2015年6月21日日曜日

沖縄のことを語りたかったら,まず沖縄の新聞を読め。そして沖縄のラジオを聞け。まるで別世界だ。

 テレビや新聞で,沖縄のことをさも熟知しているかのように,しかも高みから,平然と論評するヤマトの評論家や知識人のなんと多いことか。わたしは,そのたびに,吼えている。もっと勉強してからものを言えっ!と。かく申すわたしとて,沖縄のことについては,まだまだうぶな初心者だ。にもかかわらず,たった一年余ながら,『沖縄タイムス』を読みつづけただけで,沖縄観がひっくり返り,世界観までひっくり返ってしまうほどの衝撃を受けた。

 本土に生まれ育ち,本土で得られる沖縄情報だけで構築される沖縄観が,いかに歪で,間抜けたものでしかなかったのか,このことをこの一年余の『沖縄タイムス』を読みつづけることによって,痛いほど知った。そして,ときおり,耳を傾ける沖縄のラジオから流れてくる不思議なテンポの会話を聞きながら,まだまだ,なにもわかってはいない,ということを思い知らされる。

 もう,ずいぶん前のことになるが,沖縄の写真家・比嘉豊光さんと,沖縄をこよなく愛し,沖縄のことを知りたいとおもっている本土の若者たちと徹夜で飲んだことがある。豊光さんも相当に酒量がかさんでいたこともあってか,とつぜん「お前らに沖縄のことがわかってたまるかっ!」と吼えて,号泣したことがあった。わたしたちはだれも手も足も出せないまま,静まり返ってしまった。ひと泣きしたあと,豊光さんは,そのままうっ伏して眠ってしまった。

 そのあと,残されたわれわれだけで,豊光さんの真意はどこにあったのだろうか,という話になった。たぶん,こうではないか,ああではないか,というとりとめもない話に終始した。が,結局は,だれもが納得できるもっともらしい回答は得られなかった。

 しかし,いまにしておもうと,ほんの少しだけ豊光さんの気持がわかってきたようにおもう。それは新聞をとおして学んだことも多いのだが,それ以上に,ラジオをとおして伝わってくる沖縄のひとたちの情感だった。つまり,その情感のよりどころが,本土のわたしたちのそれとはまったく違うということだ。それは,端的に言ってしまえば,ことばのイントネーションや沖縄独特の言い回しにあると言ってよいだろう。

 それは,たとえば,わたしで言えば,愛知県豊橋市の育ちなので,情感を籠めた語りとなれば「三河弁」をおいてほかにはない。もはや,法事のとき以外には「三河弁」と接する機会もほとんどなくなってしまったが,それでも「三河弁」を聴くとほっとするものがある。それは,高校を卒業するまで,どっぷりと浸りこんでいた「三河弁」の世界に,一瞬にしてもどることができるからだ。そして,なにより気持が安心するし,温かいものがからだの中を流れはじめる。この情感に支えられた「世界」は,ほかの地域とはまったくの別世界だ。

 これと同じことが,沖縄にも当てはまる,と考えればわかりやすいかもしれない。それでも,まだまだ,とても説明しきれてはいない。つまり,わたしたちが想像する沖縄とは,まったく別の世界がそこには存在しているのだ。豊光さんに言わせれば,そんなものとも,もっともっと違う世界が沖縄には広がっているのだ,と。そして,それをウチナンチュはきちんとからだごと共有しているのだ,と言うに違いないだろう。

 そうした別世界の「根っこ」にあるものが,わたしの想像では,たぶん,沖縄の「芸能の力」ではないか,とおもう。ざっくり言ってしまえば,歌と踊りだ。あの哀愁を帯びた沖縄民謡ときらびやかで美しく,それでいてもの静かな琉球舞踊。あるいは,エイサーのような勇ましく力強い男の舞い踊り。祝いごとには不可欠なカチャーシー。三線が奏でる自由自在な旋律とリズム。ウチナンチュのハートの根っこにはこれらの芸能の「力」がびっしりと埋め込まれている。と,わたしは考えている。

 この世界は,もはや,東京弁や標準語では語り得ない,遠いとおい存在なのだ。つまり,対象化して言語化することが不可能なものなのだ。すなわち,それらは,生まれ落ちたときからからだごと包み込み,徐々にからだの中に染みこんでいき,やがては,それを肥やしにし,バネにして表出してくる沖縄の芸能の「力」となる。そう,それは芸能の「力」としかいいようのないものに違いない。理性をはるかに超越した「情動」とでもいうしかない,ドロドロしてつかみ所のない,それでいて空恐ろしいような「力」の世界だ。

 わたしのイメージとしては,これもまことに勝手な言い方になってしまうが,沖縄は,まるで龍宮城のような世界,そんな存在のようにみえてくる。

 言ってしまえば,沖縄を「理性」だけで語ることはできない,ということだ。

 だから,本土の人間は,沖縄について「論評」はできても「批評」はできない。つまり,無責任で勝手な「論評」(コメント)はできても,全生涯をかけた,あるいは,全体重をかけた「批評」(クリティック)はできない,ということだ。

 この壁を超えるためには,まずは,沖縄の新聞を読むべし。これだけで,あっと驚く体験をすることができる。加えて,ラジオを聴くべし。その奥深くには,もう,気の遠くなるような懐の深さを垣間見ることになる。そして,そのさきのさきには芸能の「力」がうごめいている,そこに触れて初めて沖縄の底力のなんたるかを知ることになるのだろう。

 沖縄の民意が,辺野古新基地建造反対にまとまり,党派を超えた「オール沖縄」の結束が可能となったのも,そういう深い深い「根っこ」を共有できているからに違いない。翁長知事が,自民党出身の政治家でありながら,沖縄の政治のあり方に関しては,その呪縛を解き放ち,「オール沖縄」に居場所を見出したのも,この「根っこ」を分かちもつ,根っからのウチナンチュであるからだ。

 わたしたちヤマトの人間は,そういう世界からあまりに遠いところにきてしまった。「根っこ」を失い,「茹でガエル」に慣れきってしまったヤマトンチュは,もはやゼロから思考をリセットするしかない,とウチナーをみていると,そうおもう。

 いまや,ウチナーはヤマトの師匠となった。教えを乞い,学ばなければならないことが山ほどある。これが,わたしが沖縄の新聞を読み,ラジオを聞いた経験をとおして到達した,現段階での結論である。こののち,また,この見解は変わるかもしれないが・・・・。

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