにしたいとおもいます。

2015年12月18日金曜日

癌患者に太極拳を取り入れている帯津良一医師。

 末期癌のステージ4を生きるわたしは,現段階では,「要観察」となり,「しばらく様子をみることにしましょう」ということになりました。その経緯のこまかなことは省略しますが,主治医との面談の結果,しばらく様子をみるのが総合的に判断して「ベター」だろうというところに到達した,という次第です。

 そうなりますと,こんどは,なにもしないでぼんやりしているわけにもいきません。患者としてできる自助努力はしっかりとやっていかなければ・・・という次第です。そして,そのうちのいくつかは,すでに以前からはじめています。

 そのうちのひとつは,太極拳です。ひとくちに太極拳と言っても,その中味はさまざまです。つまり,「やり方」そのものが重要です。多くの人は,上手になることをめざします。わたしも,ずーっと上手になりたいと願っていました。もちろん,この願望は永遠につづくのでしょう。でも,もうひとつの視点をとりこむことによって,太極拳の稽古の「やり方」(内実)はがらりと変わります。

 それは,最初の癌の切除手術を受けたあと,李老師から何回も何回も指摘されてきたことです。このブログにも,そのことは書いてきました。つまり,可能なかぎり脱力し,だらしなく,てれんこてれんこ「やり」なさい,という指摘です。そして,からだにはできるだけ負担をかけないで,意識だけ,技のイメージをしっかりと描きながら,心地よさを探しなさい,というわけです。

 つまり,この「心地よさ」を探求しなさい,というのが李老師の意図するところです。その「心地よさ」の領野を,少しずつ少しずつ拡げていきなさい,というわけです。そして,それが術後の回復にはとてもいいのだから,と。

 言われたからといって,すぐに,ほいほいとできるわけではありません。しかし,こころがけているうちに,なんとなく,こんな感じのところかな,という領野がわかってきます。いまは,そんなところを目指して,週一回の稽古に励んでいます。しかし,これからは,もう少し回数を増やすよう努力したいとおもっています。ひとりではなかなかできないのですが・・・・。

 と,こんなことを考えていましたら,帯津良一医師も太極拳を癌治療には役立つとして,推薦しており,みずから実践・指導もしているという話を思い出しました。そこで,再度,インターネットで確認してみましたら,つぎのようなことがわかりました。

 みずから病院長をしている病院の患者さんたちと一緒に太極拳を楽しんでいらっしゃる。それも,自分がやって楽しいしから,と。そして,太極拳の稽古をした日は一日,とても調子がいい,と。だから,患者さんたちにもいいはずだ,というのです。ですから,天気のいい日は病院の屋上に集って,みんなで太極拳を楽しむのだ,と。それが癌治療にも効果をあげている,と実感しているともいいます。

 もちろん,太極拳の専門家を指導者に招いて指導をしてもらいつつ,ご自分でも,「時空」と名づけた特殊な太極拳を工夫して,その指導もしている,というのです。しかも,病院だけではなく,池袋に道場を開いて指導・実践をしているとのことです。ですから,帯津医師の太極拳は生半可なものではありません。

 ここで興味深いのは帯津さんが「時空」と名づけた太極拳です。とくに確認したわけではありませんが,「時空」という名前からして,「時間・空間」であり,その中に溶け込んでいくことを目指した太極拳に違いない,とわたしは想像しています。これは,たぶん,李老師がわたしに指示したことと同じ発想からきているな,と。

 帯津良一さんの病院は,癌治療に特化した病院ですので,入院患者はぜんぶ癌患者です。ですから,とりたてて太極拳が上手になる必要性はなにもありません。むしろ,太極拳をやることによって感じられる快感を重視してのことに違いない,というのもわたしの確信です。どうして,太極拳を導入することになったのかという経緯については,ずいぶん前に何冊か書かれた著書のなかに詳しく説明されていますので,そちらをご覧いただきたいとおもいます。

 いずれにしても,帯津良一さんのような名医が,太極拳は癌治療に役立つと考えられていること,そして,みずから実践もされていること,さらには「時空」という太極拳を工夫されていること,病院だけではなく道場まで開いて指導にあたっていること,そして,それなりの実績をあげていらっしゃること,等々,いいことずくめです。

 こうなってきますと,やはり,太極拳の稽古の回数をなんとしても増やしていくしかない,とみずからに言い聞かせています。まあ,これもあまり無理をすると長続きしませんので,ぼちぼち始めることにしたいとおもいます。

2015年12月17日木曜日

「しばらく様子をみることにしましょう」。主治医との面談の結論。

 今日(12月17日),主治医との面談がありました。
 その結論は,「しばらく様子をみることにしましょう」でした。
 主治医としては,いずれの治療方法も決め手になるものはないので,どれかひとつの方法を強くお薦めするということはできません,と。つまり,切除手術,抗ガン剤,放射線,QOL,の四つの選択肢のことです。いずれも一長一短があって,決め手にはなりません,とのこと。

 わたしの結論は,癌治療に方程式はない,ということ。すべて,個別特殊な事例でしかない,ということ。言ってみれば,やってみなければわからないということ。つまり,「決め手」はない,という点で主治医と意見は一致。

 その結果,どうするかは稲垣さんが選択してください,と。そこで,わたしは躊躇することなく,QOLを選択することにしました。そして,2カ月ごとに追跡検査(超音波)をしながら,様子をみる,というところで主治医も同意してくれました。

 次回の検査日は2月4日(木)。

 それまでの間は,自助努力で頑張ってみることになりました。副作用がなくて,癌にはいいらしい,というあらゆる方法をチェックし,自分で納得のできたものを取り入れる,というやり方です。その大原則というか,キー・ワードは,自然治癒力,免疫力,ロー・フード(生野菜),ビタミンC,漢方系,フロー・エッセンス+,太極拳(帯津良一医師推薦・実施),などなど。あとは,好きな仕事に熱中すること,楽しい会話の時間を増やすこと,旅をすること,などなど。

 さあ,こうなったら,楽しいプログラムをたくさん作って,鷺沼の事務所をフル回転させることだ,と夢をふくらませています。わたしとのおしゃべりに付き合ってくださる方,大募集です。筆で文字を書いて遊ぶことに付き合ったくださる方も,大歓迎です。昼でも,夜でも,鷺沼の事務所にきていただければ,大歓迎です。ただし,必ず,メールで予告をしてください。よほどのことがないかぎり,すべて,お受けします。そして,腹の底から笑える時間を増やしたいとおもいます。これもまた,わたし流儀の治療法。自助努力。

 ひとまず,こんなところに落ち着きました。

 最後に,主治医のひとこと。気が変わったら,いつでも別メニューに移っていいですから,と。二人で顔を見合わせて笑ってしまいました。

2015年12月16日水曜日

「急行が徐行している」(又吉直樹)。自由律俳句の世界,面白そう。

 依頼された原稿の締め切り日が迫ってくると,きまって関係のない本を読み始める悪い癖が,いまも直ってはいない。困ったものである。しかし,この悪癖が意外に役に立つこともある。著者にはほんとうに申し訳ないのだが,今回はこの本に助けられた。感謝あるのみ。

 『カキフライが無いなら来なかった』,せきしろ,又吉直樹共著,幻冬舎文庫,平成25年10月10日刊。

 又吉直樹の芥川賞受賞作『火花』(文藝春秋)を読んでから,なんとなく気になる作家として,わたしの脳に定着している。時間があったら,ほかの作品も読んでみようと,こころの片隅にあった。だから,書店で又吉直樹の本をみつけると,自然に手が伸びていって買ってしまう。そんな本が何冊かたまっている。別に急いで読まなくてはならない本ではないので,いつか,なにかの折にでも,とおもい書棚に放置してある。

 この種の本はほかにもある。だから,どれを取り出してきて読んでもいいのだが,今回は,なんの理由もなくこの本に手が伸びた。ひょっとしたらタイトルがよかったのかもしれない。「カキフライが無いなら来なかった」。開いて,読み始めて,おやおやと驚いた。この本のタイトルそのものが,なんと俳句だというのだ。そして,これが自由律とよばれる俳句なのだ,と。

 たしかに自由律俳句というものの存在は知ってはいた。たとえば,荻原井泉水とか,河東碧ご桐などの名前はすぐに浮かんでくるし,尾崎放哉や種田山頭火の作品は強烈な印象を与えたものとして記憶している。とくに,山頭火の自由律俳句は好きで,ひところ,夢中になって読んだこともある。だから,自由律俳句というものの,ある程度の輪郭はわたしの頭のなかにはあった,はずだ。

 が,その前提がひっくり返されてしまった。
 その代表作が本のタイトルにもなっている「カキフライが無いなら来なかった」(又吉直樹)だ。そして,このブログの見出しにとりあげた「急行が徐行している」(又吉直樹)だ。

 山頭火の自由律俳句で固まっていたわたしの感覚からすると,この二作とも,どこかかったるい。そんなことどうでもいいではないか,というのがわたしの感覚。「急行が徐行している」の方はちょっぴり笑ってしまったが,それ以上のものではない。つまり,パンチが効いていない,というのがわたしの不満のようだ。

 せきしろ氏の作品も同じだ。
 後半のバラードは早送りした
 ラブホテルの前にサイドカー
 温室の匂いがいつかの記憶にかるく触れる
 照葉樹の葉を取り折り曲げては捨てるだけ

 やはり,どこかかったるい。だから,なんだというのだ,という気になってくる。

 このせきしろ氏の俳句に見開きページで反対側に置かれている又吉直樹の俳句をみると,
 このままでは可決されてしまう
 あの青信号には間に合わないゆっくり行こう
 俺も酔ってここに座る日が来るとは
 予想以上にあいこが続いてしまった
 という具合である。

 この二者の作品でいえば,わたしのフィーリングは又吉直樹に近い。かったるいながらも,わずかに共鳴するものがある。わたしと似た感性がほのかにあるとおもう。この感覚は小説『火花』を読んでいるときに感じたものとよく似ている。どうやら,わたしの本性は又吉直樹のどこかに通じているらしい。小説家では太宰治が好きだという点でも似たようなところがある。

 そんなわけで,原稿に詰まったときの気分転換には,又吉直樹の自由律俳句がまことに役立つということがわかった。しかも,あまりパンチが効いていない,というところも助かる。原稿が書けなくて張りつめた神経を,ホワッと緩めてくれる効果という点では,まことに好都合なのである。とことん追い詰めないのがいいようだ。ふわっと,さりげなく風が吹いて,通りすぎていったなぁ,という程度の感触がいつのまにか快感になってくる。

 自由律というのだから,どんな風に「自由」であってもいいわけだ。又吉直樹は自分の感性に合わせて,そこに対してとことん自由を楽しんでいるらしい。そこに,読むわたしが,ふわっと反応する。そして,ガチガチになっている気分をそこはかとなく和らげてくれる。こんなのも「あり」なのだ,と途中で気づく。

 すると,肩の力が抜けて,徐々に,徐々に,気持ちが和んでくる。いつのまにか,ふんふん,ふんふん,とうなづきながら読んでいる。ひととおり読んでしまってからも,適当にページを開いて,拾い読みをしてみる。それもまたそこはかとなく快感を覚える。なんだろう?この感覚は?でも,気持ちを解きほぐしてくれる特効薬としては,又吉直樹の自由律俳句は,わたしには合っているようだ。

 お蔭で,この本と戯れているうちに,原稿の方もなんとか締め切り日ぎりぎりで仕上がった。

 そうか,自由律俳句というのは,まさに自由なのであって,自分の感性に合わせてとことん遊べばいいのだ,と知る。ならば,気が向いたときに遊んでみようか,とそんな気にもさせてくれる,わたしにとってはありがたい本であった。

 同じような本がもう一冊ある。
 『まさかジープで来るとは』,せきしろ,又吉直樹,幻冬舎文庫,平成26年4月10日刊。

 こちらは,つぎの原稿で詰まったときのためにとっておこう。
 少しは禁欲的な方が喜びは大きいはずだから・・・・。

2015年12月14日月曜日

「天と地のレクイエム」を滑る羽生結弦選手に感動。

 グランプリ・ファイナルのフリーの演技でも,またまた世界最高得点を叩き出した羽生選手。おみごと。自己のもつ世界最高得点をさらに超え出る快挙。自己との闘いに打ち勝つ,そう位置づけたグランプリ・ファイナルで,みごとにそれを達成してみせました。そこに忽然と姿を現した新しい自己との出会いに喜び,そして咽び泣く羽生選手の姿。筆舌に尽くしがたい強烈な印象が残りました。

 つぎつぎに自己を超え出ていく姿を,こんな短期間のうちに見てしまうと,やはりスポーツというもののもつパワーの凄さを考えないではいられません。それを,みずからの課題として取組み,みごとに実現してしまう羽生結弦選手の,人間としての底力の凄さに,ただただ感動するのみです。21歳の若者とはとてもおもえません。

 異次元世界で遊ぶことのできる人間を,この眼で確かめることができたわたしは幸せです。このことは,どのように表現してみてもことばは追いつくことができません。

 この感動もさることながら,わたしは,もっともっと大きな感動を味わわせてもらいました。それは,エキシビションで滑ってみせてくれた「天と地のレクイエム」です。演技そのものとしては,こまかなミスがあったようです。が,それをも「演出」ではないかとおもわせるほどの,思いの籠められた滑りでした。羽生選手が,東日本大震災の「ツナミ」と「フクシマ」に全身全霊を籠めて,そこに意識を集中して滑っている「祈り」のようなものが,テレビ画像をとおしてわたしにも伝わってきました。

 おそらく羽生選手の強さの秘密はここにある,とわたしは感じました。「地震」や「ツナミ」や「フクシマ」の災害で苦しめられている人びとのことをおもえば,練習の苦しさなどは問題ではない,と。家・土地を失い,故郷を追われ,放射能に汚染され,癌に怯えながらの生活をおもえば,自分はなんと幸せなことか,と。フィギュア・スケートは自分が好きで選んだ道。その好きな世界での苦しみなど,なんと贅沢な話ではないか,と。東日本大震災の被災者のことをおもえば,自分の努力など取るに足りない,と。

 もっともっと自分自身を追い込んでいくことによって,異次元世界に突入していくこと,そして,そこでの演技を確実に実現してみせること,これこそがフィギュア・スケートで勝負することを決意した自分の宿命のようなものだ,と。そのための苦しさは苦しいほどたしかなものになる,と。そして,その苦しさの極限を通過してこそ,初めて東日本大震災の被災者たちに寄り添うことができるのではないか,と。

 こんなことを,「天と地のレクイエム」の滑りを見ながら,ひしひしと感じていました。

 ですから,グランプリ・ファイナルのフリーの演技として滑った「セイメイ」の凄さをも超え出ていくような,異次元世界をも超えていくような,「なにか」(etwas )を,「天と地のレクイエム」の滑りから感じました。それは,あえて言ってしまえば,ツナミに命を奪われた人びとの「死」や,いまも放射能に怯えながら「死」と向き合っている人びとへの「レクイエム」として,人間・羽生結弦選手がこころの底から祈っている姿をそこにみてとれたからです。

 羽生選手の演技は,もはや競技の世界を飛び出してしまっているのではないか。演技の前に,十字を切り,合掌する姿は,ふつうのトップ・アスリートたちがする所作とは,これまた次元が違います。神々と交信し,共鳴し合う,ことばの正しい意味での「遊び」をわがものとせんとしている人間の姿,といえばいいでしょうか。わたしにはそんな風にみえてきました。

 そして,ここが,羽生結弦選手の底知れぬ凄さの源泉ではないか,と。

2015年12月13日日曜日

力士の家紋に「梅鉢」紋が多い,とか。なぜ?野見宿禰の血が騒ぐ?

