2016年2月5日金曜日

「有為の奥山けふ越えて」=「死」が前提とか。

 ご縁とは不思議なものです。病院の待合室(と言っても廊下)で,エコー検査が終わって診察までの時間つぶしに本を読んでいましたら,あの「いろは歌」の中の一節「有為の奥山けふ越えて」の話がでてきました。そして,「有為の奥山」というのは「死」を前提としている,という説明を読んでびっくり仰天してしまいました。

 じつは,ずっと長い間,「有為の奥山」の意味がわかりませんでした。しかも,「奥山」とは「死」を意味しているとは・・・・。ほんとうに驚きでした。病院というところは,すべからく「死」と向き合っている人の来るところです。かく申す,わたしとて「死」と真っ正面から向き合っています。ですから,しばしば「死」というものを考えてしまいます。そんな折も折,「有為の奥山」の意味を教えてくれる本を読んでいたのですから,これはもうご縁としかいいようがありません。

 本の名前は『ないがままで生きる』。著者は,玄有(有に人偏)宗久さん。SB新書。2016年1月刊。久々に出会った玄有宗久さんの名著です。もっとも,最近,とみに仏教の世界に傾斜しつつあるわたしにとっては,まことにありがたい導きの書。しかも,いまの,わたしの心境にぴったり。

 この話は,第二章・無為自然の冒頭にでてくる「無為自然は難しい」というタイトルのエッセイのなかに書き込まれています。簡潔で,とてもいい文章なので,引用しておきましょう。

 「死について謳った『いろは歌』を憶いだしてほしい。前半では『色は匂へと散りぬるを我が世誰そ常ならむ』と諸行無常の儚さが美しく歌われるが,後半の『有為の奥山けふ越えて』は,死によって『有為』の世界を越えるという認識が前提になっている。当然その向こうに想定されているのは『無為自然』な,完全に自由な状態であろう。からだという窮屈な器を抜けだし,無為自然の状態になってみれば,これまでの人生がまるで浅い夢のように思え,酔っていたような気もしてくる。しかし今はすっきり全てが見えているから,これからは浅い夢など見るまい,酔っぱらいもするまい(浅き夢見じ酔ひもせず)も,と結ばれるのである。
 これはどう解釈してみても,死ななければ有為の奥山を越えて無為自然になることはできない,と言われているみたいではないか。」

 そうして「有為の奥山」についても,じつに目からうろこの話を玄有宗久さんは展開しています。それによりますと,「有為」とは,世俗の人間が「なにかのために」する行為のことで,そこには必ず計算や打算が働き,意見の衝突が起き,戦争になったりする,というのです。それに対して,無為とは,なんの意図もなく,作為もない状態のこと。なにもしないという意味ではなくて,「なにをしようという意図もなく,季節は巡り,太陽は照って雲は雨を降らし,そのなかで植物や動物が育っていくように,全てが不足なく為されていくということだ」といいます。

 しかし,世俗を生きる人間は,どうしても「有為の奥山」を越えることはできない,そういう生きものではないか,と玄有宗久さんは説いています。だから,世俗とあの世の境界ともいうべき「奥山」を越えなくては,つまり,死なないことには,「無為自然」の世界を生きることは不可能なのだろう,というのです。玄有さんのこの説にしたがえば,「有為の奥山」を越えるのも悪くはないなぁ,とどことなく安堵してしまいます。さすがに禅僧の言うことはケタが違うなぁ,と感心してしまいます。

 こんな話を枕にして,もう一つの,「無為自然」を理解するための,これまたとても面白い話題を玄有さんは紹介してくれています。この話はいささか長くなりそうですので,ひとまず,ここで切って,別のタイトルを立てて書いてみたいとおもいます。

 ということで,今日のところはここまで。

2016年2月4日木曜日

2カ月ぶりの肝臓癌の検診。着実に進行中。

 2月4日(木)午後,2カ月ぶりの検診を受けてきました。肝臓に転移した癌のその後の状態の確認と,その他の臓器への転移の確認です。やったのは,エコーによる綿密な検査でした。これまでの倍以上もの時間をかけて丁寧に行われました。その結果は以下のとおりでした。

 転移した肝臓癌は,間違いなく進行していること,他臓器への転移はなし,というものでした。この肝臓癌については,化学療法で抑えるという方法もありますが,個人差があって効果のほどはやってみないとわからない。切除手術も可能だが,かなりのリストを伴うこと。さて,どうしますか,というのがお医者さんの問い。

 わたしとしては,覚悟の上で抗ガン剤を拒否して,QOLを選んだのですから,いまさら変更する意思はありません,と。すると,わかりました,では,QOLに寄り添った支援をいたしますので,なにか不都合がありましたらいつでも診察を受けにきてください。入院しての支援も可能ですので,念頭に入れておいてください,とのこと。

 以上が,今日の検診結果のあらましです。

 このような選択が正しいかどうかは,お医者さんでも個人差があって意見が分かれるところだとおもいます。わたしの担当医も,ここはむつかしいところですね,と頭をひねっていました。まえ,言ってしまえば,だれにも判断できない神の領域のことだということでしょう。わかりやすく言ってしまえば,天(自然)から授かった寿命というものでしょう。となれば,それを甘んじて受け入れましょう,というのがいまのわたしの心境。

 さあ,これでいよいよ間違いなくカウント・ダウンの状態に入ったといってよいでしょう。その覚悟はできていますので,いまは,なんの不安もありません。あとは,残された余命を悔いのない時間にすること,つまり,授けられた寿命をまっとうすること,とみずからに言い聞かせています。

 だからと言って,このまま放置しておくわけにもいきませんので,いまからでも可能な努力はつづけるつもりです。いろいろの人に教えていただいた「これがいいそうです」と言われる方法のうち,自分でも納得のいく方法を実行に移すこと。それも,すでに,やってきているのですが,まだ,努力が足りないようです。もっと徹底してやってみようとおもいます。それもどこまで効果があるかは未知数です。とにかく,やってみる,しかありません。

 次回の受診は,4月7日(木)を予約してきました。

 というところで,とりあえず,今日の検診結果のご報告まで。

2016年2月3日水曜日

「死角をつくらない」・李自力老師語録・その67。

 今日(2月3日)の稽古では,第6式のゾーヨー・タウチェクンについて,丁寧な指導がありました。
 一つは,肩の力の抜き方
 二つには,腕の伸ばし方
 三つには,手首の伸ばし方
 四つには,肩の回し方(脇を固めないで,脇をゆったりと開くように)
 五つには,腰の回し方(お尻全体を回すように)
 六つには,ゆっくり回すこと
 以上の6点でした。

 いずれもことばで説明するのはむつかしいところですが,なんとか挑戦してみましょう。

 まずは,肩の力の抜き方・・・肩の関節をゆるめる。股関節をゆるめるときと同じように。じつは,これがとてもむつかしいのです。水平に前に伸びている腕を支えながら,肩関節を「ゆるめる」のは至難のわざです。でも,何回も繰り返しているうちに,なんとかそれらしい感覚はつかめてきます。が,じつは,半信半疑です。こんな感じかなぁ,と探りながらの稽古しか,まだ,できません。でも,目標がはっきりしたことだけは事実です。

 つぎは,腕の伸ばし方・・・・これまで見よう見まねでやってきましたが,基本的なことがわかっていませんでした。基本は,肩から指先まで,大きな円弧を描くように伸ばすこと。直線ではありません。つまり,肩・肘・手首・指のすべての関節に「ため」を残しておくこと。ということは,いざ,というときにいかなる動作にも対応できる備えをするということです。

 三つ目は,手首の伸ばし方・・・ごく自然に前腕の延長線上にゆったりと伸ばすこと。大きな円弧の延長線を描くように。手首を手前に深く折り曲げたり,後ろにそらさないこと。ここでも脱力が大前提です。

 四つ目は,肩の回し方・・・スピードを殺して,ゆっくりと腰の回転でまわすこと。前に伸びている腕を急いでまっすぐ引いてしまうと,脇が締まってしまいます。これを「死角」と呼びます。この死角ができると,敵に攻められたときに守る方法がありません。ですから,この死角をつくらないことが重要です。そのためには,引く腕をゆっくりと内側に回転させながら,肘をやや外側に開くようにして,脇に「ため」を残しながら腰をゆっくりと回転させることです。

 五つ目は,腰の回し方です。股関節をゆるめながら腰を回転させる,これが正しいやり方です。しかし,股関節をゆるめながら・・・というのはとてもむつかしいので,お尻全体を回すと考えてみましょう。すると,ふつうの動作としてできます。最初はこれでいいのです。お尻全体を回しながら,股関節をゆるめることを目指せばいいのです。肩はこの腰の回転とともにゆっくりと回ることになります。

 六つ目は,ゆっくり回すこと・・・前に出ている腕を一気に引き戻そうとすると,脇が固まってしまって窮屈になり,「死角」をつくることになってしまいます。ゆっくり腰を回転させること,この腰の回転と肩の回転が同調していれば,脇はゆったりと開いたままで,そこに「ため」ができます。そうなれば,おおらかな,ゆったりとした,それでいて力強いタウチェクンが現れてきます。

 以上が,李老師の教えを,わたしの理解の範囲でまとめてみたものです。

 この説明を聞いてから,李老師のタウチェクンをじっと観察してみましたら,まだまだことばにはできない微妙な動きがあちこちに埋め込まれていることが,ほんの少しだけ見えてきました。それを教えてもらえる日が早くくるように,今日の教えをできるだけ早くマスターしなくては・・・と密かにこころに誓いました。

 太極拳は奥が深い。ほんとうに深い。今日の稽古でいまさらのようにおもいました。気を引き締め直して,精進しなくては・・・・。

書評『スポーツ学の射程』。感慨一入。

 「図書新聞」が『スポーツ学の射程』を取り上げてくれました。
 評者は坂上康博氏。とても良心的で,こころ温まる書評になっています。人間は加齢とともに味がでてくるものだなぁ,と感慨も一入です。


『スポーツ学の射程──「身体」のリアリティへ』(井上邦子,松浪 稔,竹村匡弥,瀧元誠樹編著,黎明書房,2015年9月刊)は,わたしの喜寿のお祝いとして企画・刊行された,とてもありがたい本です。感謝感激の本です。

 
ことしの1月の奈良例会で,100回を数える研究会を支えてくださった「ISC21」(21世紀スポーツ文化研究所)月例研究会のメンバーの人たちが,わたしには内緒で,密かに企画し,刊行まで漕ぎつけてくれた,貴重な労作です。この研究会を始めたころのことを考えますと,まったく夢のような世界の現出です。年数にすれば,すでに,10年以上もこの研究会をやってきたわけですので,当然といえば当然なのですが・・・・。

 当時は,若い研究者としてスタートを切り,これからどうなっていくのか,まったく未知数の若者たちの未来が不安で仕方がありませんでした。が,どうでしょう。この10年余の間に,みごとに一本立ちした立派な研究者になっているではありませんか。正直にいって,これは感動ものです。もちろん,欲をいえばきりがありません。もう一踏ん張りすれば,もっと面白い世界がみえてくるのになぁ・・・と思いつつ,自分自身がこの年齢のときになにを考え,どんな文章を書いていただろうか,と反省もしています。それに比べたら,逞しいのひとこと。まさに,立派そのもの。

 みんなそれぞれが,それぞれのペースで,みずからの道を切り拓いています。これだけ,研究のテーマも,問題関心も異なる集団が,10年余もの間,原則として月1回の研究会で大まじめに議論を積み重ねてこられたこと,それ自体が奇跡としかいいようがありません。でも,よくよく考えてみれば,共通のテーマももっていました。それは,思想・哲学にいかに通暁しながら,スポーツ史・スポーツ文化論に切り込んでいくか,という課題でした。

 そのためには,思想・哲学の専門家の人たちの力を借りることが不可欠でした。その意味では,幸運なことに西谷修さんが,初めから身近にいてくださり,何回も,何回も,わたしたちの研究会ために足を運んでくださり,噛んで含めるようにして,思想・哲学の手ほどきをしてくださいました。そうして,亀のような歩みでしたが,少しずつ,少しずつ,思想・哲学のトップの議論に接近することができました。

 その集大成が,先月の第100回記念・奈良山焼き例会でした。当初,予定していましたゲスト・スピーカーは5名でしたが,当日,飛び込みでもう1名の方が加わってくださり,計6名もの,それぞれジャンルのことなる思想・哲学の専門家の方々にお話をしていただくことができました。こんな贅沢な会は二度とできないでしょう。それもこれも,ひとえに西谷修さんあってのことです。ほんとうにありがたいことです。

 『スポーツ学の射程』も,こんな研究会の積み上げの結果としての所産です。しかも,この研究会を支えてくださった世話人の第一世代(4名)から,第二世代(4名)へのバトン・タッチも,この企画・刊行をとおして実現しました。こんな嬉しいことはありません。これは,第一世代の世話人の人たちの,きわめて「大人的」な判断の結果です。ありがたいことです。

 もう,これで心置きなく,わたしの「幕引き」はいつでもできる,というお膳立てができあがりました。第100回例会も,第二世代の人たちが頑張ってくれて,素晴らしい盛り上がりで通過することができました。このあたりがタイミング的にはいいなぁ,と密かに思い描いています。

 こんなタイミングのときに,『スポーツ学の射程』の書評を「図書新聞」が取り上げてくれました。伝え聞くところによれば,「図書新聞」が,この本に注目し,評者を選んで依頼した,とのことです。そして,わたしたちの意図するところのツボをはずすことなく,坂上康博氏が的確に評論してくださいました。ありがたいことです。

 これで,いよいよ,わたしの構想してきました「スポーツ学」なるものが,少しずつ市民権をえるところにやってきたなぁ,とひとり愉悦にひたっています。あと一息で,確実に,「スポーツ学」を世に送り出すことができるという手応えもえました。

 こんなことを,あれやこれやと思い出させてくれる,今回の書評でした。
 至福のひとときでした。

 そして,坂上康博氏に感謝です。ありがとうございました。

2016年2月2日火曜日

中国映画『星火』『文革宣伝画』が上映されます。

 中国映画の情報が入ってきましたので,ご紹介します。

 太極拳仲間のOさんからの情報です。Oさんの情報ネットワークは恐るべしです。いったい,どれほどの引きだしがあるのだろうか,といつも驚かされています。つまり,この人のアンテナの高さと広がりは尋常ではありません。ほとんどの人がパスしていくようなジャンルにも,きちんとアンテナが張られています。

 そういう人からの情報提供ですので,とても助かります。

 
わたしたちは,概して,中国情報が圧倒的に不足しています。新聞やテレビで流す中国情報も,きわめて少ないですし,あったとしても,変なバイアスがかかっていて,まともな情報はきわめて少ないのが現実です。ですから,日本人の多くが,中国に対して,間違った偏見をもっています。それどころか,こころの奥底には,中国を蔑視する無意識さえ抱え込んでいます。これは大いなる間違いです。

 中国はいまや世界をリードする大国です。人口も経済力も軍事力も,そして,文化・芸術の部門でも,いまや,日本の比ではありません。日本は足元にも及びません。一度でいいから,中国に行って,自分の眼で確かめてみてください。それはそれは驚くことばかりです。それほどに,わたしたちは中国情報の,リアルな現実を知らないままでいます。これが,多くの誤解と悲劇を生む原因です。その穴埋めをしなくてはなりません。

 それは,すべての日本人にとっての喫緊の課題だと言っていいでしょう。

 たとえば,尖閣諸島をめぐる日本政府の対中国政策をみればよくわかります。根本的な間違いは,日本政府は中国を舐めてかかっています。つまり,上から目線です。とんでもないことです。尖閣諸島を「だまし取って」おいて,その上,戦争を仕掛けようとしています。そして,対等以上に戦えると勘違いしています。その根拠は,かつての強かった日本軍のように,自衛隊が戦えるという単なる幻想でしかありません。

 しかし,このような幻想を,いまも,多くの日本人が共有していることも確かです。その証拠に,このとんでもない内閣が高い支持率を維持している,ことが挙げられます。つまり,内閣も狂っていますが,わたしたち国民の多くも狂ってしまっているのです。こういう「茹でカエル」的な,ぬるま湯に浸り切った,麻痺した感覚を,一刻も早く覚醒させる必要があります。

 そのためにも,この映画の上映は貴重だとおもいます。

 わたしも万難を排して,出かけようとおもっています。
 みなさんもぜひどうぞ。

2016年2月1日月曜日

ピナ・バウシュへの追悼のことば。ピナを支えたジョーの手記。

 『さよならピナ,ピナバイバイ』(ジョー・アン・エンディコット著,加藤範子訳,叢文社,2016年)を読みました。とてもこなれたいい訳になっていて,一気に読みました。一世を風靡したダンス界の奇才ピナ・バウシュの実像が,わたしの前に忽然と立ち現れたような印象をもちました。はじめは,ピナ・バウシュのお気に入りのダンサーとして,やがて,ピナにはなくてはならないかけがえのない存在としてピナを支えつづけた著者のジョー・アン・エンディコットの発することばが素晴らしい。ピナに寄せる絶大なる信頼と深い愛と,そこから導き出されるダンサーとしての極限情況での才能の開花と至福の愉悦と,だからこそ避けてとおることのできない異次元の緊張感と葛藤・懊悩と,そして,ときには絶望的な燃え尽き症候群との闘いとが,詩文のような簡素なことばで語られていく。それらのことばの一つひとつに籠められたジョーの思いの深さまでもが伝わってくる。

 とんでもない本を読んでしまったと,いま,おもっています。

 ダンサーとはいったいいかなる「生きもの」なのか。その深い業のようなものが,絶えず蠢いていて,その呪縛から解き放たれることなく,そこに全身全霊を投げ出していくしかない,そういう全存在を賭けた生き方しかできない宿命を帯びた「生きもの」なのだろうか。少なくとも,ダンサーとしてのジョーの生きざまを見据えるとき,わたしにはそのように見えてきて仕方がない。まるで,仏教でいうところの「三業」の世界を彷彿とさせる。とてつもなく恐ろしほどの深い世界で,ピナとジョーとは響き合い,交信し合い,ダンスの究極の世界を模索し合う。その瞬間,瞬間が散文詩のような美しいことばとリズムで語られている。

 ジョーは一つのステージを踊りきるたびにダンサーとして進化していく。しかも,その進化はピナの投げかける「問い」への応答として表出する。このコレオグラファーとダンサーとの一種独特の関係性をとおして,ピナの実像が忽然と姿を現す。それは,また,わたしがこれまで考えていたコレオクラファーとはまるで次元の異なる存在であることを知り,驚く。

 ピナ・バウシュが類稀なるダンサーであり,コレオグラファーであり,ディレクターであり,舞台監督であることは,多少なりとも予備知識はもっているつもりだった。しかし,それらのほとんどは根底から覆され,浅はかな間接的な「評論家」たちの情報でしかなかったことを,このテクストが思い知らせてくれた。そんな生易しい存在ではなかったのだ,ピナ・バウシュという人は。

 言ってしまえば,存在そのものが異次元的なのだ。そのことがジョーの吐き出す追悼のことばによって浮き彫りにされてくる。ジョーにとってはピナが存在していることがすべてだ。つまり,ピナが生きてそこに「在る」ことがすべてなのだ。ジョーはピナの存在そのものをすべて肯定する。そこがジョーの出発点なのである。だから,ジョーはみずからもてるもののすべてをピナに捧げようとする。そして,また,ピナはそれを容赦なく要求する。しかも,とことん要求する。こうして,ジョーとピナは互いにもちつもたれつしながら,三業の階段を降りていく。

 ちなみに,三業とは,仏教用語で,身・口・意のこと。つまり,身体的活動(身)と言語的活動(口)と精神活動(意)のことで,言ってしまえば,人間の一切の活動のこと。したがって,ジョーはみずから全身・全霊を投げ出して,ピナとの接点をさぐっていく。ピナもまた,そういうジョーに全面的な「信」を置き,みずからの創作活動にとってなくてはならない存在として,のめり込み,頼りきることになる。このような関係性は,ダンスの創作活動にあっては稀有なるものではないのかも知れない。しかし,生涯にわたって,この関係性を維持しつづけたことは,奇跡というべきかも知れない。まずは,ありえないことがありえたこと,この事実をジョーは重く受け止めている。そして,素晴らしいものだ,とも述懐している。しかし,それだからこそ,二人の関係は,筆舌に尽くしがたい微妙なものとならざるを得なかったのだろう。

 そこから,至福の時も生まれれば,深い葛藤や懊悩も生まれる。言ってしまえば,この二つの間を絶えず行き来しながら,悩み,苦しみ,とことん思考し,試行錯誤を繰り返しながら,二人が納得する素晴らしい舞台芸術を産み出していくことになる。

 本書はジョーの手記の体裁をとっているが,じつはピナ・バウシュについての恐るべき批評ともなっている。管見ながら,これまでに触れてきたピナ・バウシュ批評のレベルをはるかに超えた,深い精神性にまで分け入っていく異質の批評というべきか。その意味で,本書の刊行は,こんごのピナ・バウシュ論議に一石を投ずる重要な存在となるだろう。つまり,本書を抜きにしてピナ・バウシュを語ることは許されなくなるだろう。

 訳者あとがきにもあるように,本書の翻訳に12年という歳月を費やしている。著者のジョー・アン・エンディコットとは生活をともにしたこともある訳者・加藤範子は,ジョーが本書に書き記したこと以上の,ジョーのプライベートな葛藤や懊悩についても熟知している。その上での翻訳である。だから,ジョーの記したことばの一つひとつの深い意味や,その背景にいたるまで,十分に思考をめぐらせ,さまざまな想像力を働かせて,もっとも適切な「日本語」を選び取ることに,さんざん悩んだに違いない。その結果の訳業である。

 訳者の加藤範子自身も海外での公演もこなすダンサーであり,コレオグラファーでもあり,ディレクターから舞台監督までこなす,多芸・多才の持主である。その傍ら,大学の非常勤講師としての職務もこなし,超多忙の日々の間隙を縫っての訳業であった。わずかな時間を切り取るようにして,ジョーのこの手記と向き合い,あれこれ格闘した密度の高い時間を過ごしたこの経験は,貴重な宝物となってこんごの活動に生かされてくることだろう。

 ひとつの大きなハードルを超えて,また,新しい世界に飛び出し,いまは,素晴らしい眺望を,めくるめく眺望を楽しんでいることとおもいます。

 ピナ・バウシュのこと,そして,ジョー・アン・エンディコットのことを存分に語り合える日が近からんことを楽しみにしています。

 そして,最後に,月並みですが,こころから「おめでとう」のことばを送ります。
 ほんとうに,ほんとうに,おめでとう ! 

