2015年11月17日火曜日

「赤い実のなる木」はアメリカハナミズキだということがわかりました。

 10月25日のブログに「赤い実のなる木」の写真を載せ,この木がなんの木なのか教えてほしい,と書きました。が,だれからも応答がないまま日が過ぎていました。

 11月14日(土)に法事があって帰省し,久しぶりに親戚の人たちと顔を合わせました。その中の一人に従兄弟で植物に精通しているY君がいて,「赤い実のなる木の名前,わかったかん?」という。「いや,わからん」とわたし。「たぶん,ありゃあ,アメリカハナミズキだとおもうだがのん」という。「えっ?どうして?」とわたし。そこから,Y君の植栽に関する蘊蓄話がひとしきりつづきました。お蔭さまで,植物のことに疎いわたしにはとてもいい勉強になりました。

 Y君は,大学で生物を専攻した専門家です。自宅の庭にもさまざまな花や実をつける花卉を植えて,丹念に手入れをしてきたベテランです。中学校の校長を最後にリタイアし,いまは大好きな植栽と農作業を楽しみながら悠々自適の生活を送っています。羨ましいかぎりの人生です。わたしとは6歳ほど(?)年齢は離れていますが,子どものころから親戚のなかでは一番親しくさせてもらっている従兄弟です。

 もう少しだけ補足しておきますと,わたしが尊敬してやまない大伯父(一道和尚)の長男です。一道和尚のことについては,このブログでも何回も書いてきていますので,ご記憶の方も少なくないとおもいます。Y君は,大学受験のときに,英文学に進むか,生物学をやるか,大いに考えた末に生物学を選び,教職の道に進む決意をしました。以後,教員生活をまっとうし,3人の子どもさんを立派に育て,こんにちにいたっています。穏やかな性格の好漢です。

 さて,そのY君の蘊蓄をここに全部書くことはとても不可能ですので,最小必要限度にとどめておきたいとおもいます。

 「あの写真をみて,これはアメリカハナミズキに違いない」とおもったという。そして「あれだけの赤い実をみごとにつけているのをみると,相当の腕前の人が世話をしているなぁ」とおもった,と。「そう,あの木は植木屋さんの屋敷のなかにたくさん植えてある売り物の木の一本だから」とわたし。「ああ,そうだらぁのん。素人ではあれだけの赤い実をつけることはほとんどできんでのん」という。「どうして?」とわたし。ここから話は一気に面白くなりました。

 日本にむかしからあるハナミズキは,花弁の色(白,ピンクがほとんど)を楽しむだけの,どちらかといえば地味な木でしたが,アメリカからハナミズキの木がプレゼントされてから様子が一変しました。アメリカのハナミズキは,春の葉っぱのみずみずしさや初夏の花弁だけではなく,紅葉すると真っ赤になり,しかも落葉したあとに赤い実を残す木で,四季折々に楽しめる木としてアメリカではとても大切にされてきました。ですから,アメリカ人にとっては意味のある重要な木なのです。

 このハナミズキが日本にプレゼントされた背景にはこんな話があります。最初に,日本から吉野桜がワシントンに送られ,満開の花を咲かせ,多くのアメリカ人が感動しました。アメリカ人が,その返礼として選んだのが,このハナミズキだったのです。

 ところが,アメリカ育ちのハナミズキは日本の土壌とはなかなかうまく合わず,背丈だけは大きく育ちましたが,赤い実をつけるのは至難の技でした。そこで,いろいろと創意工夫をした結果,肥やしをやるタイミング,水を与えないでいじめるタイミング,土壌の管理,根切りの技術とタイミング,等々が必要だということがわかってきました。しかし,それをマスターしている人はほとんどいません。ですから,ほとんどのハナミズキは背丈だけが大きく伸びて,みずみずしい葉を生い茂らせるだけの木になっています。ましてや,赤い実をつけるように手入れするのはたいへんなことなのです。

 という話を,寺での法事を終えて会食するために移動中のバスの中で聞きました。そして,料理屋さんに到着すると,その入口の横にアメリカハナミズキがあるのを目ざとくみつけたY君が「この木だらぁ」という。「そうそう」とわたし。赤い葉っぱを少しだけ残していて,2,3個の赤い実がついていました。まぎれもなく,わたしが目にした「赤い実のなる木」でした。これで,完全にわたしの疑問は晴れました。Y君にこころから感謝です。

 もう一度,植木屋さんのアメリカハナミズキをじっくりと鑑賞してみようとおもいます。来年の春から,このアメリカハナミズキがどのように変化していくか,楽しみが増えました。

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