 今日のブログの引き金となる情報源は,すべて古代史研究家の柴田晴廣さんからいただいたものです。それを基にして,あとはわたしの想像力を働かせてみました。すると,意外な世界が透けてみえてくるではありませんか。これにはびっく仰天です。

 まずは,柴田さんから教えていただいた情報の概要です。それは以下のとおりです。

 加賀前田100万石で知られる前田利家の本姓は「菅原」。したがって家紋は「梅鉢」紋。つまり,菅原道真の流れを汲む家系。菅原道真といえば,その始祖は野見宿禰。つまりは,相撲の家系。その所為か,力士には「梅鉢」紋の家系出身者が多い。それは遺伝子によるものではないか。

 梅鉢紋出身の力士で,よく知られている人には以下の人たちがいる。(順不同)
 1.栃木山守也(春日野部屋創設者)
 2.双葉山定次(時津風部屋)
 3.安芸の海節男(双葉山の連勝をストップした力士)
 4.佐賀の花勝也(二所の関・八代目)
 5.栃錦清隆(栃木山の弟子・横綱)
 6.北の富士勝昭(横綱)

 なお,情報提供者の柴田さんによれば,調べればもっともっといるだろう,とのことです。相撲史に名を残す名力士だけでも,これだけの人がいるというわけです。これは調べてみると,ちょっと面白いことがわかってくるかもしれません。

 なぜなら,これらの名力士の家紋がみんな「梅鉢」紋だということは,先祖の系譜をたどっていくと,菅原道真の「梅鉢」紋にたどりつくことになります。ということは,その始祖である野見宿禰(出雲の人)にたどりつきます。柴田さんの説によれば,力士の遺伝子が脈々と受け継がれていると考えざるを得ないとのことです。だとしたら,名力士として名を残さなかった力士のなかにも,出雲系の力士は相当数いたのではないか,また,いまも相当数いるのではないか,ということになります。以上が柴田さんから提供していただいた情報です。

 こんなことを考えていきますと,つぎつぎに面白いことが閃いてきます。たとえば,江戸時代に各藩がお抱え力士を雇い,互いに競わせていた,という表向きの話もよくよく考えてみると,そこにはきわめて重要な「裏」があったのではないか,と勘繰りたくなってきます。また,勧進相撲を組織したり,興行を打ったりした人びとの出自も,ひょっとしたら出雲系の人が多かったのではないか,とおもえてきてしまいます。

 もっと飛躍しておけば,大和朝廷の年中行事のひとつになっていた節会相撲も,各地の名だたる力士を掻き集めてきて,朝廷で相撲を取らせ,その年の強かった力士の何人かを朝廷に囲い込んだことの意味も,なにやら雲行きが怪しくなってきます。権力にまつろわぬ怪力の持ち主たちを,地方に野放しにしておくことは,朝廷としては許すことができません。なにがなんでも一定のテリトリーの内側に取り込んでおくことが肝要です。そのための重要な文化装置であったと考えてみますと,またまた別の世界が透けて見えてきます。

 さらには,こんにちの地方巡業についても,実際に,どういう人たちが世話をしているのかということになりますと,これはもう想像にお任せしてよいのではないかとおもいます。表向きは地方自治体の許可を得ることが大前提になっていますが,許可を得たあとの話はまた別です。大相撲が,いまも立派な興行形態をとっていることは,江戸時代の勧進相撲以来の伝統に基づくものであることは,よく知られているとおりです。ということは,いまも,基本的には,その流れに乗っていることは否定できません。

 大相撲と裏社会との密接不離の関係は,長い歴史的な経緯を無視するわけにはいきません。そして,その裏社会に暗躍する人びとの多くは出雲系ではないか,とこれはわたしの単なる推測にすぎませんが,そんなことを幻視しています。

 この幻視をもっとふくらませていきますと,こんにちの大相撲を「神事」として位置づけ,「国技」に指定し,さらに天皇杯まで下賜するということの意味も,なんとなく胡散臭くなってきます。端的に言ってしまえば,なんとしても大相撲にかかわる出雲系の存在を表社会から封じ込めておくことが不可欠である,とする天皇制護持派のトラウマの裏返しではないか・・・と。

 とまあ,今回の幻視はこのくらいにとどめておきたいとおもいます。最後に,なぜ,こんなことに拘るのかということについて,わたしのスタンスを明らかにしておきましょう。それは,そうであるとも言えない,そうでないとも言えない,つまり,肯定も否定もできない,そういうグレイ・ゾーンにこそ歴史の真実は宿っているのではないか,とわたしは考えているからです。

 こういうスタンスで,日本の歴史,とりわけ古代史の真実に接近する楽しみを,もう,しばらくはつづけてみたいとおもっています。もちろん,野見宿禰がらみで・・・・。

2015年12月12日土曜日

異次元の世界に遊ぶ羽生結弦選手。緊張のなかの弛緩,みごと。

 テレビの放映をみる前に,ネットで「世界最高点を更新」という情報が流れていましたので,いったい,どんな滑りをしたのか,と楽しみにしていました。

 グランプリ・ファイナルともなれば,選手たちの緊張感も極限に達していることは,だれの眼にも明らかです。ファイナルに選ばれた6人の選手たち全員が,ことしの最後の滑りにすべてを賭けてくるのは必至です。しかも,一発勝負です。失敗は許されません。ショート,フリー,それぞれ一回ずつの演技ですべては決まります。緊張するなという方が無理な話です。

 今夜(11日)のファイナルを見ていても,みんな顔が引きつっていました。そんな中で,意外に冷静に集中していたのが,やはり羽生選手でした。例によって,十字を切り,そして合掌する「祈り」の儀礼を済ませてリンク中央に立つ,ここまではいつものとおり。音楽が鳴りはじめてもしばらくはポーズをとったまま。演技がはじまる寸前に顔がアップになりました。そのとき,羽生選手は軽く鼻をすすり,呼吸を整えました。これを見た瞬間,ああ,なるほどと納得しました。あまりの緊張を,あえて解きほぐすための,意図的な意思をそこにみたからです。

 案の定,羽生選手は上半身の力みをまったく感じさせない,ゆったりとした長い腕の動作が,緊張どころか余裕すら感じさせる演技の入り方をしました。いつもよりも脱力された柔らかい腕の動きをみていて,これは大丈夫だ,と確信しました。他の選手たちが,みんな緊張のあまり腕に力みがみえていたのとは対照的でした。

 とくに,ショートの前半の腕の動作は,どこにも緊張など感じさせないみごとなものでした。緊張するなと言っても緊張するファイナルの舞台です。もちろん,羽生選手が緊張していないはずはありません。演技前のインタヴューでも,世界チャンピオン・フェルナンデスの演技の前の滑りなのでプレッシャーがかかっている,とみずから発言しているくらいですから。裏を返せば,いい滑りをして,フェルナンデスにプレッシャーをかけたい,ということでもあるのですから。

 羽生選手は,この極限に近い緊張と,うまく折り合いをつけながら,ゆったりと滑りはじめました。選曲といい,演技内容といい,滑り出しの緊張を解きほぐすにはもってこいのものだった,と言っていいでしょう。とりわけ,腕の力みがなく,むしろ,しなやかに,柔らかい動きがとても美しくみえていました。逆に言えば,極度の緊張のなかでの上半身の弛緩ができている,これがすべてだ,とわたしはうっとりと眺めていました。

 この羽生選手の演技に比べると,フェルナンデス選手の演技は,正反対でした。選曲も演技内容も,歯切れのいい腕の動作を要求するものでした。ですから,逆に気合が入りすぎ,からだの力みが表出してしまい,からだ全体がガチガチになっているのが,手にとるようにわかりました。その瞬間に,勝負あった,とおもいました。間違いなく,羽生選手の「世界最高点更新」の演技がフェルナンデス選手にとっては大きなプレッシャーになっているな,と感じました。

 結果は,ご覧のとおりです。

 演技後のインタヴューで,羽生選手はつぎのように応答しています。
 「ものすごく緊張しました。が,その緊張している自分がみえていました。その分,冷静さを保つことができたようにおもいます」と。

 異次元世界に「遊ぶ」とはこういうことなのだろうなぁ,とおもいました。「遊ぶ」とは,緊張度が高ければ高いほど,その質も高まるというものです。緊張のない「遊び」は面白くもなんともない,のは周知のとおりです。最高の緊張の中での「遊び」こそが最高のものであり,それこそが「異次元」世界の不可欠の前提条件でもあります。

 羽生選手は,いよいよ,この異次元世界に遊ぶことのできる,数少ない,神に選ばれたアスリートへの仲間入りをはたしたようです。

 二日後のフリーの演技を楽しみにしたいとおもいます。

2015年12月11日金曜日

食欲がでてきました。小食の効果?

 小食をこころがけるようになってから,なんだか食欲がでてきました。これが,小食の効果なのかはよくわかりません。が,小食の結果,どうやら胃腸がフル回転することなく,いくらか休めるようになったことが功を奏し,胃腸が元気をとりもどしたのではないか,と勝手に想像しています。

 これがほんとうだとしたら,とても嬉しいことです。

 なんと言っても,わずか1年5カ月の間に,胃は三分の二切除,肝臓は三分の一切除したのですから,胃腸に相当のダメージがあったことは間違いありません。

 それにもまして,最大のダメージだったのは,抗ガン剤による副作用で味覚が麻痺してしまったことだ,とわたしは感じています。最初の胃の切除手術をしたあとの経過はきわめて順調でした。味覚も大丈夫でした。食欲もありました。しかし,抗ガン剤を服用するようになってから,あっという間に味覚が麻痺してしまいました。なにを食べても味がしません。ご飯にいたっては「砂」を噛んでいるような感覚でした。ですから,まずは食べたくない,拒否です。でも,少しでも食べなくてはという強迫観念にとらわれ,必死で食べました。が,多くは食べられません。かろうじて「梅干し」や味の強い「漬け物」は味がありましたので,それを頼りにしていました。

 抗ガン剤の服用をやめたあとも,味覚の麻痺はつづきました。それは,二回目の肝臓切除手術後も,ほとんど変わりませんでした。仕方がないので,あれこれ試してみた結果,ご飯に「寿司酢」をたっぷりかけてやると,いくらか味がすることがわかり,もっぱら,この方法でご飯を食べることにしました。が,それが,ようやく最近になって,「寿司酢」がなくても,ご飯本来の味が少しだけもどってきました。これはいいな,とおもっていましたら,こんどはなんと「空腹」を感ずるようになりました。

 もちろん,健康だったころの空腹感に比べればまだまだ弱いものにすぎませんが,それでも,たしかに「なにか食べたい」という欲望が湧きはじめていることは間違いありません。おやおやと驚きながらも喜びでいっぱいです。でも,食べすぎないように気をつけなくてはなりません。やや控えめに食べておくと,すぐにまた空腹感がやってきて,気分をよくしています。

 なぜなら,からだが空腹を訴えているということは,なにかが足りないから補給せよというからだからのサインだかです。そのサインを無視して我慢すると,その不足分を,からだのなかに備えてある予備分で賄おうとします。これが,むかし習った「生体防衛反応」というやつで,いざとなるとここにスイッチが入ります。ここにスイッチが入ると,当座の命を維持するためのからだのあらゆる機構が働き始めます。

 広い意味での「恒常性(ホメオスターシス)維持」機構が総動員されるというわけです。ということは,「免疫」に関する機能もフル回転をはじめます。その結果,免疫力も高まることになります。つまり,生命を維持する機能のレベルがアップすることになります。

 ですから,むかしから,一日に一度は胃腸を空っぽにして空腹を味わえ,そういう人は健康そのものだ,といわれてきました。これは,単なる経験知ですが,それには立派な根拠があったという次第です。

 小食の効果は,この空腹感を引きだし,食欲をもたらし,かつ,免疫力を高める,というところにあったとしたら,これは一石三鳥です。

 もうしばらくの間,様子をみてみたいとおもいます。
 楽しみが増えました。

2015年12月10日木曜日

「力の伝導」ということについて。李自力老師語録・その66。

 今日(12月9日)の稽古で,李老師のからだは,じつに精巧にできた「力の伝導装置」だ,と知りました。しかも,そのレベルの高さを,この眼ではっきりと確認することができました。これ以上にからだの動きを細かく分節化することは不可能である,と断言できるほどの,それは「極限」情況とでも呼ぶべき「伝導」でした。

 それはゆったりとしたスローモーション・カメラの映像をみているような錯覚すら覚えました。しかも,「力」がからだの中をじわじわと伝わっていく,その動きが見えてくるのです。これはいったいなにが起きているというのだろうか,と考えこんでしまいました。

 いま,わたしは「力の伝導」ということばを用いましたが,これをそっくりそのまま「気の伝導」と置き換えてもいいのではないか,ともおもいます。なぜなら,大地の「気」を足裏から吸い上げ,足・脚を伝って股関節を通過させ,さらに,上体から肩・腕・手首・手のひらへと伝え,ついには,指先からその「気」を虚空へと放っているように,わたしの眼にはみえたからです。

 その「力」というか,「気」というか,そういうエネルギーが足・脚⇨股関節⇨胴体⇨肩⇨上腕⇨前腕⇨手首⇨手のひらへと,明らかに「伝導」されていく,そのゆったりとしつつも,ゆるぎない動作が,とてつもない迫力となってわたしの眼に迫ってくるのです。いままで見えていなかったものが急に見え始めた,そんな体験でした。

 すかさず問いにもならない問いを李老師に向けて発することになります。李老師は,それらの問いを真っ正面から受け止めてくださり,つぎのように語ってくださいました。以下に,わたしなりに理解できた範囲で話の要約をしておきましょう。

 まずは全身の力を抜きなさい。そして,必要なところに必要最小限の「力」を入れなさい。その「力」を向かうべき方向に向けてゆっくりと移動させなさい。そのとき重要なのは,「力」の移動の方向をしっかりとイメージすること,そして,そのイメージに合わせてからだが滑らかに動くよう意識を集中させることです。

 しかし,いきなり,イメージどおりにからだを動かすのはとてもむつかしいことです。ですから,まずは,イメージだけの練習をします。眼を瞑って,自分のからだに意識を集中させ,自分のイメージどおりにからだを動かしてみます。動作はつけないで,じっと立ったままで行います。それがある程度できるようになってきたら,こんどは少しだけからだを動かしてみます。つまり,動作をしているつもりになって。ボクシングでいえば「シャドウ・ボクシング」のような要領で。そのつぎには,高い姿勢のまま,最小限の動作でやってみます。安定した,どっしりとした動作ができるようになれば,しめたものです。

 こういう練習を何回も,何回も繰り返します。すると,いつのまにか,静かな「力の伝導」(あるいは,「気の伝導」)が表出してきます。つまり,これ以上に細かな動作の「分節」は不可能というレベルに到達します。もっと言ってしまえば,ひとつの主たる動作を支えるためにからだ全体が連動して動きはじめるようになります。これが「一動無有不動」ということの意味です。この逆が「一静無有不静」です。つまり,「安定」ということの内実です。

 以上,如是我聞です。

 李老師の「力の伝導」(「気の伝導」)は,まことに静かなものです。快晴無風の入江になっている海の砂浜に,満ち潮が満ちてくるときに,小さなさざ波が立つように,ひたひたと潮のエネルギーが汀に「伝導」されてくるような,そんな印象です。まさに,からだのなかを「気」が流れている,あるいは「伝導」されていく状態が眼にみえる,このことが驚異でした。

 しかし,考えてみれば,これまでも李老師に稽古をつけてもらっているのに,この「力の伝導」に気づかなかったのですから,今日の稽古はとてつもなく大きな収穫があった,というものです。この「伝導」に,最初に気づいたのは,じつは兄弟弟子のNさんです。「あれっ?動きが全然違う」と。それを聞いて,わたしも「ハッ」と気づいたという次第です。

 こういうタイミングというのは,これまでたまっていたなにかが,まるで弾けるように一気に噴出するものだ,ということも体験することになりました。ようやくそういうレベルに到達したというべきでしょうか。今日の稽古は,強く印象に残ることでしょう。あとは,李老師の教えを,繰り返し繰り返し,自分のからだのなかに叩き込んでいくだけです。が,これがじつはたいへんなことです。この壁を超えるべく,なんとか頑張ってみたいとおもいます。

 道は遠く,険しい。でも,前に進むしかありません。そこに,もうひとつの安寧の世界が待っているかぎり・・・・。

2015年12月9日水曜日

現代語訳『般若心経』(玄有宗久著,ちくま新書,2015年6月,第15刷)を再読。名著です。

 いつものように散歩を兼ねて書店に立ち寄ってみたら,『般若心経』と「玄有宗久」という文字が目に飛び込んできました。なんの躊躇もなく衝動買い。家にもどってから,あちこち拾い読みしてみましたら,「あれっ?」,なんだか読んだことがある・・・・? あわてて書棚を確認してみましたら,やはり,ありました。

 最近,こういうことが多くなってきました。サクセスフル・エイジング(笑い)。

 初版は2006年。その当時に買って読んでいたことをすっかり忘れて,二度買い。だれかにプレゼントしようかとおもっても,こんな本はだれも喜んではくれません。ので,名著並みの扱いにして,一冊は「書き込み」用,もう一冊は「通読」用に。