2016年1月31日日曜日

「憲法が教えられない」。小学校教員の悩み。

 「憲法を守りましょう」という呼びかけは,政府が国民に対して行うもの・・・それが基本であるはずなのに,いまでは,国民が政府に向かって「憲法,守れ!」と吼えなくてはなりません。とんでもない倒錯以外のなにものでもありません。

 困っているのは,学校の先生たち。高校生なら,いまの政府がやっているデタラメさはみんな理解しています。だから,「三権分立」などは絵空事だとにべもないといいます。中学生でも,大半の生徒たちは,政府のやっていることは奇怪しい,と理解しているといいます。そして,小学生の高学年。こちらもうっすらと気づいているようで,教師としては困ってしまう,と現職の教員から直接,メールで知らせてくれました。

 「いま,6年生の担任をしています。社会科がちょうど公民分野で政治の仕組みや日本国憲法を教えています。いまの政権がやっていることが,三権分立にのっとっていないのが,小学生にもわかっているような状態です。正直,教員という立場では,これ以上言えないもどかしさを抱えたまま,矛盾に悩まされながら教えています」。

 これが,わたしの教え子で,いま,A県の小学校で教員をしているS君からのメールです。年齢的には,ちょうど中堅どころの円熟期に入ったころでしょう。まじめに子どもたちの目線でものごとを考え,教材づくりに励んでいる,とてもいい先生です。が,「憲法」には参った,という次第です。でも,基本どおりに日本の国の成り立ちは教えなくてはなりません。そこまでは問題ないのですが,子どもたちからの質問がでてきたときに,どこまで対応したものか,と悩んでしまうという次第です。良心的な教員であればあるほど悩みは大きいとおもいます。

 が,ここはひとつ踏ん張ってもらって,以下のことだけは伝えてやってほしいとおもいます。昨年の夏には大勢の人が国会前に集って「憲法,守れ!」とシュプレヒコールを挙げていたという事実と,いまも,定期的にその運動はつづいているという事実を,そして同時に,政府の政治の進め方に賛成の人たちもいて,その人たちがいまの政権を支えているのだという事実を教えてやってほしいのです。そして,この意見の対立が,こんどの選挙でどういう結果を生むことになるのか,多くの人がいま真剣に考えているんだよ,と。

 そして,ひとこと。先生は,教科書に書かれているとおりに政治が行われることを願っています,と。つまり,立憲デモクラシーの立場をはっきりとさせることです。そして,これ以上の各論は,人それぞれに考え方が違うので,みんなで議論する,それが民主主義だ,と。

 ここまでは,確固たる信念をもって,教員としての矜持を貫いてほしい,とおもいます。

 あっ,いつの間にか,わたしからS君へのメールの返信のようになってしまいました。が,これは一般論として,わたしの考えをこのブログの読者に向けて書いているつもりです。

 なお,S君は,できるだけ視野を拡げて考えようと努力していて,わたしのFBともリンクさせ,別の情報を提供してくれたりしています。もはや,新聞・テレビの垂れ流しの情報だけでは,これからの教員はやっていかれない,と危機感もいだいています。その意味で,とても,バランスのとれた教員を目指しているようにおもいます。

 それはともかくとして,いま,現場の先生方の悩みは相当なものだということが,こうして教え子たちからのメールでわかってきます。この他にも,現場の先生方が,ことばの問題だけではなく,立ち居振る舞いから服装に至るまで,教育委員会からプレッシャーがかかっているといいます。こういう現実が,いまの教育現場では広く浸透している,という事実すらいまのメディアは取り上げようともしません。いまの政権にすり寄るような指令が教育界を飛び交い,席巻している,というのが現実だといいます。こういう政権にとって都合の悪い情報はすべて隠蔽されたままです。こんなことでは,日本の国は,どんどん堕落してしまいます。

 こうした「まっとうな議論」ができなくなってしまったら,もう,おしまいです。「おかしいことはおかしい」と言える社会こそが健全な社会なのですから。それが言えなくなってしまった社会は,もう,病人と同じです。そうならないためにも,いま,わたしたちは踏ん張りどころを迎えています。

 大いに議論をして,みんなが正々堂々と生きていかれる社会をめざしたいとおもいます。
 学校の先生方もたいへんとおもいますが,頑張ってほしいと願っています。また,こんな悩みがあるという現場の声を寄せていただければ,このブログをとおして応答したいとおもいます。ぜひとも,忌憚のないご意見を寄せてください。待ったいます。

2016年1月30日土曜日

九重親方,理事立候補を断念。いったいなにが?

 昨日(29日),日本相撲協会の理事候補の選挙が行われました。その数日前に,九重親方が理事立候補を断念した,という記事が眼にとびこんできて,驚きました。当選ラインである10票を確保することができなかった,というのです。

 なんということか。あの名横綱が,である。大相撲の隆盛のためにどれほど大きな貢献を残してきたことか。日本相撲協会にとっては重要な「宝」のひとつです。そのことはだれよりも日本相撲協会を支えてきた親方衆が一番よく知っているはずです。ですから,引退後,親方になってからはずっと理事をつとめてきました。しかし,前回の理事選挙で落選。そして,今回は立候補断念です。こんなことって,あってよいのでしょうか。

 かつては,理事選挙は行われていませんでした。部屋の親方衆が,それとなく票の割り振りをして,理事候補を定員の10名でコントロールしてきたからです。ですから,無投票で理事は決まっていました。この長年の慣習を打ち破ったのが,貴乃花親方です。なぜなら,それまでの慣行にしたがえば,貴乃花親方が理事になる道はなかったからです。つまり,自分の部屋の持ち票が足りなかったからです。

 そこで,貴乃花親方は,他の一門の若手の親方衆を説得して,票集めをして「勝算あり」と判断して,立候補に踏み切り,みごとに当選しました。これが,理事選挙のはじまりでした。以後,票のぶんどり合戦が激しくなり,選挙は熾烈を極めることになりました。その余波を受けたのが九重親方だった,という次第です。

 わたしの知るかぎりの情報では,貴乃花親方と北の湖親方(前・理事長)とが手を握り,九重親方の追い落としが謀られたようです。それがまんまと嵌まり,九重親方の理事落選という未曾有のできごとが起きました。その流れがいまもつづいているというのでしょう。

 故北の湖理事長と九重親方との確執については,このブログでもとりあげて書いておきましたので,そちらを参照してください。

 九重親方は,よほど人望がないのか,それとも裏工作が下手なのか,どちらかはわかりませんが,いずれにしても当選するだけの票を確保することができなかったのは事実です。みずから,理事立候補断念を宣言したほどですから。

 いずれにしても,九重親方を欠いたままの新しい理事会は,いささかやっかいなことになりそうです。なぜなら,北の湖理事長亡きあと,かれの所属していた出羽海一門は,新人4人を立てて全員当選(前回までは3人だった)。そこに貴乃花親方が合流すれば,この勢力だけで理事会の半数(5名)の理事を確保することになるからです。ここにあと一人加われば,理事会を切り盛りすることが可能となってきます。

 となりますと,北の湖理事長亡きあとの暫定の理事長となった八角親方(九重親方の弟弟子)が,新年の挨拶で,協会の膿は徹底的に洗い流すと宣言したことに,抵抗する勢力が多数を占めることになりかねない,という次第です。この流れでいきますと,3月に予定されています新理事長選挙が,これまた熾烈を極めることになるのではないか,とわたしはいまから危惧しています。

 もう一つの不安要素は,伊勢ヶ浜一門からでていた理事2名が,こんどの選挙でひとり落選し,理事はたったひとりだけ(伊勢ヶ浜親方・元旭富士)になってしまったということです。残りの理事3名の親方衆の去就が注目の的となります。

 ひょっとしたら,貴乃花親方が新理事長になるかもしれません。でも,良識的に考えれば,ここはひとまず八角親方でつないでおいて,そのつぎを狙うというのが筋でしょう。しかし,ドライに割り切る思考を得意とする貴乃花親方がどういう動きをみせるか,見逃すことのできない事態が待ち受けています。このことは,日本相撲協会の命運を分ける重大な事態を意味している,と言っていいでしょう。

 これから3月の理事長選挙までの水面下でのドロ試合がみものです。

2016年1月29日金曜日

プルサーマルの再稼働。これこそ大問題。閣僚の辞任など屁のようなものだ。

怒りの爆発。もう我慢ならない!

メディアはいったいなにを考えているのか。
足並みを揃えて,アベ・シンドラーに自発的隷従をして,なんになる?
それとも,本気で,プルサーマルの再稼働は必要だと考えているのか。
プルサーマルを再稼働することによって「核兵器」への道を確保しておくことが至上命令だとでも考えているのだろうか。
使用済み核燃料を大量に確保して,いずれ,時期がきたら「売りさばく」ことを密かにねらっているのだろうか。
そんな,原子力ムラの意思を,メディアは無批判に全面的に支持しているのだろうか。
原発を輸出して,事故が起きたら,その全責任を日本が負うという約束までして・・・・いったいなにを考えているのか。その裏に隠された,真の意図はどこにあるのか。
日本はいざとなれば,いつでも,すぐに大量の核兵器を生産することができるという。有り余った使用済み核燃料を使って。
日本は,隠れた核兵器保有国なのだ。しかも,桁違いに大量の。
アメリカが,日本の使用済み核燃料を欲しがっている,という情報もある。
アメリカはすでに核兵器を生産するプルトニウムが不足しているという。
だから,日本にそのプルトニウムを確保させているのだ,という説もある。
だって,日本はすでにアメリカの属国にすぎないのだから(「日米地位協定」をみれば歴然とした事実だ)。
日本のものはアメリカのもの。
いつだって自由自在,思いのままだ。
沖縄の米軍基地をみれば明らかだ。
辺野古に新基地を建造するのも,アメリカの意思だ。
それを日本政府が代弁しているだけのことだ。
だから,これほどまでに強引な新基地建造を,なにがなんでも推し進めるしかないのだ。
つまりは,アメリカ様の至上命令だから。
それを日本政府はひたすら隠しとおしているだけのこと。
原発再稼働もアメリカ様の言うがまま。
原発が事故を起こして,人が住めなくなっても,アメリカ様は痛くも痒くもないのだ。
仏教徒などはこの世から消えてなくなってしまえばいい,というのが本音だ。
だから,ヒロシマ,ナガサキに原爆を落としたのだ。
つまりは,どうでもいい「異教徒」だから。
キリスト教による世界制覇が完成すれば,それでいいのだから。
ユダヤ・キリスト教だけが唯一,正しいと信じ,イスラム教も消えてなくなることを密かにたくらんでいるのだから。
それを国際社会の良識にすり替えて,無差別爆撃を「正義」と主張して憚らない。
このとてつもない深慮遠謀に満ちた「暴力」を直視しなくてはならない。

それに比べたら,閣僚の一人くらい首を据え代えたことなど,屁のようなものだ。
こんな屁のような話にメディアは振り回されている。
その間に,とんでもないことが(取り返しのつかないことが)闇のなかでどんどん進展している。
この闇をこそ,しっかりと見届け,弾劾すべし。

ああ,腹が立って,腹が立って,収めようがない。
これだけ吐き出しても,まだまだ,とてもじゃないが「足りない」。

怒り心頭に発する,とはこのことだ。
だれか止めてくれぇっ!
 

2016年1月28日木曜日

甘利大臣,立派。さあ,こんどは首相の任命責任だ。

 「政治家は結果責任だ。政治家としての矜持を貫くことにした。」

 立派なものです。見上げたものです。自民党の中にも,そして,閣僚の中にも,こんな立派な政治家がいるではないか。やはり,嘘をつきとおすには高い教養が邪魔をしたか。いまからおもえば,もうすでに,TPP交渉で疲れ切っていたようにもおもいます。TPP交渉中のテレビに映る顔つきがどんどん悪くなり,白髪も一気に増えました。アベ政権のもとでの嘘つき政治にほとほと嫌気が差していたのではないでしょうか。

 今日(28日)の午前中の,衆議院で行われている党首による質疑応答をテレビでみていたら,時折,映し出される甘利大臣の顔から張りつめた緊張感というか,輝きが消えていました。これはどうにもならないということを覚悟し,腹をくくったな,と密かに推測してしまいました。もう,完全に精気が消えていたからです。

 かくなる上は,政治家・甘利明として,矜持を貫き,きちんとした説明責任を果たしていただきたい。そして,ことの真相を明らかにして,それ相応の責任をとっていただきたいとおもいます。ここまできたら,たぶん,やってくれるでしょう。根が真面目そうな人にみえますから。

 それに引き換え,アベ君は,もう,どうしようもないアホンダラ。嘘はたくさん連発して言いつづければ,それが道理となる,とでもおもっているのでしょうか。丸見えの嘘をついて,しかも居直るのですから,これはもはや嘘をついているという自覚もなにもない,たんなるアホンダラでしかありません。もし,嘘をついているという自覚があって,あの態度が保てるとしたら,もはや,病気以外のなにものでもありません。

 さあ,どうする,アベ君。後任を決めればそれでいい,という問題ではありませんよ。「任命責任はわたしにある」と明言したのですから。もっとも,これもまた明々白々なる嘘をついたのかもしれません。言っておいて,あとは無視をすればいい・・・と。でも,なんらかの「任命責任」を明らかにしないことには野党が許さないでしょう。これから緊迫した国会がつづくことになりそうです。また,そうでなくては奇怪しいわけですが・・・・。

 でも,すり替え,誤魔化し,脅し,の名手でもあるお代官さまと越後屋のコンビ,すなわち,アベ+スガの「悪」のもたれ合いコンビ。なにをやらかすか,わかったものではありません。わたしたちの眼に見えないところでやりたい放題。とりわけ,メディア操作。今回だって,甘利大臣は「はめられた」のだと予防線を張りました。それにメディアはほいほいと乗って,じゃんじゃかこの情報を流していました。たとえ,「はめられ」ようが,どうしようが,悪いことは悪いことであって,「はめられた」から責任がないという問題ではありません。が,こんな小手先の手練・手管でかわそうとしたのは官邸だった,という情報も流れています。もっとも,こちらの情報はネット上のものですが・・・。

 いずれにしても,こうなったら,そろそろ水戸黄門さまのお出ましの番です。いでよ,自民党の水戸黄門。いまこそ,襟を糺すべきとき。長老のだれでもいい。骨のある長老はいるではないですか。自民党という政党の屋台骨を建て直すためにも,そして,日本国を救うためにも,蛮勇をふるって立ち上がってほしい。

 こんな大ピンチに立っても,なお,アベ・シンゾウにすべてを託すというのでしょうか。そして,選挙に勝てればそれでいいとお考えでしょうか。

 そうは問屋が卸しません。もはや,国民だって黙ってはいません。甘利大臣の「矜持」をもってすれば,ほかにも辞表を提出しなくてはならない閣僚がいます。当然のことながら,そちらにも点火して,大きな議論が沸き起こること必定です。また,そうなくてはなりません。政界浄化のためにも。国民は黙ってはいません。

 これから選挙に向けて,ますます政界は流動的になっていくはずです。そして,その幕開けが,自民党・閣僚のオウン・ゴールではじまるとは,いささか意外でしたが,なるほどなぁ,ともおもいます。さあ,わたしたちも手綱を緩めてはなりません。

 いざ,鎌倉,です。立ち上がりましょう。できるところから・・・・。

2016年1月27日水曜日

琴奨菊,おめでとう!艱難辛苦の末に咲かせた大輪の華。

 所要があって,23日,24日と旅の最中,大事な最後の二日間の相撲をみることができませんでした。帰宅後に大急ぎで,相撲の経過を新聞で確認しました。場所の最後のところでも,やはり,いろいろと大事なドラマがあったことを知り,感動しました。

 とりわけ,25日(月)の東京新聞の琴奨菊情報は圧巻でした。予想以上に大きな扱いになっていて,豊富な情報をえることができました。そして,しばしば,涙しながら読むことになりました。グッと胸に詰まるものがありました。よく頑張った。諦めずに頑張った。そんな琴奨菊を支えたものはなにであったのか,とあれこれ考えながら読みました。

 大きな怪我をして,再起不能とまで言われてもなお,グッと我慢して耐えた精神力にまずはこころから敬意を表したいとおもいます。何回も何回も負け越し,角番を経験し,いつのまにか「角番大関」という異名まで定着してしまいました。が,そのつど,奇跡的に這い上がり,なんとか大関の地位を守りつづけてきました。その気力は,どこからくるのだろうか,と以前から気になっていました。その理由がほんの少しわかったようにおもいます。

 おすもうさんは,みんな仲良しです。このことが意外に世間では知られていません。お互いにこころを開き,尊敬し合い,その上で切磋琢磨する間柄でなくては,この世界は生きてはいけません。ですから,おすもうさんの基本は「善人」です。相撲界では嫌われたら,力士生命はそこで終わりです。なんと言っても,一年の間,90日間は本場所があり,その間には巡業があります。言ってみれば,四六時中,はだかのお付き合いがつづいています。しかも,真剣にぶつかり合って,必死の覚悟で相撲道を極めていく,その厳しさに耐えた者だけが力士として生き残るのです。そのまた,力士の中から,三役をつとめる力士が生まれ,そこでも徹底的に鍛えられて,耐えきった力士だけが大関の地位を確保することになります。横綱はそのまた上に存在します。

 この大関という地位で優勝すること,これはほんとうに選ばれた力士だけに与えられた特権ともいうべき名誉です。そのためには,なにがなんでも横綱を倒す以外には手に入らない名誉です。それを,もののみごとに果たしたのですから,琴奨菊にはこころからの拍手を送りたいとおもいます。しかも,大きな怪我に悩まされ,想像を絶するような艱難辛苦を乗り越えての優勝です。筆舌につくしがたい辛くて長い,貴重な経験の果てに手にした栄冠です。

 新聞記事のなかでもっとも感動したのは,豊ノ島の談話でした。まさか,こんな日がこようとは夢にもおもっていませんでした・・・・琴奨菊全勝,豊ノ島2敗での対決の前のことばです。つまり,二人とも優勝争いの渦中の人です。よく知られていますように,琴奨菊と豊ノ島とは小学生のときから相撲をとってきた,宿命のライバルであり,大の親友です。それでも,二人は優勝をめざして全力を出し切って闘いました。その結果は,豊ノ島が勝って,全勝の琴奨菊に土をつけることになりました。こうして,星一つの差で優勝争いが繰り広げられることになりました。

 にもかかわらず,琴奨菊の優勝が決まって,花道を引き揚げてくる琴奨菊を待ち受けていたのは,豊ノ島でした。お互いに固い握手をかわし,抱き合って,喜びを分かち合ったといいます。涙なしには読めない記事でした。いま,この文章を書きながらも,わたしの眼はすでに熱くなっています。なぜなら,この記事を読む前に,もうひとつ別の記事を読んでいたからです。

 それは,琴奨菊の優勝についての感想を聞かれた豊ノ島の応答です。
 ほんとうのことを言えば,一番,悔しい。しかし,なぜか,自分のことのように嬉しい。素晴らしい親友がいてくれたことを誇りにおもいます。
 これまた,みごとではないですか。ここでも,わたしは涙しました。おすもうさん,ってなんと素晴らしい世界を生きているのだろうか,と。

 でも,こういう人でなければ幕内の力士は勤まらないことも忘れてはなりません。土俵は勝負を決める一瞬の場であり,最大の華の咲く場でもあります。しかし,そこに至るまでの裏側にはどれほどのドラマが隠されていることか,そのことをわたしたちはほとんど知らないままでいます。メディアは勝った負けたの結果だけを報じて,だらしがないだの,弱いだの,と騒ぎ立てるだけです。しかし,相撲の醍醐味は,土俵の裏に隠されたドラマを垣間見る瞬間にあります。つまり,土俵上の勝負は,その裏側のドラマが渾然一体となって表出するものです。それを鋭く見極めていく眼力が必要です。言ってみれば,透けて見えてくる世界を堪能することにあります。

