2015年4月29日水曜日

「東京五輪2020は東京五輪1940の二の舞になるのではないか」(西谷修)。

 東京は,全部で3回も五輪を招致することに成功しています。その第一回目の五輪招致が「1940」年開催予定の第12大会でした。が,第二次世界大戦に向かってまっしぐらの日本は,五輪どころの騒ぎではなくなってしまいました。そして,あっさりと五輪返上を決めました。その結果,日本に代わって五輪を開催する国はなかったので,中止となりました。このあとの,1944年の第13大会も第二次世界大戦の真っ最中で,五輪など世界中のどの国も開催を口にできる状態ではありませんでした。

 こうして,国際平和の推進をかかげるオリンピック・ムーブメントは,2回連続で中断せざるをえない,屈辱の歴史を刻んでいます。この事実を知る人もいまでは少なくなってしまいました。しかし,オリンピックの歴史を考える上では,きわめて重大なできごとであり,オリンピック・ムーブメントの根幹にかかわるできごとでした。繰り返しておきますが,名誉あるオリンピック・ムーブメントに大きな穴を空けるという,この空前絶後の歴史に東京(日本)の名前が刻まれたということを肝に銘じておきたいとおもいます。

 もっとも,最初にオリンピック・ムーブメントを中断させたのは,ベルリン(ドイツ)です。1916年に予定されていた第6回大会です。こちらも第一次世界大戦の勃発が中止の理由です。五輪開催を招致しておいて,みずからの都合で返上・中止にしてしまったのは,ベルリンと東京の2都市だけです。しかも,いずれもみずから仕掛けた戦争にその原因がありました。ここにも不思議な奇縁を覚えずにはいられません。ついでに言っておけば,東京五輪1940は,これまたオリンピック史上にその名を刻むことになった1936年ベルリン大会のあとを引き受けての開催予定でした。

 この東京五輪1940の招致運動に全力を注いだ嘉納治五郎(当時のIOC委員)は,疲労困憊の末,招致が決まって帰国する途上の帰国船の上で亡くなってしまいました。嘉納治五郎がどれほどの苦労を重ねたかは,また,いつか詳しく書くことにします。いずれにしても,それほどの努力の結果が,戦争という理由であっさり返上しなければならないことになった,このむなしさは嘉納治五郎を筆頭とする関係者のこころに深く刻まれたことでしょう。

 「東京五輪2020は東京五輪1940の二の舞になるのではないか」。

 このことばは,4月25日(土)に開催された対談「東京五輪2020を考える」(西谷修×稲垣正浩,於・青山学院大学,主催・ISC・21,午後3時~6時)の席上,西谷修さんの口から飛び出したものです。しかも,これが対談の最後の締めくくりのことばでした。

 わたしは一瞬,虚をつかれ,ハッとしてしまいました。強烈な印象を与えるひとことでした。

 といいますのも,じつは,わたしも同じように,東京五輪2020の招致が決まってからのこんにちまでの推移を考え,このさき2020年までの5年間の展望を考えたとき,いずれは「返上」しなければならない情況に追い込まれていくに違いない,と考えていたからです。その最大のポイントは「フクシマ」です。厚顔無恥の安倍首相は,IOC総会で最終決定がなされる,あのプレゼンテーションで最大の不安材料であるべき「フクシマ」について「under control 」と言ってのけたことは,よく知られているとおりです。

 しかし,その「フクシマ」は手も足も出せないまま,いまもなお,なりゆきまかせにするしかありません。しかも,情況は日に日に悪化しています。小出しにされるフクシマ関連情報こそ「under cotrol 」にあって,精確な情報のほとんどが極秘とされたままです。それどころか,メルトダウンしたままの核物質がどのような情況になっているのか,ということもまったく把握できてはいません。一説によれば,いつ,臨界点に達して,大爆発が起きても奇怪しくはない,そういう情況下にある,とすら言われています。

 その一方で汚染水は海に向かって垂れ流し。空気の汚染も放置されたまま。汚染は日々,拡大していくばかりです。こうしたことも改善される目処はまったく立ってはいません。2020年に向けて,なにが,どのように改善されるのか,その具体的なプランもまったくみえてはきません。これらすべてを総合的に判断してみても,情況はますます悪化の一途をたどっているとしかいいようがありません。

 江戸川や隅田川を流れていく汚染水は,間違いなく東京湾に蓄積されていきます。そのデータも民間団体の調査(あるいは,新聞社の調査,など)によって,逐次,公表されています。このようなデータのことを考えると,ますます「絶望」的にならざるをえません。言ってしまえば,明るい材料はひとつもありません。

 が,そんなことは「みてみぬ」ふりをして,東京都も組織委員会も文部科学省も,足並みを揃えて東京五輪2020に向けてまっしぐら。にもかかわらず,新国立競技場を建造する資金が圧倒的に足りず,早くも頓挫しそうになっています。そこで,苦肉の策に打ってでようという話が取り沙汰されるようになってきています。それが,サッカーくじだけでは足りないので,野球くじを導入して,不足分を賄おうという,恐るべき案の登場です。つまり,文部科学省がなりふり構わず,国営の野球賭博をはじめよう,というのです。

 世も末というべきか,狂気の沙汰としかいいようがありません。が,そんなことが大まじめに,日本の権力の中枢で議論されているというのです。

 ここでは,もう,これ以上のことは割愛させていただきます。が,これに加えて「オキナワ」の問題に火が点きました。海外のメディアまでもが注目しはじめ,直接,取材をはじめています。アルジャジーラまでもが,乗り込んでいます。こうなってきますと,国際社会でも大きな議論が湧くことになりそうです。いや,すでに,そうなってきています。そうなりますと,日本という国家の信用問題になってきます。

 「フクシマ」と「オキナワ」の二つが引き金になって,これからますます外圧が強くなってくる可能性も,すでに視野のうちに入ってきました。

 おそらく,西谷修さんの頭のなかでは,もっともっと多くの要素が見え隠れしながら,このさきの展望はますます絶望的にならざるをえない,という判断がくだされているのではないか,とわたしは推測しています。その結論が,このブログの見出しのことばです。もう一度,おさらいをしておきましょう。すなわち,

 「東京五輪2020は東京五輪1940の二の舞になるのではないか」(西谷修)。

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