 しかし,読んでみますと,その印象は,かつてとはまるで異なっていました。なぜか。読み手が成長したから・・・とおもうことに。というか,読み手の意識が大きく変化している,というのが正解のようです。つまりは,末期ガンを患い,いま,まさに「死」と直面しながら日々を送っているために,否応なく意識が変化しているからなのでしょう。

 そのお蔭で,今回は,深いところまで手がとどくようによくわかりました。おおげさに言えば,もう,死んでもいい,とおもいました。死ぬといったところで,なんのことはない,「空」のなかにもどっていくだけのことだ,とこころの底から納得したからです。要するに,人の生死とはどういうことなのか,がよくわかったということです。このわたしなりの理解を要約しておきますと,以下のようになります。

 わたしの「いのち」もまた宇宙が繰り広げる自然現象のひとつであって,それ以外のなにものでもない,と納得したからです。ただそれだけの話ではないか,と得心したということです。仏教は,宇宙原理の根本を「無常」と説き,自然現象は,いっときたりとも「止まる」ことなく,変化をしつづけるものであると説き,その末端にわたしの「いのち」も位置づけられているにすぎないのだ,というわけです。ですから,一切の存在は「無」であり,「空」に帰っていく,と。

 「いのち」というエネルギーは,からだという乗り物にこころを乗っけて,走ったり跳んだりし,あるいは喜怒哀楽や理知や美意識として千変万化しながら,ひたすら「消尽」(燃焼)されるだけのものなのだ,と「よーく,わかった」という次第です。

 『般若心経』というお経は,このことをわかりやすく説いているにすぎない,と玄有宗久さんが,これまたわかりやすく解説をしてくれています。その意味では,類書にはない卓越した,仏教の神髄をもののみごとに解き明かしてくれる,まさに「名著」です。2006年当時(初版)は,あまり大きな話題にはなりませんでしたが,「3・11」を通過した「いま」,ふたたび注目を集め始めているのではないでしょうか。

 そんなにたいして大きな書店でもないのに,目立つところに「平積み」になって置いてあるということが,それを意味しているようにおもいます。言ってみれば,時代がこの本を受け入れるようになってきたのではないか,という次第です。

 このお経の構成は,きわめて単純明解です。まずは,観音様が,お釈迦様のお弟子さんのなかでは智恵第一といわれた舎利子にむかって,仏教(般若)の神髄(心経)について諄々と説いて聞かせるところからはじまります。その上で,最後にいたって,それらの教えを集約した「呪文」を唱えなさいと教えています。この呪文こそが,人間の声をとおして発せられる「いのち」のリズムであり,響きなのであって,この呪文が宇宙エネルギーの「消尽」と共振・共鳴するツールなのだ,というわけです。すなわち,わたしというミクロ・コスモスと宇宙というマクロ・コスモスとが共振・共鳴しつつ「一体化」していくための「通路」(ツール)なのだ,と。つまり,呪文こそが究極の「心経」なのだ,というのです。

 「ギャーテー,ギャーテー,ハーラーギャーテー,ハラソウギャーテー,ボージーソワカ」

 この呪文には意味はない,ただ無心に唱えることに意味がある,というのが玄有宗久さんの立場です。もちろん,この呪文を解釈し,翻訳することも行われてきています。しかし,無理に意訳をするよりは,音訳だけで十分である,とする側にわたしも与したいとおもっています。意味を考えながら呪文を唱えるよりは,なにも考えないで,無心になって呪文を唱えることの方がはるかに「理」にかなっているとおもうからです。

 お釈迦さんは,最終的には「死のすすめ」を説いたと言われています。つまり,うしろめたさを残さないで,潔く,きれいな生涯を送って,にっこり笑って死んでいけ,と。お釈迦さん自身も,死期を悟って横たわったとき,嘆き悲しむお弟子さんや信者たちを前にして,「悲しむことはなにもない」と説いたといいます。大宇宙という「浄土」の世界に帰っていくだけなのだから・・・と。

 わたしも,遅ればせながら,この経典を「死のすすめ」として,素直に受けとることができるようになったなぁ,としみじみおもいました。これもそれも,みんな末期ガンのお蔭です。まことにありがたいことです。

 なお,著者の玄有宗久さんは,もっともっと説得力のある明解な解釈を加えています。そして,大向こうを唸らせるほどの素晴らしい仏教的「世界」を解き明かしてくれています。ぜひ,ご一読をお薦めします。

 〔お断り〕玄有宗久の「有」は間違いで,これに「人偏」を加えた文字が正しい表記です。 

2015年12月8日火曜日

「洞窟観音」(高崎市)に遊ぶ。

 学会(群馬大学)の帰路,高崎で途中下車をして,観音山温泉・錦山荘で一泊し,そのすぐとなりにある洞窟観音で遊んできました。

 なんの予備知識もないまま,ぶらりと洞窟観音を尋ねてみました。まあ,洞窟のなかに観音様の像が祀られているのだろうなぁ,とは想像していましたが,どっこい,そんなちゃちなものではありませんでした。山の中腹をくり抜き,400mもの長さの隋道に,33体もの観音様を祀る観音洞をしつらえた,じつに立派なものでした。最初のうちは一体ずつの観音様を祀る洞が,隋道の左右にあって,順番に参拝していきます。が,終盤にさしかかりますと,じつに立派な大きな洞がいくつもくり抜かれていて,何体もの観音様が祀ってあります。それはそれは立派なもので,おもわず観音様の世界に誘引され,魅了されてしまいました。日頃から信仰の浅い,不浄なこころが洗われるおもいでした。

 この洞窟観音の由緒については,入口のところに下記のような看板が立っていましたので,興味のおありの方はご確認ください。ずいぶん長い年月をかけて精根こめてつくられたものであることがわかります。それでも「業半ば」であったとのことです。これが計画どおりにすべてが完成していたら,いったいどのようなものになっていたのだろうか,と想像してしまいます。


そうした観音洞のひとつに遊戯観音を祀ったものがありました。左膝を立てた半かふざというくつろいだ姿勢で座っている像でした。

 
その洞の説明書きによりますと,以下のようです。「五色の雲の上に坐って,宙に浮いた」状態でイメージされているのが大きな特徴のようです。つまり,「遊戯三昧」(ゆげざんまい)の自由自在の境地を表しているというわけでしょう。仏教でいうところの遊戯(ゆげ)とは,さとりを開いた仏様たちが住む浄土の世界で,自他の区別も消滅した,まことに清らかなこころのまま,遊び戯れることを意味します。ほんとうの「遊び」とは,そういうものであることを確認しておきたいとおもいます。「神遊び」ということばも同じところからでてきます。つまり,神や仏と「遊び,戯れる」ということです。


ですから,幼い子どもたちのお遊戯の語源は,この仏教用語からの転用であることがわかります。つまり,「遊戯観音」や「遊戯三昧」ということばからの転用というわけです。日本語の古語には,現代と同じことばを用いていても,いまの解釈とはほど遠いものがあります。そこのところをきちんとわきまえておくことが大事ではないか,とこの「遊戯観音」像を拝みながらおもいました。

 
この洞窟観音は,山徳記念館や徳明園などを含む広大な敷地のなかの一番高い場所にあります。ですから,洞窟観音をお参りしたあとは,遊歩道に誘われるようにして,まずは徳明園に入っていきます。その途中には,まだ紅葉の名残があちこちにあって,これもなかなかの風情でした。足元の落ち葉をみますと,紅葉の最盛期はさぞやみごとだろうなぁ,とおもいました。

 
さらに降っていきますと,枯山水の庭園があって,ここにも観音様が随所に配置されていました。まさに,観音山という名にふさわしい庭園になっていました。快晴・無風という絶好の天気にも恵まれて,静かな落ち着いた雰囲気を満喫しました。まさに「観音ワールド」に身もこころも投げ出し,ここちよい時空間に遊ぶことができました。

 
この洞窟観音からの帰路は,山のなかの裏道を歩いてみようということになり,むかしの山歩きの経験を生かして,この方角にどのくらい歩けば,宿泊した錦山荘の裏側の山にでていくはずだと勘を働かせて出発。この勘がみごとに的中して,あっという間に裏山に到着。あとは,「けものみち」のような,わずかに人が歩いた形跡のある道らしきものをたどり,竹林をとおり抜けて宿の正面に到着。途中の竹林のなかにみごとな紅葉が残っていましたので,そこで一枚。

 しばらく味わったことのなかった至福のひとときを過ごすことができました。ときには,こんな時間を過ごすことが,いまのわたしのからだには,なにものにも代えがたい滋養になるなぁ,と実感しました。これからも可能なかぎりこういうチャンスを生かせるように努力したいとおもいました。

 以上,「観音ワールド」に遊んだご報告まで。

 〔追伸〕洞窟観音の隋道を歩きながら,観音さまが智恵第一人者のシャーリプトラ(舎利子)に向かって説いて聞かせたという設定になっている『般若心経』を唱えたことは,いうまでもありません。

2015年12月7日月曜日

講演「上州の在村剣術と武芸ネットワーク」(髙橋敏)を聞いて。

 12月5日(土)・6日(日)の二日間,第29回目のスポーツ史学会大会が,群馬大学で開催され,上州にやってきました。この大会の特別プログラムのひとつに髙橋敏先生(国立歴史民俗博物館名誉教授)のご講演がありました。タイトルは上記のとおりです。地元・群馬大学の話題にふさわしい内容でしたので,わたしは興味津々でした。

 期待どおり,髙橋敏先生のご講演,まるで講談を聞いているような名弁士ぶりに,おもわず引きこまれてしまいました。これはどう考えてみても素人の語りではありません。間のとり方といい,ことばへの気合の籠め方といい,プロの講談師顔負けの熱弁でした。なるほど,なるほどという説得力があって,みごとなお話でした。

 話題の中心は,上にかかげたように,「上州の在村剣術」を支えた江戸時代の樋口家にありました。表の顔は百姓,裏の顔は武芸の道場主。こういう二つの顔をもった百姓の存在の仕方が,江戸時代にはどうして可能であったのか,という問いと答えがわかりやすく語られました。

 大筋において,なるほどなるほど,と思いながら耳を傾けていましたが,後半に入るにしたがって「おやおや?」とおもうことが多くなってきました。なぜなら,話題のキー・ワードとなるような重要なことばの概念や話題のバックグラウンドとなる歴史的背景が十分に説明されることなく,話が流されていってしまったからです。その主なポイントは以下のとおりです。

 ひとつは「百姓」という存在のとらえ方。つまり,百姓=農民と単純化してとらえてしまっていいのかどうか,という点。百姓とは,文字どおり「百の姓」のこと。その中味は多岐にわたります。たんなる農民集団ではない,ということです。このことの確認がなされなかったこと。

 ふたつには武芸というもののとらえ方。こちらも,武術と武芸の区別がきちんとなされないままに話題が流れていたこと。「武芸百般」といわれるように,武芸の中味も多岐にわたります。と同時に,「武芸」と言ったときの「芸」とはなにかの確認が十分ではなかったこと。

 みっつには天皇制という視点の欠落。江戸時代の天皇制の位置付けは微妙です。武士階級による支配の陰にあっても,なお,ないがしろにはできない存在であったこと,このことと「在村剣術」の伝承とは無縁ではなかったと考えられること。のちの勤皇の志士たちの活躍を考えると,ますます重要な視点ではないかとおもわれるからです。

 よっつには古代史(律令制)にはじまる権力闘争の結果として生ずる敗者の行方が視野のなかに入っていないこと。つまり,支配・被支配の関係が,律令制の進展とともに固定化され,被支配に追い込まれた人びとの生きざまにどのような影響を及ぼすことになったのか,という分析がここでは不可欠ではないか,とおもわれたこと。

 いつつには上州に落ちのびてきた,いわゆる被支配層ともいうべき「河童」族の存在が無視されていること。つまり,権力にまつろわぬ人びとが上州にどのようにして根を下ろしていたのかというまなざしが欠落していたこと。上州といえば,だれもがまっさきに思い浮かべるスーパー・スターである国貞忠治の存在を無視することはできません。こういう人を生みだす土壌が,その背景にはあったはず・・・・。

 むっつには平将門のような人物が輩出した関東一帯の土地の緊張関係についての視点が欠落していて,そういう話題が聞かれなかったこと。

 ななつには・・・・といった調子で,わたしの頭のなかはフル回転していました。もちろん,限られた時間のなかで,あれもこれもすべて説明せよというのは「ないものねだり」にも等しいことであることは十分承知しています。しかし,ごくかんたんに触れていくことは髙橋敏先生くらいの実力者であれば,不可能とはおもえません。ですから,意図的にこれらの視点をはずしているのではないか,と気づいたとき,「おやおや?」という疑問がわたしの中で膨らみ始めたという次第です。

 もっと言ってしまえば,国立歴史民俗博物館に流れている,ひとつの「スタンス」がその背景にはあって,その流れのなかでの髙橋敏先生のご講演であったのではないか,というのがわたしの受け止めたメッセージです。となると,このご講演の意図したところも,それとなく理解できるという次第です。

 とまあ,このブログではこの程度で留め置きたいとおもいます。これ以上に踏み込むには,もっと確たる「場」をセットしなくてはならないと考えるからです。それは,いずれ機会をみつけて・・・考えることにしたいとおもいます。以上,とりあえずのコメントまで。

2015年12月6日日曜日

「朝になったら死んでいた」。理想的な「幕引き」。

 「朝,見にいったら死んどっただげな」。こんな会話を子どものころにはよく耳にしたものです。田舎の小さな禅寺で育ったわたしは,村の衆がどんな風にして死んでいったのか,という情報はふつうの農家の子どもたちよりかなり多かったようにおもいます。ときには,死んだ人を寺の本堂に一晩,寝かせておいて,翌日,焼き場に運ぶということもありました。そういうときには,襖ひとつ隔てた部屋に,わたしたち兄弟3人が寝ていました。夜中にトイレに行くときには,棺桶の横をとおります。小さな村のことですので,生前の顔もよく知っています。

 「ケンちゃんとこのおばあさん,死んじゃっただげな」
 「うん,昨日の夜も,ちゃんとご飯を食べて寝ただげな」
 「そういやぁ,食べる量はどんどん少なくなっていたっちゅうに・・・」
 「ほうだらぁのん。あんなに痩せちゃっとったでのん」
 「骨と皮しかなかったでのん」

 こんな会話が繰り返されていたことを,昨日のことのように思い出します。そういえば,当時(敗戦直後)の村の衆は,みんな痩せていました。体重が16貫(60㎏)もある人は,数えるほどしかいませんでした。とくに,年寄りはみんて痩せていました。
 
 みんな農家ですから,食べ物に特別に困っていたわけではないはずです。しかし,贅沢をしたり,腹一杯食べる習慣はなく,「腹八分目」がそれとなく実行されていたようにおもいます。つまり,みんなつつましく暮らしていたのです。

 病気になっても医者には,よほどのことがないかぎり行きませんでした。その代わりに,むかしながらの民間療法がほどこされていました。こういうときは年寄りの出番でした。ほとんどの家は,医者に診てもらうほどの余裕がなかったようです。ましてや,街中の病院に入院するなどということは,余程のことがないかぎり,村ではほとんどありませんでした。みんな多少のことは我慢して耐えていたのです。

 貧しい農家では,「年寄りは無駄飯を食うな」ということが平気で言われていました。「一膳しか食べさせてもらえんでのん」とグチをこぼすお年寄りも少なくありませんでした。

 そんなお年寄りが,あるときから,ほとんど食事をしなくなってしまうことがあります。こういう話題もすぐに村中を駆けめぐります。
 「〇〇さんとこのおじいさん,一口くらいしかご飯を食べんだげなぞん」
 「そういやぁ,このごろみるみる痩せてきたのん」
 「どっか悪いんじゃないかのん」
 「ほんでもどっこも痛いところもないだげな」
 「それでも,あんなに痩せちゃったじゃぁ,長いことはないのん」

 こんな会話が交わされるようになると,日を経ずして「朝,見にいったら死んどっただげな」という話になります。

 『どうせ死ぬなら「ガン」がいい』(宝島新書)の対談者・中村仁一×近藤誠たちによれば,こういう話はむかしからたくさんあって,こういう事例はほぼ間違いなくガンだったのではないか,とのことです。ガンは発症しても本人も周囲も気づきません。病状が進行しても,痛みもありません。ただ,やせ細っていきます。そして,食欲もなくなっていきます。その結果,文字どおり,骨と皮だけになって,最後は眠るようにして死んでいく,と。