 おすもうさんの笑顔がことのほか美しいのは,そういうドラマの表出でもあります。琴奨菊の優勝がもたらした,あの笑顔こそ,その典型的な例といっていいでしょう。優勝を目前にした緊張感,重圧から解き放たれた,こころの底からわき上がる,えも言われぬ喜びが全開している姿がそこに表出しているのですから。

「なにか,これまでとは全く異なる別世界に飛び出してきたようにおもいます。でも,まだ,上がありますから,精進したいとおもいます」。この琴奨菊のことばもとてもいい。

 そして,何回も何回も繰り返した,両親への感謝,相撲を教えてくれた祖父や親方への感謝,そして,後援会の人びとへの感謝,部屋の力士仲間たちへの感謝,感謝,感謝の気持ちでいっぱいです,というかれの人柄を彷彿とさせることばと姿勢。ほんとうにみなさんに支えられて今日があります,と素直に語る大関・琴奨菊に,またまた涙しました。

 佐渡ケ嶽部屋には直系の親方のほかにも,尾車親方という,琴奨菊にとっては最高のお手本であり,最高の指導者が控えています。同じように両膝を痛めて,それも重症の怪我に耐えて,必死のがぶり寄りで一世を風靡した名大関・琴風。しかも,賢い人で,じつに心根の優しい,暖かい人が,じっと琴奨菊の相撲を見守り,指導しています。大病を患い,地獄をみて復活してきたこの人の「相撲解説」は,天下一品のものです。相撲というものがどういうものであるのか,ということをわかりやすく,ピンポイントで教えてくれます。こういう人がついていてくれるかぎり,琴奨菊の未来は明るい,とおもいます。あとは,これ以上の怪我をしないよう,しっかりとからだを作って来場所に臨むこと。

 かれなら,やってくれるでしょう。わたしは大いに期待したいとおもいます。
 その意味でも,来場所がいまから待ち遠しいおもいです。

 というところで,今日はここまで。

2016年1月26日火曜日

第100回記念研究会,飛鳥散策の旅からもどってきました。

 第100回を記念する研究会(1月23日・奈良教育大学)+山焼きと日本の古代史に思いを馳せる飛鳥散策(1月24日),古民家を借り切っての夜遅くまでの楽しい団欒,さらに,1月25日には興福寺の宝物館,京都駅の美術館に立ち寄り,夕刻,帰路につき,無事に帰宅しました。

 1月23日(土)の第100回を記念する研究会は,予想をはるかに上回る話の展開となり,素晴らしい会になりました。これはひとえに,遠路はるばる奈良まで足を運んでくださった演者の方々のお蔭です。なんと言っても,経済思想史,表象文化論,アフリカ学,イスラム研究,政治思想,チョー哲学のそれぞれの領域の第一人者ばかりに集っていただいたわけですから。しかも,じつに手際よくそれぞれの研究領域からの発言をしてくださったお蔭で,わたしたちスポーツ史・スポーツ文化論を研究している人間のこころにも深く響くものがありました。やはり,無理をお願いしてよかった,としみじみおもいました。

 大雪,大荒れの天気が心配されていましたが,奈良はほとんどその影響もなく助かりました。夜の山焼きは,いつものオープニングの花火までは楽しむことができましたが,若草山の芝の状態が悪く,麓の部分が少し焼けただけでした。後日,焼き直しをするとのこと。その代わり,夜の懇親会はキャンパス内の寧楽館で行われ,多くの人がお互いに交流できて,とても充実したものとなりました。みなさん,大満足の様子でした。

 1月24日(日)は奈良のホテルから一直線に飛鳥を目指しました。朝から猛烈に寒く,冷え込みましたが,青空に恵まれました。まずは,豊浦宮跡を散策,その足で甘樫丘に登り,展望台から奈良盆地,西の葛城山とその裾野,東の三輪山からその奥のダンノダイラ方面,そして,眼下の飛鳥の里の眺望を堪能しました。そして,車で川原寺跡まで移動。橘寺を見学したところで時間となり,昼食。そのあと飛鳥川に沿って田んぼの中を歩き,あちこちに点在するかつての宮跡(伝承地)を一つひとつ確認しながらくだり,飛鳥寺で飛鳥大仏を拝観,入鹿首塚から甘樫丘を眺めました。そして,乙巳の変がいかなるものかに思いを馳せました。つぎに石舞台に移動,さらに高松塚壁画館へ,そして,天武・持統陵に登りました。ちょうど夕日が沈むころでした。

 急いで宿泊予定の古民家・古都里庵へ。ここがまたことのほか素晴らしいところでした。ここのことを書き始めますと際限がなくなってしまいそうですので,今回は割愛。自炊でしたので,可能なかぎり食材も持ち込み,女性軍(男性も大いに手伝いました)の奮闘で,素晴らしい宴を囲むことができました。建物といい,庭といい,眺望といい,申し分のないところでした。いずれ,またの機会に紹介したいとおもいます。でも,夜の部をちょっとだけ。可愛い歌姫の歌があり,それに感応して涙し,嗚咽する男あり,あるいは,アフリカニストによる魂の籠った迫力満点の歌あり,セミプロのシンガー・ソング・ライターによる演奏あり,という具合ですっかりいい雰囲気ができあがりました。あとは,夜遅くまで「囲炉裏」を囲みながら,団欒。みんな「ひとつ」のこころになれたようにおもいました。貴重な経験であり,嬉しいことでした。

 1月25日,朝食後に解散。わたしは近鉄で奈良まででて,興福寺の宝物殿(阿修羅,仏頭,千手観音像,など)へ。小野さんと竹谷さんが付き合ってくださいました。昼食は,名物「びっくり」(うどん)へ。そこから小野さんと二人でJR奈良線で京都へ。京都駅の駅美術館(伊勢丹内)で「京薩摩」の焼き物を鑑賞(林郁子さんのご推薦),これが想定外に素晴らしく感動。図録を買って新幹線へ。新幹線の中でも夢中になって図録に見入ってしまいました。

 というようなわけで,25日の遅い夕食の時間に帰宅。

 たった二泊三日だったはずなのに,ものすごく長い時間を過ごしたような感覚が,いまも残っていて不思議な感じです。浦島太郎の逆のヴァージョンです。思い切って,大きな計画を立てて,よかったなぁとしみじみおもっています。今回の第100回記念研究会は生涯の思い出になりそうです。参加してくださったみなさんにこころから感謝あるのみです。こんな経験をあと何回できるだろうか,と考えてしまいます。これからは,思い切って,二泊三日の計画(個人的に)で研究会に参加してみようかなぁ,と考えたりしています。

 以上,ブログが二日間,途絶えてしまいましたが,その言い訳を兼ねてのご報告まで。
 こんごともよろしくお願いいたします。

2016年1月23日土曜日

ベッキー,バス事故,SMAP騒動に隠されてしまった国会の議論。

 このところ連日,遅い昼食をとりながらNHKの国会中継を眺めていました。リアル・タイムで流れてくるので,なんの編集の手も加えてない生の情報が直接飛び込んできます。そこでは,信じられない議論が展開されていました。小学校低学年の学芸会よりももっとひどい,稚拙な猿芝居が繰り広げられていました。これが国会の議論というものなのか,といまさらながらあきれはててしまいました。

 政権にとって都合のいい質問には,真っ正面から嬉々として答えています。しかし,厳しい質問になると,とたんに質問の趣旨をすり替えて,政権の立場を延々とつづけます。そして,結局は,まともな応答はまったくなしのまま時間切れになってしまいます。つまり,質問時間まで,政権の主張に食われてしまう始末です。

 ときには,質問に答えられないまま,10分も15分も中断してしまうこともありました。それも,政府が示した予算の数字の根拠を説明してほしい,わたしの計算だとそうはならない,それも4000万円もの誤差はなぜなのか,という問いです。官僚からのカンニング・ペーパーもとどきません。ということは,でたらめな予算案であることがバレてしまった証拠。そして,窮した政府は,後日,調査をしてから答えます,というような塩梅です。

 こんなとんでもない議論が国会では連日,行われていたのです。にもかかわらず,国会の議論を整理してニュースにする努力を,報道各社はいちじるしく欠いています。もし,とりあげたとしても,政府が不利になるようなところはすべてカットして,アベノミックスが成功したと主張するアベ君の顔ばかりがアップで写し出されるだけです。そして,国民として考えなくてはならない,大事な問題の本質についてはすべて隠蔽されてしまっています。

 こうして,みごとなまでに世論が操作されています。

 この隠蔽操作に大いに貢献しているのが,ベッキー情報であり,バス事故であり,SMAP騒動,というわけです。こちらは,四六時中,どこもかしこも,これでもか,これでもか,と連日,微に入り細にわたり報道しています。たしかに,バスの事故に関しては厳しい検証が必要ですが,それにしても過剰としかいいようがありません。ベッキーのことなどどうでもいい。SMAP騒動もどうでもいい。こんな話題は週刊誌にまかせておけばいい。

 こんな情報にテレビが飛びつくのは,単なる視聴率稼ぎ以外のなにものでもありません。

 そんな時間があったら,フクシマの「いま」を連日,報道してほしいし,国会の恐るべき議論をきちんと整理して報道してほしい。しかし,そんな気はさらさらありません。いまや,「自発的隷従」もいいとこです。率先垂範して,政府をよいしょしているのですから。それは奇怪しいではないか,とまともな発言をするキャスターは軒並み排除(クビ)です。

 この4月から,大型のニュース番組が,みんな骨抜きになってしまいます。

 そうして,芸能界のスキャンダルばかりが時間を独占してしまって,重要なニュースをどこかに追いやってしまって,国民の総白痴化がいやおうなく進行していくことになってしまいます。

 だれがその仕掛け人であるか,などはいまさら言う必要もないでしょう。
 わたしたちにできることは,つぎの選挙で,みずからの意思を正しく表明するのみです。そのための準備に,もう,いまからとりかからなくてはなりません。
 ほんとうに情けない時代になったものです。

 政治家も嫌気がさしたのか,ベテランの政治家がつぎつぎに引退を表明しています。こうなってきますと,いま,自民党の内部で蠢いているマグマがいつ噴出するか,それを待つ以外にないのかと情けなくなってしまいます。

 とうとう,嘆き節になってしまいました。今夜はこの辺で。

2016年1月22日金曜日

琴奨菊に拍手。横綱戦,3連破。あと3日。悲願達成か。

 迷いのない鋭い立ち合いから左差し,右おっつけ,そして得意のがぶり寄り。かつて大関に昇進したころのいい相撲がもどってきた。この自分の相撲を取りきることに集中した,今場所の琴奨菊の強い気持ちが,これまたみごと。膝の状態もいいようで,立ち合いの馬力といい,がぶり寄りの両足のバネといい,申し分がない。この相撲で横綱3連戦をみごとに突破。残り3日の相撲を自分の型で取りきれば,悲願達成となる。

 この悲願達成にはふたつの意味がある。ひとつは,琴奨菊個人の,長年にわたる怪我を克服しての優勝。もうひとつは,10年ぶりの日本生まれの力士による優勝。さて,この悲願の達成はなるか。日本中の相撲ファンが,明日からの琴奨菊の相撲に注目することになる。

 わたしの予想は,いまの気持ちが乱れないかぎり琴奨菊の全勝優勝は固い,とみる。しかし,優勝が目の前に迫ってくると,人間は穏やかではなくなってくる。あとは,自分との闘いだ。いまの琴奨菊ならやってくれそうだ。これまでの集中力を維持すること,そして,いまの立ち合いで,からだを密着させ,前に出る圧力があれば,得意の自分の型に持ち込むことは可能だ。

 そうすれば,全勝優勝も夢ではない。

 ところで,今日の横綱・日馬富士との一番。
 今場所の日馬富士の調子は悪くない。先場所よりもずっといい。からだの切れ味がいい。立ち合い,真っ正面から当たって一気に押し出してしまう相撲も何番かあった。日馬富士自身も相当に自信をもって土俵に上がっている,と見受けられた。だから,今日の相撲も,堂々と真っ向勝負にでる,とみていた。

 この予想は当たった。しかし,意外だったのは,立ち合い。いつもの低く,下から矢が突き刺さるような鋭い立ち合いではなかった。やや焦ったか,腰が十分に降りる前に立っていった。その分,相手への圧力不足。むしろ,琴奨菊の立ち合いの方がよかった。そして,そのあとの馬力も琴奨菊の方が勝っていた。だから,からだが密着したままの差し手争いとなった。その結果,胸を合わせたままの左四つ,琴奨菊の組み手になった。となれば,迷わず寄ってでた琴奨菊の相撲となった。右のおっつけが効いていたので,最後は右からの突き落とし。

 わたしは,もう一つの予想もしていた。
 今場所の琴奨菊の勢いは尋常ではない。まとも行ったら,立ち合い負けする可能性がある。だから,右からのど輪で攻めて相手の上体をのけ反らせておいてから,左に飛んで上手をとり,得意の出し投げで転がす。いつもの常勝のパターンである。日馬富士の頭のなかには,当然のことながら,この作戦はあったはずだ。しかし,この選択を避けた。なぜなら,横綱が変化して勝ちにこだわった,とあとで批判されるのを快しとしなかったのだろう。ならば,今場所の立ち合いの鋭さに自信があるかぎり,真っ向勝負を挑むべきだ,と。

 しかし,立ち合いに失敗した。ほんのわずかな腰の高さが,相手の胸に突き刺さるだけの威力にはならなかった。これが敗因のすべてだ。となれば,琴奨菊の思うつぼだ。その瞬間から,流れは琴奨菊の相撲となった。

 この一番は,平常心を貫いた琴奨菊を褒めるべきだろう。相手を睨みつけるわけでもなく,また,厳しい表情をするわけでもなく,いつもどおりのふつうの顔のまま。どこか悟り切っているかのような雰囲気すら漂わせている。この自然体の発するオーラのようなものに,3横綱全員がのまれてしまっていたのだろうか,といまとなっておもう。

 琴奨菊は,土俵を降りてからも,眼を閉じて瞑目したまま。じっと,余韻を楽しむかのように,自分の気持ちと向き合っている。まるで悟りを開いた禅僧のようだ。自分ひとりの世界を遊んでいる。遊戯三昧の境地。先場所までの琴奨菊とは生まれ変わったかのような姿に感動すら覚える。立派なものである。

 横綱3連戦を無敗で突破した,この実績は琴奨菊にとっては大きな,大きな自信になったに違いない。この相撲を取りきれば負けることはない,と。だから,この道を行けばいいのだ,と。こころの自信もさることながら,からだに叩き込まれた自信はなにものにも代えがたい,大きな財産となる。

 今日の一番を終えて,琴奨菊は,一皮も二皮も剥けて,すっかり生まれ変わったに違いない。明日からも迷わず,この相撲を取りきれば,全勝優勝は固い。

 でも,これからの三日間の方がプレッシャーは大きいかもしれない。なぜなら,横綱戦は負けてもともと。しかし,下位との闘いは負けるわけにはいかない。その差は大きい。さて,ここのところをどのようにクリアするか,明日からの琴奨菊に注目したい。

 まずは,琴奨菊にこころからのエールを送りたい。頑張れ,琴奨菊!

2016年1月21日木曜日

「玄之又玄、衆妙之門」(『老子』第1章)。「あらゆる微妙なものが生まれてくる」ところ。

 予告どおり,第1章を読んでみたいとおもいます。
 まずは,テクストの第1章をそのまま転記しておきましょう。

 これが道ですと示せるような道は,恒常の道ではない。これが名ですと示せるような名は,恒常の名ではない。
 天地が生成され始めるときには,まだ名は無く,万物があらわれてきて名が定立された。
 そこで,いつでも欲がない立場に立てば道の微妙で奥深いありさまが見てとれ,いつでも欲がある立場に立てば万物が活動する結果のさまざまな現象が見えるだけ。
 この二つのもの──微妙で奥深いありさまと,万物が活動しているありさまは,道という同じ根元から出てくるものであるが,(微妙で奥深いとか活動しているとかいうように)違った言い方をされる。同じ根元から出てくるので,ほの暗く奥深いものと言われるが,(そのように言うと道の活動も万物の活動も同じになるから,)ほの暗く奥深いうえにも奥深いものが措定されていき,そのような奥深いうえにも奥深いものから,あらゆる微妙なものが生まれてくる。

 道(みち)の道とす可(べ)きは,常(つね)の道に非(あら)ず。名の名とす可(べ)きは,常の名に非(あら)ず。
 名無きは天地の始め,名有るは万物の母。
 故に,常に欲無くして以(もっ)て其(そ)の妙(みょう)を観(み),常に欲有りて以てその〇(きょう)を観る。
 此(こ)の両者は同じきより出(い)でて而(しか)も名を異(こと)にす。同じきを之(これ)を玄(げん)と謂(い)う。玄の又(ま)た玄,衆妙の門。

道可道、非常道。名可名、非常名。
無名、天地之始。有名、万物之母。
故常無欲以観其妙、常有欲以観其〇。
此両者同出而異名、同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。

 以上です。
 〇(きょう)の文字は,「激」の「さんずい」の代わりに「ぎょうにんべん」。

 さて,これをご覧になっていかがでしょうか。ちょっとだけ偉そうなことを言ってしまえば,この訳文と読みくだし文と原文とを比べてみますと,読みくだし文のリズムの良さばかりが目立ち,やはり,訳文がもたもたしていていささかもの足りない気がします。もっと簡潔にわかりやすく訳文にすることはできないものか,とおもってしまいます。そこで,恥ずかしながら,思い切って拙文を提示してみたいとおもいます。

 これが道です,と言えるような道は,ほんとうの意味での道ではありません。これが名です,と言えるような名は,ほんとうの意味での名ではありません。
 天地が始まるときには,まだ名などありません。いろいろの物の存在が意識されるようになって初めて名がつけられるのです。
 だから,名にとらわれない人は道のほんとうの姿を見てとることができますが,名にとらわれてしまう人はものごとの眼に見える現象を見ているにすぎません。
 この二つの立場は,同じ道から出てくる立場ですが,そこに見えているものはまったく別のものです。この二つの立場を産み出す道のことを玄といいます。玄は奥が深く,その玄のまた奥の玄はほの暗く混沌としていますが,そこがありとあらゆる微妙なものが生まれるところなのです。

 どうでしょうか。いくらか鮮明になったのではないか,と自讃していますが・・・(笑い)。もっとも,これがわたしの理解の範囲にすぎないことは,白状しておかなくてはなりません。著者の蜂屋さんが,各章の終わりに付してくれている訳注は,その該博な知識に裏打ちされたほれぼれするほどの内容に満たされています。ぜひ,テクストを手にとって確認してみてください。その訳注をわたしなりに受け止めて,試みてみたのがこの拙文です。

 で,問題の第6章との関係です。第1章の最後の章句,「玄之又玄、衆妙之門」(玄のそのまた奥の玄はありとあらゆる微妙なものが生まれてくるところ・門)は,第6章でいう「玄牝之門、是謂天地根」をも包括していて,共振・共鳴している,とわたしには読めてしまいます。すなわち,「衆妙之門」と「玄牝之門」とは,概念の大小の差異があるものの,イコールで結ぶことができるのではないか,と。

 もっと思い切って言ってしまえば,道(タオ)とは「衆妙之門」であると同時に,性や生殖を営む女性器や男性器をも包括し,その思想・哲学の中核に位置づけているのではないか,と。老子はそのことを強く意識して「道」(タオ)を説いているのではないか,と。

 ここに至りついたとき,「生」の源泉のイメージが透けて浮かび上がってくるようにおもいます。そして,第1章の冒頭の「道可道,非常道」の意味もからだに染み込んできます。さらには,老子が説く「無為自然」の意味も,「一」の思想も,あたまではなく,からだでわかるレベルに移行していきます。

 もっと拡げておけば,『般若心経』に何回も繰り返し登場する「無」の意味も,チベット密教の修行の一つとしてプログラム化されているという「男女和合」の行も,剣術の極意として説かれる「男女和合」の術も,そして,ジョルジュ・バタイユの『エロチシズム』や『エロチシズムの歴史』での主張も,みんな「玄之又玄」での「微妙なもの」(「妙なるもの」の方がわたしとしてはすっきりします)が生まれる「ところ」に連鎖・連動しているのではないか,とおもいます。

 これらのことについては,また,つぎの機会に考えてみたいとおもいます。
 今回はここまで。

2016年1月20日水曜日

「玄牝之門、是謂天地根」(『老子』第6章)。性・生殖の思想・哲学。

 まずは,見出しに引いた「玄牝之門,是謂天地根」の大意をつかんでおきたいとおもいます。読みくだし文にすれば「玄牝の門,これを天地の根という」であり,その大意は「女陰,これがすべてのはじまりだ」となります。これにはおもわずびっくりしてのけ反ってしまいます。しかし,老子は本気です。そして,道家思想の根源はここにある,と主張しているように読み取ることができます。なぜ,そういうことになるのか,姿勢を低くして,まじめに考えてみたいとおもいます。

 『老子』(蜂屋邦夫訳注,岩波文庫)は,いわゆる道家思想の原典に訳注をつけたテクストです。言ってしまえば,広い意味での思想・哲学の書です。思想と哲学は,厳密にいえば違います。しかし,道家思想の立場では,思想も哲学も同じです。というより,区別することを,むしろ無意味である,という立場に立ちます。つまり,思想も哲学も全部ひっくるめて,ものごとを総体としてとらえ,その真理を語ろうとしています。人間や世の中のことを考えるということは,ものごとの総体をすべて視野に入れて考えるべきだ,というわけです。

