2015年10月22日木曜日

術後3カ月の検診を受けてきました。

 肝臓への転移がみつかったのが6月の上旬。これによって,とうとうステージ4の末期癌の宣告。切除手術を受けるかどうか,さんざん考えた挙げ句,手術を受けることにしました。この段階で,放置するのはもったいない,という主治医の診断が大きな動機となりました。いろいろと詳しい説明を受けて,わたしなりに納得がいきましたので,決意しました。

 手術は7月7日。集中治療室に48時間。初発の胃ガンのときよりも,今回の術後の方がダメージは大きく,相当に堪えました。じっと我慢の日がつづきました。が,術後5日目くらいから,右肩上がりに回復のきざしがみえてきて,よし,復帰できる,と確信しました。気持ちが前向きになったせいか,リハビリ(歩行訓練)にも力が入りました。その結果,18日には退院することができました。入院11日間。主治医も信じられない,とのこと。

 それから3カ月。ここまでくるには,人には言えないからだの不調もありました。が,なんとか騙しだましして,回復曲線を描くように努力しました。いまも,まだ,完璧ではありません。が,かなりのところにまでは回復してきたのではないか,と自己診断をしています。酒も,日常的には飲んでいませんが,みんなと集まったときには,様子をうかがいながら飲んでいます。ひとりでは飲む気持ちにならない,というのが正直なところ。からだは嘘をつかない,とおもっています。ときおり,からだが予想外に元気なことがあります。そのときには「飲もうよ」とからだ催促してきます。ですから,最近は,もっぱら,自分のからだと会話しながら,日々の暮らし方を決めています。

 そんななかでの術後3カ月検診。朝食抜きで,朝一番の予約で病院へ。まずは,採血から。近頃は医療の中心は「血液検査」に移ったようで,患者本人の状態については,ほとんどなにも尋ねられなくなっている。言ってみれば,血液中心主義。医師は,血液検査の結果を,これまでのデータと突き合わせて,確認するだけ。検査・分析も機械が全部やって,その結果を数値化して,パソコンに入力するのも機械。医者はパソコンのディスプレイを覗きながら,若干の説明をしてくれるだけ。結果がよければ,「とてもいい状態ですね」で終わり。なんだか,味気ない。

 今日は,輸血の副作用がでていないかどうかの検査もやるというので(これは事前にわたしの意思を確認してのこと),少し多めに血液をとる。採決した管の数をみて,びっくり。まあ,こんなものかとおもっただけで,数えてもみない。このことがあってか,採決のあとはすぐに,点滴をする。そして,この点滴セットを引きずりながら,エコーの検査へ。これまでと比べるとかなりの時間をかけて丁寧にやってくれました。正面の腹全体と,右脇腹のかなりうしろまで。指示にしたがって「大きく息を吸って,止めて,はい楽にしてください」「少し吸って,少し吐いて,はい,そこで止めて,楽にしてください」などの繰り返し。

 これが終わると,こんどはCT検査。造影剤を注入すると,たちまちにして腹部全体が熱くなり,「気持ち悪くないですか」と確認して,いよいよ検査。といっても,横になった寝台ごと,丸い穴の中を一往復して終わり。呼吸も一回だけ。「大きく息を吸って,はい,止めて,楽にしてください」で終わり。あとは「水分を補給してください」との指示。

 外科の受け付けにもどって,窓口で「水を買いにいってきます」と告げて,院内のコンビニへ。もどって,待合室(といっても廊下)で水を飲みながら,点滴が終わるのを待つ。点滴が終わると,今日はここまで。結果についての診断は,26日(月)の午後。ちょっと間があきますが,結果がどうでるか,期待半分,不安半分。自己診断としては「きわめて良好」と,自分に言い聞かせています。そうしていないと,落ち着かないから。

 最後に会計へ。清算は機械の指示にしたがって行います。「診断カードを入れてください」「カードの向きを確認して,もう一度,入れてください」「確認ボタンを押してください」「お金をいれてください」(あるいは,クレジット・カードを入れてください)「領収書をお取りください」「おつりをお取りください」「診断カードをお取りください」「お忘れ物のないように」「お大事に」。

 なんだか,ジョージ・オウエルの『1984年』の世界が脳裏をよぎります。

 毎回,おもうことですが,いまや,人間は機械にコントロールされている,ということ。医療も,主要な部分は,ほとんど機械。医師はその結果を読み取って,総合的な判断をし,つぎの医療計画を立てるだけ・・・と懇意になった医師が教えてくれました。やがては,ロボット医師が,手術もやるようになるだろう,とのこと。実際に,患者として医療を受けていると,医師が直接,患者のからだに触れたり,問診をしたり,ということはほとんどない。なにか,ベルトコンベアの上に乗せられて,一巡してきて,終わり。なんだか「医療工場」に放り込まれた患者という名の「物体」(Koerper )でしかないではないか,としみじみおもう。

 どこか,基本的なところで,間違っているのではないか,といつもおもう。この点については,いつか,しっかりと考えて書いてみたいとおもう。題して,『患者学のすすめ』。

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