2015年1月4日日曜日

吉永小百合・戦後70年平和への祈り(NHKアーカイブス)に感動。

 NHKのニュース番組や時事問題をとりあげた番組には腹の立つことばかりですが,それ以外の番組の中にはなかなかいいものが,若干ながら生き残っているようです。数少ないNHKの良識派が頑張っているからでしょうか。それとも「アーカイブス」としてなら大目にみてやろう,とどこぞの政党が許可を与えているからでしょうか。

 そんな番組の一つに今日(4日),たまたま遅い昼食をしながら出会いました。午後1時05分からはじまった「NHKアーカイブス 吉永小百合・戦後70年平和への祈り▽原爆詩の朗読で伝え続けてきた思い▽次の世代へのバトン」です。

 吉永小百合の原爆詩の朗読の迫力(情感のこもり方)に,思わず食べていたうどんの箸が止まり,気づいたら涙が流れていました。うどんを半分ほど残したまま,テレビを食い入るように魅入っていました。ティッシュに手を伸ばしながら・・・。

 吉永小百合さんの平和への希求の強さ,粘り強さ,祈りの心,伝えたいという気持,わたしのできることを少しでもやりたいという強い意思,女優として生きるよりもひとりの人間として生きるという覚悟・・・・,いろいろのものが伝わってきました。

 わたしは戦争を知らないけれど,その悲惨さを体験し,それを詩として書き残してくれた先人たちから学び,それを朗読することによって,そのほんの一部でもいいから伝えていくこと,そして,平和の大切さをひとりでも多くの人に共有してもらえるようにすること,これがわたしの願いです,と吉永小百合さんは静かに語ります。その語りを聞きながら,世代的に可愛い子役のころから吉永小百合さんを知っているわたしとしては,立派な人になったなぁ,と感動することしきりでした。

 女優,歌手として功なり名をとげ,芸能界に磐石の地位を確立した人なのに,それに満足することなく,ひとりの人間としての生き方を探求する姿に,わたしは大いなる敬意を表したいと思います。言ってみれば,ひとつの哲学をもって生きている人,そういう人が少なくなってしまったいまの世の中にあって,じつに立派だ,と。

 その代わりに,こういう確たる思想・哲学をもった芸能人は,いまのテレビ界からは毛嫌いされています。吉永小百合さん以外にも立派な芸能人は少なからずいます。そういう人はみんなテレビから排除されてしまっていますので,あまり気づかないかもしれません。しかし,メジャーなメディアが無視するマイナーな場で,いまも,着実に,地味に,粘り強く,しかも息長く活動をつづけています。そういう人たちが,遠からず脚光を浴びる時代がかならずくる,とわたしは信じています。いな,こなければおかしいと思っています。

 吉永小百合さんの詩の朗読は,ヒロシマ,ナガサキにはじまって,オキナワへと広がり,最近では,フクシマへと連鎖しながら,ますますその活動の場は広がりをみせています。この吉永小百合さんの詩の朗読がCDになって販売されているとのこと。第一楽章がヒロシマ,ナガサキの詩篇,第二楽章がオキナワの詩篇,そして,いま,第三楽章となるフクシマの詩篇の制作に入っているとのこと。わたしも購入して,静かに耳を傾けてみたいと思っています。生きるということの確たる「根」をもつためにも・・・。

 考えてみれば,ヒロシマ・ナガサキの詩の本も,オキナワの悲劇をうたった詩の本も,そして,フクシマの詩の本も,いわゆる大手の出版社からはほとんど出ていません。これもまた奇怪しなことです。こんなところにも,世の中の狂い方がみてとれます。2015年こそ,戦後70年のメモリアルとして,そういう本が刊行されることを期待したいと思います。

 それにしても,政権党によるメディア統制がますます厳しさを増すなかにあって,2015年1月4日午後1時05分からほぼ2時間にわたって「NHKアーカイブス 吉永小百合・戦後70年平和への祈り」が放映されたことは,ある意味で「快挙」です。「戦後70年」という節目の年だからこそ,NHKは目覚めてほしい。あるいは,良識派が頑張ってほしい。そんな希望のきざしを,今日のこの番組をみて感じました。

 いまの政権党は,言論の自由まで奪い取り,自分たちの都合のいい情報だけを「正義」だとする,かつてのナチスと同じ手法を用いるようになってしまいました。が,これこそが自爆行為・自殺行為にも等しいものです。こんなことが,いまの世の中にあって,いつまでもつづくはずもありません。もう,すでに余命いくばくもないところにきていると言っていいと思います。みずから打ち上げた花火のその後の展開が手詰まりとなり,もはやどん詰まりにきています。あとは,国民がどの段階で「騙された」と気づくかだけです。嘘で固められた政策はかならず破綻をきたす,きたさない方が奇怪しいのです。

 いささか勢いあまってしまいましたが,思想・哲学をもつひとりの人間として生きていらっしゃる吉永小百合さんに拍手,ということでこのブログを閉じておきたいと思います。

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