 どこか,「チョー哲学」(西谷修)の立場につうじている,とわたしは受け止めています。

 つまり,ヨーロッパの伝統的な形而上学からすれば,性や生殖を考察の対象とすることは忌避されてきたのに対し,道家思想では性や生殖を忌避するどころか,むしろ,考察の真っ正面に据え,しかも,そこを出発点とする,毅然たる姿勢を示している,と言っていいとおもいます。

 その典型例が,第6章として登場しています。全部で81章ある中での第6章です。言ってしまえば,序章にあたる部分です。もっとも,厳密にいえば,第1章に,すでに,予告的な言説が現れています。このことについては,のちほど,触れることにします。

 まずは,テクスト(『老子』)の構成を逆にして,原文,読みくだし,訳文の順に,第6章を,ここに書き写してみます。
 それは以下のとおりです。

 谷神不死、是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。綿綿若存、用之不勤。

 谷神(こくしん)は死せず、是(こ)れ玄牝(げんぴん)と謂(い)う。玄牝の門、是れを天地の根(こん)と謂う。綿綿として存するが若(ごと)く,之(これ)を用いて勤(つ)きず。

 谷の神は不死身である。それを玄妙なる牝(めす)という。玄妙なる牝の陰門(いんもん)を、天地の根源という。ずっと続いて存在し続けているようであるが、いくら働いても尽き果ててしまうことはない。

 以上が第6章の原文と読みくだし文と訳文です。このあとに,著者である蜂屋邦夫による訳注が,こってりとした内容を盛り込んで,つづきます。その重要な部分だけを引いてみますと以下のとおりです。

 1.谷神不死  「谷(こく)」は,たに。空虚で奥深く,低く窪んで水が流れる場所。「谷神(こくしん)」は谷に宿る神のことで,女性器を暗示している。
 2.是謂玄牝  「玄(げん)」は,うす暗くて,測り知れぬほど奥深いありさま。「牝(ひん)」は母性、生殖性。
 3.玄牝之門  女性器そのものを指す。
 4.是謂天地根  「根(こん)」とは,男根・女根の根(こん)と同じで,万物を産み出す生殖器。万物の根源のこと。
 5.綿綿若存  「綿綿(めんめん)」は,ほそぼそと,ずっと続いて絶えないさま。「存するが若(ごと)く」は,存在はしているが,はっきりとは見えないさま。
 6.用之不勤  「勤(きん)」は「労(ろう)」や「尽(じん)」の意味。「労」と「尽」は,疲労して止まってしまうこと。ここは天地の生成作用が限りなく続くことを表わしているので,いま,「尽」の意味に解した。

 この訳注は,じつは,もっと詳細な説明がなされているのですが,長くなりますので,短く要約しました。が,これだけの訳注だけでも,原文の意味するところを深く理解する手助けにはなっているとおもいます。これらの訳注をしっかりと読み込んでみますと,蜂屋邦夫の訳文も,やや淡白になっていて,どこか腰が引けているように感じます。原文を書いた老子は,いろいろの含意をもたせつつも,単刀直入にそのものずばりを言い切っているようにおもいます。

 すなわち,生殖行為そのものである性行為(セックス)も,天地の生成作用と同じで,尽きることなく,限りなく続くのだ,と。この生殖という営みがあるからこそ,人間は絶えることなく永遠に存続していくことができるのだ,と。生殖こそ万物の母である,と。「玄牝之門」とはそういうことなのだ,と。ものごとのはじまりは,すべてここにある,と断言しているのです。

 このように読んできますと,この第6章と第1章とは,みごとに共鳴し合っていることがわかってきます。すなわち,第1章の末尾にある章句「玄之又玄、衆妙之門」は,第6章の「玄妙之門」(玄妙なる牝の陰門)とみごとに響き合っています。

 ここまできますと,では,第1章をどのように読むのか,ということがまったく次元の違う新解釈として提示されなくてはならない,とわたしは考えます。つづけて,次回は,第1章を取り上げてみたいとおもいます。

〔追記のメモ〕
 このような『老子』解釈を可能としたきっかけは,森元庸介さんのプレゼンテーション「ジャン=ピエール・ルジャンドルの舞踊論」と,西谷修さんが,このところ繰り返し主張されている「生きもの」としての人間,そこから思考を立ち上げなくてはいけない,といういわゆる「チョー哲学」があったからだ,と正直に告白しておきます。
 なお,『老子』に書き込まれている「道家思想」は,太極拳の思想の原典にもなっていることを付け加えておきたいとおもいます。

2016年1月19日火曜日

『老子』,忘れて2冊目購入。よくあること。

 朝起きたら,予報どおりの銀世界。今シーズン初の積雪をみました。東側の窓から多摩川と東京方面を眺め,西側の窓から富士山方面をとくと眺めてみました。と書くと,いかにも遠くまで見晴らしのきく素晴らしい眺望のようにおもわれるかも知れませんが,じつは,その眺望の半分は,いま住んでいる高層マンションの建物で占められています。でも,一応,9階ですので,見えるところは,かなり遠くまで見えます。晴れていれば富士山も見えます。まずは,ともかく,久しぶりの雪景色を堪能することができました。

 寒いのは苦手ですので,今日は一日,家に籠りました。でも,一歩も外に出ないのはよくないと考え,大相撲の中継が終わってから散歩にでました。残り雪を踏みしめながら,若き日にスキーに熱中していたころのことを思い出していました。雪解けの冷たい空気を顔で感じながら,冬だなぁ,としみじみと。こんな散歩も悪くない,とおもいながら。

 でも,途中で寒くなってきましたので,いつもの書店に身を滑り込ませて,いっときの暖をとることにしました。眺める書棚はきまっていて,順番に,渡り歩いていましたら,ひょいと『老子』が眼に飛び込んできました。こういうタイミングは,「買ってくれ」と本そのものがわたしに呼びかけているものです。ですから,無意識のうちに手が伸びて,ぱらぱらとめくっています。そして,直感的に,これはいい本だと判定。そのまま,カウンターへ。

 家に帰ってから,すぐに,あちこちめくりながら本格的にチェックをはじめました。すると,どこか馴染みのある文章に出会い,はっとわれにかえりました。そして,老子関連の本が集めてあるコーナーをみやりますと,あるではありませんか。同じ本が。あっ,そうか,二冊目か。でも,これはいい本ですので,なんの後悔もしていません。いい本は二冊もつというのはわたしのポリシーでもあります。一冊は「書き込み用」,もう一冊は「まっさら用」です。

 いい本は何回も何回も取り出してきては読むものです。そのときは,「まっさら用」を読みます。そして,おやっ?となにかが閃いて,書き込みをしたくなったら「書き込み用」を取り出して,その場所を確認します。そして,なにも書いてなかったら,いま,閃いたことをメモとして書き込んでおきます。が,たいていは,同じ閃きをするもので,新しい閃きだと興奮して確認してみると,すでに,同じことが書き込んである,ということはよくあることです。

 でも,ときおり,素晴らしいアイディアが浮かんで,嬉しくなることがあります。そういうときは,わざわざ「赤」で線を引いて目立つようにしておきます。ですから,いい本は,その「赤」線がどんどん増えていくことになります。そして,余白は書き込みでいっぱいになってしまいます。そういう場合には,大きな余白のあるページをみつけて,そこに書き込みます。もちろん,⇒をつけてそこのページ数を書き込んでおきます。

 こうして書き込みでいっぱいになった本は,わたしにとっては宝物も同然です。ですから,頭が惚けて,よく働かない日には,こういう書き込みでいっぱいになった本を取り出してきて読むことにしています。すると,驚くほど共感・共鳴・共振して,惚けていた頭が急に活性化することがしばしばあります。自分の書き込みですので,とてもよくわかるわけです。そして,ときには,その書き込みに反応して,また,新しいアイディアが飛び出したりすることもあります。こういうときは,まさに,至福のときでもあります。読書冥利につきます。

 こんなことをしていると,半日くらいはあっという間にすぎてしまいます。場合によっては,食事も忘れて没頭していることも少なくありません。こういうときは空腹にも気がつきません。なんとも言えない充実感があって,大満足です。

 二冊目を購入しましたので,この『老子』は,徹底的に「書き込み用」として活用することにします。といいつつ,すでに書き込みをはじめています。

 道可道非常道。・・・・じっと睨む。もう,何冊もの解説本を読んでいますので,ふつうの解釈はわかっています。が,少し別の本で思考を練り込んだのちに,この冒頭のことばに向き合うと,あれっ?とおもうことがあります。これまで考えたこともない,まったく新しいアイディアが・・・。

 どうかどうひじょうどう,とそのまま棒読みしてみます。経文を読むように,繰り返して,音声にしてみます。すると「どう」が3回もでてくるなぁ,と当たり前のことが気がかりになってきます。そのことは,眼で読むときも同じように「道」が三つもあるなぁ,と眼につきます。が,眼でみる「道」は視覚的に同じ文字としかみえません。しかし,声にし,耳で聞く「どう」は,全部違う,別物として響いてきます。発音の仕方もすべて違う「どう」です。その結果として聞こえてくる「どう」も全部違います。

 となると,眼でみる「道」と,声・耳に響く「どう」とは,どこが,どう違うのか,ということが問題になってきます。これは,とんでもないことに気づいたな,と自分でびっくりしてしまいます。それっ,というので「書き込み」がはじまります。

 すると,すぐ,このあとにつづく章句「名可名非常名」も,同じことの繰り返しをしていて,「道」が「名」に変わっただけです。そして,最後の章句「玄之又玄衆妙之門」とも響き合っていることに気づきます。この繰り返しに,じつは,深い意味がある,と気づきます。つまり,三つの「道」も,三つの「名」も,そして二つの「玄」も,それぞれみんな違う意味をもっているのだ・・・・と。

 さて,ここからさきの「遊び」は,わたしひとりの世界になっていきます。こんな経験は,なんと,今日,衝動買いをした,この『老子』が初めてです。やはり,衝動買いをさせる,なにかが,そのとき働いていたんだなぁ,とおもわずにはいられません。

 これもまた,ありがたい(ありえない)ことだ,としみじみおもいます。こんな「遊び」がたくさんできたら,人生は楽しいだろうに・・・。あと,どれくらい,こんな「遊び」ができるのだろう・・・と。

 そう,この『老子』は,蜂屋邦夫訳注,岩波文庫,2008年12月16日第1刷,2015年10月26日第13刷,です。詳しいことは省略しますが,全体の構成といい,訳文といい,読みくだし文といい,原文といい,注釈といい,解説といい,索引といい,すべて申し分ありません。あとは,手にとってご覧ください。

 こんな本にどんどん惹かれていくのは,西谷修さんの書かれた「<破局>に向き合う」を読み,感銘を受けたからに違いありません。そして,こんどの23日(土)の奈良例会のことが頭にあることも間違いありません。

 なぜか,わたしが,いま,いい本だなぁと感ずる本は,すべて,ある「一点」に向かっていきます。どうも,そこらあたりが,「玄之又玄」であり,「衆妙之門」であるらしい,とわかってきました。こうして,奈良例会がまたまた楽しみになってきました。

 素晴らしい降雪・積雪がもたらした贈与(おみやげ)。こうした気づきも,この贈与があってのもので,これもまた,無縁とはいえません。いい雪の日でした。

2016年1月18日月曜日

8日目,全勝で折り返した琴奨菊。絶好調。

 久しぶりに強い琴奨菊がもどってきました。まさに大関に昇進するころの馬力相撲の再来です。怪我に苦しんできましたが,なんとかそこを通過して,展望が開けてきました。よく我慢し,努力してきたなぁ,と褒めてあげたいところです。その姿勢にこころからの敬意を表したいとおもいます。そして,さあ,これからだ,と激励のことばをかけてあげたい。

 今場所のよさは,低い立ち合いからの出足にあることは間違いありませんが,それに加えて右おっつけが効いている,とわたしはみました。とりわけ,昨日(17日)の対稀勢の里戦の相撲がよかった。左差し,右おっつけ。今場所,この型がきちんとできています。脚(膝)の状態もいいようで,両足ではね上げるようながぶり寄りも,相手にとっては驚異となっています。さて,この取り口が後半戦,とりわけ,終盤の5日間で,横綱にどこまで通用するか,いまから楽しみです。

 頑張れ,琴奨菊!

 それに引き換え,同じ全勝で8日目を折り返した白鵬のマナーの悪さが,わたしの眼に焼きついていて離れません。嘉風が土俵を割って勝負がついた瞬間,力を抜いた嘉風を土俵下に投げ捨ててしまいました。なにか,怨みでもあるかのように。しかも,どうだ,という顔までして。すでに,放送時間の午後6時を過ぎていましたので,アナウンサーはすぐに全体の勝負結果だけを整理して,ばたばたと慌ただしく放送は終わってしまいました。もちろん,このことについてはなにも触れることもなく・・・。

 今日の新聞がどのように書くか,と注目していました。わたしとしては大問題だからです。横綱ともあろう者が。人間として,どこか欠けている。勝てばいいという問題ではなかろうに。頭に血がのぼっていました。しかし,案の定,東京新聞は一言も触れてはいませんでした。たぶん,他紙も同じでしょう。昨夜のNHKのサンデー・スポーツも,解説の北の富士が生出演していましたが,この問題はスルー。

 少なくとも,日本相撲協会として,あるいは,理事長として,はたまた,横綱審議委員会として,あるいはまた,競技審判長として,厳重注意くらいはあってしかるべき「事件」だったはず・・・・。しかし,なにごともなかったかのように「みてみぬふり」を貫いています。ジャーナリズムもまた,右へならへ。

 この無責任時代の,もっとも悪しき慣習がとうとう大相撲の世界にまで浸透してしまったか,と臍を噛む思いです。大相撲は勝てばいい,それが「すべてだ」,ということが無意識のうちに蔓延していきます。そうではないでしょう。これまで「横綱相撲とは」とか,「横綱の品格が」とか,何回も話題にしてきたのに,なぜ,急に,今回はスルーなのか。

 日馬富士は,横綱に昇進したときのインタヴューに答えて,勝つことよりも人間として正しい生き方をしたい,と応じている。このことばを聞いたとき,わたしはひとり涙した。なんという人間なのか,と。横綱に昇進した絶頂期に,「人間として正しい生き方をしたい」と発言できる,この日馬富士という人はいったいどういう人物なのだろうか,とにわかに意識するようになりました。

 白鵬からは,これに類するようなことばは寡聞にしてまだ聞いたことがありません。土俵の上でも,日馬富士の所作とはまるで違います。日馬富士は,まったく逆に,勝負がついて土俵に落ちそうになっている相手を両手で抱き抱えるようにして守ってやっている。それでも間に合わなかったときには,抱き抱えたまま一緒に土俵下まで落ちています。そして,あくまでも安全を確保しています。これは,とても,いい光景です

 大相撲をこよなく愛するファンのひとりとして,白鵬のこのマナーの悪さは許せません。しかも,今回だけではありません。これまでも何回も同じことをやってきています。余罪が山ほどあるのです。言ってしまえば,常習犯です。優勝回数だけを数え,絶賛する,マスコミがいうところの大横綱,白鵬をどうしても好きになれない理由はここにあります。この人には,こころの奥底になにか満たされないなにかがある,そのこころの貧しさのようなものが,勝負にこだわり興奮した頂点で抑えがたく表出してしまうのだろうか,とこれはわたしの邪推です。でも,半分以上,信じてもいます。

 勝てばいい,のではなく,勝っても負けても「いい相撲だった」という相撲がみたい,これはわたし一人だけの願望なのでしょうか。

 この問題は,わたしのこころの中で尾を引きそうだ。じっくりと考えてみたい。

 それとは別に,琴奨菊,頑張れ!とこころからのエールを送ります。

『蘇我氏の古代』(吉村武彦著,岩波新書,2015年12月刊)を読む。▽

 1月23日(土)は奈良・若草山の山焼きの日。毎年,この日,山焼き例会と称して,わたしが主宰する巡回研究会を奈良教育大学のI先生のお世話で開催している。ことしは,その研究会の通算100回目に当たるというので,特別企画を立てて,スペシャル・ゲストを5人もお迎えしてのアニバーサルとなります。(詳細は,1月16日のブログを参照のこと)

 折角,スペシャル・ゲストが5人もお出でいただけるということですので,ならば,さらに特別企画として翌日の24日(日)に飛鳥散策を企画しました。飛鳥散策の目的は,蘇我氏の繁栄と没落の歴史を,遺跡を訪ね,実際に現地に立って,景色を眺め空気を吸いながら,あれこれ想像力を働かせつつ考えてみようというわけです。驚いたことに,みなさん,ご多忙なスケジュールをやりくりして,翌日も喜んで参加してくださるということです。ならば,最新の飛鳥に関連する情報を確認しておこうとおもい立ち,調べてみましたら,つい,最近,『蘇我氏と古代』(吉村武彦著,岩波新書)という絶好のテクストが刊行されている,と知りました。

 で,早速,読んでみました。第一印象は,アカデミックな古代史研究の本流は,残念ながらいまも変わることなく資料実証から一歩も外に出ようとはしていない,ということでした。つまり,『日本書紀』の記述にべったりと寄り添いながら,蘇我氏の事績や系譜を語る,ただそれだけ。ですので,じつに淡白そのもの。それに比べると,アカデミズムの限界に一定の距離を保ちながら,思い切った理論仮説を立て,『日本書紀』や『古事記』の裏側に隠された<事実>に迫ろうとする,いわゆる在野の研究者たちの語りの方がはるかに面白い,とおもいました。

 吉村武彦といえば,岩波新書だけでも,『聖徳太子』『女帝の古代日本』『ヤマト王権』といった本をたてつづけに書いている,いわゆるその道の権威者のひとりです。いずれも旧態依然たるアカデミズムの本流からでるものではありません。ですから,このテクストも当然といえば当然です。しかし,「蘇我氏」に焦点を当てるのであれば,在野の研究者たちの提起しているじつに魅力的で刺激的な仮説に対して,なんらかの批判があってしかるべきではないか,とわたしは期待しました。が,そんな「雑音」にはひとことも触れず,いっさい「無視」。ただひたすら『日本書紀』の記述にべったりと寄り添いながら,矛盾する点だけをかんたんに指摘するにとどめ,自説にとって都合のいい部分はそのままそっくり引き受けるという姿勢をくずしていません。

 それに比べると,吉川真司の『飛鳥の都』(岩波新書)は,同じアカデミズムの立場にありながらも,そこからなんとか外に踏み出そうとする意欲が感じられ,面白いとおもいました。著者の吉川さんは奈良生まれの奈良育ち。しかも家が近かった飛鳥を子どものころから自分の庭のように歩きまわり,すみずみにいたるまで熟知しつくしています。ですから,飛鳥に寄せる愛情すら感じさせる論の展開がわたしは気に入っています。今回の「飛鳥散策」のテクストとしては,こちらの方をお薦めします。

 少し目先の変わったところでは,韓国の美術史研究者であるユ・ホンジュンが書いた『日本の中の朝鮮をゆく──飛鳥の原に百済の花が咲きました』(岩波書店,2015年)があります。こちらも,日本のアカデミズムの研究成果を下敷きにしながらも,韓国の美術史の視点から飛鳥を歩いてみると,まったく違う世界がそこにみえてくる,という論の展開になっています。もっとも,こちらはいわゆる旅行記のような体裁をとっていますので,その点を頭に入れて読むと,もっと面白い世界が広がってきます。

 ついでに述べておけば,小林恵子の『海を渡ってきた古代倭王──その正体と興亡』(祥伝社,平成26年12月刊)は,中国の古代文献を徹底的に渉猟し,東アジアから中央アジアまでを視野に入れて「ヤマト」との関係を位置づけ,大胆な仮説を立てて「古代倭王」とはいったい何者であったのか,という謎解きをしています。その迫力たるやみごとというほかはありません。小林恵子には膨大な古代史研究の著作があって,そのいずれをとってみてもこれまでの古代史が根底からひっくり返されるような,重大な問題提起をしています。ここでは,これ以上は踏み込まないことにします。いずれまた,機会をあらためて「小林恵子」論でも書いてみたいとおもいます。

 古代史研究に関する魅力的な研究成果や「仮説」は,まだまだたくさんありますが,ここでは割愛させていただきます。

 ただ,ここで言っておきたいことは,『日本書紀』から一歩も外に出ようとはしないアカデミズムの暴力性です。唯我独尊とでもいうべき姿勢を崩そうとはしない権威主義という名の<暴力>です。ベンヤミンの『暴力論』を引き合いに出すまでもなく,一つの権威を打ち立て,しかも,それを維持していくことの含みもつ恐るべき暴力性について,わたしたちはもっともっと真剣に考える必要がある,ということです。その意味では,この『蘇我氏の古代』は反面教師的な役割をはたしてくれている,という点でじつに面白いとも言えます。

