2016年1月31日日曜日

「憲法が教えられない」。小学校教員の悩み。

 「憲法を守りましょう」という呼びかけは,政府が国民に対して行うもの・・・それが基本であるはずなのに,いまでは,国民が政府に向かって「憲法,守れ!」と吼えなくてはなりません。とんでもない倒錯以外のなにものでもありません。

 困っているのは,学校の先生たち。高校生なら,いまの政府がやっているデタラメさはみんな理解しています。だから,「三権分立」などは絵空事だとにべもないといいます。中学生でも,大半の生徒たちは,政府のやっていることは奇怪しい,と理解しているといいます。そして,小学生の高学年。こちらもうっすらと気づいているようで,教師としては困ってしまう,と現職の教員から直接,メールで知らせてくれました。

 「いま,6年生の担任をしています。社会科がちょうど公民分野で政治の仕組みや日本国憲法を教えています。いまの政権がやっていることが,三権分立にのっとっていないのが,小学生にもわかっているような状態です。正直,教員という立場では,これ以上言えないもどかしさを抱えたまま,矛盾に悩まされながら教えています」。

 これが,わたしの教え子で,いま,A県の小学校で教員をしているS君からのメールです。年齢的には,ちょうど中堅どころの円熟期に入ったころでしょう。まじめに子どもたちの目線でものごとを考え,教材づくりに励んでいる,とてもいい先生です。が,「憲法」には参った,という次第です。でも,基本どおりに日本の国の成り立ちは教えなくてはなりません。そこまでは問題ないのですが,子どもたちからの質問がでてきたときに,どこまで対応したものか,と悩んでしまうという次第です。良心的な教員であればあるほど悩みは大きいとおもいます。

 が,ここはひとつ踏ん張ってもらって,以下のことだけは伝えてやってほしいとおもいます。昨年の夏には大勢の人が国会前に集って「憲法,守れ!」とシュプレヒコールを挙げていたという事実と,いまも,定期的にその運動はつづいているという事実を,そして同時に,政府の政治の進め方に賛成の人たちもいて,その人たちがいまの政権を支えているのだという事実を教えてやってほしいのです。そして,この意見の対立が,こんどの選挙でどういう結果を生むことになるのか,多くの人がいま真剣に考えているんだよ,と。

 そして,ひとこと。先生は,教科書に書かれているとおりに政治が行われることを願っています,と。つまり,立憲デモクラシーの立場をはっきりとさせることです。そして,これ以上の各論は,人それぞれに考え方が違うので,みんなで議論する,それが民主主義だ,と。

 ここまでは,確固たる信念をもって,教員としての矜持を貫いてほしい,とおもいます。

 あっ,いつの間にか,わたしからS君へのメールの返信のようになってしまいました。が,これは一般論として,わたしの考えをこのブログの読者に向けて書いているつもりです。

 なお,S君は,できるだけ視野を拡げて考えようと努力していて,わたしのFBともリンクさせ,別の情報を提供してくれたりしています。もはや,新聞・テレビの垂れ流しの情報だけでは,これからの教員はやっていかれない,と危機感もいだいています。その意味で,とても,バランスのとれた教員を目指しているようにおもいます。

 それはともかくとして,いま,現場の先生方の悩みは相当なものだということが,こうして教え子たちからのメールでわかってきます。この他にも,現場の先生方が,ことばの問題だけではなく,立ち居振る舞いから服装に至るまで,教育委員会からプレッシャーがかかっているといいます。こういう現実が,いまの教育現場では広く浸透している,という事実すらいまのメディアは取り上げようともしません。いまの政権にすり寄るような指令が教育界を飛び交い,席巻している,というのが現実だといいます。こういう政権にとって都合の悪い情報はすべて隠蔽されたままです。こんなことでは,日本の国は,どんどん堕落してしまいます。

 こうした「まっとうな議論」ができなくなってしまったら,もう,おしまいです。「おかしいことはおかしい」と言える社会こそが健全な社会なのですから。それが言えなくなってしまった社会は,もう,病人と同じです。そうならないためにも,いま,わたしたちは踏ん張りどころを迎えています。

 大いに議論をして,みんなが正々堂々と生きていかれる社会をめざしたいとおもいます。
 学校の先生方もたいへんとおもいますが,頑張ってほしいと願っています。また,こんな悩みがあるという現場の声を寄せていただければ,このブログをとおして応答したいとおもいます。ぜひとも,忌憚のないご意見を寄せてください。待ったいます。

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