 これはガンによる「自然死」に違いありません,とお二人の意見は一致しています。もし,これが事実だとしたら,ぜひとも,あやかりたいものだとおもいます。

 むかしの偉いお坊さんは,死期を自分で定め,「生き仏」(「生き菩薩」)となることをめざした,といいます。その方法はかんたんです。断食をし,水だけを飲んで痩せていき,坐禅をしたままこと切れることを理想としました。

 こんな真似はわたしにはできませんが,ガンが進行していって,徐々に食欲が落ちていき,食べる量も減り,骨と皮だけになって,朝になったら死んでいた,これならできそうです。そして,これこそが,いまのわたしに与えられた「自然死」そのものではないか,といまは心底おもうようになりました。

 これができたら,ちょっと,格好よすぎかも・・・・・(笑い)。
 でも,いいなぁ。憧れます。

2015年12月5日土曜日

見たか,あの鬼の形相を。羽生結弦の「陰陽師」。世界最高点を叩き出した演技を。

 見たか? 演技の終わった瞬間にみせた羽生選手のあの鬼の形相を! もう,ぎりぎりいっぱい! これがおれのすべてだっ!というあの迫力満点のあの顔を。

 いつもの小学生の優等生といった童顔はどこかに消え失せていた,あの一瞬に,羽生選手のこころの強さのすべてが表出している,とわたしは感動した。

 演技内容のすべてが素晴らしかった。そして,感動した。しかし,わたしのこころを捉えていつまでも離さない感動は,4回転のジャンプでもなく,あの柔らかなスピンでもなく,軽やかなステップでもなく,美しいスケーティングをみせるシークウェンスでもなかった。

 あの演技が終わって静止した瞬間にみせた,あのいっぱいいっぱいの鬼の形相だった。もはや,この世の人の顔ではなかった。そう,あの世に一歩も二歩も踏み込んでしまった「鬼」になってしまった人の形相だった。ひとつ次元の違う世界に踏み込んだ人にのみ許された特権のような顔だ。非日常のさらにその上の神の領域に一歩踏み込んだ人の顔だ。

 そして,その2、3、秒あとにみせたガッツ・ポーズ。このポーズをとることによって,ようやくあの世からこの世に引き戻されてくるような,羽生選手の顔。それでもなお,まだ,この世の人の顔ではなかった。神の子の顔の余韻をまだ引きずっていた。そして,徐々に,徐々に,この世の日常の顔にもどってくる。とてもいい瞬間だ。わたしはこの瞬間,瞬間が好きだ。

 得点が発表されたときに見せた羽生選手の顔が,これまた素晴らしかった。大きく眼を見開き,口まで開けて,一瞬,まさかという顔をした。あわてて口を両手で覆い,眼だけが大きく見開いたままだった。予期せざる高得点に,われながらびっくり仰天,という顔の表出。そして,これまた長い時間をかけて徐々に,徐々に,日常の笑顔にもどってきた。このときの顔の表情もとてもよかった。いい顔だったとおもう。

 この二つの顔の共通点は,自己を超え出たときにみせる人間の顔だ。理知的な抑制などとは無縁な,まったく別の世界に飛び出したときに瞬時にして表出する顔の表情だ。つまり,人間としての全存在を賭けた顔だ。理知を超えた「いのち」の顔と言ってもいい。生命そのものが表出したときの表情と呼ぶべきか。いずれにしても剥き出しの「いのち」をそこに読み取ることができる。わたしは,その瞬間に感動を覚える。

 スポーツにはなぜ人を感動させる力があるのか,という永遠のテーマがある。
 そして,その答えもさまざまだ。

 わたしの答えのひとつは,「人間を超え出る経験」に立ち合ったとき,である。別の言い方をすれば,「神の降臨」に立ち合ったとき,となる。

 羽生結弦選手の,あの日常の「童顔」が,瞬時にして「鬼の形相」に変化する。その瞬間に立ち合うことのできた喜び,感動,それはもはやなにものにも代えがたい,大きな宝物である。

 羽生選手の,あの演技終了の瞬間にみせた鬼の形相をみて,すぐに思い出したのは,大相撲の貴乃花が千秋楽で曙とがっぷり四つに組み合って,勝負が長引き,もつれた末に死力を振り絞って寄り切り,優勝をもぎとった瞬間の「鬼の形相」である。大横綱・貴乃花が生涯に一度だけ,土俵上でみせた「鬼の形相」である。このときも,全身が震えるほどに感動した。力士というものは凄いものだ,としみじみ感動したものだ。やはり,力士はふつうの人ではない,と。神と人間の間にいて,その両者を取り次ぐ存在なのだ,と実感した。力士につけられる醜名は戒名のようなもので,ふつうの人間ではなく,死者の世界の人を意味するという。

 そういう人がこの世に降臨してくる。そこが「土俵」という「場」であり,「聖域」なのだ。力士は,醜名を呼び上げられることによって,初めて土俵の上に立つことができる。呼び出しとは,そのための重要な儀礼でもある。

 広島カープの前田投手は,一球ごとに魂を籠めて投げる。そのときの顔もまた,この世の人の顔ではなくなる。あの世の世界の「力」を借りてきて,投球にそのすべてを賭けていく。だから,三振を奪ったときの感動も大きい。ファンに好かれる所以だ。

 これらの人たちに共通していることは,人並み外れた恐るべき意思の力の強さだ。羽生選手が,一皮もニ皮も剥けて大きく飛躍した背景には,この精神的な成長があったことを見逃してはならないだろう。羽生選手が試合後のインタヴューに答えたひとことが,わたしには強く印象に残った。「血のにじむような厳しい練習を積み重ねてきた結果です」。

 練習がすべて。スポーツは嘘をつかない。才能のある選手が,さらに,人並みはずれた努力をする。だから,驚くべき結果が生まれてくる。突然,生みだされるものではない。努力に努力を積み重ね,その結果として,あるとき突如として「花開く」。その瞬間に立ち合うことの喜び・・・・それがスポーツを鑑賞する人間の楽しみのひとつなのだ。

 その意味で,久しぶりに,大きな大きな「感動」を経験することができた。
 羽生選手! あなたのお蔭です。ありがとう!

 まだまだ神の領域に接近していく余力を残しているようにおもう。その意味で,これからのますますの成長を期待したい。そして,ふたたびの感動を。

2015年12月4日金曜日

通夜式。東京ルンペンクラブ(登山)時代の友人が逝く。

 昨年の夏,わたしの胃ガン手術後の経過を心配してくれて,「励ます会」を開いてくれた友が,さきに逝ってしまった。昨夜(12月3日),通夜式があった。かれも同じ時期に「おしっこの出が悪くなるガン」(彼はそれ以上のことを語らなかった)で余命を宣告されていた(X年以上生存する確率はY%と予告されたと彼の弁)。かれは手術を拒否して,親からいただいたからだを生きる,と元気よく語っていた。そして,手術を受けたわたしを心配し,「おれよりさきに死ぬなよ」と励ましてくれていた。そのかれがわたしよりもさきに逝ってしまった。

 人生というものはわからない。

 ちょっとことばにならない感慨がある。あえて言うとすれば,「こんなものなのかなぁ」というところ。寂しいといえば寂しい。かといって悲しいかといえば悲しくはない。もうちょっと生きていたってよかったろうに・・・・。でも,そうもいかないんだよな・・・。だから,「こんなものなのかなぁ」となる。言ってしまえば,自分の身に起きたことのように「ぼんやり」と感じられるのだ。それは,わたしが手術を受けることにしたときとおなじように「ぼんやり」としたものだ。

 もちろん,手術を受けるとなれば,こころは千々に乱れる。そして,いろいろ考える。しかし,最終的には,「ぼんやり」と「こんなものなのかなぁ」というところでみずからのこころを落ち着かせる。そうしないと,前に進まないからだ。というより,前に進むうちに,こころは落ち着いてくる。いや,「ぼんやり」してくると言った方が精確かもしれない。そして,身を委ねることができるようになる。

 お別れというものは必然だ。だから,かならず,いつかは,こういう日がくる。自分がさきか,友人がさきか,その前後が異なるだけだ。それも,自分たちの意思ではなく,それを超越したところの「力」によるものだ。この人間の意思を超越した「力」の存在が,わたしの中で次第に大きくなりつつある。もう,ここまできたら,この「力」に身を委ねるしかない,と心底考えるようになった。

 昨夜の通夜式の間も,「ぼんやり」とそんなことを考えていた。立派な読経のできるお坊さんだった。うっとりとさせられるほどの読経だった。浄土真宗の,とても音楽的な,それでいて気持ちの入った,聞いていて心地よいみごとな読経だった。久しぶりに聞いたこころに響く,素晴らしい読経だった。この「響き」にこそ読経の大事な意味があるのだなぁ,とこれまた「ぼんやり」とおもっていた。

 読経の「響き」は,まるで,人間の意思を超越する「力」に向かってひとすじの道筋をつくっているように,わたしには聞こえてきた。人間という小さな「ミクロコスモス」と,それを超越する「力」というおおきな「マクロコスモス」との間に橋わたしをする,そういう「響き」に聞こえてきたからだ。それは意味不明のことばの羅列であるお経だからこその「威力」というべきか。つまり,「呪文」と同じなのだ。「呪文」など,なんの意味もない,と近代の科学的合理主義を信ずる人びとは笑うだろう。しかし,わたしは笑えない。なぜなら,そこに科学的合理主義では説明不能なある「なにか」(Etwas)の存在を感ずるからだ。

 ああ,これで故人となった友人も,こころおきなく旅立つことができるなぁ,と素直に嬉しかった。これでいいのだ,ともおもった。こういう読経に出会えたのも,故人の持ち合わせていた「ご縁」というものだ。よかったなぁN君,とこころの中で声をかけた。なんだか,正面に飾られた遺影がにっこりと笑ったようにおもった。

 たんなる錯覚だと人は笑うだろう。しかし,それは違う。わたしにとっての「真実」はこれだ。人がなんと言おうが,かれは笑った。わたしにとっての「詩と真実」はこれだ。ゲーテのことばを引き合いに出すまでもないだろう。人はこうして自分にとっての「真実」に命を賭ける。それが生きるということの内実なのだ。N君もまた,そういう命を生き切った人だ。

 昨年夏の「励ます会」での,N君のいつもにも増して大きな声と明るさは,どこか達観したものが感じられた。立派としかいいようのないものがあった。

 今日の告別式は,諸般の事情で欠礼する。その代わりといっては変だが,このブログを書いている。自分のこころを納得させるために・・・・。そして,いま,気づいたことだが,時計をみたら,まさに,いま読経が行われている時間だ。これもまた,偶然ではない。シンクロにシティだ。だから,このブログをもって,わたしから貴君への鎮魂歌としたい。

 南アルプスは光岳(テカリダケ),そこの「あの」お花畑で待っていてくれ。
 そこで再会しよう。楽しみにしているよ。

2015年12月3日木曜日

大相撲の土俵祭り。「方屋開口,故実言上」ということについて。

 文庫本の新刊コーナーに『力士の世界』(33代木村庄之助著,角川ソフィア文庫,2015年11月25日初版)があり,即購入。書店でペラペラとめくってみたかぎりでは,いわゆる相撲ファンの初心者向けの解説本という印象でしたが,家にもどってから中味を読んでみますと,思いの外,奥が深い本であることがわかりました。しかも,行司の眼をとおしてみた力士の世界が,なかなかの達意の文章で描き出されています。とてもいい本なので紹介したいとおもいます。

 内容は以下のとおりです。
 第一章 相撲は神事
 第二章 いつも厳しい勝負の世界
 第三章 相撲部屋はひとつの家族
 以上の三章立て。

 いかにも行司さんらしく「相撲は神事」と断言しています。そして,行司は神主なのだ,とも。なるほど,読んでみますと神主の修行もして,資格も取得しているとのこと。だから,土俵は神のいます聖域(神域)であって,力士は一番ごとに塩をまいて清めることが不可欠なのだ,とも。

 その聖域である土俵に神を降臨させるための儀礼が,いわゆる「土俵祭り」なのだ,と33代木村庄之助は熱弁を振るいます。そして,驚いたことに,土俵祭りのときに神主として行司が読み上げる祝詞がそのまま紹介されています。一般的に,神社で読み上げられる祝詞は,ふつうの読み物では活字化しないのがしきたりのようになっていますので,わたしはこれまで祝詞なるものを一般の刊行物の中ではみたことがありません。しかも,土俵祭りのときに神官をつとめる行司によって読み上げられる祝詞は初見でしたので,びっくりしてしまいました。折角ですので,その冒頭部分だけでも引用しておきましょう。

 掛巻くも畏きこの斎庭に吾相撲の道の守神と斎く
 戸隠大神 鹿島大神
 野見宿禰尊等を招奉り坐奉りて畏み畏み白さく
 千早ふる神代の昔より中今は更に白さず
 弥遠永に栄いくべき相撲の道はしも敏き心に術を尽くして
 猛き心に力を競べて勝負を争い
 人の心を勇ましむる吾邦固有の国技なれば

 という調子でつづいていきます。フリガナをつけないと正しく読むことも難しい文章になっています。しかし,意味するところはおおよその見当がつくとおもいます。こういう祝詞が,場所ごとに土俵祭りのときには読まれているというわけです。しかも,土俵は,地方巡業のときにも必要です。ですから,そのたびごとにこの祝詞が読み上げられることになります。

 土俵祭りでは,この祝詞のあと「故実言上」の儀式が行われます。そして,この儀式のことを「方屋開口」と呼んでいるそうです。方屋とは土俵場のこと,開口は開く,つまり「土俵開き」という意味だと33代木村庄之助は書いています。しかし,そこには土俵の起源となったといわれている「人方屋」の話はでてきません。ということは,「人方屋」の話は一度,疑ってみる必要がありそうです。なぜなら,ここで用いられている「方屋」という言い方はわたしなりに納得ができるからです。つまり,「方屋」とは,家の中の正方形の空間のことで,土俵をつくるとなれば相当に大きな家屋を構える必要があったはずです。それは,寺院や神社のような特別の建物であればともかくとして,ふつうの家屋では特別の大きさの空間を意味したはずです。ですから,「方屋」ということばが相撲場以外にも用いられていたのではないかとおもわれます。そのヒントのひとつは「方丈」ということばです。寺の住職が一丈四方の部屋に住んでいたので,寺の住職のことを「方丈さん」と呼ぶしきたりがいまでもあります。また,有名な「方丈記」は,まさに方丈一間の家を建てて,質素に暮らし,必要とあらば解体してそれを大八車に積んで引っ越しをすることも可能だった,といいます。「方屋」と「方丈」のニュアンスは同じです。これは調べてみる必要がありそうです。となると,人が円陣を組んで座っていた,その中で相撲を取っていたのが「人方屋」のはじまり,つまり土俵のはじまりだ,という説は怪しいということになります。 

 さて,その「方屋開口」のときに「故実言上」がなされます。これは文字とおり「故実」を申し上げる,というほどの意味です。その文章も引用しておきましょう。

 天地開け始まりてより,陰陽に分かれ,
 清く明らかなるもの,陽にして上にあり,これを勝ちと名付く。
 重く濁れるもの,陰にして下にあり,これを負けと名付く。
 勝負の道理は,天地自然の理にして,これなすもの人なり。
 清く潔きところに清浄の土を盛り,俵をもって形をなすは五穀成就の祭りごとなり。
 ひとつの兆しありて形となり,形なりて前後左右を東西南北,これを方という。
 その中にて勝負を決する家なれば,今初めて方屋と言い名付くなり。

 これを読みますと,なるほどと納得させる「方屋」の故実が明らかになってきます。ポイントは,勝負を決する「家」であること,そして,前後左右を「東西南北」に位置付けた家を「方(ほう)」という,そこにあります。さらには,「陰陽」にはじまることを考えれば,その起源が中国であることもみえてきます。そして,前後左右,東西南北の意味するところは「四神相応」そのままです。すなわち,左方は東の青龍,右方は西の白虎,正面(前方)は南の朱雀,後方は北の玄武,にそれぞれ対応します。ですから,そういう家を「方(ほう)」というわけです。

 これで納得。となれば,ますます「人方屋」という土俵起源説は怪しくなってきます。そして,このときの「人」はなにを意味しているのでしょうか。新たな疑問が湧いてきます。

 ことほど左様に,この本全体の記述は,初心者向けに「力士の世界」を語った読み物になっていますが,上記のように驚くべき発見も随所にあって,なかなか楽しめます。まさに,行司さんでなくては書けない逸話や秘話がてんこもりになっていて,相撲ファンには堪らない魅力を放っています。