 『日本書紀』が,天皇制擁護のために,あるいは,天皇制を正当化するために,それ以前の歴史を改竄したものであることは,すでに周知のとおりです。もっと言っておけば,天武・持統の時代に,律令制が次第に整備され,「天皇」と名乗るにふさわしい条件が整ってきます。その意味で,最初の天皇と呼ぶにふさわしいのは天武であろう,と言われています。持統はその仕上げをした人としてもよく知られているとおりです。この二人の意を帯して,『日本書紀』編纂に大いなる貢献をした人物こそ藤原不比等です。かれこそ,日本古代史を徹底的に「演出」した最初の人物であった,と言っていいでしょう。

 その最大の目的は,聖徳太子という人格を創出し,蘇我本宗家(とりわけ,蝦夷・入鹿)を悪者に仕立て上げることによって,天智・天武・持統(この三人もまことに不可解な人物たちですが)の正当性を打ち立てることにあったのでは・・・・とわたしは考えています。とりわけ,乙巳の変を起こした中大兄と鎌足の二人の過去を隠蔽・封印し,その正当性のみを記述すること,このことの意味の重大性をわたしは重視しています。つまり,日本の天皇制の発端が,じつに不可解なことだらけであり,深い謎につつまれたままになっているからです。これも長くなりますので,これ以上,踏み込むことはしないことにします。

 その乙巳の変の舞台となった飛鳥の里を,ぶらりと散策してみたいと考えている次第です。そのための反面教師的な役割をはたすテクストとして,この『蘇我氏の古代』を位置づけておけば,それなりの意味をもつものとおもいます。つまり,批判的に読むためのテクストとして。

 こんな言い方は不遜でしょうか。古代史の専門家でもなんでもない,単なる古代史愛好者のひとりにすぎない人間が,ここまで言っていいのだろうか,と。でも,歴史の真実は「瓦礫の中から立ち現れる」(ヴァルター・ベンヤミン)という立場を支持する人間としては,やはり,アカデミズムの権威主義を根底からひっくり返す側に立ちたい,と願わずにはいられません。

 妙なブック・レヴューになってしまいましたが,こんなのもあっていいのかな,と自己弁護してこのブログを閉じることにします。

〔付録〕
 いささか意表をつく視点から古代史の謎解きに迫っているテクストとして,わたしには無視しえない存在となっている以下の著作を紹介しておきます。
 〇『穂国幻史考』,柴田晴廣著,常左府文庫,2007年刊。
 〇『万葉集があばく捏造された天皇・天智』上・下,渡辺康則著,大空出版,2013年,初版。
 以下,割愛。

2016年1月17日日曜日

「ISC・21」月例研究会が第100回目を迎えます。

 定年後の惚け防止のためにと考え,定年退職と同時に21世紀スポーツ文化研究所を立ち上げ,その研究活動の一環として月に一回の月例研究会を開催してきました。東京,名古屋,大阪,神戸,奈良を巡回しながら,スポーツ史・スポーツ文化論に関するテーマを掲げ,さまざまな情報交換をはじめ,プレゼンテーションとディスカッションを行ってきました。それが,こんどの1月23日(土)に開催される奈良例会で第100回目を迎えることになりました。

 奈良例会は,毎年,山焼きの日に開催すると決めていますので,今回も山焼きの日です。わたしは,むかしの卒業生とも会う約束になっていて,昼食をともにすることにしています。ですから,少し早めに奈良に入ります。そして,午後2時30分から午後6時まで,研究会を開催し,山焼きを見物してから,懇親会,と楽しいプログラムが待っています。

 この研究会は公開のものですので,興味のある方はどなたでも参加することができます。ちなみに,ことしの研究会のプログラムは以下のとおりです。(時間,場所,などについての詳細は,21世紀スポーツ文化研究所のHPの掲示板をご覧ください)。
 パネル・ディスカッション
 テーマ:<破局>に向き合う,いま,スポーツについて考える
 パネラー:
   西谷 修:「チョー哲学」の立場から
   真島一郎:アフリカ研究の立場から
   中山智香子:経済思想史の立場から
   橋本一径:表象文化論の立場から
   小野純一:イスラム研究の立場から
 司会・進行:稲垣正浩(スポーツ史・スポーツ文化論)

 第100回記念ということで,超豪華なパネリストの方々にお出でいただくことになりました。ちょっと贅沢にすぎる顔ぶれです。それぞれの研究領域のトップ・ランナーばかりですので,どのような発言が飛び出すか,いまからドキドキしながら楽しみにしています。

 テーマの「<破局>に向き合う」は,『カタストロフからの哲学──ジャン=ピエール・デュピュイをめぐって』(渡名喜庸哲・森元庸介編著,以文社)の西谷さんの冒頭論文のタイトルから拝借しました。わかりやすく言ってしまえば,3・11以後のフクシマの情況に典型的に現れたように,もっと遠いさきにあると考えられてきた<破局>が,もう目の前にきてしまった。この<破局>を目の前にしてしまった「いま」,わたしたちは,なにを,どのように変革していかなくてはならないのか,というきわめて重大かつ喫緊の課題と向き合わざるを得なくなってしまいました。このような現状認識に立つとき,では,いったい,スポーツは,いまを生きるわたしたちにとって何なのか,なにを,どのように変革しなくてはならないのか,という根源的な問いが立ち現れてきます。こうした問題性を,スポーツ史やスポーツ文化論の立場から一度離れて,まったく異なる視座に立つ他の専門分野の方たちのご意見をうかがってみようではないか,というのが今回の研究会の趣旨です。

 あえて言わせていただきますが,このような議論は本邦初のものであるばかりか,世界中探してもないだろうとわたしは自負しています。言ってみれば,時代の最先端の議論を,古都・奈良の地で,しかも第100回というアニバーサルとして行おうという次第です。ですから,いつもにも増して気合が入っています。

 参加ご希望の方は,事前にわたしのところにご連絡ください。わたしと面識のない方の場合には,一応,かんたんなプロフィールを添えてください。会場の関係で,人数に限りがあります。参加希望者があまりに多くなった場合にはお断りさせていただくこともあります。その点,お含みおきください。

 もうすでにかなり多くの方からの参加申し込みがとどいています。が,まだ,多少の余裕がありますので,ふるってご参加ください。お待ちしています。

 取り急ぎ,ご紹介がてらご案内まで。

2016年1月16日土曜日

アンケート調査。嫌いな政治家のNo.1は安倍晋三。でも,政党支持は自民党。

 もともとアンケート調査なるものを信用しないことにしています。とりわけ,最近のアンケート調査は「世論調査」という名の「世論操作」が多いから,逆に辟易としています。なのに,最近,SNSで流れていた,ある週刊誌の調査結果が妙にわたしの印象に残ってしまいました。しかも,ひょっとしたら,この調査結果って「当たっているかも」とおもってしまったのです。

 その調査結果によれば,もっとも嫌いな政治家は安倍晋三。でも,政党支持は自民党。これはいったいなにを意味しているのでしょうか。

 その理由が面白い。安倍晋三という政治家が嫌いなのは「嘘ばっかり言うから」という。そして,すぐに辞めてほしい,とまで言う。これはきわめてまともな理由ですね。やはり,世の中,ちゃんとみているんだ,と少しばかり安心。

 そのいっぽうで,政党支持は自民党とくる。その理由も,ほかに支持できる政党がないから,という。これもまた,まことにそのとおりだ,とおもいます。

 この「ねじれ」現象が面白い。政治家・安倍晋三は大嫌い,でも支持する政党は自民党。

 もっと興味を引かれたのは,「支持する政党は自民党」の中味。このうちの8割は,支持できる政党がほかにないから,という。これも「なるほど,なるほど」と同感。ならば,まともな政党が現れれば,ただちにこの8割の自民党支持者たちは心変わりして,そちらに移動する,ということを暗示してもいるようです。そして,根っからの自民党支持者は,自民党支持を表明した人のうちのたった2割しかいない,というこの事実。なんという脆弱な自民党支持の内実であることか,と驚いてしまいます。

 この脆弱性に気づいている自民党議員の一部は,顔面蒼白だといいます。つまり,自民党の議席が圧倒的多数を占めているのは,まさに,砂上の楼閣にすぎない,と。だから,この強権政治の一角が「なにかの弾みに」破綻をきたした瞬間から,あっという間にアベ政権は崩壊する,と。ひょっとしたら,自民党内部から政権批判が噴出するのではないか,とも。

 もう,すでに,自民党のかつての実力者たち(長老たち)からは,「いまの政権運営はきわめて危険な状態にある」と公言してはばからない人が現れています。これは巨大権力が崩壊するときの余震のようなものでもあります。みずからの足元から「地鳴り」がしはじめ,粛々と「地殻変動」が起きているようなものです。

 それにしても情けないのは野党。多くの市民運動団体から「野党は共闘」をと呼びかけられているというのに,それができない。共産党の志位委員長が「勇断を奮って」,政党の好き嫌いを言っている場合ではない,とにかく安保関連法案を廃止にするその一点だけのためにも,野党は共闘して今夏の選挙を闘わなくてはならない,と提案しているのに・・・・。

 いまだに党利党略しか考えられない野党各党。とりわけ,民主党。この政党の幹部の少なからぬメンバーが日本会議につらなっているかぎり,身動きがとれません。情けない。いっそのこと解党して,新党をつくるなり,かつての所属政党にもどっていったらいいのに。そうすればすっきりして,新進気鋭の議員たちが活躍の場をえることができるのに・・・。

 いまにも音を立てて崩壊する寸前の自民党が,だれの目にも明らかなのに,その「とどめ」が刺せません。「オール沖縄」のような結束ができないのです。ヤマトの野党の政治家も国民の多くも,みんな「茹でカエル」ばかりだから。このわけのわからない「ぬるま湯」にどっぷりと浸っていて,危機意識のひとかけらもない人びとが多すぎます。沖縄の人びとのこころをひとつに結びつける,長年にわたる「辛苦」が,ヤマトンチュには決定的に欠落しているのです。

 こうなってくると,あとは「弾み車」を頼むしかありません。外圧か,内部崩壊(自滅)か,アベ君のオウンゴールか,はたまた自然災害か,フクシマか・・・・・。時限爆弾や,地雷があちこちにゴロゴロしているというのに,なにかが起きるまでは,火の粉がわが身に降りかかるまでは,国民はみんなよそ事,他人事だとおもっています。

 いやいや,多くのこころある人びとはみんな息をひそめて,じっと身構えているだけなのかもしれません。

 それにしても,この夏の選挙までに,なにかが起きる,そんな予感でいっぱいです。そして,そこに向けて,わたし自身はなにができるのか,なにをすればいいのか,これからもしっかりと考えていきたいとおもっています。

 みなさんも,どうぞ,よろしく。できるところから・・・・。隗より始めよ,です。

2016年1月15日金曜日

「理念なき東京オリンピック」。『世界』2月号の特集。▽

 最近になって,どういう風の吹き回しか,「東京オリンピックについてどう考えますか」という問いがわたしのところに寄せられることが多くなってきました。そのたびに,わたしは「あなたはどう考えますか」と問い返すことにしています。すると,「だれが,なんのために東京オリンピックをやろうとしているのか,そこのところがわかりません」という答えが返ってくることが多いので,「わたしもまったく同感です」と答えます。

 みなさんは,どのようにお考えでしょうか。

 みんなで東京オリンピックを盛り上げよう,などという気運はもはやどこかへ消え失せてしまっている・・・・それがわたしの現段階での感想です。話題になったのは,新国立競技場,エンブレム,開催経費6倍に激増,の三つくらいなもので,肝心要の「東京オリンピックをこんな風にやろうよ」という雰囲気はまるでありません。みんなあきれ果ててしまって「なにやってんだか・・・・」という慨嘆の声ばかりが聞こえてきます。

 わたしは当初から,東京オリンピック招致反対の立場をとってきました。そして,アベ君がIOC総会で,フクシマ問題を問われ「under controll」と大嘘をついて,招致をもぎとった瞬間から,東京オリンピック返上論を展開してきました。そして,それは,いまでも「正解」だったと信じて疑いません。

 なぜなら,フクシマはますます悪化の一途をたどり,深刻の度を増すばかりです。つまり,放射能汚染が野放しのまま,拡散をつづけているからです。もはや,東京の空気も河川も低地の草むらも,危ないところだらけです。そのほんとうの姿を知らないでいるのは日本人だけです。ヨーロッパ人の方がはるかに精確な情報を把握しています。ドイツでは,新聞,テレビで,しばしばトップ・ニュースとしてフクシマが取り上げられ,日本政府の無責任さとそれを容認している日本人が批判の対象とされている,とドイツの友人がメールで知らせてくれています。

 いまからでも,遅いことはない,東京オリンピックを「返上」すべきだと考えています。それこそが,国際社会に対する日本としての,そして,日本人としての「責任」の取り方だ,と考えるからです。そうして,日本という国家のあり方をゼロから出直すべきだ,と信じて疑いません。なぜなら,東京オリンピックの取組は,いまの政権の政治姿勢と表裏一体になっている,と考えるからです。つまり,東京オリンピックの政治利用以外のなにものでもない,からです。

 この政治の流れを,一度,断ち切ること,そして,ゼロから仕切り直しをすること。政治も,経済も,教育も,そして,人間の「生き方」まで次元を下ろしてきて,ありとあらゆる分野のあり方をゼロからやり直すこと。それしかない,とわたしは考えています。

 東京オリンピックも,そちらの方向に舵を切るきっかけにする,というのであれば話は別です。わたしの胸はにわかにときめいてきます。が,そんなことは夢のまた夢にすぎません。

 そんな折も折,雑誌『世界』2月号が,「理念なき東京オリンピック」を特集しています。まことに時宜を得た企画だとエールを送りたいところです。しかも,内容を読んでみますと,わたしが忌避したいいわゆる「スポーツ評論家」の類の書き手はすべて排除し(若干1名含まれていますが),意表をつく執筆陣を揃えています。そして,わたしが知りたかった情報がてんこ盛りになっています。とてもありがたいことです。

 まずは,冒頭に掲げられた村嶋雄人(ジャーナリスト)の論考:ふたつの「利権」の正体──東京五輪の長い影,が秀逸です。いわゆる「利権」争いの舞台裏の世界。この世界だけは,これまでわたしの想像の域をでませんでしたが,それをみごとに浮き彫りにしてくれました。「代々木利権」と「臨海利権」の水面下での攻防。その中心人物は,森喜朗。詳しいことは本文にゆずることにして,なるほど,そういう図式であったか,と目からウロコでした。

 しかも,そこから導き出された結論は,わたしがこれまで主張してきたものとぴったり一致していました。諸悪の根源は「森喜朗」にあり。ただちに退陣すべし。この論考を読んでのわたしなりの感想は以下のとおり。まずは,こうした「利権」争いから,可能なかぎり無縁の文化人,あるいは元アスリート(外国では多い)を組織委員会会長に据えること,できることなら,東京オリンピックの「理念」を掲げられる人を,などと日本では実現不可能な夢を描いています。

 本誌の編集長・清宮美稚子さんが「編集後記」で,2月号の特集企画の趣旨を簡潔にまとめてくれていますので,それを最後に引いておきたいとおもいます。

 人々の暮らしにしわ寄せがくる中,2020年オリンピックを本当にやるのか。運営費は当初見込みの6倍の1兆8000億円になるという試算が発表された。当然,組織委員会の財源だけでは足りず,公的負担がかなりの額になるだろう。
 都市再開発と国威発揚ばかりが目立つが,オリンピックをやる意味をどうとらえているのか,スポーツ文化の底上げ・向上という視点がどれだけあるのか,「復興したした詐欺」の一翼を担うのではないか,など数々の疑義がある。本号特集をご一読いただきたい。

 わたしからも,ぜひ,ご一読を。
 なにも,雑誌『世界』のよいしょをするわけではありませんが,いわゆる「まともな雑誌」がどんどん姿を消していくいま,本誌だけが最後の砦になっているのではないか,とわたしは受け止めていますので,なんとしても死守したい,と考える次第です。

2016年1月14日木曜日

書店から「まともな本」が消えていく。

 本屋さんが奇怪しくなっている。わけのわからないポピュリズムに煽られて,本屋さんも動揺しているらしい。とにかく批判の対象になるような本はできるだけ置かない,と逃げの態勢のようだ。それどころか,「自発的隷従」に徹して,政権を批判するような本は最初から置かない,という姿勢がありありの本屋さんも多くなってきた。

 ひところ,ニュースになって大きな話題になったように,「民主主義を考えよう」というようなブック・フェアが,政治的偏向だとして批判の対象になる。そして,この折角のいい企画も取りやめになってしまう。「民主主義」についてみんなで考えようということが,なぜ,いけないことなのか。では,学校では「民主主義」を教えてはいけないのか。

 小学校(精確には国民学校)2年生で敗戦を迎え,いわゆる戦後民主主義を学校で,社会で,あらゆる機会をとおして教えられ,学んできたわたしたちの世代にとっては,まったく考えられないことが現実になっている。いったい,この国は,いつからこんなことになってしまったのか。言うまでもなく,第二次アベ政権の誕生以後のことだ。

 その余波がとうとう本屋さんにまで及んできた。茹でガエル状態のままの,感性が麻痺してしまった国民の多くは,それでもまだ,痛くも痒くもないらしい。わが身に火の粉が降りかかってくるまでは,なにも感じないらしい。しかし,まともにものごとを考えようとする人間にとっては,まことに困ったことが,あっという間に世の中の隅々にまで浸透しつつある。

 書店から「まともな本」が消えていく。しかし,考えてみればこの現象はもうずいぶん前からのことではあった。売れない本は置かない,という市場原理に押し切られながら,徐々に進展していた。そして,いまでは,思想・哲学の本は本屋さんからほとんど姿を消してしまった。それが,とうとう政権批判につながるような本は置かない,というところにまできてしまった。恐るべき<思想統制>の黒い手が伸びてきている。

 わたしは『週間読書人』を,長年にわたって購読しているので,毎週,どんな新刊がでていて,いま,どんな本がどのように評価されているのか,という情報についてはある程度承知しているつもりである。少なくとも,わたしの仕事や興味・関心にひっかかる本に関しては・・・。それと,雑誌『世界』を購読しているので,岩波書店の出版情報についても,毎月一回はきちんとチェックしている。あとは散歩がてらの本屋さん巡りで,立ち読みをしながら・・・・。

 こうして,これは買わなくてはいけないという本が出るとすぐに本屋に走る。そして,実物をしっかり確認した上で購入する。もっとも確認するまでもなく必要な本に関してはネットで購入する。手間もはぶけるので・・・。しかし,なんといっても本屋さんで実物を手にして,じっくり内容を吟味した上で購入する,この至福のときは捨てがたい。

 それが,とうとうできなくなっていきてしまった。わたしが興味を示す本が,どんどん本屋さんから消えていく。なんとも寂しいというか,悲しい。いわゆる「まともな本」がいっぱい刊行されているのに,人びとの目に触れることもなく消えていく。そして,出版社も売れない本は刊行しない。悪循環。負のスパイラル。まともな読者も消えていく。

 ちょっと大きな本屋さんであれば,かならず「新刊コーナー」が設けられていて,そこにズラリと新刊が並ぶ。もちろん,一週間くらいで消えていく新刊もある。しかし,話題になった新刊は,特別コーナーまで設けて平積みになっている。

 この新刊コーナーが,どんどん痩せている。というか,中味などどうでもよくて,ただ売れそうな本だけが独占している。そこには「まともな本」は一冊もない。

 仕方がないので,神田まで足を伸ばすことになる。いまでも月に一回は神田まででかけて本屋巡りをしようとこころがけている。時間がないときは,信山堂(岩波ブックセンター)でことを済ませる。まことに小さな書店であるが,ここの選書はみごと。短時間に必要な情報を手に入れることができる。これは,と思われる重要な本は,ここに行けばまずは見つかる。

 こういう特色のある個性的な書店が,ついこの間まで,あちこちにあった。それが,つぎつぎに消えていってしまった。いまや,小さな店構えで,「まともな本」だけを置くという書店を寡聞にしてわたしは知らない。

 なんとも恐ろしい軍靴ともおぼしき「足音」ばかりが音高く聞こえるようになってきて,日々,憂鬱である。のみならず,悲しい。

 わたしたち日本人はいつからこんなになってしまったのか。
 せめて新刊本だけでもいい,一度は書店に並べて,みえるようにしてほしい。
 みえないことには,なにもはじまらない。
 買う,買わない,読む,読まない,はその上でのこと。

 日本人がますます堕落していく。困ったものだ。

2016年1月13日水曜日

松はみな枝垂れて南無観世音(山頭火)。

 ぶらりと散歩にでたついでに立ち寄る本屋さんがある。田園都市線の沿線にしては,なかなかの本屋さんである。売り場面積も大きく,珍しい本も置いてある。とくに,アート関係の本が面白い。暇つぶしには絶好の場でもある。家からも近いので,立ち読み目的だけででかけることも多い。立ち読みは体力勝負になるので,じつに効率よくたくさんの本を渉猟することができる。速読の訓練にもなって一石二鳥だ。

 そんな折,なにげなく文庫本のコーナーを眺めていたら,ひょいと一冊の本の背表紙が目に飛び込んできた。拾い読みするだけのつもりで手にとって読み始めたら,止まらなくなってしまった。もう何冊も買って持っているのに,この本は持ってない,という理由だけてそのままカウンターへ。

