2015年7月1日水曜日

「マスク展」をみてきました。お目当ては「ダン族の競技者」のかぶった仮面。図録,売り切れ。残念。

 しばらく前の新聞で,コートジボアールのダン族の競技者が勝利を収めたときにかぶる仮面などが展示されている,と紹介されていましたので,なんとしてもみておきたいとおもっていました。スケジュールのやりくりがつかず,今日(6月30日),最終日にようやく駆けつけたという次第です。

 場所は東京都庭園美術館(TOKYO METROPOLITAN TEIEN ART MUSEUM)。65歳以上は600円。旧朝香宮邸。目黒駅から徒歩5分。都心なのに,深い森につつまれた閑静な庭園のなかにたたずむ旧朝香邸をそのまま美術館にしたもので,まずは,なにより雰囲気がいい。建物も,1920年代にパリで流行していたアール・デコ様式の雰囲気を存分にとりこんだ貴重な歴史的建造物。東京都指定有形文化財。

 「マスク展」。正式な名称は「フランス国立ケ・ブランリ美術館所蔵マスク展」。

 とても素晴らしい内容で,存分に堪能することができました。ただ,残念だったのは,図録が売り切れで手に入れることができなかったことです。なにより,お目当ての「ダン族の競技者」がかぶったとされる仮面を,家でじっくりと繰り返し眺めて復習することができないことが残念。というわけで,ここにも紹介できないことがもっと残念。

 「ダン族の競技者」がかぶったとされる仮面は,全部で4面。やや小型で,とても素朴なものばかり。目の穴が大きくくり抜いてあり,口を開けて前に突き出している。そこに書いてあったかんたんな説明によると,仮面をかぶった者がかぶっていない者を追いかける,そういう競技のための仮面,とありました。その競技で優れた能力を発揮した者に与えられる,と。また,この競技は若者たちの敏捷な動きと健康状態を競い合うものだ,とも。

 この説明を何回も読み返して確認をしてみましたが,どうもピンとこないものでした。そこで,わたしは勝手に想像して,これは「鬼ごっこ」のような遊びではないのか,と考えました。つまり,わたしたちの知っている日本の「鬼ごっこ」は単なる遊びにすぎませんが,それでも,もともとは「神ごと」遊びです。神と戯れる,神と交信する,そういう神事儀礼に端を発しています。

 たぶん,コートジボアールのダン族の「鬼ごっこ」も,さまざまな精霊との戯れであり,交信・交流であり,ときには恐ろしい悪魔との闘いでもあるはずです。それだけに,真剣そのものの「鬼ごっこ」のはずです。なにしろ,ダン族の人びとは,いまでも空中を精霊が飛び交う姿を自分たちの眼でみることのできる人たちなのですから(真島一郎さんの論文による)。

 コートジボアールのダン族の「すもう」について報告した真島さんの論文によれば,すもうをとる力士たちは精霊の「力」を身に帯びて,その「力」の優劣を競う,というのです。しかも,その精霊が力士のからだに乗り移る場面をダン族の人びとはみんな自分の眼で確認できるというのです。ですから,この「鬼ごっこ」も,仮面をかぶった人間が,どれほどの精霊の「力」をわがものとすることができるか,その優劣を競ったのではないか,とわたしは考えてみました。

 そのように考えますと,その仮面がまた一段と生き生きとして,わたしの眼に映るようになってきました。眼が大きくくり抜いてあるのは,相手を追いかけるときによくみえるようにしてあるのだろうし,口を開けて前に突き出しているのは,走りまわって呼吸が苦しくなるときの顔の表情を表現しているようにおもいました。

 4面中,3面はあどけない子どものような表情をしていましたが,あとの1面は神々しい雰囲気を漂わせていました。いずれも木製でしたが,その最後の1面だけは,まるで鉄製ではないかとおもわれるほどの固さと茶色の錆色を浮かべていました。一見して一目置かざるを得ないような,そこはかとない神秘性を帯びた,貫祿十分という仮面でした。

 こういう仮面をみながら,もう一つ,重要なことを考えていました。それは,自己の存在を否定しつつも,他己との折り合いのつけ方が二重・三重に複雑に構築されているのではないか,というようなことがらです。この点については,いささか複雑で長くなりますので,また,機会を改めて取り上げてみたいとおもいます。

 今日のところはここまで。

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