 いい本との出会いでした。ご一読をお薦めします。

※写真を追加すること。

2015年12月2日水曜日

『どうせ死ぬなら「ガン」がいい』(中村仁一×近藤誠著,宝島新書)を読む。納得すること多し。

 もうかなり前に,帯津良一さんの本との出会いがあり,ガンに関する本はかなり読んでいました。ガン細胞は自分の細胞の遺伝子に異変が起きるだけなので,抗原抗体反応が表れない。つまり,他者として認識しないので,自覚症状もほとんど感じられないまま,病変だけが進行するというやっかいなしろもの,というわけです。

 ガンについては,そんな程度の認識でしたが,昨年2月に初発の胃ガンが見つかってからは,本の読み方が変わりました。これはとおもわれる本は片っ端から買ってきて,むさぼるようにして読み漁りました。が,どの本も,わたしを納得させることは書いてありませんでした。

 つづいて,知り合いのお医者さんにも,片っ端から質問をし,なにか納得のいく手がかりは得られないものかと,あれこれ努力してみましたが,いずれも心の底から納得のいく答えはありませんでした。一括りに要約してしまえば,「一般論としては」とか,「文献データによれば」という前提つきの説明でしかありませんでした。つまり,末期ガンを生きるわたしという人間が,どのような対応をすればいいのか,という総合的な判断をする根拠は見つからなかったということです。

 その結果,ゆきついた,わたしの理解は以下のとおりです。
 〇切除手術がうまくいく人もあれば,そうでない人もある。
 〇抗ガン剤がうまく効く人もあれば,そうでない人もある。
 〇放射線治療がうまくいく人もあれば,そうでない人もある。
 要するに,個体差がありすぎて,個別の症例に対する決め手がない,ということがわかりました。

 その結論としては,「ガン治療に方程式はない」ということ,そのほとんどは「試行錯誤」でしかないということ,それだけでした。

 そして,うまく治療ができた人はラッキーな人(運のいい人),いつまでもはっきりしない人はアンラッキーな人(運の悪い人),さらに,あっという間に,この世とお別れしてしまう人は,そういう星のもとに生まれた人だと諦めるしかない,これが,いま現在のわたしの到達点です。

 ここまで到達したときに,わたしの眼に,かなり説得力のある本として,帯津良一,中村仁一,近藤誠さんらが書いた本がふたたび蘇ってきました。言ってしまえば,原則として,「放置療法」です。すでに,確立されている治療法がある事例はほんのわずかで,あとは,暗中模索なのだというのです。だとしたら,切除して体力を消耗したり,抗ガン剤や放射線の副作用に悩まされたりして,苦しむよりは,そのまま放置して「生活の質」(Quolity of Life )を維持しながら,元気な時間をエンジョイした方がいい,ということになります。

 ちなみに,治療を一生懸命やった人と,なにもしないで放置した人との寿命は,統計処理をしたかぎりでは,ほとんど変わらない(近藤誠)といいます。しかも,治療に専念した人の最後は,激痛に苛まれ,苦しむ人が多いといいます。他方,放置した人のほとんどは「自然死」に近い,つまり,痛み苦しむことなく,こと切れることが多いといいます。

 だとしたら,どちらを選ぶかは自明のこととなってきます。

 それよりももっと大事なことがひとつあります。それは,自分の命の終わり方をどのようにするか,という「生き方」の結末のつけ方の問題です。つまり,「死に方」です。別の言い方をすれば,どのようにして,与えられた生命をまっとうし,その上で,どのように死を迎えるか,その幕の引き方です。それは,わたしという人間の「生き方」の最終のテーマとなります。つまり,「死ぬ」ということは,わたしの全人生をかけた,最後の「演出」であり,「幕引き」です。この一点に,大げさに言えば,わたしの全人生がかかっている,ということです。もっと言ってしまえば,わたしの人生の総決算だ,ということです。

 このことを考えさせてくれるのも,じつは,癌患者だからです。死ぬとしたらガンで死ぬ。そのことがはっきりしているからです。これは考えようによってはとても幸せなことだともいえます。覚悟の上での死を迎えることができるのですから。

 それでも,できることなら,可能なかぎり「自然死」がいい。昨日まで,ふつうにしていたのに,朝になったら死んでいた・・・・これが理想です。

 こんなところに,わたしの思考がたどりつきつつあるのは,これまでに読み込んできた思想・哲学の本のお蔭であり,仏教関連書の影響が少なくありません。かんたんに言っておけば,「わたし」という自我(近代的自我)から解き放たれたさきに広がる,「いのち」のままに躍動する世界(彼岸)に身もこころも委ねること,これが「生きる」ということの基底ではないか,ということです。

 こんなことを考えさせてくれるきっかけとなった一冊,それがこの本でした。

2015年12月1日火曜日

いま,辺野古では国家(=アベ政権)による「暴力」が野放しにされている!!

 いま,辺野古では,連日,国家による「暴力」が野放しにされたままになっている。早朝から,おじい,おばあたちが座り込みをして,裁判の結果がでるまでの間の,工事の中止を訴えている。それを,問答無用とばかりに,本土から送り込まれた機動隊が情け容赦なく「ごぼう抜き」にして排除し,工事をつづけている。なかには怪我人もでて,救急車で病院に運ばれる人もでている。無抵抗の「非暴力」の座り込みをしている老人たちを。

 一方,辺野古の海では,海上保安庁の保安員たちが,小さなカヌーを漕いで抗議している沖縄県民の人びとを海に突き落とし,海中に頭を押さえつけたりして,過剰な警備(=暴力)を行っている。カヌーを漕いでいた人に「死ぬかとおもった」と言わせるほどの,しつこい「暴力」である。こんなことが国家の名のもとで平然と行われている。

 これらの「暴力」行為は,連日,写真入りで,『琉球新報』や『沖縄タイムス』では大きく取り上げられ,詳細に報道されている。沖縄県民にとっては大問題となっていて,日本政府に対する不信感はますます増大するばかりだ。知らぬは本土でのほほんと平和惚けした生活を送っている本土のヤマトンチュだけである。

 なぜか。本土の大手メディア(全国紙,テレビ,など)は,この事実を一切無視して,蓋をしたまま伝えていないからだ。日本政府にとって都合の悪い報道をすると「偏向報道だ」と,すぐに政府自民党から強烈なプレッシャーがかかる。そのプレッシャーのかけ方も,日毎に露骨になってきている。この事実すらもほとんど報道されてはいない。しかし,SNSでは,大問題になっていて,大きな論議を生んでいる。

 テレビからは,名だたる評論家(正論を吐く人)たちが,つぎつぎに姿を消している。そして,政府自民党の都合のいいことしか言わない人だけが,テレビや新聞で生き残っている。いま,テレビに登場している評論家・解説者の部類は,すべて政府自民党の代弁者にすぎない。消された評論家たちはどこにいったのか。みんな,SNSで,FBやブログをとおして激しく抗議の声をあげている。多少の温度差はあるものの,それぞれの立場から,しっかりとした根拠を提示して,激しく政府自民党を批判している。

 しかし,残念ながら,SNSの情報とは無縁の生活を送っている人たちが,圧倒的多数を占めているのが現状だ。だから,アベ政権の支持率が,いまごろになってまたぞろ上がってきているという。この調査の方法も結果も怪しいものだが・・・。こうして,アベ・ファシズムはとどまるところを知らないまま,ますます凶暴化し,暴走しはじめている。

 ただ,唯一の救いは,若者たちの圧倒的多数は,新聞(全国紙)やテレビから離脱し,SNS情報に傾斜しつつあるということだ。選挙権が18歳までさがったけれども,この若者たちのうち,選挙権を重く受け止めている若者たちは,もっぱらSNSをとおして情報を収集し,真面目に勉強しているという。これもまた救いのひとつだ。こういう若者たちの輪が広がっていくと,これまでの選挙行動とはまた違った新しい展開が期待できそうだ。

 いま,辺野古で繰り広げられている「暴力」に対しては,さまざまな分野からの新たな批判が生まれていることも救いのひとつだ。たとえば,昨日(11月29日)は,日比谷野外公会堂では抗議集会が開かれ,そのあと銀座に向かって4500人がデモを繰り広げている。この情報を沖縄2紙は,一面トップにカラー写真つきで大きく取り上げている。辺野古のキャンプシュワブの抗議現場には,加藤登紀子や大江健三郎さんなどの著名人も応援にかけつけている。アフリカ・セネガルからやってきたヒップホップ集団<クルギ>も現場に駆けつけ,抗議の声を挙げている。アメリカの上院議員が辺野古で起きていることは,アメリカにもその責任の一端がある,とアメリカの新聞で発言したことも沖縄2紙で報じられている。また,アメリカの最大手の労働組合も,正式に抗議声明を発表した,という。その他,外国の学者・有識者たちの集団もまた,抗議声明を出している。

 こうした情報もまた,SNSでは,ごくふつうに流れている。もちろん,沖縄2紙(『琉球新報』と『沖縄タイムス』)では,いつも大きなニュースとして報じられている。これらの情報をまったく無視して,流そうとはしないのは本土のメディアだけである。いまや,本土は完全なる情報管理社会と化している。日々,戦時体制にますます近づいている。おまけに,「共同謀議」を取り締まる法案を議会にかける準備までしているという。こうなったら,もはや,おしまいである。

 アベ政権は,完全に,戦争をやる気でいる。そのための言論統制の備えを着々と進めているとしかいいようがない。だから,辺野古で野放しにされている「暴力」などは,アベ政権にとっては当たり前のことをやっているだけだ。これから,もっと厳しく取り締まる,そういう体勢に入りつつある。沖縄の離島にも自衛隊基地を増設したり,ミサイルの発射基地をつくろうとしていたり,矢継ぎ早やにつぎからつぎへと新手を繰り出してくる。

 70年前の戦争を記憶しているわたしとしては「恐ろしさ」で「からだがふるえる」思いである。だから,なんとしてでも辺野古の工事はストップさせなくてはならないし,基地廃絶に向けてわずかに残る命を役立てる以外にはない。そして,憲法9条を旗印にして,世界に向けて「不戦」を呼びかけ,「非暴力」こそが最大の「武器」であることを訴えていかなくてはならない。

 いま,それをしないで,いつ,可能なのか。気持ちばかりが焦ってくる。まずは,声を挙げていこう。できるところから。

2015年11月30日月曜日

「非暴力の牙」(クルギ)。ヒップホップで政権を倒す。「まつりごと」(祝祭・政治)の原点に立つ。

 アフリカ・セネガルのヒップホップ集団≪クルギ≫のライブ&国際シンポジウム「非暴力の牙」(11月23日・於東京外国語大学)に参加して,一皮剥ける経験をしました。

 
簡単に言ってしまえば,「ヒップホップ」は,いま流行りの単なる若者たちの文化であって,ラップをしたり,踊ったりするものだ,というわたしの浅はかな認識を根底からひっくり返される,そういう経験だった,ということです。少なくとも,この≪クルギ≫という集団は,そういうとてつもない破壊力をもったラッパーたちだったということです。

 もうひとこと付け加えておけば,かれらのヒップホップは,ときのセネガルの政権をひっくり返すだけの破壊力をもった,ひとつの思想・哲学の徹底した表現であった,ということです。そして,いまは,ヒップホップの「力」を借りて,「社会変革」や「市民による表現と政治」にコミットし,さらには,「経済成長の破局と生者の主権復活」をめざしつつ,世界平和に向けて大きなうねりをつくり出そうとしています。そして,それは着実に成功しつつあります。

 そのことの実態の一部が,23日のライブと国際シンポジウムをとおして,明らかになってきました。わたしはその場に立ち合えたことをとても幸せにおもいました。

 
ひとことで言ってしまえば,ヒップホップは広い意味での「芸能」であり,芸能とは「まつりごと」(祝祭と政治)の根幹をなすものだ,ということをいまさらのように再認識させられた,ということです。つまり,もう一度,「まつりごと」(「政」と「祭」)の原点に立ち返って,世の中の諸矛盾を洗い出してみる必要がある,ということです。ラップは,そのもっとも直截的な方法であり,親しみやすい身近な文化なのだ,と恥ずかしながら知りました。

 その意味で,東京外大での「国際シンポジウム」は衝撃的でした。
 話題の引きだし役に徹した西谷修さんの,ツボをはずさない,みごとなまでの誘導と,広く深い見識にもとづくコメントが光っていました。もちろん,冒頭で,この国際シンポジウム設定の趣旨を話された真島一郎さんの,コンパクトながらもセネガルという国の歴史とクルギの誕生と活動の背景についてのお話が,これまた鮮明な印象を与えるものでした。そして,総合的な司会・進行役を勤められた中山智香子さん。この3人の息の合ったチームワークがみごとでした。

 
シンポジウムでは,リーダーのチャットがひとりで問いかけに応答していましたが,その主な発言の要点は以下のとおりです。

 〇ヒップホップは,政治家のいうむつかしいことばを日常の生活用語に置き換えて,自分たちの日常語で異議申し立てをするものだ。
 〇抽象的なことばでやりとりをしていても,民衆の間に,自分たちの主張は理解され,広まってはいかない。
 〇歌とリズムは,自分たちの思いのたけを,からだをとおして伝えることのできる最大の<武器>である。
 〇わたしたちの最大のコンセプトは「非暴力」ということだ。これは最初から貫いている。
 〇なぜなら,「暴力」による和解はありえないということを経験的に知っているからだ。
 〇「暴力」は,あらたな「暴力」を生み,連鎖反応を起こすだけだ。
 〇空爆もミサイルも平和実現のための武器にはならない。
 〇「非暴力」こそが最大の武器だ。
 〇人のこころを開く,人のこころに響くことばを伝える,人を動かすリズムを刻む・・・それがヒップホップだ。
 〇ヒップホップこそが,わたしたちの武器なのだ。


相方のクーリファのひとことも印象に残りました。
 二人は幼なじみで,子どものころから仲良しだったと聞いていますが,そもそも二人でヒップホップ集団を結成しようとした動機はなにですか,という問いにたいして,つぎのように答えていました。

 わたしたちの家は100mも離れてはいません。チャットの母とわたしの母は同時に「身ごもり」ました。母親同士は毎日のようにおしゃべりをしていました。だから,わたしたちは母親のお腹のなかに,いながらにしておしゃべりに参加していました。ということは,生まれる前から二人はセットだったのです。

 この話は,緊張した話題がつづいていただけに,会場に笑いを呼び,なごやかな雰囲気を醸し出す上で大きな役割をはたしました。どうも,この二人は,チャットがまじめで直球勝負するのに対して,クーリファは,ちょっぴりひょうきんで,意表をつく発言をして,その場をなごませる役割をはたす,そんな関係にあるようです。

 チャットは酒を飲みません。理由は,酔っぱらいが嫌いだから。このあたりにもチャットの性格を読み解く鍵があるようです。

 
シンポジウムのあとでしみじみおもったことがあります。
 それは,「根をもつ」ということ。大地に足が触れているということ。生きる場を確保すること。ここに「生者の主権」があるのであって,「経済成長の破局」はその生者の主権を「根こそぎ」奪い取ってしまうことなのだ,と。「難民」とは,「生きる根」を奪われた人びとのことだ。

 なにか大きな課題をおみやげに頂戴した,そんなシンポジウムでした。

2015年11月29日日曜日

伏魔殿・日本相撲協会の「浄化」は可能か。八角親方に期待。

 北の湖理事長が急逝した。九州場所の13日目。11月20日。62歳。直腸癌が全身に転移し,多臓器不全。胴長短足のアンコ型の,重心の低い力士で,スピードもあって,強かった。勝っても負けても鬼のような顔は変わらず,「憎らしいほど強い」と話題になった。みていて,どうして勝てるのかわからないような勝ち方も多く,不思議な力士だった。どうやら,重心の低さが最大の武器だったのだろう。

 没後のメディアの評価は生前と比べて総じて高い。まあ,お悔やみ代といったところか。しかし,実際のところはどうなのだろうか,とわたしには疑念が残る。一段落したところで,これからいろいろの論評がでてくるとおもわれる。まずは,その行方を楽しみにしたいとおもう。

 やや性急かもしれないが,現段階で,わたしの感想を言っておけば,以下のとおりである。
 表と裏を使い分けて協会運営を切り盛りした,という印象が強く,けしていい評価は与えられない。なぜなら,伏魔殿と言われる日本相撲協会をますます伏魔殿にしてしまい,見えない陰の力をはびこらせてしまったのではないか,と訝られるからだ。