 『山頭火随筆集』,種田山頭火著,講談社文芸文庫,2002年第一刷,2013年第13刷。

 山頭火の「句集」や,評論は,もう何冊も持っている。が,「随筆集」は初めて。しかも,山頭火の書く随筆が底抜けにいい。そう,まさに,「底が抜けている」のだ。あるいは,突き抜けている,と言ってもいい。ようするに,ふつうの次元ではないのだ。こんなに凄い随筆というものがあるんだ,といまさらのように驚いている。

 言ってしまえば死と隣り合わせの世界が広がっている。いや,生死の間(あわい)をさまよっているような世界。いやいや,とっくの昔に,いつ死んでもいいと覚悟を決めた人の世界だ。そんな世界を悠々と遊んでいる。

 現実にも,熊本の曹洞宗の寺で得度し,托鉢にでて修行をしている。そして,無住の観音堂の堂守になったり,行乞しながら,放浪の旅をつづけたりして,生涯を過ごした人だ。その間に,世をはかなみ,自死を試みて失敗したりもしている。最後は,友人と深酒をして眠りに落ち,そのまま還らぬ人となった。

 おちついて死ねさうな草萌ゆる

 行乞の途中で,こんな句も詠んでいる。いまのわたしには重い句である。

 春になってようやく暖かくなってきた。もう寒さに震えながら野宿をする必要もなくなった。これなら,なんの気兼ねもなく「おちついて」死ぬことができる,とこころの底から山頭火がおもっている心境が伝わってくる。若草が太陽の光をいっぱいに浴びて輝いている。ごろりと横になって,芽吹いたばかりの草の匂いを嗅ぎながら,そのまま土に還ることができたら,さぞかし心地よいだろうなぁ,と山頭火は詠嘆している。そんな気持ちが,じかに,伝わってくる。

 見出しに掲げた句には,つぎのような前書きがついている。そして,連作している。

    大正14年2月,いよいよ出家得度して肥後の片
    田舎なる味取観音堂守となったが,それはまこと
    に山林独住の,しづかといへばしづかな,さびし
    いと思へばさびしい生活であった。

 松はみな枝垂れて南無観世音
 松風に明け暮れの鐘撞いて
 けふも托鉢ここもかしこも花ざかり
 ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いている

 あるいは,つぎのようなのもある。

   大正15年4月,解くすべもない惑ひを背負う
   て,行乞流転の旅に出た。

 分け入っても分け入っても青い山
 しとどに濡れてこれは道しるべの石
 炎天をいただいて乞ひ歩く

 山頭火が書く随筆は,この前書きが少し長くなっているだけだ,と言ってもいい。しかも,それがほとんど詩文になっている。一分の隙もない,無駄のない,これしかないという選び抜かれたことばが紡ぎだされている。そのときどきの心情がストレートに吐き出されていて,そのことばが一つひとつ輝いている。

 最後に,山頭火の随筆の一部を引いておこう。じっくりと味わってみてほしい。

 或る時は死ねない人生,そして或る時は死なない人生。生死去来真実人であることに間違いはない。しかしその生死去来は仏の御命でなければならない。

 征服のと世界であり,闘争の世界である。人間が自然を征服しようとする。人と人とが血みどろになって掴み合うている。
 敵が味方か,勝つか敗けるか,殺すか殺されるか,──白雲は峯頭に起こるも,或は庵中閑打坐は許されないであろう。しかも私は,無能無力の私は,時代錯誤的性情の持主である私は,巷に立ってラッパを吹くほどの意力も持っていない。私は私に籠る,時代錯誤的生活に沈潜する。『空』の世界,『遊化』の寂光土に精進するより外ないのである。

 本来の愚に帰れ,そしてその愚を守れ。

2016年1月12日火曜日

箱根駅伝の報道の仕方に疑問。なにを伝えたいのか?

 このところ毎年のように箱根駅伝をテレビで観戦している。しかし,気になっていることがある。それは不必要な「演出」が多すぎるということだ。いったい,駅伝をテレビで中継することの意味をどこに置いているのか,わたしには理解できないことが年々多くなってきている。

 たとえば,いま走っている駅伝のレースから突然離れて,有力選手の秘話を,あらかじめ録画しておいたものを流しはじめる。その間にも選手たちは必死で走っており,レースは刻々と変化しているというのに。そんなことを無視して,特定個人の秘話を延々と流しつづける。しかも,その有力選手が失速して,大失態を演じたあとだというにもかかわらず。ただひたすら,あらかじめ用意したシナリオどおりに録画を流す。現実とのあまりの乖離に,もう,恥ずかしくてみてはいられない。うまく走れなかった選手はもっと恥ずかしいだろうに。だから,みていて不快きわまりない。

 あるいは,順位やレース展開とはまったく関係なく,有力選手ばかりがテレビの画面を独占しているのは,なぜか。しかも,激走,快走しているわけでもないのに・・・・。なぜか,あらかじめヒーローとなるであろう選手にターゲットを絞っておいて,そこにスポットを当てるという報道の方針がさきにあって,そのシナリオどおりに,ディレクションがなされているのが,丸見えになってくる。この場合などは,みていて滑稽ですらある。なにやってんだか・・・・と。ときに腹が立ってくる。

 箱根駅伝のテレビ中継の面白さは,まず第一に,レースがどのように展開されているのか,時々刻々と変化していくレースの全体像が,リアルタイムでみられることだ。何年か前までは,画面を二分割して,トップを走る選手と,それ以外のところで競り合いを演じていたり,追い抜いたりする場面とを同時に見せてくれていたのに,それがなくなってしまった。残念の極み。

 それと,コマーシャルの時間が長すぎることも興ざめだ。しかも,回数も多い。その間にレースが大きく動きそうだというのに,構わず,予定どおり割って入ってくる。この場合には間違いなく腹が立つ。こんなときに流されるコマーシャルは逆効果でしかないのに・・・・。コマーシャルこそ,画面を二分割して,その半分を使って流せば十分なのに。音声も控えめにして・・・・。

 わたしの希望は,いま,走っている選手たちの姿を,可能なかぎり全員,一度は画面に登場させてやってほしい,ということだ。応援するチームも選手も,視聴者はばらばらなのは当然なので,そのすべての視聴者の気持ちを汲んで,短い時間でもいいい,その区間を走っている間に,一度は画面でとらえて紹介してやってほしい。

 どの選手も箱根をめざして過酷な練習をこなし,念願かなって晴れの舞台に立ち,喜び勇んで,全力で走っているのだ。この選手たちの努力の賜物である「走り」を,一度は画面でとらえてやってほしい。そして,選手を実名で呼びかけて,頑張れ,と激励のことばをかけてやってほしい。たとえ,順位や記録がよくなかったとしても,その選手にとっては一生の思い出となるのは間違いないのだから。しかも,家族,友人たちが必死で応援しているのだから。

 わたし自身は,どのチームのどんな選手が,どのような「走り」をしているか,全部みてみたい。無名の選手のなかに,素晴らしい才能をもった「走り」をしている姿を見つけることがあるかもしれない。それはそれで,順位に関係なく,喜びであり,感動ものだ。そういうシーンに,少しでも多く出会ってみたい。

 もう一点は,カメラの位置について。画像に写る選手たちの「走り」のほとんどは真っ正面からのものだ。表情はよくわかるが,「走り」はまったくわからない。わかるのはピッチ走法か,ストライド走法かの違いくらいのものだ。そうではなくて,「走り」を強調してほしい。真っ正面からでも,足の運び具合を映し出すことはできる。実際,そういう映像もときおりあるのだが,いつのまにかアップになって「顔」の方にカメラは行ってしまう。

 「走り」の美しさは,なんと言っても真横からの映像に限る。ときどき,そういう映像が流れるとき,こんなに速いスピードで,こんなに美しいフォームで走っているのだ,ということを知る。感動する一瞬である。この映像をもっともっと増やしてほしいものだ。

 できることなら,各区間ごとに定点にカメラを据えて,そこを通過する選手をすべて映し出してほしい。間隔が開いたときには,その間は,別のカメラの映像を流せばいい。何カ所もカメラが配置され,走りまわっているのだから,それは可能なはずだ。全選手を,一度は必ず画面にとらえるアングルこそ,あらかじめ設定しておけばいいのではないか,とおもう。

 タスキの受け渡しが行われる中継点では,それが行われているのだから,あれと同じ定点を何カ所か決めておいて,そこからの映像を流すことは可能なはずだ。そうすれば,すべての選手の横からのランニング・フォームを捉え,紹介することができる。つぎつぎに通過していく選手たちの雄姿は,それだけでも感動ものだ。それは沿道で応援するのと同じ体験を味わうことでもある。それ以外は,移動中継車に,時々刻々と変化するレース展開の様子を追わせればいい。

 箱根駅伝で伝えるべきものはなにか。テレビ局は,徹底して,この議論をやるべきだ。そこに,視聴者の声も反映させるべきだ。そうして,もっともっと多くの感動を生みだす装置として,テレビを活用してほしいものだ。テレビでなければできない,いな,テレビだからこそできる効果的な「演出」を工夫してほしい。

 悪しきヒーロー主義はやめてもらいたい。それよりは,未知の新しいヒーローの誕生の場面を追ってほしい。それをリアル・タイムでみることができたら,視聴者冥利につきるというものだ。

 あらかじめ,余分なシナリオを用意するのはやめよう。そのシナリオの意図が外れたときが,あまりに無惨で不快だ。それは,マラソン中継でも,しばしば眼にしてきた光景だ。レース当日の選手たちの「走り」そのものに徹底して光を当て,ランニングそのものの奥の深さを素人にもわかるように映像化してほしい。そのための解説者もいるのだから・・・。そうすれば,おそらく,もっともっと多くの駅伝ファンを生みだすことに成功するだろう。

 そして,その美しい「走り」をみた少年たちの中から,つぎの箱根駅伝をめざす選手たちが続々と生まれてくるだろう。駅伝の底辺を拡大していくには,それが一番だ。そして,その夢を追うことのできなかった大人たちは,その新しいドラマを知って,再度,感動するのだ。伝統はこうして創造されていくものだ。そして,その創造に参加することにこそ意味があるのだ。

 箱根駅伝のテレビ報道の主眼をここに据えて,来年からの中継に臨んでほしい,とこころから願うものである。

2016年1月11日月曜日

廃車寸前のポンコツ車を乗りこなす法。

 こんどの3月で78歳になる。考えてみればいい歳だ。ひとむかし前なら,立派な老人だ。しかし,最近はみんな元気で老人くさくない。姿勢もいいし,歩き方もいい。わたしも76歳になる直前まではそうだった。老人という意識はまったくなかった。考えたこともなかった。そこに慢心があったか,神の天罰がくだった。
 
 あらためて言うまでもなく,2014年2月2日の吐血・入院,胃ガンの手術。つづけて2015年7月7日の肝臓に転移した癌の切除手術。この2回の手術ですっかり体力を消耗し,単なる痩せ老人と化してしまった。それはそれはみごとなまでの痩せ方である。60㎏あった体重が,いまや50㎏を割っている。一回手術するたびに5㎏ずつ痩せた。術後の回復には筋肉のタンパク質が役に立つそうで,若いときに鍛えたからだがこのとき救いの手を差し伸べてくれた。

 と同時に,からだのあちこちに異変が起きはじめてもいる。それらの異変(病気とまでは言えないからだの変調)となんとか折り合いをつけながら,日々の生活をかろうじて維持している,というのが正直なところだ。言ってしまえば,からだのご機嫌をうかがいながら,だましだまし生きている,という次第。

 わかりやすく言えば,廃車寸前のポンコツ車になってしまった,ということ。あとは,このポンコツ車をいかに上手に乗りこなすか,その方法を工夫するのみだ。しかし,不思議なことに,そうっと上手に乗りこなしてやるとまだまだ機嫌よく元気に走ってくれる。この状態を上手に維持していけば,まだいくらかは走ってくれそうだ。

 でも,基本的にガタがきてしまったからだなので,細心の注意が必要だ。ちょっとでも油断すると,このからだはすぐに弱音を吐く。「イヤイヤ」というサインを送ってくる。もっとも多いのが「食べ過ぎ」。胃腸は頭より賢いというが,いまは実感としてよくわかる。眼はまだ食べていいという。いや,食べたいという。脳に判断してもらうと「もう少しくらいは大丈夫」という。それで食べてしまうと,数分後にはかならず胃腸が文句をいいはじめる。さあ,たいへん。胃腸はオーバー・ワークを断固として拒否するのだ。そして,下痢。だから,こうなったら胃腸のご機嫌をうかがいながら,すべての排便が終わるまで,素直に付き合うしかない。

 アルコールの飲み方はとても上手になった。日常的には「飲みたくない」とからだが言う。だから,飲む気にもならない。しかし,久しぶりに友人などに会うと,ちょっとだけ飲もうか,という気分になる。それでも,すぐにからだが温かくなってくると,もういい,とからだがいう。あとは,ほとほととゆるい酔いが持続する程度にちびりちびり飲む。つまり,会話が楽しく進展する程度に。それでも,うっかり酔いがまわってくると,からだが「もういい」とサインを送ってくる。その声に素直にしたがえるようになったのは進歩だ。からだはじつに正直だ。嘘をつかない。

 たぶん,これが老人のからだなのだろうとおもう。だから,できるだけ術後のからだの異変とは考えないことにしている。そうではなくて,本来の年齢相応のからだになったのだ,と考えることにしている。それ以前があまりの健康体にめぐまれていただけのことだ,と。だから,うっかり自分の年齢を忘れて生きていたにすぎないのだ,と。

 いま,振り返ってみれば,ずいぶんと乱暴なからだの使い方をしてきたものだとおもう。いっときは,からだなどというものは,使っても使ってもへこたれないものだと過信していた。だから,これでもか,これでもかとおもうほどに酷使した時代もあった。それでも平気だった。その延長線のまま76歳の直前まできてしまった。その意味ではなんとありがたいことであったか,といまになって感謝している。

 まもなく78歳になる。週一回の太極拳の稽古が,からだの状態を確認する上でとても大事な機会になっている。とりわけ,脚の筋力は正直だ。一週間の稽古の間に,ほんの少しだけでも脚力が衰えないように刺激を与えてやると,とても調子がいい。しかし,横着をして,なにもしないでいると,とたんにふらふらして乱れがでてくる。脚の筋力は,あっという間に衰えていく。ちょっとやるだけで筋力を維持することはできる。だから,太極拳の稽古は,いまのわたしにとっては脚力の状態を確認するための絶好のバロメーターになっている。

 もっとも自然でいいのが,鷺沼の事務所への出勤(?)だ。パソコンをリュックに入れて背負い,鷺沼往復するだけで,脚力は間違いなく維持できる。のみならず,気分転換にもなって,とてもいい。だから,いまでは,健康法のために,よほど天気が悪くないかぎり,鷺沼に出勤することにしている。

 そこにだれか遊びにきてくれると,もっといいに違いない。しかし,そうは問屋が卸さない。これからは積極的に声をかけて,人と会うように努力しなくてはいけない,と考えている。いまは仕事は二の次だ。それより楽しい会話をして笑う時間を少しでも多くもつことの方がずっと大事だ。

 しかし,この程度のことで,わたしのからだが現状維持できるのであれば,そんなありがたいことはない。これもまた天から与えられた恩寵というものだろう。そう信ずることにしている。その方がからだの調子がいいのだから。

 もう,どう考えたって廃車寸前のポンコツ車であることに間違いはない。上手にご機嫌をうかがいながら,だましだまし乗りこなしていく以外にはない。ところが,である。これがなかなかどうしてたやすいことではない。なにせ,これまでに経験したことのない未知のからだとの会話が必要なのだ。しかも,相手は無理が効かないからだなのだ。これは相当に広範囲なからだに関する知識と,からだから送られてくる微妙なサインを鋭く感じとる感覚の冴えと,そして,それに対応するための高度なテクニックを必要とする。

 こんな風に書くと,なんとまあ大げさな,と笑われるかも知れない。しかし,わたしは本気だ。長年培ってきたからだに関する知識と,自分のからだからのサインを聞き取る感性と,わたしのからだが喜びそうな処方箋,そのすべてを総動員して対処していこう,と。言ってしまえば,生きる力を総動員すること,個人的に蓄積してきたノウハウをフル活用すること。そして,それができるだけ幸せ,ということだ。

 この点,いまの癌に対する医療は脆弱だ。一般的なマニュアルはあっても,個別の,固有のからだに対応できるところまでは触手が伸びてはいない。しかし,からだは個体ごとにできが違う。よほど優れた医師でないかぎり,違う個体に対応する癌治療は不可能に近い。となれば,あとは自助努力しかない。

以上,ポンコツく車と付き合う法の一端まで。

2016年1月10日日曜日

大相撲初場所,初日見参。白鵬,勢に押し込まれて物言い相撲。

 初日の取組をみて,その場所の力士たちの好不調を占うのは,いわゆる相撲通にとっては欠かせない,重要な儀式だ。しかし,これはもう,ほとんど病気に近い人間たちのやることだ。かく申すわたしもその病人に近い人のひとりであることを自認している。だから,場所の初日だけは万難を排してテレビにしがみつく。とくに中入り後の取組は必見である。そんなときに電話が鳴ってもでない。急いで留守電に切り換えて身を守る。

 さて,今日の一番。

 まずは,白鵬と勢の一番。勢は,過去7回対戦してまだ一度も勝ったことがない。先場所は12勝3敗の好成績を挙げたけれども,やはり白鵬には負けている。白鵬も先場所は12勝3敗で,終盤に上位陣に星を落としている。この12勝3敗同士が初日に顔を合わせることになった。立ち合い,勢に分があった。まずは,白鵬の左上手を封じて,勢が前にでる。押し込まれた白鵬は左に大きく回り込みながら勢をはたいた。が,白鵬の体は完全にくずれていて,宙を舞いながら土俵上にころがった。勢が土俵下に転落していくのと,わたしの眼には同体とみえた。物言いがついたが,協議の結果,白鵬の勝ちとなった。

 きわどい勝負だった。紙一重の差でしかなかった。この一番,自信をつけたのは勢の方だろう。「攻めて負けたのだから悔いはない。横綱にだいぶ近づくことができたとおもう」と感想を述べている。白鵬は逆に,来場所は相当にふんどしを締め直してかからないと危ない,と感じたことだろう。その差はほとんどなくなってきている,とみていいだろう。

 この一番をみるかぎり,白鵬は,すでに,かつての白鵬ではなくなっている,とわたしはみた。今場所も10日目くらいまでは勝ちつづけるだろうが,上位陣と当たる終盤の5日間は相当に苦戦するだろう。鶴竜も日馬富士も,状態は先場所よりもよさそうだから。

 つぎは,鶴竜と嘉風の一番。ここ二場所,嘉風が連勝している。だから,鶴竜は相当にナーバスになっているのではないか,と想定した。が,そうではなかった。最後の仕切りに入っても,両腕の力は完全に脱力できていて,余裕すらみせた。そして,嘉風のつっぱりにも逃げずに応戦し,間合いが空いたところでタイミングのいいはたきをみせた。なすすべもなく嘉風はばったり両手をついて横転した。

 しかし,嘉風の調子は悪くない,とみた。今場所も暴れまくりそうな予感がする,そんな初日の相撲だった。褒めるべきは,鶴竜の方で,精神的に安定している。いつものポーカー・フェイスで表情はなにひとつ変わらないが,その表情に余裕が感じられた。からだの動きもじつにしなやかだった。この状態が維持できれば,鶴竜は優勝候補の一翼をになう有力な候補と言っていいだろう。だれを相手にしても,逃げずに,真っ正面から攻め込んでいけば十分に闘えるだけの力量はもっているのだから。その自信を持ちつづければ,そのまま勝ちが転がり込んでくるたろう。

 さて,もう一人の横綱・日馬富士。対戦相手は栃ノ心。がっぷり四つに組み合うと力負けしてしまう相手だ。立ち合いが勝負とみていた。すると,予想に反して右のどわが飛び出した。久しぶりである。右肘を痛めていて,先場所は右手をほとんど使っていない。その回復の具合が今場所の鍵を握っているとみていたが,これなら完璧である。

 強烈な右のどわで,栃ノ心の上体をのけぞらせたところで,左上手をつかみ,一気に投げを打った。これがみごとに決まって栃ノ心は土俵下まで転げ落ちていった。右肘が直っていれば,あとは両足首だ。これはもう時限爆弾のようなもので,ここに負担がかからない相撲を取りきるしかない。日馬富士のことだから,あの強い気力で乗り切っていくことだろう。先場所につづいての優勝も十分に可能だ。期待したい。

 以上が,3横綱の取組。新聞もテレビも,評論家たちは優勝候補の筆頭に白鵬を挙げているが,わたしはそうはおもわない。今日の一番をみるかぎりでも,3人の横綱のなかでは最下位の評価しかできない。むしろ,勢と互角とみた。その意味では,このあと,白鵬がどんな相撲をとるのか,その相撲内容に興味がつのる。勝ちはするだろうが,どんな勝ち方をするのか。今日のような相撲をとるようでは,あとがない。ましてや,終盤は絶望的だ。

 ところで,問題の一番。稀勢の里と安美錦。予想どおり波瀾が起きた。安美錦が右から張って,頭を下げて突っ込んでいく。稀勢の里がなにくそとばかりに押し返す。その瞬間,安美錦のはたきがでた。計算どおり。稀勢の里は横転して土俵下まで転げ落ちた。わずかな差で安美錦の左足は俵の上に残っていた。が,右足は土俵の外に大きく踏み出していた。行司は安美錦に。しかし,もの言いがつき,長い協議の結果,同体とみて取り直し。

