2015年5月29日金曜日

まだまだあるある「ご当地ラジオ体操」。津軽三味線ヴァージョンも。

 いわゆる「ラジオ体操」がらみの情報について,こんなのもある,あんなのもある,という具合にSさんから五月雨式にご指摘がつづくものですから,ならば,わたしも少し調べてみようとおもいたちました。で,初心者らしく,まずは,Wikipedia で「ラジオ体操」を当たってみました。そうしたら,あるわ,あるわ,こんなにもあるのか,とびっくりするほど情報満載でした。

 逆にいえば,よくぞ,こんなにたくさんの情報を調べ上げたものだと感心してしまいました。驚くべき情報量です。興味のある方はどうぞ調べてみてください。それはそれはたいへんなものです。一度にラジオ体操博士になれます。

 ここでは,前回,前々回からのつづきで,いわゆる「ご当地ラジオ体操第一」に限定して,Wikipediaから引いてみました。題して,まだまだあるある「ご当地ラジオ体操」。北は青森から南は奄美,沖縄本島,宮古島にいたるまで,じつに多くの「ご当地ラジオ体操」が存在することがわかりました。以下はその抜粋です。

 Wikipedia(2015年4月7日11:30更新)
 「各地の方言や言語によるラジオ体操」
 2010年前後から,各地の日本語の方言や言語による掛け声や,和楽器・琉球楽器を用いたローカル版が盛んに制作されるようになった。これらは掛け声や伴奏が異なるだけで,曲や体操はNHKが放送しているラジオ体操と同じである。CD制作又は商業配信されているものを以下に挙げる。
 ※以下,末尾の〇印は『ラジオ体操第一お国言葉編』(2013年6月19日にテイチクエンタテイメントが発売したアルバム)に収録されているもの。▽印は『ラジオ体操第一ご当地版』(2013年7月17日に日本コロムビアが発売したアルバム)に収録されているもの(稲垣・注)。

 ラジオ体操第一津軽弁(テイチク版)〇,(日本コロムビア版)▽
 ラジオ体操岩手弁▽
 ラジオ体操〔遠野弁〕版~今日もがんばっぺな~(CD発売)
 おらほのラジオ体操(石巻市)(CD)
 ラジオ体操第一山形弁〇
 鶴岡版おらほのラジオ体操(CD)
 ラジオ体操第一茨城弁▽
 ラジオ体操第一名古屋弁〇
 ラジオ体操第一関西弁〇
 ラジオ体操第一京都弁▽
 ラジオ体操第一大阪弁▽
 ラジオ体操第一広島弁▽
 ラジオ体操第一土佐弁▽
 ラジオ体操第一博多弁(テイチク版)〇,(日本コロムビア版)▽
 ラジオ体操第一熊本弁▽
 ラジオ体操第一鹿児島弁(テイチク版)〇,(日本コロムビア版)▽
 奄美島口ラジオ体操(CD)
 ラジオ体操第一(うちなぁぐち)(CD)
 ラジオ体操第一ウチナーグチ▽
 ラジオ体操~宮古島バージョン(CD,DVD)
 新川スマムニラジオ体操(CD)〇
 ラジオ体操第一英語編〇
 ラジオ体操第一イタリア編〇
 ラジオ体操第一ギニア編(オスマン・サンコンによるスス語の掛け声)〇

 とりあえず,以上です。
 なお,Wikipedia には,それぞれのご当地ラジオ体操についてかんたんな解説がついています。たとえば,掛け声をかけている人,演奏している人,などの名前や,制作年,などです。

 こうして眺めてみますと,2010年前後から,この種の「ラジオ体操版」が全国各地で盛んに制作されるようになったようです。その因果関係は定かではありませんが,どうやら,2011年3月11日の東日本大震災が大きなきっかけになっているようにおもわれてなりません。近代合理主義,あるいは,近代科学主義のシンボルともいうべき「原発安全神話」がもろくも崩れ去ったことの反動ではないか,というのがわたしの見立てです。この点については,もう少し慎重に,詳しく分析していく必要がありますが・・・。

 少なくとも,東日本大震災を契機にして,日本人のこころになにか大きな変化が生まれたことは間違いないとおもいます。とりわけ,ふるさと納税といった,税制改革によって「ふるさと」というものの概念が,それ以前とは少しばかり変化してきたこともたしかでしょう。たとえば,このふるさと納税の制度をつかって,本土に生まれ育った人の中から,そして,本土で仕事をしている人の中から,沖縄県にふるさと納税をするという人が,最近になって激増しているという現象があります。ここでいう「ふるさと」は,明らかに国語辞典的な意味からははずれています。

 こうした動向とはま逆な現象が「ご当地ラジオ体操」なのかなぁ,とぼんやりと考えています。つまり,もっと郷土愛を培っていこう・・・というような・・・・。このあたりのことは,もう少し,具体的な事例を詰めていってから結論を出したいとおもいます。が,なにやら,近代的な意味での「ふるさと」とは違った,新たな「ふるさと」感覚が生まれつつあるようにおもわれてなりません。なにか,こころがほのぼのとするようなことばのイントネーションだとか(つまりは,お国訛り,方言),山や川や森などの景色だとか,朝夕の空の色模様の変化だとか,小鳥の鳴き声だとか,そんな自然との対話に似たような感覚が,わたしの中にはあるようです。

 ふるさとを喪失してしまって(つまり,三河弁がしゃべれなくなってしまって)根なし草になってしまったわたしのような人間は少なくないのではないかとおもいます。地方を転々としたり,故郷を離れて都会に長く暮らしている人の中には,わたしのような人間がかなりいるのではないか,とおもいます。とってつけたような「絆」などということばが,宙に浮いたまま多用される社会は,その裏返しではないかともおもったりしています。

 こんなことがらと,「ご当地ラジオ体操」の流行とはどこかで連動しているのではないか,とあてもなく考えています。

 というようなことで,今回はどどめておきたいとおもいます。

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