 その最たるものは,協会の理事選挙。年が明けた1月には,次期理事の選挙が行われる。もう,すでに,激烈な票のぶんどり合戦がはじまっているという。北の湖理事長の没後,すぐに,その動きがはじまったという。先頭を走っているのが九重親方。前回の理事選挙で,九重親方は,こともあろうに落選している。当選確実とみられていたのに,蓋を開けてみたら,身内の票が削り取られて,当て馬候補に流れていた。それを画策した人物がいたのだ。

 その人物こそ,裏金・顧問と呼ばれる陰の実力者で,しかも,北の湖理事長の「右腕」として辣腕をふるっていた,という。しかし,理事長亡きあとの裏金・顧問はどのように動くのか。こちらも,すでに,動きはじめているという。

 なにせ,伏魔殿の中でのことゆえ,漏れ伝わってくる情報もあまり当てにはならない。しかし,火のないところに煙は立たないともいう。なにがしかの事実がその裏には隠されていると言っていいだろう。そこからの推測によれば,以下のようになるようだ。

 九重親方理事落選の裏舞台はこういうことだ,という。裏金・顧問が日本相撲協会とパチンコ・メーカーとの契約を結び(全力士の肖像権契約。しかも,これは理事会の議決を経ていなかったという),そのとき「裏金・500万円」が二度にわたって手わたされた。その現場を撮影した動画がネット上に流れた。これは事実。このことを知った九重親方は北の湖理事長に,大急ぎで知らせ,善後策をとるべきだ,と迫った。つまり,裏金・顧問はもとより,理事長としてもなにがしかの責任をとるべきだ,と。しかし,どこでどうなったかは不明だが,結果的には,この動画を撮ってネット上に流したのは九重親方に違いない,ということになり,理事長側は顧問も含めて結束を固めた。そうして,九重親方を理事から追い落とす作戦にでた。そして,それがまんまと成功した,というわけだ。

 もし,九重親方に作為がなかったとすれば,これは怨み骨髄ということになる。だから,こんどの理事選挙こそ正当に勝ち取って(票は十分にある),この裏金・顧問の追い落としにかかる,そのための万全の体勢を整えつつある,という。そんなことになっては一大事の裏金・顧問は,すでに数年前から貴乃花親方にすり寄り,再度,九重親方落選に向けて根回しをはじめた,というのである。

 となると,こんどは貴乃花親方の力量が,ここで問われることになる。貴乃花親方が理事長をめざしていることは間違いないが,このタイミングで立候補するかどうか,問題だ。なぜなら,時期尚早というのが,一般的な見方だから。

 もう一つ,超えなければならないハードルがある。いま,北の湖理事長急逝にともない,急遽,理事長代行をつとめることになった八角親方(事業部長・協会のナンバー2)の評判がことのほかいいからだ。バランス感覚に優れ,協会全体のあり方を視野に入れ,是々非々の立場を貫いているという。そして,マスコミの受けもいい,という。もっとも貴乃花親方を支持する若手の親方も少なくないと聞いている。が,現段階での,八角親方に勝てるだけの数にはまだ足りないだろう,という。だとすれば,八角親方のあとを狙うのが順当なところだ。

 しかし,八角親方は,急場のこととて,理事長代行は引き受けたものの,かれ自身はこの段階で理事長になろうという野望はいだいていない,とわたしは推測している。なぜなら,八角親方(元・北勝海)は九重親方(元・千代の富士)の弟弟子に当たるから,兄弟子を差し置いて・・・とは,かれの性格からして許さないだろうとおもう。だとすると,どうなるのか。

 そこを狙って貴乃花親方を担ぎだそうというのが,裏金・顧問だ。いずれにしても,九重親方が理事に復活すれば,情勢は一気に変わってくるだろう。なんと言っても協会を背負うに十分な名横綱としての実績がある。その九重親方の存在を,八角親方が無視するとは,とても考えられない。

 いずれにしても,裏金・顧問が,これからも暗躍するような協会であってはならない。そのための「浄化」は不可欠だ。とはいえ,伏魔殿のこと,なにが起こることやら,だれも見通せないのがミソだ。でも,こういう情況だからこそ,八角親方が大勢の親方衆に押されて,理事長に就任し,協会「浄化」のために尽力してほしい,というのが正論だ。

 あの,立ち合いから迷わず相手の胸に頭からぶち当たって一直線に押し出す,北勝海の相撲のように。その意味で,八角親方には大いに期待したい。

2015年11月28日土曜日

前倒しTPP対策は,剥き出しの選挙運動そのもの。

 TPP問題に関して,政府はめちゃくちゃなことを始めている。しかも,よくよく考えてみると,みごとなまでの計算・打算がそこには働いている。恐るべし,アベ政権。こんなことまでやるのかと,もはやことばを失ってしまう。しかも,そのシナリオを新聞・テレビなどの大手メディアはみてみぬふりをしている。一蓮托生,日本丸沈没に向かってまっしぐら・・・・。

 いまの,わたしの眼にはそのようにみえて仕方がないのだが・・・・。
 その理由について,述べておこう。

 
11月26日(木)の東京新聞は,上の写真のような記事をかかげている。

 まずは,この記事のツカミの部分を引用しておこう。

 政府は25日,環太平洋連携協定(TPP)への対策をまとめ,「総合的なTPP 関連政策大綱」として発表した。中小企業の製品や農産品の輸出支援と,安価な農産品の流入で打撃が予想される農業関係者への影響緩和策が柱。農業の収益力を高めるための対策など,政府が対応を急ぐ政策は,年末に編成する2015年度補正予算案や16年度当初予算案に盛り込む。さらに対策を検討し,来年秋をめどに追加する。

 すでに,民主党からは「影響の試算もないのに補正予算を視野に入れた対策をまとめるのは(来夏の参院選に向けた)自民党の選挙対策だ」という批判が出ており,国会審議での対立は必至だ,と東京新聞は報じている。

 そのとおりで,政府自民党は,TPPを旗印にかかげ,さっさと選挙運動を始めている,としか思えない。それも,すべて「空手形」を切っているだけの,「みせかけ」であり,税金を使っての「金のばらまき」(買収=選挙違反)に一意専心しているだけの話だから,あきれてしまう。わたしがこのように考える根拠をいくつか挙げておこう。

 ひとつには,もし仮に,TPPの条約が締結されるとしても,まだ2,3年先のことになること。大筋合意と言っているのは日本だけ。まだまだ,これから詰めなくてはならない大問題が,どの国にも山積している。だから,大筋合意どころの話ではないのだ。それらが,かりにまとまったとしても,各国の議会の承認を得なくてはならない。とりわけ,アメリカの次期大統領候補は,いずれの党も「TPP反対」の意思を表明している。ほかの国も最終的には降りればいいと考えているところも少なくない,という。日本は,「アメリカ様」次第で,どちらにも転ぶ。つまり,TPPが成立するかどうかも,まったく定かではなく,むしろ,怪しいということだ。わたしの個人的な推測では,最終的に空中分解する,とおもっている。政府自民党もどちらでもいい,と考えているに違いない。だって,「アメリカ様」次第なのだから。

 ふたつには,TPP条約が成立する前に,国家が税金を用いてTPP対策を講ずることは禁止されているということ。もし,それをやった場合,外国企業の不利益が生じた場合には,あとで罰金を払わなくてはならないという「ISDS」条項があること。このことを政府自民党は百も承知の上で,完全に無視している。そして,さっさと予算化して,中小企業や農業への支援を現実化しようというのだ。要するに,来夏の参院選の票集めのための金のばらまき(買収行為)だ。要するに,選挙に勝ってしまえば,あとはTPPがどうなろうと構わない,というのが政府自民党のスタンスだ。

 
こんな「ISDS」条項を無視するようなことを,政府自民党が平気でやってしまう背景には,どうせ,TPPはつぶれる,という見通しに立っているからだとしか言いようがない。そして,選挙に勝つためには手段を選ばず・・・ということだ。議席だけ確保してしまえば,あとはこちらのもの,という発想だ。その点,TPPは,利用するにはまことに都合のいいツールなのだ。どうせ,つぶれてしまうのだから・・・・。

 
みっつには,臨時国会をスルーした最大の理由は,このTPP政策大綱をつくり,国会承認をとりつけるための準備をするためだったということ。憲法を無視してまでも,臨時国会の開催をスルーしたのはこのためだった。たとえ,このTPP政策大綱が,「焼き直し」や根拠を欠く目標であろうが,とにかく提示して,予算化してしまえばそれでいいのだ。国会での答弁は,戦争法案(安保法制)のときと同じように,同じことを何回も何回も繰り返し答弁して,時間を稼ぎながらごまかしてしまえばいい,と学習済みである。またもや,空疎な国会論議がはじまる。それでも,数の論理で押し切ってしまおう,というのだ。

 というような具合で,まだまだ,問題点を挙げていけばきりがないほどだ。

 要するに,過去の自民党政権が慎重に構えてきた危ない橋を,憲法を無視してまでも平気で渡ってしまおう,という戦後日本の最悪の政治が,またまた,アベ政権によって展開されようとしているのだ。このことをしっかりと胸に刻んで,これからの推移を見届けていくことが肝要だ。まあ,つぎからつぎへと,国民に「猫騙し」をかけて,一気呵成に押し切ってしまおうというのだ。自民党内部にも,相当に,反対論があると聞く。しかし,公言できないのは,小選挙区制での党公認を確保するためだという。小選挙区制が,ファシズムを生みだすツールになるとは・・・・。たかが制度,されで制度。制度,恐るべし。

 もはや,歯止めの効かなくなってしまった日本丸狂想曲はどこまで鳴り響いていこうとしているのだろうか。このまま放置しておくことは,われわれ国民の怠慢だ。立て,そして,声をあげよ。

 自由と民主主義を守るために。それは「今だ!」。

2015年11月27日金曜日

一票の格差・違憲状態判決。「合憲」とした裁判官2名=桜井龍子と池上政幸の名前を覚えておこう。



ご覧のとおり,11月26日(木)の東京新聞一面トップの記事です。「一票の格差」をめぐる最高裁の判決です。もう聞き飽きてしまうほど「違憲状態」という言葉が耳に残っています。そして,またもや「違憲状態」。最高裁判決としては連続して3回目となります。もう,いい加減にしてくれ,というのがわたしの本音です。

 この記事のツカミの部分は新聞から借用することにします。

 「一票の格差」が最大2・13倍だった昨年12月の衆院選は有権者の一票の価値が不平等で違憲だとして,二つの弁護士グループが選挙無効(やり直し)を求めた計17件の訴訟の上告審判決で,最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)は25日,「違憲状態」との判断を示した。選挙無効の請求は退けた。最高裁が衆院選を違憲状態と判断したのは,最大格差2・30倍だった2009年衆院選以降,3回連続。」

 きめのこまかな議論はここではできませんが,とりあえず,わたしが重視したい点だけをとりあげておきたいとおもいます。

 もっとも大きなポイントは,「2・13倍」の一票の格差を「合憲」だと判断した裁判官が2人もいた,という事実です。これまでの最高裁判決では「合憲」とした人はひとりもいませんでした。が,今回は「2人」もいた,ということはわたしには衝撃でした。「どうして?・・・・・」と。

 今回の最高裁で判断を下した裁判官は14人。その内,出身別にみてみますと,裁判官が6人,弁護士が4人,検察官が2人,そして,行政官と学者が各1人,の計14名。この中で「合憲」と判断した裁判官は,桜井龍子(行政官)と池上政幸(検察官)の2名。どうして,2倍以上もの格差がある選挙制度を「合憲」とするのか,その根拠がわかりません。

 同じひとりの人間を,一方は一人前とみなし,他方は半人前以下としかみなさない,こんな不合理が世の中で認められる道理はありません。これは,まぎれもなき「人権」の問題です。厳密に言えば「基本的人権」の侵害です。それを国家が国民に対して強要しているのですから,話になりません。

 それと対極にあるのが,「違憲」という判断をくだした3人の裁判官です。もっとも良心的で,常識に基づく判断だ,とわたしは受け止めています。こういう裁判官がもっと増えてきて,「違憲判決」を出すくらいにならないと,日本という国家はなし崩し的に沈没していってしまいます。少々,荒療治でもいい,選挙の無効を宣言し,選挙のやり直しを命ずるくらいの判決がほしいものです。

 
その点,「違憲状態」と判断した残りの9名の裁判官は「日和見主義者」としかいいようがありません。一見したところ,いかにも良識的であるかのようにみえますが,じつは,責任をとらない「無責任主義者」でしかありません。ここに,いまの日本国家に蔓延している病弊の根源がある,とわたしは考えています。司法がこんなことでは,どうにもなりません。やはり,厳正な法律のもとで,「是々非々」の立場を貫いてほしいものです。

 こんなことでは,政治家の思うつぼです。そして,国会の彌縫策がいつまでもつづく,国民を馬鹿にした政治を,司法が「公認」しているようなものです。この「悪」のスパイラルを断ち切ることこそ,最高裁判所の最大の義務ではないのか,と腹立たしくなってきます。これでは,せっかくの「三権分立」の制度が泣いています。

 こうなったら,もはや,国民が声を挙げる以外にはありません。どこも頼りにはなりません。「駄目」なものは「ダメ」と国民の側からはっきり主張しなくてはなりません。そして,選挙で,その意思を明確に反映させることです。政治家の意識を変革させるには,この手しかありません。

 憲法を勝手に解釈して,政治を行おうという政権がのさばっているのですから・・・・。この政権に天誅をくだす決意が国民には必要です。

 少なくとも「合憲」と判断した二人の裁判官には,つぎの選挙で,しっかりと「×」をつけることを忘れないようにしましょう。

2015年11月26日木曜日

「ふくらはぎは第二の心臓です」・李自力老師語録・その65。

 一般に,加齢とともに膝がしっかりと伸びなくなり,曲がったままの状態になっていく傾向があります。膝が曲がったままですと,功夫(ゴンブ)の姿勢のとき,後ろになった脚の膝が曲がってしまいます。すると,どうしても功夫の姿勢が不自然になってしまいます。つまり,安定した力強さが保てなくなってしまいます。ですから,準備運動で,しっかりと膝を伸ばす運動を多く取り入れることが重要ですよ,と李自力老師は強調されます。

 そう仰った上で,膝を伸ばすためのいろいろの方法を教えてくださいました。なかでも,ご自分が子どものころに,10㎏もの錘を使って,20分も30分も我慢して,膝をしっかり伸ばす運動をした経験談が印象的でした。膝がまっすぐに伸びるだけではなく,膝が内側に入り,脚が逆反りになるまでやった,というのですから大変なことです。まあ,李老師の場合には,プロになるための厳しい訓練をいくつも経て,こんにちにいたっているわけですので,身につまされました。

 そんなお話はともかくとして,高齢になってからでも,少しずつ膝を伸ばす運動をやれば,少なくともまっすぐに伸ばすことはできるようになるから,努力しなさい,というご指導が今日の稽古でありました。

 そして,脚は歩行運動の根幹を司っているわけですので,もっとも大事にしなくてはなりません,と。膝が曲がってしまうと,いわゆるお年寄りの歩き方になってしまうので,注意しましょう,と。

 そうして,李老師は以下のような興味深いお話をしてくださいました。要約しておきますと以下のとおりです。

 膝が曲がる原因は,ふくらはぎにあります。ふくらはぎが萎縮してしまい,十分に伸びなくなってしまうからです。ですから,ふくらはぎをしっかり伸ばすことが大事です。そのためには,ふくらはぎに十分な血液が流れるようにしなくてはなりません。そうしないと,痙攣が起きたり,足首からさきの土踏まずや指先にも痙攣が起きて,歩行が困難になってしまいます。その意味で,ふくらはぎは第二の心臓である,と中国では言われています。心臓が十分に働かなくなるということは,命にもかかわってきます。そのつもりで,しっかりとふくらはぎを伸ばす運動をやってください。

 胸にあるほんものの心臓と,ふくらはぎの第二の心臓とが協力することによって,よい姿勢の歩行運動が可能となる,というわけです。太極拳の基本は,歩行運動です。この歩行運動を支えているのはふくらはぎです。ですから,ふくらはぎを,柔らかくて,しなやかによく伸びる状態にしておくことが肝要だ,というわけです。

 なるほどと納得です。最初に「ふくらはぎは第二の心臓です」と聞いたときには,なんのことだろうかと訝りました。が,縷々,説明をお聞きしているうちに,なるほど,と納得しました。