 稀勢の里が頭を下げて突っ込んでくるのを,まるで見越したかのように安美錦は左に大きく飛んではたく。稀勢の里はかろうじて,土俵際で残したが,そこを安美錦に突き倒され,真後ろに倒れながら土俵下へ。無惨な負け。二番,つづけて安美錦の術中にはまってしまうところに,どうしようもない稀勢の里の弱点がある,とみた。

 序盤戦で星を落とす悪い癖(弱点)を克服しないかぎり,稀勢の里の綱はみえてこない。もうすでに30歳だ。そろそろ円熟してきてもいいのだが・・・。ここからの再起を期待したい。

 最後に,照の富士と松鳳山の一戦。立ち合いから松鳳山は双差しになり,攻めて攻めて攻めまくった。が,それでも勝てない。照の富士は両腕を抱え込んだまま防戦一方。徐々に,双差しを深く抱え込んで,松鳳山の両腕の関節を決めてしまい,最後は決め出しで決着をつける。こんなに大きな相撲をとられては,さすがの松鳳山もどうしようもない。まさに,怪物としかいいようのない照の富士の取り口だ。攻め込まれて棒立ちになっているのに,まだ余裕がある。不思議な力士だ。

 それより心配なのは,照の富士の両膝。部屋の兄弟子・安美錦ゆずりの,特殊なサポーターでがっちり固めて登場したが,状態はみかけほどではなさそうだ。明日からは,右でも左でも,どちらか一方を差して,じっくり構えて取れば,負ける相手はいないのではないか,とおもわせる豪快な相撲だった。

 照の富士のからだが完璧になったら,いったい,どれほどの強い力士になることだろう。その助走がはじまった。傷を負っていて,これほど強いのだから。将来の横綱を占う絶好の場所になりそうだ。白鵬にとっては最大の鬼門となるだろう。先場所の相撲がそうだった。今場所も力の入った音一番を楽しみにしたい。

 以上。

『曇る時』(稲垣瑞雄著,豊川堂,2015年12月刊)を読む。

 「まさひろ君,ぼくの書く小説はフィクションだから,誤解しないように」,とかつてみずおさんから言われたことを思い出す。稲垣瑞雄。わたしより7歳上の従兄弟。敗戦直後に,田舎の小寺で二家族が一緒に暮らしたことがある。わたしたちが市内の空襲で焼け出され,住むところがなく,転々と転居していたころのことである。

 一緒に暮らした期間は長くはなかったが,みずおさんからはとても多くのことを教えてもらった。年齢差もあったので,大きな包容力のなかで可愛がってもらったようにおもう。たとえば,魚釣り。あるいは,メジロ捕り。あけび採り。もっぱら野外活動。敗戦直後なので,これといった遊具はなにもなかった。だから,野外の自然を相手にするしかなかったのだ。

 いまにしておもえば,時間が止まっていたかとおもわれるほどゆったりとした時間の流れのなかで,釣りを楽しみ,メジロ捕りに夢中になり,あけびを探してまわった。話術も巧みな人だったので,面白い話もいっぱいしてくれた。なかには,即興の物語もあったりして,おもわず本気にしてしまったこともある。すると,かならず,いまのは作り話,と言って笑った。

 昨年の暮れに,奥さんののぶこさんから『曇る時』が送られてきた。わたしは,東京新聞の一面下の広告欄にこの本が載っていたので,購入しなくては・・・とおもっていた矢先だった。奥さんと二人で刊行していた同人誌『双鷲』に掲載された作品が中心だったので,朧げながら記憶があった。しかし,こうして一冊にまとまり,通読すると,その迫力はまったく違うものになる。

 なんともはや重苦しい作品であることか。これが第一印象。主人公の曳三が脳血栓で倒れてから,かれの不可解な言動が病気によるものなのか,あるいは,生来の性格によるものなのか,その判断がつかず周囲の者が振り回される。なにか問題が起きるたびに曳三の長兄が間に入って,ことを収めようと腐心する。その人間模様が精緻に描かれている。

 しかし,この物語に登場する人物のモデルとなっている人たちの多くを,わたしはよく知っているために,しばしば実物と創作上の人物とが混同してしまう。主人公の曳三は,わたしと一歳違いの従兄弟である。同じ高校に通っていたので,校内で会えば手を挙げて笑顔を返してくれた。その笑顔はとても印象に残る,いい笑顔だった。そして,仲裁役の長兄は作者自身。

 作者の描きたかったことは,たぶん,脳血栓という病気の後遺症による身体の障害とこころの障害の間(あわい)に漂う不可思議な言動であり,それに振り回される人物たちをとおして,人が「生きる」ということの意味を問うことにあったのではないか,とこれはわたしの感想である。仲裁に入る長兄も必死なら,なんとか病気から立ち直ろうとする曳三も必死だ。その必死さが,必死であればあるほど,微妙にスレ違っていく。善意とも悪意ともいわくいいがたい世界を必死で生きる曳三。なんとも頼りない時空間がそこには広がっている。

 兄弟とはいえ,病気の後遺症というバイアスがかかってしまうと,一挙に遠い存在となってしまう。意思疎通がままならなくなる。これはある意味では仕方のないことだ。しかし,病気になる前も,曳三と長兄は,お互いに認め合いつつもどこかすきま風が吹いていた様子も描かれている。じつは,ここにもうひとつの大きなモチーフが隠されてもいる。言ってしまえば,かつての母親の「家出」をめぐる,二人の受け止め方や対応の違いがその根にあるようだ。だから,長兄の苦悩はますます深くなっていく。

 このあたりのことも,わたしはフィクションと実話の間をさまようことになる。いっそのこと実話を知らない方がこの作品を素直に読めたのではないかという思いと,いやいや,実話と重ね合わせになることによってもっと深い意味を読み取ることができたのだ,という思いとが交叉する。

 作者には,母親の「家出」をモチーフとする小説もあるので,そこに描かれたイメージとも共鳴しながら,わたしは,じつに複雑な気持ちでこの作品を熟読玩味した。当然のことながら,父親にもいろいろと問題があって,それも作品になっている。だから,この作品は曳三と長兄の関係が主たるモチーフになっているが,同時に,これまで書かれてきた家族をテーマにした私小説のすべてが共振・共鳴して,まるでオーケストラが鳴り響いているような気持ちになってくる。

 考えてみれば,みずおさんの家族は,それぞれに波瀾万丈の生活を送っていたんだなぁ,といまさらのように思い返されてくる。そして,それが作家・稲垣瑞雄を誕生させる源泉でもあったのではないか,と。しかし,かれを作家たらしめる引き金となったのは,ほかに理由がある。それは,かれが旧制中学の生徒だったときの忘れがたい経験がトラウマとなっている。ひとことで言ってしまえば,戦争というものの非情な現実と避けがたく向き合わざるを得なかったことだ。

 このことも,かれの作品のなかに描かれているので(何回にもわたって),そちらをご覧いただきたい。「稲垣瑞雄」で検索してみればすぐにわかります。

 ということで,今日のところはここまで。

2016年1月9日土曜日

東京五輪返上論。私論・1:「アンダー・コントロール」の嘘。

 「アンダー・コントロール」が世界の笑いものに曝されている。しかも,日本政府,ならびにそれを支持している日本国民に対して世界の主要なメディアが「ノー」を突きつけている。フクシマの危機的情況が世界最大のスキャンダルとして,国際社会から厳しい批判の眼でみられているという事実を知らないでいるのは日本人だけである。

 日本が日本について知らないでいること,その筆頭がフクシマだ。

 自分にとって都合の悪いことは,できることなら秘匿しておきたい。これは世の常である。

 フランスのドグマ人類学者ジャン=ピエール・ルジャンドルの著書のなかに『西洋が西洋についてみないでいること』(森元庸介訳,以文社)がある。この著書から,わたしは多くのことを啓発された。ひとつは,ユーロ・セントリズムの致命的な欠陥を知ったこと。

 これとまったく同じことが,そのままわが祖国である日本にも当てはまる。日本中心主義。ことばの悪しき意味でのドグマ。そのまっただなかに東京五輪がある。すなわち,客観的な現状分析がなにもできてはいない。だから,なにも見えていない,いな,見ようともしない。

 フクシマが,どれほど危機的な情況にあるかは,少なくとも西洋の主たるメディアは特派員を派遣し,綿密な取材をとおして実態を把握した上で,かなり頻繁にトップ・ニュースとして取り上げている。だから,西洋では,ふつうの人間であれば,だれもがフクシマの事実を承知している。トップ・アスリートとて,その例外ではない。しかも,放射能に対してはとても敏感に反応する。

 わたしのところには,いまでも,ドイツの友人から「東京は危険だ。ドイツの田舎に移住して来い。いつでも準備して待っている」という呼びかけがある。それもスポーツの関係者からである。「日本は危ない」というのが,ドイツ人のスタンダードな認識と言ってよいだろう。だから,仕事の関係で家族ごと東京で暮らしていた西洋の人びとの大半は,妻子だけをいち早く帰国させ,自分ひとり残って単身赴任の態勢をとっているという。しかも,そういう事例は高齢者が多いという。そして,若い人は短期間で交代している,とも。

 このようなことを考えると,よほどのことがないかぎり,ヨーロッパ系のトップ・アスリートたちは,たとえ五輪代表に選出されたとしても出場を辞退する人間が続出するのではないか,とわたしは分析している。もっとも,ドーピングしてでも金メダルが欲しいという輩はいくらでもいるから,それほど悲観することはないかもしれないが・・・。それにしても,みじめな東京五輪になることは間違いない,とわたしは考えている。

 こういう実態を日本のメディアが知らないでいるはずがない。知っていて知らぬふりをしているだけなのだ。そして,それが日本のスタンダードを形成していく。アベ政権が熱心にメディア操作に励むのは,このことを熟知しているからだ。

 しかし,いまや「アンダー・コントロール」は嘘であった,と国際社会は厳しい眼でみている。この事実に蓋をしたまま,東京五輪を推進する根拠はもはやなにもない。いな,嘘がバレてしまったいま,東京五輪招致そのものが詐欺まがいの行為であったことが露呈してしまっているのだ。このことに一顧だにしないで,知らぬ勘兵衛を決め込む東京五輪組織委員会会長と,その嘘を撤回しないで無視しつづける総理大臣のもとで,オリンピックを開催する資格はなにひとつ認められない。

 「恥を知れ」というほかはない。

 これが,まずは,東京五輪返上論の第一点。
 これから追々,各論を展開してみたいと考えている。
 ご意見,ご批判をいただければ幸いである。

2016年1月8日金曜日

但馬国の一の宮・出石神社のフィールドワーク。不思議な境内の雰囲気。

 昨年の12月23日(水)。神戸市外大の集中講義(西谷修)の中間の休日。出石神社のフィールドワークに行ってきました。丹波から出雲に抜ける交通の要所であった但馬の一の宮,それが出石神社です。祭神はアメノヒボコ。水田地帯から山にとりつく小高いところに,閑静なたたずまいをみせていました。

 
 
アメノヒボコは半島からの渡来した神様ですので,神社の由緒を書いた看板にも,日本語とハングル語とが半々になっていました。たぶん,半島からやってくる人も多いのだろう,とその前に立って想像しました。その必要があってのことだ・・・と。

 ということは,この地域に住む人びとにとっては,いまもなお半島との関係は浅からぬものがあるということなのだろうか。あるいは,わたしたちが想像する以上に,もっともっと親近感を抱いている・・・のでは?ともおもいました。この傾向は日本列島の西へ行けば行くほど強いようにおもいます。考えてみれば,明治以後の近代国民国家が誕生するまでは,国境などあってなきがごとき状態がつづいていたのですから,人びとの交流も,ある意味では自由自在であったと言っていいでしょう。そんな名残りを,それとなく感じたことでした。

 
社殿に到達する参道の右側には土俵がありました。砂を盛り上げただけの簡易式の土俵で,雨ざらしのまま崩れかかっていました。大きさからみて,子ども相撲の土俵だろう,と判断しました。むかしは(わたしの子どものころは)神社には土俵があるのがふつうでしたが,いまでは少なくなっています。が,ここではいまも子ども相撲が奉納されていることがわかります。おそらく,年一回,祭礼のときに行われているのでしょう。そういう文化がいまも伝承されていることがわかります。

 
境内の裏側は石垣の上に土塁が積んであって,その内側には堀が巡らされています。ちょっとした城砦のような雰囲気が残っていました。また,石垣のすぐ外側には小さな川が流れていました。よくみると,なかなかきれいな水で,山から流れてくるその水量をみると,かつては生活用水として重要な役割をはたしていたのではないかと,想像してしまいました。

 
社殿の右側はこんもりとした森になっていて,その周りを石柱の囲いがしつらえられていて,「禁足地」という立て札がありました。神社の説明書によれば,アメノヒボコの墳墓と考えられており,いまも大切に保存されている,とか。文字どおり,だれも踏み込めないのか,古木が倒れたまま朽ちている姿がなんともいわくつきの場所であることを示しているようにおもいました。

 
社殿はなかなか大きく立派なものでした。ぐるりと一周してみて,そのどっしりとしたたたずまいに感動しました。なるほど,但馬の国の一の宮の伝統がいまも立派に引き継がれていることがよくわかりました。往時の隆盛ぶりはいかばかりであっただろうか,としばらくの間,あれこれ思いを馳せてしまいました。アメノヒボコがこの地に定住した目的はなんであったのだろうか,などと・・・・。


この社殿を取り囲むようにして小さな祠がいくつも建っていました。右側から順に,天神社,比売社,夢見稲荷社,弁天社,という具合でした。下の写真は,弁天社。規模は小さいながら,なかなかの風情のあるたたずまいでした。

 
天神社といえば,なんといっても菅原道真を思い浮かべます。だとしたら,境内に土俵があって,子ども相撲が奉納されていることも,なんの不思議もありません。

 とまあ,いろいろと想像をふくらませる材料があちこちに散在していることがわかりました。次回は,たしかなインフォーマントを探しておいて,そういう人からじかにお話を聞いてみたいとおもいました。

 なお,わたしが出石神社に行ってきたということを知った柴田晴廣さんから,すぐにメールが入って,つぎのような情報を提供してくれました。

 但馬の国の一の宮もいいが,二宮,三宮はもっともっと刺激的で面白いところだから,ぜひ,そちらにも足を伸ばすべきだ,と。柴田さんの情報によりますと,
 二宮は,栗鹿明神。サホ彦に連なる日下部氏に関連する神社であること,
 三宮は,養父神社。タンバミチヌシ王が祭神。
 ということです。

 となりますと,但馬の国というロケーションがただならぬところであったことが透けてみえてきます。こうと知った以上は,もう少ししっかりと予習をしておいてから,再度,尋ねてみたいと夢をふくらませているところです。

2016年1月7日木曜日

いま,世界はフクシマに戦々恐々としている。

 以前にも書きましたが,フクシマ,原発,辺野古,憲法,集団的自衛権,東京五輪2020,などの政治に特化されるテーマについては,FBで展開し,このブログではそれ以外の問題に主眼をおくことにしています。が,やはり,このブログでもいくらかはこれらのテーマについて論ずることも必要だと痛感するようになりましたので,これからは折りを見ては,少しずつおもうところを書いてみたいとおもいます。

 その第一報という次第です。

 さて,見出しに書きましたように,「いま,世界はフクシマに戦々恐々としている」のです。このことを知らないでいるのは日本国民だけです。フクシマに関する精確な情報は,日本国内では,「秘密保護法」に守られているかのように,タブーとなっていて,大手メディアもみてみぬふりをしています。アベ政権は,表では報道の自由を嘯き,裏では相当にきびしく報道規制を強いていることも,よく知られているとおりです。

 その結果,アベ政権にとって都合の悪い情報はすべて秘匿されています。戦前の全体主義国家と同じになってしまいました。

 いまでは,外国人記者(特派員)に対しても,取材に関してプレッシャーをかけている,とのことです。憤慨した外国人特派員は,その事実を暴露し,ことの顛末を本国の新聞・テレビに報告をし,大問題になっています。このことも,インターネットにアンテナを張っている人たちの間では常識になっています。そして,日本という国家に対する不信感はますます強まるばかりだといいます。

 まさに,転落のスパイラルを駆け下りている,というのがわたしの印象です。

 たとえば,12月30日のドイツ在住のピアニスト,デットパイラー扶美(43歳)さんの新聞投稿によれば,フクシマの汚染水に世界は厳しい視線を投げかけていて,「世界最大のスキャンダル」だとして,連日のようにドイツではトップ・ニュースとして取り上げられている,といいます。しかも,この大問題であるフクシマを無視している日本政府と,それを許している日本国民について,まったく理解できない,とドイツ国民は強く批判している,といいます。もはや,日本は国家としてまともには相手にされなくなってきている,と。(詳細は,わたしのFBを確認のこと)

 まさに,戦後70年にわたって獲得してきた新生・日本(=平和守る,真摯で安心できる国家)の信頼を一気に失いつつあるということです。ですから,憲法がどうのとか言っている余裕などないのです。なによりも優先して取り組まなくてはならない問題はフクシマです。全知全能を傾けて,国民も一致団結して,フクシマ問題に全力投球をしなくてはならないのです。そして,世界に恐怖を与えつづけているフクシマについて,誠意ある対応を世界に示すことです。

 こんな話も忘れてはなりません。2011年10月25日付けの『Nature』誌に掲載された記事が,ヨーロッパでのフクシマ理解の根拠となり,そこからすべての発想が展開されている,という事実も。このことも,じつは,わたしたち日本人のほとんどの人は知らないままでいます。そこには,つぎのように書かれている,といいます。

 欧州連合の作成した新しい報告書には以下のように述べられている,と。すなわち「20,000平方マイルが日本・福島第一原発事故によって汚染された。これは,日本の国土の約15%が「徹底的な放射能監視地域」に入ったことを意味し,問題は東京もすっぽりと入っている」という事実を注視しなくてはならない,と。だから,外国の大使館要員も家族はすべて帰国させ,大使館員も交代勤務体勢に入っている,とも伝えています。(詳細は,わたしのFBで確認のこと)

 知らぬは日本人ばかりなり,ということです。

 1月4日の東京新聞には,ニュージーランドの詩人のことば「日本人は何もしないためなら何でもする」を紹介しています。まことに痛いところを突かれて,返すことばもありません。

 1月5日のFBには,フランスFR3放送「フクシマ・地球規模の汚染へ」という映像(約50分)がリンクされていました。急いで鑑賞してみましたら,そこには恐るべき事実が映し出されていました。フランスのジャーナリストによる決死的なフクシマ取材によって(からだを張った日本人カメラマンも協力),驚くべき事実が浮き彫りにされています。全身に激震が走りました。これはもう,筆舌に尽くしがたい世界です。ぜひとも,この映像をみて確認してみてください。(わたしのFBで映像をご覧になってみてください)

 ことほど左様に,恐るべき事実が,日本国内では秘匿されたままです。これがアベ政治の実態です。最優先して取り組まなくてはならない最大の政治課題を投げ出したまま,その眼をはぐらかすかのようにして,憲法改正を叫び,集団的自衛権の行使容認に走り,原発の再稼働,辺野古の強行突破へと,矢継ぎ早に鉄砲を撃ちまくっています。そして,まんまと国民の多くが騙されて,アベ政権支持へと流れ込んでいます。

 しかし,これらのアベ政権支持者の約8割は,半信半疑だともいいます(つい,最近の調査結果。これには政府自民党も相当の衝撃を受けているらしい)。ですから,ほんのちょっとしたきっかけさえあれば,あっという間にアベ政権はもろくも崩れ去るだろう,というのです。これは,案外,外圧によって,つまり,世界の世論(国際社会?)が,日本という国家を厳しく批判しているという事実が,日本国民に伝えられたときに,一気に雪崩現象として起こるのではないか,とこれはわたしの個人的な推測です。

 一刻も早く,そうあってほしいものだ,と願うばかりです。

2016年1月6日水曜日

「紅白」(NHK)のお粗末。もう,これでお終いね。

 娘夫婦が沖縄から帰省していたこともあって,何年ぶりかで年末恒例の「紅白」をみながらすき焼きを囲んだ。かつては(もう15,6年前の話),その年に活躍した歌手とベテラン歌手とが男女対抗の形式で「歌合戦」を展開する,一年の総まとめの歌番組として充実していた。そして,最後のトリをだれが勤めるのか,大きな話題となったものだ。

 しかし,それに比べて,今回の「紅白」の体たらくはいったいどうしたというのか。もはや,「歌合戦」ではないし,歌手としての一年間の実績も,ベテラン歌手としての評価も,はちゃめちゃ。なにを基準にして歌手を選別し,序列化しているのか,そのコンセプトがまったくわけがわからない。一方的な垂れ流し。それをただ視聴するだけ。なにも伝わってくるものがない。

 どうやら,前半は若い世代に向けてのサービスを中心にし,後半は中高年の視聴者に向けて歌手を登場させたようだが,それにしても最後のトリはいったいどうしたことか。あきれ果てて,もはや,ものも申せません,というところ。ひょっとしたら,NHKのディレクターあたりが,自分の青春時代の思い入れと重ね合わせただけのアイディアだったのではないか,と勘繰られてしまう。だとしたら,公私混同もはなはだしい。

