2015年3月20日金曜日

凍み大根に口があったら・・・。NHK・今夜は路線バスの旅!

 夕食時間の,いわゆるゴールデンタイムのテレビ番組は,ちかごろなにも見る気になれない,お粗末なものばかり。そんな中で,いくらかましな番組かな,とおもってNHK・今夜は路線バスの旅!にチャンネルを合わせてみる。が,やはり,なんともはやかったるい内容。なにもかもがゆるゆるなのだ。ひょっとしたら,それが狙いなのかも・・・・。

 番組のアイディアそのものが,二番煎じ,三番煎じ。似たような人気番組の焼き直し。旅をする若手俳優(男性)も,二人組の旅だから,お互いのカラーが相殺されてしまって,凡庸な映像になってしまう。要するにカラーがでてこない。おまけに,ディレクターや編集のコンセプトも曖昧。なにが伝えたいのか,メッセージ性も乏しい。

 それでも,旅先の土地の人びとの語ることばには,ピカリと光るものがある。たとえば,都会に住む圧倒的多数の日本人がすっかり忘れてしまった「生きる」ことの根幹にかかわる教訓が,いまも人里離れた山村には生きている,という事実。それをさりげなく山村の老人が口にする。しかし,若手俳優さんたちは,その名言を拾い,ふくらませることができない。智恵のなさ。タレント性の欠如。人選のミス。

 こんなシーンがあった。わたしにはグサリときた。

 新聞の番組紹介をそのまま借用すると,▽雪の南信州・天空の里 松田悟志&内田朝陽は神々しい大自然に感動,となっている。内容は,この二人の俳優が飯田駅で下車し,そこから路線バスを乗り継いで,遠山郷をめざし,上町,木沢,などの集落を尋ねて歩く。そこでの人との出会いをカメラが追っていく。

 まさに天空の里ともいうべき遠山郷の上町で,凍み大根づくりのお手伝いをするシーン。ひとしきりお手伝いをしてひとやすみのシーンで,その家の主人である老人がぽつりと,つぎのようなことばを発する。

 大根に口があったら,「わたしらは食べられるために大根になったのと違う」と言うだろう,と。だから,大事にいただかなくてはいけないんじゃ,と。その瞬間,わたしはドキリとした。そして,「うわっ,すごいことを言う老人だ」と驚いた。しかし,くだんの俳優さんはなんの反応もなく沈黙。しばらく間があって,とってつけたように「子孫繁栄ですよね」で終わり。たぶん,編集のためにあとで付け加えたセリフのようにおもわれた。

 わたしなら,すぐに反応して,そうだよね,大根の一生には人間に食べられるというシナリオはないよね。種から芽を出し,大きく育って,花を咲かせ,種を残して,大根を大地に返して,肥やしにし,その生涯を閉じていくんだよね。なのに,人間であるわたしたちは,自分たちが生き延びるための糧として,大根を栽培し,食料(保存食)にするために,凍み大根にして,「いただいて」しまう。つまり,大根の生涯を「横取り」して,大根の「命」を「いただく」わけだから,両手を合わせて「(大根の命を)いただきます」と祈ってから,食べなくちゃね。

 と,こんな風に応答したら,老人は,さらにもっと奥の深い生活の智恵やことばを発しただろうに・・・と残念でならない。

 「はしとらばあめつちみよのおんめぐみそせんやおやのおんをわすれず,いただきます」と,食事のたびに唱える習慣をこどものころに叩き込まれたのは,わたしたちの世代が最後かもしれない。もちろん,そこには,もうひとこと「てんのうへいか ありがとう」「へいたんさん ありがとう」のことばがつづく。戦時体制下での儀礼だ。この二つのことばを除けば,最初のことばそのものは立派な教訓である。

 そんな自然の恵みを,人間さまが「横取り」することの罪の意識が,まだ,いまも,南信州の遠山郷の老人のなかには,ごく当たり前のようにして息づいている。このことを知り,わたしは感動した。生きるということは,他者の命を「いただく」ことなのだ。それは絶対的な「暴力」なのだ。しかし,この「暴力」を否定したら人間は生きてはいけない。生き延びるための最低必要限度の「暴力」なのだ。だから,この「暴力」を神に祈って許しを乞う,それが「祭り」の原点だ。

 だから,他の集落での祭りのシーンでは,神主さんが氏子に向かって,稲の籾を撒く。その籾を白い紙を筒状に巻いたじょうごで受け止める。それを大事に持ち帰って,神棚に飾るのだ,という。つまり,神が人間に授けてくれた稲の命(籾)を大事に育てて,この稲からとれる米は食べてもよろしい,という大事な儀礼なのだ。

 こういうことをナレーションでもいい,流せば,この番組の奥深さがさらに素晴らしいものとなって,透けてみえてくるだろうに。

 いずれにしても,山村に住む老人が,ごく自然にぽつりと吐くことばが,ジョルジュ・バタイユと同じものだったことに,わたしはいたく感激した。そして,ここにも「聖なるもの」の刻印(ジャン=ピエール・デュピュイ)が息づいているという事実に感激した。

 3.11を通過したいま,わたしたちが,もう一度,再認識しなくてはならない人類の貴重な智恵は,意外に身近なところに遍在しているのだ。そういうことを気づかせる番組にすることも十分可能なのに・・・もったいない。もっとも,そんな企みがばれたら放送禁止にされてしまうかも・・・・。

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