2015年2月6日金曜日

「人身(にんしん)得(う)ること難(がた)し」。『修証義』第2節。

 昨年の魔の2月からちょうど一年。いろいろのことを考えました。そろそろ年貢の納め時がきたか,という覚悟まで,あれやこれや・・・・。そんなときにふと口をついてでてくるのは『般若心経』でした。そして,『修証義』の断片的なことばでした。坊主の遺伝子がこんなところで表出してくるのか,とわれながら驚きました。

 たとえば,「人身得ること難し」。『修証義』第2節の冒頭の書き出しです。このたった一行の文章が,元気だったころとはまったく違う意味内容となって,わたしに問いかけてきます。重く,ずっしりと。この世に生まれ出ずることの困難を説いただけの文言ですが,ただ,それだけではないいろいろの意味を帯びてわたしのこころに響いてきます。この世に生を受けること自体が大事業であるにもかかわらず,他の動物や植物としての生ではなく,人のからだで生まれることの奇遇・・・。まさに「人身得ること難し」としみじみおもいました。

 まずは,第2節の全文を引いておきましょう。

 人身(にんしん)得(う)ること難(がた)し,仏法(ぶっぽう)〇(お)うこと希(まれ)なり,今(いま)我等(われら)宿善(しゅくぜん)の助(たす)くるに依(よ)りて已(すで)に受(う)け難(がた)き人身(にんしん)を受(う)けたるのみに非(あら)ず遇(あ)い難(がた)き仏法(ぶっぽう)に〇(あ)い奉(たてまつ)れり,生死(しょうじ)の中(なか)の善生(ぜんしょう),最勝(さいしょう)の生(しょう)なるべし,最勝(さいしょう)の善身(ぜんしん)を徒(いたず)らにして露命(ろめい)を無常(むじょう)の風(かぜ)に任(まか)すること勿(なか)れ。

 
初めに少しだけお断りをさせていただきます。『修証義』に関する解説本はたくさんあります。それらの解説本をくらべてみますと,『修証義』のなかにでてくる漢字のふりがなやおくりがなが微妙に違っています。どの本を底本にしようかと考えましたが,ここはやはり宗門が発行した『昭和訂補・曹洞宗日課経大全』(昭和15年初版,平成10年重版)に収められている『修証義』を原本として引用させていただくことにしました。それが上に挙げた写真です。漢字も,厳密にいいますと,わたしのワープロ・ソフトにはない漢字もあります。仕方がないので「〇」という符合を当てています。その〇がどの文字であるかは,写真でご確認ください。そのために,この写真を乗せることにしました。お許しのほどを。

 弁解がましいことばかり書いてしまいました。が,さて,この第二節をどのように解釈し,受け止めるか。ここが問題です。経文はむつかしいと一般的には思い込まれていますが,じつはそうではありません。むしろ,逆です。むつかしいことをいともかんたんに解き明かしているもの,それが経文です。ですから,じつは,まことに単純明解なのです。

 ですから,この第2節も,経文をそのまま素直に受け止めればいい,とおもいます。わたしの読解は以下のようです。

 人としてこの世に生まれることは奇跡に近いことです。ましてや仏の教え(仏法)に出会うことはもっと希(まれ)なことです。いま,わたしたちはこれまで積み重ねてきた善行(宿善)の助けによって,滅多に受けられない人の身をいただけただけではなく,ありえない仏の教え(仏教)にまで出会うことができたのです。生まれてから死ぬまでの間,清く正しく生きること(善生),これこそがもっとも立派な生き方(最勝の生)というものです。このもっともめぐまれたわたしたちの善なる身(最勝の善身)をおろそかに扱って,はかない命を成り行き任せにしてしまってはいけません。

 以上です。

 ここでちょっとだけ立ち止まって考えておきたいことは,「宿善」ということばです。仏教では輪廻転生(りんねてんしょう)という考え方をとります。つまり,生まれては死に,また,生まれては死ぬということを繰り返すという考え方です。生死(しょうじ)ということはそういうことを言っています。この生死を繰り返す間に善なる行い(善行)を積み上げていくと,いつか,人の身に生まれ出ずることができる,と考えます。この積み重ねが「宿善」ということです。さらに「宿善」を重ねていきますと,最終的には「涅槃」に至るという次第です。「涅槃」に至れば,もはや,輪廻転生を繰り返す必要がなくなります。「涅槃」,すなわち,まったき自由な時空間のなかで,永遠の「生」(しょう)を享受することができるようになる,というわけです。ですから,最終ゴールともいうべき「涅槃」に向かって日夜励め,それが修行というものだ,と説きます。このように考えてきますと,「宿善」とは修行の結果として得られるものなのだ,ということがわかってきます。

 あと一点は「無常」ということばです。このことばについては第3節の冒頭にでてきますので,そこで考えてみたいとおもいます。

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