 でも,いまのNHKならやりかねない。だれかの一声で。

 どうしてもやりたいというのであれば,歌謡曲一本に絞るなり,あるいは,ジャンル別に選ぶなり,歌唱力の評価の高い歌手を選ぶなり,歌と踊りで新境地を開いたと評価されたグループを選ぶなり,なにか筋をとおすべきではないのか。

 くろやなぎてつこ,という人の起用も,なにがなんだかわけがわからなかった。しかも,危なっかしくて,不安でみていられなかった。あまりに痛々しくて,ときには不快でもあった。まわりの気遣いもわからぬではないが,あそこまでしなくてはならない人を,一年の締めくくりの長時間番組で起用すべきではないだろう。もっとも,本命には逃げられてしまったようだが・・・・。

 昨年の際立った存在として話題になった作家・芸人又吉直樹あたりを起用してみたら面白かっただろうに,とおもうのはわたしだけだろうか。NHKの意外な番組(経済)でもMCをつとめていて,わたしはとても面白いとおもってみているのだが・・・・。もっとも,あのキモさはお祭りには不向きではあろうが,起用の仕方によっては新局面を展開する起爆剤にはなったのではないか・・・などと,勝手に推測。なにを隠そう,作家としての又吉直樹の才能に,わたしはかなり注目しているので,過大評価をしている節はあるのだが・・・・。

 まあ,そんなことはともかくとして,今回の「紅白」はまるでダメ,というのがわたしの評価。もう,次回からは見ることはないだろう。大晦日のテレビはやめにして,その年,印象に残った本でも山積みにして,チビリチビリと日本酒でも舐めながら,読書三昧にふけるというのも手だなぁ,といまから楽しみにしている次第。

 NHK紅白よ,さようなら。
 長い間,ご苦労さまでした。
 もうそろそろ幕引きのときでしょう。

 ついでに,NHKも幕引きにしてもらいたいところ。とりわけ,ニュース番組の体たらくは,今回の紅白よりももっと酷いのだから・・・。
 いま,フクシマがどうなっているのか,まったく蓋をしてしまって,事実を伝えようとはしない。
 アベ政権のいいなり。
 冗談じゃない。
 受信料を返せ!と怒鳴りたいくらいだ。
 受信料をとっている以上は,視聴者の要望に応えるニュース報道に専念すべきではないのか。
  
 その義務を放棄してしまっている。体たらく・・・・。

 ああ,いけない。余分なことまでいい始めている。
 というところで,今日のところはお終い。
 NHKもお終い。
 もちろん,「紅白」もお終いね。

2016年1月5日火曜日

「<破局>(デュピュイ)に向き合う」(西谷修),再読。年頭なればこその所感。

 <破局>。カタストロフ。世界が根底から壊れてしまうような大惨事。この世の終わり。そんな,いつか,遠い未来にやってくるであろうとおもわれていた<破局>が,いま,すでに,わたしたちの目の前にやってきてしまった。わたしたちは,もはや,この<破局>と無縁では生きられない。この<破局>という現実を避けて通ることはできない。

 フクシマ。

 このフクシマと,どのように折り合いをつけながら,生き延びる方途を見出すべきか。このことのために全知全能を傾け,ありとあらゆる努力をしなくてはならない時代,それが<いま>だ。つまり,<破局>を迎えてしまった<いま>という時代だ。

 なのに,アベ政権は背を向けたまま無視だ。そして,放置したままだ。しかも,<破局>の事態はますます悪化の一途をたどっているというのに。世の識者たちの多くもまた,この事実を語ろうとはしない。メディアも忌避しているかのように,触れたがらない。むしろ,積極的に蓋をしてしまっている。まるで,なにもなかったかのように・・・・。

 しかし,ジャン=ピエール・デュピュイは,多くの著作をとおして,フクシマだけではなく,経済の問題をも包括した世界全体の<破局>問題を取り上げ,重視し,警鐘を鳴らしつづけている。このデュピュイの論考にいちはやく反応した,西谷修さんを筆頭とするグループの人たちは,この問題こそこんにちの思想・哲学上の喫緊の課題であるとして,真っ正面から向き合い,熱心に発言を展開している。

 その中核ともいうべき西谷さんの論文「<破局>に向き合う」(『カタストロフからの哲学』──ジャン=ピエール・デュピュイをめぐって,渡名喜庸哲・森元庸介編著,以文社,2015年10月刊に収められた巻頭論文)を,新しい年を迎えた年頭に当たって,気持ちも新たに再読してみた。案の定,ずっしりと重いものがわたしのからだを駆け抜けていく。しばらくの間は震えが止まらないほど興奮する。読むたびに,それまでになかっか,なにか新しい共感が立ち現れてくる。この感覚はいったいなんだろう,と考える。

 ひとつには,まことに個人的な事情と直接,深く,重くかかわっている,と正直に告白しておこう。言うまでもなく,わたしはいま末期癌のステージ4を生きている。しかも,決め手となる治療の方法が見つからないまま,残りの「生」と向き合う日常を生きている。個人的な,まことに個人的な<破局>が目の前にきてしまった,というのが実感である。それでも,自助努力としてできることはやってみようとあらゆる智恵を絞り,よさそうだと納得できるところから始めている。そして,少しでも<破局>を向こう側に押しやるべく,ささやかな実践をこころがけている。

 こんな個人的な事情もあって,デュピュイのいう<破局>は,わたしにとっては切実な「生」の問題となって跳ね返ってくる。そして,西谷さんの説く「<破局>に向き合う」という論考が,きわめて深いところでわたしのこころに響いてくる。驚くほどの現実味を帯びて・・・・。それでいて,どことなくわたしのこころを癒してもくれる。

 それはなんと仏教的な世界観をわたしに想起させてくれるからだ。西谷さんは,この論考のどこにも仏教にかかわるような言説はしていないのだが,それでもなお,わたしの想像力は仏教的コスモロジーをつぎからつぎへと引き寄せてくる。仏教とはなんの関係もない西谷さんの言説にもかかわらず,わたしは勝手に仏教の世界に遊んでいる。これはいったいどういうことなのだろうか,と考えてしまう。しかし,そんなことはどちらでもいいことだ,と自分に言い聞かせる。

 詳しいことは割愛するが,西谷さんは,<破局>を回避するためには,発想の出発点を180度,転換させるほかはない,と断言する。つまり,人が「生きる」ということを第一優先として擁護することだ,と。「生きる」ということを肯定する思想こそが「善」なのだ,と。西田幾多郎の『善の研究』も,人が「生きる」ということを擁護している論考として読むと理解が深まる,と以前に聞いたことがある。つまり,与えられた「生」を生き切ること,あるいは,まっとうすること,そのことのためにわたしたちがなすべきことはなにか,そこから考え直すこと,これが<破局>を目の前にした<いま>,わたしたちがやるべきことだ,と。

 こうした西谷さんの言説が,わたしには,いま与えられている「生」をまっとうすること,と響いてくる。では,<破局>と向き合う<いま>を,わたしが「生きる」とはどういうことなのか,という命題がくっきりとみえてくる。すると,おのずからなる答えがみえてくる。そこに救済が透けてみえてくる。ああ,この「道」を行けばいい,と。それが,わたしには子どものころから馴染んできた仏教的世界観であり,その後も読み続けてきた仏典の解釈から得た知識であり,智恵である。その中に,その「道」を考えるヒントの多くが秘められている。

 と,そんな風にわたしは考えはじめている。

 やはり,再読をしてよかった,としみじみおもう。
 断っておくが,ここに書くことができたことがらは,わたしの思考のほんの概略にすぎない。曖昧模糊とした,いまなお言説化できない思考の部分にも,もっともっと重要なテーマが潜んでいる。これから思考が深まってきたら,また,言説化してみたいとおもう。たぶん,可能だとおもう。それを楽しみたいともおもう。あるいは,それがいまわたしが「生きる」ということの内実なのかもしれない。そんなことも含めて「生きる」とはどういうことなのか,を考えてみたい。そんなところにまで,西谷さんの論考の触手は伸びているようにおもうから。

 だから,これからも何回でも再読しながら,思考を深めていきたいとおもう。わたしが真に「生きる」ために。

2016年1月4日月曜日

あっぱれ!青学院大,箱根駅伝,完璧な2連覇。

 一区で首位に立ったタスキは最後までトップの座をゆずることはなかった。それどころか,一人ひとりがその役割を果たし,着実に二位との差を拡げていく。完璧と言ってよい2連覇を達成。感動しました。

 勝者の表情はいいものです。晴れやかな笑顔だけではなく,なにかをなし遂げた達成感のようなものが表出していて,それがじかに伝わってきて心地よい。しかも,冷静で,その奥に秘められた賢さも見え隠れしている。なのに,とても無邪気。天真爛漫。選手全員が並んでインタヴューを受けている間も,他の選手の発言や,監督の発言に,じつに素直に反応し,子どものような笑顔をみせ,頷いている。高感度100%。

 やはり,人間として立派。自律しているなぁ,としみじみおもいました。選手である以前に,まずはひとりの人間として自律(自立)しているなぁ,と。だからこそ,自分が任された区間の走りも,きちんと自分のペースを守り,その日の調子をみとどけた上で,徐々にペースを上げていくという理想的な走りをまっとうすることができる。もちろん,監督からの指示を背中に受けながら,右手を挙げて応答し,大きく顔をゆがめるような無理な走りはしない。冷静沈着。それでいてこころの奥底に秘めた闘志を燃やす。

 タスキの受け渡しもみごと。きちんと,両手でタスキを長く横に伸ばして,つぎの選手が受けとりやすくする基本を守っている。しかも,必ず待っている選手の右側に走り込み,右手で受けとれるように配慮されている。これも基本どおり。こんなことはどのチームも練習しているはずだ。しかし,いざ,本番となるとなかなか実行はできない。なぜ?

 オーバー・ペースで疲労困憊してしまうと,タスキをわたすことすら定かではなくなってしまう。なかには意識朦朧としてしまって,われを見失ってしまう選手もいる。タスキをわたすのが精一杯で,わたしたとたんにその場に倒れ込んでしまう選手も少なくない。だから,選手の右側も左側もかまわず突っ込んでいき,片手でタスキを渡したりする選手もいる。

 しかし,青山学院大の選手たちは,みごとにこの基本を実行している。というより,実行できている。なぜか?それは,オーバー・ペースで走ってしまうという選手がひとりもいない,ということの証明である。それほどにきちんと自らを律して,最高のペースを守り,自己ベストを叩き出していくことができる能力を身につけているということのなによりの証だ。

 アンカーの「としのり」選手にいたっては,ウィニング・ロードだったので,最後はペースを少しだけ落とした,とまで発言している。この冷静さには圧倒されてしまった。ゴールを目の前にしたら,嬉しくて舞い上がるはずなのに,レースが終わるまで,つまり,走りきるまで,きちんと自分と対話している。だから,ゴールしても余力があるので,仲間が横一列に並んで待っているのを見届けると,そこに向かってスピードを挙げて駆け込んで行きました。このゴール後の「走り」が,なぜか,とても印象に残りました。そして,胴上げ。

 レース後の記者会見もみごとでした。選手一人ひとりが,それぞれに固有のことばをもっていて,自分の思いをしっかりと述べていました。それもおざなりのことばではなく,そのとき,その瞬間の本人のことばがするりとでてくる。おもわず耳を傾けてしまう。借りものの,決まり文句のようなことばはひとつもない。全部,自分のことばだ。それも,その瞬間にしかでてこない,ありのままのことばだ。だからだろう,聞いていて心地よい。

 こんなところからも,日ごろ,どんな練習をしているのか,ということが透けて見えてきます。本番さながらの,気持ちの入った,密度の濃い練習を,日々重ねていることは間違いありません。言ってみれば,毎日が本番。だから,自分の能力の限界と可能性との境界領域を知り尽くしている。チームのメンバー全員が,こういう取組をしているとしたら,空恐ろしい。

 3年生以下の選手たちは,また,来年に向かってスタートだ。しかも,「3連覇」という重圧がかかってくる。この重圧をいかに克服していくか,また,新たな挑戦のはじまりだ。こんどこそ「俺の出番だ」と満を持している選手たちが目白押しだ,と聞いています。こうして,チーム内の切磋琢磨がはじまります。また,一段とたくましいチームが育っていく。たとえ選手になれなくても,立派な人間が育っていく。

 来年の,また,新たなるドラマを楽しみにしたい。
 いい駅伝でした。青山学院大学駅伝チーム(裏方さんも含めて)にこころからエールを送りたいとおもいます。ありがとう。こころの底から感謝しています。

2016年1月3日日曜日

溝口神社に初詣。夕刻なのに行列。勝海舟の幟。

 家から歩いて10分ほどのところにある溝口神社に初詣をしてきました。それも,寝正月を存分に堪能して,夕刻になってから初詣にでかけました。この時刻なら,ほとんど人もいないだろうと想定してでかけました。ところが・・・・。驚くことに長蛇の列。警備員が列の最後尾にいて,交通の邪魔にならないよう任務についていました。この神社は,いわゆる大山街道に面していますので,交通量はかなりのものがあります。

 
この列に並んで牛歩ならぬ立ち止まりつつ前進。社殿に到達するまで約1時間半。狭い境内は参拝客でいっぱい。お守りや護符を売る出店がずらり。なかにはお神酒を販売している出店も。社殿の裏側では甘酒が無料でふるまわれていました。社務所ではご祈祷をしていて,その順番を待つ人もいっぱい。おやおや,と驚くことばかり。

 
ふだんは参拝客などほとんどみかけたこともない閑静な小さな神社です。ただ,安産の神様としては知られているらしく,ネット情報によれば,水天宮につぐ関東では第二の安産の神様だとか。そういえば,この列に並んでいる人は概して若いカップルが多かったようにおもいます。

 狛犬さんと社殿の間には大きな幟旗が二本立っていました。よくよくみると,「総氏子中 海舟勝安房」というサインが左側の幟旗の下のところにありました。あわてて,近くにあった説明を読んでみますと,あの勝海舟が,この溝口神社の氏子であったこと,そして,この幟旗を寄贈したこと,現代のものはその複製であること,などが書かれていました。

 
 
これには驚いてしまいました。いまでこそ,こんなに小さな境内の構えになってしまっていますが,往時は相当に大きな構えの社殿であったに違いありません。また,ロケーション的にも大山街道というかつての重要なネットワークをコントロールすることのできるポイントにもなっています。ですから,勝海舟はこの神社を自分の勢力下に抱えておく必要があると考えたのでしょう。

 
社殿の正面には茅の輪がセットしてあって,全員がここをくぐり抜けてから,社殿の前に立つようになっています。わたしは,おもわず被ってきた帽子をとって,あらたかな気分でくぐることにしました。くぐったあとは,横6人ずつ並んで参拝をします。なんだか妙な気分でしたが,みんながしているように作法を守りました。すなわち,ニ礼,二拍手,一礼,です。

 

参拝を済ませて,社殿の裏にまわりますと,大きな欅の木があって,ライトアップされていました。とても神秘的な光景で,おもわず足を止めてしばらく佇んでしまいました。立派な古木に注連縄が張ってあって,貫祿十分でした。折角でしたので,おみくじを引いてみました。結果は,「吉」。病気は長引くが平癒する,とありちょっぴり安心しました。

 参拝が終わって帰宅したら,すでに午後7時を過ぎていました。
 新年早々,想定外の面白い経験をしました。
 ことし一年がどんな風に展開するのか,楽しみにしたいとおもいます。

 以上,初詣の巻。

2016年1月1日金曜日

謹賀新年。本年もよろしくお願いいたします。

 あけまして,おめでとうございます。
 旧年中はいろいろお世話になりました。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 ことしもまた年賀状を書く暇もないまま,歳が明けてしまいました。
 失礼の段,お許しください。

 暇がないというのは間違いで,そのための時間をつくることが下手になってしまった,というのが正直なところです。時間など,いくらでもあるのに,つい面倒なことはあとまわし。そうこうしているうちに,忘れてしまう・・・・。要するに加齢にともなう老化現象。

 言ってしまえば,社会生活能力の低下。ひとしなみの生活ができなくなり,自分の好きなことしかしない,わがままが増長,つまり,自分勝手。マイペース。

 これがほんとうに加齢による自然な現象なのか,それとも大病を経過したことによる後遺症なのか,そのあたりのことはどうもよくわかりません。お医者さんに相談してみても,にこにこ笑っているだけで,要領を得ません。なんともいいようのないグレイゾーンであるらしい。

 そのグレイゾーンをいま生きているというのが実感としてもよくわかります。意識がはっきりしていて,頭脳も冴えている時間がどんどん短くなってきて,なんだかぼんやりした意識のままの時間だけが長くなっていきます。ですから,一日のうちでも,そんな意識の間を行ったり来たりしているうちに,あっという間に,その日が暮れていきます。

 その結果,年賀状もあっちへふらふら,こっちへふらふら・・・,まあ,いいかっ・・・,というような具合です。サクセスフル・エイジング。なりゆきまかせ。というわけで,ことしの賀状も欠礼させていただきます。その代わりにこのブログを書いています。お許しのほどを。

 この2年間,大きな手術を2回も受けることになり,たいへんな経験をしてしまいました。ことしは,どうか,そんなことにならなくて済むように,天の神さまにお祈りしたいとおもいます。それが第一の願い。

 第二は,選挙で少しでもいい結果が得られるよう,微力ながら努力してみたいとおもいます。こんな政権がいつまでもつづくようでは,日本の未来はありません。なにがなんでも,とりあえずは,「ストップ・ザ・アベ」で動きたいとおもいます。このブログの読者の方々も,たぶん,同じ気持ちだとおもいます。身近なところから一人ずつ同志をつくっていく,そういう地道な努力の積み重ねしかありません。一人が二人に,二人が四人に・・・・。

 政治の主権者はわたしたち一人ひとりです。政治家ではありません。

 今回だけは,政治家任せにはしないで,自分の意思を貫きましょう。

 「民主主義を守ろう」というまっとうな主張が批判される政治はごめんです。
 「憲法を守ろう」というまっとうな主張が批判される政治はごめんです。

 そして,なによりも原発を推進する政治はごめんです。
 「フクシマ」を放置する政治はごめんです。

 経済よりも「いのち」を大事にする政治を。
 戦争よりも「いのち」を大切にする政治を。

 人の「いのち」を犠牲にする政治はごめんです。

 ことしが「いのち」元年になりますように。
 みなさまの「いのち」が安全でありますように。

 そう祈りながら,新年のご挨拶とさせていただきます。
 お互いによい年になりますように。

「暮々満湖之景」(伊藤博文)。ことしも暮れていきます。

 いよいよ大晦日。ことしも暮れていきます。
 積み残した仕事のあまりの多さに後ろ髪を引かれながら・・・・。
 時間の流れに棹さすことはできません。が,それでもできることなら,時間を止めておきたい・・・。
西の空に沈む太陽を,もう一度,押し戻して,時間を確保した・・・という八郎潟伝説を思い出しながら・・・・。

 同じ西の空に太陽が沈む光景を,滋賀県知事室から眺めていた伊藤博文は,当時の知事に揮毫を頼まれ,大きな文字で「暮々満湖之景」と書きました。同じ夕日が沈む光景を眺めていた知事は感動して,この書を立派な掛け軸に表装して知事室に飾りました。数年後に,この知事室を尋ねた伊藤博文は,この掛け軸をみるやいなや,いきなり駆け寄って行って引きずり下ろし,ずたずたに割いて破り捨てた,という有名な話があります。

 そして,ひとこと。「お前はアホか」と。

 当時の宰相は,こんなジョークを大まじめに揮毫して,書き与え,相手の器の大きさを測っていたと考えると,なかなか興味深い話ではあります。

 こんなことを思い出したのは,暮れの慌ただしさを目の前にして,これを余裕でやりすごせるようになるのはいつのことやら,と考えてしまったからです。もっと器が大きかったら,こんなにあくせくしなくてもやり過ごすことができるだろうに・・・と。でも,持って生まれた器のサイズは,いかんともしがたく,多少の努力で補正はできたとしても,本性が変わるわけではありません。

 で,伊藤博文の揮毫の話からさらに飛躍して,そうだ,書き初めをしよう,と思い立ったことも正直に書いておきましょう。じつは,毎年,書き初めをしようと考えるのですが,はたせないままでした。ですから,こんどこそはなんとか実行してみよう,と。

 さて,そのとき,わたしはなんと書くのだろうかと想像してみました。これはなかなか楽しい想像で,いくつもの名句が浮かんでは消えていきます。ついでに,筆ペンで,裏紙を使って,つぎつぎに書いて遊んでみました。これは大晦日の遊びとしては最高です。もう,やらなくてはならないことを放り投げて,居直っています。そして,早速,思いっきり自由な書体で書きなぐってみました。いえいえ,文字どおり「書き殴り」ました。この遊びは,なかなか楽しく,来年の年間をとおしてのカリキュラムのひとつに,ぜひ,加えたいとおもいます。

 まあ,こんな戯事でもして遊ぶくらいの余裕がないと,世の中,面白くないことだらけでやってはいけそうにありません。ことし最後のブログということで,こんな戯文を書いてしまいましたことをお許しください。

 それでは新年もまたよろしくお願いいたします。