2015年1月12日月曜日

友あり,イタリア・モデナより来れり。ミケーラ・ファミリー。

 ご縁というものは不思議なものです。ほんのちょっとしたことがきっかけで,友情が生まれ,細々ながらいつまでもつづくことがあります。そんなひとりが,イタリア・モデナに住むミケーラとそのファミリー。

 もともとは,わたしの娘がミケーラさんと友だちになったことがはじまりでした。もう,20年も前のことになるでしょうか。娘が鹿児島から沖縄に渡るフェリーの上でミケーラさんと出会い,長い時間をともにおしゃべりしながら過ごし,意気投合したたことがきっかけでした。もちろん,ミケーラさんが沖縄滞在中も交友を深めたようです。その当時は,ミケーラさんはヴェネチア大学の日本語・日本文化を専攻する学生さんでした。ですから,すでに日本語は不自由なく話すことができました。

 彼女の卒論のテーマが「日本文学と戦争」。そのためのフィールド・ワークを兼ねて,その後もたびたび日本にやってきました。そのたびにお会いして,彼女のためにできることは喜んで引き受けました。そのせいか,とてもいい卒論が書けたと喜んでくれました。卒業後は,日本語を活かすことのできる会社に勤務(翻訳?)。

 というような調子で,この20年間のことを書き出すと,際限がなくなってしまいますので,割愛。

 そんなミケーラから,突然のメール。いま,日本に到着。両親と一緒。これから箱根,京都,広島をまわって1月10日に東京にもどってくるので,午後3時に新宿で会いたい。東京都庁の展望室からの眺望を両親に見せたいので,と。

 ということで,都庁で待ち合わせ。わたしたちがミケーラの住むイタリアのモデナを訪ねたのは,もう12年も前のこと。ご両親とはそれ以来の再会。お父さんの年齢はわたしと同じ。元警察官。眼光鋭い,一見したところ強面。でも,笑うと可愛い。その落差が魅力。ただし,彼はイタリア語しかしゃべらない。ですから,ほんど会話らしい会話は成立しません。

 今回も同じ。イタリア式挨拶(ほっぺを右,左と合わせる)をしたら,すぐに,わたしのほっぺを軽くつねってくる。これがかれの親愛の情の表現法。わたしも返礼に,両手でほっぺを挟んでスリスリ。それだけで,爆笑。しかも,その間,かれはなにかしきりにしゃべっています(イタリア語で)。わたしも負けずにしゃべる(日本語で)。それでなんとなく意思疎通ができたような気分。ミケーラに聞いてみたら,二人とも同じことを言い合っていた,と。そこで,また,大爆笑。

 展望室に上がってからも,かれはイタリア語,わたしは日本語で。「こちらの方向が成田空港」と指さすと「オー,ナリータ」とかれ。ちゃんとわかっている。こんどはかれが指さして「フジサン」と大喜び。そして,なにやら言っている。「シンカンセン」ということばが聞き取れたので,たぶん「新幹線からも見えたよ。大きくて綺麗だったよ。空(ここは身振りで判断)も晴れ渡っていて素晴らしかったよ」というようなことを言っていたのだと思います。こんな珍問答をしながら展望室からの眺望を楽しみました。

 ミケーラがその様子をみていて,「マサヒロはイタリア語がわかっている」「パパも日本語がわかっている」と冷やかされてしまいました。すると,元警察官は太い腕を差し出してきて握手。これがまたけたたましいほどの握力。そして,「俺たちは語学の天才だっ」と言って(そう聞こえた),大きな声で高笑い。不思議なもので,こんなやりとりで,なんとなく会話が成立してしまうのです。伝わってくるのは,かれの気持。思いやり。やさしさ。かえって,ことばだけで理解するよりも,伝わってくる情報量はこの方が多いかもしれません。

久しぶりにわけのわからない異次元の会話を楽しむことができました。
こんどは,お前たちがイタリアに来い,待ってるよ。とこれがお別れのときの最後のことば。さて,いつイタリアに行くことができるだろうか,と心細いかぎり。でも,負けずに「必ず行くから・・・」と約束。たぶん,かれと会うのはこれが最後。

 ミケーラは,この夏に,ボーイフレンドとやってくるという。こんどは北海道に行くとのこと。沖縄にも行ったら,とわたし。そうすれば,われわれも沖縄に行くから,と。ちょっと考えるそぶりをして,「かれと相談してみる」との返事。かれの名はマルコ。音楽家。なかなかいい男。こんどは夏が楽しみ。

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