 これからの稽古のときには,あるいは,それ以外のときにも,ふくらはぎを柔らかくする運動を工夫しながら加えていきたいと胸に刻みました。 

2015年11月25日水曜日

大相撲13日目。明暗を分けた日馬富士と白鵬の天下分け目の大一番。

 日馬富士の全身に気魄が漲り,立つ気満々で左手を下ろそうとして待っているのに,白鵬の手が下りない。戦略として,意図的に下ろさないのではない。気魄に圧倒されて,下ろせないのだ。この時点ですでに勝負はついていた。日馬富士は二度,立とうとした。が,白鵬は立てない。じれた日馬富士が右手で「待った」の合図をした。審判長から注意があったのか,日馬富士はそちらに向かって軽く会釈をした。だとしたら,それは間違いだ。審判長が注意すべきは白鵬の方だ。そして,白鵬が謝るべき場面だ。でも,このあたりは微妙だった。なぜなら,このときの審判長は伊勢ヶ浜親方だ。すなわち,日馬富士の親方だ。だから,分かっていたが,日馬富士の方に注意をした。これがまた,白鵬にはプレッシャーになったかもしれない。

 こんなこともあってか,二度目の立ち合いはお互いに呼吸を合わせてきれいに立った。日馬富士は鋭く立って,すぐに左に変わり得意の左上手をとりにでる。白鵬は前に泳いだが踏みとどまる。が,日馬富士に左から出し投げを打たれて体勢を崩す。向き直ったところに日馬富士が頭から真っ正面の白鵬の胸に向かって突っ込んでいく。白鵬は腰砕けの状態で仰向けに倒れた。決まり手は「押し倒し」。白鵬はなすすべもなく負けた。日馬富士の一方的な相撲だった。

 全勝できていた白鵬を一敗で追っていた日馬富士がみずからの力で待ったをかけた。これで一敗で横に並んだ。これで日馬富士にはますます気魄が漲ってくるだろうし,白鵬も負けじとばかりに頑張るだろう,とおもわれた。しかし,白鵬は14日目の照の富士戦で全力を使い果たして負けてしまった。右膝の悪い照の富士がよく頑張ったというべきだろう。照の富士は,もう,こうなったら気力だけで相撲をとっている。部屋の横綱・日馬富士が右肘の怪我で二場所休場しての再起の場所だ。休場している間,横綱がどれほど苦しみ,努力をつづけてきたか,照の富士はそばでみていたはずだ。

 しかも,稽古をしなければ強くはならないと照の富士に活を入れたのも日馬富士だ。そこで目覚めた照の富士は,猛然と稽古をはじめた。そして,あっという間に逸の城を追い越し,主役の座を奪い,大関にまで昇進した。さあ,これからだ,というときに右膝を痛めてしまった。今場所は手負いの場所だった。勝ち星もあがってはいない。しかし,白鵬にだけはどうしても勝ちたかった。そして,兄弟子の日馬富士の援護をしたかった。その気持ちが土俵に現れていた。そして,長い相撲を我慢し,疲労困憊の末に勝ち星をもぎとった。この勝ち星は大きい。こんごを占う上でも大きい。貴重な一勝を手にした。

 これで,14日目にして日馬富士が一敗で単独トップに立った。そして,千秋楽。日馬富士はこのところ圧倒的に有利な相撲を展開している稀勢の里が相手。勝てば,優勝決定。白鵬は鶴竜が相手。こちらも白鵬が得意としている。だから,日馬富士としては,みずからの勝利で優勝を手に入れること,そこに専念したはずだ。

 ところが「好事魔多し」という。なぜか,日馬富士の仕切り直しに迫力がない。勝てるという気持ちがどこかにあったか。淡々と仕切っている。それに引き換え,稀勢の里の目に力が漲っている。いつもよりも大きく目を見開き,相手をしっかりと見据えている。おやっ?と悪い予感が走る。案の定,日馬富士の立ち合いにいつもの鋭さがない。先手をとるための攻撃もない。だから,あっという間に稀勢の里の得意の左が入ってしまう。右肘の悪い日馬富士にとっては最悪の組み手。これでは勝負にならない。あっさり土俵を割ってしまった。

 これで,白鵬の逆転優勝の目がでてきた。いつものように鶴竜を裁いて,優勝決定戦に持ち込みたいところ。しかし,ここにも落とし穴が待っていた。鶴竜のいつもとは違う気魄に対して白鵬はいつもどおりの仕切り。この一番もまた,おやっ?という予感。いったい,どうしたのだろう,とテレビを見入る。ほとんど表情を変えない鶴竜だが,全身から発するオーラはいつもとは違う。案の定,こちらも鶴竜の一方的な相撲になってしまった。白鵬は,立ち合いから先手をとられ防戦一方,なすすべもなく負けてしまった。鶴竜の完勝である。これで,日馬富士の優勝が決まった。

 なんとも後味の悪い結末だった。もう少し,千秋楽らしい,すっきりとした面白いドラマが期待されていただけに残念だった。

 しかし,場所が終わってみると,今場所は13日目の日馬富士と白鵬の一番が強烈な印象となってのこっている。まさに,相撲の醍醐味が凝縮していたといっていいだろう。それも仕切り直しの間の両者の所作にすべてが表れていた。つまり,両者の気魄が仕切り直しのたびに,その差を広げていった。白鵬は仕切り直しのたびにそれを感じとっていたはずだ。だから,最後の仕切りでは「立てなかった」。

 これまでもそうだったが,日馬富士が絶好調のときには白鵬は一度も勝ったことがない。全部,日馬富士の相撲に翻弄され,必死で抵抗するのが精一杯だった。

 が,今場所の白鵬は,12日目に栃煌山を相手に「猫騙し」という奇襲戦法を用いた。その上,あっさり土俵を割った栃煌山の左胸を平手でポンと叩いた。あとで「愛の鞭」だと言ったそうだが,あれは余分だった。そういう所作が土俵上ででてしまうというところに,白鵬の勝負師としてのこころの隙を垣間見てしまった。この,わたしの見方は間違っているのだろうか。結果論とはいえ,それから三連敗。大横綱にしては解せない連敗記録だ。

 気力・体力ともに,いよいよ峠を越えたか,というのがわたしの正直な感想だ。来場所は,日馬富士の右肘はもっとよくなってくるだろう。照の富士の右膝もかなり回復してくるだろう。鶴竜も自信をつけ気持ちを引き締めてかかってくるだろう。となると,終盤の三日間に,この三人を倒すのは容易なことではない。もちろん,白鵬とて,こんなことでおめおめと引き下がるわけにはいかないだろう。もう一度,ギアを入れ直して,初場所に備えるに違いない。

 となると,初場所は,最後の三日間の星のつぶし合いで大いに盛り上がるのではないか。そこで,自分の相撲をとりきることができるのはだれなのか。心技体のバランスをうまく調整して,絶好調で初場所に臨むのはだれか。こうなってくると,初場所は,歴史に残る名勝負を期待できそうだ。勝っても負けても,感動を生みだす相撲を期待したい。大いに楽しみだ。

 来年は,日馬富士と照の富士が大活躍し,伊勢ヶ浜部屋時代の幕開けになるか,そんな期待も高まってきている。

2015年11月24日火曜日

ヒップホップ集団『クルギ』のチャットと握手してきました。人間として立派。

 世界的なヒップホップ集団「クルギ」が初来日。その初日の公演とシンポジウムが,昨日(11月23日),東京外大で行われました。ちょうど学園祭の最終日ということもあってか,大勢の人が集りました。野外ステージを目一杯動き回りながら,ラップを刻み,ときには笑わせ,ときには怒りの表現が迫力満点で繰り広げられ,会場は熱気につつまれました。

 リーダーのチャット(Thiat )が英語で語りかけていましたので,東京外大の学生さんたちはみごとに反応して,いい雰囲気が醸しだされました。立ち上がり,ちょっぴり不安そうでしたが,途中からは聴衆とも一体化し,後半からは乗りにのって,完全にかれらのペースとなりました。そのすさまじいまでのエネルギーがじかに伝わってくる迫力に圧倒されてしまいました。

 この公演は午後2時40分から行われましたが,そのあと,午後5時30分からかれらを囲むシンポジウムが開催されました。226教室(いつもシンポジウムを開催するときに用いられるかなり広い階段教室)は満席。しかも,すごい緊張感がみなぎっていて,遅れてきた人はドアを開けて,ちょっと覗いただけで,そのまま引き返すシーンも何回かありました。

 中山智香子さんの司会・進行ではじまりました。冒頭で,ヒップホップ集団を招聘する企画をリードした真島一郎さんが,この企画の趣旨について,そういうことだったのか,とこころから納得できるみごとなお話をなさいました。その要点だけを述べておきますと以下のとおりです。

 2011年3月11日(いわゆる「3・11」)の日本のできごとのあと,6月23日にセネガルの首都ダカールで「都市騒乱」(いわゆる「6・23ダカール騒動」)が起きました。この間,真島一郎さんはずっとセネガルに滞在していて,日本の情況・情報を海外から眺め,その一方でセネガルの「都市騒乱」を目の当たりにしていました。それは,ちょうど写し鏡のように両者がお互いを照らし合っているようにみえた,と真島さんは語ります。

 セネガルの鏡の中に日本がみえる。
 日本の鏡の中にセネガルがみえる。

 しかし,セネガルは「債務国」,日本は「ドナー国」。立場はま逆でありながら,両国ともに「非産油国」であること,「石油か核かの二者択一」という点では共通していて,そのもとでの経済発展をめざした両国は,その結果として人間の「命」の軽視へと歩を進め,ついに「破局」を迎えることになりました。

 しかも,両国の政権はともに憲法改正をかかげ,独裁体制を確立しようと試みました。が,セネガルでは,このヒップホップ集団「クルギ」が中心となって,ときの非民主主義的政権を,選挙によって倒し,新しい政権を誕生させました。それと同じような主張をもつ学生集団「SEALDs」が日本では誕生し,ことしの夏はその旋風が吹き荒れました。そして,いまも,全国にそのネットワークを広げ来年の参議院選挙に向けて活動をつづけています。

 この両者に共通しているコンセプトは「非暴力」です。この「非暴力」による民衆の「力」の喚起とはいかなるものなのか,「クルギ」の活動をとおしてその内実・実態を明らかにしたい,というのが今回のシンポジウムの趣旨です。というようなお話を真島さんがなさいました。もちろん,ことば足らずや余分なことも多少加えてありますが,それはわたしの責任です。お許しください。

 このあと,西谷修さんが代表質問をなさって,クルギのリーダー・チャットが応答するという展開でまことに充実した時間が流れました。なんといっても,質問者が西谷修さんである,ということがチャットの話を引き出す上できわめて効果的だった,とフロアーにいてそうおもいました。それは,じつに的確にツボを抑えた質問だったからです。しかも,ときには,みずからフランス語で語りかけて,質問の趣旨を補足説明したりしていましたので,チャットの応答もみごとにその「肝」に触れるものばかりでした。

 詳しいやりとりは割愛しますが,もっとも強烈に印象に残ったのは,チャットは「非暴力」というコンセプトについて,じつに深い思想・哲学的な思考を積み重ねてきている,ということでした。武器による「平和」はありえない,なぜならば・・・・という具合に,西谷さんとチャットの対話がみごとに展開していきました。これは,いま,凄い場面に立ち合っている,と鳥肌が立ちました。このシンポジウム(まだ,これを皮切りに仙台,沖縄とつづく)はいずれ,書籍となって刊行されることは間違いないとおもいますので,詳しいことはそちらに譲りたいとおもいます。

 
こうしたチャットと西谷さんとのキャッチボールのまにまに,西谷さんとチャットのこころが触れ合うような温かさも伝わってきて感動してしまいました。それは,ひとことで言ってしまえば「優しさ」でしょうか。人間としての,相手をいたわり会う「優しさ」「信頼」のようなものが,わたしにも熱く伝わってきました。これはすごいことだ,と感動しました。

 考えてみれば,中山智香子さんといい,真島一郎さんといい,そして,西谷修さんといい,もう全身全霊でヒップホップ集団「クルギ」を熱烈歓迎し,その優しさ・おもいやりのこころは,十二分に「クルギ」のメンバーたちには伝わっていたはずです。

 
そんな全体をつつみこむ「優しさ」の空気のようなものが,わたしのこころにも到達したのでしょう。すっかり感動してしまいました。その勢いをかって,シンポジウムが終わったあと,チャットに直撃。握手を求め,写真も一緒に撮らせてもらいました。もちろん,西谷さんに手助けしてもらってのことですが・・・。もっとも嬉しいことは,チャットと西谷さんとわたしのスリー・ショットが撮れたことです。この写真は大事にしたいとおもっています。

 
チャットには,下手な英語で,娘が沖縄で待っているからと伝えました。すると,話は聞いている,とても楽しみにしている,と返ってきました。このまま,沖縄まで追っかけをしたいところですが・・・・。そうもいきません。残念ながら・・・・。

 なお,このブログではいい足りないことが山ほどありますので,また,機会をみつけて書き足しをしてみたいとおもっています。乞う,ご期待。

2015年11月23日月曜日

重粒子線・陽子線治療(癌)という選択肢について。

 しばらく前のブログで,主治医から切除手術と抗ガン剤治療のふたつの治療法の提示があったことを書きました。すると,もう一つの選択肢があるが,そのことも検討してみてはどうか,という提案がありました。提案してくださったのは,むかしの教え子(ご主人がお医者さん)。

 選択肢は一つでも多い方がいい。そして,広い視野から検討した上で,最終的に自分の治療法を選択すべきだと考えましたので,早速,ご主人(N医師)に直接,お会いしてお話を伺うことにしました。場所は京都。これまでにも何回かお会いしたことがありますので,安心して,わたしのこれまでの経過と現状について,ありのままを報告させてもらいました。しっかりと耳を傾けてわたしの話を聞いた上で,あらかじめ用意してくださった印刷物を提示して,お話をしてくださいました。

 A4用紙に,「放射線治療」「重粒子線・陽子線治療」「ラジオ波治療」の3項目に分けて,それぞれの特徴,メリット,デメリットを,素人にもわかることばで解説がしてありました。いわゆる要点を整理したレジュメのようなものです。これを元にして,いろいろとお話をうかがうことができました。ありがたいことです。

 そこに書かれていたことの要点は,以下のとおりです。
 〔放射線治療〕・・・高エネルギーのX線をあてて,病変を治療。局所治療なので,全身への影響は少ない。が,一度照射した部位には再度(一定量以上)照射することはできない。治療法が確立されている。病変の種類により効果が違う。患部周辺に障害の可能性あり。被ばくあり。
 〔重粒子線・陽子線治療〕・・・炭素原子や陽子を使用し患部を照射する。放射線治療にくらべて副作用が一般に少ない。保険適用ではないので,かなりの高額の費用がかかる。治療施設が限定。被ばくあり。
 〔ラジオ波治療〕・・・AMラジオなどの周波数に近い周波数約450キロヘルツの高周波のことで,他の医療機器(電気メスなど)に使用される高周波と同じものを使用。身体に対するダメージが少ない。適用範囲が限定される。被ばくなし。

 これらの情報を元にいろいろのお話を聞かせていただきました。なるほど医療の最先端は日進月歩で,つぎつぎに新しい治療法が開発されているのだ,ということがよくわかりました。

 帰りの新幹線の中で,いろいろと思いをめぐらせながら,さて,どうしたものかと沈思黙考。問題は,わたしの癌がどういう性質のものであるのかを見極めることだ,という点に到達。が,こればかりは推測はできても断定はできない,そういう種類のものだ,ということも思考の中に入れて,さらにその先を考える以外にはありません。

 そのポイントは,これまでの経過をみるかぎりでは,初発が胃癌,転移が肝臓,そして,肝臓にもう一度,という具合に「一点」ものであるということです。つまり,転移が同時多発的に拡散するのではなく,一点ずつ発症しているということです。ということは,ダルマ叩きではないですが,一つ叩くと,つぎにまた別のところからダルマが顔を出す,というそういう種類のものらしいと考えることができそうです。

 だとしたら,一つずつ,しかるべき治療法を用いて対応していけばいいのか,あるいは,もう少し別の視点からの治療を考えた方がいいのか,判断がむつかしいところです。

 もう一点は,わたしの癌の場合は,どうやら速いスピードで病変する種類のものではなさそうだ,ということです。どうやら,ゆっくりとやってくる癌であるようにおもわれることです。だとしたら,のんびりとやってくる病変のスピードに合わせて付き合うという方法もありかな,と考えたりします。つまり,QOL(Quolity of Life )。

 まあ,いずれにしても,もう一つの選択肢が加わったことによって,わたしの思考の幅が広がりました。これらを含めて,もう,しばらく,じっくりと考えてみようとおもいます。

 N医師には,ご多忙のなか,わたしのために時間を割いてくださり,幾重にも感謝する以外にありません。ありがたいことです。少なくとも,精神的には,以前よりは安心して,冷静に考えることができるようになりました。これだけでもありがたいことでした。いずれまた,困ったときには相談に行きたくなるようなお人柄のN医師との距離が縮まったことがありがたいことです。

 こうして,多くの方々が心配してくださっていることを,なによりも感謝しなくてはいけないとみずからに言い聞かせている今日このごろです。これも「大きな流れ」のなかでのできごとと受け止め,おおらかな気持ちで,最終的な決断をしようとおもっています。

 とりあえず,直近のご報告まで。

2015年11月21日土曜日

末期癌を生きる。そのからだとこころ。

 2014年2月に初発の癌がみつかり(胃癌),切除手術。つづいて2015年7月に肝臓への転移がみつかり,切除手術。最初のときが,すでにステージ3のCという診断。転移した段階で,ステージ4に突入。すなわち,末期癌患者の宣告を受けました。短期間の間に二度もの大手術を受け,からだもこころもボロボロ。このダメージは筆舌に尽くしがたいものでした。

 いま,ようやく回復期に入って,さあ,これからという段階でまたまた肝臓の別のところに転移がみつかり(10月),さて,これをどうするかと思案中。主治医(外科)も,さすがに三度目の手術には慎重になり,いくつもの治療法の選択肢を提示してくれました。が,最後はご自分で決めてください,とのこと。

 それを受けて,いま,いろいろの人に相談したり,本を読みまくったり,と慌ただしい生活を送っています。この間にも,わたしのからだとこころは微妙に変化しています。揺れ動くからだとこころ,と言えばいいでしょうか。でも,その割には,自分で言うのも変ですが,意外に本人はケロリとしています。ここにきて,腹が決まりはじめているようです。

 基本的には,大きな流れに身を委ねる,という心境です。いまさら,じたばたしたところでどうなるわけでもありません。いま,肝臓の末端に転移した癌が,これからどのような動き方をするかはだれにもわからないのですから。ここはじっくりと自己と向き合い,そのからだとこころの声に耳を傾けながら,それなりの結論を導き出してみようとおもっています。

 まあ,それにしても1年5カ月の間に二度の手術を受けますと,人間,すっかり様変わりをしてしまうものです。いまや,まるで別人です。外見は,少し痩せたね,と言われる程度ですが,内面はまるで別世界を生きているというのが,わたしの正直な実感です。

 まずは,からだ。癌の宣告を受ける前までは,病気とはまるで縁のない,健康そのものの生活を送っていましたので,記憶に残るような病人のからだというものを経験したことがありませんでした。いまは,そのま逆のからだを生きているのですから,不思議な体験の連続です。たとえば,全身のいろいろの部位から日替わりメニューのように,いろいろのサインが送られてきます。それをどのように読解したらいいのかわかりません。仕方がないので,サインが出てくる元の原因を考え,それに対応するのが精一杯。

 いま,一番多いサインは,胃腸と背中。胃腸は食事をすると,必ず,なんらかのサインを発してきます。まずは,心地よいか,違和感があるか,を知らせてくれます。違和感がある場合には,その原因をあれこれ推測しながら考えます。そして,思い当たることがあればそれに対応して,つぎからはそうならないように気をつけるようにします。それらはじつに微妙なサインも含めると数えきれないほどです。背中にいたっては,まさに日替わりメニューのように痛む場所が転々と移動します。これはいったいなにごとだろうか,と最初は考えあぐねました。が,最近は,だいぶベテランになってきましたので,このサインはこれこれ,こんどのサインはこれだな,という具合にある程度は判断できるようになってきました。こうして毎日,四六時中,からだと会話を交わしていると言っても過言ではありません。

 つきは,こころ。癌については以前から関心がありましたので,かなりの本を読んでいました。たとえば,帯津良一さんの本はほとんど読んでいました。つづいて,近藤誠さんの本もセンセーショナルな内容でしたが,言っていることの根本はよくわかりました。ですから,最初の癌の宣告を受けたときには,手術を受けるべきかどうか相当に考えました。が,それほど動ずることはありませんでした。ただ,「来たか」という驚きはありました。もっとさきにあるとおもっていたものが,手のとどくところにきてしまったか,という一種の感慨のようなものでした。

 それからも癌の本は集中して,かなり読みました。しかし,癌というものの全体像はかなり明確になってきましたが,わたしの「こころ」の問題に応答してくれる本は,あってもほとんどピントがづれていて,役立たずでした。むしろ,いま,そうだったのか,と気づいて再読をはじめているのは『般若心経』であり,道元さんの『正法眼蔵』であり,『修証義』であり,はたまた西田幾多郎の本です。そこに,なんとフリードリッヒ・ウィルヘルム・ニーチェやマルチン・ハイデガーやジョルジュ・バタイユが加わり,一気にジャン=ピエール・デュピュイやジャン=ピエール・ルジャンドルへと連鎖してきています。そして,この人たちにはある共通点があることもわかってきました。ひとことで言ってしまえば,それは「ドグマ」。あるいは,「人間的生存の基底」。はたまた「演出」。つまりは,ルジャンドルの世界に回帰してくるというわけです。

 そして,つまるところ,こころの拠り所というものは自分で決めるしかない,ということ。それが正しいとか,間違っているとかは問題ではなく,いま,このとき,このところにおいて,わたしは「かく考え,そこに信をおく」ということ。すなわち,わたし自身がこころの底から納得するかどうか,ただそれだけ。古いことばを使えば,それは「信心」。いな,これこそが宗教の核心。「信ずる」ということが,どれほど大きな意味を持っているかということが,ようやくわかってきたようにおもいます。

 でも,まだまだ,どのように変化していくかはわかりません。道元さんのことばを借りれば「修証一等」です。つまり,死ぬまで悟りと修行の連続ですから。

 ここまで書いてきて,ふと,脳裏をよぎるのは,やはり『修証義』の第一節です。これもまた道元さんの名文の一つです。

 「生を明らめ,死を明らむるは仏家一大事の因縁なり,生死の中に仏あれば生死なし,但生死即ち涅槃と心得て,生死として厭うべきもなく,涅槃として欣うべきもなし,是時初めて生死を離るる分あり,唯一大事因縁と究尽すべし」。

 「生死を離るる分あり」ということばが,不思議な響きとともにこころにすとんと落ちてきます。よし,これで行こう,と。

2015年11月20日金曜日

『こんなことを書いてきた』──スポーツメディアの現場から(落合博著)を読む。

 一度,取材を受けたあとお付き合いがはじまった毎日新聞・運動部記者・論説委員の落合博さんから近著が送られてきました。『こんなことを書いてきた』──スポーツメディアの現場から(創文企画,2015年10月刊)。

 タイトルから推測できますように,落合さんが運動部記者として毎日新聞のコラム「発信箱」に書きつづけてきたエッセイ(2006年4月~2015年7月)を中心に,関連する文章を集めて一冊にまとめた本です。文字どおり「スポーツメディアの現場から」生まれた落合ワールドが満載です。ひとことで言ってしまえば,落合さんのスポーツ観がそのまま表出した,いかにも落合さんらしいスポーツ批評となっています。

 わたしのようなスポーツの現場とはやや距離をおきながら,一定の思想・哲学を背景にしてスポーツ文化論を展開してきた者にとっては,貴重な現場からの思考がみごとに結晶していて,とても勉強になりました。同時に,スポーツメディアの「力」の凄さをいまさらのように感じました。やはり,現場で取材を重ね,生の声を聞き取りながら思考を重ね,そこから生まれてくるひとつの到達点は,迫力満点です。

 もちろん,落合さんの博識に裏打ちされた達意の文章があってのものであることは間違いありません。じつに広い読書量が,抑制された短い文章のはしばしにちらりと表れ,それをテコにしてスポーツ文化の普遍に触手が伸びている,それが読んでいて心地よいかぎりです。加えて,落合さん自身がスポーツマンであること,そして,こよなくスポーツを愛していらっしゃる人であること,そういうスポーツに向き合う姿勢・愛情が文章に人としての温かさが注入されています。ですから,ついつい惹きつけられ,気がつくと心地よく落合ワールドにどっぷりとはまり込んでいます。

 のみならず,現代のスポーツ(ここでは広義のスポーツ,つまり,競技スポーツから学校スポーツ,趣味のスポーツにいたるまで,あらゆるスポーツ文化が対象)を考える上での貴重なヒントをいくつも提供してくれます。まさに,スポーツメディアの「力」だとおもいます。ですから,現場から遠いところにいる研究者はもとより,スポーツ学・体育学を学ぶ学生さんたちにも,是非,読んでもらいたい一冊だとおもいます。

 とりわけ,講義のネタの宝庫。講義の冒頭のまくらとして,問題の所在を明確にするには最適の教材になります。あるいは,大学院生を対象にしたゼミナールなどでのディスカッションのテーマを設定するには,こんなに面白いテクストはないでしょう。わたしが現役であったなら,この本一冊で,一年間,存分に授業を楽しむことになったでしょう。

 落合さんは,中学・高校とサッカーに熱中し,大学(東京外大)ではラグビーに身を投じています。おそらく足の早いスクラムハーフとして活躍されたのではないか,とこれはわたしの勝手な想像です。いずれにしても,熱血ラガーマンのイメージが彷彿としてきます。しかも,いまもランニングを日常的に楽しんでいらっしゃるとのこと,これにはこころから敬意を表したいとおもいます。こういう人こそが新聞のスポーツ記事を書くに値する人だとわたしは信じています。

 本書の内容について触れるだけのスペースが,残念ながらありませんので,ここでは本書の構成をとおしてみえてくる落合さんのスタンスを紹介するにとどめたいとおもいます。

 本書は8本の柱で編集されています。それは以下のとおりです。
 1.未来のために
 2.過酷な文化
 3.「主食」の悲劇
 4.仕組みを考える
 5.共に生きる
 6.疑義をはさむ
 7.変わるもの 変わらぬもの
 8.生きるということ

 以上が全8章の見出しです。これをじっと眺めているだけで,落合さんのスポーツに取り組むスタンスが透けてみえてきます。それは,どこまでも「人間中心」です。実際に現代社会を生きている人間(子どもも大人もふくめて)にとって「スポーツとはなにか」という根源的な問いが落合さんの思考の根っこにある,といっていいでしょう。そのことは読んでみれば,なおさら明白です。ですから,薄っぺらなスポーツ評論ではなく,魂の入ったスポーツ批評になっています。

 ほかのなによりも,この点を力説しておきたいとおもいます。

 各論に入りますと,これはもうエンドレスになってしまいます。わたしの考えとぴったり一致する点もあれば,微妙にスレ違っていく点も少なくありません。それは,たぶん,現場で磨き上げられたスタンスと,思想・哲学との接点を重視しながらスポーツ再考を試みるわたしのスタンスの違いであろうかとおもいます。ですから,一度,とことん深入りして議論をしてみたいなぁ,といまから楽しみにしているところです。

 鷺沼の事務所は,午後5時を過ぎると「延命庵」という居酒屋になりますので,ぜひ,そこで一献傾けながら語り合いたいとおもっています。落合さんの趣味の一つが「居酒屋探訪」ということですので,これは容易に成立することでしょう。

 落合さん,是非一度,お待ちしています。

「睨みすぎないように」。李自力老師語録・その64。

 久しぶりに劉志さんがわたしたちの稽古にきてくださいました。劉志さんは,李自力老師に子どものころから指導を受けた愛弟子のひとり。ずーっとこんにちまで李老師の背中を追って日本にまでやってきて,李老師と同じように博士論文を書きました。まあ,一心同体のような人。

 今日は一緒にやってくださるかな,と期待しましたが,じっと黙って座ったままでした。ので,こちらから,いろいろ問いかけることになりました。すると,いくつもの,いい応答をしてくださいました。そのうちの一部を以下に紹介しておきたいとおもいます。

 一つは,わたしの目の使い方について。全体的に「睨みすぎ」だ,と注意を受けました。気持ちが入っていることは悪いことではないけれども,あまりに「睨み」が強すぎるのはよくない,と。理由はふたつ。ひとつには,睨みが強すぎると,からだ全体にも力みがでてきてしまうこと。からだの力みを抜くためにも,睨まないようにこころがけた方がいい,とのことでした。ふたつには,太極拳は陰と陽のふたつの相反するものの和合が理想である,ということ。つまり,陰が強すぎてもいけない,逆に陽が目立ってもいけない,どちらの要素もほどほどに表出するように表演するのが理想である,と。

 別の言い方をすれば,睨んでいるようでいて睨んではいない,睨んでいないようでいて睨んでいるいる,ということです。つまり,中庸ということ。

 わたし自身は,目を剥いて睨んでいるという自覚はまったくありませんでしたので,いささか驚きました。そういえば,稽古をはじめたばかりのころに李老師から,目線は自然体で,と注意を受けた記憶があります。しかし,そのころは,まだ,その注意がなにを意味しているのか理解できませんでした。ですから,自然体,自然体,と自分に言い聞かせてきたつもりです。しかし,いつのまにか,かなりしっかりと睨んでいるようです。

 言われてみれば,なるほど,技が決まるときの姿勢になると,ぐっと目に気持ちが入っていくのが自覚できました。ああ,これか,とわかりました。でも,自分としては,そんなに睨んでいるとは夢にもおもっていませんでした。が,瞬間,瞬間には相当に睨んでいるなぁ,ということもわかってきました。でも,すでに習慣化していますので,これを修正するのはかなりむつかしいことだなぁ,とあらためて考えてしまいます。少しずつ,こころがけて直すようにしたいとおもいます。

 劉志さんの仰るには,目線は大事です,しかし,睨む必要はありません,と。むしろ,不要です,と。なぜなら,太極拳は武術ですから,それとなく自分の身のまわりに満遍なく注意を払うことが重要です。一点に注意が集中することは,かえって,それ以外のところに注意がまわらなくなってしまいます。つまり,相手に隙を与えることになってしまいます。

 ですから,睨むのではなくて,それとなく意識をそこに向けるだけでいい,というのです。意識をそこに向けつつ,同時に,ほかのところにも意識を向けていくことが肝要だ,というわけです。

 そして,陰陽の教えは,このことをも意味しているのだ,というわけです。太極拳の技が決まるときのポーズは明らかに相手を意識しています。が,同時に,その決まりのポーズに入るときにも,それ以外のまわりの状態に意識をめぐらすことが大事です。言ってしまえば,一点と全体,この両者を同時に満たすこと,意識をそのように向けていくこと,これが「集中」ということの内実なのだ,ということになりそうです。

 この点については,もう少し稽古を重ねて,自分でもある程度わかってきてから,李老師に問い糺してみたいとおもいます。

 劉志さんは,準備運動についてもいくつか重要な指摘をしてくださいました。それは,たとえば,わたしの足首の固さを補正しつつ,股関節を柔らかくするための運動です。わたしは,両足を揃えたまま膝を曲げ,お尻を下ろしていくと,うしろに倒れてしまいます。ですから,両足を肩幅ほど開いて膝を曲げ,お尻を下ろしていけば,かなり下まで下ろすことができます。が,そのことを劉志さんに聞いてみました。

 すると,劉志さんは,肩幅よりも少しだけ広めに両足を開いて立ち,しゃがみ込みながら,両手でなにかにつかまっていると,楽に,力が抜けた状態で,しかも,深く股関節を緩めることができる,と言って示範してくださいました。早速,やってみますと,なるほど,股関節の力みが抜けた状態で,さらに深く股関節の限界まで動かすことができる,とわかりました。これは,とても重要なひとつの収穫でした。

 この他にも,ちょっとした工夫で,肩関節の固さを補正する運動もいろいろあることを教えてくださいました。なるほど,いつもの決まった運動だけを繰り返すのではなくて,もっと自分に合った運動を,創意工夫すべきだ,ということを教えていただきました。

 こんなことは初歩の初歩なのに,準備運動も整理運動もいつのまにかマンネリ化してしまい,いつもの運動を繰り返しているだけになっていました。もっと,その日,その時のからだの状態を考えながら,自分に合った方法を工夫することが大事だと,いまさらながら,知りました。

 今回は,劉志さんに感謝です。
 ありがとうございました。そして,また,遊びにいらしてください。
 両手を広げて熱烈歓迎です。